ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

土と野菜と太陽と

2024年10月09日 | 友達とわたし
心友のNちゃんから、ぜひこの人に会ったらいいと思う、と言われて会いに行ったKさんのお宅。
Kさんは、うちから20分ほど離れた町に住んでいる、野菜と土作りの達人です。

すべてKさんの手作りの菜園、というより花壇、いや、菜壇と呼びたいほどの美しさ!


草ぼーぼーの我が家の菜園と真逆の美しさ!
Kさんがここに越してきた時の前庭は不毛の砂地で、雑草でさえも生えることができないような状態だったそうです。
ここまでにするには、そりゃもう言葉では言い表せないほどの苦労と工夫を重ねてきたんだろうなあと思います。

Kさん自身で木を切り、小さく刻んで作ったウッドチップの数々。これにかけた労力と時間を想像しただけで気が遠くなりそうです。




絶対的な存在感を漂わせている菊芋。背丈は3メートルを超えています😳。

ど迫力のアップ写真。

これはむかごだそうで、こんなふうに実をつけるのだと初めて知りました。


朝一番に、ブロッコリーやニラの芽やピーマンやイチゴやブルーベリーやラズベリーなどを採って朝食にいただく毎日…いいなあ…。








健康で美しく美味しそうな茄子、今年は育ちが遅くて、これからが本番だそうです。


胡瓜をコンパクトに育てる(無闇矢鱈に広がらないようにする)技も教えてもらいました。

でも、こんなに開けっぴろげで大丈夫なんですか?鹿とかグラウンドホッグとかモグラとかスカンクとかリスとか、そういうのに食べられちゃいませんか?
と尋ねると、うちはこれを置いているから大丈夫と見せてくれたのがこれ、害獣の超音波駆除機です。
小さなソーラーパネルが付いているので、充電の手間も要りません。


これはゴボウ、だったっけか?

ゴーヤもすごく元気です。


ジャガイモは、ネギの根っこと寄り添うようにして育てるといいということも初めて知りました。
コンパニオンプランツ、共栄、または共生作物と言われるものだそうです。

これは茄子にオススメのコンパニオンプランツのお話です。
コンパニオンプランツ」は、野菜など栽培したいある植物に対して、近くに植えることで互いに良い影響を及ぼし合う別の植物のことや、その組み合わせを指す言葉です。
ある植物を単体で育てるよりも、コンパニオンプランツを一緒に育てることで、病害虫が広がるのを防いだり、成長を促進したりするというメリットがあります。
日本語では「共栄作物」や「共生作物」と表現されることもあります。ざっくりと「植物には相性のいい植物がある」と認識しておいても良いでしょう。

というわけで、ほんの基本的なことすら知らないことだらけでKさんにはすっかり呆れられてしまいましたが(例えばトマトには水はあまり必要ではないとか、茄子は毎日欠かさず水をあげなければならないとか)、教えてもらったことを来年の菜園に活かせることができるように、わたしも頑張ろうと思いました。

いろんな野菜の種もいただき、


蚊取り線香が据えられた椅子に座って、世にも美味しいシソジュースをいただき、


Kさんイチオシのニラの芽もいただき(めちゃくちゃ美味しかった😭)、


お刺身グレードのマグロの頬肉までいただいて、

とんでもなく厚かましい、二日に渡りお邪魔虫と化したわたしでした😅。
Kさん、本当の本当にありがとうございました!
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米国『小さな町の小さな床屋さん』事情

2024年10月08日 | 米国○○事情
夫はかれこれ10年以上、この床屋さんで髪の毛を切ってもらっています。
理髪師さんの名前はフレディ、御年78歳のバリバリの現役です。
夫は店から戻ってくると必ず、順番待ちをする客たちや世間話をしにくるだけの常連たち、そしてもちろんフレディのその日の様子をわたしに話すのですが、最後にいつも「まうみも行って見たらいいのに」と言うのです。
そんな、髪の毛を切ってもらうわけでもないのに、夫にくっついて見に行くだなんて変じゃないのか?
と思いつつ、話を聞きながら想像していた世界と比べたくなって、とうとう一緒にお店に入らせてもらいました。

壁一面の写真、今はもう用済みとなったバーバーチェアに陣取り世間話に花を咲かせる常連さん、自分の番をひたすら待つお客さん、そしてフレディ…。


冒頭の写真は新聞の切り抜きです。『一部の本物のイタリア人にとって、ソプラノズは核心を突いている』(めっちゃ直訳😅)と書かれたタイトルのすぐ下に、20年ばかり若いフレディが写っています。
アメリカのテレビ界の歴史を塗り替えたとも言われているドラマ『ソプラノズ』の最後のシーンの撮影が、フレディのお店の真向かいにあるダイナーで行われた際の取材記事のようです。
このドラマは伝説のドラマとして今も君臨していて、6シーズンの間にエミー賞でのノミネートは96回、6年間でのべ18部門を受賞しました。
ドラマの紹介文には、マフィア=現代社会のダークサイドを過激なリアリズムと知的なブラックユーモアで描いた怒涛のヒューマン・ドラマ、などと書かれています。
わたしは10代の頃から20代後半まで、日本のヤクザさんたちに散々な目に遭わされたので、今でもとても強い拒否反応があって、ドラマでも映画でも、ヤクザやマフィアが登場するものは観ることができません。
それがちょっと残念。

話がそれましたが、フレディをはじめ、このお店の常連さんたちはイタリア人。
夫は散髪が必要になるとまず、彼のお店の混み具合を調べに行き(フレディがお客一人にかける時間はほぼ20分)、髪をカットしてもらうかどうかを決めます。
散髪代はたったの14ドル、夫はチップ込みで20ドル払います。
フレディはお客たちと陽気に話をしながら、コームで掬い上げた髪をハサミでチョキチョキと整えていくという動作を、毎日朝から夕方まで延々と繰り返します。
たまによそ見をして切り残しがあったりしますが、なにしろ14ドルですし、夫は細かいことに無頓着な人なので、全体的にすっきりしていればそれで良し、めでたしめでたしなのでした。

フレディは、散髪中にもかかわらず、わたしの腕をとって写真の前に連れて行き、犬や猫と一緒の写真がいっぱい貼ってあるのを指差して、「僕は動物が好きなんだ、とりわけ大きなサイズのね」と言って特大のウィンク😉。
中に羊が写っているのもあったので、「羊も飼っていたの?」と聞くと、「ああ、これは合成写真だ、ワハハ!」とフレディ。


何百と並ぶ写真は彼の人生そのもの。ずっと見ていても見飽きることはありません。

誰の毛髪か、もはや全く区別がつかない床😅。


フレディ、これからもよろしく!
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ワクワクドキドキの2週間

2024年10月07日 | お家狂想曲
15年間、待ちに待ったシャワー室の改装が実現しました。
これがずっと改装待ちをしていたシャワー室です。

とても小さな部屋で、床全体が裏庭に向かって傾いていて、三角形のシャワーユニットの床はいつボコンと抜けるかわからないくらい弱っていて、隙間からは長い年月をかけて増殖したであろうカビが取っても取っても姿を現します。
床にはビニール製のシートが貼られていたのですが、ところどころが破けていたので、せめてこれだけでも変えようと、1枚90円の安いシートを買ってきて、見よう見まねで貼り替えたのが13年前。

この棚は、壁から剥がれかけていて、なので中に物を置く際には置く角度をうまく調整しないと、鏡を開いた途端に中の物が落っこちてきます。


1日でも早くと願いながら待つこと15年。
10年前まで教えていた大人の生徒さんが、もし家の改装をするならここがいいよ、と言って、その業者さんのパンフレットを渡してくれたのですが、あまりに時が経ってしまっているので、同じ職人さんがいるのかどうかわからないまま見積もりに来てもらいました。
他にも見積もりをお願いしたところはあったのですが、予算額が一番安かったこと、ショールームに必要な物のサンプルが置かれていて、そこで一挙に選べること、そして何より信頼できる人からの強いお勧めがあったこともあって、お願いすることにしました。
その会社のメンバーは全員中国人で、見積もりをしたり、ショールームで壁や床の現物サンプルを決めたりする際には、英語が話せる人が対応するのですが、現場で仕事をする人たちのほとんどは英語が話せません。
それがわかったのは工事の初日で、確かにコミュニケーションがうまく取れないのには困りましたが、入れ替わり立ち替わりやってくる職人さんたちの仕事の腕はとても良く、それぞれの作業が丁寧に迅速に進められていくのを見守るのは楽しかったです。

あっという間に洗面台とシャワー室とトイレが消え、いよいよ工事の始まりです。


このシャワー室、ドアが両方にあって、一つは台所に、もう一つはピアノの部屋につながっています。

それを今回の工事で、シャワー室と洗面台の場所を入れ替えるため、台所へのドアを外して壁にすることになりました。
その図面を描いてくれたのは設計士の義兄で、工事はこの図面に従って進められました。


まだ台所から出入りできていた時はレッスンができたのですが、それが叶わなくなってからはレッスンは中止です。

工事はこんな感じで進んでいきました。





なにしろ狭い部屋なので、職人さんが2人入るともういっぱいになって動きにくいみたいで申し訳なかったのですが、こればっかりは仕方がありません。

今回の工事では、わたしたちが聞きたいことやお願いしたいことがあっても、それを正しく伝えることがなかなかできなかったことが最大の問題でした。
夫もわたしもなんとかわかってもらおうと、翻訳アプリなどを使ってみたのですが、中国語には何十種類もの言語があるからか、職人さんは首を振るばかり…。
だからどんなに簡単な要件でも、通訳してくれる人を介してでないと伝えることができないのには本当に困りました。





工事の終盤に便座の変更が2回もありました。
1回目は業者側のミスで型違いのものが設置されたからだったのですが、取り替えたあと、TOTOのウォシュレットを便器に取り付けてもらい、いざ使ってみるとその便座がグラグラとずれてしまうではないですか!
なんとかしてそのグラグラを直せないかと色々試してみたのですが、どうしても解決しません。
よくよく見ると、その米国製の便器はTOTOの便座のサイズにはぴったり合っているのですが、便座の縁の面が平らではないことに気がつきました。

ハァ〜と深いため息が一つ…。
もうこれ以上失敗をしたくないので、TOTOに直接電話をして、手に入れたウォシュレットに合う便器を教えてもらい、それを新たに取り付け直してもらいました。


ふたに貼ってあるのは、「男たちよ、少年たちよ、おしっこは座ってしてね!」というお願い文です。
ここのトイレは生徒たちや親御さんたちがよく使うので、できるだけきれいに使ってもらうように前もってお願いしなければなりません。
そうでなければ、レッスンが終わるたびに、トイレはもちろんのこと、トイレ周りの掃除をすることになるからです。

とまあ、そんなこんなの大小さまざまな騒動がありましたが、2週間弱で工事は終わり、実に快適なシャワー室に変身しました。


いまだにちょっと慣れなくて、どこか違う家の部屋に入っているような気分になりますが、床はベコベコしないばかりか傾いてもいないし、シャワーをする際にどこかに肘や手をぶつけることもなくなったし、物があるべき所にすっきりと収まって、鏡戸を開いても落ちてきません。
15年は長かったけど、夢が叶って本当にありがたいです。
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ジャズ・フェス・ジャンボリー2024

2024年10月07日 | 音楽とわたし
毎年行われるジャズフェスティバル、今年で15回目となりました。


モントクレアは、わたしたち家族が渡米して初めて住んだ小さな町です。
この町を選んだのは、学校教育と芸術に力を入れていて、外国から移住してきた子どもたちのための英語のクラスも充実していたからだったのですが、なにしろ税金がとても高くて、持ち家など夢のまた夢。
なので借家かアパートメントで暮らす以外の選択肢はなく、息子たちが学校教育を終了してすぐに、隣町に引っ越してしまいました。
けれども車で5分も走れば行ける距離なので、今も美味しいものを食べに行ったり、音楽や舞台を楽しみに行くことが多い町です。

わたしたちが引っ越した年から始まったこのジャズフェスティバルは、この町に住む天才ジャズベーシスト(グラミー賞を8回獲得している)、クリスチャン・マクブライドが中心になって行われるようになりました。
毎回、ジャズ界の重鎮がゲストとして出演するジャンボリー、メインステージに向かってゆるい下り坂になっている広い大通りに、思い存分に音楽を楽しもうと大勢の人たちが集まってきます。
この日はだから町が音楽と一体化するのです。
舞台で演奏するのは、有名なプロミュージシャンだけではありません。
マクブライド氏が設立した子どものためのジャズハウスで研鑽を積んだ子どもたちも出演します。
子どもたちはその日だけではなく、前夜祭的に行われる行事で、ジャズだけに限らず音楽界の重鎮と共演するという、素晴らしい経験もできます。
今年のゲストはスティング。羨ましい限りです。


今年のプログラムはこれ。


これはジャズ・フェスティバルのマップです。


お昼の12時から夜の10時まで、ダウンタウンで音楽を楽しみます。

夫とわたしはその日、朝からとても体がだるくて、フェスティバルに行こうかどうか迷っていましたが、日が暮れ始めると我慢ができなくなって出かけることにしました。
わたしたちがメイン会場に到着したのは18時前、聴きたかったマクブライド氏の演奏は終わっていましたが、最後の出演者リサ・フィッシャーの歌声が響きわたると、気分は瞬く間に上昇し、空にはお月さまと撮影用のドローンが浮かんでいました。

リサ・フィッシャーは、バックコーラス・ボーカリストとしてスティング、クリス・ボッティ、チャカ・カーン、ティナ・ターナー等の一流アーティストと共演し、リリースしたソロアルバムやシングルレコードでグラミー賞を受賞した人です。1987年、ミック・ジャガーのソロ・コンサートツアーに参加し、その後、ローリング・ストーンズのツアーに1989年から現在に至るまで参加し続けていると後で知って、ああ、だから彼らの曲を彼女風にアレンジした歌を何曲も歌っていたのだなと、夫と二人で納得したのですが、そのアレンジがまたとても個性的で、よくよく注意して聴いていないとわからないぐらいなのです。



フィッシャー氏の舞台が終わり、フェスティバルの最後はDJによるアップビートな音楽が始まると、人々は立ち上がり、思い思いのダンスを楽しみます。


この男の子は可愛いドラマー、肩車してくれるお父さんの頭をノリノリで叩いています。

音楽が体や心にしみこんで、深いところから揺さぶってくる。そんな経験は何度あってもいいと思います。
身の回りにいつも音楽が寄り添っている人生、なんていうと難しく考える人もいるかもしれません。
でもちっとも難しくはありません。
大人も子どもも、そしてもしかしたら動物たちも、音を楽しむ機会はどこにでもあるからです。
わたしはジャズを3年勉強して、自分には無理な分野だと断念した苦い経験がありますが、ジャズを聴くのはとても好きです。
また来年のジャンボリーを楽しみに、来月に控えている生徒たちの発表会の準備に勤しみたいと思います。
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