イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

映画「大奥」のパラドクス

2010-11-18 18:25:46 | 映画

 なにか様子がおかしいと思いました。間もなく映画が上映されようとしている座席でのことです。平日の夕方ですが出勤帰りのサラリーマンが入場するには少し早過ぎる時間帯でした。

イワン・アサノヴィッチは入場した映画館を間違えたのかと何度も切符を見て確認しました。

20人ぐらい入場していたでしょうか、イワン・アサノヴィッチを除いては、全員が若い女性客ばかりなのです。あまつさへ女子高校生のグループも居たりするのです。

不安になりもう1回切符を見直しましたが間違いなく映画の題名は「大奥」でした。
 

千葉市内に朝の9時から午後4時半まで資格更新のための講義をただただ聞くだけの用事がありました。

思っていたより早めに終わったので、たまには好きな映画でもと思い映画館の集合店に来たのですが、今すぐ観られる作品をとだけ考えて切符を買ったのです。

今年はNHKの大河ドラマは坂本龍馬を扱った作品になっています。また、最近の邦画では桜田門外の変を扱った江戸物作品などが目立ちます。

イワン・アサノヴィッチはちょうど待ち時間のない映画と思い、「大奥」がこの一連の江戸物作品の一角だと誤解して入場したのです。シリアスな江戸物作品だとばかり思っていたのです。

主演の俳優の名前も知りませんでした。でも映画が始まってすぐに、テレビでよく見かける若いタレント男優を見て女子高校生たちが映画を観に来た訳が分かりました。タレントグループ「嵐」の二宮和也が主演だったのです。

当ては外れてしまいましたが、入ってしまった映画館ですので最後まで観ました。

ストーリーは江戸幕府将軍・吉宗公から大奥の御女中に至るまでの男女がすべて逆転した姿で、大奥社会の人間関係のトリビアを興味深く描いており結構おもしろいものでした。

そして、現代にも通ずる人間社会の悲喜こもごものパロデイーも作品の横糸としてしっかり描かれていました。脇役の佐々木蔵之助が清純イメージを逆転させた汚れ役を見事に演じていました。

それよりもテレビで見かける、如何にも頼りなさそうな二宮和也くんが武士社会のどんな渦中にあってもイナセな役をムリなくこなしていたことが意外の収穫でした。 

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人非人ゆえに生きる ヴイヨンの妻

2009-10-20 13:24:36 | 映画

 『人でもいいじゃないの、私たちは生きていさえいればそれでいいのよ』

映画「ヴイヨンの妻」のラストシーンで大西(=浅野忠信)の妻(佐知=松たか子)が放蕩・不埒な夫の手を取りながら静かに投げかける言葉である。

ヴイヨンとは15世紀のフランスの詩人で放蕩・不埒で殺人まで犯した人間。太宰治原作の「ヴイヨンの妻」の主人公は放蕩で不埒な作家であり、太宰自身のヴィヨンへの傾倒・共振が色濃く投影されている。

大西は売れ始めた新進の作家であるが、生活費は殆ど家に入れず飲み明かしてしまう。おまけに行く先々で女と関係を結んでしまうようなだらしのない男である。

大西は佐知が、マフラーの万引きをして警察官に捕まり『私は22年間まじめに生きて来た。好きな男性にマフラーを上げたいと思っただけです。』と抗弁している場に偶然居合わせたのである。たった1回の万引きをしたからと言って大袈裟に悪人扱いしないでくれと言う訳である。

そんな佐知を見て痛く共感した大西はその場でカネを払い身元引受人となり結婚する。

釈迦は100人斬りの罪を犯した男を弟子として迎えている。罪の大小はあるにせよ人間はおよそ罪深い存在であると釈迦は規定している。

イエスも売女を非難する群衆に「罪なき者、もって石を打て」と言っている。人とまでは言わないまでも、およそ罪のない人間は居ないと説いているのである。否むしろ人間である以上は誰もが必ず罪を持っている存在なのだと断言している。

行く先々で女性関係をつくってしまう大西ではあるが、佐知を慕っている男を飲んだ勢いで家に泊めてしまう。

深夜、縁側ですれ違う佐知とその男はフト抱き合う。

ガタン!という音と共に眠っていた筈の大西が外に駆けだして行く。佐知は暗闇の中でその後ろ姿を認め『見られてしまった。』と言いながら泣き崩れる。

大谷を愛して、外での不貞を愛するが故に飲み込み続けてきた佐知が、今は逆にその苦しみ・哀しみを大西に与えてしまったのである。

自分の不貞を大西に見られたことが悲しいのではない。

知らなければ味わう必要のない苦しみ・哀しみを不用意に他人に与えてしまった後悔と、深夜に逃げ出す大西が佐知をいまだに愛すればこその逃避だと気付かされての涙なのである。

「ドロドロの愛」などとは思わない、それでも愛し合うという「やるせない愛」のように思える。


映画「グラントリノ」を観て 水天一碧

2009-05-11 15:11:39 | 映画

   新藤兼人(映画監督)・山田和夫(映画評論家)ら5人の評論を読んだ。

新藤兼人が、この映画のラストシーンは各人が各様に感じれば良いとしていた。山田和夫と鳥越俊太郎(ジャーナリスト)が主人公・ウオルト(C・イーストウッド)の朝鮮戦争時に少年兵を殺戮して勲章を貰ったことへの原罪意識とトラウマに触れていた。

     ウオルトは『米喰い虫のイエロー』などと燐家の東洋人を毛嫌いしたりする、一見は人種的偏見の持ち主である。のみならず、黒人・ヒスパニック系などに対する人種的偏見も同様であるが、卑怯な白人青年や祖先・先人を敬わない肉親も容赦なく軽蔑する。

頑固で単刀直入なものの言い方をする。しかし、真摯な他人の声に耳を傾ける度量とか公平感・正義感も併せ持っている男である。即ち肌の色如何に拘わらず、正義を踏みにじり弱者を苦しめる強者の卑怯や非道を許さないと言うことである。

鳥越俊太郎が『人種間の対立と交流の中、共に生活していくうちに根っこの部分が馴染んで行くこともあるというのが、この映画のメインテーマになっている。』と良いところを突いていた。

…ラストシーン、ウオルトは自分自身の人生の中でさんざん用いた銃やガンによる物事の解決方法を今度は執らない。

エンデイングのサウンドトラックが素晴らしい。

ピアノの静かな旋律でエンデイングテーマ曲が流れて、配役のテロップが映し出されてくる。

画面は都市近郊の海岸通りのハイウエー。

静かに車が流れて行く、大きな緑の並木と外洋から絶え間なく押し寄せる柔らかな波。

甘くかすれた若い男性の歌声。あのウオルトが愛したグラントリノも心地よいエンジン音と共に走り去る。

外洋ははるか遠くの水平線の彼方で青い空と一体化する。

その時イワン・アサノヴィッチは、友人であるわが町の市長・小池正孝氏が好んで使う言葉”水天一碧”という言葉を思いだした。

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映画「母べえ」を観て

2008-03-11 09:53:05 | 映画

 母(かあ)べえこと吉永さゆりは、死の床で女医と教師になった二人の娘に声も絶え絶えにお別れの挨拶と感謝の気持ちを告げる。

娘たちは『天国の父(とう)べえに会えるからいいね』と明るく振る舞う。

母べえは消え入りそうな声で『あの世でなんか父べえに会いたくない。生きているうちに会いたかった。』と言って息を引きとる。

不可避的な事故や病気で、愛する伴侶と死別することならばまだしも諦めることが出来るかも知れない。

しかし、空前の悪法「治安維持法」で、愛する伴侶がある日とつぜん逮捕され投獄の末に獄死させられたとあっては、まさに国家権力による殺人であり、遺族は諦めようにも諦め切れない。

父べえこと板東三津五郎は研究熱心な若き独文学者であり思想家。母べえの夫であり、思春期を迎えた娘たちの優しい父でもあった。

食卓は貧しくとも一家の団らんは家族愛に輝き溢れていた。

そんなごく普通の家庭を、おぞましい特高警察は蹂躙する。

転向を迫る国家権力は、大学の恩師という形で現れ『悪法も無法に勝る』と嘯く。そしてまた、検事として現れた大学の教え子は『あなたは国賊の身ですぞ!』と取り調べ室で怒鳴るのである。

権力による弾圧というものは巧妙で、かくの如く恩師や教え子を通して行われるのである。実父からも勘当される。

母べえは凛とせざるを得ない。しかし、教え子の山ちゃん(浅野忠信)や若き叔母(壇れい)の心温まる支えも一家にとって欠かせないものになった。

壇れいは宝塚出身で2回の中国公演では楊貴妃の再来とまで騒がれた女優。

とかく形式美のみの塚ガールと違って才色兼備で”動”のある女優だ。

去年の志布志町選挙違反事件で国家権力は平気で10人以上の善良な市民を投獄した。母べえの悲しみは今なを続いている。

吉永さゆりの老け役はまだまだ似合わないことに気付いて一安心。


映画観賞 ブラッド・ダイヤモンド

2007-05-13 09:46:20 | 映画

Photo_8   最初に、少しネタバレだと断らないといけないと言う人種が居るので断わっておきます。

映画は、なかなかの社会派のエンタテイメント。舞台はダイヤモンド採掘を巡る政府軍と反政府軍の争奪戦が実際に展開されたアフリカのシエラレオネ。

欧米資本と結託した腐敗政府と反政府軍の確執の中で翻弄され、生き抜こうとした人間のドラマである。L・デイカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー(黒人俳優)が好演。

ブラッド=血塗られた:紛争、のダイヤモンドは双方の軍資金としては死活問題的な物質である。採掘についても労働力を強制的に徴発してこなければならない。無防備な住民が襲われ、無差別に手首が切断される。

ベルギーが50年前頃にコンゴーの黒人弾圧に初めて用いた手法である。少年兵が狩り出さ、残虐非道な方法で洗脳される。そんな少年兵が全アフリカで20万人以上存在すると推計されている。

デイカプリオは紛争の中で両親を失い、ダイヤの密輸でアフリカ生活からの脱出を図る。ブラッドダイヤモンドの実態を追う女性ジャーナリストのコネリーと接触するうちに相愛となる。少年兵に徴発された息子を我が手に戻さんとする強靱な父親をフンスーが演じてドラマに絡む。

ラスト、往年の映画ファンは、「誰がために鐘は鳴る:ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演」のラストシーンに流した同じ涙を流すに違いない。

デイカプリオファンはお見逃しなく。デイカプリオもまた、この映画で一皮むけた成長を遂げたのではないかと感じさせられた。

…あんな役が一度でも私めに回って来ていたなら、と詮無い思いを抱きながら、我が家のバーグマンの横顔をそっと眺めながら映画館を出た。