ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

いつからだって変われる!きっぱり決めたその瞬間からもう変わり始めてる!

2015年12月19日 | ひとりごと
時差ボケにもめげず、昼ボケにもめげず、夕飯後の猛烈な睡魔にもめげず、
とりあえず…どころかいつもよりも増して健康的な食事作りに励み、なんとか健康を保ちつつ、丸2ヶ月に及ぶギュウギュウスケジュールをこなし、
昨日やっと、無事に、合唱曲全曲の伴奏を担当したコンサートが終了した。
あ、でも、正確には丸2ヶ月のうちの2週間は、日本でタラタラ休ませてもらってたんだった。
だからいよいよ最終段階にきて、練習の成果があまり良くなかったりした日にゃあ、「なんせ、まうみが2週間も来なかったからな~」などと、散々嫌味を言われたりもした。
言わせてもらえるならば、その時は感謝祭の祭日週間で、学校だって1週間近く休みになってたはずなので、正しくは1週間弱なんだけども。
まあいいや、終わった終わった。

昨日まで、気味が悪いほどに暖かかった気温が、今日はガタンと下がって5℃。
夜には久々の零下になるらしい。

そうなると、ちょっとこの方々には辛いことになるだろうから、家の中に入ってもらうことにした。



日本に到着したその夜、あさちゃんの新しいこだわりに対する情熱と実行力にすっかり感化されて始まった新しい食生活は、
こちらに戻ってからも順調に続いている。



もともと夫がグルテンを断っていたので、アルコールやカフェイン、それから甘いものを断つよりは簡単だった。



でも…このわたしが、あれほど好きだったパンやチョコを食べなくなっただなんて、わたし自身が信じられないでいる。
朝も早よから起きて(長続きしている時差ボケのせいでもあるが…)、野菜を刻み、味噌汁を作ってるだなんて…。
楽しみだった一杯のコーヒーが飲めなくなったのが、味噌汁のおかげで気にならなくなった。
それにしても、麦というのは、至る所にこっそり忍び込んでいる。
加工食品のほぼ全部に、砂糖と麦が加えられている。
しょう油もよく見ると麦が入っている。
でも、日本食が流行っているおかげで、いつも行く店で、『TAMARI』と書かれたしょう油が買える。
ありがたやありがたや。
そんなだから、もともとたまにしか行かない買い出しに行っても、今まで買おうかどうしようかなどと悩みながら立ち止まっていた所をきっぱりと素通りするので、買い物にかかる時間が短くなった。
加工食品とパン、そしてお菓子類は、欲しいと思っても買えないのだから見ない方がいい。



オーガニックの野菜は値段が高めなので、ちょうど二人分だけの量を買って、それをさっさと調理する。
甘いものが恋しくなったら、サツマイモやビーツ、それからカボチャなどを、ひとつまみのお塩を加えて煮て食べる。
玄米だって、よく噛んでいるうちに甘みがじわじわと出てくる。

これは夫が作ってくれたカレーチキン。


食材のどれもこれもが大切で、これまでよりももっと、ありがたいと思うようになった。

そんな折、昨日のコンサートが無事に終わったお祝いにと、夫が久しぶりにタイ料理をテイクアウトしてくれたので、ワイワイと食べたところ、

甘い!!甘すぎる!!

舌はもちろんのこと、通り過ぎていく食道や胃が、ざわざわと混乱しているのがすごく感じられてびっくり!
たった2ヶ月とちょっとの砂糖断ちなのに、この変わりようったら…。
自分の内臓さんたちに、ごめんね、ごめんねと謝りながら、白湯をたくさん飲んでみたのだけども、それでもなかなか去ってくれない不快感…。
夫に漢方と皮内鍼を処方してもらい、なんとか治まったものの、いやあほんとに驚いた。

もうすぐやってくるクリスマス・イヴ。
今年のホストハウスは夫の姉の家なので、みんなでペンシルバニアまで出かけることになっている。
まずはみんな揃ってイブ・ディナーを食べ、そのまま一泊し、翌日の朝からプレゼントの渡しっこ会をした後にクリスマス・ディナーをいただく。
幸いにして、夫の母と夫がグルテンフリーを長くやっているので、デザートのパイや料理の中にグルテンフリーのものがある。
あとは、3人のヴェジタリアンと、ピーナッツと大豆アレルギーと、貝類とツナとイチゴアレルギーと、穀物断ちダイエット中の人が一人ずついる。
なかなかに複雑で作る方の人にとっては面倒だけども、とりあえずもう慣れた。

明日、西海岸から、どちらも大学生の甥っ子と姪っ子が、そして明後日はそのふたりの父である夫の弟が、我が家にやって来る。
それからイヴの日までここで過ごす。
大人ばかりの総勢7人。
今日はだから3人分のベッド作りをした。
普段使っていない3階の、部屋のラジエーターの調整は夫の仕事。
なんだかちっちゃなペンションのオーナーになったような気分。
イヴには長男くんも合流しにやってくる。
にぎやかになるぞー(疲れるけど…)。
空よ海よ、覚悟はいいか?

日本時間21日午後10時。全世界同時スタート!世界中どこでも、その時あなたがいる場所で歌おう!

2015年12月14日 | 世界とわたし
ジョン・レノンが、マイケル・ジャクソンが、世界に向けて訴えたメッセージは、争いの無い世の中にするための、わたしたちひとりひとりの強い思いと行動でした。

「戦争の無い世の中を強く望めば、いつか必ず叶う日が来る。
今はとても少ないかもしれない。
ひとりぼっちかもしれない。
でも、世界のどこかで、同じ願いを持つ人が、その願いを叶えたいという気持ちを表している人が、必ずいるからね。
あなたはひとりぼっちじゃない。
世界中の人々がそう願えば、願いを行動に移せば、
世界はきっと変わる。

もう知らんぷりをしている時ではないんだ。
負けたりしないと信ずることが大切なんだ。
変化は必ず起こると確信しよう。
僕らがひとつになって立ちあがればいいんだ」


わたしは、この歌を歌うと必ず、胸の奥からジーンとしてきます。
そして、勇気をもらったような気持ちになります。
また頑張ろう。
信じることに自信を持とう。
そんな気持ちがみるみる膨らんできます。



"Happy Xmas (War Is Over)"



Merry Xmas Kyoko, Merry Xmas Julian

So, this is Christmas
And what have you done?
Another year over
And a new one just begun

And so this is Christmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Lets hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The road is so long

And so happy Christmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

And so this is Christmas
And what have we done
Another year over
And a new one just begun

And so happy Christmas
We hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear

War is over
If you want it
War is over
Now



Songwriters
Yoko Ono;John Lennon

Published by
ONO MUSIC;LENONO MUSIC

メリークリスマス、キョウコ、メリークリスマス、ジュリアン
(キョウコは、オノヨーコと前夫アンソニー・コックスとの間に生まれた娘。ジュリアンは、ジョン・レノンと前妻シンシア・レノンとの間に生まれた息子です)

クリスマスがやってきたね
今年はどんなことをしたんだい
今年ももう終わりだ

新しい年が始まるんだ
クリスマスがやってきたよ
きみが楽しんでるといいな

近しい人も大切な人も
お年寄りも若者も

メリー・クリスマス
そして新年おめでとう
いい年になるよう祈ろうよ
恐怖のない世の中であるように

クリスマスがやってきたね(争いは終わるよ)
弱き人にも強き人にも(それを望みさえすればね)
富める人にも貧しき人にも(争いは終わるよ)

世界はひどい過ちを犯しているけど(それを望みさえすれば)

ハッピー・クリスマス(争いは終わるよ)
黒人にも白人にも(君たちが望めば)
アジア系にもヒスパニック系にも(争いは終わる)
全ての争いをやめようじゃないか(いま)

クリスマスがやってきたね(争いは終わりだ)
僕たちはどんなことをしたんだろう(君たちが望めば)
今年ももう終わり(争いは終わりだ)

新しい年が始まるんだ(君たちが望めば)
ハッピー・クリスマス(争いは終わりだ)
きみが楽しんでるといいな(君たちが望めば)
近しい人も大切な人も(争いは終わりだ)

お年寄りも若者も(いま)
争いは終わる、きみが望めば
争いはいま終わるんだ
ハッピー・クリスマス





"We're The World (USA For Africa)"

There comes a time when we heed a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
And it's time to lend a hand to life
The greatest gift of all

We can't go on pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change
We all are a part of God's great big family
And the truth, you know,
Love is all we need

[Chorus:]

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me

Send them your heart so they'll know that someone cares
And their lives will be stronger and free
As God has shown us by turning stone to bread
So we all must lend a helping hand

[Chorus]

When you're down and out, there seems no hope at all
But if you just believe there's no way we can fall
Well...well...well
Let's realize that a change can only come
When we stand together as one

[Chorus]



今こそあの声に耳を傾けるんだ
今こそ世界が一丸となる時だ
人々が死んでゆく
いのちのために手を貸す時がきたんだ
それはあらゆるものの中で最大の贈り物

これ以上知らん振りを続けるわけにはいかない
誰かが、どこかで変化を起こさなければ
僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員なんだ
本当さ すべての人に必要なのは愛なんだ

僕らは仲間  僕らは神の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ今こそ始めよう
選ぶのは君だ
それは自らのいのちを救うことなんだ
本当さ、住みよい世界を作るのさ
君と僕で

心が届けば支えになってあげられる
そうすれば彼らも力強さと自由を手に入れるだろう
神が石をパンに変えて示してくれたように
僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだ

僕らは仲間  僕らは神の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ今こそ始めよう
選ぶのは君だ
それは自らのいのちを救うことなんだ
本当さ、住みよい世界を作るのさ
君と僕で

見放されてしまったら、何の希望もなくなるものさ
負けたりしないと信ずることが大切なんだ
変化は必ず起こると確信しよう
僕らがひとつになって立ちあがればいいんだ

僕らは仲間  僕らは神の子供たち
明るい明日を作るのは僕らの仕事
さあ今こそ始めよう
選ぶのは君だ
それは自らのいのちを救うことなんだ
本当さ、住みよい世界を作るのさ
君と僕で


このふたつの歌を、全世界の人たちと一緒に歌いましょう!
というイベントのお知らせです。



今月の21日、日本時間の午後10時、全世界同時スタートです!

歌で平和を作る。
ジョン・レノンもマイケル・ジャクソンも、強くそのことを願っていました。
その志を、その願いを、その祈りを、わたしたちが受け継いで、未来の子どもたちに渡さなければなりません。

開催日時:
2015年12月21日 日本時間22:00(グリニッジ標準時13:00)

参加方法:
「ありがとう」という気持ちで、下記の歌2曲を歌ってください。
全世界で同時にスタートするため、時間ピッタリに開始します!
*1曲目 22:00~「Happy Xmas (War is Over)」ジョン・レノン
*2曲目 22:05~「We are the World」マイケル・ジャクソン&ライオネル・リッチー

歌う場所:
世界中のどこでもOK!
その時にあなたがいる場所で歌ってください。

「2013年の後半に、経産省や資源エネルギー庁や規制庁の人事が入れ替わって、本当にダメになってきた」

2015年12月13日 | 日本とわたし


わが国の原子力政策が大きな問題に直面している今、
政府は原子力政策を明確にし、原子力規制委員会の行き過ぎを正すべきです。

強い権限を持つ「3条機関」である規制委は11月、高速増殖炉「もんじゅ」の運営母体である日本原子力研究開発機構の能力を否定しました。
その上で、半年で別の機関を決定できなければ、もんじゅを根本的に見直せと政府に勧告しました。
 
しかし、高速増殖炉を扱える専門家集団は、研究開発機構以外にはありません。
勧告は、もんじゅの廃炉にとどまらず、高速増殖炉を中核とする原子力政策根本を考えることにつながります。
確かにもんじゅは国民の信頼を失っており、原子力施設の安全確保は当然としても、原子力政策の根本を独断で覆すこの勧告は問題点が多いのです。

政府は、我が国のエネルギー政策をどうするのか。核燃料サイクルを完成させ、2500年以上にわたるエネルギー供給を目指すという基本計画を続けるのかどうか。
この際、国民への明確な意思表示が必要です。
 
活断層問題に典型的に見られるように、規制委の審査には偏りがあり、科学技術的な根拠を十分に審査しているとは言えません。
政府は、民主党政権の置き土産ともいうべきこの規制委のあり方を、なぜ放置しているのでしょうか。




勧告が、もんじゅの廃炉と高速増殖炉を中核とする原子力政策の根本を考えることにつながる。
それのどこがいけないのですか?
いいじゃないですか。
というか、遅すぎるぐらいです。
今日本が完成しなければならないのは、核燃料サイクルではなく、グダグダに溶けてどこにどんな形であるのかもわからない事故原発の核燃料の後始末でしょうが!

さて、この櫻井氏が言う「高速増殖炉を扱える専門家集団『研究開発機構』」が、いかにダメダメ人間の集まりか、それを文字起こししてくださったものがあります。
きいこさんのブログから、その部分を転載させていただきます。

もんじゅ・日本原子力研究開発機構
「約束したことが実行できていない。長年染み付いた悪さ処を解消すべく…」

11/10おしどりマコさん講演・南相馬(文字起こし)

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4446.html

FFTV<おしどりマコさん講演>
深刻化する福島の子どもたちの甲状腺がん
(南相馬20ミリ撤回訴訟支援連続セミナー)
2015年11月10日


あと、もんじゅだけいいですか?

文字起こし部分のYoutube →https://youtu.be/-j-gbbxZuKY?t=1h31m17s

原子力規制庁をずっと取材していて、本当になんていうんでしょうね、「規制してないじゃん」みたいになっててダメなんですよね。
ダメだ、力が無くなっていくわ~みたいに。



もう、2013年の安倍政権、自民党が衆議院と参議院で第1党になってから、本当に雰囲気が変わって
東京電力も原子力規制庁も
で、原子力規制庁って民主政権の時にできたので、すごい目の敵にされていたんですよ。
だから「規制庁を潰すか人事を入れ替える」っていうことになって、
2013年の後半に、本当に、経産省とか資源エネルギー庁とか規制庁の人事が入れ替わって、本当に変わってからダメになってきたんだよね。

でも、なんかそれでも最近面白かったのがもんじゅの。
もんじゅが今「ダメだダメだ」ってね、なんか怒られてますけど、

11月2日にJAEA(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)の偉い人(理事長 児玉敏雄)を呼び出して、ちゃんとしろよっていう資料を出したんですけど。
それがひどすぎて面白かったですね。

(↓写真をクリックするとpdf が開きます)

https://www.nsr.go.jp/data/000128401.pdf

6枚目ぐらいのまとめを出してください。
「こういう理由でダメだったんです」というのが出てきたんですけど、
「潜在する根本的な課題と その対策」とか、いろいろ出してきたんですけど。



「約束したことが実行できていない」とか、
「同じようなミスを繰り返す」とか、
「指示待ち体質」とか、
「発電炉に対する経験不足」って、全然ダメなんじゃないか、っていう。

「わぁ~っ!よく〝もんじゅ〟の反省点にこれを出してきたな」っていう…。
なんか聞いてて、読み上げるのを聞いている時に、「えぇっ!」みたいな感じでしたよね。

「約束したとが実行できていない」って、そもそもダメな人間とかね。

ケン:
PDCA不調を訴えられたりとかね。
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PDCA(plan-do-check-act)
事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。
Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4 段階
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Plan(計画)Do(実行)Check(評価)Act(改善)のPDCAのサイクルが「CAを全くやっていない」と言ってましたね


その一番最後のまとめが、それもまたビックリするもので、



まとめとして、
長年染み付いた悪さ処を解消すべく」

すごいな、こんな文章初めて見た!!
これじゃあ、もんじゅ怒られるわ、っていう状況になっています。
これがJAEA(国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)が書いてきた資料で、すごい読んでいて面白かったので、ちょっとこれだけご紹介しました。

転載おわり


「約束したことが実行できていない」とか、
「同じようなミスを繰り返す」とか、
「指示待ち体質」とか、
「発電炉に対する経験不足」って…、

そんな悪さ処が長年住み着いた人間の集まりを、櫻井氏は、
「高速増殖炉を扱える専門家集団は、研究開発機構以外にはありません」と断言しているのです。
こんな無責任な態度と発言が、多額の金を使ったからといって、大手の新聞に意見広告としてデカデカと載せられているのですね。

この『公益財団法人・国家基本問題研究所』という団体に名を連ねている人の名前です。

理事長・櫻井よしこ
副理事長・田久保忠衛

荒木和博・石川弘修・石原慎太郎・伊藤隆・井上和彦・上田愛彦・梅澤昇平・大岩雄次郎・太田文雄・大原康男・小倉義人・加藤浩康・金田秀昭・川村純彦・北村稔・黒沢聖二
五島幸雄・斎藤禎・佐藤守・島田洋一・すぎやまこういち・高池勝彦・立林昭彦・塚本三郎・冨山泰・奈良林直・西修西岡力・花田紀凱・浜谷英博・火箱芳文
福田逸・渕辺美紀・古庄幸一・古田博司・堀義人・百地章・山田吉彦・屋山太郎・渡辺利夫
43名




さて、公益財団法人に、頑張れとハッパをかけられた政府。
11月29日の河北新聞に、このような記事が載せられていました。
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151129_21017.html

国がさらにバックアップ「核燃料サイクルは進める」林幹雄経済産業相
「核燃サイクル推進変わらず」経産相が工場視察

2015年11月29日 日曜日 河北新報
http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151129_21017.html
 
林幹雄経済産業相は28日、青森県六ケ所村を訪れ、原発から出る使用済み核燃料の再利用を目指す「核燃料サイクル」について、
「進めることに変わりはない」と述べ、推進の考えを強調した。
日本原燃の使用済み核燃料再処理工場などを視察後、記者団に答えた。
 
核燃料サイクルをめぐっては、原子力規制委員会が、高速増殖炉「もんじゅ」の運営主体見直しを、文部科学省に勧告。
六ケ所村の再処理工場は、完工延期が繰り返されている。
林氏は、こうした動きを、「管理体制の指摘や新規制基準対応のため」とし、サイクル政策の方向性への影響を否定した。
 
再処理事業の主体となる認可法人の新設など、経産省が進める体制見直しについては、
(事業の委託先となる)原燃を国がさらにバックアップするため」と説明。
政府の関与が強まることで、原燃の地域振興策が後退しないかとの懸念には、「そういうことがないようにする」と話した。
 
林氏は、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料工場の建設現場、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターなども視察した。


さて、この林氏はどんな人なのでしょう。

林幹雄経済産業相


(はやし もとお、1947年1月3日 - )
日本の政治家。
自由民主党所属の衆議院議員(8期)、経済産業大臣(第21代)・内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)

政策・主張
・日本国憲法の改正に賛成
・集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成
日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている。
・女性宮家の創設に反対。
・日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に反対
・原子力規制委員会の新基準を満たした原子力発電所の再稼働に賛成
選択的夫婦別姓制度の導入に反対

政治資金
・道路特定財源が資金源であり、道路特定財源の一般財源化に反対している道路運送経営研究会から献金を受けていた。
・林が代表を務める「自民党千葉県第10選挙区支部」が西松建設のダミーの政治団体「新政治問題研究会」「未来産業研究会」から、計100万円の献金を受けていた。
・林への献金について、作家の宮崎学が西松建設元社長の国沢幹雄を政治資金規正法違反容疑で東京地検に告発したが、国沢に対しては起訴猶予処分(不起訴)が下った。
・1998年から2000年までの3年間、鈴木宗男が代表を務める自由民主党北海道第13選挙区支部、及び鈴木の資金管理団体である「21世紀政策研究会」から、150万円の献金を受け取っていた。



この研究会、今までにもずっと、意見広告をガンガン出していました。(きいこさんからお借りしました)

2015.08.09 (日) 安保法制が「戦争法案」ですって?


2014.09.21 (日) 「慰安婦」国際中傷を跳ね返せ


2014.07.19 (土)「河野談話」の検証はまだ終わっていません


2014.01.29 (水) あなたは原発問題だけで都知事を選びますか


2013.05.09 (木) 内政干渉を押し返す気構えが国民の一人ひとりに求められています


2012.12.13 (木) 平和に責任を持とう 今こそ改憲と国防軍の創設を



2013年、自民党が衆議院と参議院で第1党になってから特に、本当に雰囲気が変わってしまった、
特に、この年の後半に、経産省、資源エネルギー庁、そして規制庁の人事が入れ替わり、その後本当にダメになってきたと言うマコさん。
この櫻井氏は『任意団体・日本会議』(日本国憲法は押し付けられたものであり、戦前の日本は素晴らしく、八紘一宇を良きものとする思想を共有する)の代表であり、『公益法人・国家基本問題研究所』の理事長でもあります。
端的に言うと、極右団体『日本会議』のフロント団体としての役割を担うグループの理事長。
この国家基本問題研究所という団体は、政策レベルのシンクタンクや、「集金装置」組織として、政界に非常に強い影響力を持っています。
さらに、『日本青年会議所』という団体は、経済界との太いバイプの役割を担っており、これらの団体に属する者たちは、社会のありとあらゆるところに根を張り、力を伸ばしています。

その毛細血管のような根を断ち切ることができるのは、ありとあらゆるところに居て、だからこそ細かい部分にも目が届くというのが得意な市民です。
異様な社会に変貌しつつある日本を、変わり果ててしまう前に食い止め、未来を担う若者や子どもたちにバトンを渡す時、謝らなくてもよい社会にできるのもまた、わたしたち市民だと思います。

フクシマの原発事故は終わってない。放射能廃棄物まみれの現実を見て見ぬふりをし、原発を売ってる場合か!

2015年12月13日 | 日本とわたし
今までになく復活(?)に時間がかかってしまいました。
これは新記録かもしれません。
いろんな思いが交錯しました。
たくさんのことを自分に問いました。

物理的には、今もまだ、来週の金曜日に迫ったコンサートの曲の練習とリハーサルが、普段の仕事が始まるギリギリまであって、落ちついてパソコンの前に座る時間がありません。
毎日伝えられてくる山のような情報の中から、気になるもの、知っておくべきものを選ぶ時間もとても短く、端折って読んではメモに残すのですが、それをまとめる時間がありません。
そこに加え、なんとも頑固でしつこい時差ボケ…。
日中はかなり普通に起きていられるようになりましたが、夕飯を食べている最中からじわじわと、いやーな眠気菌が頭蓋骨の内側に広がってきて、気がつくとテーブルに突っ伏していたり、ソファに寝転んでたり…。
夫は起こし係として毎晩奮闘してくれているのですが…それにしてもこの12日間という長さが、本人のわたしでさえ信じられません。

などと、愚痴っている暇があったら何か書くべきですね。

さっそくですが昨日の、まるで春か?と思えるような土曜日の、サンタクロース姿の人々でにぎわうマンハッタンで、
我が友歩美ちゃんをはじめ、十数人のみなさんが、デモを行いました。

NYで日印原発協定に抗議
「事故終わってない」

【ニューヨーク共同】2015年12月13日
http://this.kiji.is/48569775437497848?c=39546741839462401


12日、ニューヨークのマンハッタンで、日本とインドの原子力協定に反対してプラカードを掲げてデモをする人たち(共同)
 
「フクシマの原発事故は終わってない。インドに原発を売っている場合か」

日本とインドが、原子力協定の締結に原則合意したことを受け、
米ニューヨーク・マンハッタン中心部の大通りで12日、協定に反対する在留邦人ら十数人が、東京電力福島第1原発事故に触れながらデモを行った。

参加者は、「日印原子力協定やめろ」と書かれたプラカードを掲げたり、太鼓をたたいたりして、抗議の声を上げた。

ニュージャージー州の会社員(46)は、
「核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドに、核兵器に転用される恐れのあるものを、日本が輸出するのは許されない」と強調した。

転載おわり

ちなみに、記事の写真の一番右に、赤い花をつけた歩美ちゃんが写っています。


原発を売ってる場合か!という怒りの言葉をつぶやいているうちに、先日見たある写真を思い出しました。
その写真は、今から1年と2ヶ月も前に書かれた記事の中のものです。
つい最近再掲されたのを偶然見つけ、相当ボヤけた頭で読んでいたのですが、ここにどうしても載せたいと思い、パソコンの画面上に残しておいたのでした。
続いて転載させていただきます。

【これは酷い】
放射能汚染された除去物、神奈川県で学校敷地内に埋め立て!
一部の学校では既に埋める!千葉県柏市でも実行!

【真実を探すブログ】2014.10.04
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-4062.html



除染作業で発生した放射能を含む除去物について、神奈川県の市教育委員会が、それぞれの学校の敷地内に埋め立てる方針を明らかにしました。
既に一部の学校では、放射能除去物を埋めているとのことです。
今までは、倉庫などに除去物を保管していましたが、福島原発事故から3年位以上(2014年10月現在)が経過したことで容量が限界になり、学校に埋め立てる事になりました。

また、高線量地帯として有名な千葉県柏市も、除染で発生した汚染土などを、学校の敷地内に埋めています。
いずれも子供達の健康は考えていないと推測され、汚染物を地中に埋めることで、更なる問題を誘発することになるかもしれません。

神奈川県の学校を含め、関東や東北の各地では、福島原発事故後に、一キログラムあたり1万ベクレルを超えるような高線量の放射性物質が、相次いで発見されました。
今も各地では、その保管場所等が明確に定まっておらず、学校に埋め立てる以外にも、島の埋め立て作業に使われたり、コンクリートや肥料として流通している物もある、と報告されています。


☆放射能汚染の除去物 学校敷地内埋め立てへ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20141002/CK2014100202000133.html

引用:
福島第一原発事故後、横浜市立小中学校二十校が保管している放射能汚染を伴う除去物について、市教育委員会は、一日の市議会決算特別委員会で、
それぞれの学校敷地内の地中に埋める方針を明らかにした。
除去物の放射線量が下がった一部の学校は、すでに埋めたという。
 
市は、対象物から1センチの距離で、毎時0.59マイクロシーベルトの空間線量が測定された場合を、除染などを行う基準(目安)にしている。
20校では原発事故後、屋上側溝や雨どいの下などで、基準を超える数値が出て、砂や落ち葉などの除去物を袋に入れて、倉庫などに保管していた。

:引用終了

☆千葉県柏市 市内の放射線量の現状や支援制度等
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080800/p020052.html

引用: 
平成26年3月末で、公共施設の除染が完了しました
市では、柏市除染実施計画に基づき、子どもが多く利用する施設から優先して、除染を行いました。
平成26年3月末までに、幼稚園・保育園、市立小中学校、市立高等学校の除染が完了、
平成26年3月末までに、公園やスポーツ施設、通学路等の除染も完了し、予定していた約800施設の除染が完了しました。
また、除染後も、空間放射線量の推移を見守るため、定期的に測定を行っています。
測定結果の詳細は、柏市ホームページでご確認ください。

作業内容
放射性物質の多くは、地表面の土に含まれるため、保育園や小中学校、公園等の除染では、表土を重機で削り取りました。重機の入れない植え込み等は、手作業で表土を除去し、全面的な除染を行いました。
作業で発生した土壌については、敷地内に埋設し、十分な厚さの土をかぶせることで、放射線を遮蔽しています。

:引用終了

☆学校雨水利用施設の汚泥の指定廃棄物申請について
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/houshasen/kisyahappyo1004.pdf





さてこちらは2015年12月のもので、先日フェイスブック上で紹介されていた、毎日新聞の記事中の写真です。










福島原発事故 積み上がる除染廃棄物
【毎日新聞】2015年12月10日
http://mainichi.jp/articles/20151210/k00/00e/040/160000c

東日本大震災から11日で4年9カ月。
東京電力福島第1原発事故に伴う、除染で取り除いた表土や草木を入れた黒い袋が、福島県内の広い範囲で山積みされ、増え続けている。
ポリエチレンなどを素材にした「フレコンバッグ」と呼ばれる袋の、容量は1立方メートル。
環境省と福島県によると、9月末時点で約915万5000袋が、約11万4700カ所の仮置き場や除染現場の保管場所に置かれている。

全域が避難指示区域となっている、同県富岡町の沿岸部の仮置き場では、フレコンバッグをつり上げるショベルカーが埋もれて見えるほど、無数の黒い塊が地表を覆う。
除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグは、4段に積み上げ、放射線を遮るため、5段目と側面には汚染されていない土を入れた袋を積む。
更に上から、雨水を防ぐ防水シートをかける。

除染廃棄物の搬入先となるはずの中間貯蔵施設(同県大熊、双葉両町)は、地権者交渉が難航し、建設のめどが立っていない。【土江洋範、森田剛史】



2014年10月の時点で、
「今も各地では、その保管場所等が明確に定まっておらず、学校に埋め立てる以外にも、島の埋め立て作業に使われたり、コンクリートや肥料として流通している物もある、と報告されています」
と報道されていた日本。

そして今年の12月の時点で、
おびただしい数の『フレコンバッグ』が山積みされた映像を見て、このような現実が全くといっていいほど伝えられていない現実を、わたしたちは考えないといけないのではないでしょうか。

ひとり旅「三重・家族の巻」

2015年12月07日 | 家族とわたし
毎年のように、というかスカイプや電話などで話すたびに、
「生きていてもつまらない。生きていてもしようがない。今年中に死んでしまえたらいいのに」などと言い続けていた母だが、
70歳を過ぎたあたりから、それまで閉ざしていた外部とのつながりを持ち始め、ちょこちょこと友人などもでき、家の外に出ることが多くなり、それとともに、死にたい病が失せていった。

今熱中しているのがこれ、パターゴルフ。
負けず嫌いでこだわる母は、腕前がめきめき上達して、チームの花形&最高齢プレーヤーなのだそうだ。
最近は、夫婦ふたりでやることもあるそうで、わたしもそれに入れてもらうことにした。
場所は、車で10分ぐらい走ったところにある河川敷。
母は協会のメンバーなので、いつでも無料でプレーができる。


へっぴり腰&素人丸出しのわたし。道具もだから、当たりやすいようにと、グランドゴルフの道具とボールで…とほほ。


9ホールのコースをふた回りし終えようとしていたら、いきなり空にわらわらと浮かび上がってきたものが。


なになになに?


気球だ!










数えると30近く浮かんでいる。
それらがどんどん、わたしたちの方に近づいてきて、えぇ~!住宅地に降りていくぅ~!




スイカ?


わたしたちが車で戻る頃には、全員が着地体制に。








なるほど、河川敷に着地点が設けられたいた。




後で聞いたことだが、気球の全国大会が行われていたそうな。
思いもよらなかったハプニングに大興奮!


滞在4日目、母の奢りで合歓の郷に旅行した。
合歓の郷といえばつま恋同様、ヤマハで教えていた13年の間、JOCで優秀な生徒を担当している講師として、もっと知識と経験を積むようにと、何度となくしごかれた場所だ。
費用は全部ヤマハ持ちで、宿泊と食事には贅沢をさせてもらったけれど、研修はとても厳しくて、ギリギリまで詰め込まれたスケジュールをこなすのに往生した。
もうそれも何十年も前のことで、今や合歓の郷といえばリゾートホテルやゴルフ場が楽しめる、解放された場所になったようだ。

大阪からやって来た弟&福ちゃんと、鵜方の駅で合流し、母と義父とわたしの、それから弟と福ちゃんの泊まる、それぞれの部屋に入った。


なんとまあ広々とした、そして海を見渡せる大きな窓がついた、すてきな部屋であることよ!


あいにく滞在中の二日ともに、曇り後雨、曇り時々雨の予報が出ているので、とにかく雨が降るまでにゴルフ!ということで、着いた早々フロントでパターとボールを貸してもらい、コースにゴー!

強烈な冷たい風が吹き荒れていたので、ありったけの物を纏い、けれどもしっかりリードをとる母。


ゴルフは未経験の豊を、ちょっとだけ経験者の福ちゃんが見守る。


すずめさん。


それにしても寒い、寒すぎる。
けれども、9ホールの使用料が900円というバカ高い金額が、期間限定で半額になっていて、それでも高いと文句を言う母は、素知らぬ顔をして18ホールしようと言う。
寒いけれども楽しいし、ちょっとずつ上達してきたし、他に誰もいなくて貸切状態なので、みんなは文句無しにそれに従う。




ああ楽しかった!帰ろ帰ろ。


ここもゆったりした玄関ロビー。


夕焼けがきれいに見える浜辺に案内してもらった。


太陽さん、さようなら。また明日。
  



空にはぽっかりお月さま。




日が暮れた。


やっぱり寒いので、ホテルが貸してくれた防寒着を着て、いつものノリを見せてくれる弟と福ちゃん。その後ろで密かにストレッチする義父。


部屋から見えた日の出。






懐かしいミュージックキャンプの看板が見えた。


そして再びパターゴルフへ。
今回はさらに進化して、9ホール分の料金で18ホールを、そして近くのゴルフ場の施設でお昼ご飯を食べた後もう一回遊んでから戻る計画。


正直に(というか、正しく)9ホールだけして帰る若者のグループを尻目に、ガハハガハハと大笑いしながら遊ぶわたしたち。
ホテルさん、すみませんでした。

ヨガを楽しむテントが丘の向こうに見える。


雀じゃない鳥さん。


今にも降り出しそうな空模様の下、ゴルフを楽しむ人がけっこういた。


伊勢志摩サミットのお知らせ看板。


楽しい時間はあっという間に過ぎ、大阪に戻る福ちゃんを見送りに鵜方駅まで行くと、駅の裏口の近くの家の前にこんな看板があるのを弟が見つけた。


弟は、阪神・淡路大震災の時に、働いていた会社のビルが壊れ、建設業に再就職した。
それから今までの20年間、ずっとその仕事を続けてきたのだが、きつい作業がたたり、足腰に強い痛みが生じるようになった。
タバコやお酒の量も多かったからか血圧も高い。
いつまでも続けられる仕事ではないからと、母もわたしもここ最近とても心配していたところ、福ちゃんが働く介護施設を経営する会社の、管理人としての職をいただけることになったと聞き、ホッと一安心。
だから今回は、ちょうど転職のための休暇中ということで、弟もわたしと一緒に、母のところで3泊できるという、嬉しいプレゼントになった。

鵜方からの帰り道、磯部町の、天の岩戸があるという所に連れて行ってもらった。


紅葉が少しだけ、他の所よりは進んでいるようだ。










鳥居と灯篭を通り過ぎ、




そろそろ近づいてきた。


この階段を上り、


階段のすぐ下にある小さな滝に、寄り道をしている弟。そういや彼はチビの頃から、寄り道王と呼ばれていたな。




またまた鳥居を通り抜け、


え?あそこ?




いやあ、ちょっと小さ過ぎるような気がしなくもないが…。


その穴から流れ落ちる水は、名水百選に選ばれているそうな。


さらに階段を上って、お賽銭をあげに。


前に一度来ているし、階段は上りたくないからと、下で待っていた母は案の定、体操に励んでいる。


御光の中で。


母81歳、息子55歳。


あたり一面がしっとりしているからか、岩肌にはいろんなコケが生えている。


始まったばかりの紅葉。



旅行から戻った翌日は、親友のお母さんのお見舞いに、弟が運転する車に乗って出かけた。
母にとっても休息日になる。

お見舞いに行く前に、通子さんと孝さんに会いに、彼らの家にお邪魔した。


何と言っても通子さんは、豊の幼少時代を知る、そしてその後50年もの間、一度も会っていない人なのだ。
びっくりするだろうなあとニヤニヤしながら想像していたら、なんとなんと、数年前に、何の用事だったかはすっかり忘れたが、福ちゃんと二人でやって来たのだそうだ。

邸宅が建つ丘から。


親友のお母さんは、はじめわたしのことを「かおりちゃん」と呼んで、付き添いのお父さんから大いにツッコミを入れられていた。
そのうちに思い出してくれたのか、「あんたも苦労したなあ」という、会ったらいつも言ってくれた言葉をかけてくれた。
おばちゃんこそ苦労しはったんやから、今こそおっちゃんに存分に甘えて、優しいしてもろてや。
また会えることを祈りながら、すっかり小さくなったおばちゃんの手を握り、さよならをした。

どうせここまで来たんやからと、子どもの頃の数年間と最初の結婚の13年間を暮らした町に寄り、好物の丁稚ようかんを買いに行った。
その帰り道、弟の親友が営む月ヶ瀬の梅の名所にも寄り道した。




名前通りの、素晴らしい見晴らし。




その昔、二回ほど観にやって来た記憶がある梅畑。満開の景色とその頃のわたしの姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。


親友の家が建てた金毘羅さん。




すっかり様変わりした銀座通り。



三重の滞在3日目に、今まで暖かすぎて気持ちが悪いほどだった気温がぐっと下がり、やっといつもの11月末の寒さがやってきた。
けれどもそれまでが暖か過ぎただけに、そのギャップが大きくて、寒さがギリギリと身にしみる。
母は倹約の鬼で、お湯というものをとても大事に使う。
灯油ストーブを使う季節になると、ストーブをつける=お湯を沸かすということになり、それで沸いたお湯はすぐさま保温ポットに移される。
そのお湯は、飲むためだけではなく、顔や手を洗う時には桶に入れ、お水と混ぜて使う。


母の家では基本的に、蛇口からお湯が出てくるということは無い。
食器を洗うのも、冬でも水だ。
ここの水はなぜか、冬は温かく、夏は冷たいと母は言う。
そうかなあ…と疑っていたが、わたしの手にも温かく感じられ、だからわたしも洗い物を水で済ます。
そしていつも同じことを思う。
こんなふうに暮らす人がたくさんいるようになると、地球は健康を取り戻せるのかもしれないと。
そして普段の自分のなり振りを省みる。

弟と母と、家族3人で、近所のモールに買い物に行く。
欲しかったレッスン用の鉛筆と、妊婦さん用のタイツ(締め付けられるのが大の苦手なわたしはLLでも我慢ができない)と、おばちゃんパンツを卒業するべく新しいもの(といっても似たようなものだが)を買った。
母の一押し、米と混ぜる雑穀と伊勢ひじき、そして留守番をしている夫への土産にと、三重の地酒を母が買ってくれた。
弟からもらった入浴剤やドロップ、録画してくれたDVDの数々、湿布剤などのお土産と共に、なんとかしてカバンに詰め込まねばならない。
気長に買い物に付き合い、荷物を一手に引き受けてくれる弟。
「買い物に付き合うのは苦にならない」と言う。
「自分の興味のある物が売っている店だと、いろいろと見て回るのがめちゃ楽しい」とも言う。
えらい違いだ…いえいえ、誰ととは申しませぬが。

弟は12月から、介護施設の管理人として、入居している人たちの食事を作ったり、室内の掃除をしたり、手続きに必要な書類の作成をしたりする。
すべてが彼にとっては新しく、未経験のものばかり。
55歳の再出発だ。
だからきっと、不安な気持ちが押し寄せてくるのだろう。
でもわたしは信じてる。
彼の優しさと、機転が利く頭、だから上手な料理の腕が、新しい仕事に役立つはずだと。
今まではずっと、まず予定が先にあり、それに従って行動すればよかったけれど、これからは常にハプニングの連続で、未定だらけの中で仕事をしていかなければならないかもしれないけれど、そんなことにはすぐ慣れるだろう。
とにかく自身の体と心をまず大切にして、預かった人たちと良い関係を築いていけるよう、離れた所からではあるけれど、ずっと祈ってるからね。

大阪に戻る弟を見送ると、連日の外出で動き回ったからか、母は疲労困憊の様子。
ごめん、いっつも思いっきり疲れさせてしまってるね。

だから最後の日は、ゆっくりと過ごすことにした。

気温が下がったからか、ちょっぴり秋めいて?きた庭。










義父の趣味の畑。


荷物は結局、母が毎回くれる温泉タオルや薄い毛布なども加わって、一つのカバンには到底入りきれないことが分かり、母の旅行カバンを一つ借りることになった。
初めての両手持ちだ。
まあ、なんとかなるだろう。
大変だけど嬉しい。嬉しいけど大変。

新幹線のプラットホームを、周りの人たちに気遣いながら進む。


成田空港に向かう途中、バスが神田川の上を走った。


南こうせつの「あなたはもう忘れたかしら」と歌う声が強烈に蘇ってきて、それからしばらくの間、『神田川』の歌を繰り返し口ずさみながら、その頃の自分を思い出していた。

成田空港から近くのホテルに行った頃にはもうすっかり夜で、チェックインしていると、やはりここでも中国からの観光客が大勢泊まっていることに気づいた。
前回、夫と二人で、名古屋空港近くの同じ系列のホテルに泊まった時、朝食を食べに降りて行くと、あまりに大勢の中国人観光客が食事をしていて、あわや朝食抜きになりかけた経験があったので、
少し失礼かと思いつつ、フロント係の人に、「朝食は何時頃が落ち着いて食べられるでしょうか」と尋ねてみた。
すると、「6時半から7時半ぐらいまでは大変に混み合うと思われますので、できれば8時頃においでいただければ」と答えてくれた。
家に戻ってからこの話をすると、「ちょっと差別的なんじゃないか」と夫に言われたが、名古屋での経験がショックだったので、これは致し方がないと思う。

空港から旅立つ直前にもう一度、母と義父にお礼の電話をかけた。
年々、旅立つ時に感じる寂しさと、そこはかとない心残りが、色濃くなっているような気がする。
でもきっと、母はこう言うだろう、いつものように。
「自分で決めたんやから、その通りに生きていったらええのとちゃうの。あんたがアメリカに引っ越すと聞いた時から、あんたはもういないと思うことにしたから」

自己管理のための体操と栄養補給を、自分で考え工夫して積極的に取り入れ、それを延々と続ける81歳。
その超オリジナルな体操のひとつひとつを、隣のベッドでやって見せてくれる母の真似をした。
全部やり終えるのに15分。
室温が下がる真冬になると、ちょっと厳しい気もするけれど、わたしも見習って頑張るね。
また来年。

ひとり旅「いただいたご馳走の巻」

2015年12月07日 | ひとりごと
友だちの家で、レストランで、伊勢志摩のホテルでいただいた、ご馳走の数々。
伊勢志摩のホテルでは、地産地消の信念の元、食材にこだわったお料理を出してくれました。

わたしのためにと作ってくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました。
美味し過ぎて、すっかりまた、元の木阿弥脂肪があちこちに…。
でも、幸せ脂肪なので良しとしましょうか。


















































ひとり旅「東京・友だちの巻」

2015年12月04日 | 友達とわたし
旅行から戻って丸4日が過ぎた。
ただいま、というか今だに絶賛時差ボケ中。
それでもなんとか、朝から日中にかけての伴奏リハーサルと、夕方から夜にかけてのレッスンをこなし、夕飯を食べ、お茶碗を洗うぐらいまでは、とりあえず起きている。

けどその後がいけない…。

ちょっとでも座ろうものなら、頭がジンジンと痺れたみたいになり、目玉に不透明な薄い布を被せられたような気がして、コトンと寝てしまう。

使用停止になったままのiPadはもちろん未解決。
だからパソコンだけが頼りなのに、その前に座った途端にトロトロとしてきて、おでこが机の上にくっついていく。
夫に呼ばれて、バネ仕掛けのおもちゃみたいに起き上がると、おでこには見事な日の丸ができている。

旅日記を付けるために持ってったiPadは、ワイアレスのキーボードの電源を切るのを忘れ、カバンの中でランダムにキーが押されたからか、旅行2日目にして使用不可になってしまった。
連絡用のメモや時刻表など、移動時に活用しようと思ってたのに、それが全く不可能になった。
おまけに手書きのパスワード帳を、家に置き忘れてきてしまった。
もちろん、日本で使えるような携帯電話も無い。
だから滞在中は、いろんな人に、心配や迷惑をかけてしまった。


母が80歳の誕生日を迎えてからは、日本には毎年行こうと決めた。
今から15年と8ヶ月前の誕生日に、こちらに移り住んだのだけど、お金のやり繰りが大変で、息子たちがすっかり大人になってしまうまで、帰省は3年に一度が精一杯、という状態が続いた。
今年母は81歳、弟は55歳。
日本に居た頃でも、1年のうちにいったいどれほどの日数を一緒に過ごしたかというと、実はそれほど多くはなかった。
電話やメールのやり取りも、多分少ない方だったと思う。
だからせめて、日本での滞在中は、今までの無沙汰を挽回するためにも、少なくとも10日間ぐらいは一緒に時間を過ごしたい。
となると、2週間の日程では、友人や恩人、そして親戚の人たちと会う機会が、極めて限られてしまう。
いつか近いうちに、せめて3週間、できたら1ヶ月、などという時間をとって、日本を訪れることができたらなあと夢見ている。
そして、福島や辺野古、さらには普段から気になっている地域にも足を運び、自分の目で見、耳で聞き、肌で感じ、頭でっかちになっている部分を修正し、
いろんな方向から、いろんな考えを持つ人たちの生の声を聞き、それらを咀嚼しながら、自分の心の中をじっくりと見つめたい。

母も弟も、わたしを支え、深く愛してくれているが、思想や信念はそれぞれに違う。
テレビのニュースやワイドショーなどを一緒に観ていると、その違いは顕著に現れる。
本当は、その時をチャンスとみて、腹を割って話せたらと思うけれど、普段からそういう議論が不得意な傾向がある上に、せっかく久しぶりに会えたのだから、穏やかな気持ちで時間を過ごしたい、などと思ってしまう。
でもまあ、波風が立たないぐらいには、一言ツッコミぐらいはする。
ほとんどは聞き流されてしまうのだけど…。

母と弟とわたしの3人のうち、誰が一番偏っているのかという点でいうと、きっとそれはわたしだと、彼らは思っているだろう。
わたしは日本で暮らしていないから、NHKも民放も観ないし、町や村で配られる広報やチラシを読むこともない。
だから、わたしが再三非難している政治家や企業家が、無論いつも悪いことばかりをしているのではなく、人や地域の助けになることもしていることを、肌身で知る機会は無い。
助けられた人や、それを間近に見た人は、助けてくれた人や企業に感謝をするし、支持もする。
極端なことを言えば、前代大統領だったブッシュだって、彼は良い人だ、優れた政治家だと思っている人もいる。
彼もあのような立場の政治家でなく、市井の市民であったなら、気のいいおじさんで、良き隣人でもあったかもしれない。
けれども、同時多発テロを巧みに利用し、軍産複合体の意のままに嘘をつき、イラク戦争に人々を巻き込んだ首謀者なのだから、罪に問われなければならない。
この世には、やっていいことと悪いことがあると、子どもの頃からよく聞かされてきた。
どんなに人のためになることをやっていようが、別のところでやってはいけないことをやったなら、その人や企業は非難され、断罪されなければならない。
人も企業も、表と裏、あるいはその狭間に、いろいろな顔を持っている。
あの人に限って…と誰もが思うような人が、実は恐ろしい犯罪を犯していたり、優れた機械や製品を作る企業が、人殺しや破壊のための武器を作っていたりする。
実際には、それらの悪事に手を染めていなくても、ほう助したり、資金を与えたりしている人や企業となると、もっと多くなる。
それらの人々や企業が犯している過ちに、見て見ぬ振りをしている場合ではない時にきている。
わたしたち市民の一番の力は、小さなことの積み重ねができるということだ。
ひとりひとりの人が自分の目で見張り、頭で考え、口を出したり体を運んだりすることが積み重なっていくと、社会は少しずつ動いていく。


人はそれぞれに、良いことだと信じていることがある。
そしてその良いことを実現することもまた、その人にとっては正しいことになる。
だからそのことを行うことによって、理不尽に殺されたり傷つけられたりする人や、二度と再生できないほどに破壊されたりする町や自然があろうとも、それはやむを得ないことだとみなす。

「国が一番」
そう公言してはばからない日本会議は、今や国会議員の大多数を抱え込み、国粋主義的右翼のシンクタンクとしての役割と同時に、国民運動を展開する動員力を兼ね備えている。
「美しい日本を再建する」という文言を筆頭に、天皇をいただく統治体制を復活させ、憲法を改定し、帝国主義を唱えていた頃の日本に戻そうとしている。
その思想を植え付けるのに充分な根を至る所に張り巡らせ、教育の場では歴史教科書を編纂し、今やありとあらゆる場で、転覆のチャンスを伺っている。
彼らも、自分たちの信念が正しいと考えている。

数量では到底叶わない、別の、あるいは全く逆の信念を持つわたしはだから、日本を訪れるたびに、目に見えないけれど確実にそこにいる化け物の、空気をまるで通さない体に覆われて、さらに息苦しくなっているように感じる。
テレビの画面には、我先にウケを狙うタレントたちや、本当に大事なことを伝えないニュースキャスターたちが、ひっきりなしに現れては消えていく。
知らなければならないことの多くは、きつかったり辛かったり、受け入れることに抵抗を感じる。
時には知ることによって、パニックに陥ることもある。
だから知らせない方がいいのです、とばかりに隠したり、伝えることを怠ったり、ましてや権力や金に操られている報道機関の罪は大きい。
それはなにも、日本に限られたことではないけれど…。

などと、首都高を走るバスの中で、JR中央線の電車の中で、国立の町の通りで、東海道新幹線の中で、そして飛行機の中で、思いを巡らせた2週間。


日本に着いてすぐに、あさちゃんとの待ち合わせ場所に向かった。
首都高にこんなにトンネルが多いとは知らなかった。





あいにくの雨降り。
待ち合わせ場所のホテルで再会のハグをして、そのすぐ後に、「温泉に行こう!」と誘われた。
おっきな荷物を車に置いたまま、『ザ・湯』でひとっ風呂もふたっ風呂も浴び、塩サウナを初体験し、館内のレストランでご馳走になった。
なんたる至福!
旅の疲れが吹っ飛んだ。
東京での二日半の滞在中の日程を、出発ギリギリまで決められずにいたので、宿泊先のホテルの予約が遅れ、どこにも空きが無いことに気づいたのが出発の前日で、
だからあさちゃんが、「うちを使ってもいいよ」と言ってくれたのは、本当の本当にありがたかった。
あさちゃんは会うごとに、新しいことにトライしている。
そのいちいちに驚いていては身がもたないのだけれど、今回のには心底びっくりした。
ご飯を食べなくても全然平気で、だから日本食はあまり好まないはずだった彼女が、グルテンフリーの食事に切り替えたからと、朝から玄米とお味噌汁、そして常菜のおかずをご馳走してくれた。
しかも玄米は、自分で発芽させた発芽玄米ときた。
別にアレルギーがあるわけでも無いのに、どうしてグルテンフリーなんかに?と聞くと、ジョコヴィッチの本を読み、それから関連する本を読破して、トライすることを決めたそうな。
「まうみもさ、ビルがすでにやってんだから、トライし易いんじゃない?」とあさちゃん。
「いやあ、カフェインもアルコールも甘いものもすべて禁止の、わたしにとってはかなりキツい状況の中の唯一の楽しみ、いや、最後の砦がパンなので無理!」と言うと、
「まあいいから、読むだけでもいいから読んでみ?」と渡されたのが、『ジョコヴィッチの生まれ変わる食事』。
表紙には、「あなたの人生を激変させる14日間プログラム」と書かれてある。
ううむ…。
うちの家族の中で、いち早くグルテンを絶ったのが義母。それに続いて夫が、数年前からグルテン絶ちをした。
だから確かに、わたしさえ決めたら簡単なのだけど…などと、心をグラグラ揺らせながら読んでみた。
そして、半分ぐらいまで読み進める頃にはもう、よし、旅行が終わったらやってみよう!と決心していた。


「まうみ、東京の移動はSUICAを使うと便利だよ」とあさちゃんに教えられ、横浜に向かう電車に乗るのに早速使ってみようと、自動販売機の前に立った。
ところが…よく分からないのである。
アメリカ郊外の電車事情のお粗末さにすっかり慣れてしまったわたしには、便利なはずの機械が恐ろしく難解なのだ。
次から次へと人がやってきては、さっさと用を済ませて去っていくのを観察しながら、何とかやり方を学ぼうとしたが、誰ひとりとして新しく買い求める人がいない。
もうこれは無理だと判断し、緑の窓口に座っている駅員さんに、「すみません、わたしのためにSUICAを買ってもらえませんか」と頼んだ。
彼の顔に一瞬、「なんじゃそれ?」な表情が浮かんだが、それを素早く隠し、親切に買い求めてくれた。

苦労の末?にゲットしたSUICAを使い、朝から横浜在住の幸雄さん&美千代さんご夫妻、そして美保さんに会いに行った。
横浜の地理を全く知らないまま、「横浜駅まで迎えに行きます」と言ってくださった幸雄さんに、「じゃあお願いします」と答えてしまったのだけど、
駅から幸雄さんが暮らす町までは全然近くなくて、向かう電車に揺られながら、ああ申し訳ないことをしたなあと反省した。
近くのおうちレストランの、それはそれは美味しいランチをご馳走になり、第一目的の散歩に出発。

散歩道の途中にある、とんでもなく大きなお屋敷。


折しも菊の花の展示会が開かれていた。




町の人たちのために解放されている、昔ながらの家の中で。


母方の祖母が使っていたような台所。


さらに進んでいく。


暖か過ぎて紅葉が遅れている。


道のど真ん中に堂々と生えている木。


送電線の真下に家が立ち並んでいることに唖然とした。


家に戻ってから、幸雄さんが演奏するギターやバイオリンがわらわらと並べられている部屋で、あれやこれやの四方山話。
壁には、白紫陽花の下でこちらをじっと見つめている、亡くなる前日のショーティの写真が飾られていた。


偶然にも、幸雄さんのお家の近所だった美保さん。
去年、羽田空港で初めて会い、1時間ほど話しただけなのに、ずっと前からすごく仲良しだった友人のように話が弾み、あっという間に時間が過ぎた。
美保さんは話をしながら、次々に美味しいお料理を作ってくれた。

古くなった本棚を活用した、ご主人の手作り棚は、扉をわざと付けずに奥行きを浅くしているので、超~使い勝手が良さそう。


いきなり、「ほら、まうみさんも!」と言いながら、ピョンピョン跳んで見せてくれた美保さんのトランポリン。


これまたご主人の手作りのテラス。感動…。


翌朝も朝っぱらから幾品もご馳走を作ってくれた美保さん。
さよならをする前に、新しくできたモールを二人で散策し、今度はもっとゆっくり、と約束して別れた。


東京でいる間に必ずここへ!と思って日程を組んだ。
二郎さんと明日香ちゃんが、4年以上もの間、ほぼ毎週続けている国会前の抗議活動『希望のエリア』。
今回は、集会に行く前にまず、二郎さんの診療所に寄って、治療をしてもらうことになっていた。
約束の時間に間に合うように出かけたはずが、一本電車を乗り遅れてしまった。
乗り換え駅への移動中に、もうこれ以上遅れることがないようにと、自分が正しい方に向かっているかどうかを確認したくて、近くを歩いている人に尋ねた。
すると彼女はわたしの質問を誤解して、というか、わたしの聞き方が悪かったのか、彼女が教えてくれた通りに歩いて行くと、なんと駅の外に出てしまった。
そこから目的の、乗り換えた電車で一駅の所まで猛ダッシュで走ったけれど、なにしろ連絡のつけようがないまま30分も遅れてしまい、二郎さんを寒い外で待たせてしまった。
ああ自己嫌悪…。
暖かい治療室に入った時には汗まみれ。
それでも嫌がらずに、二郎さんは懇切丁寧に、そしてとても適切に、時間が来るまで治療を施してくれた。
ああ感謝感激…。

待ち合わせでやって来た明日香ちゃんと嬉しい再会をして、みんなで一緒に希望号に乗って国会前へ。
希望号の中には、たくさんの集会用の道具が、理路整然とぎっしり積み込まれている。
これらすべてが、彼らのこれまでの活動と想いの結晶なのだと、見ていて胸がじーんとした。

無駄のない、そして見事にオーガナイズされた準備が着々と進む。










ぽっかり浮かぶ国会。




初めて見た携帯用ギターを観察中の、希望のエリアの名コンビ&主催者、二郎さんと明日香ちゃん。


希望号!


リハーサル中。


音楽隊ドラム担当のみほこさん。


明日香ちゃんのスピーチとコールは、いつ聞いてもとても分かりやすく、愛に溢れている。その言葉を一つ一つ丁寧に、手話で伝えてくれる。


集まった皆さん。






大変な手術をして、今夜から復活されたお父さん。


しずみんとも再会できた。
彼女はエリアから少し離れた所で、手作りの光るブラカを手に静かに抗議。




自転車隊のみなさん。


希望の力を広げ続けている二郎さんと明日香ちゃん、スタッフの皆さん、そして通い続けている皆さん。
嬉しいことも辛いことも、そして嫌なことも、いっぱいいっぱいくぐり抜けてきた。
その強さ、しなやかさ、優しさが、若い人たちが立ち上がり始めたことの原動力になったのだと、わたしは信じている。
「こんな抗議活動など、一日でも早くやらなくても良いような世の中になって欲しい」
会うと必ずそう言う二人。
そうだね、ほんとにそう思うし願ってる。


打ち上げで連れてってもらったうどん屋さん。麺がめっちゃ美味しかった。



東京滞在を終え、三重県に向かう朝、「晴れたらベランダから富士山が見えるよ」とあさちゃんが言っていたので外に出てみると、
見えた!


やっぱり富士山はすごい!
新幹線の中からも、絶対に写真を撮りたいわたしは、必ず富士山が見える側の窓際に座る。


富士山よ、お願いだから噴火なんかしないでね。今のままの姿で、日本を見守っていてね。


日が暮れるのがとても早い。



大都会東京。
バスや希望号や電車の窓の向こうでは、大きなビルがぎっしりと建ち並び、そのビルの中では常に、大勢の人たちが働いていた。
その様子を目にしながら、わたしは心の底の底から祈り続けた。
どうか、この地に大きな地震が起こりませんように。
みんなが無事に、これからもずっと暮らせますように。
そして、そのようなことを祈らなければならないような特質を持つ国土の上に、稼働する核発電の施設が存在するというような恐ろしい現実が無になるよう、
災害による深刻な環境破壊を、再度起こすような愚かな国に成り下がり、世界から軽蔑や非難を受けるような羽目に陥らないよう、
甚大な放射能汚染を発生し続けるまま、4年と9ヶ月経った今もまだ、解決の道を見出せないでいるのを放置しているも同然の政府に、やるべきことをさせなければならない。
その事故のために暮らしを奪われた16万人のうち、今も避難生活を余儀なくされている12万人の人たち。
そんな悲惨な現状を抱えた国が、意味の無い人殺しの後方支援だの、原発の販売だの、オリンピック開催だのと騒いでいる。
だからわたしたちはこれからも、日本が倫理的に誤った道を歩まないことを確信できる日まで、市民の力の見せ所である集結と積み重ねを続けていかなければならない。
日本会議なんぞに負けるわけにはいかない。
大きな権力や、がんじがらめに固められたシステムや、責任逃れのために施行された条例や法律に、屈っするわけにもいかない。
細部に渡り徐々に侵し、食い込もうとする作戦に抗えるのは、細部に目が届くわたしたちのはずなのだから。
顔を持たないという特性と力を活かし、未来を受け継いでいってくれる若者や子どもたちに、笑顔で頼んだよと手渡せる社会を作り上げていきたい。
などと、思いは日に日に深くなるひとり旅。