ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

楽しい計画

2009年08月31日 | 家族とわたし
とはいえ、かなり自分達勝手な計画です。旦那が思いつきました。

始まりは、我が家の車問題でした。
わたし達一家四人は、二年前から、それぞれに車が必要になってしまいました。
一台は遠く離れて住んでいるTに、一緒に暮らしている我々三人は、互いのスケジュールをなんとか工面して、二台で頑張っていた頃もありました。
なんて偉そうに言っていますが、その三台の車はすべて、旦那の両親からのお下がりです。

旦那の父親は某有名チョコレート会社の社長の席争いに嫌気がさして、まだまだやり手の副社長時代にきっぱりと退職し、
その後はボランティアで州都の芸術環境を整えたり、いろんな会社の経営コンサルタントとして忙しくしていたところ、
いきなり大きな保険会社の会長を臨時でやって!と頼まれて、臨時ならいいよと引き受けたまま、今だに辞められずにいるという人です。
彼の子供はうちの旦那と、彼の姉と弟の三人。みんな独立して家庭を持っているけれど、誰ひとり父親のように成功した者はいません。
というか、仕事人間だった父親とのいい思い出が無かったこともあってか、旦那は大学を出た後もブラブラしていて、挙げ句の果てに、日本なんてとんでもなく遠い所に行ってしまったし、弟はヒッピーだったし、姉は仕事を転々と変えていました。
でもまあ、年を取るとともに、それぞれに合った家族を持ち、基本的には親に頼らずにやってきています。
もちろん、父親の方から、学費を半分助けてあげよう、という申し出があった場合は、ハイハイ、ありがとうございます!と一つ返事で助けてもらったりはしますが、月々の生活については、どんなに困っても、たとえ半乞食のように市場のクズをもらいに歩いてたとしても、お金を貸してください、などとお願いしたことはありません。
ちょっと変わった家族なんですね。これを理解するのにかなり時間がかかりました。

そんなL家の親子の間に、もうひとつ、けったいな取り決めがあります。
父親の税金対策だという噂もありますが、両親が車を買い替える時、子供達が順繰りにその車をいただくというものです。
旦那姉は、数年前に株で成功して、その順繰りから抜け、自分の好きな車を買えるようになったので、今は旦那と旦那弟が対象です。
そういうわけで、うちには不相応な、どちらかというとラグジュアリーな車があるわけです。
旦那母の車は、父のように数年で買い替えたりしないので、結構お年を召しておられますが、それでもまだまだ大丈夫。
今回(今年)の母の車は、シアトルに住む旦那弟の所にお輿入れすることになっています。
旦那弟の、前にもらった車はもうかなりヤバい状態で、一日も早くその母からの車を使いたい状態なんだそうです。


対して我が家……息子Kに我々夫婦が買ってあげられたのは、超ポンコツのクラウンヴィクトリアでした。
ここにも何回か載せたことがありましたが、夏に入ってから数回、突如なんの前触れもなく、道の真ん中で止まってしまうことがあり、
そのたびに修理に出したり宥めたり、いろんなことを試してみましたが、やっぱりフォードだべさ……という暗黙のあきらめ雲が漂い始め、
このたび廃車手続きを取って、きっぱりとお別れすることにしました。
Kの大学は今日から始まったのですが、わたしの仕事がまだ夏バージョンなので、なんとかギリギリのところではありますができています。
でも、明日から早くも9月?!生徒達の学校も始まり、バケーションで遠くに行っていた子供達も街に戻ってきます。

そこで……、

母が旦那弟にあげようと思っている車を、Tが大学を卒業してこちらに戻ってくる12月中旬までうちで使わせてもらう。
その間、旦那弟の車に問題が出た場合の修理代をこちらが払う。
Tがこちらに戻り次第、旦那&わたし&T&Kで、ここからシアトルまで母の車をお届けの旅に出る。(多分5日間ぐらいで行けるそうな)

超身勝手ではありますが、うち的にはかなりイケてるアイディア。旦那弟にはオッケーの返事をもらいました。
問題は母です。母がそれでいいかどうか、今考えてもらっている最中です。
まあ、一番の懸案だった、いったい誰がその車をシアトルまで乗ってくか、ということが解決するんだから、ええんちゃうかな~と思ったりもします。

一度やってみたかったアメリカ大陸横断ドライブ。Tが日本に行ってしまう前に、もし家族四人でこの旅が実現したら、わたしとしてはめっちゃ嬉しい

ちょっとドキドキしながら母の返事を待っているところです。


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ようこそヨハン!

2009年08月30日 | 友達とわたし
昨日までの鬱陶しい雨が去って、なんとも気持ちのいい、秋の気配が漂う快晴の日曜日。
昨日の半日のマンハッタン行事と、二ヶ月空けて突然やってきた生理のすごさに完全にノックアウトされたわたしは、九時まで大寝坊。
わたしが起きた頃には、旦那は外回りの掃除やら、枯れた木の根っこの処分やら、草引きやらを済ませ、一汗後の朝食を食べ始めたところでした。

「今日は大雨が降った時に水漏れする窓の周辺を修理してみる」

なんとも美しく感動的な予告だこと!
男が家の主になるというのはまさにこういうことなのだと、絵に描いたような変革を遂げた旦那。
あのズボラで、年中昼寝がしたくてしたくてたまらなかった、日本滞在中の旦那は、いったいなんだったのでしょうか?
いや、こっちに来てからも、借家住まいの九年間は、家のことなんかまるで興味ありゃせんがな~な男でした。
それがどうでしょ。ゴミ出しから雑草抜き、果てはご近所さんからはしごを貸してもらっての窓枠の点検と修繕、ときたもんだ。
あ~引っ越して良かった良かった!

午後からは、今だに買わずにいるベッドを見に行こうかということになり、休みの日に買い物に出かけてもいい気になってる旦那の気が変わらないうちにと、せっせせっせと身支度しているところに電話がかかってきました。

「ハイ、ケリーだけど、今日ちょっと遊びに行ってもいい?」

ケリー&ウーヴェ、そして彼らの14ヶ月の息子ヨハンの三人が遊びに来てくれました!
もちろんベッド探しは中止。わたしは慌てて台所だけチャッチャと片付け、三人を迎えました。
ウーヴェはドイツ人。旦那がアメリカに戻るきっかけになった会社の社長であるダンの会社創立時からのパートナーです。
マンハッタンで会社を立ち上げる際に、ドイツに留学していたダンと一緒にアメリカにやってきました。
穏やかで知的で、ウィットに富んでいてとてもお洒落。のっぽで美しいケリーとはインターネットのお見合いサイトで知り合いました。
彼らが四年前に買った家もとても古くてチャーミングです。彼らの趣味はわたし達のそれと合うところがいっぱいあるので、彼らにはぜひ、この家を見てもらいたいと思っていました。

風の流れ、気の流れのいい、すてきな家が見つかって良かったと、心から喜んでくれる二人を見て、とても幸せな気分になりました。
ヨハンはもういつの間にか歩けるようになっていて、ケリーをママ、ウーヴェをパパと呼んでいました。
アメリカではダディ、マミィなのにと聞くと、ドイツではママ&パパなんだそうな。
へ~、それやったら日本と同じやん、と言うと、二人ともびっくり!
日本の片仮名言葉って、ほんとにいろんな所から来ているのがごちゃ混ぜになっていて、それがいい時もあるし困る時もあります。
それにしてもひとの子ってほんとに早い……。

ワイン好きが高じてソムリエの資格を取るための学校に通っているウーヴェ。仕事をしながらの勉強なので大変です。
一回目の記念すべき試験は、ヨハンが生まれたその日にあったそうです。一日半寝ずの付き添いをしていたけれど、気がたっていたので、自分がどんなに疲れているのか全く分からなかったそうな。
それが、喧噪の中の病院から試験場に入り、静かな教室の机の前に座った途端にとんでもない睡魔が襲ってきて、
試験が終わるまではせめて起きていたいと、そればかり考えて、緊張する余裕もなかったウーヴェ。見事、難関で有名な試験をパスしました。
あと6週間で終了試験を受け、それに合格すれば見事ソムリエウーヴェの誕生です。
その彼が選んで持ってきてくれた2004年のリースリングワイン、美味かぁ~!

ヨハンははじめのうち、なかなか笑ってくれなかったけれど、瞬間かくれんぼの芸でちょっと和んだのか、ケタケタっと笑ってくれました。
音楽にかなり興味がある彼、ベートーヴェンの『喜びの歌』のメロディが大好きだというので、ここで点数稼がにゃ~とばかりに弾いたわたし。セコっ!

マンハッタンに通い易いし、静かだし、木がいっぱいだし、いつか近所に引っ越してきたらヨハンにピアノを教えてねと、ケリーママからの予約です。

あの一家が近くに住むようになったらいいなあ。

窓を少しだけしか開けていないのに、外からひんやりとした風が入ってきてちょっと肌寒くなりました。
秋がぐんと近くなったようです。
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日本は変わるのだろうか

2009年08月30日 | 世界とわたし
予想はしていたけれど、それ以上の勢いでもって有権者が投票しに出かけ、そして結果が出た。
アメリカ東海岸でも大きくそのニュースは取り上げられ、旦那も興味深くその記事を読んでいた。

長い長いトンネルの中で、差し込む光を見つけても、それが出口につながらないことが多過ぎて、気持ちはくさり、諦め上手になるばかり。
けれども、人は根本のところで希望を捨てない。命が続く限り、なにがしかの望みを持って生きることができる生き物。

ここアメリカで起こった歴史的な変革。その後のわたし達の暮らしや周りの様子はどうなったか。
別にこれといって大きく変わったことは見当たらない。
失業保険をもらっていた友人が、本来は半年が期限だったところをあと半年増やしてもらえた。
我々のように、この時期に家を買った者には、政府からお礼のような形で80万円の給付金が送られるなどなど。
ほんの一部の、たまたまその時期になにがしかの状況になった者だけに与えられるお金など、変革のへの字も相当しない。

政権がごっそり変わった日本。
けれども、都道府県に住む人々の周りはなにも変わらず、主導権を握る政治家だって同じ顔ぶれなのだから、劇的な変化など起こることはない。


昨日、マンハッタンはアッパーウエストの街をぶらぶら旦那と歩いていた時、美味しそうなベーグルを売っている店にふらりと入った。
「胡麻を二つとミックスを二つ」
そう旦那が注文すると、店の親父がこう言った。
「そんなみみっちい注文はお断り。1ダース8ドルにしたるからガンガン頼め」
店じまいの時間が迫っているので、売れ残りがイヤなんだそうな。
そこで気が大きくなったわたし達、親父の言う通りガンガン注文した。
半分に切って冷凍しとけばいつでも美味しく食べられる。
親父のベーグル、見た目通りの、もっちりカリカリ、とても美味いベーグルだった。これから当分の間楽しめる。



うちは、炊きたてのご飯も、あら熱を取った後、簡単な保存容器にお茶碗一杯分ずつ入れて冷凍する。



はじめのうちはラップを使っていたのだけれど、旦那に叱られて止めた。
旦那はラップを気軽に使うことを毛嫌いしている。そして、プラスチック製の容器を食べ物ごと熱することも。
なので、今はこうやって冷凍する時だけプラスチックを使い、温める時は陶器かガラス容器に移し替えてから。ラップは滅多に使わない。

わたし達はこうして、地道に、コツコツと、自分達の体や環境に良いことを試行錯誤しながら、工夫して生きている。
それはとても小さなことだけど、それがもとになって、気がつけば大きなことにつながることを知っている。
そんな市民の一票一票が投じられた今回の選挙。
弱い立場の人達から救い上げてくれるような政治が行われることを願う今日この頃。

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アシンメトリーな女

2009年08月29日 | ひとりごと
今朝早くから、いつも髪の毛をカットしてもらっているエリさんのお店に行ってきました。
なんて言うと、なんだかお抱え美容師がいる優雅なマダムって感じがしますが(え?誰もそんな感じせんって?)、
ちゃいますちゃいます、わたしが彼女んとこに行くのは年に二回、『盆と正月』という、ありがたいあだ名をいただいてるぐらいですから。
彼女のすごさは、その六ヶ月女のペースを崩さないよう、五ヶ月とニ週間、少しの不満も感じないスーパーカットを施してくれることが証明しております。
なぜだか不思議と、五ヶ月とニ週間を過ぎた辺りに、突如、あ~~っ来たぁ~~っ!みたいなボサボサ感が頭全体に広がるのです。
慌てて美容院に電話をかけます。そして彼女を指名すると、たいてい二週間ぐらい待たないと予約が取れません。んで、美しく半年が経過するわけです。

今日はたまたまプログラム用の写真撮影があったので、丁度いいタイミング、すっぱりさっぱり切ってもらおうと意気揚々と出かけました。
「さて、今日はどうしましょ?」
「ええっとええっと、写真撮るから、いかにもピアノが上手っぽい感じがするような感じにして」
「ふむ……」
「あ、それと、なんか今までにやったことがないおもろい感じ」
「ふぅむ……」
ハサミを微妙に動かしながら、鏡の中のわたしをじぃ~っと見つめて考え込むエリさん。ワクワクドキドキの瞬間です。
「じゃ、今日はアシメでいきましょ」
「へ?オシメ?」
「オシメじゃなくて、アシメ。正確にはアシンメトリー」
「アシンメトリー?」

左右非対象、または不均衡という意味の言葉だそうで、まあ平たく言うと、左側と右側の長さやスタイルが違う髪型のことなのでした。

え~っ、そんなんしても大丈夫かなあ……。

「ピアノ弾きさんって、要するに右側勝負でしょ?いや、だからって左側がどうでもええってことじゃないですけどね。どう?やってみます?」

やってもらうことにしました。右側にボリュームと長さがある、真正面から見ると首を傾げているような感じ、良く言えば、憂いのある女……ヒヒヒ。
イメージ的には、ピアノも上手っぽい(←なんという軽薄な発想。五十代とは思えん、と自分でもちょっと感心しました)。

全然関係の無いことですが、わたしの旧姓、上から下まで左右対称でした。
それが影響しているのかどうかは不明ですが、目に入る物が少し傾いていたり、まっすぐになっていなかったりすると、ついついそばまで行ってチョチョイと直してしまう癖があります。
そのままの状態を見ている間中、体の中をモジャモジャ虫が這い回っているような気分になるのです。
フフン、そんなわたしがアシンメトリー……いったいどんな生体反応が出るのか楽しみです。

今日はその非対称不均衡頭でリハーサルをやってきました。
今日は少なくとも85%の出来に仕上げてくるようにというお達しがありましたが、それはクリアできたと思います。
ただ、テンポがまだちゃんと上がってなくて、三曲の合計タイムが十分をかなりオーバーしてしまい、ちょいとお小言を頂戴しました。
あと二回のリハーサルをやって本番です。今週の真ん中あたりにまた、ジェーンと合わせの練習をすることにしました。
ふたりとも仕事を終えてからの練習なので、夜遅くになってしまいますが、周りに家の無いこの家なので助かります。
予定を話し合いながら、もう二階の大家さんのことを心配しなくてもよくなったんだと、しみじみ思ったりしました。 

「まうみさん、もししばらくして、なんか体がずっと右に傾いているようだったらまた来てね。両方切りそろえますからね~」

さて、アシメなまうみ、いつまでもつのやら……。
 
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許すということ

2009年08月28日 | ひとりごと
旦那とお気に入りのドラマ『In Treatment』のDVDを観ました。
ポールという名のセラピストが、月曜から木曜の四日間、毎週通ってくる患者さんを治療する45分間のドラマです。
セラピストと患者だけの会話が音響もなにも無い画面に展開され、その日の話の内容によっては観た後でぐったり、ということもあったりします。
役者さん達がとてもうまい!16才の高校生から問題を抱えたミドルエイジの夫婦まで、表情と仕草と台詞でぐいぐいこちらを惹き込んでいきます。

今日は破局寸前の夫婦エイミーとジェイクでした。
今回まで、取り返しのつかないほどこじれてしまった夫婦としてカップルセラピーを受けてきた二人。今日もまた同じような話が展開されていたのです。
ひょんなことからエイミーが、彼女の父の死について話し始めました。
その日、彼女の母親はとても機嫌が悪く、エイミーはそんな母親にうんざりして、父親の仕事場に避難しました。
父親は娘を元気づけようと、彼女を連れてアイスクリーム屋に行き、そこの駐車場で二人でアイスクリームを食べました。
エイミーはコーンがもうひとつ欲しくなり、店の方に戻った丁度その時、暴走した車が父親を轢き殺してしまいました。
彼女はその一部始終を見てしまい、あまりのショックにお腹が激しく痛み出し、その場で倒れ込んでしまいます。
やって来た救急車から二つの担架が運び出され、ひとつには父親の遺体が、そしてもうひとつにはエイミーが乗せられて病院に運ばれます。
母親は、「父親が死んだのはあなたのせいだ」と言って、生涯許してくれませんでした。
そういう話でした。

突然、わたしは自分の父のことを思い出しました。
父が末期の胃ガンを患い、我々の考えられる範囲の、そして支払える範囲のあらゆる可能性を試してみましたが、どれも結局はうまくいかず、どうしようもない、望みの持てない辛い時期を迎えていた頃、モルヒネの投与が始まった父は、いろんな幻想を見るようになりました。
楽しいものもあり、またとんでもなく恐ろしいものもあり、父が現実の世界から離れていく時間がどんどん増えていきました。
わたしはその頃、ピアノのコンクールに出場する生徒を数人抱えていて、生活を支えるためにも仕事を休むわけにはいかなかったので、
父の看病にかかりっきりになることができず、週末に一日二日、泊まりの看病をしに、大阪の成人病センターまで通うぐらいのことしかできませんでした。

あの晩、父はとても荒れました。「どうしてもこんなとこから出るんや!」と言ってききません。
大声で叫んだり、管を抜いたり、そばにあるコップを壁に投げつけたり、わたしに押さえつけられた彼の顔には、それまで見たことがない、わたしを心底憎んでいるような、ギラギラとした怒りが張り付いていました。
宥めて彼を車椅子に乗せ、病棟の廊下をグルグルグルグル、「さあ帰ろな。帰って上六の近鉄百貨店に行こな」と、嘘を言いながら回りました。
「そうかそうか、帰ろ。ほな、これから近鉄の天婦羅食いに行こ」
薄暗い廊下をグルグルグルグル。病室のあちこちから、別の末期の患者さんの苦しそうに吐く声やうめき声が聞こえてきます。
「静かにしてください」
見回りの看護士さんに再三注意されながら、父を誤摩化しきれるまでとにかく廊下を回ろうと、わたしはその晩決めていました。
何度目かのエレベーターの扉の前で、決まったように「早よこれに乗って帰ろ」と言う父に、「ああ、あかんわ、もう夜遅いから動かへんみたい。明日の朝一番にこれに乗ろな」と言うと、とうとう「わかった」と言った父。
ホッとして、彼と病室まで戻り、ベッドの上に寝かしました。
その途端、また人が変わったように暴れ出した父。
わたしはもうヘトヘトに疲れていたのと、どうしたらいいのか分からない自分が情けなくなって、看護士さんを呼ぶブザーを押しました。
部屋にやって来てくれた看護士さんは、父が一番嫌っている看護士さんでした。
彼女の顔を見た途端、大声を出して怒り出しましたが、彼女は慣れっこのようで、そんな父を無視して、手際よく管やらを元に戻しました。
「ちょっと外に出ましょう」と彼女に誘われて廊下に出ました。
そして「こんなに荒れられると大変ですねえ」と言われたわたしは、何を思ったのか、「モルヒネをもう少し増やしてもらえますか」とお願いしたのです。
「わかりました。担当医に申し付けておきます」と彼女が言ったその時、部屋の中からゴンという、鈍い、そしてとても嫌な感じのする音が聞こえてきました。
彼女と一緒に病室に入ると、入り口に頭を向けて、床に仰向けに倒れている父の姿が目に入りました。
彼の両目は大きく見開かれていて、けれどもとても空っぽで、絶望という絵が天井いっぱいに描かれているのを凝視している鬼のように見えました。
父は、大嫌いな看護士と一緒に部屋から出ていった娘と自分の病気に腹を立て過ぎたあまり、自分でベッドから抜け出そうとしたのに違いありません。
けれども父の足は、そんな怒りの塊となった体を支えるには、あまりにも弱くなり過ぎていました。

その日から二日後に、父は静かに息を引き取りました。
食道楽だった父が、ガリガリの骨と皮だけになって、下あごをカクカクさせながら最後の息に向かってしんどい思いをしていた時、
わたしは彼の首にしがみついて、「パパの娘で良かった。大好きやった。ありがとうね」と叫ぶしかできませんでした。

父が亡くなった直後から、わたしは自分のことを激しく責め始めました。
父が原因でいろんなことが起こり、それでわたし達家族が大変な目に遭って、ついには離散ということにまで追い込まれたり、命を狙われたりしたこと、
それをわたしはちゃんと許せていたつもりだったのに、もしかしたらこれはわたしの、心の奥深いところから現れ出た仕返しだったのかもしれない。
もしそうなんだったら、わたしという人間はなんと非情で、業が深くて、しかもそれをうまく隠し通せていることか……。
人殺し!たった一晩の辛さだけで、モルヒネを増やして欲しいやなんて頼んだ人でなし!誰が許したとしても、わたしだけは絶対に許さへん!


今日のエイミーの話を聞いて、彼女がそんな自分のことを許せなくて、しかも彼女は自分の母親から人殺し呼ばわりされていて、
けれども、そんな彼女を慰めようとする夫のジェイクの手をパンとはね除けてしまう姿を見た時、急にわたしの心に父の死の思い出が蘇ったのでした。


許すということは、なんと難しく、こんがらがった糸のようにすっきりと一本にならない、けれども真剣に臨めばできそうな気もする、
わたしにとっては憧れの、なかなか手に入らないもののようです。

でも、こうやって足掻き続けて生きるのもまた良し。苦しんだら苦しんだ分、まぁるくなったり優しくなったり、いいこともあります。

今夜は突然大泣きしたので、目の周りがボテボテです。
明日、セントラルパークで、10月のコンサートのプログラムに載せる写真を撮ってもらう予定になっているのに、いやぁ~!どうすんのよわたしっ!!

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全然知らなかった……

2009年08月27日 | 世界とわたし
のんきにお好み焼きの記事を書きながら、今夜一番食べ過ぎてしまったわたし……パンパンにふくれたお腹をさすりさすり、まだちょっと苦しいけどそろそろ寝よかと、今日最後のニュースをちらっと見たら……、


『新型インフル死者数、ブラジル557人 世界最多に。
 
ブラジル保健省は26日、新型インフルエンザの死者が557人に上ったと発表したAFP通信などによると、1国の死者数としては、522人の米国を抜いて世界最多となった。死者の1割を超える58人が妊婦だったという。

こうした状況を受け、ブラジル政府は同日、ワクチンや診断キット購入などのため、21億レアル(約1060億円)の補正予算案を国会に提案した。

隣国アルゼンチンでも439人が死亡しており、ブラジル、米国に次ぐ死者数になっている』

という記事が目に飛び込んできました。
え?なにこの数字?
まず最初に思ったのがそれ。こんな多くの人達が亡くなってるの?そんなバカな
で、記事を読み進んでいくと、ええっ!522人の米国を抜いてってなによっ?!522人ってなによっ!!

全く知らずにいました、そんなこと……
寒くなって空気が乾燥してくるにつれて、感染の可能性はもっともっと大きくなってきます。
そういや、昨日だったかのニュースでは、今年の米国の冬の新型インフルエンザの流行は二人に一人がかかり、最悪の場合死者は九万人、なんていう、とんでもない数字の予想があったっけ。

気を引き締めて、けれども過剰反応にならぬよう、これからはニュースを詳しく読んで、準備すべきことはした方がいいのかもしれません。

離れて暮らすTは、自分は頑丈で感染なんかに負けない!などと豪語しているので、そんな過信が文字通り死を招くようなことにならないよう、少し厳しい目に忠告しておいた方がいいかもしれません。
大学の中にあらゆる施設があって、大学側もわたし達親と同じように懸念しているでしょうから、後は本人次第なんでしょうが……。
離れて住む大切な人達の安否は、ここで心配してもどうしようもありません。助けに行こうにも、すぐに逢える距離ではありません。

自分の家族だけでなく、どうか、この地球に暮らすどの方々も、無事にこの冬を乗り越えられるよう、心から祈りたいと思います。
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わたしんちのお好み焼き

2009年08月26日 | ひとりごと
関西人の家では、それぞれの好みに合わせた、その名も『お好み焼き』がございます。
作り方も様々、秘密の味付けや野菜の切り方、生地のゆるさや焼き加減などなど、そこんちのこだわりがてんこ盛り。
たかがお好み焼き、されどお好み焼きなのです。

今夜は時間もなくて、買い物にも行ってなくて、冷蔵庫を調べたら、豚肉の薄切りとネギとキャベツがございました。
「そらあんた、もうお好み焼き作るしかしょうがおまへんがな」
まるで冷蔵庫にそうつぶやかれたような気がいたしました。

さて、我が家のお好み焼きの作り方をここでご紹介します。

普通のキャベツ丸々一個
卵、人数分
ネギ好きなだけ
牛乳
お好み焼き粉(小麦粉でももちろんオッケー)
だしの素(お好み焼き粉が無い場合のみ)
紅ショウガ
乾燥エビ
豚肉薄切り(安いバラ肉が一番GOOD)
天かす(あったらで良し)

んで、まずキャベツを根性みじん切り。一度、あまりにめんどくさくて、フードプロセッサーなんぞを使ってみましたがブウ~
変に水っぽくなってしまって美味しくありませんでした。やっぱコンコンひたすら包丁を入れていくのがベスト。

ネギは根性無しのみじん切りでオッケー。紅ショウガも同じくみじん切りします。

合わせのボールに、人数分の卵を割りとききほぐします。そこに粉を入れ、固めの生地を作り、その後好みの生地の柔らかさになるまで牛乳を足します。

そしてみじん切りした野菜と、乾燥エビや天かすを加え、ザクザクと混ぜ合わせます。

充分に熱しておいたフライパンに薄く油をひき、そこに生地を流し込み、形を整えたらすぐに、豚肉の薄切りを全体に乗っけます。

片面が充分に焼けたらひっくり返し、豚肉側の面をカリッと焼いたらおしまい。

なんともふつ~なお好み焼きですが、これがどういうわけかみんなのお好みに合っているようで、なかなかに好評です。
今夜も上出来、さ~、冷たいビールと一緒に食うぞ~!という時に、「あ!お好み焼きソース無い!うっそぉ~、そんなはずあらへん、かんべんしてよぉ~……」

旦那とKとガールフレンドのMちゃんとわたし、四人ともかなり動揺いたしましたが、ええ~い、これでいっちゃれぇ~と、
オイスターソース(賞味期限が定かでない)にケチャップを少々、それを恐々かけていただきました。もちろんかつお節とマヨネーズも忘れずに。

さて、みなさんちのお好み焼きはどんなでしょ?

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今ハマってるブラ

2009年08月25日 | ひとりごと
それはもう長い長~い間、わたしはブラジャーを蔑(ないがし)ろにしておりました。
ついてりゃいい、隠れりゃいいってな感じで、けれども洗濯だけには気をつけておしゃれ着洗いモード、または手洗いを心がけていたので、
年季の入りまくった、御年25年から15年が主流、新顔はアメリカに引っ越してからも登場しないまま月日が過ぎていたのでした。

どうしてそんなことが続けられたのか。
今となって考えるに、このわたし、ストンと体重を落としたことなどなく、
それらのブラさん達と暮らし始めてからの25年間、密やかに、静かに、けれどもとても確実に、ひたひたと体重を増やしてきたことが原因ではないかと、
その増え方と、着用と洗濯の繰り返しによるブラのくたびれ度が、びみょ~に美しくマッチしていたのではないかと、そう思うわけです。
そしてもうひとつ、若い頃から、体を締めつける下着をつけると、夕方ぐらいになると目眩がしたり、吐きそうになったりする難儀な体質。
なので、わたしはどちらかというと、乙女時代からすでに、体の線を美しく、なんてことへの憧れを捨ててしまっていたのかもしれません。
おっぱいが垂れているのかブラが垂れているのか、タレタレコンビは相性も良く、見た目は悪くとも持ち主はご機嫌。
まったくあんたは安つく女だことと、自分ながらに感心していた、ついこないだまでのわたしなのでした。

ところがです、例の減量コンテストで三位をいただいたわたくし、たったの5キロだったけれど、それでもパンツやシャツがゆるゆるになり、
今までずっとタンスの肥やしだった、いつか着ようと残しておいた昔の服を嬉しがって着始めたら、あれ?なんか変?と気づいたんです。
ブラがぶ~らぶらじゃあ~りませんか!?
なんて悲しい……他の部分はほとんど見た目変わらないのに、ブラのサイズだけがいっこ減っとるがな……がぁ~ん……

なんぼなんでもあかんでこりゃ。ということで、実に何十年ぶりに、下着売り場に出かけました。
そして探すこと一時間弱、とにかくワイヤーの無い、できるだけ楽そうなのを見つけようと必死で頑張りました。
ひとつ6ドルとか4ドルとかのお買い得品ながら、いっぺんに3つも買ったので雲の上を歩いている気分、
家に戻ってさっそく試着してみたら……う……ぐるじぃ、新顔特有の固さが残っています。
ちょっと柔らかくしてみようと、足の指で片方、手の指でもう片方を掴み、じわじわと引っ張ってみたら……ブチッ、新品のブラがぁ~
でもまあ、しゃあない、これからの新しい人生、またヨレヨレ組にお世話になるまでの間、ちょっとお付き合いを。

そんなある日、ブログの親友KYOちゃんが、日本滞在中にゲットしたユニクロのブラトップ、すっごく優れものですよ~と教えてくれました。
なんか、つけてる感じがしないのに、ちゃんとサポートしてくれて、しかもその支えられ感が心地良いのだそうな。
めちゃくちゃ興味津々!日本に行くチャンスがあったら絶対にお店に行くぞ!と固く心に誓ったのでした。

そんなある日、来年からの一年留学の準備のためにやって来たAちゃん、「これ、まうみが気に入ると思って」と言って渡してくれたのが……、
なんとっ!ユニクロブラトップの黒ワンピースだったではあ~りませんかっ!ぎゃあぁ~っ!逢いたかったよぉ~ブラトップ
さっそく試着してみました。なんという心地良さ。おっぱい、こんな高いとこにあったっけか?
もうその日から惚れ込んでしまいました。いいなあいいなあ、日本の女の人っていいなあ。あ、でも、ソーホーにもあったんだっけ。
などと悶々としているわたしの目の前で、毎日のようにいろんなバージョンのブラトップを着替えるAちゃん。あんたはユニクロの回しもんかっ!
「ねえまうみ、今ならブラトップ、1500円なのが1000円で買えるよ。わたしこれからネットでまとめ買いするからさ~、どう、まうみも?」
もう我慢できませんでした。色違い4枚、そしてそして、全然安くもなってない、期間限定のシームレスのブラもお買い上げ~
あ、あた、新しいブラが一気に5枚も。前に買ったのと合わせたら8枚も……全く恐ろしいことになってしまいました。

でも、そのブラちゃん達が日本から届いてからのこの数日間、起きている間中とっても幸せなわたしです。
ピラテスやヨガの過激で奇妙なポーズにも耐え、旦那が他所の男性の視線を心配するほどに普通っぽい?胸元になり、それでいて全くしんどくなりません。

あのですね、わたくし、ユニクロの会社とはなんの関係もございません。親戚縁者、誰ひとり関係ございません。
でも、いい物はいい!声を大にしてお勧めします。ハマりまっせ
出会いを作ってくれたAちゃんに感謝!

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Kがアメリカ版成人になりました。

2009年08月24日 | 家族とわたし
今日はKの21回目の誕生日。
今日から堂々と公然とお酒が飲めるようになりました。
バースデーイヴには、彼のゲーム仲間が祝ってくれて、きっかり夜中の12時を過ぎた直後にバーに皆で繰り出したそうです。
若者は店の入り口でIDを見せ、21才以上であることを示さないといけないのですが、ついにフェイクでないIDを見せられるってんで(あんまり深く考えない考えない)、もう嬉しくて、早く見てもらいたくてしょうがなかったK。
21才限定の嬉しい瞬間です。

もう何度もお話してきたので、同じことを繰り返すとしまいに呆れられるかもしれませんが、
息子達はふたりとも、超難産の末に、ほとんど母子共々命を落とす寸前にこの世に生まれ出てきてくれたので、
彼らの誕生日が来るたびに、ああ生きていてくれてありがとう!と、心の奥底からきゅーんと切ないほどの喜びがこみ上げてきます。
無事に健康に、できることなら楽しく充実した人生を、これからも一歩一歩歩んでいってくれることを、母は毎晩手を合わせて祈り続けるつもりです。

Kよ、二度目の成人おめでとう!
公然と飲めるからって、飲み過ぎて脳みそフニャフニャにしたらあかんよ。
あんたは、どちらかというとストイックな考え方をする兄ちゃんとは真反対、楽しいことだぁ~い好きやもんね。

今日は贈り物をなんにも用意してなくてごめん!
母は今、ゴタゴタの真っただ中にいて、自分の気持ちの整理がつかなくて眠ることさえままならず、そんな理由でお店に行く気力が出なかった。
去年、冗談のつもりで買った亀の縫いぐるみを、あんたはなぜだかここ一番の大事なトーナメントに必ず持ってって、それを頭にちょこんと乗っけて試合に臨んでいると聞きました。
そのお茶目さ、何気ない優しさ、それがあんたの魅力のひとつです。

あと十分ばかり残っている誕生日。わたしの二の腕掴み、しゃあない、いつもやったらすかさずゲンコツかましてるとこやけど、特別許したります。
思い残しの無いように、存分にやりたまえ!
あ、ガールフレンドと一緒やったか。そらあかん。見た目めちゃくちゃよろしくない。え?おかんはお呼びでない?こりゃまた失礼しました!



Kよ、誕生日おめでとう!
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『喜楽』のおばちゃん

2009年08月23日 | 家族とわたし
つい最近、愛ちゃんのブログで『カウンター文化』という記事が載っていて、それを読んでいるうちに鮮明に蘇ってきた思い出があって、これはそのお話。

わたし達家族四人の暮らしは、1992年の若葉の緑もまぶしい五月、大津で始まった。
今から思い出しても、いつ振り返っても、その時の貧乏ったら……掛け値なし、正真正銘の本物だった。
こんなんが永遠に続いたらどないしよ~と思いつつ、そのトンネルの穴は能天気なわたしの予想を遥かに凌ぐ長さで、
けれども抜け道を探すのも面倒だったし、賢明なことではないと思ったので、薄暗がりの中、壁を手でつたいながらひたすら前に進んだ。
今だから、そういや最後の二年ぐらいから、月末に胸がしくしく痛むような困り方をしなくなったなあ、と思い出されるけど、真っただ中にいたわたし達には、先に何が待っているのか本当に見当もつかなかった。
だからただ、諦めないで、凹まないで、ヤケにならないで、そう自分に言い聞かせながら、てくてくと前に向かって歩いていた。

最後の二年……外食がぼちぼちできるようになった。
ひとりいくらまでの制限が、四百円から六百円ぐらいにまで緩められた。

旦那は、学生だった独身の頃から、どこの国のどこの町のどこの通りに暮らしていても、そこにある、ちょっと普通入りにくいけれど、実はとても面白い、味の良い食べ物屋を探し出すのが得意だった。
いわゆる常連さんが通う店、通の人しか分からない店などなど。
散歩オタクの彼は、自分の足であちこち歩き回り、面白そうな店を見つけては、のれんからひょっこり顔を覗かせる。
その顔を見た途端、「ああ、行った行った!うちは外人お断り!」などと素気なく断られたりしても、平気でまた違う店を覗いていた。

『喜楽』は、旦那が見つけた店のひとつで、浜大津の京阪電鉄の石山坂本線の線路沿いにあった。
電車の乗客の顔がまともに見えるぐらいの近さで、路面電車が通ると店の入り口のガラス戸がビリビリと震えた。
初めてその店を旦那から教えてもらった時、いくらなんでもこんな所に小さな子供連れでなんか入れやしないと、少し腹が立ったぐらい驚いた。

店はウナギ床のように細長くて、カウンター席だけ。背の高い丸い椅子が八つ、座る客の背中とガラス戸の隙間は、人がひとり通ることさえ難しかった。
近くにある競艇場からの帰り客、工事現場の仕事を終えた人、近くの商店街の親父さん……女性など一人もおらず、みんな背中を丸め、ちびちびと自分で酌をして飲んでいる、どこか寂れたおっちゃん達ばかり。

旦那は尻込みするわたしと小学生の息子達の背中をぐいぐい押して、まあいいから入って入ってとそれはそれはしつこい。
一回入ったらもう言うまいと覚悟して、古い木製のガラス戸をガタガタと開けた。
一斉にこちらを振り向くおっちゃん達の顔には、「あんたら、なんでこんなとこ来たん?」と書かれていた。
四人が一緒に座れるようにと、順送りに奥の席に移動し始めるおっちゃん達。
自分のお猪口やおかずも一緒に動かさなければならなくて、その食器の当たる音がカウンターのあちこちで鳴り出した。
一番奥の席のすぐ上には小さな白黒テレビが据え置かれていて、そのテレビ台の角に頭のてっぺんをしこたまぶつけたおっちゃんの「痛たた!」という大声に、他のおっちゃん達が可笑しそうに笑った。
「すんませんすんません」と謝りながら、皆が空けてくれた席に座り、カウンターの上に並べられたおかずを眺める。
きんぴらごぼうにほうれん草のおひたし、鯖の塩焼き、根野菜の煮物に豚の角煮などなど、美味しそうな惣菜が並んでいた。
Kはざる蕎麦、Tはカレーうどん、わたしはきつねうどん、旦那はきんぴらとご飯、それぞれのを少しずつつつくうちに、どれもこれもすごく美味しくて、はじめの戸惑いなんかすっかり忘れて皆で舌鼓を打った。
カウンターの中のおばちゃんは、お店歴ウン十年。人生の酸いも甘いも苦いも辛いも、すべて知り尽くしているような優しい目をしていた。
わたし達の会話や、注文する時の様子などを見て、すぐにどんな家庭状況なのか見破ったのだろう、
それから月に一回ぐらいの割で顔を見せるようになったわたし達家族に、なにがしかのおまけや、盛りつけを多めにしてくれる気遣いがありがたかった。
ボクちゃんは○○やったねと、息子達の味の好みまで覚えてくれていて、なんだか親戚のおばちゃんの家で居るような、ほっこりした気持ちになれた。

しばらく経って、少し足が遠のいたことがあった。
店の前を通りかかると、閉店のお知らせの紙が貼られていた。
いったいどうしたんやろ。おばちゃん、自分にはここしかないから、足腰立たんようになるまでここで頑張るって、いつも言うてはったのに。

そんな心配をしていた時、ジャスコの食品売り場でばったりとおばちゃんに会った。
おばちゃんは、少し足を引きずるように歩いていて、その横顔には元気がなく寂しそうに見えた。
「おばちゃん、お久しぶりです。わたしです、覚えてくれてはりますか?」
「もちろん!ボクちゃん達、お元気?」
「はい、お陰さまで。あの、お店、こないだ貼り紙見たんですけど、どないしはったんですか?」
「ああ……あれね、もうわたし、やめることにしたん。足悪うしてしもたし、大家といろいろあってね、立ち退かなあかんようになってしもたから」
「そやったんですか。あのお店、子供達の一番のお気に入りで、わたしもおばちゃんの作ってくれはったお料理、全部好きでした」
「おおきに。そう言うてもらえるだけで本望やわ。でももうおしまい。もう忘れることに決めたん。しがみついてた時はやめることになったらどないしょう思てたけど、やめたらまあすっきりしたこと!ほなそろそろこれで、さよなら、お元気で」

わたしが見送るおばちゃんの背中には、カウンターの中でネギを刻んだり、ご飯をついだりしてくれていた時の、ピンと張った店主の誇りが失われていて、ただただ寂しい、やるせない怒りのようなものが張り付いていた。
やめてすっきりした。おばちゃんの強がりを言う声が耳の中でこだました。
その後、おばちゃんとは一度も会えないまま、わたし達一家はこちらに越した。

カウンターと聞くとすぐに思い出す『喜楽』のお店と、割烹着を着たおばちゃんの優しい顔。
お店はもうラーメンのチェーン店に改装されてしまったけれど、いつかまた、どこかで、おばちゃんと会いたいなあ。

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