ミカエルの函館散策記

美しい夜景と異国情緒溢れる町・函館。
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第783号 大鵬関は「例の流行語」は、嫌いだった。

2013年03月02日 | スポーツ
地元北海道民が心を全開にして誇っていた「横綱・大鵬関」が、天国へと旅立った。
まれなる力量と体にも恵まれ、天才横綱と言われ、優勝回数は実に32回。
いまだに破る者なしの大記録をうちたてた。

関取が横綱に昇進したのは、1961年。私が17歳のときであった。
その当時の人気スポーツといえば、野球と相撲。
相撲は必ずラジオ実況中継があり、拳を握りしめ応援したものだった。

さて、
北海道出身の横綱を列記してみると

41代 1951年昇進  千代の山  松前郡福島町
43代 1954年昇進  吉葉山   厚田郡厚田村
48代 1961年昇進  大鵬    川上郡弟子屈町
55代 1974年昇進  北の湖   有珠郡壮瞥町
58代 1981年昇進  千代の富士 松前郡福島町
61代 1987年昇進  北勝海   広尾郡広尾町
62代 1987年昇進  大乃国   河西郡芽室町と、なっているので、近年の道内相撲界はさびしい気がする。

大鵬関が横綱に昇進した前後は、日本経済は高度成長期。
野球は巨人、相撲は大鵬、子供が好きな食べ物は玉子焼き。
そこで、「巨人、大鵬、玉子焼き」の流行語が生まれた。

生前の横綱の映像を見ていたら、新発見。
横綱はこの流行語が嫌いだったのである。

「私は一人で裸一貫。道具を使わずの勝負だ。
それに比べたら、巨人は団体での勝負。誰かが倒れても補充が可能。それと資金力。
私と一緒にされたら困る」と。
十分に理解できる理論である。

今月に入り、地元では「偲ぶ会」、「道路に横綱名を命名」などの関連行事が目白押し。
横綱の功績を、のちのちまで伝えてくれるよう、関係者の皆さんにお願いしたい。

大鵬関、お疲れさまでした。
ゆっくりおやすみください。




ミカエル








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