ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

伊藤詩織さん「人生をかけて情報提供してくれた勇敢な方々に感謝しています」

2019年12月21日 | 日本とわたし
伊藤詩織さんが勝訴しました。

そもそもどういう事件だったのか。

判決文の中に、
「酩酊状態にあって意識のない原告に対し、合意のないまま本件行為に及んだ事実、意識を回復して性行為を拒絶したあとも体を押さえつけて性行為を継続しようとした事実を認めることができる」
とありますが、これは強姦の他の何ものでもありません。

さて、以下は、山口元TBS記者が、意識が混濁している詩織さんを連れて、自分が宿泊しているホテルに向かった際に乗ったタクシー運転手の証言です。

証言の要約書き起こし
・2人が車に乗り込んできたのは恵比寿南の交差点。
・乗り込んできた時は、2人とも会話をしていた。
・女性の方が「近くの駅まで行ってください」と言った際、進行方向で最寄りの駅は目黒駅だったのでそう言うと、女性は「それでは目黒駅に行ってください」と言った。
・その時、男性は何も言わなかった。
・その後も2人は会話をしていた。
・女性の収入について男性が尋ね、「もっともらっていい」などと言っていたので、仕事上の付き合いなのだと思った。
・目黒駅が近づいた時、「そろそろ着きますけど」と聞いたら、男性が「都ホテルに行ってくれ」と言った。
・女性は「その前に駅で降ろしてください」と言ったが、男性がさらに「まだ仕事の話があるから、何もしないから」などと女性に言っていた。
・そのあたりで女性が静かになった。
・5分ほど経ってホテルに到着し、ホテルの車寄せにつけた。
・男性が料金を支払って女性に降りるように促していたが、女性は一向に動かなかった。
・男性は女性の体をドア側に引き寄せようとしたがうまくいかず、女性の脇に自分の肩を入れ、引きずり出すような形で女性を車から引き降ろした。
・女性は自ら歩いて行くというよりは、男性に抱きかかえられるような感じでホテルに入っていった。
・その時は、ホテルのボーイさんもいて、心配そうにしていた。
・女性が座っていた後部座席の奥側の下に、液状ではなく、消化されていない食べ物がそのまま吐かれているのに気がついた。
・5月13日に、高輪署から会社に連絡があり交番に出向いた。
・男性2人女性1人の警察官から1時間ほど、男女2人を乗せた日の話を聞かれたが、特に調書は作成されなかった。
・その後高輪署に出向の要請があり、2時間ほどかけて同じ話をした。
・私が話した内容については、逮捕状を請求するために必要ということで、今回はパソコンからプリントアウトしたものを確認し、署名捺印をした。
・警察で話を聞かれたのはこの2回だけである。

そしてそのタクシーに乗車中、朦朧とした意識の中で嘔吐し、それを気にする詩織さんを無理やり下車させ、宿泊しているホテルの部屋に連れ込もうとする山口氏の姿を目撃したドアマンの証言です。
・その時に手前に座っていた男性と目が合い、怖い印象を受けました。
・そして、奥に座った女性に腕を引っ張るようにして降りるように促していた。
・女性は左側のドアから降ろされる時、降りるのを拒むような素振りをしました。
・「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」とまだ言っていたので、座席にとどまって車内を掃除しようとしていたのか、あるいはそれを口実に逃げようとしているのか、と思いました。
・それを、男性が腕をつかんで「いいから」と言いました。
・足元がフラフラで、自分では歩けず、しっかりした意識の無い、へべれけの、完全に酩酊されている状態でした。
・「綺麗にしなきゃ、綺麗にしなきゃ」という様な言葉を言っていましたが、そのままホテル入口へ引っ張られ、「うわーん」と泣き声のような声を上げたのを覚えています。
・客観的に見て、これは女性が不本意に連れ込まれていると確信しました。


このクズ発言の元になったのは、「日本平和学研究所」の「タイラ」氏の証言です。
*「日本平和学研究所」
これまでにも山口元TBS記者を擁護し続けてきた小川榮太郎氏が主催する組織
小田嶋隆氏のコラムの中で、この女性の正体と証言の内容が詳しく書かれていました。
その証言部分を小田嶋氏が文字起こししてくださいました。
ここに引用させていただきます。
  1. みなさん最初は、同じ性被害に遭った女性として、伊藤さんに深く同情し、応援していた。
  2. ところが、性被害にあった女性たちは、記者会見や海外メディアからのインタビューに応じて、実際に動いてしゃべる伊藤さんの姿を見て、強い違和感を覚えるようになった。
  3. 私も伊藤さんの映像を見たが、被害者たちからすると、人前であんなに堂々と時に笑顔もまじえながら自分の被害を語る姿はとても信じられない、ということだった。
  4. 話をうかがった性被害者の中には、(被害から)10年以上たっているにもかかわらず、いまだにPTSDに悩まされていて社会生活が困難な方ですとか、(性被害を)連想させるような固有名詞を見たり聴いたりするだけで、強いめまいを覚えたり嘔吐してしまうとか、ご自身の体験を人に話している間に気を失ってしまった体験を持つ方などがいらっしゃいました。
  5. そういった彼女たちの立場から見て、伊藤さんの言動というのは、とても自分と同じような痛みや恐怖をかかえているとは見受けられない。
  6. しかもそれ(←人前で話すこと?)が、一度や二度ではなくて、世界中のメディアや様々な企画で活躍されているのを見て、唖然として、そして確信したといいます。伊藤さんはうそをついていると。みなさんそうおっしゃいました。
  7. 私(←タイラ氏)に性被害を語ってくださった人たちをなんとか支えたいと思って、力になる旨を伝えた。ところが、みなさん、伊藤さんが名乗り出てしまったことで、自分たちはもう名乗り出ることができなくなってしまったと言いました。
  8. また、この判決でなおさらそうなるのかなと思うんですが、今から名乗り出ても、どうせ自分が伊藤さんと同じうそつきと思われて、誹謗中傷の的にされるに違いない、と、第2第3の伊藤詩織だと思われたら困ると、だからもう名乗り出るのはこわくなってしまったと、言ってました。
  9. 伊藤さんは、被害者Aでなく、私だといって顔と名前を出すことが重要だと言った。私もその考えはすばらしいと思う。ですが、私がお会いした性被害者の方々は、伊藤さんが名乗り出たことで名乗り出られなくなったと言った。これはつまり、性被害者という立ち位置を、伊藤さんに独占されてしまって、そこに自分たちが近づくことができなくなってしまった。あるいはそこで自分が手を挙げたら、自分に危険が及ぶかもしれない、誹謗中傷されるかもしれない、と、そういうふうになってしまったということです。
  10. それが伊藤さんの本意でなかったとしても、この一連の出来事というのは、多くの性被害者の、多くの傷ついた女性たちの、本物の過去や(涙ぐんで3秒ほど絶句)本物の人生を……奪い去ってしまった……そういう結果になってしまったのではないでしょうか。
  11. 私は彼女たちの話を聴いて、はやく彼女たち自身の手に彼女たちの人生を返してあげたいと思うようになりました。これまでどんなにつらい思いをして、いまそれを乗り越えようと……して、努力をして、もう、もう一歩踏み出そうとしている時に、こんなふうに、その気持ちを踏みにじられてしまって、こんなことがあっていいのだろうかと、同じ女性として、こんなに不憫なことはないと思います。私のような非力な存在では、なにもできないかもしれませんが、どうか彼女たちの希望をかなえてあげられる日が来るように、一人でも多くの方に力を貸していただきたいと願っています。

性暴力を受けたと自ら名乗り出た詩織さんは、このタイラ氏のような歪曲的な非難や、著名人たちによるとても酷い中傷やセカンドレイプを受けてきました。
「ハニートラップ」「枕営業大失敗」など、聞くに耐えない言葉が投げかけられました。

この事件については、日本国内より海外の方がちゃんと報道してきました。
なので今回の勝訴判決が出た時には、たくさんの国の主要メディアが、ものすごい勢いで伝えています。
そのどれもが、伝記の執筆を担当したほどに安倍首相と強いつながりがある記者が、後輩の同業者を強姦し、逮捕が直前に中止され、その後罪に問われなかった謎のことが書かれています。
この山口元TBS記者は、安倍政権にベッタリの記者で、テレビなどでも安倍政権を擁護するコメントを言うことでも知られていました。

そしてこの件では、もうあと1人、逮捕状執行を逮捕直前に握り潰した人間がいることも忘れてはなりません。

その上にはこの人、北村内閣情報官が。


官邸からの働きかけがあり、その指示に従って逮捕を中止させた中村氏は、この事件の後、警察庁長官官房長に出世しています。

とにかく卑劣で姑息で醜悪なことをしたにもかかわらず、謝りもしないばかりか反訴を表明した山口氏。

山口氏は判決後の記者会見で、自分が「助けてメール」を送ったのはこの北村氏ではなく、父親の友人の北村さんだ、などというデタラメを披露していました。
往生際の悪さとウソつき癖が、親しいどこかの男とそっくりです。

この事件の異常性は、逮捕状を手に加害者の到着を空港で待っていた捜査員に、突如中止命令が下され、その後起訴も見送られたことにあります。
検察の、安倍首相側近記者に対する露骨な見逃しと、安倍首相の取り巻き著名人たちによる中傷言動。
これらのことは、この判決を機会に、どんどん追及されるべきことだと思います。

最後に、山口元TBS記者と安倍官邸の特別な関係についての新情報を紹介します。
高裁に持ち込めば、安倍官邸の息がかかった判事ばかり。
きっと逆転勝訴が得られるはず。
検察も動かないはず。
だからこその反訴宣言だと思います。
こんな人間をのさばらせておくのはもうまっぴらです。
これからも詩織さんを応援していこうと思います。

米国「ある男の子のイルミネーション作品」事情

2019年12月21日 | 米国○○事情
このイルミネーションは、まだ多分高校生の男の子が、全部一人で飾り付けたものです。
このお宅のちょうどお向かえの家に出張レッスンをしに来ていたことがあって、その頃はまだ小学生だった男の子が、年中行事がある毎に、せっせと飾り付けをしていたのを見て、そのすごさに当時から感心していたのですが…。

うわぁ〜と口を半開きにして感嘆しながら、「電気代どうなんやろ…」と呟く我々親子。
まあ期間限定ではあるんですけどもね。

クラクラ&くたくた&クルクルな年の暮れ

2019年12月21日 | 音楽とわたし
音楽三昧だった今年最後の重大行事、生徒の発表会を無事終えることができました。
今回初めて利用させてもらったのはこのお屋敷のリビングルーム。

かつては個人のお屋敷でしたが、今は演奏会やパーティなどの会場として貸し出される町のカルチャーセンターとして大活躍。
今のように生徒の数が増えるのを予想していなかった夏前に予約を入れたので、部屋の許容席数50席はあっという間に埋まってしまい、玄関ホールや隣の部屋にまで椅子を置いて発表会は行われました。

毎年発表会があるごとに気づくのは、生徒たちの上達の凄さです。
毎週超多忙なスケジュールの中、うちまでの送り迎えと家での練習をサポートしてくださる親御さんへの感謝と共に、生徒たち本人の頑張りにも心を打たれます。
こんな口うるさい教師についてきてくれることにも感謝したいと思います。
そしてもちろん、毎回荷物の運搬や会場の整備、それから司会を一手に引き受けてくれる夫にも感謝!


というわけで、今年の元旦に目眩で倒れ、それから以降なんとなくすっきりしないまま、作曲を仕上げ、清書し、パートナーのサラと練習に励み、レッスンを受け、それを演奏会で披露し、それと同時に指揮法のレッスンを受け、オーケストラとの政治的な小問題に翻弄されつつ共演する歌手たちとの練習をし、オーケストラを指揮するという夢の中の夢を叶え、それを舞台で披露し、そして最後に生徒たちの発表会を終えた今、どうしたら良いのかわからないほどに疲れてしまいました。
笑うしかないっていう感じです。

朝起きても体はどんよりと重く、目がちゃんと開いていない感じがして、軽い頭痛と吐き気がずっと続いています。
どうにかこうにか1日を終え、夕飯を食べて食器を洗うと、もうボロ雑巾よりクタクタで、何もできない、したくない状態になってしまいます。
けれどもツイッターだけは読んでしまうので、気になることだらけのまま、パソコンの前に座って記事を書けない自分にイライラする、この繰り返しです。
今日はとにかく、頭はほぼ回っていませんが、とりあえず日記だけでもと思って座っているところです。


先日の水曜日は、長男くんの33回目の、そして独身最後の誕生日でした。

結婚式費用、そして結婚を機に新居に引っ越すための貯金活動に励む彼の一時的住居は、実家である我が家です。
ビザの関係で夏から日本に戻っている婚約者のTちゃんが、今月だけうちに来ているので、今回は彼女の手作りのご馳走とデザートでのお祝いとなりました。
人生で一番嬉しい誕生日になったよね、長男くん。

そしてこの日、トランプ大統領の弾劾投票が下院で行われました。



どちらの議案も賛成多数で弾劾が議決されました。

それを見守る若者たち。

守田敏夫さん「中村哲さん、そして同行していたみなさんの死を悼み、ビジルを行います!12月7日午後5時半三条大橋にて」

2019年12月07日 | 世界とわたし
今日のニューヨークタイムズに、中村哲さんの死を悼む記事が載っていました。

守田敏夫さんから、中村哲さんと同行しておられた方々の死を悼むキャンドル追悼集会のお知らせです。

守田さんのブログ『明日に向けて』https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011より
一部引用させていただきます。

● 中村哲さんとみなさんの死を悼んで
みなさま。4日のアフガン時間の午前中にペシャワール会の中村哲医師が何者かによって銃撃され、その後にお亡くなりになられました。
同行していた運転手、護衛の方々5名も同時に命を奪われました。
中村医師とお仲間のみなさんの死を悼み、京都市三条大橋にてビジルを行いたいと思います。

● 平和の心を繰り返し教えてくれた中村哲さん
中村さんとの思い出はたくさんあります。
僕が参加しているピースウォーク京都との出会いは、2001年の「911事件」のあと。
アメリカが、証拠も何もなしにアフガニスタンへの「報復」戦争を始めたことに対し、ペシャワール会と中村哲医師は、緊急援助を呼びかけました。
「2000円あれば一家10人が冬を越せる!」
それで、油と小麦を買って手渡せる、と言うのです。
このため中村さんはチャリティを呼びかけて全国を飛び歩かれました

● 平和を築くために最も困難な水の事業に携われた中村さん
たくさんのエピソードがあるのですが、みなさんにご紹介したいのは、講演会の際に京都の蓮華寺にお連れした時のこと。
ほっこりしていただきたくて、庭に清流の流れる場を選んだのでした。
ところが中村さんは、水の流れをじっと眺めた末に、対応してくださった住職のお連れ合いに、
「これは手掘りですな」と問われました。
「あら、良くお分かりですね。この付近に水を通した後ですの」。
それを聞いて、中村さんはさらに、
「ということは、この辺りには水争いがありましたな」と問われました。
住職のお連れ合いは、この問いに驚きながらも、この付近にあった深刻な水争いのこと、それを治めるために手掘りの水路が作られ、水が流されたことを語って下さいました。
哲さんは、腕組みしながらうんうんとうなずかれ、その後に、
アフガンのクナール川に用水路を作るために、九州の多くの川を歩かれ、古文書も調べたことを教えてくださいました。

「古の川の歴史を紐解くと悲しい話がたくさん出てきます。
例えば、ある堰を開発した人々は、その後に、藩に暗殺されておる。
石高が上がることを、藩が幕府に知られたくなかったからです」

中村さんは、古の川の改修を行った方たちの多くが、実は非業の死を遂げていることに、深く心を寄せられました。
水は命の源です。
だから、人類にとって、最も古くから繰り返されてきたのが、水争いでもあるのです。
どこかが潤うと、どこかの水が減ることになる。
あるいは、どこかが洪水対策を進めると、他のところが洪水にあいやすくなる
上流と下流、右岸と左岸の対立が絶えないのが、川と人々の歴史でもあるのです。
そのために、
中村さんは古文書をくまなく読まれ、どうすれば人々が争わずにすむのか、いやどうすれば争いの目を摘めるのか。
そこまで研究を重ねて、用水路へのチャレンジを続けられたのでした。
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12月7日午後5時半。
京都市三条大橋にぜひ!

音楽にどっぷり関わりながら、秋と中村哲さんにさようならを言った日

2019年12月06日 | ひとりごと
今週のはじめに雪が降った。
発表会の2週間前の、いわゆる追い込みの時期の雪はとても困る。
雪のために来られなかった生徒たちのレッスンを、他の曜日に振り替えなければならないからだ。
子どもたち自身が毎日何かしらのお稽古事やスポーツチームの練習を抱えていて、そもそもぎゅうぎゅう詰めのスケジュールだから、互いの都合が合う時間を見つけるのはすごく難しい。
普段ならまあ今週は仕方がないね、また来週レッスンしましょうということになって、わたし自身も突然いただいたお休みをのんびりと楽しませてもらうのだけど、
如何せん、今は発表会間近の、まだ仕上がっていない生徒が少なくない(胃がキリキリする)非常事態なので、そんな呑気なことはしていられない。
(なんか毎年同じことを言っているような気がする…気のせいかな?)

一時期、どうしてもパソコンの前に座ることができなくなって、だから夏の帰省の写真や思い出も、いまだにここに残すことができないでいる。
あれよあれよという間に秋が深まり、自作曲の演奏やオーケストラの指揮を無事終えて、気がついたらもう師走?!
マジですか?!と、かなり本気で焦っている。

ということで、別にやけくそっていうわけでもないのだけれど、撮ってあった秋の紅葉やハロウィーンの、かなり季節外れな様子をちょこっと載せておこうと思う。

日本より多分20日分くらい早く始まる紅葉と、近所のハロウィーンの景色です。


わたし的にはこの3人の魔女が1番のお気に入り。

自分ちの庭だったら毎晩怖がるかも…。



前庭を墓場にする勇気もわたしには無く…。




そして紅葉。





これは指揮者デビューの日の朝の景色。


うちから徒歩5分のところにある電車の駅からマンハッタンのど真ん中まで約30分。
すごーく便利なのだけど、週末は2時間に1本しか走っていない。
だから電車は巨大で二階建。なのに満員になる。

寒くなったのでわたしの寝室に避難してきた金柑と石榴の木。
本当はもっと暖かで日当たりのいい階段の踊り場の出窓に置いてあげたいのだけど、うち猫の空と海がトイレにしちゃうのでできない。
金柑の花はとてもちっちゃいけど、花が開くとびっくりするくらい強く香る。


石榴は一度、葉っぱが全部落ちてしまって、死んでしまったのかと悲しくなったけど、少しずつ復活してきた。


明日はプログラム書きと、生徒たちに渡すトロフィーの整理、それから自分の演奏の練習などなどをレッスンまでに済ませないといけない。
毎日こんな調子でバタバタしている合間に、ツイッターを流し読みしていたら、
中村哲さんが銃撃に遭い亡くなられたことを知った。
中村さんのことはこれまでにも何度も記事で読んで、その度になんてすごい、なんて素晴らしい人なんだと、いつも胸が熱くなった。
そして、何回も心が折れそうになった時、必ず中村さんのことを思い出した。
そうするといつも、なんのこれしき!と思えた。
だって本当に、彼が抱えている困難に比べたら、思いっきりコレしきだったから。
心の底から尊敬していた。
ブログにも記事を書いた。
今は時間が足りなくて書けないけれど、必ずいつか、中村さんを偲びながら、わたしの中でしっかりとお別れをしたいと思う。