わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

骨董入門 17 (真贋について4)

2011-02-01 21:52:01 | 縄文土器の話、骨董の話
古い時代の優れた焼き物を、手本として、その作り方(技法)や、釉の再現、窯の焚き方などを、真似る事

により、一歩でも、その優れた作品に、近付け様と、苦心して作ったと、思われる作品も、存在します。

その作品が、手本に近づけば、近付く程、当然、似てきて、本物と区別が、付かなくなります。

・ 勿論、偽物を作って、一儲けする気では無くても、後の世には、偽物と言われるかも、知れません。

 この様な物も、結構多く、骨董の世界では、模倣(もほう)の倣の字を使い、「倣製」と呼んび、贋作

 とは、区別しているそうです。

・ 中国清朝時代の、陶磁器等の写し等は、それ成りに高い評価を、受けていて、「古陶磁器」として、

  それなりの価格で、取引されている様です。

・ 「倣製」には、以下の様な種類の作品が有ります。

 ① 清朝に作られた、明朝磁器の写し

 ② 清朝に作られた、宋時代の官窯等の、青磁の写し

 ③ 野々村仁清作の、京焼各種の写し

 ④ 室町時代作の写しで、桃山時代に作られた、信楽、伊賀の蹲(うずくまる)。

 ⑤ 室町写しで、江戸時代に作られた、常滑不識(ふしき)水指。

   常滑不識水指:茶道の、千家に伝わる水指で、常滑城主、水野監物(みずのけんもつ)が、千利休に

   水指として送ったとされ、形が達磨の様な形に、似ている事から、達磨の言葉「不識」により、

   名付けた壷で、室町時代の骨壷とも、言われています。

   底部に穴が開いていたとしたら、それは水抜きの穴であり、実際に「骨壷」として使っていたものす。

 ⑥ 伊万里の祥瑞(しょんずい)写し

  中国明末の、崇禎(すうてい)年間(1628~1644)に、日本の茶人の注文により、景徳鎮窯で作られたと、

  言われる、染め付け磁器です。精白の素地(きじ)に、鮮やかな青藍色で、精緻な模様が、

  施されています。 「五良大甫呉祥瑞造」の銘がある所から、付けられた名称です。

 ・ 初期伊万里に、大きな影響を与え、レベルの高い磁器の技術を、吸収しようとして、多くの作品が、

   作られています。主に 鉢、皿、ぐい呑み等の、食器類が多いです。

 ⑦ 奥田頴川(えいせん)作の、呉州赤絵写し

   奥田 頴川(1753年~1811年): 江戸時代中後期の陶芸家。京焼最初の磁器焼成に成功した。

   呉須赤絵写しで有名です。それまでの、京焼とは異なる「染付」「赤絵」「交趾」など中国風の

   絵付けを施し、一大ブームを起こしました。

  呉州赤絵: 中国、明時代末(16~17世紀前半)、赤や緑の絵具を用いて、力強く奔放な、絵付けが

  施された磁器が焼かれ、東南アジアや日本に向けて、盛んに輸出されました。この磁器のことを、

  中国南部で、焼かれた磁器という意味で、「呉州(ごす)」とよび、1990年代に福建(ふっけん)省南部の

  しょう州近郊で、焼かれたことが明らかになります。

 ⑧ その他、多くの著名な陶芸家が、「倣製」を作っています。

   しかし、あくまでも、模倣ですので、本物(手本)を越える作品は、ほとんど有りません。

   当然、現在でも、盛んに模倣は、行われています。

尚、良く出来た「倣製」は、本物との違いを、見分ける事は、素人には、はなはだ困難との事です。

以下次回に続きます。

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