ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ゆらゆら

2024年03月25日 | ひとりごと
今朝、24日の日曜日の起きがけに、伯母が突然わたしの目の前に現れた。
伯母は洋装の喪服姿で、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
大正生まれの女性にしては背が高かった伯母を心持ち見上げると、化粧っ気のない、少し寂し気な、けれども意志の強さが滲み出ている、50代くらいの頃の美しい顔があった。
伯母の四十九日が近づいていることを思っていたからか、なぜかその夢の中では伯母自身が、誰かの四十九日の法要を無事に済ませたという話になっていた。
切れ長の伯母の目はじっとわたしを見つめていて、わたしは伯母の肩を抱きながら、「大変やったねえ、ようほんまに頑張ったねえ」と言って、ああそうだ、伯母はガリガリに痩せてるけど骨太で、こんなふうにがっしりした人だったんだと思い出していた。
伯母はわたしに「ありがとう」と言ってくれた。
そう思ったけど、声にして聞こえたのか、それともそんなふうに目で語ったくれたのか、どちらだったのかがわからない。
けれども伯母からの「ありがとう」とわたしからの「ありがとう」が、胸の中で抱き合っていた。
時間にするとそれは多分10秒前後で、そうやって伯母を抱きしめたままパッと目が覚めしまって、慌てて夢に戻ろうとしたんだけど叶わなかった。

日本時間の23日の土曜日に、伯母の四十九日の法要が行われた。
本当の四十九日は命日から数えると4月2日になるので、伯母はいろんな人たちのところにさよならを言いに行ってるのだろうか。
今日は一日中、夢の中の伯母の顔が繰り返し思い浮かんできて、懐かしいやら嬉しいやら寂しいやら悲しいやら、気持ちがゆらゆらと揺れていた。


先週の土曜日は、ここから車でちょうど1時間の町に住むN子ちゃん夫婦の牡蠣パーティに招待してもらった。
N子ちゃん夫妻は、夫のJさんの仕事の都合で、ボストンとニュージャージーに半々で住んでいて、ボストンで手に入る新鮮な牡蠣と蛤、そしてウニを大盤振る舞いしてくれた。



どの種類もめっちゃミルキーでコクがあって、美味いったらない!
何もつけずにそのままツルリと舌の上に乗せ、それを軽く咀嚼すると、なんとも言えない海の香りが口いっぱいに広がる。
至福のときである。
他にもテーブルの上にはどれも美味しいご馳走が並び、満腹のお腹をふくふくと撫でていると、フランスから移住してきた洋菓子職人さんのデザートが…。
グルテンフリーの掟など遠くどこかに吹っ飛んで(最近よく吹っ飛ぶなあ😅)、食べる食べる、6種類以上もあるどれもこれもが手の込んだ逸品揃いで、これまた至福のときなのである。

お腹が満たされ過ぎて頭がぼうっとしてきたけれど、もう一つの楽しみだったSさんの三線とのジャムをせずに帰るわけにはいかない。
実はその日の朝、数日前から嫌な感じがしてた右手の中指がいきなりパンパンに腫れてきて、しかも痛みがハンパじゃなくて、もしかしてこれ、ちょっとヤバいんじゃないかと思って、慌てて夫に応急処置をしてもらったのだけど、こんな指で弾いても大丈夫かなと思いながら、とりあえずキーボードとアンプ、そして夫はエレキを持参した。
沖縄の歌を何曲か演奏し合った後、わたしが一番聞きたかったSさんの三線弾き語りに、Sさんの愛妻Hさんの舞いが加わる最強バージョンを視聴させてもらい、3度目の至福のときを過ごさせてもらった。
やっぱいいなあ三線、やっぱいいなあSさんの渋声、やっぱいいなあHさんの優雅な舞。
最後はJさんの音頭で楽しく踊り、大いに盛り上がって散会となった。
N子ちゃんたち、このパーティ(実に7カップルの参加だった)の準備はさぞかし大変だったろうなあ。
素晴らしい時を本当にありがとう。

ジャズと散歩とおうちリフォームと

2024年03月09日 | ひとりごと
うちから車で15分ばかりのところにある教会が、ジャズフェスティバルをするというので、大雨の中行ってきた。
前回行った、今から4年前のコンサートでは、海野さんという日本人ジャズピアニストが演奏して、わたしは一瞬で彼の奏でるピアノと音楽の虜になったのだけど、彼は同年9月、地下鉄構内で理不尽な暴力を受け、ピアノを弾くことができなくなった。
この記事は事故当時の2020年に書かれたものだ。
海野氏は再起不能とまで言われていた状況から復活し、今はまたニューヨークに戻って演奏活動を再開している。

彼のWikiぺディアからの引用:海野雅威 - Wikipedia
2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ、重傷を負う。
緊急手術後に一時帰国し、約半年に及ぶ治療を行った後、アーティスト活動を再開すべく、2021年に再度ニューヨークへ渡航。
8月にブルーノートNYにジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰、秋には日本でも「奇跡の復活ツアー」を敢行し、ブルーノート東京で千秋楽を迎える。
差別や暴力に屈せず、混沌とした時代だからこそ音楽の力を信じる姿は、NHKスペシャル『素晴らしき世界〜分断と闘ったジャズの聖地〜』でも取り上げられ、大きな反響が寄せられる。
ー中略ー
また、惜しまれつつ世を去った日本の名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス&フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていた。
2010年5月16日、世界中のジャズファンに愛され最後まで音楽への情熱を燃やし続けたハンク・ジョーンズが91年間の人生に幕を閉じる時、その最期に立ち会う。
師の志を受け継ぎ、自己の音楽を追求することで本分を全うしていきたいと強く感じているという。

なんともすごい人なのである。

さて、今回の演奏者はSullivan Joseph Fortier Jr.という名のジャズピアノ&ハモンドオルガン奏者で、初っ端から飛ばす飛ばす!
このビデオは単にわたしがみなさんに、彼がどんな感じでオルガンを弾くかをお見せしたくて選んだもので、コンサートとは全く関係がない。
が、彼はこんなふうにいかにも楽しく、軽やかに、歌心いっぱいの音楽を聴かせてくれた。
普段はちょっと苦手であまり好まないぶっ飛びのジャズなのだけど、ドラムもベースもノリノリで、オルガンの音色の微妙な変化やリズムに引っ張られているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。
久々の至福の時である。

この教会はなんかほんわかとしていて心地良い。



こんな舞台の端っこで演奏するっぽい。

わたしはたまたま彼ら側の端っこに座ったので見えたけど(ドラムは全く見えない)、他の人たちはほとんど会場の左右横に設置されたスクリーンを見ながら聴いていた。


今年の初春は雨だらけ。
来る日も来る日も雨が降るので、たまに晴れると気分はハンパなく上昇する。

以前から夫は、健康管理の進捗状況がわかるように設計された、Fitbitという名のスマートウォッチが示す睡眠の質や歩数の記録をわたしに見せていたのだが、それをわたしも使うことになった。
ごく最近のことである。
わたしはそんな小道具を使わない限り、ダラダラと夜更かししたり寝坊したりするタチなので、自制のために使うことにした…情けないけど…。
それで、使い始めて分かったのだが、そんなふうに超適当で、いまだにベッドに入る時間が夜中の12時近くになってしまうわたしなのに、眠りの質が健康オタクの夫より遥かに良い。
それから笑えることに、腕時計なので手を動かすと歩数として換算されてしまうらしく、レッスンでハノンを生徒たちと一緒に弾いているだけでガンガン数字が加算されて、あっという間に5千歩近くになる。
わたしは座ってるんですが…いいんですかねfitbitさん。

でも、晴れた日ぐらいは真っ正直な歩数を稼ぎに散歩に行こうではないか、というわけで、先日近所の公園に行ってきた。
入り口近くにある老木の木肌が、べろり剥がれ落ちていた。


ここから落ちたみたいだ。なんとも痛々しい。

枝もたくさん落ちていた。


晴れていると何でもかんでもいい感じに見える。


カモさんたちもご機嫌だった。

ここはいつ来ても人が少ない。


今日はうちの前庭と横庭、それから裏庭のあれやこれやを整えてくれる庭師さんに来てもらって、こちらの要望を伝えた。
昨日は屋根と雨樋、それから裏庭に降りる階段の補修をしてくれるリフォームの専門家さんに来てもらって、こちらの要望を伝えつつ、予算を出してもらうようお願いした。
複数の業者に同じ話をして予算を出してもらい、彼らの評判と予算の高低のバランスを吟味して、どの人にお願いするかを決めなければならない。



この家に引っ越してきて丸15年。
そもそもこの家は『as is』という条件(あるがまま、何のリフォームもされていないまま)で買ったので、最初から修理の宝庫のような家だったのだけど、この15年間でやれたことは床の研磨とコーティング、そして2階の浴室のリフォーム、そして放っておくと危険なまでに劣化した玄関口の階段のみ。
そして今年、屋根がいよいよこのままだとヤバいということが判明し、そういや雨樋も、いやいや雑木の枝ぶりもと、どんどんと課題が押し寄せてきて、この際思い切って全部やってしまうことにした。
勢いで念願の、いや、悲願だった1階のシャワー室のリフォームもやる。

2階の浴室のリフォームでは、業者のトンデモな失態続きに疲弊して、もう2度とこちらの業者とは関わりたくないと地団駄踏んだことをふと思い出し、胸の奥にモヤモヤとした不安雲がわいてきたりするのだけど、わたしたちもそれなりに経験を積んで学んだわけで、とにかく無事に全てが終わることを祈るばかりの今日この頃である。