ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

たとえ世界が悪しざまに言おうとも ー果敢な女たちへー 中村純

2012年09月18日 | 日本とわたし
たとえ世界が悪しざまに言おうとも
―勇敢な女たちへ― 
中村純



初めてあなたたちに会った2011年の秋

鴨川べりで子どもたちをぞんぶんに遊ばせましたね

次々と明らかになる東日本の土壌汚染

ベクレル、マイクロシーベルト、セシウム、ストロンチウム、放射線管理区域

そんなことばが 東日本の私たちの日常語に入ってきた2011年

私たちは 子どもに土を触らせることが怖くなった



「鴨川は触っていいの?」

子どもたちが私たちを見上げて訊いたことば

うれしそうに冷たい水にひたした小さなてのひら

「京都の砂場は遊んでいいの?」

不安がほころんだ笑顔になり 砂場にしゃがみ 夢中でシャベルを持った子どもたち

あの日の胸の底の蒼い沈黙 夕暮れの安堵

子どもたちとここで暮らそうと決めた あの日

たとえ世界が私たちを悪しざまに言おうとも



子どもと桜吹雪で遊んだことを 後悔した春

子どもたちが好きだった砂場には 死の灰の雨がふり続いた

セシウムが検出され 青いビニールシートで覆われ 閉鎖された保育園の砂場

砂を入れ替えても 二か月経ったらまた汚染された砂場

子どもたちの作った畑の野菜を 食べさせないでくれと言わなくてはならなかった夏

色とりどりの落ち葉のプールにうれしそうに飛び込もうとする

子どもの肩を掴んで止めた秋

子どもたちのおしっこからセシウムが検出された秋

どんなに努力しても そこでは 小さな人たちを守れなかった ごめんね



女たち 夫を主人と呼ばせられるのをやめよう

女たち 嫁と呼ばれるのをやめよう

子どもを守るために数十冊の本を読み

眠れない日々をインターネットで情報収集したあなたの判断を

ただ女だからというだけで

ただ母親であるというだけで

重んじない夫やその母や

権威のある男のことばにしか耳を傾けないふるびた世界から

権威も間違うと 権威は欺くと

私たちは知っているではないか



見えない毒から子どもを守るために

幼い子どもたちの手をひいて

見知らぬ土地に行く新幹線に飛び乗ったあなた

世界がたとえあなたを悪しざまに言おうとも

あなたはひとりではない



あなたは勇敢で有能なひとりの女です

あたらしい世界を拓くパイオニアです

権威よりやさしさを お金よりいのちを

海に流された人々のいのちと暮らし 降り続く死の灰

閉ざされた絶望の哀しみの日々に 自ら灯りを照らして歩いていく 新しい女



ふるびた世界がそれを知らなくても

私のことばがそれを記憶し 記録する

若い日のあなたが幼い子どもの手をひいて

なぜ見知らぬ鴨川べりに降り立ったのか

馴染みとなった新しい故郷で 青年となった子どもたちが

いつか知るときがくるでしょう

いつか私たちの手元を離れていくでしょう



そうしたら  銀髪をなびかせながら

私たちがであった鴨川べりに 再び立ってみましょう

福島の人達に伝えて!「甲状腺検査は『健診』と違て『調査』やから、よそで本当の診査を受けて!」と

2012年09月18日 | 日本とわたし
現場に足を運び、精力的に取材を続け、真実を伝えてくださるフリージャーナリスト、田中龍作さん。
彼のおかげで、知る事ができた事柄の多いこと!
けれども彼には、我々からの支援が必要です。
取材には、ことの外、お金がかかります。
気力と情熱と正義感だけでは、どうしても成り立たないのが現実です。

以下の、転載させていただいた記事の後に、田中さんからのお願いを載せておきました。
どうかご理解いただき、田中さんを支えてあげてください。

↓以下、転載はじめ

【福島報告】子供の甲状腺検査 県立医大「2年後では遅いという根拠は?」と開き直る


「情報開示」「再検査の早期実施」などを求めて、交渉する父母ら。
左は松井史郎特命教授。
=13日、福島県立医大。写真:田中撮影=


原発事故で被曝した、福島の子どもたちの甲状腺検査は、遅々として進まない。
検査を受けても、結果は、なかなか明らかにしてもらえない。
業を煮やす父母や環境団体が、13日、甲状腺検査の実務を仕切る、福島県立医大を訪ね、改善を要求した。
 
医大側は、放射線医学健康管理センターの、松井史郎特命教授が対応した。
松井教授の、冒頭の言葉が、事態を象徴していた。

「何よりも、長期間にわたって、検査を受け続けることが大事。
大学という研究機関で、世界に証明することが必要」
……(後略)。

医大側の、こうした見解をめぐっては、「データ欲しさ」との、穿った見方もある。
環境団体の男性は、山下俊一・副学長が、日本疫学会に提出した最新論文を手に、次のように追及した。
「論文を読むと、山下副学長は、県民を被験者と見ている。モルモットではないか……」
交渉に出席した、父母の間からも、「モルモットだ」との声が、続けざまに上がった。

甲状腺検査を受けるには、保護者が、同意書に署名しなければならない。
同意書には、
データは、福島医大が保管することに同意する。これを理解した上で、甲状腺検査を受ける
」とある。
甲状腺検査を受ける条件として、検体を福島医大に提供する、ということである。

医大側は、「条件ではない」と説明するが、親たちは、「条件としか読めない」と受け止めている。
この日の交渉でも、母親たちから、「同意書はやめてほしい」の意見が出た。


松井教授が、
同意書があるから、検査結果についての、数字の公開ができる。山下(俊一)先生は医師ですから、人の命を救いたいんです」と答えると、
あちこちから、「そうは思えない」の声が飛び交った。

 
検査結果の情報開示についても、父母らから、厳しい要求が出た。
自分の子供の検査結果を知るのに、県に、情報開示請求を出さなければならないのである。
旧ソ連並みの秘密主義だ。

ある親は、
戸籍謄本を添えて、出さなければならない。そうまでしても、書類に不備があれば、突き返される」と情けなさそうに話した。
やっとこさ出てきても、超音波測定のエコー画像は、モノクロのコピーだ。

「開示請求を簡素化してほしい」
「エコー画像は、カラーの生データで頂きたい」と、父母らは要求した。
松井教授は、「県と検討中」と答えるに留まった。


福島県立医大の外観。福島市の郊外に建つ。
=写真:田中撮影=



この日の交渉を取材していて、我が子の健康に気を揉む親と、医大側の意識のズレに、唖然とすることがあった。

甲状腺検査の結果、結節(しこり)が5ミリ以下、嚢胞(のうほう)が20ミリ以下の子供は、再検査を受けるのが、2年後となる。
このカテゴリーの子供たちは、全体の43%を占める。
親は気が気でない。
一日も早く、再検査を願うのが、世の親である。

「2年後の再検査は遅い、もっと早くしてほしい」と詰め寄る母親に、松井教授は逆質問したのである。
「2年で早期発見できる。2年が遅い、という根拠は何ですか?」と。

開き直りとしか言いようがなかった。

母親は、血相を変えて答えた。
「普通の病院で、ポリープが見つかったら、2年後に来て下さい、とは言いませんよね。せめて3か月か、半年後に診てもらえるようにして下さい」

ある父親は、娘(17歳)を、北海道の病院で診てもらったところ、嚢胞の中にしこりが見つかった。
福島での検査結果は、これよりも軽度だった

北海道の病院からは、「1年後に来て下さい」と言われた。
父親は「(福島の検査は)信用できない」と、首をかしげる。

信頼できず、あげくに再検査は遅い。
原発事故直後、「100ミリシーベルトまでだったら、浴びても大丈夫」と言った、山下俊一センセイ率いる福島県立医大は、福島の子供たちを、どうしようと言うのだろうか。

《文・田中龍作 / 諏訪都》

*田中龍作より、お願い
財政難にあえぎ、広告を入れようか、メルマガを導入しようか、と考えたこともありました。
だが、記事のスタンスと矛盾する企業が、広告に登場することもあります。
メルマガは、一人でも多くの方々に、記事をお読み頂きたい、という趣旨には合いません。

これまで以上に、『田中龍作ジャーナル』を充実させて、ご支援くださる方の輪を広げるしかないことに、あらためて気付いたしだいです。
田中龍作の、現場からの発信に、何卒お力をお貸し下さい。

2012年6月12日
田中龍作

↑以上、転載おわり


開いた口が塞がらない、とはこういうことを言うのです。
 
この田中さんの記事の内容を、簡潔にまとめて記事にした『大人の常識』というブログ主さんは、
さらに、こう付け加えておられます。

この記事には書かれていませんが、実際の保護者宛の通知書をみると、タイトルが、
「県民健康管理調査に係る甲状腺検査の実施について(お知らせ)」となっています。
つまりこれは、健康診断ではなく、「調査」のための検査なのです。

もしこのブログを、福島県の方が読まれたら、ぜひ、子どもさんを持つお知り合いに伝えて下さい。
福島県の甲状腺検査は、「健診」ではなく「調査」だから、よそで、本当の、甲状腺の健康診査を受けたほうがいいよ、と。



『日本政府は、原子力利権という祭壇に、国民を、生贄として捧げているのです』by ドイツZDF

2012年09月18日 | 日本とわたし
金吾さんのブログ『放射能メモ』に、今年の4月29日に掲載されていたビデオと、和訳を文字起こししてくださったものを転載させていただきます。
今からちょうど5ヵ月前の現実として、そしてこの現実が今、どのようになっているかを考えるために。

↓以下、転載はじめ



字幕ではなく、吹き替え版もあります。
【吹き替え】ドイツZDF「放射能ハンター」
Part1 http://youtu.be/WPJsgLLnMZo
Part2 http://youtu.be/AhM03n53nGI

チェルノブイリ封鎖区域のまん中、汚染されたゴーストタウンが建つ、人の住めない場所に進んで立ち入る男、エフゲン・ゴンチャレンコ、彼はハンターなのだ。
真実を求めて、ウクライナ、そして日本に足を運ぶ“放射能ハンター”。
放射能汚染がどれほど深刻か、人々は彼に尋ねる。身の危険を冒して。
彼はその真実を追う。
大きな危険だ。
「ここはひどい汚染地帯だ」。
チェルノブイリ、そして福島で、何かが隠蔽されているのか?

(キャスター)
原発事故が起こると、まず真実を隠すシステムが、いつのまにか出来上がったようです。
26年前のチェルノブイリで、事故を過小評価したのは、ウクライナの責任者達だけではない。
当時のドイツ政府も、そして特にフランスも、同様でした。

今年は、福島原発事故から1周年、今回も明らかなのは、同じ隠蔽の手口。
その事情によく通じているのが、ウクライナのジャーナリスト、エフゲン・ゴンチャレンコです。
彼は、自分のデータと調査しか、信じなくなりました。
何年も前からです。
まず、チェルノブイリの経験から、そして今回は、日本のデータと真実を求めて、彼は、放射能汚染に、闘いを挑みます。

「放射能ハンター」
1. 死の地帯で
タチアーナ&アレクサンダー・デーティク監督



オパチチ村。チェルノブイリ原発から、わずか15キロ。
エフゲン・ゴンチャレンコは、今回もまた、ハンナ・サヴヨタラを訪ねる。
愛情をこめて、“バーバ・ハンニャ”と呼ぶ。
本来、誰も住んではいけない土地に、25年間住んでいる。
妹と二人、健康そのものだ。

「私はもう79歳よ」
「妹は74歳、子供の時から障害者なの」

役人が、帰郷者を、どのように扱っているか。
エフゲンは聞く。
「彼らは、ここの放射能測定してる?」
「ええ、いつも、何かしら持ってくわよ。キャベツとかニンジンとか水とか」
しかし、誰も彼女に、結果を知らせない。
エフゲンは、自分の手で、数値に変化がないか調べる。
「まったく普通の数値だ。僕の、キエフのアパートの数値の方が高い」

「ここは私のふるさとよ。自分の母親を、別のと取り替えたくないでしょ?ふるさとも同じこと。だから私は、ここに戻ってきたの。
放射能?見えないわ。私は歯がないから、噛まないのと同じよ。不安に思う理由なんてないわ。
移住した可哀想な人達も、居残った方が良かったのよ。移住先は異郷だからね」

事故当時、この村にとって、風向きが良かったことを、エフゲンは突き止めた。
バーバ・ハンニャの住む場所は、雨もほとんど降らなかった
老女が元気に住んでいられるのは、そのために過ぎない
11年前から、エフゲンは自主的に、チェルノブイリ封鎖区域を、訪れ続けている。

ジャーナリストの彼は、今でも、役人によって、隠蔽・改竄されている危険があるか追求する。
彼ほど、封鎖区域を熟知する者はいない。
原発作業者達から、「エキスパート」と呼ばれている。
自らの汚染調査のおかげで、住民達に危険を説明し、警告できる。
その知識と経験を、エフゲンは、日本でも生かしたい、と考える。

658平方kmの、汚染された土地、放棄された住宅13,500戸、避難民5万人。
かつて、活気に満ちた町だったプリピャット、今では、生命を危険にさらす汚染地だ。
ここでは、事故の規模がはっきりわかる。
エフゲンの放射能測定器は、この町が、何千年も、居住不可能であることを示す。
この場所に長くいる者も、健康を害する危険にさらされる。

多くの人々が、この町が永久に失われたことを認められず、2000年まで、町を整備する努力が続けられていた

エフゲンは、ヴァレリー・サビヤーカに会う。
事故当時、プリピャットに住み、避難を自ら体験した。
「4月26日、町では、6件の結婚式が行われ、子供達は戸外で、催し物に参加した。
しかし、27日、学校の2時間目の後、子供達は家に返され、3日間、町から避難するだけだ、と説明された」

しかし、真実は別だった。
後に、封鎖されることになった全地域から、およそ11万5千人が、永久に出て行かなければならなかった。
事故の2週間後、住民達は、家財道具を取りに戻ることを許された。
以後、ここに踏み入ることは、禁止された。

この丘の下には、コバチ村が埋もれている。
原発から約4キロ、村は永久に埋められた、放射性墓地である。
ウクライナの生態学者アレクセイ・ヴィトミツキィも、科学調査のために、エフゲンの知識を利用する。

「汚染は、均質に広がるのか?それとも、点在するのか?」
「専門書が書いているように、中心から同心円状に、広がるわけではない。5キロ、10キロ、20キロ、30キロと」

事故から1ケ月後、封鎖されるべき区域は、新たに測定し直され、円形から、今日の形に修正された。
ある地域は、風の難を逃れ、別の地域には、風が死を運んできた。
5号機と6号機の周辺のどこが、今でも特に危険か、エフゲンは調査する。

いわゆる、ホットスポット探し。
原子炉から直接飛んできた物体が、散らばっているのを発見した。
とっくに、密閉容器に収納しなければいけないはずだ。
防護服なしでは、数分間しか留まれない数値だ。
真実を暴くため、エフゲンは、身を危険にさらす。

チェルノブイリ封鎖区域境界の、検査所区域から出て行く者は、丹念に検査される。
「幸いにもここでは、少なくとも、住民は保護されている」と、エフゲンは言う。
服、靴、車、汚染された物は何一つ、封鎖区域外に持ち出せない。


エフゲンは、元消防士の、パヴロ・ネティオサに会う。
26年前、救助活動をした人々が、どのように事故を生きたか知るためだ。
当時とすっかり風景が変わってしまったが、学校だけはまだわかる。

「この学校は、ただ水で除染したんだ。何度も……。それでも線量は高かった」
「仕事は成功したの?」
「勿論。当時、屋内と外との線量を測定して比べると、戸外は10倍高かった」

エフゲンは、測定に際して、当時、数値が改竄されたことを知った

「封鎖区域で働いていた期間の、私の被曝量は、180ミリシーヴェルト、と言うことになっている」
「本当の数値を、知った人はいますか?」

パヴロは、「年中、頭痛に悩まされている」と話す。
チェルノブイリで働いて以来、消えることはない。
しかし彼は、運が良かった。
当時の同僚のほとんどは、死んでしまった。
ソ連軍から、当時、何千人もが、除染活動を志願した。
いかにそれが危険な仕事か、26年前、誰も彼らに知らせなかった。
人が生きるか死ぬかは、当時、政府が決定した。
福島でも、人の命が天秤にかけられている
……と、エフゲンは推測する。
彼は、日本の環境保護運動家に、招待された。
彼らには、原発事故に関するマスコミ報道が、うわべだけの断片的なものに思える。

エフゲンは、真実を暴く手助けを、出来るだろうか?

日本人が、原発事故にどう対処するかを見るのは、もちろん、僕にとって興味深い。
今では、世界中が、チェルノブイリを体験しているからだ。
当時の僕達は、何をどうしたらいいかわからなかった、と言い訳できる


チェルノブイリは、必然的に、放射能汚染実験場になって行った。
少なくとも、今日、福島の人々が、真実を知らされることを、エフゲンは望む。
いかに、生活が危険であるかを


原発事故直後、エフゲンは東電に、援助を申し出ていた。
しかし、断られた。
「国外からの助けは、必要ない」、という返信が来た
環境保護運動家、ハシモト・ケンゾウは、違う考えだった。
エフゲンの、チェルノブイリでの経験について知った彼は、エフゲンの知識と体験にあずかりたいと、彼を、日本に招いた。
ケンゾウは、福島県の出身だ。
県民の健康を、とても心配している。

二人はまず、東電の本社を訪れた。
今日も、デモが行われている。
この数ヶ月間、頻繁になったことだ。
今日は、「福島の女たち」が、怒りを東電にぶつけに、デモに来ている。
前線は、見るからに、険悪化している。
一方には東電幹部達、対するのは、心の高ぶった被害者達。
神経戦である。
「何故、3.11前は福島に来たのに、今は来てくれないのですか?何故、福島に来なくなったのですか?何故、私達の所に、来てくれないのですか?」

彼女の質問には、今回も答はなかった。

南相馬地方は、福島第一原発から、わずか20キロほどに位置する。
汚染状況の第一印象を得るために、エフゲンは、現地の住民に会うことにした。
日本政府は、未だに、放射能の測定に取り掛かっていない(注・4月29日現在)、と男達は話す。
住民達は、NGOの協力を得て、自らの手で測定を始めた。

「地方の、いたる所で集めたデータをもとに、測定ルートを決めます。
可能な限り、たくさんのデータをセンターに集め、分析し、東京で、信憑性の高い地図を作成します」

彼らは、最新の機器を使って測定しているが、異なるデータを分析出来るだけの経験を、身につけているだろうか?
測定値に目を通したエフゲンは、不審感を覚えた。
恐ろしい疑惑が、彼を襲う。
もしかして、日本政府は、誤った封鎖区域を設定したのか?
自ら測定を行うため、エフゲンは、20km圏禁止区域との境である山に行き、まず最初に驚いた。
封鎖区域への入り口は、誰にも監視されていないのだ。
測定される線量は、自然放射線の100倍、境界線上でさえ、この数値だ

「そんなに高いのなら 境界線を、もっと広げる必要がありますね。
いったい、どのように計ったのかわかりません。ちょっと不思議ですね」

ここに長く留まる者すべて、命に関わる線量。

この地方を除染するのは、不可能だと思う。あまりに広大なうえに、斜面だ

エフゲンの見つけた、立ち入り禁止区域への別の入り口は、警察に監視されていた。
特別許可証を持つ者は、出入りを許される。
しかし、いずれの車両も、放射能汚染検査されないことに、エフゲンは驚く。
チェルノブイリでは、今でも、検査を行っている。


原発から55キロ。
政府によれば、この水田は、安全な場所にある、と言うことだ。
ケンゾウは官僚を信用せず、エフゲンと二人で真実を調べる。

ここに生えるものは もちろんすべて、放射性物質を取り込む。この地方の植物を食べるのは、非常に危険だ

ここに育つものは、すべて汚染されている。
しかし、誰も、農家に知らせていない
ようだ。
何故、そんなことが起こるのか?
事故後、政府は、立ち入り禁止区域を、同心円状に設定した。
しかしそれは、実際の汚染状況とは一致しない。
風は、北西部に、放射性物質を運んだ。
チェルノブイリでは、事故後まもなく、実際の汚染状況に応じて、禁止区域は修正された。
何故、福島でも、同じことを行わないのか?


エフゲンは、歩道を除染中の、男達を見つけた。
地方のあちこちで ボランティアの、除染グループが見られる。
もっとも簡単な形の除染さえ、政府や東電は、未だに引き受けない、と住民達は語る。
子供の通学路さえ、未だに安全でないことを、役所が気にしないことに、エフゲンは驚く


三春町。人口2万人。
町長の鈴木義孝が、エフゲンを待っている。
ウクライナから来た、放射能ハンターの、中立の測定に期待しているのだ。
事故後すぐに町長は、官僚システムは、時間が掛かり過ぎることに気付いた。
三春町の住民にとっては、長すぎる時間だ。
ボランティア達はまず、町の一番重要な場所を除染した。
小学校である。
そして、校庭と運動場の、汚染した表土を除去した。
ボランティアの除染が終わるのを待って、役所は、国の測定器を設置した。
現在の線量は、当然正常だ。

「この町は、やらなければならいこと、特に、学校の除染を、きちんと最初に行った。
これは大切だ。子供達が、長い時間過ごす場所だからね。ここで遊ぶし、そうすれば、埃が立つ。
簡単な方法で除染したようだが、私の見る限り、とてもきれいになった」

しかし、除去された土は 学校の横の穴に、土を掛けて、一時保管されている。
ここの線量は、今でも高い。
この場所を、柵で閉鎖するよう、エフゲンは、町長にアドバイスする。

鈴木義孝、三春町町長:
「私達も、土を別のところに運びたいのですが、その場所はどこにもありません。誰も引き受けたいとは思いません。
政府は、処分場を作る、と言っています。それまでは、ここに保管するほかありません。住民も了解しています」

調査を続けるエフゲンは、見捨てられた町に、たどり着いた。
防護服を着て、ここに集まった男達も、除染活動のための、新たなボランティアだ。
汚染された落ち葉を集めたり、表土を除去したりする。
ビニールシートの下に、一時保管される、放射性廃棄物。
エフゲンは、ボランティア達が、仕事のトレーニングを受けているか尋ねる。

タカシマ・カズキ、ボランティア:
「特にトレーニングは受けていません。すぐわかる、簡単な仕事ですから」

これ以上ないほどの、危険を伴う仕事である。
不注意な者は被曝をし、数年後に、癌や白血病になる危険がある。


ビニールシートの上は、毎時25マイクロシーベルトだ

自然線量の、ほぼ200倍の数値である。
「本来、このゴミは、安全な密閉容器に入れて、何千年も保管されるべきだ」
と、エフゲンは言う。
しかし、日本では、今のところ、そのような指令はまったくない。
この場所も、26年後には、チェルノブイリの封鎖区域と、同じ状態になっているかもしれない。
今でも、チェルノブイリには、高濃度放射性廃棄物が転がっている。

エフゲンとケンゾウは、原発が今、どれくらい安全になったか、知りたいと思った。
原発作業員が、情報を提供してくれた。

福島原発作業員:
「放出される放射能の量は、事故当初に比べて、非常に減少しましたが、今でも大量に飛んでいます。
今でも大変な量で、2,3,4号機は、まだカバーを付けないといけない」

エフゲン:
「チェルノブイリでは、6ヶ月で、事故は制御されました。福島は、もう9ヶ月も経つのに、何故コントロールさえできないのか?」

福島原発作業員:
「理由は簡単です。福島は、チェルノブイリの4倍、問題がある。4基の事故を、コントロールしないといけないからだ」

エフゲン:
「我々から見ると、問題は、東電にあるように思えるのですが?」

福島原発作業員:
「問題は、東電ではない。日本政府です」
チェルノブイリは、ソ連軍を使うことが出来た。軍隊が、すべてを指揮して、すべてにおいて大きな力になった。
自衛隊は、3号機が爆発した時、現場にいたのに、怖気づいて逃げてしまった。
一万人の自衛隊が協力していれば、作業もずっと、進んでいたはずです」


ふたたび、地域の調査に戻る。
エフゲンとケンゾウは、独自の測定から、ここも本来、避難させるべきだ、と突き止めている。
彼らの推測通り、同心円状に設定された封鎖区域は、間違っているのだ。
この子供達は、自分達の置かれた危険を知らない。
政府も、彼らが、安全な場所に避難できるような政策は取らない。
避難したい住民は自主的にすればいい、と言うのが、公式表明
だ。

コンドウ・ヨシユキ 幼稚園園長:
「幼稚園の除染が終わって、今度は、子供達の家を除染します。私も、毎週、他のボランティアの人達と、家を除染しに行っています」

まるで、風車と闘うドンキホーテだ。

癌を発症するリスクは、明らかに高くなっている。
幼稚園の横で、測定を行ったエフゲンは、心配が現実であることを確かめた。

当時のプリピャットと、同じ状況だ。
プリピャットでも、除染が試みられた。何度も何度も洗って、線量は確かに下がった。
しかし、とうとうある時、無意味だ、と認めざるを得なかった。
汚染地帯の真ん中に、きれいな町を保つなんて……どうやって、人々は生きたらいいんだ?
ここも、同じ状況だ。
幼稚園は、除染をして、線量を下げることに成功した。
だけど、数m先の線量は、特に子供には危険な高さだ。
非常に心配な数値だ。うまく行くわけがない。
今、子供達は、幼稚園の中だけど、終われば、境界の外に遊びに行ったり、町の汚れた道を、走り回ったりする


残念ながら、エフゲンの結論は、希望を砕くものだった。

僕は、毎日たくさんの人々と話をし、原発から20キロの、ひどい汚染地域に行った。
人々は、重要な情報の多くを、知らないことに気付いた。単純に、知らされてないんだ。
放射能の影響や危険について、あまりに知らなさ過ぎると思う。
それは、日本政府や環境省が、幾つかの事実を無視をしているか、隠蔽しているからに違いない。
上層部の責任者達が、そうした基礎知識を、持っていないとは思えないからだ。
今回の調査を、楽観的な結論で締めくくりたい、と望んできたが、肯定的な言葉が見つからない……。
正直言って、ただ呆然としている


(スタジオ)
ただ、想像を絶します。
日本政府は、原子力利権という祭壇に、国民を、生贄として捧げているのです。
東電は、長年に渡って、ずさんな安全基準を通して来ました。
安全対策に、もっと投資していれば、大事故は、回避出来ていたかもしれないのです。


後略。

↑以上、転載おわり


これは、ツィッターでつながりを持てたfukuzawaさんという方が、送ってくださった映像です。
福島の現実が、この9分半の時間の中に、厳然と存在しているのを目の当たりにして、言葉を失いました。
本当に、なにが収束なのか、どこが収束なのか。
政治ゴッコに明け暮れている人達に、突きつけてやりたいと思うけれど、
突きつけたところで、なにも感じず、なにも思いもしないだろうことも大いに予想できることが、本当に忌々しい。



8月26日「楢葉町慰霊と復興の集い」に参加した。
東日本大震災から1年半経ち、8月10日、避難解除準備区域に指定され、出入り自由となったが、滞在できるのは16時まで­。
伸び放題の夏草に被われた、無人の家々、会社、農地、竜田駅、公園……。
町は、3.11の爪痕を真超したままに、時が止まっていた。
収束宣言が出ているが……何が終わったのだろう­か。
地震津波で助かった我が家にさえ、住むことが出来ない。
家の中では、畳や布団から、キノコが生えていたと……。