ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
名所・旧跡・食べ処をご紹介していましたが今や万屋。
ご訪問に謝々。

第78号 土方歳三らの供養碑がある称名寺

2007年01月04日 | 新撰組

所在地ー函館市船見町18番14号 (しょうみょうじ)

 
(左写真の三門を入ると正面に写真右の本堂があり1mほどの供養碑が傍にある)

開基は正保元(1644)年、亀田村(現八幡町)に阿弥陀庵を建てたというから、市内では龍寺に次ぐ古い寺院。
1655年阿弥陀堂と称したが元禄3(1690)年、松前の浄土宗・光善寺の末寺となり
称名寺と改称し、1755年箱館の富岡町(現弥生町)に移転した。

箱館奉行が交代のさいはその仮本陣となり、箱館開港当初はイギリスとフランスの領事館に利用され、明治元、2年の箱館戦争では新撰組の仮本陣にもなった。
当時の大きな建物といえばお寺。なにかあるとすぐに強制的に協力を求められた。

現在地に移転したのは明治14(1881)年であるが、たびたび火災に遭い、昭和14年に本堂が、昭和37に三門(山門)が鉄筋コンクリート造に建替えられた。

境内には箱館館主・河野政通(別号で紹介)の供養碑、高田屋嘉兵衛の顕彰碑と一族の墓、新撰組・土方歳三ら隊士の供養碑、北海道最古の石碑「貞治の碑」、新島襄の海外渡航を助けた福士成豊の墓、社会人野球チーム・函館太洋クラブの久慈次郎の墓があり、ほかにも多くの著名人が眠る。
現在のご住職は有名な郷土史家で、各所の郷土史講座の講師を務め著書も多い。

※ 土方歳三ら新撰組隊士の供養碑
土方ゆかりの東京都日野市金剛寺の過去帳には、「函館称名寺に供養碑を建てた」と記している。
称名寺は明治期の大火で3度も焼失し、供養碑はなくなった。
そこで昭和48年、有志が現在の碑を建て5名が刻まれているが、風化激しく難読。
土方歳三   明治2年5月11日 箱館一本木で戦死
野村利三郎  明治2年3月25日 宮古海戦で戦死 
糟屋十郎   明治2年5月11日 箱館弁天台場で戦死(箱館新撰組)
栗原仙之助  明治2年5月11日 箱館弁天台場で戦死(箱館新撰組)
小林幸次郎  箱館戦争終結後謹慎中に病死(箱館新撰組)

 三が日も過ぎて、ミカエルブログは今日から本来内容のスタートです。
よろしくお願いします。
そろそろ、「納豆、塩鮭、漬物」を胃袋が求めていますが、皆様は如何ですか?

                    ミカエル


 

 

 

 

 



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
拝見しました! (comet)
2007-01-04 15:57:33
こちらでは初めまして^^
昨日、土方歳三グッズの件で情報を頂きました、cometです。
早速、9月2日の他、函館の色々な名所の記事をとても興味深く拝見しました
歳さんや新選組縁の地はもちろん、教会や奇麗な町並みを見ると、彼の没後も、この地で宣教活動などのまた違った戦いがあったのだな・・・と、感慨深く思いました。
函館って、ほんとにステキな町ですね!
また行きたいです。

おいしいものの記事も楽しいかったです^^*
またこっそりお邪魔させていただきます
返信する
ご訪問、有難うございます。 (ミカエル)
2007-01-04 19:29:56
cometさんへ

遠い所からのお出掛け、そして函館をお褒め頂いて有難うございます。
お暇をみて、またぜひお越し下さい。 ミカエル
返信する
ここにも碑が! (土田歳子)
2007-01-05 10:43:15
日野、板橋、京都、会津、函館、等々。
色々な所に碑が!
仮本陣、火災にあったのですね。
でも、形は変わっていないのですか?
お寺が本陣って、何か粋ですよね。

77号の舞玉、可愛いですねー。
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残念!本陣は・・・ (ミカエル)
2007-01-05 17:18:07
土田歳子 様

碑は新撰組ゆかりの地に必ずあるようですね。

本陣は火災焼失で一切残っていません。
跡地には、歌人・石川啄木が代用教員を務めた
市立弥生小学校が建っています。

当時は、急に多人数を収容できる建物といえば、
お寺以外なかったのでしょうね。

舞玉大好きミカエル一家です。



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