しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

牛若丸と弁慶像

2021年05月24日 | 銅像の人
場所・京都府京都市東山区  五条大橋たもと


♪京の五条の橋の上 大の男の弁慶が・・・


童謡のイメージとは、だいぶんかけ離れた「牛若丸と弁慶」の石像が五条大橋のたもとに建っている。

押し相撲力士の立ち合い!のように見える像。





「城と街道」 南條範夫  中公文庫  昭和56年発行

源九郎義経は極めてロマンチックな悲劇的英雄の一典型である。
彼が生まれたのは平治元年、父義朝が戦いに敗れた直前である。
翌年義朝は殺された。
数えて2歳の義経は母の懐中に抱かれて、追手の目を逃れねばならなかった。
生まれながらにして既に悲劇の主人公としての運命におかれている。

夜空に上げられた花火のようにはかない栄光の生涯であり、
一閃尾を曳いて消え失せた流星のように切ない輝きをもっているものといってよい。

天狗に武芸を習ったり、五条橋で弁慶を相手に軽業師のような技をみせたり、というのはすべて、
お伽噺とみてよいであろう。

ただ、
父義朝の負死後、母常盤が平清盛の寵を受けた代償として鞍馬寺に預けられたこと、
15,16の頃、参詣に来た奥州の金商人吉次なる者に助けられ奥州に下ったこと、藤原秀衡に歓待されたこと--
は、ほぼ誤りのない事実であろう。









撮影日・2016年12月2日


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怪傑日蓮「喝」

2021年05月24日 | 銅像の人
場所・長崎県島原市  島原城
作成・北村西望

この作品の人は、日蓮。




日蓮上人が真剣な表情で説法している姿で、
喝!
「怪傑日蓮」 

という作品。


作者は島原市生まれで、日本を代表する彫刻家、北村西望。
北村西望は長崎の平和像のほか、多くの作品を戦前・戦後につくっている。

名誉市民として、↓(たぶん)日本一多くの自治体に選定されている。
1962年(昭和37年)武蔵野市名誉市民、
1972年(昭和47年)島原市名誉市民、
1979年(昭和54年)南有馬町名誉町民(町の合併後は南島原市名誉市民)
1980年(昭和55年)東京都名誉都民、
1981年(昭和56年)東京都北区名誉区民
1981年(昭和56年)長崎県名誉県民。










撮影日・2012年5月8日


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お大師像 (今高野山通り)

2021年05月24日 | 銅像の人
場所・広島県世羅郡世羅町甲山(こうざん)


甲山の今高野山は、秋の紅葉が見事だが、
他にも温泉あり、お城あり。
いつ訪れても、それなりに楽しめる。

その門前町は「今高野山通り」商店街で、商店街の歓迎門の上にお大師さんの像がある。






お大師さんの像は、寺院や霊場や観光地にあり、おそらく日本一多いのではなかろうか?
その数あるお大師像でも、甲山のお大師さんは地上から高いので、記載した。







世羅町は花の観光農園で有名だが、おちついた雰囲気の今高野山詣りも趣がある。



撮影日・2013年5月6日



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小便小僧(子供平和記念塔)

2021年05月24日 | 銅像の人
場所・徳島県徳島市徳島町城内 徳島市中央公園


徳島城は蜂須賀家25万石の平山城、日本100名城。
阿波の青石の石垣と堀が壮大に残っている。
阿波踊りが、あまりに有名なので、この名城はやや認知度が落ちる。仕方ない。

城跡は今、「徳島中央公園」となっていて、歴史や文化やスポーツを楽しめる。






公園に「小便小僧」があるので行ってみると、
それは
「子供平和記念塔」だった。




子供平和記念塔

子供平和記念塔は、世界の平和がいつまでも続くようにと願って、
昭和23年に県子供民生委員の主唱でつくられたものであり、
塔に埋め込まれている石は、徳島の子供達の呼びかけに応じた全国の小中学生やアメリカの子供達から送られてきた特色のある石や化石が使われており、
その中には皇太子殿下(今上天皇)から贈られた石(那智の名石2個)もある。
 
搭上にあるブロンズの子供像は、県内の学童からデザインを募集し、
福島小学校6年の速水和明さんの作品が第一位に選ばれ、
そのデザインを基に日和佐町の彫刻家・大田三郎氏の制作による。
長年の風雨により痛みが激しくなったので、平成7年戦後50年を機に修復され、
盗難にあっていた二羽のハト像も復元された。

     塔の高さ      約4,6m
     搭上の子供像   約1m(ブロンズ像の小便小僧)
     竣工日       昭和23年(1948年)11月3日
     総工費       36万8000円(全額徳島県下の子供達による献金)
                            徳島市公園緑地課

        



撮影日・2013年9月19日


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小便小僧 (祖谷渓)

2021年05月24日 | 銅像の人
場所・徳島県三好市池田町松尾


徳島県の祖谷渓は、道路事情もよく、吉野川の渓谷をずいぶんと、すいすい行くのだが
そこは「日本三大秘境」、途中からは道も狭くなり、昔の雰囲気を感じさせる。







道が出っ張ったところに「小便小僧」が立っている。
山は深く、底ははるかに下、対岸は急峻な山々。
祖谷渓の観光名所になっている。




三好市観光案内所

小便小僧
祖谷川沿いの断崖には、祖谷街道の開設工事で残った岩が多数突き出ています。
小便小僧は、街道中一番の難所といわれる七曲(ななまがり)にあり、谷底まで200mの高さがあり、
1968年に徳島県の彫刻家、河崎良行氏が制作したものです。
由来として、その昔、子供や祖谷街道工事の作業員、旅人たちが、像のある岩のあたりで小便をして度胸だめしをしたという伝えがあります。
※柵を乗り越えての写真撮影は、大変危険ですのでお止めください。






撮影日・2009年10月7日


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