福山青果市場のオート三輪
学校が終わって、用之江から茂平に帰っているとオート三輪が後ろからやってくる。
オート三輪は茂平への峠道を越すのが能力いっぱいだった。
それで同級生数人でトラックの後ろを押していた。
峠道を登りきると、そのお礼に、トラックに乗せてくれた。
一人か二人が前に乗り、運転手の隣の助手席。残りの人が荷台に乗った。
助手席と荷台は、だいたい順番。
どちらに乗っても楽しかった。嬉しかった。
オート三輪は二日に一度くらい、福山から茂平の園芸場に果物を取りにきていた。
3時前後に茂平にきて、30分後くらいに、果物を積んで福山に帰っていった。
オート三輪に遇うのは、下校中の楽しみだった。
坂道をゆっくりと走って来る、
「来たぞ、来たぞ」。
3人~5人でトラックを押すと、トラックのスピードは気持ちぶん速くなる。
走りながら押す、
排気ガスを吸い込みながら押す。
その頃、車から出る排気ガスを吸うと文化というか、町の香りがしてうれしかった。
ある日の事、
学校から帰っていると、オート三輪が道路から田んぼに、頭から突っ込んでいた。
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そのことがあり、
茂平に来る福山青果市場のオート三輪は新車に変った。
車がピカピカの新車になったことよりも、
ハンドルが円形に変っていたことに驚いた!
丸い形のハンドルで車輪の方向を変えることが出来る、ということがまだ子供には理解できなかった。
丸ハンドルのオート三輪は、
ハンドル以外にもエンジンの馬力がよくなっていた。
さすがに”クロガネ”(当時日本一といわれたメーカー)は違うという噂だった。
もう小学生が応援しなくても自力で悠々と峠道を越えるようになった。
だから、小学校を卒業するころには
「オート三輪を押したなあ、荷台に乗せてもらったなあ」というのは昔話になっていた。
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