我が大日農園のジャガイモの芽が出そろった。3月中旬に植えたものである。
種イモ自身が土と陽光温度を察知して芽を出すのである。
なにごとも管理社会の中で規則だマニュアルだと小うるさい世界で育って来た身としては、種イモを始めとした野菜植物の”自然力”に、毎年ながらおどろかされ感動する。
今年は暖冬で推移したので、3月中旬の植え付けでは少し遅すぎたきらいが在る。しかし、梅雨が例年どおりのスタイルで推移してくれれば問題なく、梅雨明け間近に収穫となる。
この先は空梅雨ではなく平年並みの梅雨を期待するのみである。
”期待”以上のことを望んではいけないのである。それはイワン・アサノヴィッチが未だ兼々業農家でプロとしての裏技を修得していないからなどと言うことなどはなく、お天道様に逆らうという畏れ多い”所業”(笑)となるからである。
家庭菜園(イワン・アサノヴィッチはこのレベルを通過して,まさに兼々業農家の域に達していると自認している。それは誤認だ!という声が聞こえてきそうである。)を始めて19年が経過したが、学んだことの第1は「お天道様には逆らえない」ということだった。路地の畑作は取り分けのことである。
人智・科学は大宇宙の摂理の前には無力であり、恰も釈迦の掌中の孫悟空みたいなものである。日々是好日と生かされている我が身を感謝するのみである。
ちっぽけな人智は農業を第1次産業などと分類して生産性の低い、即ち儲けの少ない産業と位置づけている。
翻って見るに、”高度”な筈の人智のもとで展開されている原子力は北朝鮮との軋轢をもたらし、近代経済学・金融学はヘッジ・ファウンドに依る経済恐慌を招来し世界中の多数の人々を不幸のどん底に落とし込んでいる。
説教くさい話しは止める。
いずれにせよ、梅雨明けの収穫を楽しみに待つしかない。その頃『イワン・アサノヴィッチ!いま畑では何を作っているのですか?』と、とぼけて訊いてくる人が現れそうである。(笑)