ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

また出た!責任も羞恥もゼロ市長「同意はしていない。リスクは考えなくてもいい。責任は国が持つべき」

2014年10月31日 | 日本とわたし
3日前に出された二つの号外。






そして以下は、10月28日に行われた、薩摩川内市・岩切秀雄市長による記者会見を、岩上安身氏がレポートし、140文字以内にまとめて連続ツィートで流してくださったものです。

鹿児島の現場からのレポート!

川内原発を抱える、鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長が、10月28日に開かれた臨時市議会で、原発再稼働への同意を表明した。
傍聴席や会場外では、市民らが再稼動反対を訴え、会場は一時騒然とした。

市議会の原発対策調査特別委員会が、先週20日に、早期の再稼働を求める陳情を、賛成多数で採択した。
これを受けてこの日に、臨時議会が招集され、議長と退席者1名を除く24名中、19対4(棄権1)の賛成多数で、再稼働を求める陳情を採択した。

市議会の判断を受けた岩切市長は、臨時市議会後の全員協議会で、
再稼働を進める政府の方針を理解する」と発言し、川内原発の再稼働に、同意を表明。
その後、市役所で記者会見した。

会見では、再稼動について、「私は同意しておりません」という驚きの発言も。
この期に及んでもなお、主体性を持って再稼働に臨もうとしない市長の姿からは、
まるで責任感といったものが感じられず、さらに原発再稼働への不安は高まった
以下、会見の模様を報告する。

記者:
川内市は、全国ではじめて、新基準のもとで、再稼動の同意を表明しました。
現在のお気持ちは、どのようなものでしょうか。
また、19回も(説明会を)市議会で開いた理由について、どのように考えておられるのか、お聞きしたいと思います。


岩切市長:
大変緊張しながら、再稼動問題に取り組んできました。
かねてから、まずは厳しい安全性を身に着けていただきたい、十分対策を作ってほしい
そのうちに、この基準を作った人に来ていただき、市民に説明会を開いてほしい、ということを、お願いしていました。

そのうちに、市議会の反応を得たのちに、自分が最終的に判断したということです。
今日も、本会議のなかでやはり、慎重論をいわれる人たちの気持ちを考えると、まだまだ厳しい状況をこらえなければならないのかな、ということを思います。

九州電力には、再稼動が認可されたのであれば、十分に気をつけていただきたい、というのが今の気持ちです。
また、議会のなかで、特別委員会が何回も議論して、時に対応してくれたのは、
原子力発電所に対する議員の認識が、高かったからだと思っています



記者:
薩摩川内市にとって、川内原発はどんな存在なのでしょう。


岩切市長:
歴代の市長がそれぞれ、薩摩川内市の発展のために尽力してきました。
昭和30年代、本市は、財政再建団体という厳しい状況にあり、市長、議会は、地域活性化、振興のため、原発を誘致しました

歴代の市長、議会が、原発に対し、厳しい安全性を心がけてきました。
30年間、大きな事故なしに続けてこられたのはやはり、市長、議員が勉強しながら、九州電力に安全性を求めてきたからであり、
私もそれを引き継いでいかなければ、と思っております。


記者:
審査書が正式に出されてから、50日での再稼動の同意、ということとなりました。
この日に同意をしたということの意味とは、どのようなものでしょう。


岩切市長:
許可がなされたということで、安全性を国がきちっと確認した、と思っています。

原子炉の設置の変更が、一番大事なことであり、議会の判断を仰ぎながら、地元での説明会も本市に限り
市民に理解してもらうためにも、50日は、大事な時期であったと思っています。


記者:
反対派に対して、どのようにお考えですか。


岩切市長:
今日の傍聴席から、もうちょっと冷静に話ができないかな、と思いました
川内原発一号機、二号機も、当時の状況からすると、そう厳しい批判はありませんでしたので、ほっとしています。


記者:
地震、津波への対策を進めてこられましたが、規制委員会は、『リスクはゼロにはならない』と言われています
もし災害があった場合、福島同様、広い範囲が汚染され、多くの人の生活が奪われるというリスクについて、どう認識されているのでしょうか

こうしたリスクがあるにもかかわらず、再稼動に同意をするということで、
もし事故が起きた場合、なんらかの責任をとる、ということについて、どう考えておられますか


岩切市長:
まず、私は、同意はいたしておりません
法的に、なにも、私のほうで手続きするということはないわけです。
(臨時会が)終わってから、県知事とエネルギー庁官に、『議会が終わりました、こうしたことで表明しました』ということは、お伝えはしました」

私は、同意という言葉を、一切使っていませんし、
今回のエネルギー基本計画では、なにか重大なことが起きたとき、責任は、第一義的には事業者にあるのでしょうけど、
最終的には、国が責任をとる、ということを言ってらっしゃいます

ですので、手続き上は、私はなにもしないつもりで、お二人には電話でお話しただけです

規制庁は、『100%リスクがないとはいえない』と言いますが、
福島で起きたような津波、地震、原発事故が起こった場合ならば、もう十分、100%といっていい、と私は信じています。
これについてのリスクは、考えなくてもいいのでは


福島のように、立ち入り禁止区域ができたりする、という状況は、現在では考えなくてもいいのではないでしょうか。
(旧基準では)火山の噴火と連動する、複合的な災害を考慮に入れていなかったので、『100%リスクがない』」と言えないとも思っています。


記者:
九州電力の社長とお会いされた、とのことであったが、どこで、何分ぐらいの会合でしょうか。
また、再稼動したい、と要望があったのか、またそれならば、市長はなんと答えたのか、お聞きしたいと思います。


岩切市長:
22日、社長とお会いし、『ちゃんと再稼動をする心構えがありますか』ということを聞いて、
30年間(の大規模事故のない期間)を引き継ぎます」ということで、15分ほどで済みました


記者:
再稼動の最終判断は、国が持つべきであり、その後の責任も国が持つべきである、とお考えなのか、お聞きしたいと思います。
また、県と国に要望したいことがあれば、具体的にお聞きしたいと思います。

また、今回、日本が原発に依存する社会に戻る、という大きな決断をしたわけですが、
日本と世界に対するお考えがあれば、うかがいたいと思います。


岩切市長:
責任問題は、このとおりだと、私は信じています。

また、私自身、原発依存ということでよいとは思っていません
将来的には、廃炉という形に持っていかなれば、と考えています。
私は、次世代エネルギーに力を入れてきてもいます

原発を(現在の)基幹エネルギーとするならば、次の時代のエネルギーについてどんどん研究して、
国にも、そのための施策を、要望していかなければ、と思っています。


記者:
市民アンケートに、1133通の回答が寄せられ、85%が、川内原発再稼動に反対していることがわかりました。
地元でも、反対の声が多数であるということが、はっきりとしましたが、こうした民意を、どのようにお考えでしょう。


岩切市長:
アンケート調査にはいろいろなものがあり、私は、一つ一つの結果には、考え方を示すことはいたしません


記者:
この数日間で、県内外の、市民の活動家が、鹿児島県にこられました。
市民に対して、どう理解を求めていきたいか、お考えはありますか。


岩切市長:
市民への説明会は、他市に負けないくらい、実施しております
今後も継続していきたいと思います。


記者:
今日の判断に、迷いはありましたか。
今後、もう一度定期検査があって、再稼動になると思うのですが、その際にも、同様の手続きが必要だと思いますか。


岩切市長:
まだそこまで話は聞いていませんが、そのときはまた、(反対派の市民の声を)聞きたいと思います。


記者:
国の方針に沿うのが大事だ、とお考えですか。


岩切市長:
原発政策は国策だと思っているので、国がしっかりとしてもらわなければ
(国から)言われて、『わかりました』と言ってする、というのではなく、何をお願いするのかを考えるのが当然だ、と思います


↑以上、転載おわり


↓続いて以下は、赤旗が報じた、鹿児島県議の実態です。
転載させていただきます。

川内再稼働迫る自民鹿児島県議
親族企業が原発工事

兄・妻が役員 自身も大株主

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-28/2014102801_04_1.html

原発が停止していることを、「国富の流出」といい、「再稼働はいつの日になるか」などと、
九州電力川内原発の早期再稼働を、鹿児島県議会で、再三主張している自民党の外薗勝蔵県議の親族会社が、
同原発関連の工事を、多数受注していることが、27日までに、本紙の調べでわかりました。

外薗氏の兄が、代表取締役を務め、同氏の妻も取締役の親族企業は、
クレーン作業工事を手がける、「外薗運輸機工」(薩摩川内市、資本金2200万円)です。

外薗氏自身も、同社の県への届け出書類などによると、同社の発行済み株式77株(17.5%)を保有する大株主です。

同社は、下請けとして、
「九州電力川内原子力発電所RCP/M機器搬出搬入工事」
「川内2号機低圧給水加熱器取換工事」
などの、九電の関連工事を受注。
2011年以降、少なくとも5件を受注しています。

外薗氏は、12年9月の県議会で、
このような国の方針では、再稼働はいつの日になるかわかりません
(中略)
知事の、再稼働に対しての考え方を、再度教えてください」と、
再稼働に熱心な、伊藤祐一郎知事の後押しをしています。
13年6月の県議会では、
原発を代替している火力発電所の燃料費が膨らみ、国富の流出と電気料金の値上げが止まりません」とのべています。

川内原発の安全対策を審議する、県議会原子力安全対策等特別委員会の委員です。

本紙の取材に、外薗運輸機工は、外薗氏への株主配当などの有無について、
「お答えできるものがおらず、回答できない」としています。

外薗氏の事務所からは、27日までに、回答がえられませんでした。


県民の声ではない

さよなら原発いのちの会の代表、堀切時子さん=薩摩川内市在住=の話 
九電と自分の利益が一致する人が、川内原発の再稼働を、“県民の声”かのようにいうのはおかしい
県内の住民説明会では、再稼働推進派の、企業ぐるみの動員疑惑があがっています
こうした推進派の組織に負けず、反対の声を広げていきたい。

↑以上、転載おわり


いやほんと、寒気がするほどの無責任っぷりと、顔が赤らむほどの癒着っぷり。
原発事故が起こった後でも、こんなことが堂々と続けられてる社会って、ほんとに間違っていると思います。

米国『わびさび』事情

2014年10月31日 | 米国○○事情
そろそろ終わりに近づいてきた紅葉です。


散った落葉を吸い込む巨大ホース付きのトラックが、通りのあちこちに止まっています。


今年は紅葉し切れずに散ってしまう木が多かったので、こんなふうに色づいてくれる木を見ると、ありがとうと言いたくなります。


気功瞑想のクラスがあるミリアムの家までの途中で、車を停めては撮り、また停めては撮りした町中の紅葉です。











今日は、滅多に人を入れないという、スチュアートの家に行ってきました。
スチュアートは建築デザイナーで、うちの2階の、めちゃくちゃ狭い浴室の、改装のための図面を描いてくれている人です。
彼は長年、旦那の友人アードリーと組んで、米国はもちろん、海外のファンであり顧客である人たちの家に関わってきました。
海の向こうの仕事をする時はいつも、客が飛行機代を払ってまで頼みたい、という人なのですね。
なので、うちのような、1人が使うのでいっぱいいっぱいという小さな、しかも極めて低い予算しか出せない改装というのは、
仕事というより、友だちだからまあ…という感じの、こちら側から見ると「申し訳ない」感いっぱいの、とても珍しい作業なわけで、
けれどもアードリーいわく、どういうわけか彼は、この仕事がとても気に入っていて、かなり熱心に取り組んでくれているのだそうです。

で、今回取り替えることになったのが、彼の一押し、というか、彼が実際に家で使っているものと同じで、
アメリカでは滅多に注文されないタイプの、ほぼ正方形に近い、小型の深い浴槽なのでした。
湯船に浸かると首のところまでお湯がくるというので、わたしは大喜びだったんですが、
旦那はもちろんのこと、わたしでさえも、体操座りをしなければ座れない上に、
こちらの浴室は、浴槽の外で体を洗うことができないので、その三方がすべて壁になり、それはちょっと閉塞感があるのではないかと心配になりました。
日本だと、洗い場があるので、浴槽そのものが小さくても息が詰まるような感じはしないのですが、
こちらは浴槽そのものがすべてなので、三方の壁とシャワーカーテンで仕切られた空間というのを想像するたびに、多分わたしの眉間にシワが寄っていたのでしょう、
家族か、よほど親しい友人でないと家に入れないというスチュアートが、うちに来て実際のを見れば?と誘ってくれたのです。

とても腕の良い人気者の設計士で、独身でとなると、大体の予想はついていたのですが、
彼いわく、自分なりに『わびさび』を表現しているつもり、というお家の中を、見せてもらいました。

玄関に入って目に飛び込んでくるのがこれ。ニッと笑った顔がとてもいい。


タウンハウスの1階から3階まで、各階に一部屋ずつの、なんともお洒落なお家には、部屋の照明もやっぱり…。


このランプは、人がその下を行き来すると、ひら~ひら~と舞い始めます。


スチュアートがデザインをして、作ってもらったというつい立て。


椅子のミニチュアがいっぱいの部屋。






これは3階の浴室。なんとまあ、洗い場がある日本式!


なんかもう、ありとあらゆる壁がお洒落で。






シンプルがベストだと、いつも言ってる彼は、特にお風呂にこだわっているそうな。


1階の部屋は、オーディオ鑑賞室&車のミニチュアがいっぱい。






窓の向こうには、彼がせっせと丹誠込めて作った庭が続いています。




日本人の画家が書いた、ちょっと不思議な鯉の絵。


物置場の向こうにあるトイレの中でさえ…、


階段から見下ろすと、


2階にあった不思議な岩。


絵のひとつひとつに個性があって、バラバラなんだけれども、そのスポットで活き活きしています。


器もたくさん集めているようで、これはその中のほんの一部。


これはいったい?…と思ってたら、なんと、ロウソクの炎そっくりの電灯。


ピンぼけだけども、幾何学な体がすてきでした。


タウンハウスの中庭ですが、すべてスチュアートが管理しているのだそうで、ご近所さんに大好評。


ツタの紫陽花は初めて見たかも。




建物の横もやっぱり彼が、せっせと世話をしています。


で、お風呂は実際に見てみてどうだったのかというと、正直言うとやはり、狭いなあという感じがしました。
日本のお風呂とよく似た浴槽だから、余計に、日本のお風呂場みたいなものを求めてしまうのかもしれません。
けれども、例えば壁を二方にして、シャワーをする際の後ろ側をシャワーカーテンなどで塞いだとしても、
水はけや床などへの防水を考えると、やはり後々の手入れが大変だという、プロの考えに従うことにしました。


いやもう、目と心が満腹しました。
彼んちのような、アメリカン侘び寂びの世界は、もちろんわたしの暮らしには実現しないでしょうけれども、
物を極力減らす。
どうしても持ちたいなら、絶対にこれだけは持ちたいと思う物だけにする。
すぐ使うかもしれないからと、雑多な物をダラダラと目の前に出しておかない。
という、彼のポリシーを、わたしなりにアレンジして、部屋の中から、そして頭と心の中からも、雑多な物を取り出していこうと思います。

Thank you for having us Stuart!

このブログを始めた頃の記事は、このトピック『お家狂想曲』が中心だった…と思い出しながら

2014年10月30日 | お家狂想曲
いよいよ身ぐるみを剥がれてしまったバスルーム。


浴槽がくっついていた壁の内側に、正体不明の、ダムスターのようなものが組み込まれていました。


もうひとつ、形は違いますが、同じような金属製の、これは床の少し上までのポケットのような…。


なんとなく、お風呂のガイコツとでも申しましょうか…。


これは、浴槽の配水管なのですが、どうやらとんでもなく効率の悪い、意味不明といっても過言ではないという代物だったらしく、


一昨年に、母が一人旅で来てくれるというので、排水がちゃんとできるようにしておこうと、職人さんにお願いしたのですが、
みっつの部屋の壁や天井裏、それからキッチンの棚の天井をぶち破ってもなお、ちゃんと直すことができなかったのはやはり、このせいだったのでした…。

なんとなく、パッと見、サウナな感じ。


旦那が発見した、壁板のむこうのレンガの煙突。せっかくなので、部屋のアクセントとして残すことになりました。


ドアのすぐ上にあった、誰も手が届かない棚も取り外しました。
この家の、代々の持ち主さんたちはみんな、とても背が高い人たちだったと思います。


そして昨日、とうとうバスタブが取り外され…、


実は、肌触りの柔らかい、アンティークな浴槽で、とても気に入っていたのですが…昔ながらの重厚さがムンムン。
ものすごく分厚い鋼鉄製。もう今の時代にはあり得ない、まるで潜水艦みたいです。


重くて動かせないので、今日は分割作業をしていました。


たった5年とちょっとだったけれども、やっぱり別れは寂しい。



作業中は、1階と2階の間の階段の踊り場の窓から、ガレキやゴミをガンガン放り出します。
いくら埃除けの布やプラスチックのカバーをしても、それでもやっぱり床はかなり汚れます。
なので、仕事が終わり、夕飯を食べ、食器を片付けた後に、掃除機で粗方の汚れを吸い込んでから、雑巾掛けをする毎日になりました。
まあ、毎晩ピカピカになる床は、それはそれで気持ちがいいもんですが、やはり猫の手も借りたいような気になりますが…、

当の本猫たちはというと…イチャイチャするのに忙しいようで。






まあ、彼らに期待する方がおかしいのですけれども。

今回は、小さな浴室の改装ですが、こちらに来てからずうっと夢見ていた、首まで浸かれる深い浴槽(体操座りをしなければなりませんが)と、ウォシュレットを入れることにしました。
浴槽のサイズでさえも、こちらの大工さんにとっては首をひねるような物なのに、ウォシュレットはもう、宇宙人か?みたいな顔をされてしまいます。
それで、わたしが熱心に説明すると、大抵の、屈強な男たちの顔が、どうしたらいいのかわからないというような表情のまま、どんどん赤くなっていきます。
旦那いわく、細かく説明し過ぎる、もっと言えば、言わなくてもいいことまでガンガン言ってしまってるらしいのですね。
そりゃまあ、2種類の洗浄ポジションがあって、ほんでもって日本だとマッサージとか消臭とか熱風とか、そんな機能もあるなんてことは、別にわざわざ説明しなくてもいいんですけれども…。
でも…見たことも聞いたこともないものを、無事に設置してもらえるのかどうか…ちょっとだけ不安だったりします。
ケヴィンは、「もう取扱い説明書でバッチリ勉強したからさ、任しときなって」と、アイリッシュ訛りの英語で自信満々に言うのですが…、
ウォシュレットの神さん、よろしゅうお願いします。

なあんて、こんなふうに、他所様にとってはどうでもいいことなんかを、ブツブツとつぶやいておしまい、というような日々が、また来るといいなあ。

「歴史を変える偉大な人間はごく一部。でも僕たちそれぞれが、小さな出来事を変えることができる」

2014年10月28日 | 世界とわたし


こんな世の中は、終ったほうがいいと思う理由

この世の中は、終わりにさしかかっている。
空気は汚染され、海は汚され、
動物は絶滅しそうで、経済は崩壊しそう。
教育は地に堕ち、警察は腐敗し、
知性は嫌がられ、無知はもてはやされ、
みんな落ち込んで怒っている。

お互いに我慢することができず、
自分自身に我慢することもできない。
だからみんなが薬漬け。

道路では無言ですれ違い、
話す時も、無意味なロボットみたいな会話だけ。

一生分の意味と目的よりも、
一瞬の名声を求める人が多いって?
だって、正しいなんてことよりも、
人気のあることの方が大事じゃないか。

真実よりも、ランク付けの方が大事らしい。

政府が作っているのは、学校の数の2倍の刑務所。
リンゴを探すよりも、ビッグマックを見つける方が簡単だ。
やっとリンゴを見つけたとき、
そのリンゴの遺伝子は、組み替えられていた。

大統領は嘘つき、政治家は詐欺師。
人種だってまだまだ問題だし、宗教も変わりはない。
おまえの神様なんて存在しないんだ。
俺の神様は存在するし、愛に満ちあふれてるんだ。
俺に賛成しないから、お前を殺すぞ。
それよりもっとタチの悪いところで、死ぬまで言い争ってやる。

ラジオから流れる歌の92%は、セックスのこと。
鬼ごっこで遊ぶのをやめた子どもは、
激しく腰を振っているビデオを鑑賞している。
普通の人は、1日5時間テレビを観て過ごすし、
スクリーンに流れる暴力は、ひどくなる一方。
テクノロジーで、みんなが欲しかった物が手に入るけど、
僕たちが本当に必要なものがみんな、そいつに盗まれていく。

プライドは、最高記録更新中。
人間らしさは、最低記録更新中。

みんなが全部を知っていて、みんながどこかに行っている。
誰かを無視して、誰かを非難して、
本当の人間なんて、それほど残っちゃいない。
人間のふりをしたやつらだけ。
過去から離れようとしない人間ばかりで、
今ここにいる人間など、ほとんどいない。

お金は相変わらず、諸悪の根源で、
でも、子どもにはそうは教えない。
仕事の給料なんて十分じゃないし、
よい行いがされるのは、そこに利益がある時だけ。

他人の不幸を写した動画が流行し、
一緒に笑い飛ばすために、友人にシェアをする。

今のみんなのお手本になっている人たちは、
60年前なら、真似をしてはいけないお手本だった。

人間を差別することが、合法な国がある。
なぜなら、彼らの生まれがアレだから。

会社は、何百万も投資して、専門家とやらを雇っている。
美しくなるためには、お化粧が必要だと、
小さな女の子に思いこませるために。
女の子の自己評価を、永久的に下げるんだ。
だって、女の子が満足するほど「かわいく」なんて、なりはしないのだから。
こんな不可能なスタンダードに追いつくために、ビジネスは言う。

「これ買って、あれ買って、買って、買って!」

みんなに追いつかなきゃ、
みんなと同じにならなきゃ、
これを買ったら幸せになるよ、
でも、長続きはしないけど。

この狂ったカオスな世界の中で、一体何ができるって?
解決策?

愛することができる。

ラジオから流れる、大好きな歌の中の愛じゃない。
本当の愛、真実の愛、無限の愛。
愛することができるんだ。
お互いに愛し合うこと。
朝起きたときから、夜寝るときまで、
親切な行動をやってみる。
親切は伝染するものだから。

人に会うときには、気を配ることができる。
善性の種を植えるんだ。
いつもよりも、思いやりをちょっと、追加するんだ。

許すことができる。
今から300年経っても、
友だちに、母親に、父親に、恨みを持つことに、
何の意味がある?

他人を変えようとするかわりに、
自分を変えることはできる。
自分のハートを変えることはできる。

今まで嘘を売りつけられていた。
俺たちは、リーダーや、信じていた人たちに、
洗脳されていたんだ。
俺たちのブラザーやシスター、同胞に気がつかないように。

代わりに、怒り、憎しみ、残酷さを、表に出すように。

でも、本当の愛を知ると、

怒りに対して同情で、
憎しみに対して思いやりで、
残酷さに対して優しさで、
迎え入れるようになる。

愛こそが、地球の表面で、一番強力な武器。
ロバート・ケネディも言っているじゃないか。

歴史を変える偉大な人間は、ごく一部。
でも、僕たちそれぞれが、
小さな出来事を、変えることができる。
こんな行動が、全部合わされば、
一つの世代の歴史に書き込まれるだろう。

だからそうだ。
この世界は、終わりを迎えている。

そして、新しい始まりへの道筋は、
あなたの中から始まる。




Prince Ea - "Why I Think This World Should End"
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The world is coming to an end
The air is polluted, the oceans contaminated
The animals are going extinct, the economy’s collapsed
Education is shot, police are corrupt
Intelligence is shunned and ignorance rewarded
The people are depressed and angry
We can't live with each other and we can't live with ourselves
So everyone’s medicated
We pass each other on the streets
And if we do speak it's meaningless robotic communication
More people want 15 seconds of fame
Than a lifetime of meaning and purpose
Because what’s popular is more important than what’s right
Ratings are more important than the truth
Our government builds twice as many prisons than schools
It’s easier to find a Big Mac than an apple
And when you find the apple
It's been genetically processed and modified
Presidents lie, politicians trick us
Race is still an issue and so is religion
Your God doesn’t exist, my God does and he is All-Loving
If you disagree with me I'll kill you
Or even worse argue you to death
92% of songs on the radio are about sex
Kids don’t play tag, they play twerk videos
The average person watches 5 hours of television a day
And it's more violence on the screen than ever before
Technology has given us everything we could ever want
And at the same time stolen everything we really need
Pride is at an all time high, humility, an all time low
Everybody knows everything, everybody’s going somewhere
Ignoring someone, blaming somebody
Not many human beings left anymore, a lot of human doings
Plenty of human lingerings in the past, not many human beings
Money is still the root of all evil
Yet we tell our kids don’t get that degree
The jobs don’t pay enough
Good deeds are only done when there's a profit margin
Videos of the misfortunes of others go viral
We laugh and share them with our friends to laugh with us
Our role models today
60 years ago would have been examples of what not to be
There are states where people can legally be discriminated against Because they were born a certain way
Companies invest millions of dollars hiring specialists to make Little girls feel like they need “make up” to be beautiful Permanently lowering their self esteem
Because they will never be pretty enough
To meet those impossible standards
Corporations tell us buy, buy, buy, get this, get that
You must keep up, you must fit in
This will make you happy, but it never does for long
So what can we do in the face of all of this madness and chaos?
What is the solution? We can love
Not the love you hear in your favorite song on the radio
I mean real love, true love, boundless love
You can love, love each other
From the moment we wake up to the moment we go to bed
Perform an act of kindness because that is contagious
We can be mindful during every interaction
Planting seeds of goodness
Showing a little more compassion than usual
We can forgive
Because 300 years from now will that grudge you hold against Your friend, your mother, your father have been worth it?
Instead of trying to change others we can change ourselves
We can change our hearts
We have been sold lies
Brainwashed by our leaders and those we trust
To not recognize our brothers and sisters
And to exhibit anger, hatred and cruelty
But once we truly love we will meet anger with sympathy
Hatred with compassion, cruelty with kindness
Love is the most powerful weapon on the face of the Earth
Robert Kennedy once said that
Few will have the greatness to bend history
But each of us can work to change a small portion of events
And in the total of all those acts
Will be written in the history of a generation
So yes, the world is coming to an end
And the path towards a new beginning starts within you

https://www.youtube.com/watch?v=YG9M_uK6CrY

いくら水星が逆行してたからって…

2014年10月27日 | ひとりごと
元気いっぱいの新しい家族が増えて、丸2週間が経ちました。
チビっこなりに、日に日に大きくなっている、空ちゃん海ちゃん。


いたずらの度合いも、体の大きさに比例して、どんどん増してきています。


不思議なことに、今回、わたしの猫アレルギーは、とても軽くて済みました。
辛かったのは、はじめの3日ぐらいで、あとはスウッと引いていきました。
それが二匹ともにだったので、とても助かります。
で、調子に乗って今回は、試しにベッドの上に乗っかるのを許してみました。
布団の中に、というのはいくらなんでもペケですが、掛け布団の上の足元で、二匹ともスヤスヤと、朝まで眠るようになりました。
わたしが眠るというのが分かっているのか、寝室では一切鳴きません。
でもまあ、今はまだ仔猫なのでいいようなものの、でっかくなって足の両側に居座られたら、金縛りのような状態になってうなされるかもしれません。


秋はどんどん深まってきて、色づいた葉っぱは美しく、空は蒼蒼と澄んでいます。


朝の間、リビングにはいつも、あったかな陽だまりができます。


ショーティもそうでしたが、猫は一番気持ちの良い場所というのを一番よく知っています。




でもって、気持ち良いついでに、戦いごっこ!




チビの海ちゃんは、たいていは負けてしまいますが、鳴けない(声が出ない)ので、空ちゃんの痛い痛い!という声しか聞こえません。


もうしんどいねん、そろそろやめような…と空ちゃん。


まだまだやる気な海ちゃん。



さて、10月5日から始まったとされる水星の逆行。
と、書いている自分自身が、それがいったいどういうことなのか、よくわかっていないままなんですが、26日で終了しているそうです。
どうしてこんなことを急に言い出したかというと、先週はいろいろと、大変なことが重なったからなのでした。
先週の水曜日には、例の水槽がぶっ壊れ、その後、わたしたちがお願いすることになった2階の浴室の改装工事は、週末と週日の夜に行われることになり、
なので先週の土曜日から、あれこれと人が出入りしたり、ガンガンと音が鳴り響いたり、埃や板クズがあちこちに落ちていたりするようになりました。


半分だけ残っている浴室。


110年前の、大工さんたちの仕事っぷりです。










作業をしていた大工さんのチャーリーは、この時代の大工さんたちは、家がちゃんと呼吸できるように、とても考えて建てていたと教えてくれました。
地下室の壁から三階の屋根に至るまで、家の外と内の空気の質や温度を、家全体でうまく調整できるよう、自然の建材を工夫して使っておられたのですね。


というような、そんなこんなが続いたからか、先週の木曜日ぐらいから、みぞおちの辺りがシクシクと痛むようになりました。
ああ、水が2階から溢れ落ちてきた時は、めちゃくちゃパニックになったからなあ…などと思ってたのですが、それは実は…、

昨日のお昼に、歩美ちゃんとレイチェルが組んで、沖縄と韓国が共有している米軍基地問題についてのドキュメント映画の上映会をするというので、
その会の様子を撮り、それをここに記事として載せるつもりで、張り切って準備をしていたら、
さあ出発という時に、ヒゲを剃っていた旦那に「ほいじゃ行ってきま~す」と言った途端、背中にイヤ~な痛みが走り…、
ギックリ腰、もとい、ギックリ背中なのでした…。
肩甲骨の少し下ぐらいに生じた痛みは、あっという間にどんどん深みに達し、歩くのもできなくなって、旦那に支えてもらいながら旦那の寝室に。
ベッドに横たわるように言われても、どうにもこうにも動けなくて、痛みのツボを押さえてもらいながらとりあえずベッドに到着。
冷や汗が出て、寒くなって、あのみぞおちの痛みはこれの前兆だったのかと、ちゃんとその時に伝えなかったことを後悔したりして、
ひとまず皮内鍼とお灸で救急治療をしてもらい、少しゆっくりすることにしました。
ということで上映会はドタキャン。

でも、やはりこういう時に、同じ屋根の下に、しかも痛み出したその時に、鍼灸師がすぐそばに居るというのは、なんともありがたいものです。
一度の治療で痛みはとても軽くなり、気をつけている限り動けるようになりました。
寝る前に、温灸をもう一度して、月曜日の今日はまた、今度はしっかりとした治療をしようと、診療室に入ったら…、
うん?なんか臭う…。

物置小屋と化した部屋を片付けながら、マッサージテーブルの上に置いてあったシーツやカバーをめくってみると、
あっ!
乾いてはいるものの、多分海ちゃんが下痢をし続けていた頃の名残が、しっかりと残っていました。
こりゃかなわんとばかりに、洗剤で擦ってみても、まだ臭う。
しかも、ちょっと違う場所からもなんか臭う。
しょうがない、また寝室を使おうということになり、わたしは鍼山になって動けなかったので、旦那がそのシーツ一式を洗濯機に入れて洗い始めてくれたのですが…、
治療が終り、旦那は仕事に出たので、洗濯がうまくいっているかどうかを調べに、洗濯室に入っていくと、
あれ?まだ臭ってる…なぜじゃ?
先日ぶっ倒れた水槽に、流れ出てきた水を見てみると、うっすらと茶色くて、しかもその水が臭い。
めちゃくちゃイヤな予感がして、慌てて洗濯機を止め、窓からジッと覗いてみると…、

おぉ~のぉ~!!

白いシーツの上にチョコンと乗っているのは、どこから見ても、そう認めたくなくても、空ちゃんか海ちゃんのウ◯チなのでした。
「なんでそうなるのっ!」と、欽ちゃん風に言ってみようか、などと思いながらフタを開けると、
お湯で洗っていたからか、モワ~ッとした蒸気とともに…この先は言いますまい。
(すっかり書いてしまってからではありますが、お食事中の方、想像力がとてもたくましい方、謹んでお詫び申し上げます!)
もうこうなったら仕方が無い。
乗っかっていたのをティッシュでつかみ取り、きっとコレだけでは無かろうと覚悟を決め、まずは脱水をして検査することにしました。
結果は4つ、さらに見つかるという、とんでもない洗濯をしていたわけで、
今回初めて、洗濯機についているサリタリーという機能を使い、いわゆる殺菌洗浄を試すことになりました。
とりあえず、あの臭いはすっかり消え、洗濯機の中も一応洗えたみたいなので、もう深く考えないことにしようと思っています。
やれやれ…。


ちっちゃな生きものたちは、そんな人間のドタバタにはおかまい無しに、食べては遊び、また食べては眠りしています。


今日、空ちゃんは、初めてリスくんを見てカタマリ中。


そんな空ちゃんをフフンとやり過ごし、ポーズを取るリスくん。


お手柔らかに。

「放射線被曝の問題は、原爆の被害に遡ると、その全貌が見えてくる。内部被曝の脅威知って」守田敏也氏

2014年10月23日 | 日本とわたし
23日から開催のポーランド国際会議に参加しておられる守田敏也さんと、『隠された内部被曝』の著者・矢ケ崎克馬さんの共著、『内部被曝』の6刷が、先月9月10日に、岩波より発売されました。
この『内部被曝』について、福島の原発事故後、ほとんど毎日考えたり調べたりしているうちに、
1957年生まれのわたしは、自分が思っている以上に、汚染された物を食べ、空気を吸い、水を飲んできたということが分かりました。

チェルノブイリの原発事故が起こった時は29才で、結婚8年目にして、初めての子がお腹の中で育っていました。
インターネットなど全く無く、ひたすら新聞テレビのニュースを参考にする以外に術が無かったのですが、
それでもやはり、念には念を、という意識が働き、雨に濡れないように心がけたり、風向きに気をつけたりしました。
その時の報道は、今に比べて、かなりまともだったと思います。
よその国のことだったから、だったんですね。
わたしは当時、社会のシステムや物事について真剣に考えず、自分のこととして捉えてもいませんでした。
初めての妊娠にまごまごしたり、実際に切迫流産や早産の危険と闘わなければならなかったので、自分のことだけで必死でした。

今から思えば、あの事故が起きた時に、目覚めておくべきだったのだと思います。

内部被曝については、まだ完全に理解できていないところがあります。
このブックレットは、ページ数が少なく、とても読み易く書かれているそうです。
来月、日本に帰省した折りに、わたしもぜひ買い求めようと思っています。
どうかみなさんも手にとって、ぜひ読んでいただけたらと思います。

↓以下、転載はじめ

岩波ブックレット『内部被曝』6刷が発売されました!
2014.10.18
転載元:http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/c/39d9d789a234298eda85751fd2bd0ecc


守田です。

少し前になりますが、本年9月10日に、岩波ブックレット『内部被曝』の6刷が、販売されました。
おかげさまで、内部被曝の本質を、歴史的かつ論理的に解き明かした本書は、今も静かに売れ続けています。

このブックレットを作成したきっかけは、僕が、矢ヶ崎さんの著書、『隠された内部被曝』を読んで、深い感銘を受けたことでした。
矢ヶ崎さんの着眼点の素晴らしさは、広島・長崎原爆における被曝被害に対し、アメリカがきわめて恣意的な調査を行い、データ管理をしたこと
それを下地に、放射線の人体への影響の評価が作られてきたことに、歴史的経緯を遡って迫り、
その中から、内部被曝の本質を、解き明かしていることでした。
このとき、僕は、哲学者ヘーゲルが、「本質」は「始原」の中に宿っている、と語ったことを思い出しました。
そのものが何であるかは、そのものがどこからやってきたのか、いつ、どこで、そのものになったのかの中にある。
本質は、始原を探る中で見出すことができる、という意味です。


実際、放射線被曝の問題は、原爆の被害に遡ると、その全貌が見えてきます。
そもそも核エネルギーは、平和のためなどではまったくなく、究極の殺人兵器として開発され、使用されたのでした。
これに対して、たちまち世界的な批判が巻き起こりましたが、
アメリカは、この批判をかわして、核戦略を維持するために、放射線被曝の過小評価、なかんずく、内部被曝隠しを試みたのでした。
それそのものが、核戦略の重要な一環だったのです。

矢ヶ崎さんは、この事実に、原爆症認定訴訟に参加する中で、気が付かれました。
初めてこのことに突き当たった時、矢ヶ崎さんは、
どうしてこれほどにいい加減な断言が、科学の名のもとに存続してきたのか
どうして科学者の誰も、まともにこれを批判しようとしなかったのか
憤りのあまり、三日三晩、寝れなかったそうです。

そのことも含めて、僕は、矢ヶ崎さんが解き明かしてきた真実を、できるだけ分かりやすく、多くの人に伝える中に、
放射線防護を、真に手厚く前進させる道があると直感し、ブックレットの作成を目指しました。

幸い、ブックレット『内部被曝』は、多くの方が、書評やブログ、口コミで紹介してくださり、今日まで売れ続けてきました。
各地で、学習会などでも、使用していただけているそうです。
その一つとして、明日19日に、東京の多摩市永山公民館で、午後2時から読書会が行われることを、昨日、ネットを調べていて知りました。
こうして、みなさんで読んでいただけるのは、とても嬉しいです。

いま、矢ヶ崎さんと僕は、さらに、この本に次ぐものの作成を考えています。
とくに矢ヶ崎さんは、この間、さらに、国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線評価に潜む詐欺性を、より深く解き明かすことに成功され、作業を積み上げられています。

僕も、その成果を学んでいるところですが、ポーランドから帰国後に、この点に全力を出して、集中的に取り組み、
さらに、ICRPや国際的な原子力村が、放射線被曝の人体への影響を、小さく見せてきたからくりを暴いていきたい、と思います。


ともあれ、みなさんに、『内部被曝』を手に取っていただき、熟読していただきたいです。
そのために今回は、ネット上にあげてくださった、さまざまな『内部被曝』の紹介を、ご紹介しておきます。
他にも多数、参考文献にあげてくださった方がいますが、今回は、何らかの形で、紹介や書評が書かれているもののみに絞りました。
紹介が載せられたブログ等の名前、当該ページのアドレス、記事名、執筆日時を、記載しました。
他にもご紹介していただけているものがありながら、把握できていないかもしれません。
その時はごめんなさいです。
ぜひお教え下さい。

なお、『内部被曝』は、岩波書店にご連絡いただけると、一番確実に手に入ります。
購入連絡先を示しておきます。
まだお持ちでない方は、この機会に、ぜひお求めください!

『内部被曝』購入先
岩波書店ブックオーダー係 電話049‐287‐5721 FAX049‐287‐5742
岩波書店ホームページ・ブックレット

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/


『内部被曝』著者からのメッセージ
https://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/index.html




以下、『内部被曝』の紹介を、列挙しておきます!

■放射線量測定室・多摩
http://kojukei.blog.fc2.com/

『内部被曝』矢ヶ崎・守田(岩波ブックレット)読書会のお知らせ

10月19日(日)2~4時
ベルブ永山(多摩市永山公民館) 3F 講座室

*****

■コモンズ掲示板
http://8918.teacup.com/rev21/bbs/675

矢ヶ崎克馬・守田敏也対談『内部被曝』を読むの紹介
投稿日:2014年 5月14日(水)12時47分50秒

*****

■読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/b/4002708322

Meg 2013年9月27日
ブックレットということで、ページ数は少ないが、内容はとても濃かった。
被爆量が少なくても、放射線の種類などによっては、甚大な被害を生むことがわかった
被災地でないから被爆してない、という考えがなくなった

たんぼ 2012年11月25日
やはりそうだったか!と言った印象。
関東地方に住む人間は、一読しておいた方が良い内容だと思う。
原発がある限り被曝し続けることが、良くわかった。

もみのき 2012年7月29日
現実に起きていることに、もう無知ではすまされない
これからどうしていくのか、みんなで考え、答えを出していきたい

かっぱ 2012年4月29日
薄い本だけれども、内部被爆が低く見積もられている背景など、しっかりと書かれている。
日本政府だけでなく、世界の核戦略、原子力産業が、からんでいることがわかる。
「人命」よりも、「政治・経済」を優先した結果の発表であったり、動きである。
広島・長崎の原爆投下の5年後、大きな核実験があった5年後、チェルノブイリ原発事故の5年後、
小児癌の死亡率が上がっているという統計、
また、免疫力が低い人ほど、放射性物質の影響を受け易いこと(つまり、老人などは大丈夫なように言われているが、何らかの疾患を抱えて、免疫力が低下しているので)。

*****

■Amazon ブックレビューより
http://www.amazon.co.jp/%E5%86%85%E9%83%A8%E8%A2%AB%E6%9B%9D-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E7%9F%A2%E3%83%B6%E5%B4%8E-%E5%85%8B%E9%A6%AC/dp/4002708322/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1413639452&sr=1-3&keywords=%E5%86%85%E9%83%A8%E8%A2%AB%E6%9B%9D

3.11の前に、「隠された内部被曝」を出された著者が、直後の現地福島に入られた。
今こそ、日本中の人々が、この守田敏也さんとの対談から学ぶ時だ!、とお薦めします。
未来を生きる子らの為に、いのちを守るために、今を生きる大人たちが「内部被曝」のことをもっと学ばねば!と、突き動かされた一冊です。
2013/9/12

*****

■女性と女性の活動をつなぐポータルサイト
http://wan.or.jp/reading/?p=8884

セシウム暫定基準値と、内部被ばくの正体はいかに
桜川ちはや
2013.1.20

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■里山のフクロウ
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2012/06/post-1373.html

矢ヶ崎克馬・守田敏也対談『内部被曝』を読む
2012年6月23日 (土)

*****

■京都新聞梵語
http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/20120528_2.html

内部被曝
2012年05月28日

*****

■明日に向けて
http://toshikyoto.com/press/452

内部被ばく脅威知って
京のライター 物理学者と本出版
京都新聞 2012年5月10日朝刊

*****

■鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-b6b7.html

矢ヶ崎克馬・守田敏也著「内部被曝」を読んで
2012年4月12日 (木)

*****

■ちきゅう座
http://chikyuza.net/archives/21687

矢ヶ崎克馬・守田敏也『内部被曝』是非購入、お読み下さ~い!
2012年 4月4日
諸留能興(モロトメヨシオキ):パレスチナに平和を京都の会

*****

■脱原発の日ブログ
http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11201701990.html

京都・読書之森:岩波ブックレット「内部被曝」 /京都
毎日新聞掲載 太田裕之記者の記事を転載
2012-03-23

*****

■シロツメクサの会
http://sirotsumekusa.sakura.ne.jp/xoops/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=33

内部被ばくに関する新書のご紹介?:矢ケ崎克馬・守田敏也著「内部被曝」岩波書店 2012年3月7日発売
2012年03月16日

*****

■弁護士 中村和雄 オフィシャルブログ
http://neo-city.jp/blog/2012/03/post-126.html

岩波ブックレット「内部被爆」の絶賛お薦め
2012.03.06

米国『水難』事情

2014年10月22日 | 米国○○事情
朝から獣医さんに、海くんを診てもらい、とりあえず深刻な心配はしなくていいとホッとしたのも束の間、

お昼のご飯をふたつの器に分けて入れ、別々の部屋で食べさせ始めたその時、
ゴツンッ!
上の方ですごく大きな音がしました。
え?え?え?
まさか、ついに、3階の次男くんの筋トレバーベルが、床を突き抜けて落ちたか!
いや、もしかして、カエデの爺さんのぶっとい枝が、雨風に耐え切れずに折れて落ちて、屋根に穴が空いたか!

そんなことを一瞬のうちに考えていると、台所の、自分の目の前の窓の上部から、水がジャーッと勢い良く流れ落ちてきたではありませんか?!
ぎょえ~!

これはもう、かなりヤバいことが起こっているに違いない!
慌てて外に出て、カエデ爺さんを見てみると、うん?普通だ…。
ということは、家の中だよぉ~!
2階に駆け上がろうとしたその時、階段が小洒落た広場にあるような滝状態になっていることに気がつき、目の前が薄暗くなってしまいました。

2階はすでに水浸し。
ペチャペチャと滑らないように気をつけながら洗濯室に入ると、
いきなり、漏水ブザーがびぃ~~~~っと鳴り響き(遅いっ!)、さらにパニック度が急上昇

洗濯機と乾燥機の間に、小学生なら体操座りですっぽり入れるほどの、デッカイ洗い場があるのですが、
そこに、洗濯機からのすすぎの水が、推定半分以上たまったまんま、壁に装着していたネジが外れ、ガタンと倒れたのでした。
で、倒れた際に、水用とお湯用のふたつの水栓が破損して、そこからさらにシャーシャーと水が噴き出していて…、
いやあ、今思い出しても、かなり度数の高いカオスだったと思います。

ほんでもって、こういう時になぜか、旦那はいない…
大津の古い五軒長屋に住んでた頃に小火を出し、消防のお兄さん方がホースを手に、ドカドカと土足で畳の部屋に突入してきた時も、やっぱり旦那はいなかった…

とにかく、2階の床の水たまりをなんとかしないと、1階と階段がさらに悲惨な状態になるので、
ありとあらゆるタオルや大判のシーツを使って(多分横で見ていたら、不毛な動きが多かったかもしれませんが)水と格闘しておりました。
いやあ、捨て場のない(だって、倒れたのが洗い場だったので)水との闘いって、ほんとに大変です。
ボタボタとしずくを垂らしながら風呂場に行き、絞ってはまた戻りしているうちに、手のひらや指や腕が、ヘラヘラと笑い出してきて、
顔は思いっきり真剣なのに、なんでやね~ん!みたいな…。

そしてチビ猫たちも、もっちろんパニック。
滑って転けそうになったり、天井からボタボタ落ちてくるバッチイ水を飲もうとしたり、
猫の手も借りたいような時に、いやもう、はっきり言って頭の中が真っ白な、シュールな笑いがこみ上げてきました。

でも、でも、お水がいっぱいたまったからといって、こんなふうに壁から剥がれて倒れてしまう洗い場って、あかんでしょ~やっぱ!
取り付けてくれたイージーさん、この落とし前をつけてくださいよぉ~!

というわけで、いくらなんでも、かなり珍しいイベントではありましたが、ブログ用の写真なんか撮ってる余裕などなく、
どんどん近づいてくるレッスンの時間を気にしつつ、ひたすら絞っては拭き、また絞っては拭きを繰り返しておりました。
すべてが終った頃に、買い物とランチに出かけていた旦那が、さすがに買い物はカットして戻ってきましたけれども、
やることないしぃ~、ぜぇ~んぜん!

まあ、こういう事態が起こったらどうしよう…と、ふと考えてはブルブルと頭を振って打ち消したこともありました。
けどもね、けども、それは排水溝のネットに洗濯クズがたまり、そのせいで、水槽から水が溢れ出た場合なのであって、
こういうんじゃありませぇ~ん!




でもやっぱり、洗濯機屋さんも、それから配管工さんも、みんな口を揃えて言っていた、
「洗濯はやっぱ地下室の方が安全だよ~」が、身にしみて思い出された日になりました。
でもね、でもね、あの薄暗い、100年以上も前からの岩で囲まれた、なんとなぁ~くフランケンシュタインさんがヌウッと立っていそうなとこに降りてって、やりたくないんだなぁ…。


とりあえず拭き終わって、そしたらレッスンの時間になって、それから終ってちょっと一息ついた時、
右手の親指の爪が、ちょっとだけ剥がれかけているのに気がつきました。
必死になって絞っている時に、そこに力がかかっていたようです。
わたしは多分、元々は左利きだったようで、無意識に体を動かしたり使ったりする時は、左が中心になります。
小学校の床掃除の当番だった時、わたしが雑巾を絞って渡すと、よく文句を言われました。

そんな、半世紀近く前のことを思い出したり、思いがけずピカピカになった床を眺めている夜なのでした。

初めての通院

2014年10月22日 | 家族とわたし
海くんの軟便+血というのが、3日も続いてる上に、昨夜遅くにたくさん吐いて、いよいよ心配になりました。
ショーティがお世話になっていた動物病院に予約を取り、大荒れの空の下、初診察を受けに行ってきました。
わたしたちが引き取る前に世話をしてくれていたボランティアのトレーシーが、彼らは車酔いが激しく、道中でたくさん吐いた、と言っていたので心配でしたが、
隣町の、車でほんの10分程度の所にある病院なので、無事に着く事ができました。
海くんはまだ、鳴き声を出したことがありません。
キュルキュルという、喉を鳴らす小さな音が聞こえるだけで、だから診察中もずっと静かでした。

これが空ちゃんだったら、えらい騒ぎになっていたと思います。
空ちゃんは、か細いけれども(ショーティとは大違い)、ロングトーンで歌うように鳴きます。
そして鳴くのはいつも、餌の用意をしている間だけなのですが、お皿を床に置くまでずうっと鳴いているので、かなりうるさい…。


海くんは、触診、聴診ともに、すこぶる健康で、とりあえず1週間の投薬をして様子を観ようということになりました。
そして、まだ終えていない予防接種と去勢の手術はやはり、シェルターが指定するマンハッタンの病院まで行くのはやめて、地元の病院でやってもらうことにしました。
それらの費用全部込みで250ドル、という金額は、もちろんものすごく安くて、だからとっても捨て難いのですが、
やはり、うちからその病院までの道中の、彼らにかける負担を考えると、どうも気がすすみません。
覚悟を決めて、いつもお世話になっている先生にお願いすることにしました。

ショーティが赤ちゃんだった時は、うちはすごく貧乏で、ただただ餌をあげ、トイレの砂を換えるだけでした。
避妊手術も、費用が安けりゃいいと、ろくにきちんと調べもせずに(インターネットが無い時代でした)連れて行き、
結局、手術と麻酔がきちんと施されなかったのが原因で、3日間、生きるか死ぬかの状態が続いてしまいました。
食べ物だって、安いものの中でショーティが好んで食べるものを、しかも彼女はカリカリしか食べなかったので、
いわゆる、必ず病気になるであろうという餌を、亡くなる1年ほど前ぐらいまで、与え続けてしまっていたのでした。

ショーティが身を以て教えてくれたことを、ちゃんと学んでいることを、わたしたちは彼女に見せなければなりません。


いつもの~んびりゆったりしている空ちゃんは、写真がとても撮りやすいのです。


海くんにちょっかい出されて、ちょいと戦闘態勢になっている時でさえ、やっぱり楽々。


二匹は一日中、取っ組み合ったり舐め合ったり、そうかと思うと丸まって眠ったり、


やっぱり二匹いっしょに、でよかったと、彼らを見ているとしみじみ思います。



海くん、はやく良くなろうね。

『フタバから遠く離れて』第二部を作り終えた、舩橋監督の思いを聞いて

2014年10月20日 | 日本とわたし
舩橋淳監督です。


ここは、マンハッタンのビルの8階にある、グローバス氏のお茶室。
あまりに見事なので、講演が始まるまでの間、お手洗いの中まで撮らせてもらいました。






ウォシュレットに座っていると見える風景(用を足しながら撮ったのではございません、あしからず…)。


この方がグローバス氏。南相馬に、震災後、2度訪れたとおっしゃっていました。


講演会が終った後は、日本酒とお寿司を振る舞ってくださいました。


本当に久しぶりに、カリフォルニア米の濁り酒をいただきました。檜の香りがする升酒は、ほんとに美味しかったです。



さて本題。

舩橋監督は今日、ボストンからやって来てくださいました。
ボストン・第4回日本映画祭で、 「フタバから遠く離れて」「放射能 Radioactive」の上映があったためです。
上映は、マサチューセッツ工科大学でも有名な、Laboratory for Nuclear Science (LNS)で行われたのだそうです。
監督のお父さんは、広島の原爆で被ばくされました。
なので、監督ご自身が、被曝2世なのです。
その自分がこうやって、原爆の発祥地ボストンに来て、MITの、それもLNSで、
原発事故によって苦しみを受けている方々の様子を、自身の手で撮った映画の上映をしているという運命を、苦笑いしながら語ってくださいました。

『フタバから遠く離れて』は、福島の原発事故で、避難を余儀なくされた福島県双葉町の人々を追ったドキュメンタリー映画です。
その映画の第二部を、2週間前に撮り終えたばかりの監督が、映画のこと、原発のこと、福島の現状についての話をしてくださいました。



聴衆の中におひとり、英語人の方がおられたので、講演と質疑応答はすべて、英語で行われました。
なのにわたしだけ、やっぱり気持ちをきちんと伝えたいと思い、日本語で質問をさせてもらい、それを監督が訳して答えてくださるというトホホな展開に…すみません。

講演の内容、そして質疑応答の答などを必死で書きとめたのですが、なかなかうまく整理できません。
そこで、少しズルをして、ディレクターノートに記されている言葉をここに、転載させていただきます。

フタバから遠く離れて【第二部】
http://nuclearnation.jp/jp/part2/

Director's Note

原発事故は、遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。

その中で、原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな、「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。

それを見て、「ああ、かわいそうだ」と思うもの、

「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの、

こうした認知の在り方そのものが、僕はおかしいと思う。   

その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。

なぜか。

福島第一原発の電力は、ほぼ100%、関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が、使って来た電気である。

そして、60年代~日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として、
原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、
僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。

元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、
それが自分達に起因していることを、どうしても認めたくない。

そんなしっぺ返しの、強烈な<痛み>に対し、僕たちは、距離を置いて、直視を避けている。
他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。

遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものが、この世の中にたくさんある、ということ。

原発避難民は、「かわいそう」なだけじゃない。

僕たちも、その加害の一端を担っているのだ。

正義の欠如に、僕たちも加担しているという、不都合な真実。

今の国の態度は、金と、権力と、歪んだ理屈で、ムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。
(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また、世界のあらゆる国で見られる、市民の弾圧である)

住民説明会では、環境省が、中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、
すべて、事務的な、補償<金目>の議論に落とし込まれている。

そもそも、誰が、このような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。

そうすることで、国は、責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が、責任を免れている。

巨大な責任回避装置を、私たち自体がサポートしている。

他人の痛みを思いやるだけじゃ、足りない。
自分の加害について、思いを馳せる。 

それが、ぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。


【中間貯蔵施設について】

中間貯蔵施設には、根本的な問題がある。

それは、放射性物資汚染を引き起こした加害者が、法的に特定されていないことであり、
この無責任な放置が、諸悪の弊害を生み出している。
その一つは、今まで、関東圏の電力のために利用されてきた、双葉町・大熊町が、
さらに「核のゴミ」を、なぜ被らなければいけないのか、という倫理的な矛盾である。

町は、交付金・雇用を得ていたのだから、「利用された」のではない。
関東圏とはイーブンな関係であり、いま、原発事故のリスクを背負うのは、受け入れた側の自業自得ではないか、という声もある。
しかし、そういう「リスク」(=町に、おそらく30年以上は帰還できず、土地・家・財産を失い、国・東電に賠償をケチられ、
それまでの人生が、あらゆる面でグレードダウンしなければいけないという、多大な損害。
まさしく、福井地裁の、大飯原発再稼働差し止め判決で出た、「人格権」の侵害である)を、
半世紀前、原発受け入れ・操業開始の時に、誰がちゃんと説明したというのだろう?
たかだか、40年間の町の繁栄のために、それまで1000年以上つづいていた町の歴史と、
3.11以後、ずっと続いていたであろう町の将来・家系の継承が、霧散してしまう巨大なリスクを、
地方に背負わせるのは、不公平ではないだろうか。

沖縄と福島に共通する、犠牲のシステムが、ここにある。
それは、自業自得ではなく、宗主国と植民地の関係に近い、利用するものと利用されるものの関係であった、と思う。

だから、利用してきたものの責任と罪を、明らかにせずに、ゴミだけを押し付けるのは、
新たに犠牲のシステムを生むことを、容認することになるのだ。
「金目」の条件交渉となる前に、話さなければいけないのは、上のような倫理の問題である。

僕たちは、双葉町を含む、福島避難区域の人々の「人格権の回復」を、何よりもまず、求めるべきと思う。

そんな正義の追求があってこそ、現実問題として、「核のゴミ」をどうするのか、を話し合う対等な立場になる。

対等で、フェアな立場で話し合うことを、互いに尊重するという、理性と倫理が、
住民説明会の現場で、求められているものなのだと思う。

そんなの、お花畑の理想論、という人もいるだろう。

しかし、そんなフェアな立場を獲得できなかったため、水俣病患者は、50年以上の年月、待ちぼうけにされ、疲弊させられ続けた。

国民と地方の市町村が一緒になって、この前近代的な、アンフェアな対話環境を、変えてゆく努力をしないと、
単なる金目の話に、落とし込まれてしまうのだ。

だから、正義の欠如については、ちゃんと主張をしてゆくべきだし、
二度と、「犠牲のシステム」を生んではならないと、
関東圏や、原子力の電力を使って来た僕らも、それを全力でサポートすべきなのだと思う。

なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。




わたしが、このブログの書き方を変えたのもやはり、罪の意識からでした。
物心がついた頃から今までの間に、社会で起こっている理不尽な差別や犠牲の強制を、横目で見ながら無関係を装って生きてきたことを、強く恥じたからでした。

『犠牲のシステム』

これを繰り返さないこと。
そのために、日本全体が、自分自身のこととして捉え、考え、全力でサポートするべき。
なぜなら、ぼくらはみな、福島原発事故の当事者なのだから。


わたしはこの、舩橋監督の思いに強く共感し、この思いを日本中に、世界中に伝えていきたいと思います。
そうすることで、日本が、そして世界が、『犠牲のシステム』からの脱却に向かえると信じているからです。
そうしないと、日本の、そして世界の、さらに言えば地球の、未来はとても辛いものになってしまいます。
わたしはもちろん、その時には生きていませんが、だからといってどうでもいい、仕方がないなどと思えません。

一週間前に、日本外国特派員協会で会見した際に、監督が語られた言葉を抜粋して、載せさせていただきます。
引用元:http://news.ameba.jp/20141015-299/

石原伸晃環境相は『最後は金目』と言ったが、金だけの問題ではない。
双葉の町民は、それ以上のもの、歴史、コミュニティのつながり、世代を超えた文化などを、原発事故によって失った。

福島県内でも、意見は割れている。
原発事故について語ることに、辟易(へきえき)している人も多く、
中心部では、『原発事故は終わったこと。今すべきことは線量を計ることだけ』という意見もある。
(まうみ注:)
質疑応答で、福島県知事の選挙に、元双葉町長の井戸川氏が立候補を表明された時、監督が「複雑な気持ちです」と一言おっしゃったことについて伺ったところ、
今の知事選挙の最大の争点は、経済であり、事故や震災のことではなく、だから自民・公明が大々的に後押ししている候補が勝つだろう、という選挙に、
負けを覚悟で、それでも、そうやって候補者になることで、従来から訴え続けておられる福島からの脱却を、
少しでも公の場で伝えることができるからという、氏の思いを知っているからこその気持ちだったと、答えてくださいました。


東電が責任を持つべきところを、国民の税金で尻拭い。
失われているのは、“正義”だと思う。

まだ終わっていない。
映画は3、4と続くかも。
なぜ、このような人権の侵害、非人道的なことが続いているのかを、問い続けたい。
福島原発の電気を使っていたのは、我々東京の人々であり、映画監督として、作り続ける責務のようなものがあると思う。



そして最後に、本来は、サスペンスやラブストーリーなどのフィクション物語を元に映画を作ったりもする、映画監督のひとりであった自分が、
今ではこんなふうに、どのメディアも全く興味を示さず伝えようとしない、避難生活を強いられている双葉町の人たちの現状をコツコツと記録し続けている、
だから人は、僕のことを、人権活動に勤しむ映画監督か?などと思われたりするんですが…と苦笑いされていた監督の、
そういう監督だからこそ、フタバの方々の姿を間近に見、言葉を聞き、気持ちを受け取ってこられた人だからこその、この言葉が、本当に胸に刺さりました。 

「避難計画ではだめなんです、避難生活計画がちゃんとできてないと。
だって、避難は一日や二日では終らないんですから。
三日四日、下手すりゃ一週間、さらには一ヵ月、どうやって暮らすか、どこで暮らすか、そんなことも考えてないままに再稼働なんてできない。
避難生活計画でも足りない。
避難生活後の人生設計を、どうサポートしていくのか、とことん話し合って詰めていく。
まずは何が必要なのか。
何が一番大切なのか。
それを、今の日本人は、完全に見失ってしまっています」



日本は今だに、年間20ミリシーベルトの数字を変えようとしません。
世界では、年間1ミリシーベルト、チェルノブイリでさえ、年間5ミリシーベルトとされているのに、
事故から3年半以上も経った今もなお、この20が変えられないままという異常さは、本当に恐ろしいです。

今夜の講演会では、広河隆一さんが、岡山大学教授の津田敏秀さんにインタビューをした報告を、紹介してくださいました。
特集『100ミリシーベルトのウソ』は、発売を開始した『DAYS』の10月号に、掲載されているそうです。
ぜひ読んでください!

政府部内(菅政権)でも、2011年11月に、「避難地域を5ミリシーベルトにする」という議論があったにもかかわらず、
それを阻止しようとする組織や人間が居たことを、朝日新聞がスクープとして伝えましたが、スクープにならなかったのですね。
何もかもが、原発ムラの意向通りに進んでしまっています。

何とかして、この間違ったシステムを、日本から締め出してしまいたい、締め出さなければいけないと、
今夜また新たに、心に強く思いながら、家に戻ってきたのでした。

ふと考えること

2014年10月20日 | 友達とわたし
米国人夫と暮らし始めて22年、こちらに移り住んで14年、15回目のハロウィーンが近づいてきました。


この数年は、ハロウィーン、そして生徒の発表会があり、次に感謝祭がやってくる、というパターンが続いていますが、
今年は長年連れ添ったショーティが居ない代わりに、この仔たちが加わってくれます。


毎日走り回り、飛びつき合いながら、日に日におっきくなってきました。



一昨日の土曜日は、朝のレッスンを終えてからはずっと、懐かしい友人や、初めて会う人たちと、話して話して話し続けるという一日でした。
まずは、南フランス在住のイギリス人ジルが、カリフォルニア在住の友人夫婦と一緒にマンハッタンに来るというので、会いに行ってきました。
ジルは、20年もの間京都に住んでいました。
日本で居た頃に、ほんの数回会っただけでしたが、とても素敵な女性で、いっぺんに好きになった人です。

待ち合わせ場所の『チェルシー・マーケット』へ。


なんとなく、船場センタービルを思い出してしまった…。


真向かえには『Google』ビルが。

 
中はすっかりハロウィーン仕様。


延々と続きます。




あまりに人が多いので、場所を変えてランチを食べ、それから空中公園『THE HIGH LINE』へ。




やっぱり夜の方が見応えのある、このどこまでも真っ直ぐなマンハッタンの通り。



名残惜しいし話は尽きないけれども、夜はプリンストンの友人夫婦んちに行かなければならないのでお別れし、
旦那とわたしだけで、またまたチェルシー・マーケットへ後もどり。
家の改築完成祝いのパーティなので、お祝いを買わなければなりません。

時間が無いので、いろんな面白いお店を素通りしなければならず、けれどもこれだけは撮らせてもらったスパイス屋さんの店頭。



一旦家に戻り、夜遅くまで戻ってこられないので、餌を余分に置いて、またまた出発。



前回行った時にもほぼ完成していた彼らのお家。
友人夫婦のスコットとバニースのふたりはともに、旦那の大学時代からの友人で、会えば必ず昔話に花が咲きます。
スコットは巨大企業の重役、バニースは優れた建築家、ということで、この家が完成しました。

居間の窓の向こうには、プール付きの広い庭とゲストルームがあります。


洗濯室のベンチに惚れた…。


なにやら興味深い楽器が潜んでいるような…。


主寝室のバスルーム。床暖房とスチームサウナがご自慢。


熱帯魚の水槽の前で、なにやら怪しげな話(うそうそ)をする男たち。(右からスコット、旦那、アイルランド人のケビン)


話し疲れたので、あちこちに潜入して。










外に出ると、
 





完成間近のゲストハウス。


さっきの楽器を近くから。


もうちょいズーム。


中では激しい縄張り争いが続いているという水槽。



なにからなにまで素敵で、ため息が出るのだけれども、まあこんな世界もある、というようなきっぱりとした諦めを感じながら、
けれども、そこに居る初対面の人たちとは、なんらかの会話を楽しまなければならないので、脳ミソはフルに回転し続けていて、
パーティのお開きとともに車に戻った頃には、もうとんでもなく疲れてしまっていました。

夜中に家に戻ると、仔猫たちが餌の食べ過ぎから下痢をしていて、自分の都合で考えが足りないことをしてしまったことを大後悔!
とにかく眠ろうとしたのですが、どうも疲れ過ぎていたのか、朝方まで眠れず、翌日の日曜日はもう、心身ともにクタクタになってしまいました。

日曜日は、まずは水のような下痢が続いている海ちゃんのために、生後5週間の仔猫用の食事に変えました。
二匹の、しかも生後の日数が違う仔猫を育てたことが無いわたしたちは、いい加減な世話をして、すっかりお腹の調子を壊させてしまいました。
少しの量を何回かに分けて食べる空ちゃんは、生後3ヵ月半。
イッキ食いをして、お腹がいっぱいになってもかまわず食べ続ける海ちゃんは、生後4週間。
そんな二匹の食事が、同じで良いはずがなかったのだけども、考えが足りずに可哀相なことをしてしまいました。

で、その罰として、猫のトイレは悲惨なことに…。
朝から総替えをしたり、箱全部を洗剤で洗ったり、床の汚れを拭き取ったりで、一日が過ぎてしまいました。
そしてわたしはというと、土曜日の英会話疲れが出たのか、酷い立ちくらみとめまいでフラフラ…。
やはり無理はいけません。
もうすっかり慣れた、と思っていた英会話社交ですが、やっぱり体は一番正直にモノを言ってくれるようです。

家族や友人、それも遠い昔から知っている友だちや仲間と話す旦那を見ていると、たまーに、なんというか、 
言い様の無い、けれどもジメジメとはしていない、カラリとした寂しさを感じることがあります。
いったいわたしはこんな所で、なんで居るんだろう、なにをしているんだろう、と思って、コクッと首を傾げる、そんな感じです。

でもそれは、日本で居ても、同じような乾いた感情を持つことがあったので、別にここだから、ということでもありません。

いわゆる複雑な家庭に育ち、波瀾万丈な人生を生き、そして自分が大人になってからは、複雑な人生を自ら選んだのですから、
そういう感情とともに、これからも生き続けていくのは仕方がないことだし、そのことを悔やんでもいません。

などという思いをつらつらと書けるほどに、今日は回復しました。


今夜は、ドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて」の舩橋淳監督がマンハッタンに来て、今の日本の原発行政、原発避難について話をしてくれます。
会いに行って、しっかりと話を聞いて来ようと思います。