ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第35号 高田屋嘉兵衛銅像、高田屋屋敷跡

2006年09月28日 | 教会、寺院、神社、墓地、碑、像

所在地=函館市宝来町緑地帯内     

    
 

高田屋嘉兵衛像は箱館開港100年を記念して、昭和33年に函館出身の彫刻家・梁川剛一氏によって制作された。
嘉兵衛は1769年に淡路島で生まれ、28歳のときに箱館に渡った。
1818年に故郷に帰るまで、箱館を基地として造船、海運業、漁場経営、などを手がけ、国後島・択捉島の航路や漁場を開拓し、函館発展の基礎を築き大きな功績を残した。
さらには、民間人でありながら日露間の外交問題の解決にも力を発揮した。
像の姿は、箱館に入港したロシア軍艦に乗り込んだ時の正装である。

この像から約150m市役所寄りに、屋敷跡がある。
高田屋の全盛期は1801年ころ。嘉兵衛のあとを継いだ弟・金兵衛が、幕府からこの地一帯50,000坪(後楽園ドーム敷地の約3倍強)を拝借し、その一角に豪壮な邸宅を建てた。
敷地面積は、220m四方というから前記ドームの約1個分。
築山、池、高価な石を配置していた。

事業で得た利益は広く住民に還元したり、困窮者の救済にも手を差し延べた。
住吉町の浜から大きな石を屋敷まで運ばせ、賃金を支払った話しは有名。
後年、幕府から法を犯したとして財産を没収されたのは悲しい出来事。

大町の電車通りに高田屋本店跡の標柱があり、末裔の方が末広町で
私設博物館(北方歴史資料館)を開設している。
嘉兵衛をモデルにした小説が出版され、これをテレビドラマ化もした。
宝来町では「高田屋まつり」が開かれる。
とてつもないスケールの大きい人物・高田屋嘉兵衛。
いまの函館は、まさに彼の再出現を待ち望んでいる気がする。

今日の函館は風が強いながらも青空が広がり、予想最高気温は21℃と過ごし易い。
妻が若々しく可愛らしくなって美容院から戻ってきた。
いくつになっても、妻も夫も小奇麗でいたいもの。老後にだって青春はあるんだから。
     ミカエル

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
どうして (箱館人)
2007-04-29 00:36:52
函館の大恩人「高田屋嘉兵衛」。もし当時の中心松前あるいは江差に高田屋が本拠地を構えたならば、函館の発展はなかったかも。それなのにそれなのに何故本店跡および東浜桟橋(旧桟橋)付近にあった大倉屋敷跡地に説明版一つないのでしょうか。嘉兵衛もさぞかし嘆いている事でしょう。本店跡地そばにある民宿に、200年以上前の当時の井戸が残っています。
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箱館人さんへ (ミカエル)
2007-04-29 11:20:05
説明板の件は私にも分りません。
井戸は存じております。ミカエル
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