イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

『沖縄に申しわけない』と自裁した若泉氏

2010-03-12 02:34:18 | 国際・政治

 3月9日、外務省は「米国との核密約」があったことを公式に認め発表した。

長らく自民党政権下で明らかにされなかった事柄であった。

そして歴代首相や外相は国会で即ち国民の前で「核密約」を否定し続けて来たのであるが、その言葉を信ずる国民は殆どいなかった。その分、自民党の言う安保・国防論は国民からの信頼もまた失っていたのである。

気付かなかったのは悪慣れと惰性に堕していた自民党ひとりと言っても過言ではない。

11日付け朝日新聞で1967年当時、佐藤栄作首相のもとでキッシンジャー大統領補佐官と「核密約」に関する交渉をすすめ、非核三原則に反する内容の「合意議事録」を作り上げたのは若泉敬氏(京都産業大学教授)だったと報道している。

自民党の対米従属外交の下では『秘密交渉もやむを得なかった、しかし本当にそれで良かったのか』と若泉敬氏は自責する。

米軍基地の重圧に戦後一貫して苦しめられていた沖縄の人びとに申し訳ないと何度も口にしたとのことである。

若泉敬氏は1994年「他策」を出版し「核密約」を公表した。本土の経済復興の片方で同胞沖縄の悲劇が押しやられて行く姿を見かねて敢えて出版したのである。

そして1996年沖縄県知事に宛てた手紙に『日米首脳会談以来、歴史にに対して負っている結果責任を執り武士道精神に則り自裁します。』と書いた言葉どおり、「他策」の英訳本の打ち合わせを終えた直後、思い残すことはないと言って知人らの前で毒薬を煽り自決した。

何とも壮絶な生き様ではある。ここにも武士が居たのだと感銘し記事を読んで行くうちに目頭があつくなってきた。いまは亡き若泉敬氏に改めて敬意を表したい。

安倍元首相のコメントは『核密約の事実をもとに今後の日本の安全保障に資する議論・行動になって行くことを希望する』と、ややまともなことを述べている。

しかし他の歴代首相や外相はTVカメラの前では相変わらずシラを切り、「核密約」の問題から半ば逃げ隠れしている。

まさに「武士の風上にもおけない」体たらくであり、憤りを通り越して情けなくなる。