ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

長い間のご無沙汰の後で

2011年12月31日 | 家族とわたし
すべてはここから始まった。


これは台所の床。
この家は大好きやけど、この床だけはどうしても好きになれず、
けども、暮らし始めてみると、台所にはぴったりの、汚れてるのか汚れてへんのかさっぱりわからん、最適の色模様やということに気がついた。
ところがそれが災いして、気がつかんうちにかなりの汚れがたまってて、
一枚の四角を激落ち君で磨いてみたら……どっひぇ~!そこだけとんでもなく目立つやぁ~ん!
……というわけで、なんと、とんでもない枚数をゴシゴシ、シンデレラのごとく磨く羽目に陥ってしもた。
丁度、なぜかクリスマス前には必ずというほど落ち込むわたし。
そして、落ち込むと、一心不乱にあちこち、普段めったにしない所の掃除をする傾向があるもんやからもう大変。
仕事と家事以外はどこかに潜り込んでたり、どこかに這いつくばってたりしながら、ゴシゴシ、ガタガタやっていた。

23日の午後から、クリスマスを過ごすために、アリゾナ州から弟一家がやってくるっちゅうんで、
掃除はもちろんのこと、100キロを超える巨体に成長した17才の甥と、なかなか難しいお年頃の15才の姪の寝室を準備するべく、
引っ越してきてから今までずっと、意図的に無視してきた、息子Kが好き放題に使てる三階に闘いを挑むことにした。
布団も夫婦用一組と子供達用二組、こちらでは布団を干すという習慣が無いので、油断するとすぐに湿った臭いがする。
布団を積んでたとこはKのトレーニング部屋と化してしもてるので、湿り方がいつものそれより激しかった。
足の踏み場も無い床から、ゴミと洋服とセット買いした飲料水の山を本人達に片付けさせて、現れた空間に掃除機をゴシゴシかけながら、布団を一枚一枚洗い、シーツを用意した。
今までずっと気になりながらも忙しいからと無視してきた、あちこちの棚や引き出しの中も、気が済むまで片付けた。

やっぱり今年の冬も、お金が無くてつけられない窓に、安売りの店のワゴンの中で見つけたシャワーカーテンをつけてみた。


階段にもクリスマス。


あ~あちこちきれいになった。
けども、気分はかなりどん底。
落ち込む理由なんてあらへんのに、周りがクリスマスで浮き足立ってくると必ず、わたしは少しずつ沈み始める。
そんなこんなで、23日の午後までは、物理的にも精神的にも、どうしてもパソコンの前に座れないまま、時間だけがどんどん過ぎていった。

旦那の弟一家がやって来た。
甥と姪の成長っぷりに目をまん丸くする。
なんちゅうデカさやねん!なんちゅう大人っぽさやねん!
レア家が東海岸に勢揃いした。
24日の夜は、旦那の両親の、マンハッタンのアパートメントに集合して、そこの近所のレストランで、両親の金婚式を祝うことに。

弟一家は朝早くから、マンハッタン観光を兼ねて先に出かけた。

なんとこのイヴの朝、起きたら左目の上瞼が腫れて、目があかんようになってしもてた。
ほんで顔はもうボコボコ。至る所に赤い斑点模様が広がってた。
もうくったくたに疲れてはいたけど、ほんで、夜中から、なぜか顔中痒うて痒うてたまらんかったけど、まさかここまでとは思わんかった。
いったい何が原因やろか。
どっちにしても、この四谷怪談もマッツァオなディープな顔を、金婚式の記念家族写真に残されるのはかなり痛い……。

ニューヨーク・タイムズの、シンプルやけどこだわってるビルディング。


観光客で賑わうマンハッタン。タクシーの稼ぎ時。


お腹いっぱいでアパートメントに戻り、ちょいと一休み。
左側の若者が姪っ子。退屈で死にそうな顔してる。右側では、ワインで酔っぱらって寝てる若者がひとり。


金婚式、おめでとうございま~す!今もラブラブな父と母。


母の作品の下でくつろぐみんな。


旦那弟Jと姉の夫E。彼らはどちらも超~ハンディな男。まあ、元大工さんと建築家では当たり前か。


もうオレ、あかぁ~ん。それでも笑てる不思議な男。


おいおい君達、なにをそんなに真剣に話してるのか。甥っ子のAと姪っ子のE。


両親のアパートメントのロビーもクリスマス。


セントラルパークを歩く若者3人男衆。


ここが大晦日にはとんでもない数の人で埋まる。


クリスマスの朝。配られるのを静かに待つプレゼント。


今年もレア家は決まり通り、ひとりの人からひとりの人へ、最高額75ドルまでの贈り物をすることになった。
ただし、18才以下の子供は、どの人からもプレゼントをもらえる。え~な~と密かに羨ましがる54才のおばはん……やれやれ。

再び哀れな七面鳥さん。


今年もドンペリ持参でやって来てくれた旦那父。


レア家の男衆全員集合。


さ~てプレゼントタイム!


息子T&Kからの贈り物に大喜びのEちゃん。可愛らしい!


クリスマスディナーの準備はほんまに大変!去年に引き続きホスト役を引き受けたんやけど、今までの母の大変さをしみじみと思いながら、旦那とふたりで奮闘した。
もちろん、皆もそれぞれに作った物を持って来てくれた。
母は最近、体の不調を改善すべく、またまたすご~く複雑なダイエットを始めたもんで、小麦をはじめとするいろんな物が食べられへん。
なので、自分用に作ったパンプキンパイをイヴの日にうちに持って来て、それを冷蔵庫に入らへんもんやから、地下の部屋に置いといたら……、
ネズミが食うとるし……。もちろん、そんなことにはメゲずに、そこだけ削っていただいたんやけど……。


クリスマス会食の後ピアノを弾いた。
カーネギーに来られなかった弟一家と、旦那姉のためにフランクのソナタを。
最近不調で気落ちしていた母のために、彼女が一番好きなブラームスを。
最近全くピアノを弾いてなかったので、散々な演奏になってしもたけど、母がわたしを抱きしめて泣いた。
それが嬉しかった。

ディナーも無事終わってマンハッタン組も帰り、簡易テーブルの後片付けをする兄弟。


甥と姪のために買ったボードゲーム。これが大当たり。皆でハマるの図。


翌26日は、弟一家と一緒にチャイナタウン観光。
車二台に分乗して、会社に戻る息子Tを送りがてらマンハッタンに入ることにした。

その前に、最近車の事故で怪我をしたN(旦那弟の愛妻)の膝治療。
今年、Nへの贈り物係になっていた旦那。彼女へのプレゼントは、彼女の家の近くの鍼灸師に治療してもらえるクーポンやった。
彼女はまだ鍼は未体験やったので、これはお試しの意味も込めて。


チャイナタウンはやっぱすごい。


飲茶を食べて、喫茶店に入って、ふたたびお腹いっぱいの我ら6人。


と、こんなふうに、ドタバタのクリスマス劇場は幕を下ろした。

さよならハーブ

2011年12月28日 | 友達とわたし


クリスマスの朝、ハーブが、長く辛い癌との闘いから解放された。

28日の午後、お別れ会があった。

彼が教えた生徒達が来ていた。

『芸術家は決して死なない』。ハーブが亡くなった知らせを聞いたクリスマスの朝、青い絵の具でそう描いた生徒がいた。

彼は絵だけではなく、彼はさり気なく、いろんな話をしながら、生きることを教えてくれた。

教室に行って、そこでハーブや仲間と一緒に過ごすことが楽しくて、それはもう生活の一部になっていた。

そんなふうに、涙を堪えながら話をするティーンの男の子や女の子。

ハーブの思い出を語る人が後を絶たなかった。

破天荒で無邪気であたたかで、時には周りを振り回すこともあったハーブ。

ハーブが作ってくれたUFOのようなオムレツのことや、動物園からペンギンを盗んだことや、彼が好んで話した数々の人生経験のことを、皆、泣き笑いしながら、しみじみと話してくれた。

彼は、すばらしい教師であり、絵描きであり、創造者であった。

彼の芸術は評価され、国からも認められていた。

とてもいいお別れ会だった。

わたしが死んでも、こんなふうに、かつて教えた生徒達が来てくれて、思い出を語ってくれるだろうか。
いや、これはきっとハーブだからこその光景なのだと思う。

さよならハーブ。

ちょっと早かったけど、すごく穏やかに命を終えたあなたに、もっと生きて欲しかったなんて言わない。

あなたは、あなたの作品とともに、あなたと共に時間を過ごした人達の心の中で、ずっとずっと生き続けるんだから。










事故の現実から目をそらすとき、間違いなく次の事故がニヤニヤして出番を待っている

2011年12月20日 | 日本とわたし
サイエンスポータル(SciencePortal)という科学誌に掲載された、科学ジャーナリスト、倉澤治雄氏の論文を転載します。

「原発事故はまた起きる」(掲載日:2011年12月7日)

『およそ「安全対策」は「これでいい」と思った瞬間が事故の始まりです。
「安全」とはそういうものです。
有名な「ハインリッヒの法則」によると、1件の大事故の周辺には、29件の「大事故につながりかねない事故」があり、
その周辺には300件の「ヒヤリ・ハット」がある、といいます。
今回の事故を招いた背景には、「事故」を「事象」や「不具合」と言いくるめてきた原子力産業界のまやかしがあります。

12月2日、東京電力は「福島原子力事故調査報告書」(以下「東電中間報告書」)を発表しましたが、
その内容を一読すると、すべては「責任逃れ」のために書かれたとしか思えません。

東京電力は当事者です。
当事者しか知りえないことがたくさんあります。
いや、全ての情報とデータは、東京電力が一手に握っている、といっても過言ではありません。
規制機関である原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、政府の事故調査・検証委員会も、間もなく国会に設置される事故調査委員会も、東電から情報やデータをもらわなければ何もできません。

その東電がまとめた「東電中間報告書」は、「中間報告」とはいえ、少なくとも「権限」と「責任」について触れなければなりません。
ところが、「東電中間報告書」には、「責任」という言葉が、ただの一度も出てきません。

「強制調査権」を伴わない「事故調査」には、意味がないとつくづく感じます。
政府の事故調査・検証委員会も12月26日に「中間報告」を発表するといわれていますが、
畑村洋太郎委員長自ら、「責任追及は行わない」と宣言しているので、真実に迫る事故調査ができるかどうか疑問です。

例えば「ベント」。
「東電中間報告書」は1号機の「ベント」について、発生直後から「ベントの必要性を認識」して、発電所長(つまり吉田昌郎所長)が「準備を進めるよう指示」したとあります。
ではいったい「ベント」とは、そもそも誰が決断して、誰が実行し、誰が責任を取るのでしょうか? 
「ベント」の実施は、場合によっては多数の住民が被ばくします。

仮にあなたが運転員で、ベントの実施を命じられたとします。
あなたは、多数の住民が被ばくする恐れのある中、ベントの弁を開くことができるでしょうか?
もし開いたとして、その責任は誰が取るのでしょうか?
開かなかったら、「業務命令違反」に問われるのでしょうか?

政府の9月の「報告書」では、海江田経済産業相が「原子炉等規制法」に基づいて、「圧力容器の圧力を抑制するよう命令を出した」とあります。
国は、刑事責任を覚悟の上で、この「命令」を出したのでしょうか。

「権限」と「責任」について、全く言及しない「事故報告書」は「報告書」の名に値しないと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?

ところで、事故から8カ月たった2011年11月12日、東電福島第一原発が初めてマスコミに公開されました。
私も第一陣の一人として、現地を取材しました。
撮影は厳しく制限され、わずか3時間の取材の間、バスから降りることも認められませんでした。
しかし、映像で見なれた原子炉建屋も、現地で実物を見ると、あらためて破壊の大きさが実感され、
事故収束への道のりがいかに厳しいか、まざまざと思い知らされました。

11月12日午前10時、私たちは防護服に身を固めて、2台のバスに分乗して、Jビレッジを出発しました。
東電福島第一原発への道のりは約40分です。
途中の楢葉町、富岡町、大熊町では、対向車もパトカーばかりで、街中にも人の姿は見られませんでした。
地震で崩れた家屋も、放置されたままでした。

「野生化牛に注意」の看板が目を引きました。
置き去りとなった牛が野生化したのでしょう。
「家に帰ってみたら、飼い犬が生きたニワトリをくわえていた」と語る住民もいました。
原発事故の厄災は、生きるものすべてにのしかかっているのです。

それにしても、日本の田園風景はなんと美しいのかと、思わず息を飲む瞬間がある一方、
無人の街と化した原発周辺の街々を見るにつけ、人間の営みのはかなさを感ぜざるを得ませんでした。

午前11時前、バスは正門に到着しました。
警備上の問題を理由に、正門の撮影も許可されませんでした。
敷地内に入って5分ほどで、全体を見下ろせる高台に到着しました。
福島第一原発の敷地は、もともと35メートルの高台です。
6基の原子炉は、高台を海抜10メートルまで削って建てられました。
一望すると、まるで人工のリアス式海岸です。
寄せては引く高波と異なり、海がせりあがるような津波では、「押し波」がぐいぐいと、削られた台地をはい上がってきたのでしょう。
東電が発表した津波の映像を見ると、駆け上がった波頭の先端は、45メートルの建屋をはるかに超えています。

あらためて1号機から4号機に目をやると、今回の事故の大きさを実感します。
3月12日午後3時36分に、水素爆発を起こした1号機は、すでに建屋がカバーで覆われていました。
あたかも何事もなかったかのように、白いカバーは不自然な光沢を放っていました。

2号機は3月15日早朝、圧力抑制室付近で爆発があった、とされていましたが、
「東電中間報告書」では、地震計の記録から、4号機の爆発と取り違えた可能性が高いとしており、真相は分かっていません。

ただし、15日早朝に、2号機の圧力抑制室の圧力は急減し、放射性物質が大量に放出されたのは事実で、
福島原発事故調査・検証委員会が、事実を解明できるかどうか注目されます。

もっとも無残な姿をさらしていたのが3号機です。
3月14日午前11時01分、福島中央テレビの定点カメラが撮影した爆発の映像は、私の脳裏に焼き付いています。
というのも、私が東京のスタジオで、事故の解説をしている最中に起こった爆発だからです。
映像はほぼリアルタイムで放送され、1号機の爆発にも増して衝撃を与えました。

あの時、まず大きな炎が上がったことに驚きました。
建屋を構成するコンクリートの本質は「水」です。
熱でコンクリートから「水」が飛ばされると、ボロボロになります。
私は、まず建屋が崩壊してしまうのではないかと恐れました。

同時に、建屋上部の構造物が、垂直縦方向に大きく吹き飛ばされ、黒っぽい煙が黒雲のように立ち上りました。
排気塔の高さが120メートルですから、おそらく500メートルをはるかに超えたでしょう。

垂直方向のベクトルの原因が、格納容器にあるのではないかと、とっさに疑いました。
放送中、私はかなり動転していました。
「水素爆発」を「水蒸気爆発」と言い間違えるミスも犯してしまいました。
あの瞬間、正直に言って、「もう終わりだ」と思いました。
目の前に現れた3号機を見ていると、悪夢がよみがえってきます。

さらに、落下する巨大な破片の下に作業員がいるかと思うと、いたたまれぬ気持になりました。
実際、注水作業をしていた作業員や自衛隊員らが負傷しました。

4号機の破壊も思ったより深刻に感じられました。
3月15日の東電と保安院の発表は「火災発生」でしたが、実は水素爆発でした。
定期点検のために取り外されていた格納容器の黄色い蓋が、高台からもはっきりと確認できました。
また、使用済み燃料プールの一部と、燃料を釣り上げるクレーンの一部が、壊れた建屋からのぞいていました。

3月15日の早朝、4号機爆発の一報を聞いた時も、思わず絶句しました。
「使用済み燃料プールには格納容器がない」と当たり前の事実が脳裏をよぎり、「今度こそ本当に終わった」と感じたことを覚えています。

高台から4機の原発を眺めたとき、自分がそこに立っていることが、不思議な感じに襲われました。

バスは敷地内を海側に下っていき、集中廃棄物処理建屋を通り過ぎると海側に出ます。
石を土嚢に詰めて積み上げた仮設の防潮堤で、視界が遮られます。
4号機のタービン建屋に差し掛かると、サーベイメーターの線量が上がり始めました。
4号機と3号機の間では、線量率が1時間当たり1,000マイクロシーベルトに達しました。
年間の被ばく線量を、1時間で浴びることになります。

敷地内の作業は、極めて高い放射線量の中で行われています。
しかも、防護服と防護マスクという不自由な環境で、コミュニケーションもままなりません。

私たち記者も、わずか3時間余りの取材でしたが、防護マスクを外した時の爽快感は忘れられません。

最後に、免震重要棟を訪れました。
もしこの建物がなければ、事故はさらに深刻な道をたどったと思われます。
というのも、各原子炉の中央制御室は、放射線量が上がり、運転員すら長時間立ち入ることができなかったからです。
免震重要棟がなければ、事故処理は参謀本部を欠いたまま、さらに迷走したに違いありません。

現地取材の最大の収穫は、現場指揮官の吉田昌郎所長の話を直接聞くことができたことです。
11月24日、吉田所長が病気入院して所長を退いた現在、ほとんど唯一の肉声です。

「ポイントは、原子炉が安定しているかどうかが一番重要だと思っています。
私としては、プラントは安定していると考えています。
ただ、冷温停止という定義の問題や炉内の状況は、本店などの解析で評価してもらう必要があります。
プラントが今日明日異常になるという状態からは、全然遠ざかった状態にあるということを私は確信しています。
逆に言うと、不安定な状態であれば、3,000人の作業員を受け入れることを僕は拒否しますので……」

吉田所長は明確に、「冷温停止」という言葉を避けたがっていました。

「安定している、という観点では確信しています。あとは本店を含めて、どうしっかり説明するかですね」と、
あくまで「安定しているにすぎない」ととれる言い方をしています。

吉田所長を英雄視することはできません。
事故の責任者のひとりです。
しかし、吉田所長ほど率直に、自分の言葉で語った東電幹部はいませんでした。

「一番厳しい時期はいつでしたか?」との私の質問に、次のように答えました。

「やはり、3月11日から一週間が一番、次がどうなるか想像できない中で、できる限りやっていたということで、
感覚的にいうとこの一週間、まあ極端な言い方をすれば、死ぬだろうと思ったことが数度ありました」

私は「死ぬだろう」という言葉に、「死ぬかもしれない」とか「死にそうだった」という比喩とは異なる、死への覚悟のようなものを感じました。

「『死ぬかと思った』とは具体的にどういうことですか」という質問には、次のように答えました。

「例えば1号機の爆発があった時に、どういう状況で爆発したのか分からなかった。
現場から、ケガした人間が帰ってくるという状況で、最悪格納容器が爆発しているとなると、大量の放射能が出てきます。
そこでコントロールが不能になってきます。
それから3号機の爆発。
2号機の原子炉に注水するときに、なかなか水が入りませんで、そういう中で一寸先が見えない。
最悪メルトダウンがどんどん進んで、コントロール不能という状態があったので、その時に終わりかなと感じました」

政府は、16日にも、工程表のステップ2完了を宣言する見通しです。
人々もすでに、事故処理や放射能の問題にうんざりし始めています。

しかし、最後のとりでである格納容器が損傷したまま、融けた燃料の場所も分からないままで、
果たして「冷温停止状態」と宣言することに意味があるでしょうか?

余震や余震による津波のリスクもあります。
ひとたび大規模な火災が起きれば、全てを放棄しなければなりません。
3,000人もの作業員が、防護服に防護マスクという不自由な環境で事故処理にあたる中、ヒューマンエラーの恐れもあります。
何より、大量の高レベル放射性廃液が、いまだに管理されないままたまり続けています。

私たちが事故の現実から目をそらすとき、間違いなく次の事故が準備されています。
放射能まみれの国土を後世に残さないために、これからも私たちは、事実を直視していかなければなりません』


およそ「安全対策」は「これでいい」と思った瞬間が事故の始まりです。
「安全」とはそういうものです。


私たちが事故の現実から目をそらすとき、間違いなく次の事故が準備されています。
放射能まみれの国土を後世に残さないために、これからも私たちは、事実を直視していかなければなりません






 

どこまでアホやねん!

2011年12月20日 | 日本とわたし
がれき受け入れ自治体一覧

実施中
青森県(八戸市・三戸町)
岩手県(盛岡市)
山形県(最上町天・村山市・米沢市・中山町・川西町・白鹿町・山形市)
東京都

受け入れ表明
北海道(千歳市を除く11市町と苫小牧市)
岩手県
秋田県(大仙市・仙北市)(にかほ市・由利本荘市は困難)
埼玉県
東京都(23区・多摩・町田市)
山梨県(一カ所のみ)
静岡県(島田市・湖西市)(藤枝市・三島市は困難)
京都府(市町村は検討予定無し)
大阪府
高知県(四万十町・須崎市は困難)

検討中、保留、不明
秋田市
新潟県(柏崎市・新潟市・長岡市・三条市・新発田市)
富山県
石川県(金沢市)
福井県(高浜市)
群馬県(4市町村)
長野県(1施設)
千葉県
神奈川県
愛知県
三重県(県自体は保留・松阪市は検討中)
岡山県
広島県(非公表)(尾道市は困難)
山口県(全19市町村は検討予定無し)

困難、反対、懸念、検討予定無し、見合わせ
新潟県
栃木県
群馬県(4市町村以外の40市町村と前橋市)
長野県
山梨県(1箇所表明)
神奈川県
石川県
福井県
岐阜県
福井県(高浜町のみ検討)
奈良県
和歌山県
兵庫県
鳥取県
島根県
山口県
徳島県
香川県
愛媛県
福岡県
佐賀県
長崎県
熊本県
大分県
宮崎県
鹿児島県
沖縄県

市町村問い合わせ先一覧は、色文字をクリックしてください。

考えていた以上に、多くの市町村が受け入れを表明していたり検討していたりしていることを知り、すごくショックを受けている。
細野氏が足繁く通って交渉しているのだそうだ。
これからも精力的に全国を回ると言っている。
彼の頭と心の中に、いったいどんなものが存在しているのかは知る術も無いが、
彼の愚行を、わたし達は断固としてやめさせなければならない。

日本には、冷温にしようのない、どこにあり、どんな状態なのかも皆目わからないものを充分冷やせたと断言し、
まったく埒が明かないままの事故後の原発が、自分達が勝手に作った計画表通りに収束した、だのとトンデモな妄想を堂々と言いふらす、世にも稀なるスットボケな裸の王様に、
ハハァ~ともっともらしい顔してひれ伏す、金魚の糞以下の議員達と報道記者がウジャウジャ棲息している。

そんな奴らにまんまと言いくるめられてるんか、放射能の性質を今だに全く知らんのか、金目当てなんか知らんけど、
その県やら市やら町やら村に、そこに住んでる人ら全員に、ちゃんと聞いたんか?
運び入れて燃やしてもええですかって。
どんなに微量の放射能でも、燃やすとガス化して、ええマスクしても遮ることができんようになるし、
そのガス化した放射能は自然に消えていかんから、ちびちびと蓄積して、結局はけっこうしっかりと汚染されてしまいますねんけど、それでもよろしやろかって。
ちゃんとやることしてから答えてぇや!
今までの暮らしもなんもかも、全部あきらめて、被災地から避難してきた人らかていてはるねん。
なんでそんな、理不尽な事でもう充分過ぎるほど痛めつけられた人らに、また放射能の心配させんねん?
そんな権利、誰にもあらへん。
放射性物質がついた瓦礫は、その物質の多少にかかわらず、絶対に燃やしたらあかん!
燃やしてもええ技術なんか、今の世の中にはあらへんねん。
いったい誰が言うたら気がつくん?
世界中が警告しとんねん!
どこまでアホ晒すつもりやねん!
まだのとこのみんな、頑張らなあかんで!絶対に許したらあかんで!
もうやってしもたとこのみんなも、あきらめたらあかんで!いくらでも中止できるんやで!

東京電力の電気料金の原価にはこんなんも入ってまっせ~!多分東京だけとちゃいまっせ~!

2011年12月19日 | 日本とわたし
ちょっとちょっとそこの奥さん、そこの旦那さん、そこのおにいさん、そこのおねえさん、
知ってはりました?
わたしら今までずう~っと、電気代でこんなんまで払わされてたんやで!

東京新聞の今日のニュースからちょっと紹介させてもらいますね。

『東京電力が、保養所や接待施設の維持管理費、年8.5%もの利子が付く財形貯蓄などさまざまな社員優遇に必要な費用を、電気料金を決める際の原価に算入し、電気料金で回収していたことが本紙の調査で分かった。こうした事実を東電も認めている。東電の手厚い福利厚生は、電力会社を選ぶことができない消費者の負担によって維持されてきたことになる』

やてぇ~!?
そんなん、知らんかったこととはいえ、あんまりですやん!
もう一切合切、引いて欲しいですやん!
今まで払い過ぎてた分、払い戻して欲しいぐらいですやん!
そやのに値上げやて?
ジョーダンはよし子さんですやん!
長い長い間払い過ぎてたんやから、これから当分、事故の被害に遭うてはる人らは無料、わたしらは半額、これでいってもらいましょ!

ほな、いきまっせ。
こんなんまで払てはったんですよ~東電管轄のみなさん。

社員専用の飲食施設『東友クラブ』(都内・新潟県・福島県などに所在)の維持管理費

接待用飲食施設『明石倶楽部』(東京都中央区の聖路加タワー内に所在)の維持管理費

熱海などに所在する保養所の維持管理費

東京電力管弦楽団の運営費

総合グラウンドの維持管理費と減価償却費

野球やバレーボールなど車内のサークル活動費

PR施設(渋谷電力館とテプコ浅草館)

一人当たり年間8万5千円の福利厚生の補助(他企業平均では6万6千円)

健康保険料の70%負担(他企業の会社負担は50~60%)

社員の自社株式の購入奨励金(代金の10%)

年3.5%の財形貯蓄の利子(利子補てんがない企業がほとんど)

年8.5%のリフレッシュ財形貯蓄の利子(制度自体がない企業がほとんど)

電力と関係のない書籍の購入代金

業界団体、財団法人への拠出金と出向者の人件費

原発立地自治体への寄付金

オール電化PRの広告宣伝費



もうほんま、黙ってんと怒りましょうよ~みなさん!

「今後ともみなさんとの意見のキャッチボールを行いながら」……?ふざけんな人殺し!

2011年12月19日 | 日本とわたし
野田総理が行おうとした新橋での街頭演説に、「原発いらない!」「解散!」「子供を守れ!」という怒号が巻き上がった。
その様子を撮ったビデオが、Ustrem.tv.で放映されてる。

そう動画をここに載せる知恵が無いのが残念!上の色文字をクリックしてください。お手間かけてすんません。

街頭演説直前に、北朝鮮の金正日総書記が死亡したというニュースをNHKの報道から知り、肩すかしを食らいながらも抗議行動をしている人達。
この場所には、みんな個々に集まってきて、別にプラカードを持っているわけでもないのに、いきなり警官やSPに取り囲まれて、かなり離れた所に隔離された。
プラカードを持っていた人は、押してもいないのに「押さないでください」などと言われて連行された。
プラカードを持った人達は20人ぐらいの、金色のバッジとイヤホンをつけた人間に囲まれ、まずは黄色い線の内側で居ろと言われ、その中でプラカードを掲げた直後「掲げたな!」という声とともに連行された。


という話が聞こえてくる。
わたしはこの怒りを聞きながら、涙が止まらない。
日本人の、組織されていない、個々の怒りを聞いて、胸が詰まった。

重大なニュースをNHKの報道番組からしか知り得なかったバカボン政権。
結局姿を見せなかった野田氏に代わり、男が詫びの言葉とともにこう言った。

「今後ともみなさんとの意見のキャッチボールを行いながら……」

あほんだら!
おまえらが投げ続けてるのは毒の矢や!
毎日毎晩、生まれたばっかりの赤ん坊からお年寄り、動物、植物に至るまで、
静かに死んでいくしかない運命を植え付ける毒の矢や!
人殺し!
日本殺し!
今の東日本には、怒りとあきらめが渦巻いてる。
過酷な状況に置かれてもなお、人は希望があったら生きていける。
その希望を無下に摘み取ってるのはおまえらや!
バチ当たれ!
数億本の毒矢と一緒に!

25才おめでとう!無事に生きててくれてありがとう!

2011年12月18日 | 日本とわたし
本日も晴天なり!そして超~サブイ!
息子Tは、今から丁度25年前、こ~ゆ~寒さの中、呼吸停止の母の腹の中から、無理矢理引っ張り出された。
いつも、一週間後のクリスマスとごっちゃにされて、きちっと祝ってもらえない気の毒なタイミング。
なので、今日は旦那とわたしがマンハッタンまで出て、ランチをご馳走することにした。

彼の希望は『かつ濱』。五番街と六番街の間の55丁目にあるお店。待ち合わせは2時半。
汚れたままの車の窓ガラスを通して写したので、かなりスモーキーだが……。

旦那がいつも通るたび、郷愁にひたるビルディング『MIDTOWNCOMICS.COM』。


どんだけ道が混んでいようが、堂々と我が道を行く自転車タクシー。


気温30℉(零下1℃)。


クリスマス・ラインダンスショーでお馴染み『RADIO CITY』。この寒さの中、行列を作ってた……。


うぎゃ~!屋台の焼き栗復活!


『かつ濱』で、擂り粉木で胡麻を擦り、息子はビール、旦那は赤ワイン、わたしは熱燗で乾杯!
油ものを食べ過ぎた(というか、普段粗食なのでちょっとこたえた)ので、近所のスタバに寄って腹ごなし。
ソニービルの中にあるスタバ。


3Dテレビのお試し眼鏡がナニゲに良く似合う25才。


隣のテーブルでは、チェスの真剣勝負。
ずっと負け気味だった右側のじいちゃん、この一手で情勢が一気に変わり……。


負けた方のじいちゃん、名残惜しそうに次のペアの試合を観戦中。


クリスマスで賑わう五番街。というか、ほんま、えげつなく混んでいた。祇園祭やないんやから……。


すぐ近くにあったので、最近できた、世界で一番でっかい(売り場面積約1400坪)と言われているユニクロ旗艦店を覗きに行った。


旦那もわたしも人酔いするタチなので、早々に退散。このレジ待ちの列はハンパじゃない。


やっぱマンハッタンにさよならはこのビルディングに。また来週!


今夜は北風に散々冷やされたので、お湯みかん。

あなたならどうしはる?

2011年12月17日 | 日本とわたし
あなたならどうしはる?



わたしが長年、伴奏をしている高校は、スペシャルズの子供達が通う学校。
スペシャルズは文字通り『特別な人達』。
時にはギフティッド『神様からの贈り物』と呼ばれることもある。
日本でいう障害者にあたる。

彼らの集中力はすばらしい。
時に心のバランスを崩す時もあるけど、その都度に時間かけてじっくり話し合うたら、大抵はお互いに納得のいく解決策が見つかる。

スーパーマーケットに行くと必ず、このビデオに出演している彼のように、ダウン症の人達が数人働いてる。
もちろん他の店でも然り。
わたしは一度も、彼らの動作がのろいだの、ちゃんとやれてるのかだのと思たことが無いし、そういうことを口にする人に出くわしたことも無い。
だいたい、アメリカの店員は、レジも含めて皆、動作が機敏とちゃう。はっきり言わせてもらうとノロい。
ちゃっちゃと作業するっちゅうことに興味もやり甲斐も無いから、励む必要も無いんやろと思う。
そやから、レジで10分20分並んで待つなんて日常茶飯事やし、今のようなクリスマス前ともなるとさらに悲惨で、
買い物の予定を立てる時には、レジ待ちの時間も充分考察に入れて計算する。

そやけど、ニューヨーカーはイラチが多い。
食べ物屋で注文をグズグズしてると、店員の方から急かされたりするから、まずきちんと注文する物を決めてから彼らの前に立たなあかん。
このビデオはブルックリンのあるスーパーで撮影されたらしいから、イラチが居てもまず不思議とちゃう。
まあ、いくらイラチといえど、このビデオの役者のような暴言を矢継ぎ早にしつっこく言える人間はまずおらんけど。

今までに一度だけ、大津に住んでいた頃、白人主義者のおとっつぁんがいる家族と知り合いになったんやけど、
そのおとっつぁんが堂々と、何人かを前にして、差別的排他的持論をまくしたてるのを聞いた時、
こんな阿呆も世の中には居るとうわさでは聞いてたけど、マジで居るんや……と呆れ返ったのを覚えてる。

うつむいてた人も、見て見ぬふりをした人も、動作だけで抗議した人も、通り過ぎざまに一言くれてやった人も、
みんなそれぞれ、心の中では、恥知らずな男や女の言葉を遮りたかったやろうなと思う。
煮えくり返るほどの憤りが、いろんな形で表現されているのを見て、わたしはまた、今の日本みたいや、などと思ってた。

でも、まだ彼らは、心の中だけであっても、怒ることができただけでもよかった。
うつむいてても、現実は耳から聞こえてくるのやから。
そういう社会の現実を、現実の中で実際に起こっている不条理を、すっぽり隠されたまま見聞きすることもなく、だから腹を立てることもなく、
いつもの暮らしをいつものようにしていたら、なにか異様な疲れや痛みに襲われたり、原因不明のまま家族が急に倒れたりし始めるよりはマシ。

わかるよ。
相手がもともとどうしようもない連中で、そやのに権力だけはてんこ盛りあって、なんでも勝手に決めることができる立場にいたら、
市民のわたしらがどんだけ反対しようが抵抗しようが、向こうは屁とも思わんし、やりたい事をいやらしいほどきっちりとやってみせる。
イラクの戦争がそうやった。
毎日のように、どこの町でも反対集会やデモがあった。
街角のあちこちに、『わたし達に賛成な人、ホーンして(クラクション鳴らして)!』って書いてあるプラカードに応えて、プープーパーパー賑やかやった。
それでも戦争は起こり、町は破壊され、大勢の人が殺され、今は劣化ウランを使た爆弾の汚染で、たくさんの子供達が悲惨な思いをしてる。

日本がこの先どないなことになるのか、わたしにはあんまりええことが思い浮かばんのやけど、
このビデオの役者が演じた馬鹿者なんか足元にも及ばんほどの、日本の政治家や学者やマスコミの馬鹿者達を、
今の役職にいる間に、痛い目に遭わせて引きずり降ろしてやりたい。
あいつらの思惑通りに、無責任のまま、のんびりと老後を暮らす、やなんて絶対に実現させてたまるか。

たったひとりで、人間として間違うたことしてる人間に噛み付いた人の勇気を、わたしらもきっと持ってる。
それを支えに、元気玉にして、ほんでみんなで噛みついたろうな。
わたしらはひとりでせんでもええねん。こんなことはひとりでせん方がええねん。
ひとりからふたり、そっからまたひとり、そうやって手をつなぎ合っていこうな。
絶対に許せへん。この強い気持ちがあったら大丈夫。がんばろな!

政府は冷温停止よりも、原発停止を優先すべき!

2011年12月16日 | 日本とわたし
グリーンピース声明 「冷温停止よりも原発の停止を」2011/12/16 

グリーンピースは、日本政府と東京電力が本日12月16日、福島第一原子力発電所の1号機~3号機の原子炉の核燃料が100℃以下に下がり、冷温状態が保たれて安定したと宣言したことを受けて、
この宣言は不正確であり、原発内に未だにある複合的な危険性を無視している、と警告しました。

通常「冷温停止」とは、業界用語で、炉の中の核燃料集合体が加圧されない状態で95℃以下に冷却されていることを指します。
しかし東京電力は「冷温停止」を福島第一原発に当てはまるように再定義(言い換え)しており、
特に、
1)炉の圧力容器の底の温度が100℃以下になっている、
2)原子炉からの放射性物質が管理、制御されている、
3)原子炉の冷却水としてでてくる放射性物質を含む水を再利用するために作られた循環冷却システムが安定的に維持されていること、
としています。

グリーンピースは、以下の2点において政府の「冷温停止」宣言には妥当性がないと考えます。

1)溶融した核燃料の中心部の温度が不明なままである。
おそらく何トンもの燃料が鋼鉄を突き抜け、コンクリートの床を浸蝕しているときに、
圧力容器の底の温度測定をしても、冷温停止の根拠として信頼性がない。

2)放射性物質は制御できていない。
溶融した260トンの核燃料の状態が不明なままであり、何万トンという高濃度汚染水が原子炉およびタービン建屋に残っている。
週4000トン以上の水が毎週炉内に注入されているが、こうした水が地下や太平洋へ漏れ出している可能性は依然として高く、
高濃度のストロンチウムを含む汚染水が太平洋に流出していることも、10日前に東京電力が認めたばかりである。


グリーンピース・ジャパンの事務局長佐藤潤一は、
「事故から9か月たった今も、大勢の人々が政府による十分な支援のないまま、放射能のリスクにさらされ続けています。
こうした事実に目をそむけて定義の曖昧な『冷温停止』を宣言することは、市民に間違った情報を伝えるだけではなく、
人々の安全よりも政治的なパフォーマンスを優先して考える、現在の政府の方針を象徴しています。
政府は冷温停止よりも、原発停止を優先すべきです」
と主張しています。