くらしのなかにアタマのカタマリ

真鶴と札幌と甲府のどこで老後を過ごそうか悩みながらブログを書くのである。

すみだ水族館に行ってきた。

2012年10月28日 18時37分54秒 | 今日のできごと。

東京スカイツリーがオープンして5か月、家から見える(ちびっこくね)距離にあるのに未だ行ったことがなかったのですが、ようやく行って参りました。
と言っても、目的はタイトルにあるすみだ水族館だった訳ですが。そして、夫が高所恐怖症なので、ツリーには上っていない訳ですが。
そんなわけ(?)で、水族館へゴー!

中に入ってまず目に入ってきたのは、家にある熱帯魚の水槽の大きいヤツだな!という感じの水槽。
エビや水槽、ネオンテトラ(みたいな熱帯魚)など、大きな熱帯魚屋さんで見られそうな水槽と言ったらいいでしょうか。
以前飼っていた熱帯魚を思い出して、少し懐かしい気持ちになりました。
こじんまりとした水族館らしい雰囲気が出ています。

次に出てきたのはクラゲの水槽。
たくさんのクラゲがゆらゆらと泳いでいて癒されます。
ぼんやりとクラゲを眺めているだけでも良さそうですが、興味深いのはクラゲが生体になるまでの過程を見せてくれるコーナー。
小さな水槽で、生まれて一日目、二日目…といった具合に小刻みにクラゲを展示していて、さらにそのクラゲの世話をしたり研究したりするバックヤードも見せてくれています。
生き物だけではなく、水族館のお仕事に興味がある人にもいいかもしれませんね。私はかなり好きなコーナー。

その次は、小さな水槽を上段・下段にずらっと並べて小さな生き物を見せてくれています。
これは他の水族館でもよくありますよね。
ただ、土曜日に行ったせいかそこそこ人が多く、ゆっくりじっくり見られませんでした。
特に下の段の水槽は、全然見えない…平日に行きたいところ。

そして、その次の水槽は壁に埋め込まれたものではなかったので、いろいろな角度からぐるぐる見られました。
サンゴ礁をイメージしたと思われる作りで、水族館ではサンゴを育てて沖縄の海に返す試みも行っているそうです。

このとき、ようやく思い出して写真を撮る。





その次は、2フロアぶち抜きの大きな水槽。
「東京大水槽」と題されたこの水槽は、小笠原諸島の海を再現しているそうです。



サメやエイなど大きな魚もいましたが、「大水槽」というにはちょっと小さいかな。
比べてはいけませんが、ジンベイザメ3匹が悠々と回遊している沖縄の美ら海水族館を思うとね。むむむ。
ビルのなかに入っていることを考えれば、もちろんそこまでの水槽を入れられる訳もなく、仕方ない。
もちろん、とても綺麗ですなんですけどね。むむむむむ。

最後は、おそらくこの水族館最大の目玉と思われるペンギンの水槽。
屋内にあるにも関わらず開放型の水槽(係のお兄さんが「めっちゃ臭くなるので掃除とかいろいろ大変」と言ってました)で、ペンギンとの距離がとても近く感じられます。
水槽が大きく、フロアが吹き抜けになっているのも開放感があってよい感じ。
餌やりタイムのお兄さんのおしゃべりも面白かったです。
餌を投げられたときのペンギンたちの矢のような泳ぎっぷりも楽しい。
両側に軽食のカフェもあり、飲食を楽しみながらぼーっとペンギンを見ていることができます。

さて、この内容で入館料は2000円。
ペンギン以外はあっさりめで、都内にある他の水族館と比較してみてもちょっと高い。
ただ、年間パスポートが4000円と、2回行けば元が取れる価格です。
スカイツリーのついでに来てみた!という人には高いかもしれませんが、水族館(特にペンギン)が好きな人には、年間パスポートならオススメですね。
21時まで営業(入館は20時まで)というのも、仕事の帰りに一杯やりながらペンギンを眺めるという癒しが得られて、良いポイント。

年パス買っちゃおうかなあ…。
しかし、それよりリニューアルしたサンシャイン水族館にまだ行っていないんだから、そちらに行けと言われそうではありますが。


エンドマーク
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仲良くやってます。

2012年09月25日 11時21分35秒 | 今日のできごと。

たぶんね!


エンドマーク
コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ぢべたぐらし あひるの生活[春夏編]』

2012年09月08日 19時39分55秒 | 本を読んだり。

アヒル以外の鳥さんも出てきますよ。

ゆるくて面白い。そして可愛い。ときどき怖い…か?

ぢべたぐらし あひるの生活 〔春夏編〕
クリエーター情報なし
リブレ出版



エンドマーク 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その5

2012年09月06日 00時00分01秒 | 旅に出たり。
信濃比叡の入口には「門前屋」というお店があります。
おからを出さないお豆腐が名物で、お食事処もついていたので大変興味深かったのですが、バス旅行らしきお客さんでいっぱいだったので、泣く泣く何も食べずに、お店を後にしました。
お土産に、お豆腐を買うだけでも買っておけばよかった…。

そんな訳で、おなかを若干すかせながら向かったのは、長岳寺。
ここは、京に上る戦の途上で亡くなった武田信玄の遺骸を安置し荼毘に付したお寺なのだそうです。
信玄の兜の前立てが残されており、信玄の供養塔や信玄の家臣・馬場美濃守の供養塔、『武田信玄』で有名な新田次郎の句碑もありました。





宝物殿拝観料として200円を払うのですが、住職がお話しをしながらいろいろなものを見せて下さり、ほんとに200円でいいの?と思いました。
信玄の前立てはもちろん、最澄が彫像したという木槌薬師如来像が興味深かったですね。
そもそもは木槌山観照寺という少し離れたところにあるお寺に安置されていたそうなのですが、織田信長の焼き打ちに遭って寺が焼失。難を逃れた薬師如来は、末寺である長岳寺に移されたのだそうです。
この薬師如来は、毎年4月8日から12日間、観照寺跡の薬師堂に「里帰り」なさるとか。その際に薬師如来を乗せる神輿のようなものも見せてもらいました。
他にも、天明の大飢饉で亡くなった人々の霊を慰めるために納められたという千体地蔵や、吉川優画伯による襖絵(住職一押し!この説明が一番長かった!!でもホントに立派だった!!!)などなど。
小さなお寺でしたが見どころ満載でした。

このあと、お土産を買いに「春木屋本店栄松庵」という和菓子屋さんへ。
前日、村に入ったところで「高坂弾正最中」という看板をみかけて、とても気になっていたのです。
高坂弾正とは、武田信玄の家臣で、武田二十四将のひとり。
お店の方に聞いてみると、阿智村に住む高坂弾正の末裔の方との縁で、このお菓子が誕生したのだそうです。
もともとは「信玄最中」という名称だったそうですが、別のところで商標登録されてしまったそうで…。歴史はこちらの最中の方が古いそうですが。
信玄の話や、長岳寺で観た薬師如来の話を聞かせてもらうこともできました。

ついでにこちらでお昼ご飯によいお店を教えてもらい、すぐ近くの「うどんやこいけ」というお店へ。
信州だとおそばのイメージが強いのですが、ここのうどんは美味しかったです。なめらかでコシがあって、おつゆも美味しい!
おなかがすいていたので、写真を撮るのを忘れてしまいましたが…。
美味しいうどんを食べて、いよいよ帰途につくことに。

諏訪湖S.Aでパチリ。何年か前に諏訪にも遊びに来たなあ。



その諏訪S.Aでこんなものを食べましたよ。



巨峰を凍らせて削ったもの。ふわふわして美味しかったです。
以前に京都で食べたモモ氷(2005年「TRT京都『かき氷オフ』レポ」参照)を思い出しました。
他にマンゴーとイチゴもあります。こちらのお店(屋号を忘れた!)は京都から出店しているとか。いえ、オフのときのお店とは違いますが。

この先は渋滞。
帰りは月曜日だから、大丈夫だと思ったのになあ…やはり夏休みですね。
でも、お天気にも恵まれて、今回もとても素敵な旅でした。
是非また行きたいのう…もう少し近ければ…いや、そのぐらいがよいのかな?


エンドマーク
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人の湯、昼神温泉に行くの巻。その4

2012年09月05日 00時00分01秒 | 旅に出たり。
駒つなぎの桜をあとにして次の目的地に向かおうとしたのですが、途中で心惹かれるものを見かけてしまい、立ち寄りました。
それがこちら。



天台宗の開祖・最澄が開いたという信濃比叡・広拯院。
ここから美濃の方に行った神坂峠は、東山道一の難所だったそうです。
布教のために東国に下ろうとした最澄は、旅人の苦難を見かねて峠の信濃側に広拯院、美濃側に広済院という布施小屋を建てたのだとか。
その縁で、広拯院は「信濃比叡」の呼称を許されているのだそうです。

当時の広拯院跡だと伝わる月見堂。



月見堂のそばにはこんな碑も。



「日本武尊(ヤマトタケル)は東征の際、神坂峠の麓で鹿に姿を変えた魔物に襲われる。
噛んでいた蒜(ニンニク)を投げつけると、目に当たった鹿は死んでしまう。
その後、神坂峠に登ったヤマトタケルは、東の方を望み駿河湾で死んだ妻のことを思い出して『吾が妻よ』と嘆く。
このことから、この峠から東を「吾妻」と呼ぶようになった。(日本書紀)」

だいたいこんな感じですかね。
碓氷峠だったという話を聞いたことがあるように思うのですが、色々な場所にこういった話が残っているのかな。
世間は今、ちょっとした古事記ブームですが、今度図書館で日本書紀を読んでみよう。

それから、こんな碑も見つけました。



史上初の征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際にこの道を往復した、というもの。
坂上氏が後漢の霊帝の曾孫・阿智王の子孫だということも書いてありますが、Wikipediaによるとそのことを示す一次資料はないとのこと。
これもちゃんと調べてみないと分かりませんね。
でも、ここが阿智村だということを考えると、阿智村と阿智王、音にしか接点はありませんが、多少危うい説であっても記しておきたかったのかなという気がします。

本堂の方にも行ってみました。
お地蔵さんに出会うたびに挨拶をしながら登っていくと、大きな伝教大師(最澄)が!



個人的には、足下にずらった並んでいらっしゃる羅漢さんたちが気になるのですが…。


エンドマーク


あともう1回ぐらい続く。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする