明治2年の旧暦の今日は、箱館戦争で亡くなった「新撰組副長・土方歳三」の139回目の祥月命日。
北の大地に散った若き獅子に、庭に咲く花を携えて朝6時にお参りに行った。
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遺体の埋葬地は未だに不明であるが、やはり五稜郭だと確信じている。
石垣の中なのか、堀の中なのかは分からないが「戦争」という非常緊急事態だから、遠くには運び出せれないと思う。
最期の地碑のある一本木近くで、松前藩士の米田幸治が放った銃弾が腹部に命中。
即死説もあれば、近くの味噌小屋で一晩中苦しんで亡くなった説など混乱の中だからこそ諸説が生まれた。
「ご先祖から聞いた話なのですが」と前置きし、米田の末裔(元大学教授)の方は、「撃った弾で落馬した大将らしき遺体に近づいたらもう首がなく、着用していた陣羽織の裏には”土方”の文字が見えた。この陣羽織は持ち帰るべきだった」と述べたことがあった。
米田の写真が残っている。風貌は「永倉新八」に似ている。
永倉も松前にゆかりのある隊士だった。
五稜郭タワーに土方の立像が建てられたとき、この末裔の方と日野市にある土方歳三資料館・土方陽子館長とが対談した。
「悲しいできごと」と結んでいた。
五稜郭内で、箱館戦争の戦死者の遺体が最後に発見されたのは大正15年のこと。裏門近くにあった茶店のすぐそばだった。
一方遺物は、官軍の軍艦・甲鉄が七重浜から放った砲弾で、平成になってから石垣改修工事中に見つかるなどしている。
箱館戦争終結から139年、遺骨は確実に土にかえっている。
現在、五稜郭では「箱館奉行所」の復元工事が進められている。
完成したら、彼はきっと榎本武揚、中島三郎助、相馬主計らを呼んで、「箱館戦争戦友会」を開くに違いない。
最後の地碑横には、日野市から移植した「歳三桜」がある。
何故か、命日前後にならないと咲かないと伝えられている。
今朝も満開に近い歳三桜が美しく咲いていた。
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碑前に私も花を添えたかったです。
でも、遠い九州、無理です。
ミカエルさん、羨ましいです。
九州からは新撰組隊士が24名も出仕していますね。
名を知っているのは「天野十郎」です。
歳三さんの碑前には花が絶えません。
花子さんのお気持ちは、17日11時30分から行われる「箱館五稜郭祭碑前祭」で替わって参拝させていただきますのでご安心ください。 ミカエル
すごい人のようですね。
秋に日野へ行く予定です。ミカエル
昨年の明日、私が出会ったお2人の心づくしのお花ですね(^-^)
「歳三桜」、初めて知りました。
命日前後にならないと咲かないなんて、なんだか素敵でもの悲しいですね。
お久しぶりですね。
「歳三桜」は、本当に不思議。
桜の中に歳三の魂が宿っているような気がします。
17,18日は「五稜郭祭り」。
ラッパ隊、鼓笛隊が整列して碑前祭を行います。
私も再びお参りに出かけます。 ミカエル
久しぶりにブログのアップをしました。
ダイエットもあと少しで目標体重になりそうです
今回の記事は、連休に日光・鬼怒川に旅行に行ってきたのをアップしました。
もしよければご覧になって下さいね
お久しぶりですね。
戻ったらゆっくり拝見させてもらいます。
草津温泉ホテルからでした。 ミカエル