ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第609号 行って感激、北島三郎記念館。

2011年03月09日 | 教育施設

来月からの始動を目指す私の「町あるきガイド」。
観光地を改めて巡ってみた

交通手段は、函館バスと市電。
共通一日乗車券(1,000円)を買い求め、3日間歩きまわった
マイカーで回る時よりも
目の高さが違い、新しい発見が広がるのがよく
分かる。
店舗の閉鎖や新規開店を探せるが、概ね寂しさを感じるのは、
この地だけではないようだ。

駅前・大門地区、西部地区、谷地頭地区と3日間に分けた。
一番感銘を受けたのは「北島三郎記念館」だった。

 

外観は以前ここに建っていた「金森デパート」に似せて建築された。
昔の西部地区を知る者にとっては、心嬉しい配慮だ。
このデパートは、明治2年(土方歳三が戦死した年)に、
渡辺熊四郎が当地で事業を開始し、大正期に建設したもの。

当時、この辺りは大繁華街。
金融機関や商社が軒を連ねていた。
昭和9年の大火で、繁華街が駅前に移動。
それに合わせて、呉服店と共同出資で「棒ニ・森屋デパート」
として移転新築した。

サブちゃんは、函館の二つ離れた「知内町」で生まれ育った。
高校は道立・函館西高校。
坂道の多いなかでも、八幡坂の突き当たりに校舎はある。

お母さんは、早朝に出かけるサブちゃんのことを思い弁当は
二つ用意したそうな。
朝の弁当を汽車の中で美味しそうに食べるサブちゃん。
上にのっかっているのは、黒砂糖だった。

 

人間、誰しも下積み生活があるもの。
サブちゃんだって、上京してから3畳間生活。
新宿盛り場を流しながらの貧乏生活。
それを支えてくれたのは奥様。

 

カレーライスの差し入れが、何よりの嬉しさだったらしい。
ところで「奥様は函館のひと?」。
お尋ねするのを忘れてしまった。

お別れは等身大の立像との握手。

     

「いつまでもお元気で!そして、函館のPRをよろしく
お願いいたします」。

ご案内を務めて下さった、「伊藤さん」。
新しい知識を頂戴して有難うございました。
「函館の女」を歌う時、もっともっと情感を込めて
声高らかに歌わせてもらいます。

位置は市電末広町電停付近。
どうぞお立ち寄りください。

 

                   





 



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2 コメント

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Unknown (いろは)
2011-03-09 16:16:09
昭和9年の大火で建物は焼失していません。
だが、函館の町が東部に移動するのをいち早く察知し数年後現在地に移転しました。
しかしその大門・松風町もさらには五稜郭も通り過ぎさらなる東進中で函館の「へそ」は結局消失。困ったものです。
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いろはさんへ。 (ミカエル)
2011-03-09 17:00:52
こんにちは!
そうですね。以前の建物は火災には遭遇せず、「尼崎製缶」の函館工場として使われておりました。

函館の繁華街は移り移って現在は北斗市(上磯)の七重浜地区へ。
郊外へと移り変わっています。

函館有力財界の渡辺家・相馬家の末裔の方々は表面に出ることがなくなったのは寂しいことです。
コメントを頂戴して有難うございました。
誤解を招くような表現、お詫びいたします。

ミカエル
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