福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

真の豊かさとはなにか (2) GDP中国に抜かれ誇りと自信喪失

2024年07月04日 15時59分33秒 | コラム、エッセイ
 GDPは、「Gross Domestic Product」の略で、「国内総生産」を指す。 1年間など、一定期間内に国内で産出された「付加価値」の総額で、国の経済活動状況を示す指標として用いられている。 「付加価値」は、サービスや商品などを販売したときの値から、原材料や流通費用などを差し引いた値を示す。

 日本人の多くは「GDPは内容や意味は知らないが、超大国米国の次であるという立場の安心感をたっぷり享受してきた」。そんなレベルでしかなかった、と思うが、長らく世界第2位という経済大国にいた、という誇りと安堵感に浸っていた多くの日本人にとって2010年にGDPが中国に抜かれた時は「誇りの喪失と自信喪失」が大きかった。

 特に、それまで発展途上国として軽く見なしてきた中国に経済規模で後塵を拝したショックは、想像以上に大きかった。

 外交面で中国は次第に大国意識を露わにし始めた。中国のゴリ押しは目に余るようになった。尖閣然り、南シナ海問題然り、台湾問題然り、処理水放出問題然り・・・と枚挙にいとまがない。

 それに伴い、日本人のゆとりと余裕あった対中国を見る視点は一気に変化し対中感情は悪化、両国関係は悪循環に陥った。

 日中逆転後の暗いムードが第2次安倍政権のアベノミクス登場を後押しした。「日本を、取り戻す。」という安倍自民党の復古的キャッチフレーズが国民に受けたのも、2位から転落したショックの反動だろう。しかしながら、10年超に及んだアベノミクスは結果的にみて失敗だった、との評価もある。

 私はアベノミクスそれなりの意義はあったと思うが、結果的に大きな目標とした経済成長は実現できなかった。これはやむを得ないことだと思う。右肩上がりの好調ムードにある国と、経済が爛熟し守りの姿勢に入った日本では自ずから目指す方向性が異なる

 GDPはもともと国民の福祉や豊かさを計測する手段ではなかった。 1930年代後半に米国政府がGDPの原型を作ったのは大恐慌への対応と、それに続く第2次世界大戦への備えのためだった。いま、ウクライナや中東で大量消費されているミサイルや戦車もGDPを増やす要因となる。 

 経済大国にあることが国民にとって真に幸せ??・・・ではないことは明らかなのだが・・・。

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