ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「今あなたが住んでいる場所に存在する原子力発電所について、あなた自身がしっかり考えてください!」

2012年09月27日 | 日本とわたし
星の金貨プロジェクト』ブログのこばじゅんさんが、7月の22日に翻訳して載せてくださった、英国紙ザ・ガーディアンの記事を紹介します。

↓以下、転載はじめ

どこまで、いつまで続く、日本政府の「国民の声を無視」

【続く密室の謀議、国民の選択を捻じ曲げる日本政府】

「理想が機能する原子力発電所などは、あり得ない」

原題『失ってしまった国民の信頼を取り戻すための、最良の方法とは』


ダミアン・キャリンドン / ザ・ガーディアン(英国)7月9日



密室の謀議は続けられ、内容の無い政府側の、ごく短い発表の後、あたかも、国民が希望しているかのような演出が行われ、原子炉の再稼働が決まりました。

日本の国会の事故調査委員会は、国民はもはや、日本政府の原子力推進政策について、どのような信頼もしていない、そう明らかにしました。

事故調の調査報告書に、こう書かれていたからと言って、今さら驚くには当たりません。
日本政府の、あまりもの電力業界・原子力業界寄りの態度により、国民は、政府が明らかにする情報を、『信じるべきではない』という確信を持つようになりました。

たとえ、国民の半数以上が、原子力発電からの撤退を、強く望んだとしても、
日本政府は、最も愚かな選択、『悪魔のおすすめ品』の選択を、まるで、国民自身がおこなったかのように、演出を続けるつもりなのです。



透明性を確保することにより、事態は好転すると、国民の誰もが思っていますが、産業界は、密室の謀議を、やめるつもりはないようです。
かつて、軍と核兵器産業が、そうした関係を続けていたことが、良い先例です。
日本の、福島第一原発で起きた、事故のあまりの悲惨さに、あなた自身は、これからは、公明正大であることが何より大切だ、と強く思っているでしょうが……。

福島第一原発で、3基の原子炉が、メルトダウンを引き起こした根本原因は、政府機関、原子力規制当局、
そして、東京電力の、3者のもたれ合い・馴れ合い、そして、危機管理体制が機能しなかったことに原因がある、
と国会事故調査委員会の報告書は、結論づけました。
そして報告書は、原子力事故から守られるべき国民の権利を、ものの見事に粉砕しました。
そして、今回の事故を、「明らかに、人間が引き起こしたもの」である、と結論づけました。



この報告書に対する、イギリスの原子力調査開発委員会(NRDAB)の見解は、読むのに数分もかからない、まさに、悲しむべきもの、としか言いようがありません。
あまりに馬鹿げていて、笑うしかない、と言ったところでしょうか。

わずか150語程度の、この『会議報告書』は、会議の中身が何もなかったことを、端的に表現しています。
議長は、政府主任科学者の、サー・ジョン・バッディントン、メンバーは官僚、学術関係者、そして、産業界の代表。
今後の、エネルギー政策に関する構想などは無く、政府が決めた、今後の原子力政策を、追認するためだけの機関です。
イギリス国内で、新たな原子炉を建設する予定の、フランスの国営企業、EDFのスタッフではないのか?という疑問がわいてくる程、その議事録には、中身がありません。
ここに、3月27日から4月24日までの議事録があるのですが、全部読むのに、数分しかかかりません。

イギリスの、原子力調査開発委員会(NRDAB)は、国家の、長期に渡る原子力政策について、助言を行うための機関ですが、
中でも重要な役割は、現在稼働中の原子炉の、安全性を高めるための対策を、検討する事で、今年、新たに設置されました。



ここで思い起こされるのが、福島第一原発の事故原因となった、政府と原子力産業界の『密室の謀議』です。
事故が起きてしまうと、今度は事故そのもの、そして、その影響を、いかに『過少に』伝えるかが、その謀議の対象になりました。
それ以上、『密室の謀議』を続けることは、かえって逆効果である、と思われていたにもかかわらず、正しい情報伝達は、行われませんでした。

日本政府は、おそらくは、もはや国民の誰もが、日本の原子力発電に対し、信頼を失っていることは、知っているはずです。
国会事故調査委員会の報告書は、
「国民の健康と安全を最優先とし、常に、安全性の向上に向けて、自ら変革を続けていく組織になるよう、抜本的な転換」を求め、「高い独立性を維持」すべきである、と結論づけました。

しかし、組織の集団思考というものは、事故調査委員会が求める、「信頼性を高めていく」という、太陽のあたる道を進もうとはしない、
それが現実であり、理想が機能する原子力発電所などはあり得ない、そう考えるべき
なのです。
原子力発電に関わる人間と組織、その現実を見て、彼らにとっては衝撃的であるが、もっと違う考え方をすべきでしょう。

ドイツでは、市民たちが協力し合い、自分たちで、小規模な再生可能エネルギー発電設備を立ち上げ、自分たち自身で、必要なエネルギーを賄う。
そうした取り組みが始まっており、そのことに、大きな感銘を受けました。
私は、そのことを、自分の目で確かめ、それを記事にしました。
→【『脱原発』後のドイツは、どうなったのか?!】
ドイツでは、『脱原発宣言』 が、新たな技術開発と技術革新が、国家的規模で進む一方、市民が望む社会正義の実現が進んでいるhttp://kobajun.chips.jp/?p=2454 で紹介済み。
こうした市民同士の連携を、今後、原子力発電をどうするかも含め、今後のエネルギー政策の、議論に生かしていくべきなのです」



今、あなたが住んでいる場所に存在する、原子力発電所について、あなた自身が、しっかり考えてください。
原子力発電を続けるためには、莫大な費用がかかり、求められる安全性を、すべて確保するためには、いったい費用がいくらかかるのか、その金額は、ウナギのぼりです。
そして、おびただしい量の、処理が完了するまで、何十年、何百年、何万年もかかる、放射性廃棄物の問題。

『最良の方法とは?』、もうその答えはおわかりですね!


http://www.guardian.co.uk/environment/damian-carrington-blog/2012/jul/09/nuclear-power-energy-secrecy?INTCMP=SRCH

↑以上、転載おわり

『命より経済』この政治家の思考停止こそが犯罪!

2012年09月27日 | 日本とわたし
一輪の花というブログを書いておられるerath-waterさんが、東京新聞の記事の書き起こしをしてくれはった。

もうそれは去年の末と半年前の記事なんやけど、尊敬する田中正造氏の言葉が、丁寧に書かれてあるもので、読んで大変感銘を受けたんで、
みなさんにも読んでもらいたいなあと思い、ここに転載させてもらいます。

↓以下、転載はじめ



田中正造語録から考えるフクシマ
国策被害 「足尾」と酷似 東京新聞 11月9日
「民を殺すは国家を殺すなり」
 

東京電力福島原発事故後、足尾銅山鉱毒事件の展示施設に、足を運ぶ人が増えているという。
鉱毒と放射能の違いはあれ、それを撒いた加害企業は、政府と親密で、被害住民は、塗炭の苦しみを強いられた。
1世紀以上の時間を隔てながらも、両者は酷似している。
足尾事件で、闘いの戦闘に立った政治家、田中正造は、命を懸けて政府を糾弾した。
その言葉と歩みはいま、私たちに何を伝えるのか。

『己の愚を知れば、則ち愚にあらず、己の愚なることを知らなければ、真の愚である。
民を殺すは国家を殺すなり、法を蔑ろにするは国家を蔑ろにするなり、人が自ら国を殺すのである
』(田中正造之生涯 大空社より)

足尾鉱毒事件を告発した、政治家田中正造は、1900(明治33)年2月17日、衆議院でこう大演説をぶった。
その4日前、鉱毒被害に苦しむ農民たち約2500人が、警官隊と群馬県佐貫村(明和町)で激突。
この「川俣事件」について、政府に抗議した。

正造は1841年、現在の栃木県佐野町に生まれた。
県議を経て、90年に、衆議院議員に初当選。
帝国議会で、足尾銅山の鉱毒被害について、質問をくり返した。
01年に、議員を辞職し、被害住民救済を訴えるため、明治天応に直訴を試みたが、失敗。
その後も、渡良瀬川の洪水防止を名目とした、遊水池建設の反対運動を続けたが、13年に、71歳の生涯を閉じた。

『世の中に訴へても感じないと云ふのは、一つは、此の問題が、無経験問題であり、又、目に見えないからと云ふ不幸もございませう』

同じ演説で、正造はこうも述べた。
大規模な鉱毒被害を引き起こしても、当時の政府は、実態を認めようとしなかった。
目に見えない物質の影響が、どの程度なのか。
福島原発事故による放射性物質にも、その構図は重なる。
1897年の、衆議院での演説は、より辛辣だった。

『まづ鉱毒で、植物が枯れる。魚が取れぬ。人の生命が縮まる』
『銅山に毒があれば、動植物に害を与へると云ふことは、古来学者の定論で、農商務の官吏が、皆正直で宜しいのである』
『銅山の毒が、何に障るかと云ふ位の事は、わかりきって居るのに、農商務省がわからぬと云ふは、不思議千万』


この言葉は、すべての情報を開示していない、現在の原子力安全・保安院や東電にも当てはまる。
正造が住んでいた、栃木県谷中村は、鉱毒沈殿用の渡瀬遊水池が作られることになり、強制廃村に追い込まれた。
加害企業の古河工業と、住民の賠償交渉も長期化。
閉山した足尾銅山周辺では、いまも、少量の鉱毒が、流出し続けている。




見えない毒・情報隠し……
反原発の哲学者 「経済より倫理必要」
『真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし』


今年3月13日、地元紙に、一つの記事が載った。
栃木県日光市にある、古河機械金属足尾事業所の源五郎沢堆積場が、
東日本大震災の、地震の余波と見られる地滑りで崩れ、渡良瀬川に有害物質が流入した
、という記事だ。
堆積場とは、銅を精錬したあとに残った、金属かすを貯蔵している場所。
12日に、同社が、2キロ下流で実施した水質調査では、国の基準を2倍近く上回る、鉛が検出された。

NPO法人・足尾鉱毒事件、田中正造記念館の島野理事は、
堆積場や、1200キロに及ぶ廃坑の坑道からも、有害物質が流れ続けている。足尾銅山の公害はいまだに終わっていない」と話す。

田中正造の研究を続けている、熊本大の小松教授(日本近代史・思想史)は、
足尾鉱毒事件と、今回の原発事故の構図が、あまりにも似ていて、本当にびっくりした」と語る。
約100年前の、正造の言葉を伝えたくて、9月に、『真の文明は人を殺さず』を出版した。(小学館)

放射性物質と同じく、「目に見えない毒」に汚染された、水や作物を飲み食いすることを、
正造は、「毒食(どくじき)と表し、汚染地域の農産物の販売や結婚で、差別が生じたことに心を痛めた
低線量の放射線被害は、未知の分野。足尾のように、福島原発事故の被害者が、見棄てられてはならない」(小松教授)

被害住民は、古河工業や政府に、何度もだまされた。
当時、「鉱毒除去のために設置する」と、政府が表明した機械は、実は、増産を目的とした、銅の採集器だった。
だが、この採集器設置と引き替えに、示談交渉を進めた。
日清戦争時は、「永久に、苦情を申し立てない」という示談契約もあった。
福島原発事故では、東電があとに撤回したが、被災者の賠償請求書に、「一切異議・追加請求を申し立てない」と盛り込んだ。

政府方針の裏付けしかない、御用学者たちもいた。
足尾鉱毒事件では、「銅山から出るのだから、銅中毒に違いない」という説が主流だった。
その中で、帝国大学医科大学(東大医学部)の、林春雄助教授がただ一人、「複合汚染」を疑った。
足尾土王算の銅鉱石は、硫化銅で鉛や亜鉛、マンガン、ヒ素やカドニウムも含んでいたためだ。

ところが、林助教授は、複合汚染を提唱した直後、文部省に、ドイツ留学を命じられた。
林助教授が不在の間に、政府は、第二次鉱毒調査委員会を設置、遊水池を作って、対策を終わらせた。


小松教授は、メディアの責任も指摘する。
古河工業が、鉱毒予防工事を実施したあと、当時のメディアは、「鉱毒問題は終わった」と報道。
実際は、当時の記述では、完全に鉱毒拡散を止められず、被害は広がり続けた。


北海道で、反原発活動を続ける哲学者、花崎皋平さんは、「日本社会における倫理観の欠如」を、問題の背景と見る。
「唯一の行動規範は、経済による欲望の充足。
欲望のまま、科学技術で何でもやっていい、と国策で突き進み、足尾行動事件や福島原発事故を引き起こした」


原発は、半減期が、数万年もの放射性物質を生む。
放射性廃棄物の処理機技術は、確立していない。
潜在的な核武装である。
ドイツ政府は、宗教者が加わった「倫理委員会」で、こうした論議を重ね、脱原発にかじを切った。

「現段階では、人間に原子力は扱えない。
いくら技術があっても、クローンを作ってもよいのか、という話と同じで、倫理的な観点が必要」
と、花崎さんは話し、正造の残した言葉を引いた。

『真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし』

デスクメモ
足尾鉱毒事件の背景にあった、「富国強兵」「増産興業」の標語は、今日、TPP推進派が掲げる「経済成長」に引き継がれている。
1世紀以上も成長神話にひれ伏す中、それが、市井の人たちを幸せにするのか、という、根源的な議論は、国政の議場からは聞こえない。
この政治家の思考停止こそ、犯罪的である。


↑以上、転載おわり


言いたいことが全部書かれてる。
真の文明を持たない国、日本。
いや、日本だけやない。
金、金、金の、命より経済を掲げてる国はみな、文明も倫理も捨て去ってしもた連中に支配されてしもてる。
山を荒らし、川を荒らし、村を破り、人を殺す。
それも平気で、心に痛みを感じないままに。
そんな連中に負けんためには、心を失わんように注意して、皆で支え合いながら粘るしかない。

過ちを繰り返そうとする人間を止める。そうせな未来は消えてなくなる。