写真:寝台特急「はやぶさ・富士」のヘッドマークを付けた機関車EF66
平成20年3月15日朝、
京都駅で寝台特急「なは・あかつき」最終運行列車での旅を終えた僕は、
向日町の操車場へと帰っていく「なは・あかつき」の車輌を見送って何ともいえない寂寥を感じていた。
「もう会えないんだ…やっぱり寂しいよ…」
しかし、ブルートレインはすべて消え去った訳ではない。
まだ走り続けている列車がある、まだ乗れる!
「そうだ!はやぶさに乗って帰ろう。」
という訳で、東海道新幹線に乗って東京駅まで移動。
京都駅を発車し、車窓に近江の田園を眺め、途中伊吹山や浜松のアクトタワーが見えたような気がするのだが、300系こだまの車中ではすっかり熟睡し気がつくと新横浜駅を発車するところだった。
「ああよく寝た!…そうか、昨夜は夜通し起きて車窓を見てたもんな。」
東京駅に到着する前、品川で今日から最後の九州行き寝台特急にして唯一の東京駅に乗り入れるブルートレインとなった「はやぶさ・富士」号の編成が留置されているのがチラリと見えた。
大規模な再開発が進む東京都心で、最新系列の通勤車輌が行き交うなかに佇む濃紺の寝台車は、そこだけ異質な時間と空気に包まれているようで、そしてとても寂しげに見えた。
東京駅では、地下鉄に乗り換える前に通る丸の内オアゾにある「JAXA i 」に寄り道。
月周回衛星「かぐや」のハイビジョン月面映像を見ていこうと思ったら、ちょうど土井宇宙飛行士が「きぼう」船内保管室へ入室した(JAXAデイリーレポート 飛行5日目(Flight Day 5))とのことで、国際宇宙ステーション(ISS)からの中継が行われていた。
「土井さん、宇宙で頑張ってるなぁ!」宇宙で投げたブーメランもちゃんと戻ってきたらしいね。
この日は田園都市線沿線某所に潜伏、USACOと会って一緒に食事。
「そういえばそろそろ横浜市営地下鉄グリーンラインが開業するんだっけ。これで田園都市線やJR横浜駅から淵野辺駅下車の宇宙科学研究本部相模原キャンパスにも行きやすく…なるかな?」あんまり変わらないか。まあ、宇宙研本部に行くのは年に1回か2回ですがね。
一夜明けて3月16日、午後4時過ぎに東京駅へ戻る。
熊本行き寝台特急「はやぶさ」の出発時刻は18:03。
発車までまだ時間があるが、昨日のダイヤ改正で大阪行き寝台急行「銀河」が廃止された関係で「はやぶさ・富士」の東京駅への送り込み回送の手順が変更されており、東京駅10番のりばへの入線据え付け時刻がかなり早くなったらしい…との情報を某巨大ネット掲示板で得ていたのだ。これは是非、実際に自分の眼で見て確かめねば。
果たして午後5時過ぎ、ブルートレイン「はやぶさ・富士」の編成が品川から回送されて来た。
ダイヤ改正以前は「銀河」の牽引機EF65PFによる回送だったと思うが、「銀河」が消えてしまったので「はやぶさ・富士」の牽引機EF66が自分で牽いての入線。
10番線に据え付け後、EF66は切り離され下関方に移動(機回し)する。これはブルトレブーム最盛期の昭和50年代頃の東京駅入線手順と同じだ。奇しくも九州ブルートレイン最後の1年に、華やかりし頃の風景が甦った訳だ。
ダイヤ改正以前は、発車の10分ほど前に入線して慌しく出発していたが、入線から発車まで40分以上もあるのでゆっくりとプラットホームを歩いて自分がこれから乗る列車を端から端まで見て歩くことが出来るようになったのも嬉しい。
「内田百先生も駅で出発前に編成を見て歩くのが愉しいと仰ってたなぁ!」最後尾には「富士」のテールマークを掲げたスハネフ14。大分行きの「富士」号は途中、門司まで「はやぶさ」と道中を共にする。
編成の先頭までは全長240メートル、12輌の碧い客車が連なる。
かつては編成中ほどに食堂車やロビーカーも連結され賑やかだったが、今では全てが寝台車。
「食堂車の近くに寄ると、プラットホームにもドミグラスソースの香りが漂ってきて食欲をそそられたものだよ…」今夜の食事は駅のコンビニで買った弁当、侘しいなぁ。。。
編成の先頭には、機回しを終えた貨物用大型機関車EF66が立つ。
東京から下関まで約1000キロ、日本の大動脈東海道山陽本線を夜を徹して走破する厳しい任務が始まろうとしている。
そこにあるのは夜汽車の旅情ではなく、あくまでも特急列車牽引という重責を担う緊張感だ。
一瞬のローンチ・ウィンドウを狙ってあやまたず打ち上げられる、探査機を載せたM-Vロケットのリフトオフ前にも似た、張り詰めた空気が辺りを支配する。
そろそろ発車時刻だ。僕も車内に入ろう。
今夜乗車するのは、B寝台1人用個室「ソロ」。「なは」最終運行列車で乗車したのと同じタイプの寝台だが、「はやぶさ」で使用されている「ソロ」は車輌の構造が「なは」とは異なり、ベッドの幅が若干狭いが個室内の空間が広くて起きている時間の居住性が良い。
18:03、第1列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は熊本と大分へと向け、東京駅を出発した。
熊本駅まで1317.9キロを18時間弱で走破する、日本最長距離運転列車の旅が今始まる。
東京駅を発車すると、あとはただひたすら、淡々と東海道本線を走って行く。
何しろ食堂車もロビーカーも連結されていないので車内にフリースペースが一切無く、自室にこもって弁当を食べ終えてしまうとあとは何もやることがない。しかし、この何もやらない時間がまた心地良く贅沢なのだ。
浴衣に着替えてベッドに寝転がるもよし、編成最後尾に遠征して貫通扉窓から流れ去る湘南や由比の夜の海を眺めるもよし、はたまた先頭車から力行する機関車EF66の奮闘ぶりを見守るもよし。
午後9時を前におやすみ車内放送があり、車内は減光され就寝態勢に入る。
実際、寝るしかないとばかり早々とカーテンを閉め寝入ってしまう乗客が大半だが、「ソロ」個室では周囲を気にせず好きに過ごせるのが良い。それでも、関が原を越えて運転士交代で運転停車する米原駅を発車する頃には眠くなった。新潟へと向かう583系寝台電車の夜行急行「きたぐに」と擦れ違い、「なは・あかつき」ファイナルランの日の熱気が嘘のように閑散とした京都駅に到着したのを確認してから幅70センチのシングルベッドに横になった。
翌3月17日
「ソロ」個室2階部屋の天窓から差し込む朝の光で眼が覚めた。
「はやぶさ・富士」は山口県内を走行中。暫くベッドの中でダラダラしていると、おはよう車内放送が流れる。列車は定時で運転中、徳山駅発車後に弁当の車内販売が実施されるとのこと。
さて、「はやぶさ・富士」下り列車の車内販売といえば、柳井駅で積み込まれる水了軒謹製幕の内弁当である。
数量限定、僅か数個が「はやぶさ・富士」号車内で販売されるのみという、恐らく日本でも最も入手困難な柳井の駅弁、中身は何の変哲もない幕の内弁当なのだが、これは是非とも食べておきたい。
徳山発車後、部屋のドアを開けて待つこと暫し。「あなごめしいかがですか~」と周って来た車内販売のおばちゃんを捕まえて、「あなごめしじゃなくて、幕の内下さい!」無事、超レア駅弁入手成功!
…と思いきや、個室に入って包みをほどこうとすると「あれ?何かこの前食べた時と折り詰め箱のデザインが違うな…ああ~しまった!これは柳井駅水了軒の幕の内じゃなくて、徳山の駅弁だ!」
迂闊でした、徳山駅でも幕の内を積み込んでいたとは。しかし今更おばちゃんを追いかけて「柳井で積んだ幕の内と替えてちょうだいな」と頼むのも億劫だし…仕方がない、これで我慢するか。
「この次から、弁当買う時には『柳井の幕の内』と名指ししないといけないな。」
徳山駅の幕の内、可もなく不可もない標準的な駅弁の味でした。
8:32、「はやぶさ・富士」は下関に到着。ここで東京から列車を牽引してきた機関車EF66は任を解かれる。プラットホームに降りて、その様子を見守る。
朝陽を浴びたブルートレインの機関車には、大役を果たし任務を終えた安堵感が漂っているようだ。
しかし「はやぶさ・富士」の旅はまだ続く。ここで関門トンネル専用機関車EF81に交換。
先程切り離されたEF66が車庫に入っていくのを横目で見ながら、関門トンネルに突入、10分足らずで九州に上陸。
「ああ~帰って来たなぁ」
門司駅で御馴染みの九州島内専用機関車ED76が登場。同時に編成中間では熊本行き「はやぶさ」と大分行き「富士」の切り離しが行われる。
8:59、「富士」を置いて身軽な6輌編成となった「はやぶさ」は発車する。
九州に上陸したが、熊本はまだ遠い。
しかも、今回のダイヤ改正では熊本駅到着時刻が繰り下げられ11:49着となった。殆ど正午、真っ昼間である。
という訳で、再び浴衣に着替えて二度寝を決め込む。こうして思う存分好き勝手に過ごせるのが個室寝台の魅力。そしてこの贅沢に何もしない時間を過ごせるのが、ブルートレインの醍醐味。
今しか味わえない、まもなく失われてしまう旅の悦楽。
ブルートレイン「はやぶさ」は定刻に終着駅熊本に到着した。
「着いてしまったか…まだ降りたくない!もっと乗っていたいよ。また乗りたいよ!」
寝台特急「はやぶさ・富士」は来年、廃止される。
あと何回、「はやぶさ」に乗れるだろう…?
「今年はもう海外旅行には行かないぞ!乗れるだけ乗ってやろう、『はやぶさ』が想い出になる前に!」
帰宅後、僕はすぐにゴールデンウィーク休暇初日の熊本発「はやぶさ」の寝台券の予約を入れた。
という訳で、来月また乗ります!
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFEは日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーン
天燈茶房TENDANCAFEは「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーンを応援しています
COUNTER from 07 NOV 2007
平成20年3月15日朝、
京都駅で寝台特急「なは・あかつき」最終運行列車での旅を終えた僕は、
向日町の操車場へと帰っていく「なは・あかつき」の車輌を見送って何ともいえない寂寥を感じていた。
「もう会えないんだ…やっぱり寂しいよ…」
しかし、ブルートレインはすべて消え去った訳ではない。
まだ走り続けている列車がある、まだ乗れる!
「そうだ!はやぶさに乗って帰ろう。」
という訳で、東海道新幹線に乗って東京駅まで移動。
京都駅を発車し、車窓に近江の田園を眺め、途中伊吹山や浜松のアクトタワーが見えたような気がするのだが、300系こだまの車中ではすっかり熟睡し気がつくと新横浜駅を発車するところだった。
「ああよく寝た!…そうか、昨夜は夜通し起きて車窓を見てたもんな。」
東京駅に到着する前、品川で今日から最後の九州行き寝台特急にして唯一の東京駅に乗り入れるブルートレインとなった「はやぶさ・富士」号の編成が留置されているのがチラリと見えた。
大規模な再開発が進む東京都心で、最新系列の通勤車輌が行き交うなかに佇む濃紺の寝台車は、そこだけ異質な時間と空気に包まれているようで、そしてとても寂しげに見えた。
東京駅では、地下鉄に乗り換える前に通る丸の内オアゾにある「JAXA i 」に寄り道。
月周回衛星「かぐや」のハイビジョン月面映像を見ていこうと思ったら、ちょうど土井宇宙飛行士が「きぼう」船内保管室へ入室した(JAXAデイリーレポート 飛行5日目(Flight Day 5))とのことで、国際宇宙ステーション(ISS)からの中継が行われていた。
「土井さん、宇宙で頑張ってるなぁ!」宇宙で投げたブーメランもちゃんと戻ってきたらしいね。
この日は田園都市線沿線某所に潜伏、USACOと会って一緒に食事。
「そういえばそろそろ横浜市営地下鉄グリーンラインが開業するんだっけ。これで田園都市線やJR横浜駅から淵野辺駅下車の宇宙科学研究本部相模原キャンパスにも行きやすく…なるかな?」あんまり変わらないか。まあ、宇宙研本部に行くのは年に1回か2回ですがね。
一夜明けて3月16日、午後4時過ぎに東京駅へ戻る。
熊本行き寝台特急「はやぶさ」の出発時刻は18:03。
発車までまだ時間があるが、昨日のダイヤ改正で大阪行き寝台急行「銀河」が廃止された関係で「はやぶさ・富士」の東京駅への送り込み回送の手順が変更されており、東京駅10番のりばへの入線据え付け時刻がかなり早くなったらしい…との情報を某巨大ネット掲示板で得ていたのだ。これは是非、実際に自分の眼で見て確かめねば。
果たして午後5時過ぎ、ブルートレイン「はやぶさ・富士」の編成が品川から回送されて来た。
ダイヤ改正以前は「銀河」の牽引機EF65PFによる回送だったと思うが、「銀河」が消えてしまったので「はやぶさ・富士」の牽引機EF66が自分で牽いての入線。
10番線に据え付け後、EF66は切り離され下関方に移動(機回し)する。これはブルトレブーム最盛期の昭和50年代頃の東京駅入線手順と同じだ。奇しくも九州ブルートレイン最後の1年に、華やかりし頃の風景が甦った訳だ。
ダイヤ改正以前は、発車の10分ほど前に入線して慌しく出発していたが、入線から発車まで40分以上もあるのでゆっくりとプラットホームを歩いて自分がこれから乗る列車を端から端まで見て歩くことが出来るようになったのも嬉しい。
「内田百先生も駅で出発前に編成を見て歩くのが愉しいと仰ってたなぁ!」最後尾には「富士」のテールマークを掲げたスハネフ14。大分行きの「富士」号は途中、門司まで「はやぶさ」と道中を共にする。
編成の先頭までは全長240メートル、12輌の碧い客車が連なる。
かつては編成中ほどに食堂車やロビーカーも連結され賑やかだったが、今では全てが寝台車。
「食堂車の近くに寄ると、プラットホームにもドミグラスソースの香りが漂ってきて食欲をそそられたものだよ…」今夜の食事は駅のコンビニで買った弁当、侘しいなぁ。。。
編成の先頭には、機回しを終えた貨物用大型機関車EF66が立つ。
東京から下関まで約1000キロ、日本の大動脈東海道山陽本線を夜を徹して走破する厳しい任務が始まろうとしている。
そこにあるのは夜汽車の旅情ではなく、あくまでも特急列車牽引という重責を担う緊張感だ。
一瞬のローンチ・ウィンドウを狙ってあやまたず打ち上げられる、探査機を載せたM-Vロケットのリフトオフ前にも似た、張り詰めた空気が辺りを支配する。
そろそろ発車時刻だ。僕も車内に入ろう。
今夜乗車するのは、B寝台1人用個室「ソロ」。「なは」最終運行列車で乗車したのと同じタイプの寝台だが、「はやぶさ」で使用されている「ソロ」は車輌の構造が「なは」とは異なり、ベッドの幅が若干狭いが個室内の空間が広くて起きている時間の居住性が良い。
18:03、第1列車寝台特別急行「はやぶさ・富士」号は熊本と大分へと向け、東京駅を出発した。
熊本駅まで1317.9キロを18時間弱で走破する、日本最長距離運転列車の旅が今始まる。
東京駅を発車すると、あとはただひたすら、淡々と東海道本線を走って行く。
何しろ食堂車もロビーカーも連結されていないので車内にフリースペースが一切無く、自室にこもって弁当を食べ終えてしまうとあとは何もやることがない。しかし、この何もやらない時間がまた心地良く贅沢なのだ。
浴衣に着替えてベッドに寝転がるもよし、編成最後尾に遠征して貫通扉窓から流れ去る湘南や由比の夜の海を眺めるもよし、はたまた先頭車から力行する機関車EF66の奮闘ぶりを見守るもよし。
午後9時を前におやすみ車内放送があり、車内は減光され就寝態勢に入る。
実際、寝るしかないとばかり早々とカーテンを閉め寝入ってしまう乗客が大半だが、「ソロ」個室では周囲を気にせず好きに過ごせるのが良い。それでも、関が原を越えて運転士交代で運転停車する米原駅を発車する頃には眠くなった。新潟へと向かう583系寝台電車の夜行急行「きたぐに」と擦れ違い、「なは・あかつき」ファイナルランの日の熱気が嘘のように閑散とした京都駅に到着したのを確認してから幅70センチのシングルベッドに横になった。
翌3月17日
「ソロ」個室2階部屋の天窓から差し込む朝の光で眼が覚めた。
「はやぶさ・富士」は山口県内を走行中。暫くベッドの中でダラダラしていると、おはよう車内放送が流れる。列車は定時で運転中、徳山駅発車後に弁当の車内販売が実施されるとのこと。
さて、「はやぶさ・富士」下り列車の車内販売といえば、柳井駅で積み込まれる水了軒謹製幕の内弁当である。
数量限定、僅か数個が「はやぶさ・富士」号車内で販売されるのみという、恐らく日本でも最も入手困難な柳井の駅弁、中身は何の変哲もない幕の内弁当なのだが、これは是非とも食べておきたい。
徳山発車後、部屋のドアを開けて待つこと暫し。「あなごめしいかがですか~」と周って来た車内販売のおばちゃんを捕まえて、「あなごめしじゃなくて、幕の内下さい!」無事、超レア駅弁入手成功!
…と思いきや、個室に入って包みをほどこうとすると「あれ?何かこの前食べた時と折り詰め箱のデザインが違うな…ああ~しまった!これは柳井駅水了軒の幕の内じゃなくて、徳山の駅弁だ!」
迂闊でした、徳山駅でも幕の内を積み込んでいたとは。しかし今更おばちゃんを追いかけて「柳井で積んだ幕の内と替えてちょうだいな」と頼むのも億劫だし…仕方がない、これで我慢するか。
「この次から、弁当買う時には『柳井の幕の内』と名指ししないといけないな。」
徳山駅の幕の内、可もなく不可もない標準的な駅弁の味でした。
8:32、「はやぶさ・富士」は下関に到着。ここで東京から列車を牽引してきた機関車EF66は任を解かれる。プラットホームに降りて、その様子を見守る。
朝陽を浴びたブルートレインの機関車には、大役を果たし任務を終えた安堵感が漂っているようだ。
しかし「はやぶさ・富士」の旅はまだ続く。ここで関門トンネル専用機関車EF81に交換。
先程切り離されたEF66が車庫に入っていくのを横目で見ながら、関門トンネルに突入、10分足らずで九州に上陸。
「ああ~帰って来たなぁ」
門司駅で御馴染みの九州島内専用機関車ED76が登場。同時に編成中間では熊本行き「はやぶさ」と大分行き「富士」の切り離しが行われる。
8:59、「富士」を置いて身軽な6輌編成となった「はやぶさ」は発車する。
九州に上陸したが、熊本はまだ遠い。
しかも、今回のダイヤ改正では熊本駅到着時刻が繰り下げられ11:49着となった。殆ど正午、真っ昼間である。
という訳で、再び浴衣に着替えて二度寝を決め込む。こうして思う存分好き勝手に過ごせるのが個室寝台の魅力。そしてこの贅沢に何もしない時間を過ごせるのが、ブルートレインの醍醐味。
今しか味わえない、まもなく失われてしまう旅の悦楽。
ブルートレイン「はやぶさ」は定刻に終着駅熊本に到着した。
「着いてしまったか…まだ降りたくない!もっと乗っていたいよ。また乗りたいよ!」
寝台特急「はやぶさ・富士」は来年、廃止される。
あと何回、「はやぶさ」に乗れるだろう…?
「今年はもう海外旅行には行かないぞ!乗れるだけ乗ってやろう、『はやぶさ』が想い出になる前に!」
帰宅後、僕はすぐにゴールデンウィーク休暇初日の熊本発「はやぶさ」の寝台券の予約を入れた。
という訳で、来月また乗ります!
小惑星探査機「はやぶさ」情報:提供 JAXA宇宙科学研究本部
天燈茶房TENDANCAFEは日本の小惑星探査機「はやぶさ」を応援しています
「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーン
天燈茶房TENDANCAFEは「はやぶさ2を実現させよう」勝手にキャンペーンを応援しています
COUNTER from 07 NOV 2007
寝台列車「はやぶさ・富士」。旅行の時間をゆったり楽しむ点では非常に魅力的な乗り物でしたが、来春には無くなってしまうというのが残念です。
わざわざ時間とお金をかけて寝台列車に乗る人が少なくなってしまったのはしょうがないといえばしょうがないのかもしれませんが・・・。
私たちB寝台だったことは家族4人で楽しむのに最適な選択だったと思いますが、個室の様子はすごく気になっていたので、こうして観ることが出来て嬉しいです。
1枚目の「はやぶさ・富士」や電光掲示板の写真など、カッコイイアングルで参考になりました!
新山口から先の様子もこうしてみることが出来て嬉しかったです。本当は九州まで乗っていきたかったので・・・。
新山口で降りるには駅弁を食べている余裕がなくて・・・。
横浜でいろいろ買い込みましたが、崎陽軒など食べたいようなお弁当が殆ど売り切れで食いっぱぐれるところでした。
柳井の駅弁も気になったので、この後、検索でチェックしようかと思います。
楽しい鉄道旅行のお話しでした!!
「はやぶさ」旅行記読んで頂きありがとうございます。
実は、今日も「はやぶさ」に乗って東京まで往復して帰って来たばかりです。後で記事をアップしようと思います。
柳井の駅弁はネットのクチコミで随分人気の駅弁になったようです。当「天燈茶房」でも柳井駅弁の入手法や中身の紹介記事を書いていますので、良ければ読んでみて下さい。
http://blog.goo.ne.jp/mitsuto1976/e/4aeddfa78d4cc61bf8fc433e9c1e7adc