ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ふふっと笑うその瞬間

2021年12月18日 | 音楽とわたし
あれよあれよという間に時間が過ぎて、もう年の瀬なんて…冗談?って思えるほど速い。

長年の間、年越し蕎麦は年を越す瞬間に食べなければならないと勘違いしていたわたしに、夕飯がまだ胃の中に残っているのに無理矢理蕎麦を食べさせられて困り顔の家族の顔と、2021年のカウントダウンのテレビ中継が、まだ遠い思い出の風景にもなっていない。

12月4日のコンサートは、あの条件下であそこまでできたのは良かったと思っている。
弦楽器はだんだんと音が出るようになってきたけれど、今回も元々のメンバーでは十分ではなく、助っ人8人を足さなければならなかった。
ティンパニーに至っては楽器すら本番に間に合うかもわからなくて、結局3日前に楽器が、2日前に奏者が見つかり、本番の日のリハーサルで初合わせというドキドキの展開だった。
管楽器は人数、演奏能力ともにかなり充実している。
けれどもわたしが振る曲には低音の金管楽器が何本も必要なのにテナートロンボーンが2本しか無く、その二人にチューバやバストロンボーンやチンバッソの楽譜を部分的に吹いてもらわなければならなかった。
なので楽譜を編曲しては書き直し、それを初めは写真に撮ってメールで送っていたのだけど、途中でスキャンしたらいいんだと学び、それ以降は少しはマシな写真を送れるようになった。
指揮のためには各パートを勉強する、覚える、キューを出す場所を暗記するという作業はもちろんのこと、曲想やテンポなどを決めるためにいろんな演奏を聞かなければならない。
総譜はニューヨーク市立図書館から借りてきた、歴代の指揮者の書き込みがどのページにも賑やかなもので、だからわたしが練習中にうっすらと書き込んだ日本語の注意書きは、返却する時に全てきれいに消した。
全員が集まっての練習が始まったのはコンサートの1ヶ月半前からで、だから毎週末の、たった6回の日曜日の練習で、舞台で演奏できるまでに仕上げなければならなかった。
そのうちのはじめの2回は全く練習させてもらえなかったわたしは焦りに焦っていた。
簡単な曲ではないのだ。
単に技術的に難しいだけではなく、テンポや曲想がくるくる変わる。
最悪だったのは、コンサートマスターが最後の最後まで、この曲は難し過ぎて今のオーケストラの実力に合わないのでプログラムから外すべきだと思っていたことだ。
コンサートマスターがそう思っているのなら、それに倣う人がいないわけがない。
練習や準備をコツコツと進めながらも、いつプログラムから外されるかという心配がずっとまとわりついて離れなかった。
毎日誰かにメールを書いた。
練習日の翌日には、次のリハーサルに向けての練習箇所や心構えをパート別に書いて送った。
補欠メンバーの確保のためのお願いメールも送り続けた。
そうこうしているうちにいよいよ本番という時になって、ちょうど演奏旅行から町に戻ってきていた指揮の先生にレッスンを受けたら、「あーまた悪い癖がバンバン出てるよ。もう左手は縛り付けておいた方がいいね」と言われ、その日の仕事が終わってから本番までの間、必死に練習して振り方を変えた。
指揮棒を持つ右手はテンポやタイミングを、左手はひたすら表現を。
ずっと言われてたことだったのに、いつの間にか左手まで盛大に振り回してしまっていた。
いきなり当日のドレスリハーサルから振り方を変えられたら、みんなびっくりするだろうなあ…。

クリストファーのドレスリハーサル

LGBTブラスバンドの本番舞台

この写真からもわかるように、お客さんの数は本当に少なかった。
ちょうどオミクロン株というウイルスの新株が登場したところで、一気に外出の気分が削がれたこともあって、760席のうち80席あまりに座ったお客さんの、温かな応援と拍手に支えられたコンサートだった。
遠いところから来てくれたあやちゃん、のりこさん、ジャンさん、そして明子さん、秀子さん、アードリー&マック、エステラ&ロバート、家族のみんな、本当に本当にありがとう。







コンサート当日の夜はアドレナリンが出過ぎて夜も眠れず、次の日曜日はほぼゾンビ状態で丸一日を過ごし、月曜日からは仕事をこなすだけで精一杯。
コンサートの反省や楽譜の整理、お礼状書きなどもしなければならなかった。
燃え尽き症候群という言葉がぴったりの状態に、無理をし続けていた疲労と、なぜか生徒がどんどん増え続ける怪奇現象が重なって、レッスンが終わるたびにヨレヨレのクタクタになってしまう。
それは2週間経った今も同じで、週に一度しかない休日の日曜をどんなにのんびり過ごしても、予定通りにやって来る月曜日を、腕をギリギリまで突っ張って押し留めたくなるほど疲れが取れない。
37人中の35人がレッスンを受けにこの家に来るので、たった5分の間に鍵盤やドアノブの消毒や空気の入れ替えを済ませなければならない。
1日に多くて5時間、少なくても4時間、下は5歳から上は42歳までの生徒たちを、ずっとマスクを着けたままで教え続けるのは見た目よりかなり大変で、心身ともに消耗する。
オンラインレッスンだとマスクを着けなくてもよくなるが、ロスタイムがあるから一緒に弾けないし、あの距離感の虚しさはできればもう経験したくない。
コロナ禍がようやく、とうとう収束するのかと思ったら、オミクロンなどという名前の新株が登場し、あっという間に状況が悪化した。
今週からは生徒の中にも感染した子が出てきたし、感染していなくても熱や咳の症状がある人がじわじわと増えてきた。
鍼灸師の夫もわたしも、人と接する仕事なので、少しでも風邪の症状が出たらPCR検査を受け、結果が出るまでは夫は休業、わたしは教え方を変えなければならない。
こんなことを言うのは贅沢だし、なんといっても今まで通り働けることを本気で感謝しているのだけど、正直なところ、ああもう本当に面倒くさいって大声で叫びたい。

感謝祭で全国的に移動して集まったからの結果かもしれないけれど、もうあと1週間もしたらクリスマスがやって来る。
それでまたパンデミックが発生するかもしれない。
これまではなんとか無事に過ごせてきたけれど、この先何が起こるかはわからない。

などとついついクヨクヨしそうになるので、そういう時は今の中の今だけを考えることにしている。
もう過ぎてしまった時間やまだ来てもいない時間、そのどちらも考えても仕方がないことだけど、今この瞬間を大事に思って生きていくと、過去や未来は確実に変わる。
あの時にあの場所で、もう苦し過ぎて、辛過ぎて、なんなんだこの人生はと地団駄踏んだりぐったりしたりしていた過去が、今のわたしから見たらものすごく意味のあることだったんだと思える瞬間がある。
そういう瞬間が今回のコンサートまでのプロセスの中でも何回かあった。
ふふっ。
そんな時は必ず少しうつむいて、ふふっと笑う。
毎日を生きるってほんとに色々面倒くさいことだらけだけど、いいことってあるんだよ、ほんとだよ。


おまけ
食事は超質素だけど、できるだけ健康的な物を口に入れたいと思っている。
カラードグリーンの下準備をするたびに、この葉っぱのワイルドさに感動する。
夫は今、マイルス・デイヴィスの自叙伝(かなり前に出版された)にハマってて、だからキッチンには彼の音楽がずっと流れている。


手前味噌の底にたまり醤油が発生していた。