ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

霜月最後の日

2009年11月30日 | 音楽とわたし
え?もう師走?
去年も曲の仕上がりに追っかけ回されて、気がついたら一年が終わってて、今年はそんなふうに過ごさんようにと気をつけたつもりが、もうあと1ヶ月しかあらへんやん。

今日からヨガ復活。久々に行くほどキツいクラスやけど、恋しい彼女に逢えると思たらそんなん気にもならへん。けどやっぱりバテた……。

ほんで、今週はいきなり、1日おきにマンハッタン通い。
明日火曜日は5日に歌う少数精鋭コーラスの合わせ練習。ちなみにわたしはメゾソプラノ。あ~あ~あ~♪この美声を聞かせてあげられない悲しさよ!(←聞き流しといておくれませ)
んで、木曜日はタイソンとの合わせでまたまた夜のマンハッタンへ。
んでんで、土曜日の夕方は演奏会本番。この日は2回、舞台に立つ予定です。

発表会後1週間お休みやったレッスンも今日から再開。
意外とみんな、ダレてなくてしっかり練習してたのでびっくり?!
みんなえらいなあ~。けど、先生も頑張っとるよ。あの後すぐに、新しい曲の練習始めてめちゃ落ち込んで、けどもまたムクムク復活して、しぶとく練習してます。
5日の演奏会が終わったら、いきなり3月と4月のオーディションに弾くための新曲5曲が加わるから、脳みそはえらいこっちゃの大騒ぎになるはず。
音符もえらいちっちゃいから、そろそろ老眼鏡に助けてもらわなあかんかも。ちぇっ。

カルロス氏のピアノの鍵盤あれこれ、やっぱり総替えしてもらうことにしました。
せっかく彼の念力で壊してくれたんやもん、その思いには応えなあかんと思いました。
すっかりきれいに整えられた鍵盤が到着して、今の箱がピアノという楽器になるのを楽しみに、毎日こつこつ頑張ります。
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多分、これが最後の見送り

2009年11月29日 | 家族とわたし
息子Tと友人S君が、今朝、ヴァージニアに戻りました。
ニュージャージー州に住む同じ大学の学生の車に同乗させてもらう目論みが外れて、昨日慌ててチャイナタウンバスのチケットを買ったふたり。
5時間かけてワシントンD.C.まで行き、そこからNorth Virginia(通称NOVA)まで電車、そしてNOVAからヴァージニアテックまで再びバスに乗る旅です。
ワシントンD.C.で4時間待ちというえらい効率の悪い行程ですが、今日は感謝祭後の渋滞があちこちで起こるはずなので、安全策といえなくもありません。
結局全部で16時間。明日から卒業までの最後の奮闘が始まるので、「バスの中でしっかり寝ときや」と言うと、「まだ未完のプロジェクトがあるから寝てるわけにはいかん」とT。いやはや、若いとはいえ、なかなか厳しい現実を抱えています。
バスが出発する場所まで旦那と一緒に送り、ふたりがバスの中に姿を消すと、さっさとそこから立ち去ろうとする旦那。
そんなんいややとばかりに、旦那を無視して、動き出したバスの窓越しに見えるTに、手を振って「バイバイ、無理せんときや」と言いながらさよならしました。

バスの中で食べるように、おにぎりをふたつずつと出汁巻、それからひじきの煮物の残り物を持たせました。
朝早く起きて使い捨てのプラスティック容器にそれらを詰めていると、大変だったお弁当時代を懐かしく思い出しました。

11月にボストンであったジョブフェア。TもS君もいい成果が得られず、肩を落としてここに戻ってきました。
詳しいことを聞こうにも、「そのことについては話したく無い」と言うので聞けないくらいの落ち込み様でした。
S君はあともうひと踏ん張り、12月の末にある東京でのジョブフェアに行くことにしたものの、高額な旅費を払ってまでの意味があるのかどうか悩んでいました。
Tも本当は行きたかったみたいですが、卒業式後の旅費が20万円近くになるということで、今回は断念したようです。
それにTはどうやら、なにがなんでも日本!という気持ちが少し薄れてきたようで、ニューヨークのエージェントにも接触し始めています。
昨晩皆で少し話していた時に、旦那が、「今現在でも充分難しいのに、ドバイショックが起き、他にもそれと似通った崩壊がこれからどんどん起こるはずだから、ほんとに運が悪かったとしか言い様が無いな」と言っていました。
わたしもついこないだ、こちらの新聞で、今回の世界的な金融崩壊を予言していた経済学者達が、今回の規模など比べようも無いぐらいの非常に深刻な崩壊が、2012年(マヤ歴の終わり?)に起こる、と断言しているのを読み、あ~あとため息をついたばかりです。
もう、どこで働くか、どこで暮らすか、などと考える余裕すらないほどに厳しくなってしまうのでしょうか……。
五黄の虎の年の終わりに生まれたT。悪運を幸運に変える彼自身が持つ運に期待するしかありません。

がんばれT!がんばれS君!がんばれ若者達!
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多分、今年最後の静かな週末

2009年11月28日 | 家族とわたし
先週の発表会でいただいた花が、ずいぶんくたびれてきたようなので、まだもうちょっと咲いててくれそうな花だけを抜き取り、あとの花には今日まできれいに咲いてくれていたことへのお礼を言って休んでもらうことにしました。

まうみ坊『表も裏もあらへんがな千家』流生け花です。ダハハ!なぁんて、恥ずかしいのに写真に撮って載っけてる、自分でも説明がつかない複雑な性格です。




さて、今日か明日にはヴァージニアに戻らなければならない息子TとS君。今朝早くマンハッタンから朝帰りしてきて、なんとまだ寝てけつかります。

TとS君がキッチンに居ると、邪魔とは知りつつもついつい長居してしまうわたし。
それをちょいと嫉妬しながら、旦那がこっそり写真を撮りました。
机の上の無茶苦茶さが、若者っぽい、ほんでもってそんなところに、なんか場違いなおばちゃんがひとり、それを言いたかったのでしょうか?



いつの日か、奥の窓をぶっ壊して、ガラスの引き戸をはめ、その向こうには庭につながるテラスを作りたい……。
わたしがピアノを買ったばっかりに、1光年ほど遠くなっちゃった夢。
人生、急がば回れ、欲張ることなかれ、二兎追うものは一兎をも得ず、なんのこっちゃ?


P.S.
たった今やっと起きてきたS君が、いったい何があって朝帰りになったのかを話してくれました。
一緒に居た友人が、歩いている時、どうしてだか看板に膝を思いっきりぶつけて、パカッと開くくらいの裂傷を負ったそうです。
その傷の酷さにすっかりビビりながらも、病院には頑として行かないという友人。
失業中で保険が無かったそうで、ドラッグストアに行って救急のための薬を買って、いきつけの日本人バーでとりあえずの治療をしたそうです。
なんか、今のこの国の、たくさんの人が抱えている問題を間近に見たような気がします。
彼の傷がうまく自己治癒できるよう祈るばかりです。
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Black Friday Reunion

2009年11月27日 | 友達とわたし
今日はブラックフライデー。
感謝祭(11月の第4木曜日)翌日の金曜日のことで、クリスマス・セールが始まり、小売店が黒字になることからこう呼ばれるそうですが、
そのセールが金曜日に日付が変わる夜中の0時から始まるので、真っ暗な中の買い物というふうに勘違いしている人達もいます。
去年だったか、あまりの多くの人達が開店同時に店の入り口に殺到したために、店員さんがひとり、大勢の客に踏まれて亡くなったというニュースがありました。
昨日、わたし達が帰る道すがらの『BEST BUY』という電化製品の安売り店の駐車場には、テントを張って野宿しながら開店を待つ人達の姿が見えました。
うちの息子Kも、ベンチブレスをこの日に買おうとずっと前から待っていて、夜中にそわそわしながら出かけて行きました。

そんなBlack Fridayに、旦那の大学時代の悪友達が遊びに来てくれました。
ミュージシャンのスポウド、弁護士のルー、コンピューターデザイナーのデイヴの3人です。
以前は、こういうメンバーが揃うと、大学時代に戻ってしまう彼らの話についていけず、言葉の問題もあって、話の輪の中に身体は入っていても、心がついていけなかったけれど、20代だった彼らも今は40代半ば。いろいろと合う話題も出てきて、楽しく過ごせるようになりました。
スポウドとルーと旦那はヨーロッパの歴史を専攻していました。その彼らが、歌手、弁護士、鍼灸師という職業を得るまでの何十年かの間には、それぞれの挫折があり、成功があり、歓喜があり、慟哭があり、なかなか皆さん、味のある人生です。
でも、集まると必ずギターを抱え、3人で好き勝手に弾いたり、スポウドの新しいCDの曲をせがんで歌ってもらったり、今日のお客はデイヴとわたし、楽しい時間でした。



最近ピアノを始めたスポウド。今回のCDはピアノで作った曲もいくつかあるそうです。熱唱中を内緒で撮ったのでピンぼけちゃいました。



彼のバンド、Spottiswoode & His Enemiesのコンサートはとてもワイルド。けど、なんか心に残る歌がいっぱいあります。
→ http://www.myspace.com/spottiswoode のサイトで聞いてもらえたらいいなあと思い、ここに載せておきます。
『In The Pourling Rain』は、前の記事にも書いたけれど、わたしの50才の誕生日に来てくれたスポウドが、大雨が3日続いていたあの日の、雨が窓に吹き付ける夜に「できたてのほやほや」と言って歌ってくれた歌で、わたしは思いっきり惚れ込んでしまい、勝手にわたしの歌と決めてしまった歌です。

彼らとわたしが初めて会ったのは、Kが川崎病にかかって重篤な状態で病院に入院した日でした。
それから早18年。またひとつ、楽しい思い出になる日が増えました。
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HAPPY THANKSGIVING!

2009年11月26日 | 家族とわたし
今年もまたまた旦那姉アードリィの家でのThanksgiving。
旦那の両親が住む、同じくペンシルバニア州の家より1時間短いドライブで行けるので、我々にとっては少し楽です。
今日は今遊びに来ているTの親友S君も一緒に5人で、スバルにギュウギュウ詰めになって行きました。
気を利かせてわたしが後部座席の真ん中に座ったのだけど、そこって両側の座席より盛り上がっていて、しかも固い!
大げさに言うと、らくだのこぶの上に乗っかってるような……案の定、帰りの半分ぐらいの所で尾てい骨の辺りが痛くなってきて困りました。
旦那は「ボクは足が長いから、後部座席には座れませぇ~ん」とはじめっから座る気無し。
でも、久しぶりに、TとKにぴったり挟まれて座っているのが、なんだか嬉しい母なのでありました。
ヤツらは狭いだの暑いだの、もうちょっと向こうに行けへんかだの、おまけに旦那は、「ちょっとそのビッグヘッド、ど真ん中で全然後ろが見えへん!」
え~え~どうせわたしゃ五頭身ですよ!松井選手もまっつぁおなデカ頭っすよ!

T&Kは爆笑、S君は慌てて「いや、でも、デカい頭だと脳みそもデカいはずだから、きっと頭がいいってことですよ
火に油を注ぐってのはそ~ゆ~ことを言うねん!と、三人の頭にゲンコツをお見舞いしてあげました。

皆で美味しく感謝祭料理をいただき、旦那母の音頭で乾杯をしました。
「皆でこうしてまた揃って感謝祭を迎えられたこと、そしてTが2000年にアメリカにやってきて、猛烈な努力の結果、あと3週間で大学の卒業を迎えることに感謝して」
胸がジンとしました。来月の18日の卒業式は、Tの23才の誕生日でもあります。
旦那の両親と旦那姉も、ホテルに1泊までして、遠くヴァージニアでの卒業式に参加してくれる予定になっています。
この国に生まれ育った者でさえ卒業するのが難しいと言われているTの大学のエンジニア科は、とりあえず最後までくじけずに残ったことだけでも大したもんだとよく言われます。
2年生のはじめに、心身ともに弱り切り、話すことも寝ることもままならず、食べさせようにもすぐに吐いてしまうTを見て愕然としたあの日。
事の発端はネットゲーム。世界中にいる、そのゲームの愛好者がバーチャルでグループを作り、時間制限無しでやりたい放題。
本当に恐ろしい、やっている当人が止めた方がいいと思っていてもなかなかやめることができないゲームなのでした。
ゲーム全部を非難するつもりは毛頭無いけれど、ついついゲームに熱中してしまうあまりに睡眠のサイクルが無茶苦茶になり、起きなければならない時間に起きられなかったり、食べられなかったり、トイレにさえも行けなかったり、外から見たらもう完全に異常な世界です。
これで身体に支障が出ないはずがありません。もちろん大学の授業やテストにもうっかりが出て、それで成績もどんどん落ちて、それがどうしてか分かっているだけにさらに落ち込む。
その悪循環から抜け出せなくてもがいていたのでした。

あの頃は毎晩彼に話しかけました。電話は嫌がるので、一方的なe-mailで。
返事は来なかったけれど、読んでくれていると信じて。

ゲームから足を洗った後、Tは生まれ変わったように、すっきりとした顔で、また大学生に戻りました。
今は卒業を目前にしたプロジェクトを必死に仕上げようと頑張っています。
ついさっき、今の今まで全くうまく進んでいなかったプログラミングが、あともう一歩というところまで来たらしく、めちゃくちゃ嬉しそうです。
その成果が出ているパソコンの画面をわたしにも見せてくれるのだけど、残念ながらチンプンカンプンでさっぱり分かりません。

旦那と英語を、深いところで拒絶し続けてきたT。
けれども彼の優しさが、それを無理矢理心の中に押し込んで、それでもっともっと苦しくなって、けれどもやっぱり本当の気持ちを外になかなか出せなかったT。
わたしが母親だったばっかりに、もしかしたら経験しなくても済んだ長い長い間の貧乏と、そこから派生するたくさんの辛いことを経験させられた子だけど、
それだからこそ、その分強く、優しく、深く思い遣れる男になってくれたと信じたいです。

感謝祭の日に、横道にそれることなく健康に成長してくれたTとK、そんな彼らをいつも見守ってくれているすべての人達に、心から感謝したいと思います。


ちょっと長いP.S.
Tが、昨日のお客さま、近所に住む80才のボブと、なにやら話し込んでいました。ボブは耳が遠くなったとはいえ、若い頃は原子力発電所の建設事業に取り組む若きエンジニアとして、日本にも頻繁に行っていた技術者さん。
なので、同じくエンジニアを目指すTとは話が合うのか、我々には分からない言葉でふたりで盛り上がっていました。
Kも、自分の周りに座った英語人の大人達と楽し気に歓談しています。

彼らの口から英語が出てくるようになったのは、ほんのここ数年のことです。
覚悟を決めてわたしと一緒になったものの、26才になったばかりの旦那は幼児の扱いに慣れていなくて、というか、分からなくて、
好きになろうと近寄っていくTとKを邪険に扱ったり、「ボクに触らないでくれ!」と拒絶したりして、息子達はすっかりがっかりしてしまったのでしょう。
それなら僕たちもと、表向きは普通にできる知恵と思いやりがあったけれど、大小関わらず何か問題が起こると、完全な拒絶と反抗を示したものです。
それらの中の、一番長く続いたのが、英語でした。

わたしには彼らの気持ちも本当によく分かったので、どちらの痛みにも深く同情してしまい、どっちもつかずの、両方の風に揺られるのれんのような存在でした。
日本に居た頃から、せめて英語に親しんでもらおうと、夏休みの間、アメリカのキャンプに入れようということになって、
愚図るTとKを無理矢理キャンプ場に送り込み、置き去りにされる彼らの目も、置き去りにするわたしの目も、涙でいっぱいになっていました。
楽しいことなどほとんど無く、同室の子供達から執拗に意地悪されて、恐くてどこにも行けず、シャワーにも入らず、
迎えに行った時のTとKは、薄汚い垢にまみれ、あちこちにかさぶたを作り、へとへとに疲れ切った悲しい姿をしていました。

日本で8年、こちらで7年半、状態はあまり進展せず、待つ方の我々も少々あきらめが出かけていた頃、とうとうTが家でも英語を話し始めました。
Kはもう少し早く、高校の2年生あたりから拒絶しなくなっていたので、このTの心(英語)の解放は最後の砦だったのでした。

そんな彼らを、せっつかず、あきらめもせず、いつかきっと英語で語り合える日が来ることを信じて待っていてくれた旦那、そして旦那の両親。
昨日、息子達がみんなに打ち解けて、楽しそうに、時には真剣に、大人の会話をしているのがとても嬉しかったです。
眠る前、キャンプ場での、彼らの垢まみれの悲しい顔を思い出して、ひとり感慨にふけっていたわたしでした。
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アパートメントのかおり

2009年11月25日 | 音楽とわたし
先週の金曜日から始まった、鳴門の渦に巻き込まれているような日々がようやく終わり、目が回った後のような気怠さを感じています。

カルロス氏の楽譜120冊あまりを、ピアノ本の本棚にアルファベット順に並べました。
 


そのうちの3分の1は2台ピアノのための本で、なかなか揃えにくいものもあり、とてもありがたい気持ちでいっぱいです。
バスーンやチェロ、それからヴァイオリンとの演奏曲もあり、彼がどういう勉強をしていたのかがとても鮮明に分かります。
いつの日か、彼の注意書きが書かれた楽譜を読みながら練習できたらいいなあ。




つい先程、ピアノの鍵盤部分を預かってくれている工場から、旦那の携帯に電話がかかってきました。
「メールで写真を送るから、それを見ながら返事をしてくれ」ということでした。



運搬中に破損したハンマーの部分はもちろん保険で全部直すことができるけれど、全体がとても古くて、このまま使うとすると、かなり早い時点で総点検をしなければならなくなると思う。
で、こちらからの提案としては、この際、せっかく工場にあるので、鍵盤に入った亀裂とすべてのハンマーとフェルト部分全部を$500で新しい物に替えてあげられるけどどうか?と言ってきたそうです。
普通、そんな広範囲なことを直してもらうのに$500では到底無理なので、迷いに迷いましたが、ほとんどやっていただこうかと思っています。
もう昨日からお金がピュンピュン飛んでっちゃって大変です。
でも、こんな素晴らしいピアノを、運送も全部含めて、50万以下で手に入れることができたのだから、本当に幸運としか言い様がありません。感謝感激です。

それに、昨日、ハンマーの破損が見つかった時、わたし、こう思ったんです。あ、カルロスさんが助けてくれた!って。
とても素晴らしいピアノなんですが、フェルトやハンマー、それから鍵盤の並びにかなり問題があると思っていました。
そして多分、近々、自分で修理しなければならない日が来るだろうなあ、と。
特に、高音部の音色には曇りがあり、これについては調律師のアルバートにお願いするつもりでしたが、彼が解決できる程度の問題かどうかも分かりませんでした。
昨日のような事故は、彼らにとってはとても珍しいことだそうで、臨時で雇った、いつもは違う作業をしている人達に、特に鍵盤部分の扱いには注意するよう言っていたのに……と文句を言っていました。
誰かが強い力で押したか、なにか重い物が乗っかったかしないと、起こりえない破損だったからです。
そのおかげで鍵盤全体が工場に運ばれ、全体のコンディションが悪過ぎることが分かり、保険を使って格安で、新しい鍵盤に総替えしてもらえることになりました。
昨日、破損したハンマーを撫でながら、ありがとうカルロスさん、ほんまになにもかもありがとう、とわたしは心の中でお礼を言いました。
今日、このことを聞いて、ほとんどもう確信しています。彼はピアノと一緒にやって来てくれたんですね。

ということで、ピアノを弾けるようになるのには、まだもうちょっと時間がかかりそうです。

今日は具沢山の豚汁とかぼちゃの煮付け、それからなにか野菜の胡麻あえです。今週は仕事がまるまるおやすみなので、お料理しっかり頑張ります!


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ゆめきたる

2009年11月24日 | 音楽とわたし
ろくに眠れないまま朝を迎え、同じ頃に息子達は眠りにつき、家猫はニャアニャアとうるさく鳴き、ええい起きよ!とばかりにベッドから出てシャワーを浴びました。
簡単に朝ご飯を食べ、お金を引き出しに銀行に行ったのが9時過ぎ。金額が大きかったので、身分証明にしっかり時間を取られてしまいました。
気ははやるのになんだか異常に道が混んでいて、なかなかアパートメントまでの距離が縮まりません。
ピアノ運送会社の人達から、「ちょっと前にもう着いて、あんた達が来るの待ってんだけどさ~」という電話がかかって来ました。
旦那は慌てて、「もうあと10分ほどで着く所にいるけれど、我々のことなんか待たなくてもいいから、作業を始めてください」とお願いしました。
本当は、梱包にかかる前に、傷のチェックや内部の再確認などをしたかったのだけど仕方がありません。
路上駐車が意外に簡単にでき、5階の部屋にハアハア言いながら駆け上がると、やっぱり待ってくれていて、作業はまだ始まっていなかったのでした。
申し訳ないったらありません。でも、助かりました。反響板がとても頑丈な1枚板でできていて、今の時代、こんなのは無いと教えてくれました。
それだけに、今の新しいピアノとは比べ物にならないぐらい重いはずだと、早くも作業員さん達はくら~い顔……。
前にブランカから聞いた、クレーンを使っても800ドルだという運搬料は間違いで、4千ドル以上はかかる(どんだけ違うねんっ?!)とわたしはちょっと怒りました)と言われた旦那は、それじゃ担いで5階から1階まで降りてくれる会社を探そうと頑張ってくれたのでした。
そして見つかったのが『ベートーヴェン』という名の会社。5人の屈強なアフリカンアメリカンさん達が勢揃いでやって来てくれました。
でもなあ、あの、マンハッタン特有の、めちゃんこ狭くて急な階段を5階から1階まで……わたしやったら絶対イヤ!無理!と心の中で叫んでおりました。
案の定、部屋のドアを通り抜ける時点からえらい騒ぎに。そして階段と階段の間の踊り場でもまた問題が発生!
結局まるまる2時間かけて、身体がへろへろになりながら、5階から1階まで降ろしてくれたのでした。

その間にわたしはカルロス氏のピアノの本を見せていただきました。
楽譜のぎっしり詰まった本箱の前にたたずんでいると、カルロス氏のおかあさんがそばにやってきました。
白黒の、2人のピアニストが写っている写真をわたしに見せて、「これがわたしの息子」と、カルロス氏の顔を何度も指で撫でています。
スペイン語が話せないわたしには、会話が全く成立しないのだけど、若くして息子を亡くした母親の悲しさを想像するだけでたまらなくなり、彼女の小さな身体をぎゅっと抱きしめました。
今までずっと堪えていた悲しみが押し寄せたかのように、声をあげて泣き出したおかあさんの背中をさすりながら、
わたしはただただ「悲しいね、ほんとになんてことだ、悲しいね」と言うことしかできません。情けないでした。
何回も気をとり直そうとするのだけれど、一度外に溢れ出た感情は思いの外激しく、彼女の意思を無視して繰り返しこみ上げてくるようです。
こういう時は泣きたいだけ泣かせてあげたいと思いました。おかあさんはわたしの胸元に顔をうずめ、時には語り、時には嗚咽し、時には静かに泣いていました。
息子を病で失い、そして今また、彼が慣れ親しんで毎日弾いていたピアノまで部屋から消えてしまいました。
その喪失感と悲しみの深さは、わたしなどには計り知れるものではありません。

「ペルーに来てね。絶対に来てね。そしてピアノを聞かせて」
「きっと行きます。絶対に行きます。ピアノももちろん弾きます。それと、スペイン語、少しは話せるように勉強してから行きます」
わたしがそう言うとおかあさん、濡れたままの目を細めて、少しだけ笑ってくれました。

いつか、おかあさんがアメリカにいらっしゃった時には、ぜひぜひうちに来て、カルロスさんのピアノに逢ってください。
そして、わたしが弾くピアノを聞いてください。
カルロスさんの命の分も生きて、カルロスさんには到底及ばないだろうけれど、彼の残してくれた本を少しずつ学んでいきます。
それがきっと、カルロスさんの思いを、祈りを、願いを、この世につなげていけることになると信じて。
わたしの気持ちとおかあさんの気持ちを、孫のブランカが通訳してくれました。

ある女性にとって、とても大きな意味になる約束をしました。
ゆめきたる。それはまた次のステップに進む出発点に立つこと。気をひきしめて、これまで以上に頑張りたいと思います。

おかあさんからいただいた写真です。「この写真を額に入れて、息子のピアノの上に置いてね」全部スペイン語だったけれど、わたしにはちゃんと分かりました。




3時半から4時までには着くと言っていた作業員さん。待てども待てども来ません。夕飯を作りながら、いつ食べたらいいものかと迷いながら待っていました。
あかん、もう食べよ!とばかりに、グツグツと煮える牡蠣鍋の蓋をあけたその時、「コンコンコン!」……やっぱりなぁ~……そんな予感120%でした!

解体された部品が部屋に運び込まれました。



アパートメントの階段の時は5名でしたが、家には3名で来てくれました。
本体をよっこらしょと立て、足やペダルを装着します。



「あんたに文句言ってんじゃないけどさあ、これまで運んだピアノの中でいっちばん重かったんだから。それをまた選りにも選って5階からときた!参ったよ」
「でも、こんなきれいな反響板もなかなか無いよ。重いってことは、使われてる木の質がいいってこと、今みたいなベニヤ板の合板なんかじゃないってことだ。いいピアノだよ」



恐縮したり嬉しがったり、忙しいくせに、それでもチョロチョロ彼らの周りに張り付いて、写真をパチリ。邪魔ったらない!

「さあ、今日のハイライト、これを入れなきゃピアノじゃねぇ~!鍵盤鍵盤!」と、勢いも良く鍵盤の梱包を解く彼ら。
ん???「ちょい待ち!ここ、これ、ほら、ちょっと見て見て!」とわたし。
高音部のハンマーの高さがバラバラ?!なぜに?!
なんと、よくよく見ると、ハンマーが乗っかる部分のフェルトに、ハンマーの軸の部分が埋もれているではあ~りませんか!
なので、鍵盤を押しても全く下がらないどころか、指で埋まっているのを取ろうとするとハンマーがポロリ?!げっ!!取れちゃった?!

ということで、鍵盤だけ病院に入り、急きょ治療を受けることになりました。
この運搬会社はとてもケアがしっかりしていて、明日か明後日にはすっかり直してもらった鍵盤が届くのだそうです。
「ホッ……」←これがどれぐらい深く大きい「ホッ」なのか、それはここアメリカにある程度の期間住んで、痛い目に遭わされた者にしかわからないかもしれません。

とにかく、今日のお約束の写真、二台並んだピアノです。
鍵盤無いですけど……。



さすがに部屋がいっきに狭くなってしまいました。また模様替えを考えないといけません。
これを書いているわたしの背中に、ピアノがかなり迫ってきています。練習練習!とつぶやかれているようでちょっと焦ります。ハハハ。
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ゆめかなう

2009年11月23日 | ひとりごと
今朝は、よぉ~っしゃ!ゆっくりするぞぉ~!と気合いを入れて起きました。

すると、友人のK子ちゃんから電話がかかってきました。
「今テニスんとこにいるんだけど、またFair Wayに買い物に行かない?」
Fair Wayというのはマーケットの名前で、ニューヨークではかなりポピュラーなお店です。
安くも無く高くも無く、でも、どうしてだか、こんなとこ来たことなかったと、お客に思わせる、品数の豊富さとユニークさが売り。
つい先週、K子ちゃんに連れてってもらって、感動しまくりながら、オリーブオイルの試食をしたり、珍しいペーストを買ったりしたところなのに、その名前を聞くともう「行く行く!車無いけど」と答えてしまっていました。
優しいK子ちゃん、迎えに行ったげると言ってくれまして、お言葉に甘えて家で待っていると、またまた電話が。

「かあさん、俺」
「どっから?」
「あ~、ペンステーション」
「……」

日曜日にボストンから戻ってくると確か言っていたT。
なんの音沙汰も無く、こちらもバタバタしてたし、連絡が無いとイライラするのも嫌だったので、忘れることにしておりました。

「あのさあ、家の近くの駅ってなんちゅう名前やっけか?」
不機嫌な声で駅の名前を告げ、家にはだ~れも居ないと言うと、「かまへんし、鍵だけ開けといて」とT。
ったく!いったいどこの誰が躾けたん?!わたしやっちゅうねん!!余計頭にくる母なのでありました。

今日の収穫は、はまぐりとあさりの間の子みたいな貝。お味噌汁にするとめちゃウマだと聞いて買いました。活きが良くて本当に美味しかったです。
それと、量り売りで500グラム60円のフジリンゴ、笠のこんもりしたもぎたての椎茸。あ、それと手触りも新鮮な三度豆。
頭にきてるのに、今夜はなにを作って食べさせようかといそいそと買い物をしているわたし。母親ってほんま、アホですね~。
といっても、うちは一食一品主義なので、パクチョイとエビと椎茸と人参を炒めたものと、貝のお味噌汁だけなんですが……。

シーツの洗濯をして、TとS君のためのベッドの準備の手伝いをして、明日にしようと思っていた我々の汚れ物も洗い、なんじゃかんじゃと動きっ放し。
その上、夕飯の片付けまでわたしにさせるつもりかぁ~と、ずうっと電話でしゃべりっ放しの旦那に文句言おうとすると、
なんと……旦那はピアノの運搬についての交渉を、運搬会社とブランカを相手にしてくれていたのでした!

故カルロス氏のピアノが、明日の午後、ここにやってきます。
我々は朝から運搬の様子を見守りに行き、カルロス氏の楽譜を受け取り、ピアノの代金を支払うことになりました。
さっきから、どういうふうに2台並べるかを、Tと旦那と3人で、あ~だこ~だと話し合っています。
今日は本当に久しぶりにピアノを弾きませんでした。それがとても変な感じに思えて、学生時代の自分を思い出しました。

今でもまだ夢のようです。
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本邦初公開!

2009年11月23日 | 音楽とわたし
あ、本邦ってのは正しくないですね、ここと日本、ほんでもって中国とイギリスと、ええとええと、あ~わからんっ!
とにかくですね、ブログを始めて以来初めての大公開です。

これぞまことの『親子で音楽!』



昨日、ACMAの記録担当の方が送ってくださったリハーサル風景の写真の中に、この写真がありまして、
今現在の、わたしの、信頼と愛をがっちり受け止めてくれる頼もしきパートナー達が一緒に写っているので、今回勇気を振り絞って載せました。
ジェーンとタイソン。28才と24才。彼らの母親はわたしより年下なのであります。ははは!
我が子とは叶わなかった夢……親子演奏ができて、わたしゃ幸せだわさ~と言わんばかり。にやけまくってますね。目が線になってしもてるし……。

ぴちぴちとした才能をストレートにぶつけてきてくれる彼らのお荷物にならないよう、日々精進し、体力をつけ(←実はこれが1番大変です)、
来月から毎月続く演奏会と、3月と4月にある、カーネギーでの演奏会の出演者を決めるオーディション(すでにこの時点からドキュメンタリーフィルムのカメラクルーが入ります)に向けて、弾いて弾いて弾きまくらなければなりません。
タイソンは1曲がほぼ仕上がると間髪入れずに、「それでまうみ、次は何やりたいの?」と聞いてくるし、
それはそれで、パートナーとして演奏するのを楽しんでくれているということなのだから嬉しいのだけれど、曲の難易度がどんどん上がり、それも1度に数曲形にしないといけないので、譜読みがなかなかに、いや、めちゃくちゃ大変です。

来年は多分、ソロ演奏よりも伴奏の方に比重がかなり傾きそうです。
もともと伴奏にとても魅力を感じていたし、伴奏の善し悪しがソロの演奏を決めてしまうくらいに大きな影響力があると信じているので、
伴奏ならまうみに頼みたい!と切望されるようなピアノ弾きに成る可く(←夢が飛躍し過ぎ?!)、頑張ってみようと思います。
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感動した!感謝した!

2009年11月22日 | 音楽とわたし


モントクレア美術館の中にあるリアホールでの、生徒達の発表会が無事終わりました。
今美術館ではセザンヌの展示が行われているので、駐車場がいっぱいで大変でした。
でも、それにもメゲず、百名近くのお客さまが来てくださり、温かく会を盛り上げてくださいました。
ホールの写真を撮るような余裕がなかったので、グーグルの画像から拝借してここに載せておきます。


それにしても、自分の生徒ながら、みんなあっぱれでした!本当によく頑張ってくれました。
教師冥利に尽きるってのはこういうことだと思いました。
あんまりみんながすてきなピアノを弾いてくれたので、最後の〆として弾くわたしがコケてたまるか!と妙な気力がフツフツと沸いてきて、
そしてもちろん、みなさんの応援の気持ちも届いていたので、とても気持ちよく、ピアノを丸ごと抱っこしながら歌っているような感じで弾けました。
このリアホールのピアノは、とてもアンティークなシュタインウェイなんですが、静かな音(P)の表現の幅がすごく広いのです。
耳をすまさなければ聞こえないほどのピアニッシッシモだってお手のもの。指先次第でバラエティに富んだ音を奏でることができます。
わたしの大大好きなピアノのひとつです。

今日はショパンのエチュード3番『別れの曲』を弾きました。
実は、カーネギーで弾いた連弾曲をジェーンを一緒に弾きたかったのだけど、彼女の都合がつかなかったので、急きょエチュードの1番を弾いてみようかな~と思い、急いで仕上げようと練習に励んでいたのでした。
するとある日、「なあ、まさかそれ弾くつもりちゃうんやろ?」と、旦那がわたしに聞いてきまして、
「弾こと思てるから練習してんねんけど?」と言うと、「なんぼなんでもそりゃマズいんちゃう?」と旦那。
「なにが?」と、早くもふてくされて聞くと、「だってさ、練習丸出しやねんもん」と旦那。
「当たり前やん。練習曲やねんもん!」と反抗しつつも……とっくに旦那の言わんとすることが分かってたわたし。
要するに、人前で、しかもリサイタルの舞台上で弾くには、あまりにも未完成……ということを言いたかったんでありましょう。
それが今から2週間前なのでありました……しくしく……それじゃあどうするべか?といろいろ考えた挙げ句、
もうかれこれ30年も前に弾いた『別れの曲』を脳みそから引っ張り出してきて弾いてみようと思い立ち、練習開始。
テーマの部分はとにかく、真ん中の、頭を掻きむしりながら感情を爆発させるような激しい部分が、どうしても弾けずに困り果てていました。
これが年を取ったということか……とさすがに凹みましたが、焦るな!ゆっくり丁寧に、年の功風演奏で責めようと思い直し、
昨日お話ししたように、必死で、文字通り足掻いていたのでありました。

みんなからお花をいただいたり、みんなで写真を撮ったり、1部と2部の間の休憩時にスウィーツと飲み物で歓談したり、
遠くの州からこの日のために来てくれたご家族の皆さんとも懐かしい再会をしながら、大人も子供もなく、生徒達全員が、年ごとにぐんぐん上手になってきているのを目の当たりにして、それはそれは幸せな気持ちに浸ることができました。

みんな、本当によく頑張ったね!
ご家族のサポートにも心から感謝します!
みんなの心の中に、音を楽しんだ特別の日として、今日のことがまたひとつ、いい思い出として残りますように。
『Thanksgiving』が終わったらまた一緒に頑張ろ!本当にありがとう!


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