ピアノを買いました。
20年前にこちらに移ってからすぐに買ったピアノは、十分なお金を持ち合わせていない上に仕事のために必要という急場凌ぎの物だったので、いつか自分のための満足できるピアノが欲しいと思い続けてきました。
今から11年前、急逝した若きプロフェッショナルピアニスト・カルロス氏のピアノを、彼の所有品の後片付けをするためにチリから駆けつけてきた母親の「大切に使ってくれる人に売りたい」という気持ちと共に引き受けました。
それはとても大きくて重くて、そして古いピアノでした。
うちまで運ばれるまでの間に運搬業者の足で踏んづけられたハンマーの修理はもちろん、問題が山積みの鍵盤を、調律師のアルバートと一緒に修理を重ねてきました。
遠くの州にある鍵盤専門の修理工場に送ったこともありました。
そうやっているうちに、どうやっても整わないことが次第にわかってきたのですが、なんとかならないかと食い下がるわたしに、アルバートがこんな事を言いました。
「まうみ、長年の付き合いだから正直に言うよ。このピアノにこれ以上お金をかけるのは意味が無い。例え鍵盤を全て新品に入れ替えたとしても問題は解決しない。音は確かに深くて味わい深いけど、それは入れ物の箱が大きいからで、全てが劣化し過ぎている。音楽は一つの音を鳴らして悦に入るものじゃ無いよね。あきらめよう」
アルバートはそう言ってフロリダに引っ越してしまい、その後は調律を一切しないまま、カルロス氏のピアノはずっと眠ったままでした。
カルロス氏のおかあさん、そしてカルロス氏の魂に、一生かけて大事にしますと約束したのに…という気持ちと、どうにもならないことへの苛立ち…複雑な気持ちで過ごした11年でした。
気持ちは気持ち。現実は現実。
ピアノを買い換えよう。
そう決心したものの、高価な物なので簡単にはいきません。
65歳になって年金をもらえるようになったら、それでローンを払っていけるかな…などと密かに考えていました。
そしたら急に夫が、スタインウェイのギャラリーに行ってみないか?と。
彼が数年前から、そのギャラリーの先代マネジャーともちょくちょく話をしていたのは知っていたのですが…そこで特別セールが行われるというのです。
いやあ、いくら特別セールといってもスタインウェイでしょ?手が届かないよ。
でもほら、スタインウェイの設計で作られたボストンピアノ、あれもギャラリーに置かれているみたいだし。
ボストンピアノ!
生徒の中のある姉妹が持っているピアノで、そりゃもういい音がして、すごく弾きやすくて、こんなのがうちにもあったらな〜って思ってたピアノだぞ〜!
ということで、ペンキ塗り作業の合間を縫って(またまた大袈裟な😅)行ってみました。
COVID-19の影響で、自分の行きたい時に行く事はできません。
まず予約をし、マスクをつけて館内に入れてもらいました。
お客は夫とわたしの二人だけです。
まずは数台のボストンピアノから弾き始めました。
そのあとおもむろにスタインウェイに…うちは絶対に買えませんからと言いつつ…。
同じスタインウェイでもやはり色々で、うわぁ〜これはすごいわと思ったピアノはやはり最高峰…でも、なぜかそのピアノより気に入ったのがあって、それはボストンのピアノで、けれども残念ながらセールの対象にはなっていなかったのでした。
ということで我々は退散し、けれどもいつか手に入れたいピアノが見つかったことだけで満足して家路についたのでした。
するとしばらくして、また別のセールのお知らせが来ました。
今回はわたしが気に入ったピアノも対象になっているというので、またまた出かけて行きました。
出かける前に夫が、「もう買おう、買う時が来たと思う」と言ってくれたので、天にも登る気分でそのピアノと再会し、特別価格にピアノ教師割引を加えてもらって購入しました。
カルロス氏のピアノとお別れです。
ちゃんと蘇らせてあげられなくてごめんなさい。
新しいピアノがやって来ました。
組み立てはあっという間。
先に二本の脚を付け、そのまま斜め立ちさせてペダルとあともう一本の脚を付けてハイ終わり。
え?そんなに簡単だったっけか?
鍵盤は入ったままだったわけ?
マジ?
いやはや、初めてのグランドピアノとの出会いはもう今から50年も前のことで、その後も引っ越すたびに運送会社のお世話になって来たのですが、いつももっと慎重というか丁寧というか鍵盤は別々だったというか…ははは😅
カルロス氏のピアノと比べると長さが40センチも短いので、部屋がちょっと広くなった感じがします。
スタインウェイ&サンズによって設計されたボストンピアノ、なんと工場は日本の浜松、河合楽器の工場で作られているそうです。
「20年もかかってごめん」
夫が言ってくれた言葉です。
わたしの心の満足のためだけに大金を使ってしまったと思っていたので、本当にありがたい言葉でした。
よし、そうだ、渡米20年、よく頑張ったで賞にしよう!
まだ搬入後の調律をしていないままですが、昨日も今日も弾きたくて弾きたくて、頭がクラクラするまで弾いてました。
最初に仕上げる曲はドビュッシーの『ピアノのために』にしよう。
13歳の時に買ってもらったグランドピアノは、波乱万丈期の人生の中であちこちを放浪し大変な目に遭いましたが、日本を離れる時に譲った人に大切にしてもらっています。
63歳にして買ったこのピアノは、わたしがこの世を卒業するその日まで、一緒に音を楽しめるよう大切にしていこうと思います。