19日の明け方に飛行機は羽田に着きました。


さすがにその時間帯は到着客が少なくて、あれよあれよという間に空港ロビーに出られたのに、あらかじめ購入しておいたeSIMを使えるようにするのがどうしてもできなくて、出口付近の椅子で、なんと2時間以上も座り続けるという羽目に…😭。
その間、どこかの学校の団体旅行の生徒たちが解散したり、他の飛行機の到着客が次から次へと出てきたり、おかげで始発の電車はいつなのかなどと心配する必要は無くなったのですが😅。
出発の前日はなぜか3時間弱しか眠られず、深夜に発った飛行機の中でもやはり2時間ぐらいしか眠られず、日本に到着した時にはほぼフラフラに。
けれども長い電車移動の前に力をつけておかないとと思い、朝食を空港の中のカフェで食べ、いざ品川へ。
そこから富士山側の窓際で、しかも大型の旅行カバンを置ける席の切符を買い(なのに残念ながら富士山はすっぽりと雲の中に隠れていました)、母が暮らす町に向かいました。
みんなから散々暑さが半端ではないと言われて、それなりに覚悟をしていたのですが、いやもう、48時間中、合計5時間しか眠れなかった体には、その暑さが一層キツく感じられました。
東南アジアと化した日本の夏のキツさ、これはしんどい。
母はとても痩せて弱っていました。
毎日のようにLINE電話で顔を見ながら話していたのに、気づくことができませんでした。
入院する前の、あれやこれやと不具合があり、できなくなったことが色々と出てきていた頃の母を思い出すと、それでも今の状況と比べるとどれだけマシだったか。
高齢者の入院がこれほどの身体機能の劣化につながるのだと思い知らされました。
口の中が異常に乾き、そのために味覚がほとんど無くなり、食欲が失せてしまいました。
言葉をはっきりと発音することもできなくなりました。
家の中の移動を車椅子でやるようになったので、母が自分の足で立ったり歩いたりということはほぼ無くなってしまいました。
デイサービスの1日体験をしたのですが、案の定、もう二度とあんなところには行かないと一発拒否。
なので、今年2月の緊急入院までに受けていた訪問サービスを続けることになりました。
週3回の入浴と週2回のリハビリです。
新しく担当になってくださったケアマネさんにお会いして、彼がわたしに直接会って確認したかったことのお話を聞かせてもらうこともできました。
彼はざっくばらんな、3人の息子さんたちのお父さんで、担当する家族をよく観察し、何が必要なのかを把握した上でテキパキと手続きを取ってくれます。
母や義父の心の支えになってくれているのがよくわかります。
母は気難しくて好き嫌いが激しい人ですが、彼のことをとても気に入っていて、そんな奇跡のような出会いにどんなに感謝しても足らないぐらいです。
彼の頭の中で描いた設計図は、母によってことごとく潰されてしまうのですが、それにもめげずに代案を用意して、それが母に受け入れられるかどうかを試してくれるケアマネさん。
今回はこれがそうでした。

玄関から道路までの階段の上り下りに、いざ必要になった時のために、事前に階段昇降機を取り付けておいてはどうかと考えるケアマネさん。
自分の足でやれると考えている母は、今はまだ必要がないと言って断ります。
けれども設置には数ヶ月かかるので、その継ぎ目の時間稼ぎの手段として、人的労力によるカゴのようなものを見せに持ってきてくれました。
担ぎ手は2名必要で、担ぐというより手で引っ張り上げなければならないことから、高齢者には不向きであると、介護用品のプロやケアマネさんがいくら説明しても、義父は自分もやりたい、できると言って聞きません。
それで、実際に、母に乗ってもらうことになりました。

実験した結果…こりゃ無理だと観念した義父。みんなほっと胸を撫で下ろしたところです。
母は口の乾きと歯の痛みに悩まされていて、だから余計に食が細くなってしまいました。
その話をすると、訪問歯科医の紹介をしてくださいました。
少し遠いのですが、ケアマネさんのご尽力で、家まで来ていただけることになりました。
こうやって間近に介護システムの実態を見させてもらい、もちろん幸運に恵まれているということもあると思いますが、本当にありがたく感心するばかり。
ケアマネさんは何度も、直近の入院(尿路感染症と肺炎)での母の様子と年齢から考えて、寝たきりになるに違いないと、医療関係者ともども断言していたと言います。
けれども義父が、妻は家に戻ったら蘇ると言い切っていて、実に時間がかかるものの、自分で顔を洗ったり、箸やスプーンを使って食事をしたりできるようになった母を見て、感無量であるとともに、ここまできたらもう、また歩行器を使って自分で歩けるようになろうな、そしてお母さんの大好きなあの温泉にまた行けるようになろうなと、母を励ましてくれるケアマネさんを見て、本当にありがたく胸が熱くなりました。
同じ日に、大阪の弟が、休みが取れたからと来てくれました。
昨晩に自分で作った茄子の煮浸しや美味しい夏のお菓子など、母が食べやすい美味いもんをたくさん持ってきてくれました。
母はこのような人たちに支えてもらいながら、今の自分が在るのだと、感謝していると言います。
義父が事細かに助けてくれて、難聴がゆえにイライラさせられることも少なくはないけれど、本当にありがたいと言います。
これからも多分、できなくなることが少しずつ増えてくるでしょう。
昨夜もふと、入院前の母のことを考えました。
母と毎日LINE電話で〇〇したなあ、母は〇〇が好きだったなあ、などとあれこれ思い出すと、なんとも言えない寂しさが押し寄せてきましたが、そういうことを受け止めていくしかありません。
5日目の朝、これまでは腫れに腫れてしまった母の足のマッサージを毎日やってきたのですが、肩から腕をほぐしてみました。
すると、体が軽くなったからと、昨日から始めた足踏み体操をした後に、いきなり歩行器で歩き出しました。
え?え?え?
義父とわたしとで前と後ろを固め、彼女が行きたいところに進んで行きます。
結局、玄関までの廊下を歩き、玄関の上り框に取り付けた2段の階段を2往復、退院後初めての大運動会となりました。
わたしはもう嬉しくて嬉しくて、けれどもだからといって調子に乗ってはいけないと思いつつ、また明日もできたらやってみようねと言うと、母も満更ではない様子。
今夜は親友のAちゃんから教えてもらった、食べようとしない母に食べてもらえるよう茶碗蒸しを作ろうと思います。
うまくいくこと、うまくいかないこと、喜んだりがっかりしたり、たった12日の間だけど、シャカリキにならないように適当に息抜きしながらやっていこうと思います。