ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

父を祝う日

2020年06月22日 | 家族とわたし
大統領予備選挙の投票用紙が送られてきました。
今回の投票は、COVID-19の影響で、投票所に行かずに各自が郵送で行うことになりました。
この3年と7ヶ月の悪夢から解放されるかどうかの一票です。

さて、こちらもぼちぼちと外出ができるようになってきました。
一部のレストランは、店周りの外にテーブルを出せるお店なら、食事を提供しても良くなりました。
スーパーマーケットはまだ入店人数の制限があるので、客が多い時に行くと外で待たなくてはなりませんが、品揃えは普段と同じ状態になりました。
トイレットペーパーも普通に買えるようになりました。
でも店内の建物に入ることができるのは日常必需品を売っているお店だけで、その他の品物は外で販売ができるお店でしか買えません。
今や断トツ世界一の感染者数と死亡者数を抱えるアメリカの、第二位を維持してしまっている州なので仕方がありません。


先週の土曜日は、夫の父の80歳の誕生日を祝いに、実に4ヶ月ぶりにみんなで集まりました。
夫の両親と姉家族はペンシルバニア州に住んでいます。
なので道中の両側はずっと、こんな感じの景色が続きます。


姉の家の前庭のとても大きなビーチツリー。日本語名がわかりません。

ソーシャルディスタンスをとって、テラスで会食しました。

母が焼いた父の好物、アップサイドダウン・パイナップルケーキをいただきました。

このジグゾーパズルはいじめとしか思えない…夫が子どもの頃からあったものだそうです。
こういうややこしい事がなぜか得意な長男が、パズルのピースを種分けして、けっこう埋めることができました。



そして今日21日は父の日だったので、先週の誕生日会にはがん治療中の義父の安全を第一に考えて参加しなかったブルックリン在住の次男&エレンちゃんが、これまた4ヶ月ぶりに我が家に来てくれました。
お好み焼きとニンジンしりしり。今我が家で流行りのおかずです。

次男は会社員&核ゲーマーとしてけっこう有名なんですが、実は卓球もなかなかの腕前です。
なので今日はお手合わせをしてもらうことにしました。
わたしたちが使っているラケットとボールを見てちょっと呆れた様子でしたが、持参してきたラケットを使わせてもらってびっくり!全く違うのです。
ボールにも違いがあることを知りまたまたびっくり。
素振りや型を教えてくれたのですが、それができるようになるまでにどれだけかかるか…トホホ。
でも、夫のように変顔して笑わせたり、めちゃくちゃ打ち返しにくい所を狙ったりしないので、そこそこラリーを続けることができました。
父 VS 息子の一場面。あと一人の方の息子は、クライミングで足首を負傷して治療中なので欠席です。


彼らは近々、ワンちゃんのおとうさんおかあさんになるそうです。
ポメラニアンとハスキー犬のミックスで、種類名はポンスキーというのだそうです。
写真を見せてもらいましたが、めちゃくちゃ可愛い!
これはSNS映像からお借りしました。
この子よりもうちょっと可愛かったです…😅
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痛み

2020年06月17日 | 家族とわたし
空よ、これはあなたのヨガマットではない😂


先週の木曜日の夜、本当に久しぶりに陰ヨガをした。
講師は明子さん。
彼女が誘ってくれた。
マットでポーズをとっていると、空と海がウロウロ周りを歩いたり、鼻先で太腿を突いてきたりした。

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去年85歳になった母は、今度は腰部(ようぶ)脊柱管狭窄症が悪化してきたらしい。
2月の下旬に頸椎調整脊髄症の手術を受け、本当なら1ヶ月は入院していなければならないのに、人の世話になるのが嫌なのと退屈すぎるのとで、2週間あまりで退院してしまった。
手術のために刈り上げたワカメちゃんカットが可愛らしかったのだけど、

手術後の血溜まりを抜くために空けられた大きな穴が痛々しく、そこが長いこと強く痛んだ。

ここ数年、母は歩き辛くなってきたのが嫌で嫌で、だからあまり出かけなくなってしまっていた。
食欲も落ちて、気分も塞いでしまい、ずっともうこんな状態が続くなら死んでしまいたいと、フェイスタイムで話すたびに言っていた。
良い整形外科の医者に診てもらいたいけど、良さそうな人はこんな田舎には居ない。
一緒に訪ねて行ってもらえる子どももいない(長女はアメリカ、長男は大阪で介護職で忙しくしている)から、全て独りでしなければならない。
夫が漢方や鍼治療をどれだけ勧めても、近くには良い漢方薬局も鍼灸師も居ないと言い、
もうこんな毎日なら死んだ方がマシだから、どうせ死ぬなら手術を受けてみたいと言い出したので、ああこれはもう止められないなと思った。

母は思い込んだら猪突猛進、とにかくそれを手に入れるまで絶対に考えを変えない。
それでわたしも根をあげて、母に連絡をするのが億劫になってしまった。
わたしが10日ぶりぐらいに連絡すると、母はさっさと奈良の病院に連絡をつけ、手術日を決め、翌日から検査入院をするところだった。
わたしたちはちょうど長男の結婚式のために東京に行くことになっていたので、手術から10日経ったぐらいの母を見舞いに行った。

わたしはその時もまだ、勝手にどんどん決めてやってしまう母に少しだけ怒っていた。
相変わらず気はしっかりしている母の、そろそろと歩いてシャワーを浴びに行く後ろ姿がとても弱々しくて、不意に涙が出そうになった。
自分がすごく親不孝をしているように思えた。

わたしたちがこちらに戻ってからすぐに母が退院して、それからまたフェイスタイムでの会話が始まった。
こちらはパンデミックの非常事態宣言が出て、一体どうなっていくのか見えない毎日が続いていた。
人の心配をしている余裕を失くしていた。
なので、母が、「痛みが全く取れない、前よりもっと痛む」と言って辛そうにしているのを見ると、どうしようもなく気持ちが重くなった。
整形の医者は、「もし前回の手術で痛みが取れない場合は、頸椎の手術をすれば良い」と言っていたが、さすがの母も、もう手術は嫌だと思っているようで、これはチャンスだと思ってもう一度鍼の治療を勧めてみた。
歩いて10分もかからない近所の鍼灸院をずっと前から見つけてあったので、「とにかく一回行ってみて」と、これまでになく強く言うと、あっさり「行ってみよかな」と言う。

そして母の治療院通いが始まった。
そうなると、我が家のお抱え鍼灸師に尋ねたいことがどんどん出てくる母と、頻繁に話すようになった。
頻繁といっても1週間に一回ぐらいの割合なのだけど、治療の成果がなかなか出てこないので、それに苛つく母をなだめるのがとにかく大変だった。
同じ鍼灸師でもそれぞれに施術方法や意向が違うのだけど、母にはそんなことは通用しない。
なんでなんでなんでと、何でもかんでも聞いてきて、彼女が聞きたい答じゃないと不機嫌になる。
そしてお決まりの「生きててもしょうがない」が始まる。

でも今回はわたしが勧めたことだ。
それに母が従ってくれた。
だからちょっとこれまでより頑張って支えていかねばと思った。
わたしにできることはただ一つ、母の話を聞くことだ。
夫は彼の弟が厄介なガンを患ったと分かってからずっと、もう何年もの間、毎日欠かさず電話をかけている。
その膨大な時間の共有のあたたかさを、夫も義弟もちゃんと感じているのが分かる。
だからわたしも真似してみようと思った。
母の娘歴63年の初めての試み。
画面の顔を見ながらだと疲れやすいので、ライン電話に切り替えた。
85歳にして初めてのスマホを手にした母と、ライン電話で毎日話しているうちに、これまでになく母の心が柔らかくなってきたことに気がついた。
わたしが言うことを聞いてくれるようになった。
今までだと何を言っても「そんなん無理」という返事が即、返ってきたのに、「ちょっと試してみるわ」に変わった。
試してみて、それがあまりいい結果が出なくても、「まあもうちょっと様子見てみる」と言うようになった。
以前だと怒りまくって「もう二度としない」と言う人だったのだから本当にありがたい。

ああわたしは本当に今の今まで、薄々気づいていたのに面倒がってやらなかった親不孝者だった。
インターネットのおかげでそれが簡単にできるのだから、母の痛みが少しでも和らぐまで、彼女の話を聞いていこうと思う。
夫は常々、「激しい痛みは体だけじゃなく心も蝕む。だから痛みを取る、軽減することは本当に大切。もう一度人間に戻れた気がするんだと思う」と言っている。
母の心が軽くなる日が1日も早く来ますように。
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真っ赤な目で見た週末の風景

2020年05月20日 | 家族とわたし
タイトル写真は緑目の空ちゃん。

昨日の朝、起きて瞬きしたら右目がシクシク痛んだので鏡で見たら、
うぎゃ〜!!ゾンビがぁ〜!!
真っ赤っかな白目ってやっぱ気持ちが悪過ぎる…。
夫に鍼を打ってもらい、念のために目の治療を専門にしている鍼灸師さんに写真を撮って送ってもらった。
多分アレルギー性の結膜下出血だから、時間がかかるけど治ると思う。
その時間を短縮したいなら治療できる。
という答えをもらいホッと一安心。
でもほんとにホラーだな、この目…。

一昨日の日曜日、ペンシルバニア在住の夫の両親に会いに行った。
数週間前から行くか行かないか、週末が近づくと悩んでいた。
2人とも80歳の高齢で、義父は癌治療の真っ只中だし、義母もあちこち痛みが出てきている。
会いに行く事で万が一、わたしたちがウイルスを運び込んだりしたらおしまいだ。
だからずっと行かない方がいいと思ってたのだけど、とうとう行くことにした。

高速道路はやっぱりいつもより空いていた。
トラックの数が多かったのだけど、中でもアマゾンの物品を運ぶトラックが異様に多かった。

自宅以外の家の中に入るのがあまりにも久しぶりだったので、妙な気持ちだった。
ドアノブや何かの取手に触るのを反射的に避けている自分に苦笑した。
両親とはもちろんハグもせず、2メートルぐらいの距離を空けて話をした。
キッチンカウンターには消毒用のウェットティッシュと外出用のマスクが置かれていた。
新型コロナ世界がここにもしっかり根づいている。

その夜、仰天した事があった。
彼らの義娘になって28年、その間一度も見た事が無かった事がある。
それは彼らが一緒にテレビを観る姿である。
なのに突然、今日は楽しみにしている番組があると言うのでたまげてしまった。
その番組の名前を聞いて、今度は椅子から転げ落ちそうになった。
2018年に復活した「アメリカン・アイドル」のファイナルだったのだ。
始まる1時間ほど前から、義父はそわそわし始めた。
新型コロナ自粛生活が始まってから、テレビを観る時間がじわじわと増えてきたそうなんだけど、「アメリカン・アイドル」に到達するなど誰が想像できただろうか。
4人でテレビの前に座り、たっぷり2時間楽しんだ。
テレビ画面より両親の様子を観察する方が楽しかった。
ただ、新型コロナウイルスのせいでステージも盛り上がる観客も無く、歌手たちは全員それぞれの自宅で歌い、それを中継する方式だったので迫力に欠けた。
だけどずっと初めの頃から観てきた両親は、どの子が最後に残るのかに胸をときめかせていた。
「お気に入りの子に投票したいんだけどね」
そんなことを言う義母が好きだなあ。

翌日の朝、義母の神の手マッサージ(彼女は高度な技術を要するマッサージ資格を何個も持っている)してもらい、左側の肋骨にいくつもの凝りがあるのを解してもらった。
義母は夫から鍼治療を二日続きで受けた。

彼女は素晴らしい陶芸家でもある。
最近の個展で非売作品として展示されたこの作品は、その昔、わたしが彼女にあげた着物の端切れを使って創られたもので、わたしの大のお気に入り。

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突如出現したスパイダーマンもどき

2020年04月14日 | 家族とわたし
いろいろあってうちの3階で暮らしている上の息子の趣味はクライミング。
彼はどうも体を痛めつけるスポーツを好むようで、これまでに柔道、ボクシングなどを経て、今はクライミングに没頭している。
自分でクライミングのウェブサイトを立ち上げ、人気スポットにある岩を自分でよじ登っては(こんな表現で良いのだろうか…)、登りやすいポイントを紹介したりしている。
さてその彼が、うちの家に挑戦したいと言い出したのは随分前のことだったんだけど、結婚を控えて万が一のことがあったらなどと脅かして、しばらくその話はたち消えになっていた。

ところが昨日突然、「Tが外壁を登るって」と夫が言うので、慌てて外に出てみると…。

あかん…もうすっかり準備が整ってしまっている。

こんな薄いマットで充分なのか?
コンクリートに頭を打ちつけたりしないのか?
いつもだったらクライミング仲間が居て、もしもの場合に下で受け止める準備してくれているが、我々にそんなことができるはずがない。
普段は息子たちがすることにはほとんど心配しない夫まで、「今は怪我しても病院に行くことはできない時だってこと、わかってるよな」と言い出したりするから、わたしの心配度はグングン上昇する。

ブツブツ言ってるわたしのことなどまるで無視して、着々と予行練習をする息子。

本番開始。







兄ちゃん、あんた、スパイダーマンか。

若者シカが座り込んで死んでしまったかと思っていたクリスマスローズが復活した。


後ろ姿や横顔もまた良し。

今年はムスカリの元気が無い。

今年もなかなか勢いがいいブラックベリー。

芍薬もぐんぐん大きくなってきた。

えっと、これは…。

何も世話をしてなかったのに冬を越してくれた、多分食べられる葉っぱ。

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新型コロナウイルスと息子の結婚狂想曲

2020年03月08日 | 家族とわたし
上の息子の結婚式と披露宴に出席するべく、ここアメリカ東海岸から、当人の息子を含む総勢9名が訪日するはずだった2月の下旬、
わたしたちは渡航予約チケット、ホテルの予約画面を眺めながら、日本での新型コロナウイルス感染状況を見守っていた。
米国疾病予防管理センター(CDC)が2月22日、日本への渡航に関する注意レベルを1から2に引き上げたことで、行くか行かないか悶々と悩んでいた夫の両親と夫の姉家族3人が、とうとう日本行きを断念した。
出発2日前ギリギリの決定だった。
義父母は伝統的で古風な挙式に参加できることを心底楽しみにしていたので、その落胆ぶりは本当に気の毒だった。

5人のドタキャンに息子とフィアンセもショックを受けたけど、キャンセルはその5人だけでは収まらなかった。
「まだ子どもが小さいから」、「会社から行ってはならないと言われたから」、などの理由でその後も数名のキャンセルが続いた。
4年に1度の閏年の29日に式を挙げるだけでも思い出深いのに、もう本当に正真正銘めちゃくちゃ特別な、後々語り継がれていくだろうと思われる日になった。

空いてしまったテーブルに、息子の友人の母親が急きょ座ってくれることになった。
彼女は大津で今から28年前に行われた、夫とわたしのナンチャッテ結婚式にも来てくれた友人で、だから20年ぶりの再会がとても嬉しかった。
陶芸家つながりで今回どうしても義母に会わせたかった、洋さん&あけみちゃん夫妻の二人にも飛び入りで来てもらえることになり、そのこともまたすごくエキサイティングなハプニングになった。
これで来られなかった義父母の無念を晴らせられるわけでは無いのだけど、飛び入りしてくれた3人はそれぞれに特別な人たちだったから、少なくともわたしの気持ちは救われた。

挙式前日に、両家にとって初めてのお出会い食事会があった。
みなさんとても気さくで楽しくて、ああこの人たちと家族になるのだなあと、心から幸せな気持ちになった。
遠く海を隔てた距離を埋めることはできないけれど、彼らは新しい息子を、わたしたちは新しい娘を、互いに愛し大切にしようと誓い合った。

訳あって今ここに挙式や披露宴の写真を紹介することはできないけれど、どちらも温かで楽しい、そして心にしみる良い時間だった。
息子たちが二人して、インターネット遠距離会話を交わしながら一所懸命に計画してきた披露宴は、そこに居た全ての人たちを大切に思う彼らの気持ちに溢れていた。
いくら末日と言えども2月だったのに、式と披露宴が執り行われている間中、とても穏やかで暖かな天気が続いた。
ずっと雨か、もしかしたら雪が降る、などという予報が出ていたので、これは新型肺炎騒動でいろいろと大変だった二人への、空の神さまからの贈り物だと思えた。
名物の5分間のお披露目行列も、美しい日本庭園での写真撮影も、だからとても気持ち良く、滞りなく行われた。
花嫁はため息が出るほど美しく、花婿は誇らしげだった。
何もかもが誰にとっても初めてのことだったから、どれもこれもちょっと恐々でドキドキした。
厳かな挙式では、息子が自分の指輪を新婦の指につけようとしたり、新郎新婦だけの起立の指示を聞き間違えた新婦側の叔父が立ち上がりそうになって、慌ててそれを止めた叔母が肩を震わせて笑っているのを見て、こちらも吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。

うちからの5人は出席できなかったけれど、ゲストの中で一人だけ息子の同僚がアメリカから来てくれていたので、披露宴の司会は当初の予定通り日本語と英語で行われた。
披露宴はお涙頂戴の演出が一切無く、それは清々しく温かく、笑顔に満ちていた。

最後の締め括りの挨拶を、新郎の父としてやらなければならなかった夫は、英語と日本語の二通りの挨拶文を用意していた。
パニックアタックが酷ければ、もしかしたら声が出なくなるかもしれないからと言ったりしてたけど、できたら5分以内に抑えた方が良いところを倍以上の長さで、けれども会場を大いに沸かせてスピーチを終えた。
息子も挙式、披露宴共に、堂々と張りのある声で宣誓や挨拶をして、幸せを全身で表していた。
我が家にとって初めての娘になってくれる新婦は、それはそれは美しく凛々しく知性にあふれていて、この二人ならこの先何があっても大丈夫だと思えた。
親としての成績があるとしたら、あまり良くなかったわたしたちの元で育ったのに、いや多分そうだったからこそ、我が家の息子たちはとてもしっかり者で頼もしく、そして優しい。
親バカと思われるかも知れないけれど、他の人からもよく言われるので、多分この見立ては間違ってはいないと思う。

息子たちの結婚式を挟んで前後2週間、夫の両親や姉一家と一緒に東京近辺や関西を観光する予定だったけど、新型コロナウイルス騒動が起こったことで全てをキャンセルしなければならなかった。
ホテルの予約を取り直し、後半の1週間をどうするか悩みながら様子を見ていたのだけど、航空会社が日米間の運航を休止し始めたというニュースを読んで諦めることにした。
とりあえず、手術入院していた母の見舞いと息子たちの挙式に参列できたのだから、それで良しとしようと踏ん切りをつけた。
それと、行き帰りともに機内がガラガラだったのと、夫の両親がファーストクラスで行くはずだったのとで、その席を我々に譲ってくれることになり、人生初の真っ平席を楽しめたことも良かった。
滞在中は常時マスクをつけ、除菌のウェットティッシュで触る可能性がある部分を拭きまくり、お金や手すりやドアノブに触るたびに手を洗い、咳をする人からはなるべく距離を取るようにした。
エスカレーターの手すりやエレベーターのボタン押しには肘を使った。
けれども目に見えないウィルスは、やはりどうしても不気味で、だから少しでも気になる症状が出たらすぐに、夫が持参した漢方薬を飲んだ。
タクシーに乗るたびに、どの運転手さんも同様に、中国からの観光客が居なくなってガラガラだと話していた。
だけどなんか変な感じがした。
平常と異常が、仮想世界と実世界が、同じ空間に存在していて、そのとても曖昧な薄い透明の膜を恐々と触りながら、いったい自分がどちらの側にいるのかも定かではない…そんな感じがした。
だからずっと、身体と心の隅っこで怖がっていた。

そんな時に息子たちは結婚をした。
無事に全てを終えられて本当に良かった。
心からおめでとう。
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母へ

2020年02月17日 | 家族とわたし
何年も前から、ずっと足の不調を訴えていた母が、先日の12日にとうとう手術を受けた。
いろんな病院のいろんな科の医者に診てもらい、詳しい検査を受けても、どこにも問題が見つからず、自律神経の問題か、もしくは心的なものではないかと言われ続けてきた。
インターネットを使って話している間のほとんどが、痛みや痺れ、そして歩行困難についての愚痴話になって、辟易することもしばしばだったけど、
帰省した際に必ずと言っていいほどに出かけるパークゴルフでは、本当に足が痛いの?と聞きたくなるほどにスタスタとコースを歩いたりするので、弟とわたしはこっそりと「やっぱり気の病かも」などと陰口を叩いたりした。

母は老いを認めたくない人だ。
実際もうあと数年もしたら米寿を迎えるというのに、肌の張りが良く、実年齢には絶対に見えない。
だから気持ちも若いのか、そんな自分が老人のようにヨタヨタと歩くことしかできないくらいなら生きていても仕方がない、などと罰当たりなことを言う。
いえいえおかあさん、あなたは立派な正真正銘の後期高齢者ですよと、心の中でブツブツ呟くわたしなのだけど、
車の運転だって見事だし、かなり難しい車庫入れだってスルッとこなす彼女にとって、わたしたちのように歩けないということが本当に受け入れ難いことなのだろう。
などと言っているわたしなど、掃除機をかけ終わった瞬間に腰が伸びずにヨタヨタしたり、猫トイレの掃除を終えて立ち上がろうとしたらよろけたり、先が思いやられる今日この頃なのだ。
でもまあ、60を3つも超えたらこんなもんじゃないかと思う。
とりあえず健康オタクの夫がうるさいし、わたし自身も必要だと思っているので、YMCAに通って運動はしているんだけど。

話がそれた。
今年に入り、またまた体調が悪くなり、それがようやく治ったと思ったら今度は酷い咳風邪にかかってしまい、母に連絡を取らずに日が経ってしまった。
母は、2月末に東京で行われる初孫の結婚式も、こんな年老いた惨めな姿(本人だけがそう思っている)を誰にも見られたくないという理由で出席を断っていた。
いずれにせよ、母の体調もあまり良くなかったし、寒い季節に東京まで出かけるのは大変だろうと思い、まあしょうがないなと思っていた。
でももしかしたら、母は心の奥底で、せっかくの初孫の晴れ舞台を見に行けない自分のことを、無意識に責めていたのかもしれない。
そして行けない理由を確固としたものにするために、足の不自由さを解決するには手術しかないと決め、何が何でも手術を施してくれる医者を見つけようとしたのかもしれない。
なんて勝手な妄想をつらつら並べてみたけれど、本当の事は誰にもわからない。
今わたしにできることは、3時間に渡る大きな手術を果敢に受け、颯爽と歩ける日を夢見てリハビリに挑戦する母を、ただただ応援することだ。

いよいよ手術の時間が近づいた日の夜(時差が14時間あるので)に電話をかけると、手術のための最終検査や準備、それから術後の過ごし方のレクチャーで大忙しだった母は、もうすでにクタクタで「疲れた」を連発していたが、ずっと長い間望んでいたことが叶うからか、少々興奮気味の声で「心配せんでええよ」と言っていた。

ネット電話を切ってから、なぜか胸が苦しくなり、なぜわたしはこんな遠くに離れたまま、母の手を握り「大丈夫、わたしがついてるからね」と声をかけてやれないのだろうと思ったりした。
夫が何か話しかけても上の空で、「そんなに心配なのか?」と言われたりした。
彼女の手術が始まる時間から終わる時間までずっと、無事に終わりますようにと祈った。
夜中に義父から電話がかかり、「無事終わって元気に寝てる」と聞き、元気に寝てるって…とクスッと笑った。

病院は完全看護で、スタッフのみなさんもお医者さんがとても親切で頼りになるからと、弱っている自分を見られることを極端に嫌う母は、これ幸いにと誰の見舞いも断っている。
義父でさえ、今度行くのは退院の時ぐらいなどと、冗談か本気かわからないことを言っている。
わたしも絶対に来るなと言われたけど、ちょうど4日ほど京都に滞在するので、命令を無視して押しかけようと思っている。

などと考えていたら、今朝まだ窓の外が真っ暗な早い時間に、突然ネット電話の呼び出し音が鳴った。
慌てて取ると、向こうからテレビの音声が聞こえてきた。
何かいけないことが起こったのかと一瞬ドキンとしたけれど、その日常そのものののんびりしたテレビの声を聞いてひとまず安心した。
何度も「もしもし」と呼びかけたのだけど、母には聞こえなかったみたいで、「あー」という母らしき声が一度聞こえただけで終わってしまった。
いずれにせよ母は無事で、そのことをわたしに伝えたかったのだなと思い、胸が熱くなった。

起きてから、遠く離れていてもできることが無いかと思い巡らせているうちに、母が昔、目の見えないおじいさん(赤の他人さん)のために、本を朗読したカセットテープを送り続けていたことを思い出した。
母の部屋は個室でテレビもあるし、体に繋がれた何本もの管が外された後は本も読めるようになるだろう。
けれども目を閉じながら話が聞けるっていうのもいいんじゃないかな。
さっそく本箱の前に立ち、どの本にしようか散々迷い、本当なら外国のミステリーものが好きな母だけど、まだ痛み止めと睡眠薬が無いと眠れないようなので、うんと軽いものから始めることにした。
録音したものをLINEで母に送った。
まだ既読にはなっていない。
喜んでくれたらいいな。

追伸
音読っていうのは本当に久しぶりで、今はもうすっかりおっさんになった息子たちに絵本を読んでいた頃から数えると、実に30年ぶりのことだ。
実際にやってみるとなかなか難しいもので、感情を込めすぎたり読み間違えたり、読むときには全然気にせずスルリと読めてしまう四文字熟語につと引っ掛かったり…。
録音してから聞いてみると、なんかリズムが悪くて聞き辛かったり早すぎたり遅すぎたり…。
朗読って奥が深いなあ。
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氷花と夕焼けとクリスマスと元旦と

2020年01月04日 | 家族とわたし
2020年、新年早々、ここの大統領のスーパー愚挙のために、キナ臭い憶測が飛び交っている。
もしかしたらとんでもないことになるかもしれないしならないかもしれない。
でも、残念なことに、賢い国の長の数はあまりにも少なく、逆に愚かで利己的で戦闘好きな国の長の数は少なくない。
その中でも愚かさにおいては一二を争う人間が、アメリカの最高権力者の地位に居る。
その男がやらかしたことの愚かしさと、これからの展開を想像するだけで、背中がゾワゾワしてしまう。
そんな時でも、いや、そんな時だからこそ、日常生活のなんてこともない話と写真を載せておこうと思う。

年の瀬は、去年の夏から日本に一時帰国している長男くんのフィアンセがうちに来て、だから家の中がふんわりと華やかになって、バタバタしつつも楽しい毎日だった。
長男くんの33回目の誕生日があり、その翌日に夫の母の80回目の誕生日があり、クリスマスがあり、年越しがあり、そして今日は三が日の最後の日。
もう新年になって三日が過ぎた。

毎年性懲りもなく、年越し蕎麦とおせちとお雑煮を作りたくなるのだけれど、一昨年の年末に無理をして、去年の元旦の朝に大目眩に襲われてしまったので、今回は思い切っておせちを作らないことにした。
いまだに体力は落ちたままだし、何か小さなことをしただけで横になりたくなるような疲労感がへばりついているけれど、目眩に襲われることは無かった。
それだけでもありがたい。
例年通り、年越し蕎麦を年越しと共に食べようと思っていたのだけど、準備直前に日本の母と話していたら、「年越し蕎麦は年を跨ぐと縁起が悪いのに」と言われ、慌てて準備に取り掛かった。
今回は、元旦に新居に引っ越すことにした次男くんとガールフレンドは来られないので、夫と長男くん、そしてわたしの3人だけの年越し。
かき揚げや甘煮ニシンなども無く、トロロとおぼろ昆布に薬味のネギと柚子胡椒を加えたあっさり蕎麦。

明けた元旦の朝は、お雑煮と出来合いのおせち、そしてお屠蘇で新年のお祝い


そして、手伝いたくない夫と手伝いたいわたしは2人して、次男くんの引越し先であるブルックリンに向かった。
元旦早々の肉体労働(大げさ😀)でちょっと元気が出た。

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では、いろいろと溜まっていた写真をここに。

クリスマス前に急に気温が下がり雨が降った。
翌日枯れ木に氷の花が咲いた。
いつもは次の日にはすっかり溶けて、まるで夢を見ていたような気持ちになるのだけど、今回の樹氷はその後零下の気温が数日間続いたので、長い夢が見られた。
あまりの綺麗さに、車を運転しながらよそ見をしてしまい、一旦停止をうっかり見過ごしてしまったりした。









夫の母の80歳の誕生日祝いとクリスマスは、共にペンシルバニアで行われた。
どちらも夕方に、うちからいうと南西に向かったので、車の真正面はずっと夕焼けが続いた。

渡り鳥のグループもいくつも見た。






ペンシルバニアらしい風景



Christmas 2019



家族の写真なのでちっちゃめに
ジェンガが今年は大ウケ!


寝落ちするワンコのサニア

ターキーの切り分けを初担当

2人の可愛い女性が加わってくれて幸せいっぱい

ようやく落ち葉がすっかり落ちたので、重い腰を上げて前庭掃除


こんなでっかい木だもの、落ちる葉っぱの量は半端ではない


松ぼっくりから根が出てた?!

何度も零下になったのに踏ん張っている


どこまで走っても現れる元旦のじゅうたん雲





雲の端っこから、誰かがそっと覗いていたかも。
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X'mas Eve & X'mas in 2018

2018年12月27日 | 家族とわたし
今年のクリスマスには、西海岸に住む夫の弟家族もやって来る!
なかなかこちらには来ようとしない人たちなので、みんな喜んでいた。
彼らのお宿はここ。
クリスマス・イヴとクリスマスの両日だけじゃなくて、たくさんの時間を一緒に過ごすことができるから、
そして今、難しい病気と闘っているジムとその兄の夫にとっては、特にその時間が必要だったから、クリスマスがくれたチャンスを感謝した。

入学はもちろん、卒業するのがすごーく大変な大学なのに、学科を代表して答辞を述べた姪っ子リンデンと、彼女のボーイフレンドのクリスが、無事に学業を終えた自分たちにニューヨーク見物をご褒美にと、うちにやって来たのが今月の17日。
彼女の父親ジムとその息子アレックは、約1週間後の22日にうちに来て合流することになっていた。

はじめの1週間は2名のお客さま、その後2名追加で計4名のお客さま、ということで、まずはどこで誰が寝るかを決めなければならない。
うちはそもそも夫婦が別々の部屋で寝ているし、3階の一部屋は、来月まで居候予定の長男くんが独占している。
なのでとりあえず、夫の書斎と診察室、それから3階の別の一部屋を使うことにして、せっせとベッドメイクをした。

普段はジジババ二人だけの、目新しいこともない淡々とした毎日なので、お客さまが来ると一気に雰囲気が変わる。
お客さまといっても基本的に放ったらかしだから、別に気を遣ったりはしないのだけど、それでもやっばりリズムが狂う場面が出てきたりする。
うちには男女ともに、トイレは常に座って使うという決まりがあるし、流し台には食器用とそうでない用のスポンジが置かれてたりするから、戸惑う人も少なくない。
夫は「そんな細かいことをいちいち…」と言うが、一日二日ならともかく掃除や片付けをするのは常にわたしなのだから、ここは頑固になる必要がある。

でもやっぱり、若い子たちが家の中に居るっていうのはいい。
今月32歳になった長男くんも、わたしたちからすれば若い部類に入るのだけど、玄関から3階に行き来するだけでほとんど会話が無い状態だから、
ワイン好きの夫にとっては、一緒に飲みながら彼のうんちくに耳を傾けてくれるリンデンとクリスは、すごく嬉しい存在だったと思う。
その二人は、マンハッタンの美術館巡りをしていたのだけど、前々からの疲れが一気に出てきたのか、どちらもダウンした。
特にクリスは猫アレルギーがひどくて気の毒だった。

そんな二人を家に置いて、ジムとアレック、そして夫とわたしの4人で出かけたフォートリーの町。
ここは韓国人の町として知られていて、だから韓国の食べものの店がわんさかある。


ここ数年で新しい大きなビルがどんどん建てられている。



3時間の時差に慣れる間もなく、クリスマス・イヴを過ごしに、我々8名はペンシルバニアに向かう。




今回は、夫の両親の家でクリスマス・イヴを、そして翌日は、そこから1時間弱の所にある夫の姉の家でクリスマスを祝うという計画だった。

総勢15名の大所帯なので、夫とわたし、そして長男くんとガールフレンドの2組が両親の家に泊まり、他のメンバーは皆、アードリーの家に泊まった。
いくら広い家とはいえ、ベッドメイクのことを考えると、ほんとに大変だったろうなと思う。

クリスマスの朝、アードリーの家に向かう。


コーヒーの木がすごく大きくなって、豆がたくさん実っていた。


ご馳走が並べられるのを待つテーブル。


プレゼントタイムを待つ若者たち。


我が家はとうとう飾らなかったクリスマスツリー。


朝ご飯にお味噌汁!アードリーの夫、ベジタリアンのエリックが作ってくれた。めっちゃ美味しかった!


プレゼント渡し人に任命されたエメラ。だけどどれもこれも自分へのプレゼントだったから、


長男くんと次男くんにバトンタッチ。



プレゼントの後はクリスマスディナーの準備が始まる。
ここからが正念場。
はっきり言って本当に大変なことだと毎年思う。
アードリーのキッチンには、大型のオーブンが2台と電子レンジ兼用のオーブンが1台あって、だから数個の焼き物料理がいっぺんにできる。
ガスレンジも6口あるから、大きな鍋を並べても全然平気。
それでも、時間通りに全ての料理を揃えるのは難しい。
これがうちのキッチンだったら…と想像するだけでクラクラする。

実は今回、ほうれん草の練り胡麻和えをリクエストされていたわたしは、わざわざオーガニックのほうれん草を大量に買い、一役買うつもりだった。
なのに、移動のことばかりに気が入って、地下室に置いてあった2.5キロのほうれん草をすっかり忘れていたことに気づいたのは、もうペンシルバニア州に入る直前の所を走っている時だった。

そのお詫びに、人間みじん切り機になりきってコールスローを作り、準備中の食器洗いを一手に引き受けることにした。


15人のうちの4人がベジタリアン、そして豆アレルギーが2人、海老カニアレルギーが2人、グルテンフリーが3人というややこしい家族なので、ご馳走作りもなかなか難しい。
みんなに合わせることなんて無理だから、それぞれが食べられるもの、食べたいものを適当に選ぶようにする。










今回のハム切りさんは、


カメラを向けるとチョケるのは、次男くんのちっちゃい頃からの癖。






デザート♪♪






アードリーとエリックに感謝!!


ジム、アレック、リンデンのニュージャージーでの最後の夕食を、エチオピアレストランで食べる。
いつものことながらめちゃくちゃ美味しい!


みんなで「これって『千と千尋の神隠し』の両親みたいやな」、などと言いながらガツガツ食べた。

そして今日、再び静かになった部屋で、窓の外のかすかな雨の音と、夫がハムを焼く音を聞きながら、これを書いている。
全身がいつもより重い感じがして気だるい。
年越しとお正月、どうしようかなあ…。
まあでも、こだわってるのはわたしだけなんだけどな…。
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空の災難と感謝祭

2018年11月28日 | 家族とわたし
空(くう)の様子がおかしくなったのは、先々週の金曜日だった。
海(かい)にちょっかい出されても、フニャ〜とか言って逃げてばかりだった空。
さすがに深く噛まれて痛かったりした時は、フーッと威嚇することはあったけど、やんちゃな弟に手を焼く兄、という感じだった。 
その空が突如、海を追っかけ回し、それだけじゃなくて手(?)を出し始めた。
そんな空は初めてだったので、夫とわたしは唖然として見ていた。

空ちゃん、性格変わったんか?
それとも、もうこれからは我慢せえへん、ぼくのやりたいようにやらせてもらうってことか?

とにかく金曜日の朝から突然変異した空の態度に、海はかなりショックを受けたみたいだった。
それでなくても内弁慶で、ほんとは怖がりの海だから、これはこれで困ったなあと思っていた。

ところがその翌日の土曜日は、なぜか空の元気が失せて、外遊びもせずにずっと丸くなって寝ていた。
ただ寝ているだけではなくて、すごく落ち込んでいるような感じだったので、昨日の今日ということもあって、もしかしたら何かあったのかな?と心配になり始めた。

日曜日になると、今度は眠りはしないのだけど、少しびっこを引いて歩いていることがわかった。
調子が悪いのは左の後ろ足で、それが怪我なのか打撲なのか知りたかったけど、毛が邪魔をしてよく見えない。
とりあえず食欲はあるし、歩きづらいというほどではないので、様子を見ることにした。

翌月曜日、そして火曜日になると、びっこが目立つようになってきた。
さらに食欲も落ちてきた。
もうこれは放っておけない、獣医さんに診てもらわなければと思ったけど、新しく通うようになった動物病院はホリスティックなので、まだ一回も診てもらっていない空はまず、血液検査を受けなければならない。
以前、海が大怪我をした時に診てもらった時の支払いが、ものすごく大変だったのがまだ記憶に新しい夫は、なかなか連れて行こうと言わない。
もちろん少しでも早く連れて行くべきで、それは夫もそう思っているのだけど、先立つもののことを考えると踏み切れない。

そんなこんなでぐずぐずしている間に、悪化してしまったらどうしようと、考えるだけでゾッとすることを想像してしまったり、
そうかと思うと、普段からすごく健康なので、もしかしたら自己治癒が可能かもしれないと、勝手にいい方に考えてみたり。

でも、そうはならなかった。
水曜日の朝、空のびっこは相当酷くなり、傷んでいる部分がとても腫れてきていた。
急いで病院に電話をかけ、予約をした。
その時初めて、患部から血が流れ出してきて、どこに傷があるのかがわかった。

初治療にビビって、部屋の隅っこに隠れてる(つもりの)空。


この診療台に乗せることができるだろうか。


犬と猫と馬の鍼灸のツボの図。


漢方薬がずらりと並んでいる。


治療のために患部の毛を剃ると、傷の様子がはっきりと見えた。

「これは多分、野良猫かアライグマ、もしくはスカンクに噛まれた痕だと思う。猫だとまだいいんだけど、アライグマやスカンクだったら狂犬病にかかっている恐れがある」

体温がかなり高かったので、抗生物質の注射を打ってもらい、血液検査のための採血もしてもらった。
幹部の傷を徹底的に消毒してもらい、巻いただけで石膏みたいに固まる特殊な包帯を巻いてもらった。

「野生動物に噛まれている可能性もあるので、空は今日から7日間、誰とも接触しないよう隔離しなさい」
「野生動物管理局から連絡があると思うので、その際はきちんと答えるように」

えらいことになった。
でも、とにかく治療をしてもらえてよかった。
家に戻る道中、完全に隔離するなら二階の、普段は誰も使っていない治療室兼客部屋しかないな、と考えた。
怖がりの空が、二人の看護師に押さえつけられて治療を受け、採血され、気がつくと後ろ足に変なものが巻かれてしまっているのだから、パニックにならないはずがない。
ひとまずケージから出して、部屋の中に入れたのに、あっという間にわたしの足元をくぐり抜け、外に出てしまった。
そしてそのまま地下室に真っしぐら。

最悪だ…。

地下室は雑菌だらけだ。
そして暗くて寒い。
一人で家に居る時には、怖くて降りていけないようなところで、110年前から全く何も改装されないままの石壁と、積もり積もった砂ぼこりが、傷を負って熱がある空に良いわけがない。
しかも天気予報では、水曜日の夜からガタンと気温が下がり、零下10℃になると言っていた。
空は完全にわたしに怒っていて、わたしの声を聞いただけでサッと隠れるか、とんでもない所に移動する。
熱がまだあるだろうに、傷の包帯が外れてしまったらえらいことになるだろうに、ああどうしよう…。

実はわたしもフラフラだった。
空の様子がおかしくなり始めた先々週から、夜中に様子を見に行ったりして、まともに眠れない夜が続いていた。
今年のThanksgivingは、当初はマンハッタンにある夫の両親のアパートで、親族揃ってお祝いするはずだったのが、急きょ各自の家ですることになったのだけど、空の怪我騒動があったのでとても助かった。

長男くんに感謝祭ディナーの買い物と料理を、次男くんに餅つき器で餅作りをお願いして、わたしはただ粒あん作りをすればよいだけにしてもらった。
感謝祭ディナーというと七面鳥の丸焼きにクランベリーソース、マッシュポテトにグリーンサラダ、みたいなのが定番だけど、
今回はもう外れついでに好きなものを食べようということにして、しゃぶしゃぶ鍋をみんなでつつき、夫が作った芽キャベツ炒めをおかずにして、デザートはあんこ餅と夫が焼いてくれたパンプキンパイ(グルテン&乳製品フリーと普通のやつ)で〆る。
直前までフラフラだったのに、やっぱり家族揃っての食事パワーってすごい、食欲まで戻ってきた。

夫が作ってくれたパンプキンパイと芽キャベツ炒め。




次男くんがついてきてくれたできたてほやほやのお餅。


乾燥ナツメヤシを甘みに使って炊いた粒あん。



地下室で二日間過ごした空を、夫と二人でなんとか誤魔化しながら二階に誘導して、やっと隔離部屋に入らせることができた。
地下室ではとうとう一度も近づかせてくれなかった空だったけど、日頃からお気に入りだった椅子の上で、暖かな日差しを身体中に受けて気持ちがほぐれたのか、背中を撫でさせてくれた。
ありがたいことに、足の包帯も外れていなかった。
熱も下がっていた。
一緒に部屋の中で過ごしながら、空にいろんな話をした。
丸三日間、空はまるでこれまでずっとそうしてたかのように、不満を言うでもなく、脱出を試みるでもなく、運ばれてくる食事を食べ、ウンチをし、あとはひたすら眠るか、わたしや夫と遊んだ。

そして週明けの月曜日に、空はもう一度獣医の検診を受けに行った。
大雨が降り、なぜかどこの道もすごく混んでいて、しかも変な運転をする車が多い日だった。
待合室で45分も待たされて、さらに診察室に入ってさらに20分待った。

やっぱりここに隠れる空。


ありがたいことに熱は下がり、傷の治りがとても早かったので、もう元の生活に戻してもいいと言ってもらえた。
狂犬病予防の注射を打ってもらい、あとは4週間後に送られてくる血液検査の結果を待つばかり。
「確かに怪我をしたり命を落としたりするリスクは高くなるけど、猫生の質を考えると、外遊びができる猫は幸せだと思う」と、
これからはどうするの?と聞かれて、「危険を承知で、そして失うことの悲しみを覚悟して、やっぱり外にも出します」と答えたわたしに、獣医はそう言ってくれた。

このことについては一生かけても答えが出ない、本当に悩ましい問いかけだと思う。

さて、やっと自由の身になって戻ってきた空に、なんと海が威嚇した。


声を紹介できないのが残念だけど、これまでに聞いたことがないような音で威嚇しながら、空から離れた場所から睨んでいる。


一難去ってまた一難…。
どうした海?
空を忘れたか?
それともまさか…動物にしかわからない異変を感じてるのか?

いや、それはないと思う。
威嚇されてもなお、ただただ平常心を保ち、仲良くしようとじっと待っている空はいつもの空だ。


そして三日経った木曜日の今日、疲労と寝不足から始まった膀胱炎も、やっと今日あたりからかなり治ってきた感じがする。
海もやっと、変な音を出さなくなった。


野生動物管理局から電話がかかってきた。
「アライグマに噛まれた」ということですがと、当時の状況を詳しく聞かれた。
何に噛まれたかは、実際に見ていないのでわからないし、何日の何時頃というのもはっきりしない。
けれども、今日までの経過を見る限り、とりあえず狂犬病に罹患した可能性はかなり低いと思うし、獣医の所見も同様だと伝えた。
もしかしたらもう二度と外に出してはいけないと言われる可能性もあったので、すごくドキドキした。
とりあえずあと3週間様子を見て、また連絡して欲しいと言われた。

こんなふうな結末を迎えられたことが本当にありがたい。
今夜のお祈りには、特大の感謝の気持ちを込めようと思う。


ーおまけ写真ー

愛車のこととなるとなんでもやっちゃう長男くんは、今やそんじゃそこらの修理工さんより丁寧な仕事ができるのだそうだ。


修理はもちろんのこと、屋根を交換したり、幌を外したり、パーツや道具を注文してはコツコツやっている。




歩美さんが持ってきてくれた椎茸の木。今はカエデの爺さんにもたれて日向ぼっこ。
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夏休み日記その2

2018年07月12日 | 家族とわたし
いろいろ試して、そのたびに海の突撃で壊された、寝室侵入止めの柵。
これでダメだったら滝汗かいて眠ろうと覚悟を決めて買った竹フェンス。


幅が8フィートもある竹フェンス。
だけど必要なのはドア一枚分なので、わずか1フット。
なのでその分の長さだけ切って、あれこれ工夫して取り付けた。
ぶっといワイヤーは長男くんが切ってくれた。
あとは工具入れの中の『あるもんで』ねじ釘やフックを使い、なんとか入り口に取り付けた。
開け閉めしていると、寝室に入る直前の床の、すごく短い距離なんだけど下りになってる問題を、竹のフレキシブルさが解決してくれたことに気がついた。
ラッキーだった。
高さは4フィート。
さすがの猫ジャンプもこの高さは超せまい。
いや、お願いだから超さないで欲しい。


ちっちゃなてんとう虫。



一昨日の10日は、夫の53歳の誕生日だった。
あの若造だった彼が今やこんな年に。
いやはや、わたしが還暦を超えるのも無理はない。

次男くんとエレンちゃんがお祝いをしに、クィーンズからワイン持参で来てくれた。
ちょっと前に見つけた超ウマのタコスレストランに行って、みんなでお祝いした。
でっかい扇風機だけで空調をしているお店の中は熱気でムンムン。
汗をかきながら食べるのもいいではないか。

長く待たせたからと、いつもは4つなのに5つずつ置いてくれた。




ここ、ほんとに美味しいので、近所のみなさんオススメです!


歩美ちゃんが玄関ポーチに置いてくれてあった収穫野菜。


やっと黒くなってきたブラックベリー。



今日はせっせとお味噌汁用の冷凍ネギを刻み、サワークラウトのキャベツを刻み、オーガニック西瓜を一口大に切った。
こういう単純作業は、やる前は面倒で仕方がないんだけど、やり始めると楽しくなって、やり終えた時は食べる時の気分を想像して幸せになる。
小さいけれど確実にそこにある幸せ…『小確幸』…村上春樹さんが作った言葉。
小さな幸せに出会うたび、この言葉を思い出す。
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