ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第22号 土方歳三最期の地碑

2006年09月02日 | 新撰組
所在地=函館市若松町33番 総合福祉センター敷地内
交通=JR函館駅から徒歩15分

 
(左の碑前には花が絶えない。右は平成16年NHK大河ドラマ・新撰組のPR用市電)

京都守護職のもとで、動乱の幕末の京都の治安にあたった新撰組。
その副長として重責を担った土方歳三が、五稜郭を舞台に繰り広げた箱館戦争では、榎本軍の陸軍奉行並だった。

明治2年5月11日、政府軍が箱館総攻撃を仕掛けた時、土方は35歳で戦死した。
戦死地については、鶴岡町(現・大手町)、英国橋(現十字街交番)付近、そしてこの地の三説があるが、函館市の公式戦死地は、この付近にあった一本木関門説をとった。

財政難に陥った榎本軍は、この付近から第16号でご紹介した啄木小公園あたりまで柵を張り巡らし、数箇所に関門を設け、通行人から通行税を徴し、一本木関門はそのうちの一つであった。

碑は、ご近所の方々が清掃にあたり花も供えて下さっている。
碑前に小さな引き出しがあって、ろうそく、線香、訪れる方が記帳するためのノートが入っていて、細やかな心づかいが感じられとても嬉しい。
若い女性の姿が絶えることなく、ノートに土方への思いがびっしり書かれている。
私も2年前の祥月命日に、庭の花を供え記帳した。

赤い陣羽織を着用し、抜刀し、馬で切り込んで行った土方が銃弾を受け落馬したとき、頭の中に近藤勇や沖田総司の顔が浮んだに違いない。
遺体埋葬地はいまだに不明であるが、探索せずにそっとしておいてもらいたい。
その方が、ロマンあふれる想像がわくからである。 

北の大地に描いた夢を実現出来ないまま散った、若き獅子の冥福を祈りたい。

ミカエル