しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

坂越村長・山崎善吾

2021年05月23日 | 銅像の人
場所・兵庫県赤穂市坂越(さこし)


坂越の町は重伝建に選定されてはないが、それに劣らない古くからの街並みが残っている。
江戸時代から明治まで、北前船の寄港地として栄えた港町。
町の前に生島が浮かび天然の良港となっている。







四季の行事やお祭りも、街並み保存と同じように伝統を継承していて、
特に秋の「坂越の船祭り」は国の重要文化財に指定されている。









坂越湾は、町の背後にある坂越浦城跡から望むと町と海が見渡せる。
その坂越浦城跡に元・坂越村長さんの銅像が立っている。







山崎善吾(1882~1947)は坂越村の村長

坂越村は、昭和11年に村から町になった。
元・村長さんはそのころ、港湾・道路・工場誘致・駅の誘致などの功績があったようで、
その碑文は徳富蘇峰が記している。




撮影日・2010年3月22日

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津島町長・藤堂満義

2021年05月23日 | 銅像の人
場所・愛媛県宇和島市津島町岩松


終戦後の頃、小説「てんやわんや」によれば、
宇和島の街から岩松という町まで、バスで行くと何度も入江や峠を越えて2時間半かかったそうだ。
2009年、宇和島から岩松まで、自分の車で行くと20分とかからなかった。
(トンネルの高速道ができていた)
時間が1/10に短縮、これにはびっくりした。



(岩松の町)


かつて(年月不明)、サンデー毎日に次の一文が載った。

名物にうまい物あり”文六餅”

さる飯店で、角川書店から出した獅子文六作品集のお祝い会を開いた。
集まったのは徳川夢声、今日出海や書店関係十人あまり。

文六氏はしきりに、終戦直後疎開し「てんやわんや」の舞台になった四国を思い起こしていた。
文六氏の話によると、
宇和島近辺には「文豪獅子文六」が疎開したことを記念して「文六餅」という餅があるそうである。
つまり名物文六餅というわけだが作家の名前をそのままつけた名物は珍しいと夢声老も感心していたが、
それよりも感心させられるのは、文六氏自身の弁によれば
名物に珍しくうまいのだそうだ。

(岩松の文六餅のお店の看板より↑)


その岩松の街に胸像が立っている。



(宇和島市のPH)
藤堂 満義 氏
(昭和60年10月12日贈号) 初代津島町長(3期12年)。
合併当初の津島町の基礎を固めた。津島中央病院建設、津島高校全日制昇格などに尽力した。
昭和43年 藍綬褒章
昭和52年 勲五等双光旭日章





撮影日・2009年10月11日


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