私は田舎の開業医の孫として生まれ、戦後の窮乏期にも比較的豊かな幼少期を過ごした。小学生の時は自分の弁当が恥ずかしくて自宅に戻って昼食を食べたこともある。しかし、祖父が死去し、父親が事業に失敗し、住居も手放し生活はかなり厳しくなった。
「赤貧洗うが如し」というレベルではなかったが、計画的に財を崩していけば、私が社会に出るまでは両親の生活は何とかなりそうであった。新潟大学進学時は6年間の学費として入学時に50万円を確保し、持参した。学生寮で過ごしたが、年間10万円でのやりくりは当時の物価でもかなり厳しいものがった。
特に教科書が1-3万と高額であった。私は数千円と安価な英文のアジア版を多用した。卒前2年間は所持金が底をつく可能性があり、岩手県医療局の奨学金も利用した。
こんな状態での学生生活であったが私はバイトで収入を得ることより勉学に集中して過ごした。
1971年卒業、医師として給与をいただく身になって経済的には一段落した。
1973年から秋田大学に、1980年から現在と同じ法人の病院に赴任したが、ほとんど家のことは省みることが出来ない激務の中で過ごした。当時の激務状態は記録してあるがもう2度と当時には戻れない。
本書は私が激務をこなしていたころに出版された。
何でこの本を購入したか今となってはわからないが、赤鉛筆で真っ赤になるほど線を引いて読んだものである。おそらく、自分を含め日本の労働者が置かれている立場に自分でも疑問を感じていたからであろう。
(iPad mini画面上の本書の表紙)
本書は以下の6章からなる。
(1)金もちの国・日本
(2)西ドイツから日本を見る
(3)豊かなのか貧しいのか
(4)ゆとりをいけにえにした豊かさ
(5)貧しい労働の果実
(6)豊かさとはなにか
このうち、(4)-(6)章が今でも色褪せない主張に満ちている。
私の社会を見る目が大きく開かれた本である。
今回、「真の豊かさとは何か」に注目し再勉強するにあたってまず再読したのは本書であった。再読してみて出版から35年近く経つが、基本的に本書の中で指摘された問題はほとんど今でも解決されていない。むしろ状況は深刻になりつつある。
「資源がないからがむしゃらに働くしかない」、「敗戦の復興と先進国に追いつくため」・・日本全体が熱に侵されていた時代だった、と思う。