ここは湯の川地区。
市電通りの一本裏の居酒屋さんで、こんな懐かしい看板を見つけた。
材質はホーローだから丈夫で長持ち。
昔は建物の外壁がほとんど板張りだったので、
これらを釘で打ちつけたものだった。
店をやっていようがいまいが、一枚何円かの料金を支払って貼らせて
もらっていたようだ。
今でも郡部へ行くと、錆付いた状態であちこちに残っていてるのを目にする。
これは大村昆ちゃんのヒット看板。
この3枚の中では一番新しい存在だ。
鼻メガネが好評で、売り上げに大きく寄与したらしい。
「足袋」といえば福助だった。
大きな耳たぶとちょんまげ姿、両手をついたお辞儀が印象的。
現在、足袋を履くのは専ら女性で、その機会は着物を着て、
そして草履を履く時だけに限られるようになってしまった。
私が子供のころは、学生服に足袋だった。
靴下の普及につれ、姿がうすくなってしまった。
横書き文字のスタートが右からだから、戦前の物だろう。
こちらは堂々の大きさを誇る「ライオン蚊取り」.
「おはようからおやすみまで・・・」の会社の製品。
小学生のころ、夏、各家庭では夜になると「蚊帳(かや)」を吊り、
その中で寝たものだった。
吊るすのは簡単だが、たたむのには骨が折れた。
下水が普及して「どぶ」がなくなり、蚊の発生も極端に少なくなった。
家の構造も洋間化して、かやの出番はなくなった。
ところでかやは、何処へ行ったのだろうか?
ホーロー看板を見ていると、いろいろな想い出が湧き上がってきて、
懐かしさを誘う。
この看板は、日本が世界に誇れる文化とも言える。
そして、街中にさりげなく残っていると、「いぶし銀」的存在を感じさせる。
また見つけたら、アップしたいと思う。
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