ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

THE ACMA MUSIC FESTIVAL at SYMPHONY SPACE (Saturday, December 4 at 7:30pm)

2021年11月19日 | 音楽とわたし
先日、12月4日に行われるコンサートのプログラムがやっと決まった。
その中にわたしが指揮をする曲も入った。
その決定までに4回のリハーサルがあったのだけど、そのうちの最初の2回は振らせてもらえなかった。
だから、後の2回で十分に曲を仕上げることができるプランと、それを実現できる能力があることを証明しなければならなかった。
通常のテンポで通して演奏するだけで9分かかる曲を、初回はたったの30分強、2回目は45分の時間の中で仕上げていかなければならない。
そんな無茶な…と本当に困り果てた。
オーケストラは一人の気持ちでは動かせない。
ブラスバンドやオーケストラに頭のてっぺんから足の先までどっぷり浸かっていた18年の間、そのことが最大の悩みの種であり最高の喜びの元であったのだけど、指揮者として直面していると、また一味違った悩みや喜びを持つことがある。
みんな違ってみんないい。
その違いを尊像し、いいところを伸ばしながら、活かしながら、音楽を練り上げていく楽しさや難しさがオーケストラを指揮する醍醐味だと思うけれど、いかんせん、本当に時間が足りない。
今回はオペラの序曲なのでいろんな要素や雰囲気が組み込まれているから、演奏する側にとっても難儀な曲だ。
特にバイオリンパートは難しい部分が山盛りで、だから評判は良くなかった。
できることならプログラムから除外してほしい曲だ、という意見をちらほら聞いたりもした。
だから余計に焦った。
それでなくても忙しい生活の中に、こんな面倒な練習を強いたりして、申し訳がないという気持ちにもなった。
それをメールで書いたら、あなたは指揮者なのだからそんな気持ちをなってはいけない。申し訳ないなどということは全く無い。私たちは演奏する、あなたは私たちを導く、そして一緒に音楽を作り上げていく。そうでしょ?と、逆に励まされたりした。
そうだ、わたしはこの曲をとても愛していて、そのことをみんなに伝えたいと思っていた。
もしもみんなの中に、その思いを共有してくれる人がいたら、尚のこと幸せだと思っていた。
だからどうしても一緒にこの曲を仕上げていきたかった。
この1ヶ月は、各パートの楽譜を読んだり編集したり、低音部の音が極端に足りないのを補うためにトロンボーン奏者にチューバの楽譜を部分的に吹いてもらったり、何よりメンバーの補強のためのお願いメールを送ったりと、朝から晩まで仕事以外の時間を使って奔走した。
あと練習は2回しか残っていない。
本番の日のドレスリハーサルで初めてティンパニーが加わり、そこで一回だけ通しの練習をしたら本番だ。
一か八か、みたいな感じだけど、ほんと、もうやるっきゃない。

普段の練習はこんなふうに、雑に名前を書いた段ボール紙を前にやる。
これを書いた時はまだ初期だったのでメンバーが少ないが、今はこれより15名も増えている。

毎週末の日曜日に練習を行うOPERA AMERICAの玄関。


そういえばハロウィーンもあった。
去年は中止されてしまったからか、今年はけっこう盛況で、まだ明るいうちから変装したちびっ子たちが通りを練り歩いていた。

去年の真っ暗なハロウィーンを吹き飛ばすかのように、近所の飾り付けには力が入っていた。






プログラムが決定する直前の夕飯を、マンハッタンのコリアンレストランで夫と一緒に食べた。
外の席しか空いてなくて、足元にヒーター、分厚い毛布を体に巻いて、まるでキャンプだねと言いながら苦笑い。
グラスに刻字された店名の『コッ』は、韓国語で『花』という意味なのだそうだ。
小学校時代の花丸ハンコみたいで気に入った。


秋になると現れるSATUMAみかん。日本のみかんに一番似ていて美味しいのだけど、残念ながらオーガニックではない。

なぜか今年は元気いっぱいのキンカンの木。寒くなったのでわたしの寝室に引っ越してきた。


秋の風物詩、などと小綺麗な言葉は似合わないこの作業が始まると、ブウブウとうるさいったらないし、枯葉を吹き飛ばす間に飛び散る埃やカビがハンパじゃなくて、アレルギー持ちの夫はいつも顔をしかめている。


集めた枯葉を吸い込むバキュームカー。まだまだ落ちてくるんだけどなあ…。


おまけ・海のヨガ風寝相。悶絶中とも思えなくはない😅