イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

オスプレイ、米国の押し売りに唯々諾々

2015-11-08 23:33:48 | 日記
 東京新聞 (2015年11月7日付け)を読まれた方は、憤りを感じたいに違いないでしょう。
一面のトップ記事は【 武器価格 米の言い値 不公平調達 前年度の3倍 】 とありました。
本年度、自衛隊がアメリカから武器を購入する額は5,900億円にもなります。その中には墜落事故続きのオスプレイも含まれています。
「有償軍事援助(FMS)」と言う奇妙な言葉が記事の中にありました。
即ち、「軍事援助」だからオスプレイを供与するが、但し有償だと言うわけなのです。
それも価格は交渉で決まるのではなくアメリカの一方的な「言い値」とのこと。

因みに、オスプレイは一機で210億円という莫大な金額だ。それを17機も買わされるのです。そして前払いだそうです。
13年度段階で、自衛隊が払ったにも拘わらず、届いて居ない武器が530億円分もあるそうです。
即ちそれだけ、自衛隊の装備が手薄になっていると言う証拠になります。
日本には昔から「押し売り」が居ました。でも、彼らはちゃんと品物は置いて行きます。
さしずめ、アメリカは押し売りにすら足下にも及ばない「やらずブッタクリ」の輩です。

日本には高度な技術があります。オスプレイだって国内でライセンス生産ができます。
アメリカはそれもさせません。何故ならアメリカの利益がガタ減りとなってしまうからです。アベ政権はアメリカの外貨獲得のために、そんなことすら要求しません。
之では「戦争法案」も然りですが、ただただアメリカの為の自衛隊、アメリカの為のオスプレイ装備と言う事になってしまいます。
大手マスメデイアは、こんな事実を十分に承知しているはずですが、東京新聞を除いては国民の目や耳になろうとしてくれていません。

アベ政権のトリマキはネトウヨや暗愚保守の輩を操り、SNS世界では改革革新的な人たちを「反日左翼」と言うレッテルを張りまくっています。北朝鮮もかくやと言う、言論の弾圧封じ込めをしています。
ならばアベ首相を何と呼べばいいのでしょうか?
日本人の安全と利益を無視して、ケチな親分・アメリカのいいなりになっている訳ですから…
「売国右翼」とでも呼べばいいのでしょうか?

どうしようもない”官”という閉鎖社会のボロ

2015-10-31 12:46:58 | 日記
 こうまで続くとイワン・アサノヴィッチも書かざるを得ない気持ちになります。

そのひとつが、11府県の校長たちが、教科書検定に絡んで出版社大手の三省堂から賄賂を貰っていた事実が明らかになった事です。
去年以前にも、”天下の”校長先生たちが同じもてなしを10回ほど受けていたそうです。他にワイロ校長が何十人も居ると言うことです。

次が、千葉県警の交通事故の件数届けを少なめに改ざんしていた事件です。
とりわけ死亡事故の多い県だという”ワースト県”の汚名を隠そうとした、組織的な隠蔽が行われていたらしいのです。
『嘘つきはドロボーの始まり』の言葉をかなぐり捨て率先してウソを付いていたのです。

もひとつありました。
海上自衛隊の中堅幹部が自宅にガソリンを撒き、放火をした挙げ句に、4人の実子を焼け死にさせてしまった事件です。
犯人は高卒でしたが、防衛省内では大卒と同じスピードで出世していたのです。
推測しますと、犯人にとって異例出世は相当にプレッシャーだったのではないでしょうか。

その他、現職警察官が強姦・強盗殺人事件を起こしたり、裁判所の検察官が盗撮事件で逮捕されたりする事件が近年は異常に増大しています。

イワン・アサノヴィッチは元公務員でした。
その意味で、頻発する特殊的な公務員の犯罪に関する推測が経験上出来ます。
結論を先に言いますと、彼らは一般行政職公務員と違って非常に「閉鎖的な組織」の中で業務をしていると言うことです。
もっと言えば、特殊な思考を持たされた職場で、例えば欧米と違い、労働組合も無いから自由に任意的な発言はおろか発想さへ出来ない職場情況なのです。

共産党員が採用されなかったり、反対に監視したり左翼運動を敵視したりする雰囲気が存在するのです。「反原発」「政権批判」などはほぼ禁句なのでしょう。
だから犯罪を犯しても仕方無い!なんて言う積もりは在りません。
ただ、自由な雰囲気のない組織・社会では「鬱屈」「ストレス」が堪り、往々にして捌け口は外に向けられてしまうのが常ではないでしょうか。

歌手、ジャニス・ジョプリンの嗄れ声の人生に寄せて

2015-07-09 19:03:26 | 日記
 アメリカのロック系歌手、ジャニス・ジョプリンを識ったのはつい数年前だ。
例によって畑作業の合間に聴いていた携帯FMラジオから流れて来る番組だったと思う。
しゃがれた声の持ち主で、ロック系の曲だったから興味も関心も持たなかった。
イワン・アサノヴィッチにとって、畑で聴くFMラジオは、所詮は労働歌みたいなものである。
鋤・鍬(すき・くわ)で単調且つキツメの作業をしているときなどは、歌謡曲や演歌がベストマッチである。
ラジオ局のコメンテーターが、ジャニス・ジョプリンが27歳の若さで麻薬死したことを告げ、残念がっていたので少し彼女への関心が湧いた。
売れて居ただろうに勿体ない死に方をして…なんて考えながら作業に専心していた。
ジャニス・ジョプリンは小さい頃から音楽に興味があったらしく、教会の聖歌隊に所属して歌っていたそうだ。
美人ではなかったみたいだ。
ハイスクール時代には、心ない男子の同級生から、男子の「非ハンサムコンテスト」に出たらどうか…などとからかわれたこともあったそうだ。
その後、彼女は大学に進学したが、ドロップアウトしてひとり歌手の世界に飛び込んで行く。
この頃から麻薬を常習するようになったらしい。やるせないものがあったのかも知れない。 美人では無い、歌は好きだが声はしゃがれ声。唯々ロックを歌いまくる生活。
段々と売れて来る。
しかし、一方では教会の聖歌隊で歌ったりした、宗教心のある誠実な女性。
笑顔のかわいいジャニスの毎日は、満たされない気持ちが在ったに違いない。
売れっ子になんかにならなくても良い、ロックも嫌いでは無いが普通のスタンダード曲も歌いたい。
しかし、しゃがれ声はロックに合っている。ドレスを着て歌いたいが、美人でもないから、ジーンズを履いてステージに出るのが当たり前だ。
ジャニスはそんな風に自分自身に言い聞かせていたのかも知れない…。

ジャニスは私と二つ違いのお姉さんだ。改めて、ご冥福を祈りたい。
イワン・アサノヴィッチが天国に行った暁には、ジャニスのスタンダード曲も聴いてみたいものだ。

どこか父親への思慕があったのかも…

2015-03-25 14:24:04 | 日記
 先月の20日、川崎市で中学一年生の上村遼太くんが殺害された。
犯行の容疑者は18歳~17歳の少年ら三人であることが判明してきた。
少年犯罪としてはあまりにも陰惨なことなので、社会に大きな衝撃を与えている。
そして被害者・加害者に様々な社会的な要因が絡んでいることも特徴的だ。
TVなどでも特集番組が組まれたりして、少なからずの人が視聴したに違いない。
また、この間には週刊誌なども取材報道を持続的に続けている。
しかし、その取材は各社とも断片的な内容になっている。
個別一社で取材出来る範囲は限られているのだろうからムリからん事である。
断片的な週刊誌情報やTVや新聞記事の内容を勘案して考察してみると、事件の全容らしきものが徐々に見えてくる。
また、内容もメデイア情報に因り、日を追って深まりを見せてくるようになった。
例えば主犯格の18歳の少年は飲酒癖があり、いわゆる酒癖が良くなかったらしいのである。
事件当日も、飲酒をして後の犯行となったとのことだった。
普段は両親の国籍などのことがあり、被差別感を抱いていたことが容易に想像できる。

主犯格の容疑者は同級生たちから相手にされないほど、ひ弱な側面もあったそうだ。
飲酒癖もその辺の事情が災いし、負の連鎖となって弱者攻撃となったのだろうか。
NHKテレビでも「日曜討論会」で特集を組み、関連分野の識者らが識見・思考を述べていた。識者ら出演者の発言に異論は感じなかった。
しかし、一点だけ語られていないことがあるような気がした。

それは、正義感が強く周囲の友人には優しく明るい上村遼太くんが、何故に不良グループ然とした年上の集団に自ら飛び込んで行くようなことをしたのかである。
最初は部活のバスケット部の好きな先輩を頼ってグループ入りを果たしたそうである。
それから、その先輩が所属していた8人グループに合流して容疑者仲間とも知りあう事になったらしい。

上村遼太くんは離婚した実の父親から、DVを受けていたらしい。
しかし、心の奥底では強く男らしい父親を望んでいたのではないだろうか。
得ることが出来なかった、そんな思慕が年上のグループへの接近となって行ったのではないだろうか。

映画[陽だまりハウスでマラソンを」

2015-03-22 11:19:26 | 日記
 イワン・アサノヴィッチは元外務省キャリア官僚の孫崎享氏のメルマガを愛読しています。

痛烈な政権批判をしながらも、とつぜん中島みゆきの歌の話などが飛び出して来る奇想天外なブログなのです。
今朝も、映画「陽だまりハウスでマラソンを」というドイツ映画の紹介が書かれていました。

イワン・アサノヴィッチは映画好きなのですが、そのこと以上にこの映画のテーマ「人生の最終章に足を踏み入れたとき、人はどう生きるべきか?」に好奇心が湧いてブログを読んだのです。
以下にコメント投稿をしたのでお読みください。

【コメント】
今年、70歳になる我が身としてはタイムリーな話を聞くことが出来ました。

思い起こせばサラリーマン終章の50歳になった時も同じ感慨に冒され(笑い)ました。
『決して楽な毎日ではないけれど、定年になったからと言って、社会から隔絶されるような暮らしは嫌だ。』 当時、そんな気持ちに襲われたのでした。

あれから20年、今回の場合は70歳代突入です。平均寿命から言って、誰にとっても正に人生の最終章になります。
”死”を恐れたりしているのでは在りません。

辛いことや嫌なことが多い世の中だけれど、ちょっぴり良いこともある。生きていて良かった!みたいなことがまだまだ在りそうな気がする、そんな希望をまだ捨てきれないでいるのです。

だから、70代は生理的な寿命としては「最終章」になるかも知れないけれど、さりとて世の中から引きこもる気などにはならない。可能な限りなるべく社会とかかずり合って行きたいなと考えているのです。

今朝の孫崎さんのブログはそんなことを思い直す・改めてそんな気持ちを惹起させてくれたブログでした。
孫崎さんの幅広い視野と提言活動に敬服いたします。

どうぞ、ご健勝のほどを。