連日の新聞・テレビは大相撲の「八百長メール」問題がトップニュースになっています。
そんな折に片山善博(総務大臣)の近著「日本を診る:岩波書店」を読みました。 片山善博は決してタイミングを合わせた訳ではないでしょうが、いきなり日本の議会は「八百長議会」だと喝破しています。
曰く、幕府高官の村垣淡路守が咸臨丸で米国議会を視察したとき、村垣の感想は「まるで魚河岸のセリのようだ」と言ったそうです。
片山善博は村垣淡路守の感想は本質的なことを述べているとしています。即ちセリも議会も本来は公開の場で怒号と喧騒の中で価格(政策)を競い合うものだろうと述べています。
そして優れた価格(政策)を提示した者が勝者になる筈なのに、日本の議会は事前に「議員説明」と称して役人側から根回しをしてしまう。だから事前に概ね了解してしまった与党は議案に瑕疵があっても当局を責めずに賛成をする。従って少数野党がどんなに優れた議案を提示しても否決されてしまう。
議会開催前に議案の採否が決まっているという不可解をなんと言うべきか。八百長とは「真剣に争って居るように見せながら、事前に示し合わせたとおりに勝負をつけること。」である。
咸臨丸時代の日本はまだ民主化されていませんでしたので、結局は御上主導の議会からスタートした訳です。
140年も前から日本の議会は欧米議会とは違う道、即ち”魚河岸のセリ議会”ではなく、「八百長議会」の道を歩んで来ていると述べています。
イワン・アサノヴィッチは盟友・我が町のS10市議にメールを送りました。
議会と行政側があるいは議員同士が恰も魚河岸のセリのように怒号と喧騒を以て、政策の良し悪しを公開の場で競い合うと言う状況、そして優れた議案・政策が勝者となる至極当然の議会制度を探求すべきではないかと。そして、それが市民目線で言う本当の議会制民主主義なのではないでしょうかと。
我が町の議会は丁度いま、議会基本条例の策定に関する調査・審議をしている最中です。悪意ではありませんが、「八百長議会」とはキツイことを言ったものだと反省しています。