ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「来年の三鷹市市議選挙に立候補する『紫野あすか』ちゃんを応援しに行った!」日本旅行2018・その4

2018年09月27日 | 友達とわたし


わたしがあすかちゃんを見つけたのは、パソコンモニターの画面の中でした。

巨大地震と大津波、そして甚大な原子力発電所の爆発が立て続けに起こった2011年の3月。
どんなに心配しても距離は縮まらず、自然の猛威に命を奪われた人々や町や村、そして動物たちに思いを馳せながら、命拾いをしてもなお、二次災害や被爆の危険に晒されている命を政府がどう守るのか、そのことが知りたくてSNSで情報を集めていました。

日本の新聞を6社、地方新聞を3社、毎日読み続けているうちに、おかしなことに気がつきました。

その昔、10年近く授からなかった赤ちゃんが、突如お腹の中にいてくれることがわかり、しみじみと喜んでいた矢先に、チェルノブイリの原発事故が起こりました。
もともとから環境汚染のことは気になる方だったのに、初めての妊娠に夢心地になっていたわたしは、空気の汚染が気になって、いろんな新聞を読んだり図書館に通ったりしました。
当時はインターネットなどというものは無く、調べたいことは新聞かテレビ、ラジオや図書館に頼らなければなりませんでした。

日本では、当時のロシアの対応が不十分である、といった報道が流れていました。
事故後、何年か経ってからは、様々な不備や失敗が明らかになり、そういった報道を見たり読んだりするたびに、ああ、わたしは日本人で良かった、などと思ったのを覚えています。
一体どうして日本人で良かった、などと思ったのでしょう?
もうその時には、日本の海岸線上に、日本をぐるりと囲むようにして、世にも恐ろしい原子力発電所が何十基も建てられたていたというのに、そんなことは全く知らずにいたのです。
仮に知っていたとしても、日本はきっとロシアのような失態は犯さないはず、いや、そもそも日本の原発は事故を起こさないはず。
だって日本なんだから。
日本でもし、こんなひどい事故が起こったら、絶対にあんなことにはならないだろうし、被災者の人たちをあんなふうに見捨てないはず。
だって日本のテレビも新聞も、遠く離れた国の事故にもかかわらずこんなに徹底的に調査して、検証して、それをわたしたちに知らせるべく報道してくれてるんだから。

なんて能天気で無知な大人だったんでしょう。
そんな思い込みがどれほど幼稚で世間知らずなものだったか。

新聞の報道が妙にズレていると感じてから、ツイッターやフェイスブックのメッセージと読み比べるようになりました。
すると…。
なんでこんなに違うんだ?から、どうして本当のことを言わないんだ?に変わり、これはあかん、自分で調べて覚え書きしていこう。

それが、このブログ記事のカテゴリーに、『日本とわたし』という項目が加わった理由です。

そんな毎日が続き、ツイッターの矢継ぎ早に流れてくる情報のどれもを鵜呑みにせず、一歩引いたところから読むことが大事だと気づいた頃、あすかちゃんのツイートが目に入りました。
もうどんな言葉が書かれていたのか、それすら覚えていません。
わかるのは、まったく見ず知らずの東京在住の女性だということだけ。
でも、なんか惹きつけられたんです。
彼女、子どもを守りたい、命を大切にしたい、親の命も守りたい…そんな気持ちを伝えるデモをやりたいって、呟いていたんです。
その後、彼女のツイートが読めるようにフォローして様子を見ていると、彼女を支えたいという人たちがワラワラと現れてきて、あっという間に(だったかな?)デモをする段取りがつきました。

『パパママぼくの脱原発ウォーク』

わたしはもう嬉しくなって、思い切って彼女にメッセージを送りました。
「遠く離れてるけど、読んでくださっているのは日本人の方がほとんどなので、わたしのブログで紹介させてください。応援したいです!」

それからというもの、女優業で鍛えた張りのある温かな声、パッと開いた花のような笑顔、人に寄り添う優しい心、そしてすんげ〜エネルギーでもって、どんどんファンを増やしていく彼女を、わたしはずっと遠くから見守っていました。
国会前のスピーチエリア『希望のエリア』では、頼りになる二朗さんと一緒に、雨の日も風の日も雪の日も、毎週金曜日の夕方6時(半?)に集まって来てくれる人たちと声を上げるあすかちゃん。
二朗さんとの漫才のような司会、おもしろトーク、参加者も混じっての歌や音楽、そして素晴らしいスピーチ、かっこいいコール、あきらめない人々の集まりを、これまでずっと7年間以上も引っ張ってきたただ者ではない人です。

その彼女が、とうとう、やっとのやっと(毎年会ってはやれやれ!とけしかけてきたので)、政治家になることを決心しました。

幸運にも、東京に滞在している間に、『あすかちゃんを励ますつどい』なるものが開かれるとのこと。
行かいでかぁ〜!!

というわけで、三鷹の会場に行ってまいりました。

ここからは、それはそれは素敵な、いつ見ても気持ちがすぅっとする素晴らしい人物像を撮ってくれるしのぶちゃんの写真と、優しい心がにじみ出るみほこちゃんのコメントをお借りして紹介させていただきます。

明日香さんの楽屋のれん、素敵ですね!


吉良よし子参議院議員と明日香さん。
吉良さんはとても感動的なスピーチをしてくださいました。詳しくは動画を!https://youtu.be/7MtAmDyacio


ちなみに、出産で入院されていた吉良さんを思って投稿したあすかちゃんの言葉はこれです。
この頃、2015年の9月15日は、国会前だけではなく、各地で『戦争法案』を強行採決しようとする安倍政権に、多くの市民が抗議の声を上げていました。

https://m.facebook.com/photo.php?fbid=879049675513652&id=100002258838836&set=a.336190526466239

左から、吉良よし子参議院議員、紫野あすか三鷹市議会議員予定候補、伊藤岳参議院議員埼玉予定候補。
お二人とも明日香さんを応援したくてたまらなくて、励ますつどいに参加してくださいました。


前進座の俳優の方々。
柳生さんと黒河内さんかが参加の予定でしたが、なんと、舞台のお稽古がお休みになったとのことで、先輩の益城さん、同期の浜名さん、えばやしさんがご参加くださり、応援メッセージを下さいました。


前進座の大先輩、村田吉次郎さん。


京都から村上敏明さん。
たくさんの方々の応援メッセージを持って、駆け付けてくださいました。




斎藤まりこ都議と藤田りょうこ都議のスピーチ。


弁護士白神優理子さんの、超〜パワフルな応援メッセージ。


体調を崩され療養中の柏原さんが、元気そうなお姿で、応援に駆けつけてくれました。
渡瀬さんも嬉しそうです。


スタッフのえつこさんのスピーチ。


ラストは決意表明のあと、毎週金曜日、国会前希望のエリアで歌っている「主権在民」を披露しました。
きらさんも「9の輪手拭い」を持って応援!


石原さんも。


希望のエリアの皆さんも「9の輪手拭い」を持って応援!


みんなからの心が詰まった千羽鶴。


最後にスピーチしたのは一人娘のふーちゃん。思いっきりもらい泣きしちゃいましたぞ〜!ほんっとに素敵な親子。


明日香さん決意表明、みんなの心に届く言葉でした。


時間が45分も押してしまって15分で撤収しなければならなかったのですが、皆さんのご協力もあり、10分で片付け。
最後に応援に駆けつけてくれた希望のエリアの皆さんとぱちり。



というわけで、この会ではスピーチを頼まれたわたしも、拙い言葉をつなぎ合わせたものをマイクで拾っていただいたのですが、
なんかもう泣きそうになってしまって、声が裏返らないようにするのが精一杯で、なかなかのトホホなスピーチになってしまいました。

わたしとほぼ同じ時期に、それまでほとんど知らなかった、知ろうとしてこなかったことを知り、愕然としながらも調べたり考えたりし始めたあすかちゃん。
まだ学生だった娘さんの未来を守りたい、どの子どもの未来も守りたい。
なのに国は、政府はどうだ。
守ろうとしないばかりか、まるで棄てるような態度を取り続けている。
じっとしているわけにはいかない。
声を上げて、一人でも多くの人に伝えたい。
それからは、元々からの彼女の意志の強さ、生きものに対する愛の深さを支えに、いろんな中傷や妨害にもへこたれず、ずっと前を向いて行動してきたのです。
だからわたしは、あすかちゃんのことが大好きだし、人としてとても尊敬しています。

紫野あすか、がんばれ〜!!
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初めての和太鼓!!夏の日本旅行・2018(その3)

2018年09月26日 | 友達とわたし
東京滞在4日目の8月24日は、和太鼓のお稽古見学!

フェイスブックで仲良くしていただいている宏さんが、なんと和太鼓の名手で、舞台で演奏しているビデオを見ちゃってからは、わたしも習いたぁ~い病にかかってしまい、
今回会うときに、じゃあ一緒に行ってみましょうか、もしかしたら少しは実際に叩けるかもしれませんよ、などと言ってもらい、嬉しくてフワフワしていたのだ。

いやあ、美しいもの(特に音楽)に触れるとすご〜く涙もろくなる宏さんは、専修大学の教授で、SNSが無い時代だったら絶対に巡り会えないような人なんだけど、
出会ってしまったものは仕方がない(これは宏さんの方の感想だと思う)、お付き合いしていただきましょう(これは図々しいわたし)ということで、待ち合わせの駅まで浮き足立ちながら出かけて行った。

地下鉄の駅に行く際に、いつも通り過ぎる風景。少しは慣れたとはいえ、今日もやっぱり暑い…。


駅からお稽古場である廃校になった小学校まで、宏さんの車に乗っけてもらった。

ドキドキしながら教室に入ると、うわあ、いろんな和太鼓がいっぱい!


先生はとても華奢で素敵な方で、同じく華奢で素敵な女性がお二人と、男性は宏さんと、肩の痛みがなかなか去らずに困っておられる方のお二人。
この男性は笛も吹かれるようで、いろいろと紹介したり教えてくださろうとしたのだけど、お稽古の時間の関係もあって途切れてしまった。

何回も観たユーチューブのビデオとはまた違い(当たり前だ)、みなさんの打つ和太鼓のひびきが、わたしの心を震わせ、魂を揺さぶる。


血が喜んでいるような、だから体の芯から笑いたいような、そんななんとも言えない良い気持ちになって、打ち下ろされるバチ、流れるように上下する腕、支えながらもリズムに乗る足を眺めながら、
日本古来のリズムの間合い、様々な太鼓の音の絡み、思わず息を詰めてしまうような緊迫感、全員のタイミングが完全に合ったときの心地良さなどを、たっぷり感じさせてもらった。

これ↓は、昨年の秋に行われたみなさんの舞台演奏です!
馬簾太鼓(ばれんだいこ) 第35回あさお区民まつり 2017.10.8


ああやっぱりいいわ和太鼓。
ただ聞かせてもらっているだけなのに、すっかり興奮して、汗がにじむやら頬が赤くなるやら。

「やってみますか、一曲?」
「え?」
「いいですよ」
「いや、そ、そんな…」

お遊び程度に、何個かのリズムを叩かせてもらえたら、もうそれだけで大満足と思っていたのに、みなさんと一緒に曲を通しで演奏するだなんて…。
いやあ、それはやっぱり無謀すぎる…などと頭の中は大混乱。
加えて心も大混乱。

そんなこんなでぐずぐずと突っ立ってるだけのわたしに、先生がにっこりとしながらバチを持たせてくださる。
そしてバチの持ち方、打ち方を教えてくださる。
なるほど、ドラムのバチの持ち方と共通しているところがある。
ちょっとだけ不安が収まったのだけど、心臓はドキドキモード全開。

せっかくのお稽古の時間を無駄にしちゃったらどうしよう…。
なんてくよくよしてるくせに、もう一人のわたしはもう、叩きたくて叩きたくて、カニさん歩きで太鼓の前に。

例によって例のごとく、ビデオをここに載せることができないので、切り取り写真を数枚。




音符なんてどこにもない。
口承で説明を受け、親切で優しいメンバーのみなさんに甘えて、うわ〜とパニックになりながら演奏に加わらせてもらった。

ああもう楽しすぎる!気持ち良すぎる!
嬉しすぎて、体がフワフワ浮かんでしまわないように、何度も何度も四股を踏むように重心を下げなければならなかった。

宏さん、夢を叶えてくれてありがとうございました!
厚かましいことは重々承知で、また来年、連れてってくださ〜い!
ごめんなさ〜い!
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お能と土壌とブルーベリーと(夏の日本旅行・その2)

2018年09月24日 | 友達とわたし
農業環境技術研究所 農業環境インベントリーセンター主任研究員 大倉利明さん。
ひょんなことから…なんていう表現はやっぱり間違っている。
利明さんは、いろいろあってすっかり疲弊してしまい、もうこのブログを閉じようと決めかけていたわたしを、コメント欄を通じて励まし、支えてくれた人だから。
一体どういう人なんだろうと思いながら何年か経ち、ある日突然、Facebookのメッセージに、利明さんから連絡が入った。
実は僕でした、と。

その人の経歴を読んでびっくり仰天。
わたしにはまるで想像もつかない世界の、それも世界的権威者であり、農学博士。
どうして…と思いながら、慌ててFacebookのウォールを過去から遡って読ませてもらう。

土や石が子どもの頃からずっと好きだったから、次から次へと載せられている土壌モノリスの写真に魅入った。
一体どうやってこういうものが出来上がるんだろうと、興味がムクムクとわき上がってきた。
もし日本に来るときに時間があったら、案内しますよと言ってくださったので、いやもう、ぜひお願いします!と即答した。

以下は、4年ちょっと前に、利明さんのことが紹介されていた記事。

「土壌」は地球からの預かりもの
【常陽リビング】2014年4月7日
http://www.joyoliving.co.jp/topics/201404/tpc1404001.html

つくば市にある(独)農業環境技術研究所・農業環境インベントリーセンター主任研究員の大倉利明さん(49)は、子供の頃に岩石と土の魅力にのめり込み、迷わずその研究の道に進んだ。

国内外の土壌を調査・分析し、その結果を各国の農業振興に生かしながら、全国の先輩から引き継いだ研究データを後世につなぐ地味な仕事
それでも、土壌から伝わる地球のリアルな息遣いを知るにつけ、探究心は止まらない

岐阜県の飛騨高山で生まれ、「カミオカンデ」のある神岡町で育った。
小さい頃から岩石を集めて遊ぶのが好きで、母に買ってもらった岩石図鑑に夢中になった。
中学では化石集めに熱中し、高校進学で上京。
たまたま手にした「土」に関する本を読んで、岩石から土へと興味が広がり、著者の教授がいる大学を選んで入学した。

卒業後、選んだのは(独)国際協力機構(JICA)。
フィリピンの農業省では、7年にわたって土壌調査技術の指導を行い、農業振興に尽力した。
2002年に帰国し、現研究所に入所。
これまで、国内は、沖縄を除く全国46都道府県に足を運び、土壌調査を実施
また、2011年4月からは、農水省の調査団に加わり、ロシアやウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンなどを訪ね、チェルノブイリ事故から20数年にわたる、各国の放射性物質による土壌汚染対策の取り組みを調査
核実験場跡地では、土が熱で溶けて、ガラス玉と化した姿を見た

「例えば、土中のセシウムが、作物や地下水に行かないようにするにはどうすればよいかなど、土壌中の研究はとても大切です」

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そうした土壌への関心を少しでも高めたいと、学生や一般の見学者をまず案内するのが、研究所内の農業環境インベントリー展示館
そこには、
土壌の断面を、そのままの姿で保存・標本にした土壌モノリスや、
1899年から、収集・保存してきた昆虫の標本、
1881年から、採集および寄贈された微生物の標本、
1901年?54年に、研究所が行っていた肥料分析の台帳や、当時の肥料、
1908年~37年に、亜硫酸ガスによる農作物の被害(煙害)を調査・研究した資料、
1959年から続けている、農作物や農地土壌に含まれる放射性物質のモニタリングや、放射性セシウム濃度分布図、測定用機器など、貴重な資料が多々展示されている。


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中でも目を引く土壌モノリスは、遺跡の保存技術を応用した、独自の手法で標本化したもので、地質や気候、植物、地形、人間の作用によって、多様な顔つきになることが一目瞭然で分かる
そして、日本最初の土壌図も展示。

日本が、国の事業として土壌図作りを始めたのは、1882年(明治15)
当時の農商務省地質調査所土壌係に、ドイツから農林地質学者マックス・フェスカ博士を招き、その指導の下で国別土性調査を始め、1885年(明治18)に、「大日本甲斐国土性図」が完成
その後、弟子たちが事業を引き継ぎ、1937年(昭和12)に、陸奥国を除く全国の土性図が完成し、第二次大戦で一時中断したが、戦後の1948年(昭和23)に、最後の陸奥国の土性図が完成した。

「このように、全国の先輩たちが積み重ねてきた資料やデータがあってこそ、日本や世界の土壌をよく知り、うまく付き合っていけるような未来を思い描くことができると考えます。
偉大だと思いませんか」


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ついつい熱弁になるその胸にあるのは、「土壌は地球からの預かりもの」との思い。
しかし、社会全体が関心を向け、土壌との賢い付き合いをしていくための、仕組みが不十分だと感じていた。

昨年、国連が、2015年を国際土壌年、毎年12月5日を世界土壌デーと定めたことから、研究者や法律家など、仲間数人で研究会をつくり、運動を盛り上げようと議論している。
2014年4月15日(火)には、研究会主催イベントの一環として、「人と土の新しい関係を探る」と題して、東京・科学技術館で研究会の展示・発表を行う。
さらに4月18日(金)は、科学技術週間の一環で、(独)農業環境技術研究所も一般公開され、農業環境インベントリー展示館で熱く解説する。

そんな熱い土壌博士は、時に、農を「能」に替えて、舞台に立つこともある
「伝統芸能は、長い歴史を積む土壌に通じる」と、近所の縁で、観世流橋岡伸明氏に師事して4年。
師匠の勧めで考案した黒紋付の家紋は、世界に通じるスコップのデザイン。

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つくばに向かう。


初めまして(?)の挨拶もそこそこに、まずは自宅に連れて行ってもらい、そのすぐご近所にある能楽師のお宅に行く。
お稽古を見学させていただくということで図々しくもお邪魔したのだけど、家の中に足を踏み入れたところですっかり緊張してしまった。
襖はどうやって開けたらいいんだったっけ…廊下から畳の間に入るときはどうするんだっけ…などとぐずぐずしていると、さあ入って入ってと手招きされた。

足を崩して座っていいですよ、と優しく声をかけてもらい、いえいえ大丈夫ですと顔を引きつらせて言うと、無理しなくていいですからと言われ苦笑い。
ああそうだった、わたしは正座が大の苦手なんだった。

能のお稽古なのに、なんでたい焼きが???いかにも美味しそうな水羊羹まで???


なんと観世流能楽師橋岡さんは、お稽古にやって来る生徒たちのために、朝も4時から起きて、あんこをコトコト煮、たい焼きの生地を作り、一度に2匹しか焼けないたい焼き器で、40匹ものたい焼きをせっせと焼き続け、その合間を縫って水羊羹を作ってくださったそうな。
それを冷めたからと、もう一度軽く焼き直して持ってきてくださったのが上の写真。

いやもう、何が何だかわからなくなったのだけど、目をうろうろさせて呆けているわたしの目の前で、突然お点前が始まった。


わわわっ!どうしよう…。お茶の作法を全く知らないので、利明さんや他の生徒さんたちの仕草をガン見する。


今度は利明さんの番。




見よう見まねでなんとかお茶をいただくまでを終え、たい焼きと水羊羹を美味しくいただいていると、
じゃあちょっと、まうみさんもやってみましょうか、と師匠。
いや、ちょっとそれは、あまりにも無理があり過ぎますと、手を顔の前でブンブン振りながら断ったのだけど、大丈夫大丈夫とどんどん勧められて、釜の前に座った。
教えていただきながら立てたお茶は、師匠や利明さんが立てたお茶とは大違い。
修行が足りませぬ…。

お稽古中の様子を撮ったビデオから切り取った写真。












唄いだけに集中してのお稽古。
利明さんの声も深くて素晴らしいと思いながら聞かせてもらっていると、あ、また跳ねましたねと師匠。
跳ねるとはどういうことかを説明してもらい、耳を澄ませて聞いているうちに、少しだけわかるようになった。




幼児の頃にテレビで観た能楽に興味を持ち、熱心にお稽古通いする男の子。すごく感心したのに名前を忘れてしまってごめんなさい!


唄の調子やタイミングに集中して練習する際に、その合図取りに使われるバチ(どんな名前だったか、これまた忘れてしまった)。


このバチはもちろん、それで打つ箱型のものにも、それぞれにこだわりがあることを教わった。

会話中は優しげな声だった伸明師匠だが、唄いが始まった途端、地の底から湧き出てくるような、深く、広く、宇宙の彼方にまで届くほどのエネルギーに満ち満ちた声に変わり、本当にたまげてしまった。
その声をここに紹介できないのが残念!

床の間に飾られた野草。


足利ナニガシ(だから室町時代?!)から受け継がれてきた小鼓。


無心に打ち続けていくうちに、だんだんと音が定まってくる。


またまたわたしにも打たせてくださる、それはそれはざっくばらんな師匠なのだった。

貴重なお茶碗も。


そしてお面も。
容れ物から出されたお面を見た瞬間、背骨の周りがざわざわした。










彫り師が込めた思いと、それを受け取りながら舞う能楽師の技量と度量が相まって、その面は微妙な感情を表すのだろうか。




もう本当に濃くて楽しい、それはそれは貴重な体験をさせていただいた。


次は念願の土壌モノリスに会いに、農業環境技術研究所・農業環境インベントリーセンターに連れて行ってもらう。


野草にも名前が。




ああワクワクする。


まず玄関を入るとすぐに出会える松の根っこモノリス。これは、静岡の三保の松原で採取されたものだそうです。




砂地だから、水分は止まらず、どんどん下に移動してしまう。
だからそのような環境でも生き続けられるよう、根っこが横に張らずに下へ下へと伸びている。


土壌モノリスの数々!












上の写真(6メートルの土壌モノリス)を作成した現場の様子。


上記の記事中にもあった日本最初の土壌図や、陸奥国を除く全国の土性図などの写真。










土壌博士の話は、その一言一言が面白くて、知らないことだらけで、これもほんの一部だけ録音したのだけど、ここではとてもじゃないけど説明しきれない。
でも、土がどんなに大切で、土が何を語り、何を訴えているのか、それを、人間のわたしたちがこれまでどんなに無視してしまってきたかを、様々な角度から教えてもらった。
たった1センチの土壌ができるのに100年かかる。
だから6メートルの深さで採ったモノリスは、6万年の歴史を語ってくれる。

土砂崩れの災害が起きた土地には、そういう災害が起こるべき歴史が、山の表面や宅地の下にしっかりと刻まれている。
そういうことを無視して、そういうことをきちんと調べずに、必要なんだからと経済ばかりを重要視して宅地開発をしてきたツケを、知らずに暮らす住民の人たちが払わされている。
もうこれまでの気候とは違ってきたことは明確で、頻発するゲリラ雨や台風が、これからもそういった被害を増やし続けるだろう。
だからこそ、早急に、宅地はもちろん、工場や原発のような危険な物を抱えている施設について、国をあげて調べ直し、速やかな対処をしていかなければならない。

「土壌は地球からの預かりもの」と利明さん。


そして利明さんは、こうも言う。

「土壌は足もとに広がる宇宙」

話をたくさん聞かせてもらいながら、わたしも宇宙を感じていた。


土壌モノリスの後はブルーベリー畑!




何種類ものブルーベリーを採っては食べ、また採っては食べ、ああ美味しい!
微妙に風味や味が違う。
利明さんは毎年、採取したブルーベリーでジャムを作り、あちこちにお裾分けしているそうで、その量が半端ではないので販売したらどうかと聞くと、
実はそういう希望を言ってくれる人もいるそうなんだけど、これはあくまでもお裾分けが気持ちいいのであって、お金儲けは気が進まないのだそうだ。
武士の精神を肝に抱く土壌&農学博士は、実はとっても頑固な人だ。

というわけで、厚かましくもお裾分けしていただいたジャム(2種類いただいたうちの、これは実がゴロゴロと原型を留めている方のジャム)。


もうなんとも言えない、口の中でいろんな表情を出してくれる、食べ心地が最高で、喉を通った後に思わずニヤっとしてしまう、とんでもなく美味しいジャム。
ごちそうさまでした!
また来年お邪魔しま〜す!
えぇ〜?また来るのぉ〜?(妄想の中の利明さんの声)
はい、また行きま〜す!
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夏の日本旅行・2018(その1)

2018年09月23日 | 友達とわたし
とうとう書こうと思う。
なんか大げさだ。
けれども、今日まで毎日、パソコンの前に座っては固まり、また座っては固まりして、書けずにこんなにも日が過ぎてしまった。
それでなくても、旅行中に出会った人たちとの楽しい思い出や、絶対に覚えておきたいと胸を熱くして聞いたいろんな話が、まるで息に溶け込んで吐き出されているかのように忘れてしまうのに…。
メモっておけばよかったなあ…。
でも、本当に暑過ぎて、ホテルに戻ったらもうフラフラで、ただただお風呂に入って汗を流し、その後翌日の予定を確認して、約束の場所に約束の時間にちゃんと行けるよう、毎晩乗継案内のアプリとにらめっこするのが精一杯。
初めてのカプセルホテルは、物音を立てないことにすごく気を遣わなければならなかったし、なんでこんな時間に?という時間に荷造りして出発したり、どこかから戻ってくる人が毎晩いて、まともに眠れやしない。
やっぱり耳栓が必要だなと痛感した。

でもそれ以外は、いつでも入れる大きなお風呂だったり、広々としたパウダールームだったり、女性しか出入りできない厳しい制限がされていて、なかなかに快適だった。
また独りで旅行するときは、性能の良い耳栓持参で泊まりたいと思っている。


例のごとく、出発の前日にパッキングをした。
昨年の乗り継ぎ騒動に懲りて、今回は直行便を選んだ。
悪名高いユナイテッド航空だけど、他の航空会社に比べて600ドル以上も安い。
それでも予算オーバーだったけど…。

いつも寝る前に水に溶かして飲んでいるマグネシウム&カルシウムの粉は、見るからに怪しい。
なので、容器全体の写真をコピーして、小分け容器に貼り付けた。
どうぞ信じてもらえますように。


空港の待合が、ここ数年でガラリと変わった。
ほとんどの席にiPadが設置されている。




乗り換え無しで東京に着く、というのはやっぱり楽。
ただ、通路側の席が取れなくて、左横に座った男性(日本人)がすごくでっかい人で、ゲームをしてるか寝てるかのどちらかで、なのでトイレに行きたい時は、右側に座っている二人の親子に立ってもらわなければならなかった。
それと、機内食があまりにもひどくて、元々グルテンフリーなんてことは望めなかったのだけども、三食とも食べられないまま日本に到着した。
ああ、こんなことなら、小豆玄米ご飯でおにぎりを作り、それを持ち込むべきだったとつくづく後悔した。

暑いぞ〜と散々脅されてたけど、覚悟していた以上の暑さと湿気に呆然としながら東京行きのバスを待っていると、バス会社の荷物積み係の若者たちが、バスの横っ腹にせっせと荷物を積み込んでいる。
こんなに暑い中を、チャキチャキと、それも整然と、わたしたちの大きな荷物を抱る彼らの後ろ姿に、感謝を込めてお辞儀をした。

ホテルは六本木駅から徒歩10分弱、西麻布の交差点のすぐ近くにある。
駅からは緩やかな下り坂になっているので、大きなスーツケースをゴロゴロと運ぶのもさほど大変ではなかったけれど、もうその10分間で大汗をかいた。
チェックインして部屋に入り、お風呂に直行。

部屋はこんな感じ。
ベッドは大の字になっても平気なサイズで、マットは固め。
ベッド横には歩けるスペースがあって、貴重品はベッド下の鍵付きの引き出しに入れられる。


着替えは適当にハンガーやテレビにかける。




ちっちゃなテーブルもある。


ドアは無く、アコーディオンカーテンのみなので、当然鍵はかけられないし、物音の全ては耳に入ってくる。
他の泊り客の人たちと、もっとコミュニケーションが取れるのかと思っていたけれど、寝床に入ったら物音を立てないという習慣が身につくからか、他の場所で出会っても、互いに声をかけることもかけられることも無かった。

その晩、久しぶりに会って食事をしようと約束していた、ホテルの近所に住んでいる友人夫婦と待ち合わせている場所に行こうとホテルを出たら、
え?マリオ?


素晴らしく美味しい和食のお店で、いつも会いそびれていた友人夫婦と一緒に、楽しくおしゃべりしたり食べたりしていると、あっという間に時間がすぎる。
朝早く家を出発してから、20時間ぶりの食事だったので、その美味しさがしみじみとしみた。
ごちそうさまでした!


翌日は、横浜在住の友人幸雄さんと一緒に、横浜美術館へ。


モネの絵を観に来た。


幸雄さんと二人で、これはいいね、こりゃ一体なんだ?なんてブツブツ言いながら、一つ一つ観て回った。
よく似た感性と好みがあると知って、ちょっと嬉しかった。

幸雄さんは、ずいぶんと大人になってから、フィドルの修行ならあそこだろう(なんて考えたかどうかは知りません<笑>)と、単身アイルランドまで行って、地元の人たちの輪に飛び込んでった人です。
その前はバンドでギターを演奏していた、そうですよね?
フィドルというのはバイオリンのことで、同じ楽器なんですが、クラッシックを演奏するとバイオリンって言うし、民族音楽を演奏するとフィドルって呼ばれるのだそうで、
でも、よくよく聞いてみると、幸雄さんは小さい頃からバイオリンを習ってたわけでもなくて、なんかすご〜く遅い始まりなんですね。
バイオリンって、ちゃんと音が鳴るまでにかなりの時間がかかると思ってたので、聞いてたまげてしまったくらいのスピードで、弾けるようになったと言うのです。
やっぱただ者ではない。
アイルランドでの逸話は山盛りあって、いつかレコーダー持参でインタビューしようと思っています。

でも、幸雄さんは何枚もCDを作ってるし、たくさんのファン(特にアイリッシュ音楽をやってる演奏家から、一緒にやって欲しいと言われる人)がいるのですが、実は音楽家ではなくて技術士さんです。
なので、幸雄さんと出会ったのは、実はFacebookのおかげで、それもわたしにはチンプンカンプンの原発関連の情報を、それはそれは分かりやすく説明してくれた文章に感動して、わたしから友だち申請をさせてもらったことがきっかけです。

話すうちに、好きな音楽はもちろん、腹を立てることも同じで、あれこれと気が合うことがわかり、無理やりかもしれないけれど、仲良くしてもらっています。


そこまで晴れなくても…と思うくらいにぴーかん晴れの横浜。


やんちゃだった彼がやんちゃしていた伊勢佐木町。


伊勢佐木町の伝説の人、白塗りのメリーさんと彼の接近話を聞きながら、絶対に案内したかったんだというお店にやって来た。

どっひゃ〜!!
お店の中に入る勇気はなかったけれど、名前の通り蛇以外のものは無い、すごいお店だった。



その翌日は、ポカリと一日空いた。
出かけて食べるのが面倒だったので、朝食付きを選んだのだけど、食べられるのは日替わりで入っている野菜と味付けが変わるスープとオレンジジュースだけ。
見るからに美味しそうで焼きたてのいい匂いがするパンは、グルテンフリーだから食べられない…ううぅ。
でも、6日間居て、全て違う味付けで、入っている野菜も色々違ったスープと、生のオレンジを絞ったところに手で実を割いて入れてあるジュースは、とても美味しかった。

食べながら見る外の景色。


弟が、予定が無いなら東京タワーにでも上ってきたら?と言うので、そうすることにした。
大阪在住の彼は、少し前に東京に旅行で来て、スカイツリーと東京タワーに上ったのだけど、どちらかというとスカイツリーより東京タワーの方が良かったと言う。
なるほど、では行ってみよう。

またまた乗換案内とにらめっこ。
でも、日本の公共の乗り物は便利だから、どこへ行くにも調べさえしたら行ける。
公共交通機関が未発達(発達させようとも思っていない)国に20年近くも暮らしていると、その便利さはもう奇跡のようでありがたいったらない。

バスだって、ご丁寧に、次のバスがいつ着くか知らせてくれる。


渋谷駅は大きな工事が続いているそうで、けれども表示がしっかり為されているので迷わなくて済む。




見えてきた!


東京って坂道が多いなあ…と、汗をふきふき歩いていたら、タワーの近所に可愛い教会が。


おぉ〜、東京タワー!


東京タワーの建主は、日本電波塔(にっぽんでんぱとう)株式会社であり、管理ならびに運営も同社で行っている。
1957年5月、「大阪の新聞王」と呼ばれ、当時は産業経済新聞社、関西テレビ放送、大阪放送(ラジオ大阪)各社の社長を務めていた、前田久吉により設立。

その前田久吉さん。


設計者の内藤多仲さん。


独りで来ているのはわたしだけっぽかったけど、夜景をゆっくり観る。










建物内もなかなかきれい。




こんな催しも。


なんでワンピースが?


タワーの最上階から降りるエレベーターの中で、1組の母娘の会話が気に障って仕方がなかった。
母親は多分30代後半から40代、娘はまだ小学生だった。
エレベーターに乗るまでにちょっと待たされたし、乗ったら乗ったで混んでいたのだけど、暑い、ツアーアテンダントの話がつまらない、外国人が臭いなどなど、それを大声で言い続けていた。
外国人といっても、日本語を理解している人がいるかもしれない。
みんなも同様に暑いし、待たされて疲れているのに、娘に向かってうだうだと、それも誰にでも聞こえるような大きな声で言うので、思わずにらみつけてしまった。
きれいな夜景が心から消えてしまわないように、エレベーターから降りてすぐに、ブルブルと頭を振って追い出した。

ホテルに戻ると、マスコットのわんちゃんが、お祭りバージョンで出迎えてくれた。



次の二日間は、日本の芸能所体験記と、世界的権威である土壌博士のお話。
つづきはまた明日。
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あすかちゃん、応援するぞ!

2018年08月16日 | 友達とわたし
先月の11日、東京在住の友人が呟いたツイートに世耕経産相が批判ツイートをし、大きな騒ぎになりました。

その頃は、西日本に甚大な被害が出ていたにもかかわらず、総裁選の票稼ぎの方を優先し、党をあげての酒盛りをしていた自民党と安倍首相に、非難の目が注がれていました。



友人がツイートした内容は、倉敷で被害に遭い、避難所に避難されている友人さんからの話でした。

「倉敷の友達が言ってた。
『急に、避難所に自衛隊が来て、お風呂が設置された。
クーラーがついた。
ここは比較的被害が少ない地域なのに、なぜ優先的に?
警備体制がやたらと凄くて、今日から学校も再開なのに何があるのかと思ったら、安倍首相が来るんだって。
あれ、アピールのために慌てて準備したんだよ」と」


そしてすぐ後に、なぜか世耕弘成経産相が、こんなツイートを流しました。

「こんな時に無責任な情報を流さないでいただきたい。
現場で懸命に突貫工事でエアコン設置をしてくれているメーカー、電気工事会社、電力会社社員など関係者に申し訳ない思いです」


友人のツイートにはとんでもない数の誹謗中傷ツイートが為され、ネット上に個人情報を晒され、娘さんの身の安全を心配しなければならないような緊迫した状況になりました。

現役の大臣が、一市民のツイートを批判する。
それも、実際に避難している人が、周りの状況などから判断した上で考えたことを話しているのに、それを無責任な情報と断言し、責めたのです。
これは大臣規範にそぐわないものです。
自身が持つ影響力を利用して、一般市民の声を閉ざし、ウヨウヨとわいてくるネットリンチを扇動する行為に他なりません。


安倍首相が、被災地や被災者にどれほど無関心であり、ただただ総裁選に勝つことだけに執着しているかは、5分でも調べてみればわかることです。
そのあまりにもあからさまな自己保身の姿を、テレビや新聞はほとんど伝えないので、最近ではますますやりたい放題になっています。

今もまだ片付かず、状況も厳しいままの被災地に向かうどころか、さっさと夏休みを取り、ゴルフ三昧。
票取り宴会や食事会のためなら、どこへでも足を運ぶのに、被災地にちょっと行っただけで体が故障する。
被災地に行ったら行ったで、自分はすごい!をアピールすることばかりに邁進し、避難所はこんなことに。








そして先日、ツイートをした友人の、いつもすぐ近くにいるもう一人の友人が、Facebookにこんなことを書いていました。

『8月5日、「倉敷の友達」は、私の顔を見るなり号泣した。
僕はその刹那…、苦しい辛い想いをしたことを理解した。
いろいろなお話を聞いた。

まだ2000人も避難者がいるのに、自衛隊は、特設のお風呂を「任務終了」として撤収した。
市は、慌ててシャワーを付けてくれたそうだが、お風呂とは違うからね。と言ってた。

「エアコン」はやはり、彼の人が来たところとそうでないところでは、対応の速度が違う。
いくら頼んでも、「対応している」としか言わなかった「エアコン設置」が、内閣府から一本の電話があり、慌てて取り付けられ、
自衛隊が来て、誰にも何の相談もなく、件の学校の校庭にお風呂を付けて、警備を強化した。


事実は変えられない。

後々、誰が嘘を言ってるのか分かるときが来る。
それも近い将来。
「エアコンデマババア」などとバッシングした連中。
デマがどちらか、すぐに分かるよ」



友人は今度、三鷹市の市議選に出馬します。
愛にあふれ、間違ったことは間違っている、嫌なことは嫌と、はっきりと言葉にできる勇気と、弱い立場の人たちを守り命を大切にしようという信念を持つ彼女を、心から信頼し、尊敬しています。

励ます会、行くからね〜!
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イライザとルエルとわたしたちと

2018年07月25日 | 友達とわたし
去年の末に、最愛の夫を失ったイライザ。
発症から1年半の闘病だった。
少しでも良さそうなこと、効果がありそうなことがあれば、どんどんと取り入れては試した。
話が大好きだったルエルを襲った悪性腫瘍は、事もあろうに脳の言葉を司る部分に居座った。
ものすごく大きな不安とストレスを抱えてもなお、ルエルはイライザを優しく愛し続けた。
最期の最期まで。

そんな彼が亡くなって、残されたイライザを支えようと、友人たちがそれぞれにできることをした。
イライザ自身も、喪失感と憤りと悔いを心に抱えながら、それでもなんとか大きな波に飲み込まれないようにと、いろんな公的支援や専門家に助けを求めた。
そんな毎日を数ヶ月過ごした頃、突然今度は母親が亡くなった。
そのショックから抜け出せないでいる彼女に、さらに追い打ちをかけるように、父親が余命2ヶ月の末期ガンであることがわかった。

夫とわたしは、そんな彼女の気持ちを支えたくて、スカイプや電話で話した。
でもやっぱり、近くで目を見て、声を聞きながら話したいな。
肩を抱いて、背中を撫でて、手をそっと握って、何も言わずに一緒にいたい。

イライザにとって、父親の看病が今一番の優先事項なので、彼女の都合に合わせ、急きょカナダに出かけることにした。


車の窓ガラスから容赦なく差し込んでくる太陽の光が、年々強くなっているような気がするのはわたしの錯覚か?


最近は、高速道路のサービスエリアに、マッサージ機が置かれるようになった。


週末なのに、国境がガラガラ?!


ラジオからはフランス語が、そして標識もフランス語。


道の両側はずっと、広々とした畑の風景が続く。


舗装されていない道路を15キロほど走った。時々、前の車が作る砂埃で、2秒ほど全く前が見えないようになった。



いつもと全く同じ湖がそこにはあった。


わかってはいたつもりだったけど、全く同じということに動揺した。


全く同じ風景の中にルエルがいない。


とても大切な人がいなくなった後に、いつも必ずその人がいた所に行くと、その場所で感じていた心地良さとか楽しさが、蜃気楼のように揺らぎながら消えていく。






ルエルがいつも座っていた岩。





翌日の土曜日は、朝からよく晴れた。










あ、チップモンクくん!


え?え?いいの?撮らせてくれるの?


こんなことは初めてだった。


と感動していたら、今度はリスくんが!


人間に近づかないはずのリスくんが、なぜかすぐ横にある薪の保管棚の所をチョロチョロし始めた。


ちょっとちょっと!


イライザが干しているタオルの上で…。






そうか!わかった!ルエルだ!


そう思ったら嬉し涙がこみ上げてきた。

糸トンボくんも登場。



湖畔の花たち。






















おまけ。





うがい水と飲み水をゲットしに、近くの湧き水の所に行く。蚊の総攻撃を一手に受けるわたしは、ちょっと離れた所から写真を撮るだけ。


イライザが設置してくれたハンモック。


気持ち良かねえ〜。




日がどんどん暮れてくる。




いつも金色に光る窓。小学校の時に、なんかそういう話を読んだような気がする。




夫が見つけたケムトレイル。


気を落ち着けよう。


いきなり賑やかになったと思ったら、


4羽のアヒルさんたちが、水中に頭を突っ込んで遊んでた。









三日目の日曜日は、天気予報通り、朝から曇り時々雨。

気温が一気に下がったので、薪ストーブをつけた。


モントリオールで大流行りのコンブチャ。いわゆる紅茶キノコ。


せっかくの雨なので、車で40分ほど走った所にある町のカフェに行くことにした。


来るたびに同じ写真を撮ってる気がする…。


イライザは、ずっとずっと話し続けた。
もう涙は出尽くしていて、わきあがってきても流れ落ちることはなかった。
彼女が抱えているのは、夫と母親の死と現在進行形の父親の死。
ルエルの発病から今までに至る2年と3ヶ月の間に、彼女は闘い、打ちひしがれ、倒れそうになってはまた立ち上がり、気持ちを強めるためにありとあらゆる事をした。
その歴史の所々を、彼女は思いつくまま話し、夫とわたしはただただ耳を傾けた。

夫にとって、ルエルのいない湖畔の家は、イライザとはまた別の悲しみを与えた。
『男の子は泣くんじゃない』、というタイトルの曲を教えてくれたのはルエルだから、だから僕は泣かない。
どうしても泣きたい時は独りで泣く。
と言う夫は、今回、車を停めて家の玄関まで歩いて行く途中で泣いた(らしい)。
だから、イライザの話は辛すぎて、何度も途中で姿を消した。
幼い頃から50年近く、兄弟のようにして遊んできた人を、夫は失くした。
大人になってから30年近く、魂と魂が触れ合うように愛し合ってきた人を、イライザは失くした。

そんな二人の、それぞれの悲しみが、湖の水に溶けていくよう祈った。


四日目の月曜日は、夫とわたしの二人だけになった。


家に帰るかどうか起きてから決めようと言ってたら、なぜか突然のめまいに襲われた。
ベッドで横になっている時には、ちょっと変だなと思うくらいだったのに、起き上がって立とうとしたら、いきなりグワ〜ンと世界がゆっくり回った。
これはやばいと思って、少し落ち着くまでベッドの端に腰掛けた。
しばらくしてトイレに行って座り、ちょっと頭を傾げてみたら、途端に強烈なめまいが…。

もう黙っている場合ではない。
帰るどころか、部屋の中を移動するのもおぼつかない。
夫にめまいのことを話すと、即、鍼治療開始。
鍼を入れたまましばらく眠った。

めまいがすっかり消え、食欲も出てきた。

ぐずついた天気になるはずが、暑くもなく寒くもなく、それほど湿気もなく、いやこれ、カヌーにぴったりちゃう?


夫に内緒でカメラをビニール袋に入れてカヌーに乗り込む。


シルバーレイクの主、ルーンの声を夜に一度聞いたっきりで、今回はまだ姿を見ることができないでいた。
カヌーを漕いでいる間にもし出会えたら…と願いながら、湖の半分を周ったけれどだめだった。
まあ、毎度会えるわけでもないしな、そう思ってあきらめた。

気温が昨日より上がったので、もう一度泳いで、その勢いでシャワーを浴びることにした。
どうして勢いでシャワーを浴びるかというと、実は今回、お湯が全く出ないのだった。
食器を洗うのは、よほどの油物でない限り全く差し支えがないのだけど、泳いで冷えた体で水シャワーを浴びると、石けんを洗い流す頃には全身寒イボだらけになる。
でも、入らないわけにはいかないので、よっしゃ、行くぞ!と独りでブツブツ覚悟を決めていると…、

え?あれ?もしかしてあれは?

ルーンだった!!


あんなに探しても見つけられなかったのに、向こうから来てくれた!!


ああルーン…会いたかったよぉ〜!!






と、そこに、でっかい灰色サギが飛んで来て!


いやあもう、全員総出という感じ。
きっとこれもルエルのおかげだな。






帰宅日は、朝から掃除に励む。
立つ鳥跡を濁さず!

また来年までバイバイ!


なぜか白猫のBLACK CAT車。


これまたスカスカの国境。


モクモク雲。



また会おうね、ルエル。
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2018 WOMEN'S MARCH & POTLUCK NEW YEAR PARTY

2018年01月24日 | 友達とわたし
マンハッタンだけで20万人が声を上げたWOMEN'S MARCH!


これはワシントンD.C.


参加した友だちの写真を、現場で撮ってくれた友だちから拝借!

















純さぁ〜ん!!



この日、アメリカ全土で、思い思いのプラカードを手に、大勢の人たちが声を上げた。
ウィメンズ・マーチのそもそもの始まりと意義を、詳しく書いてくださっている記事がある。
興味のある方はどうぞ。

反トランプ「ウィメンズ・マーチ」:「女性の権利」のための長い闘い −大西睦子
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/womens-march_b_14588830.html


日曜日は、マーチに参加した友だちと一緒に、富美子さんちのポットラック新年会へGO!!
ということで、のんちゃんとジャンの車に乗っけてもらって、炊飯器持参で出かけた。

新年会直後に、写真込みでその時の様子を書いてくれたひでこさんの、フェイスブックの記事をちょいと拝借!

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明子さんが呼びかけてくれて、富美子さんとエレノアさんのおうちで、遅ればせながらの新年会。
さあ、集まるぞという頃合いに届いた!南城市長選でのチョービンさん当選の朗報。
皆で狂喜。

サブロー師匠の三線で、秀子さんが急遽、お祝いの踊りを踊ってくれることに。
お二人は、NY総領事館前での「ジュゴンを救え」スタンディングのスター。
しかも踊りは、お年寄り版と元服前のしゃきしゃき若者版と2つの振りで。
最後には、明子さんが飛び入りで「祝い節」。

のたのた出かけた私が到着した頃には、富美子さんの芸術祭推薦クラスのお寿司も、紀子さんのラフティもすでに影も形も無し。
でも見て見て。
ミキさんのローケーキとゆかさんのビーガン・マックアンドチーズ。

写真取り損ねたけれど、ジュゴン折り紙教室もあった。
わかこさんが「みんなのジュゴンでモザイクアート」を展開中。https://www.facebook.com/events/547673378934367/?notif_t=plan_user_invited¬if_id=1516540515091613

なぜか、途中でマッサージ大会も。
もりだくさんというか、好き勝手というか、いえーい、うれしい日になりました。

エレノアさん、今回は人の写真も載せますからね~。

それにつけても、チョービンさん、わーい!!


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ということで、では写真をば。



富美子さん作、食べるのがもったいないゲージュツの巻き寿司。


のんちゃん作、激ウマのラフティ。


わかちゃん作、伝統レシピのスペアリブ。


手作り餃子。

 
あっこちゃん作、レンコンのきんぴら。


インドカレー各種。


ビーガンのユカさんのためにと、ミキちゃんが作ったナッツ各種、バナナ、アボガド、フルーツの生ケーキ。


ユカさん作、ビーガンマカロニ&チーズ。


塩昆布と小豆を混ぜて炊いた玄米&もち米のお赤飯は、炊飯器から直接ついで食べてもらった。

パクパク食べていっぱいおしゃべりして。


感謝の人、日本山妙法寺の池田上人と、やっと初めてゆっくり話すことができた。













みんなのお腹が満たされた頃、サブロー師匠の三線に乗って、秀子さんが急遽、お祝いの踊りを踊ってくれることになった。






お祝いの相手はもちろん、沖縄の南城市での市長選で、激戦の末当選した長敏さん。
長敏さんは、「オール沖縄」勢が推した新人で、自民、公明、維新が推した現職の古謝景春氏の四選を阻んだ。
この結果の意味は大きい。
辺野古新基地建設問題で苦しみながら戦い続けている名護市の、2月に行われる市長選に、大きな影響を与えることになる。

三線教室!


マッサージ大会!


ジュゴンの折り紙作り!




その横では、沖縄の米軍基地反対を訴えてきた山城さん、稲葉さん、添田さんが、3月14日の判決で無罪を勝ち取ることができるよう、日本国外からハガキを送る準備に励む。


いやもう、ほんとに盛りだくさんで好き勝手!
それもこれもひとえに、場を提供してくれる富美子さんとエレノアさんの、懐の大きさと愛情の深さのおかげだと思う。

楽しく嬉しい時間をありがとう!
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リハーサルとコンサートとこんにちは赤ちゃんと

2018年01月23日 | 友達とわたし
先週末も、またまた忙しかった。

土曜日は、朝から三つの場所で、それぞれ違うことをした。
残念ながら、ウィメンズマーチには参加できなかった。
でも、わたしにとってとても大切な音楽や友だちと、時間を一緒に過ごした日だった。


まず、朝10時半からの合わせ練習に行くために、9時50分のマンハッタン行きのバスに乗った。
ウィメンズマーチに参加するために同じバスに乗って来た歩美ちゃんと、並んで座ることができた。
「Women's March」の象徴になった、ピンク色のpussyhat(猫耳ニット帽子) を被った女性たちが、どんどんと乗り込んでくる。
高速道路に入ってすぐに、席でも通路でも、それぞれに思考を凝らしたプラカードを持った人たちでギュウギュウのままだったバスが、
何のアナウンスも無いまま脇道に止まり、通路に立って居た女性たちだけを降ろした。
運転手からの話も無く、首を傾げながらも、ただただ前に続いて降りて行く人たち。
だけど、一番後ろに居た女性は降りたくなかったみたいで、前の出入り口まで進んだものの、なかなか降りようとしなかった。
席に座っている乗客は、一体何が起こったのかとキョロキョロ。
まあ多分、臨時のバスか、近くを走っていた空いているバスに、立っていた乗客を移したのだろう。
でも、一言ぐらいなんか言ってくれてもいいのにな…。

とにかく、そんなこんなでバスはすっかり遅れ、マンハッタンに到着したのが10時40分。ひぇ〜!!
しかも携帯電話を家に置いてきてしまったので、歩美ちゃんの携帯を借りて夫に電話して、夫からエリオットに遅れる旨を伝えてもらった。

歩美ちゃんはウィメンズマーチへ、わたしはリハーサルへ。

二日酔いのエリオットは、エンジンがかかるまでに少し時間がかかったけれど、細かい部分の解釈の仕方や感じ方を話し合い、また少し良くなったと思う。
もっともっと練習するぞ〜!


そして、昼1時からのACMAメンバーによるコンサートを聞きに、カーネギーホールに向かう。


ついつい練習に夢中になって、着くのがギリギリのギリギリになってしまった。
去年の春のオーディションで選ばれた、16曲のうちの9曲が、この日のプログラム。
先日のドレスリハーサルでは、みんなすごくいい演奏ができていた。
演奏者なら誰もが忌み嫌う、魔のコンサートホールだったにもかかわらず…。
だからきっと、一番小規模とはいえカーネギーはカーネギー。
素晴らしい音響とピアノは、みんなの演奏をさらに良いものにしてくれるだろう…と思っていた。


いやもう、みんな気持ち良さそうに、もちろん緊張もしながら、すごくいい演奏を聞かせてくれた。


これは二部の人たち。


次はいよいよわたしたちの番だ。
頑張るぞ!


コンサートの後すぐに、マンハッタンから車で50分ほどの所にある、かおりちゃん&ジョージの家に向かった。
3ヶ月前に生まれた杏ちゃんに逢いに♪
よほどおかあさんのお腹の中の居心地が良かったのか、予定日が過ぎても一向に出てこようとしない杏ちゃんを、夫とわたしとで説得に行ったのが、今から3ヶ月前の今頃だった。
かおりちゃんを後ろから抱くようにして、お腹の中の赤ちゃんと話をした。
まだもうちょっと居たい。ここがいい。でも元気だよ。とても気持ちがいいよ。
杏ちゃんからのメッセージをもらって、夫もわたしも安心した。

杏ちゃんは、ハロウィーンの日に、元気な産声を上げた。
まん丸の大きな瞳と、青味がかった透き通るような白目が、とってもきれいな女の子。
お腹の中で、こんなスタイリッシュな髪型まで決めて。


夫はもうメロメロで、まるで孫をあやす爺ちゃんのよう。


鉄の湯沸かし釜とル・クルーゼの小鍋。いいなあ…。


グルテンフリーの我々のために、小麦粉を使っていないチョコレートケーキを買ってきてくれた。
ほどよい甘みと温かさが、チョコレートの中にしっとり溶け込んでいる。あ〜美味しい!


お兄ちゃんの海くんは風邪をひいてしまってたので、また今度、彼のお兄ちゃんっぷりを見させてもらおう。

かおりちゃんとジョージとは、気が合うというか波が合うというか、ついつい話し込んじゃっていつも長居してしまう。
赤ん坊の世話で大変な時なのに、ごめんね、遅くまで。


夜遅くに家に着いた。
もう何もしたくないほどに疲れてたけど、ずっと楽しみにしてたポットラック新年会に持って行く”なんちゃってお赤飯”の準備だけはしないと。
って…ただ小豆のアク抜きをするだけなんだけども…。
後は炊飯器さんにおまかせ。
おやすみなさ〜い。
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お味噌とジュゴン

2018年01月14日 | 友達とわたし
久しぶりに、友だちと一緒に、我が家でお味噌作りをした。
今回はちょっと、ホスト役として、新しい方法を試してみた。

ニューヨーク組のわかちゃんとみきちゃんは、大豆を水に浸けたものなんて重くて持ってこられない。
どうせ全員分の大豆をこちらで調達するんだから、それじゃあわたしが大豆の下準備をしてしまえばいいんじゃないかということで、

一人1.5パウンドの大豆だから、合計6パウンドのオーガニック大豆を買って、それを水が透明になるまでよく洗い、18時間以上水に浸けるということなので念のために24時間浸け、水を入れ替えて早朝から煮始めた。


うまくいってくれよぉ〜大豆さぁ〜ん!

いつもは圧力鍋で煮ていたので、こんなにアクが出てくるとは知らなかった。


四つの鍋のフタを開けてはすくい、またすくい、寒かった台所がじわじわと暖まってくる。


お昼過ぎにみんなが到着。
ちょうどいい具合に、大豆が煮上がった。
柔らかく煮上がるかどうか、実はずっと心配してたので、ホォ〜ッと一安心。

煮汁がもう美味いのなんのって!


塩切りをした玄米麹。


まぜまぜタイム!









わかちゃんが、韓国餅菓子にぞっこん惚れてるわたしのために、わざわざ朝から買いに出かけて持ってきてくれた!


みきちゃんがお土産に持ってきてくれた、めちゃウマチャーシュー!


これはみきちゃん手作りの黒にんにく!こんなのが作れるなんてすごい!


歩美ちゃんが持ってきてくれたお餅を焼いて、美味いもん尽くしをいただく。いや〜、労働の後のメシはうめぇ〜!



女子会のおしゃべりの話題は尽きない。
なんだかんだと楽しくしゃべりながらジュゴンの折り紙を折ってたら、あっと言う前にたくさん折れた。


どうしようもない協定や条約をそのまま野放しにして、イマだけカネだけジブンだけの連中が、沖縄の美しい自然を破壊し続けている。
そのために、そこにだけしかないエサが食べられなくなったジュゴンは、絶滅の危機に晒されている。

沖縄を大切にしないことは、自分を大切にしないことだ。
沖縄を無視することは、自分を無視することだ。
沖縄とわたしたちは、一人一人、とても強くつながっているのに、そのことに気づかない、気づこうとしない、気づいているけど気づかないふりをしていると、
気づいた時、気づこうとした時、気づかないふりをやめた時に、もう手遅れになっている。

自分を大切にすることは、沖縄を大切にすること。
自分を無視しないことは、沖縄を無視しないこと。

手作りのお味噌は美味しいだけじゃない。
体を中から強くしてくれる。

また、通い合える心を持つ友だちと一緒に、お味噌を作りたいな。
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愛の人ルエル

2017年10月24日 | 友達とわたし


土曜日の朝、急遽カナダに飛んで、ルエルに会いに行った。

ルエルはその二日前の木曜日に、家の中で転倒したまま起き上がることができなくなったが、最愛の妻イライザと家族の大奮闘が実を結び、ユダヤ系のホスピスに入院した。
その知らせを聞いて、すぐにでも駆けつけたかったのだけど、週明けの月曜日の夜には、義父の長年における芸術振興への支援活動が認められ、その功績に対する受賞を祝う会が控えていた。
わたしたち家族は、ただ祝いに行けばいいだけなのだけど、全米から選ばれた5人とあって、錚々たるメンバーや客がやって来る。
だからタキシードだのドレスだの、わたしたちの日常には全く関係のないものが必要となってしまい、慣れないことに右往左往していた。

そんなこともあってぐずぐずと考えあぐねているうちに、あっという間に金曜日が過ぎて、土曜日の午後になってしまった。
夫は何も言ってこない。
どうしたいんだろう?どうしようと思っているんだろう?
それとも今は考えたく無いのだろうか、それとも今週末は無理だと思っているんだろうか。
それを見極めようと様子を見ていたが、さっぱりわからない。
とうとうたまらなくなって声をかけてみた。

「なあ、もう今日は無理やけど、明日の朝、わたしはカナダに行こうと思う。どうせ行くなら、お葬式より会いに行きたい。どう思う?」

夫は最初、キョトンとした顔でわたしを見ていたけれど、みるみるうちに心が瞳に戻ってきた。
それを見てすぐに、ああ、この人は思考停止になってたんだ、とわかった。

それからバタバタと飛行機のチケットを買い、ホテルの予約をして(夫はその間何度も、パソコンに向かって罵声を浴びせていた)、混乱しているイライザの代わりに連絡係になってくれたルエルの弟ロビンにそのことを伝えた。

ルエルとイライザに会いに、これまで何度もカナダに行ったけど、いつも車だったので飛行機に乗るのはこれが初めて。
こんなにちっちゃいんだ…と、乗り込む時にかなりビビった。

一列だけの、前から2番目のわたしの席からは、コックピットがすぐそこ…。


風力発電があちこちに見られた。


別の飛行機が作った筋雲。


モントリオール近辺は、紅葉と畑がとてもきれいだった。










ルエルの父親のテリーが、空港まで迎えに来てくれるのを待っていたら、面白い車が目の前に現れた。
ゾウさんみたいな掃除機車?!



ルエルは、入院してからずっと、こんこんと眠っていた。
病室に入ると、ルエルとイライザの寝室にあった、真っ赤な掛け布団が真っ先に目に入った。
眠っていても声は聞こえる。
イライザに続いて夫が呼びかけると、ルエルの両目がパッと開いた。
イライザの声を聞いて、ニッと笑う彼に、みんながああよかったと、喜びと安堵が混じった息をはぁーっと吐いた。

喉の奥に居座った痰が気になるのか、何度も何度も咳出そうとするのだけれど、うまく行かない。
だからといって飲み物をゴクリと飲むと、体力が相当に弱ってしまっているので、気管に入って肺炎を起こす可能性が大きい。
イライザは、痰を薄める薬を溶いた水を、ほんの少しずつスプーンで与えてはキス、また与えてはキス。
彼らは知り合ってからこれまでずっと、ずっとずっと、本当に愛し合ってきた。
こんなに深く、強く、愛し合っている夫婦を、わたしは他に知らない。

3日ぶりに意識がはっきりしてきたので、食事を勧めてみると、食べたいという意思表示。
よし!とばかりに、イライザがせっせと口に運ぶ。
それを見守るルエルの両親のテリーとリンダ、弟夫婦のロビンとステファニー、そしてわたしたち。
病室の中がパッと明るくなった。
やっぱりここでもイライザのキスの嵐。
あーんと口を開いているのに、食べ物じゃなくてキスだったりすると、顔をしかめるルエル。
いいぞいいぞー!その食欲!

夫は、痰を切るツボと、食べたものをうまくこなせるツボを、イライザに伝えた。
イライザはそれを手帳に書き込む。
わたしも手のひらマッサージをする。

ちっちゃい頃からずっと、夏休みになると湖畔の家に集まり、家族ぐるみで過ごしてきたルエルと夫には、二人だけの秘密や思い出がいっぱいある。
だから夫は、言葉はとても少ないけれど、みんなが気がつかないでいるルエルが欲しいものを、さらっと口に出す。

「この部屋には、ルエルの大好きな音楽が無いね」

病室は相部屋なので、大きな音を出すことはできない。
だから、携帯電話でルエルの好きなアーティストの音楽を選び、それをイヤフォンで聞かせた。
すると、彼の頬がふわりと緩み、体全体がリラックスしたように見えた。

その後、何度も体をひねって横向きになろうとするので、体の向きを変えたいのかと思い、あれこれみんなで手を貸していると、
どうやら座りたいのだなということがわかり、ベッドの高さを調整したり、ずり落ちていた体をよっこらしょと上げたりして、やっと座ることができた。
ふう〜よかったよかった、気持ちいい?などと聞いているそばから、今度は足をベッドの縁に持っていこうとする。
え?なに?

夫がまた、そんなルエルを見て、ポツンと言った。

「立ちたいのか」

小さく頷くルエル。
週末で医者がおらず、看護師も少ない。
そんな時に、わたしたちだけでそんなことをさせていいのか?
みんなが戸惑っていたのだけど、立ちたい!という気持ちを全身で伝えている彼を無視して、再度寝かしつけたい者は一人もいなかった。
よし、やるぞ。
尿管の尿が逆流しないように、尿袋をあちこちに移動させながら、彼のやせ細ってしまった両足をベッドの縁に降ろし、両脇をロビンと夫とで支えながら、なんとか彼を立たせてあげることができた。
彼の両足はブルブルと震えていたけれど、そのあとベッドに戻ったルエルの顔には、大きな仕事をやり終えた人のような、なんとも満足そうな表情が浮かんでいた。


ホスピスの中庭には大きな池があり、立派な鯉が何匹も優雅に泳いでいた。
今頃のカナダはとっくに寒々しい天候になっているはずなのに、気温はなんと20℃?!
なので数人の患者さんたちが、本を読んだり瞑想したり、陽だまりの中で思い思いに過ごしていた。
テリーとリンダ、ロビンとステファニー、そしてわたしたちの6人は、お互いの近況を尋ねたり、趣味の話をしたりした。
最愛の息子、そして兄を喪おうとしている人たち。
けれども、その悲しみに埋もれて自分自身を失うべきではない。
みんなそれぞれの方法で、このとても辛い現実に向き合っていた。
そんな彼らの気持ちを思うと、わたしはただただ、強く抱きしめるだけしかできない自分が歯がゆくて仕方がなかった。

イライザは、わたしと二人きりになるとすぐに、おいおいと泣き出した。
家族の前では涙を見せず、ルエルには笑顔しか見せたくないとばかりに、ずっとずっと微笑みかけている彼女は、
だから本当は、大声を出して、地団駄を踏んで、この世に馬鹿野郎!と叫んで、号泣したいのだ。
その気持ちが腹の底からわかるわたしは、彼女にその機会をなるだけたくさん与えたかった。
全身を震わせて泣く彼女を抱き、肩や背中や頭を撫でて、ルエルにとって彼女がどんなに素晴らしい存在なのかを、
そして、ルエルはもうすぐ死んでしまうけれど、こんなに愛されて、痛みに苦しむこともないまま逝けるのは、彼にとっては不幸中の幸いだと、何度も何度も繰り返して話した。
彼女は愛そのものなのだ。
それも、とてつもなく大きな愛だ。
だから何もしなくてもいい。ただただ側にいてあげるだけでいい。
ルエルの人生に彼女が現れたことは、ルエルにとって人生最高の出来事だったのだから。


そのことはこの夏に、彼本人から、この公園のハンモック吊りの前で聞いた。


彼は同時に、混濁する記憶と闘いながら、こんなことを独り言のように呟いていた。
「僕は死ぬんだろうか。
いつ死ぬんだろうか。
イライザは死ぬんだろうか。
イライザは、僕が見送ってやりたい。
両親も、僕が見送ってやりたい。
僕は何歳まで生きられるんだろうか。
60歳、いや、70歳かな」

くそったれの腫瘍が、彼の脳を食い荒らしていても尚、自分は見守る立場にいたいと願うルエルの優しい心が、わたしたちを包む夕闇の中に溶けていった。



去年の夏は、いつもの湖畔に一緒に行った。
レストランで急に倒れ、ドクターヘリで搬送され、病院をいくつか変えた後に大きな手術を受け、そんなこんなのカオスがやっと落ち着いた頃だった。

カヌーに乗りたいと言い出したルエル。大丈夫かなと心配しつつ、明るく「もちろん!」と答えるイライザ。








そしてなんとこの日、ルエルは泳いだのだった!


一緒に、こんなふうに、毎年夏になるとここで過ごしてきたわたしたち。




来年の夏もここに来られたらいいね。
そう言ってたけど、今年の夏はやはり、湖畔まで行くのは難しくなり、モントリオールの彼らのアパートメントで過ごした。

音楽好きの二人。


いろんなところに散歩に出かけた。




足元がおぼつかない彼は、ついつい遅れをとるのだけど、いつだってこんなふうに、それより遅れて来るわたしのことを心配して、振り向いてくれるのだった。


ちょっとかしこまって。


キス魔イライザ。


彼女はもう、ルエルのことが愛おしくて愛おしくて、その気持ちが溢れ出てしまうのだ。




滞在中もせっせと折って仕上げた千羽鶴に、ルエルが苦しむことなく、この世での生を終えられますようにと祈りを込めた。



ルエルは、今日の1時に、この世を卒業した。
わたしはなぜか、その時間に、ルエルにさよならを言った。
カナダからとんぼ返りをして、義父の祝賀会に駆けつけ、帰りが夜中になり、心身共にクタクタだったのに、その時間まで起きていなければならない気がした。

ルエルは、眠りながら逝った。
イライザからのメッセージにそう書いてあった。

ありがとうねルエル。
わたしたちが行くまで待っていてくれて、わたしたちが来たことをちゃんとわかってくれて、わたしたちが後悔しないように、寂しい思いをしないようにしてくれた。
目を開いて、わたしたちを見て、ちょっぴり微笑んでくれた。
夫の声を聞いて、コクリと頷いてくれた。
口を何回も開いて、食べ物を食べるところを見せてくれた。
座りたい、立ちたい気持ちをわたしたちに訴えて、実際に座ったり立ったりして見せてくれた。
すごく嬉しかった。
とても興奮した。

最期の最期まで、ルエルだったね。
体はもうおしまいになったけど、ルエルの魂は今や自由の身になったから、あちこち飛び回れるね。
ルエル、これからもずっと愛してる。
言うだけ無駄だけど、イライザのこと、見守ってあげてね。
わたしたちも頑張るからね。
またいつか会おうね。
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