しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

サーカス

2023年09月26日 | 失われた仕事

サーカスを学校で見に行ったという話は聞くが、
自分は学校行事で見に行ったことはない。

 

 

小学生の時、春に「福山とんど祭」で二度見た。
三好サーカスと木下サーカスだった。
場所は・・たぶん・・今のローズコム、福山中央公園だったような気がする。

 

三好サーカスは興業場所を「三好サーカス」と染めた幕で囲んでいたので、
今でも、その名をよく覚えている。
自分と同じくらいの年齢の少女が綱渡りをしていた。
それを見て、かわいそうで仕方が無かった。
きっと「人さらいにあって、サーカスに売られてきた子だろう」と子供心に思い込んでいた。

 

木下サーカスは地球儀のような球形のなかでオートバイが爆音でぐるぐるまわった。
煙と音と排気の臭いがすごく、芸を楽しむという気はしなかった。

農家の子が二度もサーカスを見ることが出来たのは、入場料が安かったから。
親がもし、「映画とサーカスのどちらか」と言ったなら、
もう、それは一択だった。チャンバラ映画!
親が映画よりも、安い方を見せてくれた、と思っている。

・・・

三度目のサーカスは大人になってから、
20年ほど前、福山市の入江埋立地(現在の福山市立大学のところ)で「木下サーカス」があった。
見に行くと、
ライオンや虎や象がいて、サーカスというより「猛獣ショー」かと思った。
動物愛護団体から文句は来ないのだろうかとさえ思った。

 

♪旅の燕 寂しかないか おれもさみしい サーカスぐらし
 (「サーカスの唄」西條 八十)


サーカスはジンタの音色のように「さみしい」イメージを持ちつづけていた。
明るくて、(値段も)高くて、猛獣のサーカスは、なにかもう昔とは別物の気になった。

 

・・・

 

「失われゆく仕事の図鑑」  永井良和他 グラフィック社 2020年発行

サーカス

「昭和33年1月現在 日本仮設興行協同組合 組合員名簿」
という資料がある。
サーカスや見世物小屋、お化け屋敷など、
祭礼や縁日に仮設の小屋を建てて興行する業者が結成した組合の名簿である。
この名簿で当時活動していたサーカス名とその規模を見ていこう。

「特々大」
世界動物博覧会。
ライオンやトラなどの猛獣ショー、
象やオットセイなどの曲芸とともに、
キリンやシマウマ、ラクダなどの珍しい動物を見せた。
動物サーカスと移動動物園を兼ねた大規模な一座だった。

「特大A」
木下、シバタ、有田、矢野の各サーカス。
「特大B」
キグレ。
「大荷A」
日本サーカス。
「大荷B」
赤林、原田、金城、柿沼、金丸、八木、田村。
「大荷C」
シバタ、田部井。
「大荷D」
菅野、オリエンタル、山根、井原、三好、池野、と続く。
後ろの方は「スガル」と呼ばれた。動物のいないサーカスだろう。

名簿のうち、現在も活動を続けているのは、
木下サーカスただひとつ。

・・・

 

 

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オート三輪 (棒型ハンドル)

2023年09月26日 | 失われた仕事

福山青果市場のオート三輪

学校が終わって、用之江から茂平に帰っているとオート三輪が後ろからやってくる。
オート三輪は茂平への峠道を越すのが能力いっぱいだった。
それで同級生数人でトラックの後ろを押していた。
峠道を登りきると、そのお礼に、トラックに乗せてくれた。
一人か二人が前に乗り、運転手の隣の助手席。残りの人が荷台に乗った。
助手席と荷台は、だいたい順番。
どちらに乗っても楽しかった。嬉しかった。

オート三輪は二日に一度くらい、福山から茂平の園芸場に果物を取りにきていた。
3時前後に茂平にきて、30分後くらいに、果物を積んで福山に帰っていった。
オート三輪に遇うのは、下校中の楽しみだった。
坂道をゆっくりと走って来る、
「来たぞ、来たぞ」。
3人~5人でトラックを押すと、トラックのスピードは気持ちぶん速くなる。
走りながら押す、
排気ガスを吸い込みながら押す。
その頃、車から出る排気ガスを吸うと文化というか、町の香りがしてうれしかった。

ある日の事、
学校から帰っていると、オート三輪が道路から田んぼに、頭から突っ込んでいた。

 

・・・

・・・


そのことがあり、
茂平に来る福山青果市場のオート三輪は新車に変った。
車がピカピカの新車になったことよりも、
ハンドルが円形に変っていたことに驚いた!
丸い形のハンドルで車輪の方向を変えることが出来る、ということがまだ子供には理解できなかった。

丸ハンドルのオート三輪は、
ハンドル以外にもエンジンの馬力がよくなっていた。
さすがに”クロガネ”(当時日本一といわれたメーカー)は違うという噂だった。
もう小学生が応援しなくても自力で悠々と峠道を越えるようになった。

だから、小学校を卒業するころには
「オート三輪を押したなあ、荷台に乗せてもらったなあ」というのは昔話になっていた。

・・・

 

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