ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

愛国ファンタジー小説『日本国紀』なんて読んでる場合か!矢部宏治著『知ってはいけない1・2』を読もう!

2018年11月15日 | 日本とわたし
今朝読んだ、矢部宏治さんのツイートを紹介します。












一年半近く前の記事ですが、上記のツイッターと関連しているので転載します。

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?
知ってはいけないウラの掟

内閣改造でも絶対に変わらないこと
【現代ISMEDIA】2017年8月5日
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっているという。

たとえば2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」が、大きな注目を集めたが、日本での首脳会談が近づくにつれて、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられなかった。
なぜ、いつまでたっても、北方領土問題は解決しないのか。
はたして、この国を動かしている「本当のルール」、私たちの未来を危うくする「9つの掟」とは?

知ってはいけない――隠された日本支配の構造』の著者・矢部宏治氏が、「戦後史の闇」を解き明かす。



◼️事実か、それとも『特大の妄想』か

それほどしょっちゅうではないのですが、私がテレビやラジオに出演して話をすると、すぐにネット上で、
「また陰謀論か」「妄想もいいかげんにしろ」「どうしてそんな偏った物の見方しかできないんだ」などと批判されることが、よくあります。

あまりいい気持ちはしませんが、だからといって腹は立ちません。
自分が調べて本に書いている内容について、いちばん「本当か?」と驚いているのは、じつは私自身だからです。
「これが自分の妄想なら、どんなに幸せだろう」
いつもそう思っているのです。


けれども、8月17日発売の新刊『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』をお読みになればわかるとおり、
残念ながらそれらはすべて、複数の公文書によって裏付けられた、疑いようのない事実ばかりなのです。

ひとつ、簡単な例をあげましょう。

以前、田原総一朗さんのラジオ番組(文化放送「田原総一朗 オフレコ!」)に出演し、米軍基地問題について話したとき、こんなことがありました。
ラジオを聞いていたリスナーのひとりから、放送終了後すぐ、大手ネット書店の「読者投稿欄」に、次のような書き込みがされたのです。


<★☆☆☆☆〔星1つ〕 UFO博士か?
なんだか、UFOを見たとか言って騒いでいる妄想ですね。
先ほど、ご本人が出演したラジオ番組を聞きましたが、(略)なぜ、米軍に〔日本から〕出て行って欲しいというのかも全く理解できないし、
〔米軍〕基地を勝手にどこでも作れるという特大の妄想が正しいのなら、(略)東京のど真ん中に米軍基地がないのが不思議〔なのでは〕?>



もし私の本を読まずに、ラジオだけを聞いていたら、こう思われるのは、まったく当然の話だと思います。
私自身、たった7年前には、このリスナーとほとんど同じようなことを考えていたので、こうして文句をいいたくなる人の気持ちは、とてもよくわかるのです。

けれども、私がこれまでに書いた本を、1冊でも読んだことのある人なら、
東京の、まさしく「ど真ん中」である六本木と南麻布に、それぞれ非常に重要な米軍基地(「六本木ヘリポート」と「ニューサンノー米軍センター」)があることを、みなさんよくご存じだと思います。

そして、このあと詳しく見ていくように、日本の首都・東京が、じつは沖縄と並ぶほど、米軍支配の激しい、世界でも例のない場所だということも。

さらにもうひとつ、アメリカが、米軍基地を日本じゅう「どこにでも作れる」というのも、残念ながら私の脳が生みだした「特大の妄想」などではありません。

なぜなら、外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、

○ アメリカは、日本国内のどんな場所でも、基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は、合理的な理由なしに、その要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。


という見解が、明確に書かれているからです。

つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない
そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。




◼️北方領土問題が解決できない理由

さらに、この話にはもっとひどい続きがあって、この極秘マニュアルによれば、
そうした法的権利をアメリカが持っている以上、たとえば、日本とロシア(当時ソ連)との外交交渉には、次のような大原則が存在するというのです。

○ だから北方領土の交渉をするときも、返還された島に米軍基地を置かないというような約束をしてはならない。*註1

*註1 原文は次の通り。
「このような考え方からすれば、例えば北方領土の返還の条件として、
「返還後の北方領土には、施設・区域〔=米軍基地〕を設けない」との法的義務を、あらかじめ一般的に日本側が負うようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる」

(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月/『日米地位協定の考え方・増補版──外務省機密文書』所収 2004年 高文研)

こんな条件をロシアが呑むはずないことは、小学生でもわかるでしょう。

そして、この極秘マニュアルに、こうした具体的な記述があるということは、
ほぼ間違いなく、日米のあいだに、この問題について、文書で合意した非公開議事録(事実上の密約)があることを意味しています

したがって、現在の日米間の軍事的関係が、根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ
ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロなのです。

たとえ、日本の首相が何か大きな決断をし、担当部局が頑張って素晴らしい条約案をつくったとしても、
最終的には、この日米合意を根拠として、その案が、外務省主流派の手で、握り潰されてしまうことは確実です。

2016年、安倍晋三首相による「北方領土返還交渉」は、大きな注目を集めました。
なにしろ、長年の懸案である北方領土問題が、ついに解決に向けて大きく動き出すのではないか、と報道されたのですから、人々が期待を抱いたのも当然でしょう。

ところが、日本での首脳会談(同年12月15日・16日)が近づくにつれ、事前交渉は停滞し、結局なんの成果もあげられませんでした。

その理由は、まさに先の大原則にあったのです。

官邸のなかには一時、この北方領土と米軍基地の問題について、アメリカ側と改めて交渉する道を検討した人たちもいたようですが、
やはり実現せず、結局11月上旬、モスクワを訪れた元外務次官の谷内正太郎国家安全保障局長から、
「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が、ロシア側に伝えられることになったのです。

その報告を聞いたプーチン大統領は、11月19日、ペルー・リマでの日ロ首脳会談の席上で、安倍首相に対し、
「君の側近が、『島に米軍基地が置かれる可能性はある』と言ったそうだが、それでは交渉は終わる」と述べたことがわかっています(「朝日新聞」2016年12月26日)。

ほとんどの日本人は知らなかったわけですが、この時点ですでに、1ヵ月後の日本での領土返還交渉が、ゼロ回答に終わることは、完全に確定していたのです。

もしもこのとき、安倍首相が、従来の日米合意に逆らって、
「いや、それは違う。私は、今回の日ロ首脳会談で、返還された島には米軍基地を置かない、と約束するつもりだ」などと返答していたら、
彼は、2010年に普天間基地の沖縄県外移設を唱えて失脚した、鳩山由紀夫首相(当時)と同じく、すぐに政権の座を追われることになったでしょう。



◼️「戦後日本」に存在する「ウラの掟」

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていない、そうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています

そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。



私が、『知ってはいけない―隠された日本支配の構造』を執筆したのは、そうした「ウラの掟」の全体像を、「高校生にもわかるように、また外国の人にもわかるように、短く簡単に書いてほしい」という依頼を、出版社から受けたからでした。

また、『知ってはいけない』というタイトルをつけたのは、おそらくほとんどの読者にとって、そうした事実を知らないほうが、あと10年ほどは心穏やかに暮らしていけるはずだ、と思ったからです。

なので大変失礼ですが、もうかなりご高齢で、しかもご自分の人生と日本の現状にほぼ満足しているという方は、この本を読まないほうがいいかもしれません。

けれども、若い学生のみなさんや、現役世代の社会人の方々は、そうはいきません。
みなさんが生きている間に、日本は、必ず大きな社会変動を経験することになるからです。

私がこの本で明らかにするような、9つのウラの掟(全9章)と、その歪みがもたらす日本の「法治国家崩壊状態」は、
いま沖縄から本土へ、そして行政の末端から政権の中枢へと、猛烈な勢いで広がり始めています


今後、その被害にあう人の数が次第に増え、国民の間に大きな不満が蓄積された結果、「戦後日本」というこれまで長くつづいた国のかたちを、否応なく変えざるをえない日が必ずやってきます。

そのとき、自分と家族を守るため、また混乱のなか、それでも価値ある人生を生きるため、
さらには無用な争いを避け、多くの人と協力して、新しくフェアな社会をいちからつくっていくために、ぜひこの本を読んでみてください。


そしてこれまで明らかにされてこなかった、「日米間の隠された法的関係」についての、全体像に触れていただければと思います。


本書の内容をひとりでも多くの方に知っていただくため、漫画家の、ぼうごなつこさんにお願いして、各章のまとめを扉ページのウラに四コマ・マンガとして描いてもらいました。全部読んでも3分しかかかりませんので、まずは下に掲げたマンガを読んでみてください。




















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というわけで、昨日報道されていた北方領土交渉の件も、安倍首相が従来の日米合意に逆らうはずは無いのでしょうから、
この交渉は決裂、返還などされるわけがない、ということになるのでしょう。
そしてプーチン大統領は、そのことを知っていて、わざと条件にし、今回はさらに踏み込んで、公式文書の合意と確約を求めたのでしょう。
どうして日本の報道は、その一番肝心な部分、

現在の日米間の軍事的関係が、根本的に変化しない限り、ロシアとの領土問題が解決する可能性は、じつはゼロ
ロシアとの平和条約が結ばれる可能性もまた、ゼロ

を伝えないのでしょう。
伝えなさいと、わたしたちの方から命じなければならないと思います。

北方領土 “米軍置かず” プーチン氏が日米合意要求
【ANN NEWS】2018年11月14日
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000140758.html

北方領土交渉を巡り、ロシア側が、北方領土を日本に引き渡した場合に、アメリカ軍の基地を置かないことを、日米の首脳の間で公式に合意するよう、プーチン大統領が求めていることが分かりました。

日ロ関係筋によりますと、プーチン大統領はこれまでの会談で、
北方領土を日本に引き渡した場合に、アメリカ軍の基地を置かないことを、安倍総理大臣とトランプ大統領の間で公式な文書で合意し、確約するよう求めている、ということです。

プーチン大統領はこれまで、北方領土にアメリカ軍が展開してくる可能性がある、との懸念を示したことはありましたが、
日米の首脳間の合意を求めていることが分かったのは初めてで、日本にとっては高いハードルといえます。
ロシア政府関係者によりますと、日米の間での非公式な合意では、将来ほごにされる可能性があるため、首脳間の公式な合意を求めている、ということです。


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安倍首相が従来の日米合意に逆らうはずは無い、と思っていたら、あらあら、こんなことを言ってしまっていたのですね。



「歯舞・色丹に米基地置かない」安倍首相、プーチン氏に
【朝日新聞】2018年11月16日
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00000004-asahi-pol
 
北方領土をめぐる日ロ交渉で、安倍晋三首相がプーチン大統領に対し、1956年の日ソ共同宣言に沿って、
歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島が日本に引き渡された後でも、日米安保条約に基づいて米軍基地を島に置くことはない、と伝えていたことが分かった。


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考えって言ってますけど…いつの間に、現在の日米間の軍事的関係が、根本的に変化してたんでしょうか?
もし、そんなことは全く起こっていないにも関わらず、場当たり的に、俺さまがやった感を出そうとして口にしたのなら、
鳩山由紀夫元首相と同じく、政権の座を追われることになる可能性だってあります。
もちろん、その可能性については、大大歓迎ですけれども…。
コメント

米国『早すぎる初大雪』事情

2018年11月15日 | 米国○○事情
「本日午後1時から雪が降りま〜す!」

天気予報がそんな予報を出していたのだけど、まだ11月の真ん中だからとなめていた。

だけど、1時半から降り始めた雪は、その粒をどんどん大きくしていって、あっという間にたくさん積もった。





ただいま気温は零下2℃。
失業中の長男くん、こんな中、面接テストを受けに行った。
ゴホゴホと咳き込んでいたので、夫が漢方を処方した。
とりあえず一社からの内定をもらっているので、それほどの悲壮感はもうない。
面接はもうとっくに終わっているけれど、雪がすごく積もって道路状況が悪い上に、彼の車はマツダのスポーツカーなので危ないったらない。
時間つぶしにクライミングジムに寄り、その後バーでゆっくりしているらしい。
また風邪がぶり返さないといいんだけど…。


外遊びが好きな猫たちもさすがに…と思って部屋の中を見渡すと、海はネコ窓のすぐ近くでグウグウ寝ているけれど、空の姿が見当たらなかった。
多分地下室で遊んでるかもと思っていたら、雪が何十センチも積もり、すっかり暗くなった5時前に、いきなりネコ窓から部屋の中に突入してきた。
おそるべし空ちゃん。
あんた、ほんまに猫?


こんな日は台所にこもって、ちっちゃいことだけど比較的面倒なことをちゃっちゃと片付けるに限る。

その1・ざくろの粒とり。


その2・
キャベツの千切り(ザワークラウトのため)。


それと朝晩のお味噌汁のためのネギ切り(冷凍しておく)。


やっと帰ってきた空と、ずっと寝ていた海。
かあちゃん、さっさと食べものちょーだい!ポーズ。




これはお腹いっぱいになった後の、うさぎ耳の海。



今の気温は零度。これから少しずつ気温が上がり、雪は雨に変わるらしい。
でも、週間予報を見てみると、来週明けの最低気温が軒並み零下?!
どないなってんの??

今夜のおかずは、のんちゃんがくれたでっかいスクワッシュ。



こんな天気になると、ホームレスの人たちのことが気にかかって仕方がない。
マンハッタンの街の通りを歩いていると、必ず見るあのホームレスの人たち(時々犬もいる)は、どうしているんだろう。

ニューヨーク市には、6万人以上ものホームレスの人たちがいるのだけれど、その人たちに提供されている支援はなかなか充実している。

まず、市役所に『ホームレスサービス部門』というのがある。
今日のような、気温が零度を下回るような日には、『コードブルー』と呼ばれる警告を発令し、支援を行う。

・全てのホームレスを収容できる、シェルター(一時的な宿泊施設・避難所)とベッドと食事を用意する
・夜8時から4時間毎(寒さが特に厳しい時は2時間毎)に見回りを行い、シェルターに避難するように声をかける
・24時間、いつでも暖を求めて避難できるよう、各地にドロップインセンターをオープンする


シェルターには、二段ベッドが所狭しと置かれている。
日本の災害発生時の避難所よりも、よほどマシに見える。

一つの街が6万人超えの避難民を収容できる…これってすごいと思う。
もちろん、それで心配が無くなるというような単純なものでもないのだけども。

野生の動物にとっても今日は大変な日だ。
どこか少しでも暖かな場所を見つけて避難してくれていることを祈りながら、そして自分たちが暖かな部屋と寝床で過ごせることに感謝しながら今夜は眠ろう。
コメント

沖縄には最盛期、1300発もの核兵器が配備されていたって、知ってましたか?

2018年11月14日 | 日本とわたし
先日、『安保改正で岸が犯した最大の罪』について記事を書きました。
https://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/e21c697e1782b39cbf2a8fe4f25a1699

その中の、1965年に交わされた密約について、もう少し詳しくお話しします。

核兵器の持ち込みを認めた岸の密約。
そして『非核三原則』をナンセンスだと言いながら、公の場ではそれを高くかかげ、ノーベル平和賞を受賞した佐藤。

1964年の東京オリンピックのさなかだった10月18日、中国が核実験に成功し、首相就任を翌月に控えていた佐藤は、
ますます、日本も核武装する必要がある、と強く確信する
ようになった。
そして、首相としての初訪米(1965年1月)の前に行った、ライシャワー駐日大使との下打ち合わせ(1964年12月29日)で、核武装論をまくし上げた

米政府は、佐藤の核武装論を好まなかった。
佐藤は、リンドン・ジョンソン大統領との首脳会談で、
<核武装論を取り下げる代わり、日本が、防衛のために米国の核抑止力を必要とする場合、米国はそれを提供する>という約束をとりつけた。

日米首脳会談後に発表された日米共同声明には、下記の文言がある。
<米国が、外部からのいかなる武力攻撃に対しても、日本を防衛するという安保条約に基づく誓約を、遵守する決意である>

1972年の沖縄返還は、「非核三原則」に基づいて、「核抜き本土並み」でなければならなくなったのだが、
佐藤は、沖縄への核兵器を持ち込みについて、米ニクソン大統領と密約を交わし、「核抜き本土並み」を名ばかりのものにした
密約によれば、
<嘉手納、那覇、辺野古などの「既存の核兵器貯蔵所」は、「緊急事態に活用できるよう」維持して待機している>とされていた。


岸信介は安倍晋三の祖父で、佐藤栄作は安倍晋三の大叔父です。

これを踏まえて、以下の記事を読んでください。
沖縄がいかに、日本の政治家たちによって踏みにじられ、裏切られ、利用され続けてきたかがよくわかります。

米公文書で判明
1965年当時、駐日米大使発言
“日本や沖縄への核兵器配備が認められれば、沖縄の施政権を返還しても構わない”

【しんぶん赤旗】2018年10月21日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-10-21/2018102102_02_1.html?fbclid=IwAR1j-eiwlfw7pFbZIcZAaZwzlxwoFBO7j6X6z_L3bWEu-sVSTidqKT2qcUs


公表された1965年7月16日付の米国務省会談記録

米軍の支配下にあった沖縄の地位をめぐる、米政府内の会合で、ライシャワー駐日米大使(当時)が、

日本や沖縄への核兵器配備が認められれば、沖縄の施政権を日本に返還しても構わない、との見解を示していたことがわかりました。

米研究機関「ナショナル・セキュリティー・アーカイブ」が、米情報自由法に基づいて入手し、公開した米公文書に明記されていました。

沖縄には、最盛期に1300発もの核兵器が配備されており、アジア太平洋地域で最大の核貯蔵庫になっていました。
これらは、朝鮮半島やベトナムなどでの使用が想定されており、米側が沖縄での核兵器維持に固執していたことがうかがえます。

1965年7月16日付の、「琉球諸島における米国の政策」と題した「秘密」指定の会議メモによれば、ライシャワー氏は、

日本が、
(1) 沖縄を含む日本の国土に、核兵器配備を容認する
(2) 有事の際に、米軍司令官が、琉球諸島全体を統制することを保証する―との条件が満たされた場合、

「施政権、または“全面的な主権”を、日本に返還しても、われわれの基地を島(沖縄)に保持できる」
と述べています。

さらに、リーザー陸軍長官(当時)が、
「沖縄を、日本国憲法の制約の外に置くような、新たな協定を想定しているのか」と聞いたのに対して、
ライシャワー氏は、
「核兵器は日本の憲法上、禁止されていない」とした上で、「そのようなものは必要だろう」との見解を示しました。

また、ライシャワー氏は、同年11月に予定されていた、沖縄の立法院議員選挙(現在の県議選に相当)に影響を与えるための資金工作を提起、自民党の政治家を介して、資金を投入することを提案していました。
同氏は、
「日本の保守政治家にとっても、選挙の勝利は死活的に重要」として、問題ないとの認識を表明。
沖縄に対し、日本の政治家も金をつぎ込むとの見方を示し、
「彼らの資金に上乗せしてもらうだけで、完全に秘匿できる」と主張しました。

ライシャワー氏が想定していた、「沖縄を憲法の制約の外に置く枠組み」は、69年11月に、佐藤栄作首相とニクソン米大統領(いずれも当時)が交わした沖縄核密約として結実しました。

この密約は今日も維持されており、沖縄が今も「憲法の外」に置かれ続けていることを示しています。


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玉城デニー沖縄県知事は、何度も何度も、『日米両政府』という言葉を言っていました。

その両政府から、第二次世界大戦中から今に至るまで、過大な矛盾を押し付けられている沖縄県。
そんな過酷で不条理な扱いを受けながら、苦しみや悲しみ、そして痛みの中から何度も立ち直ってきた沖縄県。

玉城知事のお話の一部をもう一度ここに載せます。

日本はアメリカにとって、最も重要な同盟国の一つですが、一方で、沖縄を民主主義の手続きから排除するという姿勢を支えています。

私が考えますに、沖縄にとっての安全保障体制は、右か左かというイデオロギー的な政治問題ではなく、日常生活に根ざしたリアリティなのです。

だからこそ翁長雄志前知事は、イデオロギーよりアイデンティティだと主張していたのです。
つまり、イデオロギー的、反米的なことではなく、日常生活の中から、国の政治について考えるという、民主主義の魂が沖縄に根づいているわけです。

沖縄県民は、日米両政府が、矛盾を押し付けられましたが、その矛盾をチムグクルで包み込み、多様性へとウチナンチュは変えてまいりました。

アメリカ軍の基地の問題は、アメリカの問題と同等に扱われるべきであり、アメリカの民主主義もまた、国境を越えるべきではないかと私は考えるんですね。

保存されるべき豊かな自然環境と、互いの友情を将来の子どもたちにつなげるために、正しいと心から信じる声と行動が必要です。

お互いの沖縄のために、皆さん立ち上がって、ぜひ行動してください。


対話をしようとしない両政府に、どうやったら声を届けることができるか。
自分が動ける範囲はどれぐらいか。
まずは町の議会に声かけできるよう、町議員探しから始めようと思います。
町からカウンティに、カウンティからステートに、ずっとあげていってもらえるかどうかわかりませんが、やってみようと思います。

政治家によって、核兵器だの原発だの、何かが起こったら住民はもちろん、生き物すべて、町や山や森や川や海が、一瞬にして壊されてしまうようなものを、秘密裏に配備したり押し付けたりされる。

もうこんなことは許したくないし、許してはいけない。
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原発と心中なんかしたくない!

2018年11月13日 | 日本とわたし
原発ムラからカネを握らされ、再生エネを排除する政治家の実名
【MAG2NEWS】2018年10月19日
https://www.mag2.com/p/news/373462

この記事は、10月の13日と14日の二日に渡り、九州電力が、太陽光発電の一部を一時停止して、出力抑制の実施に踏み切ったあとに書かれたものです。

なぜ九電は、太陽光発電の一部を一時停止しなければならなかったのか。
その理由は、「電力供給過剰による大規模停電の恐れ」があったからでした。

なんとも時代に逆行しているというか、まずは原発ありき、何が何でも原発をやめたくない電力会社と政府の魂胆がミエミエです。

川内、玄海の原発が4基も再稼働してしまった九州エリア。
そこは日本で最も太陽光発電の導入が進んでいる地域です。
電力需要に対する太陽光発電量の割合は、81%にまで達しています。
だから当然、発電量が多すぎて困るという事態になりました。


常識的に考えたら、すでに安全神話も安価なコスト神話もボロボロになった原発を動かすために、再生可能エネルギー事業を抑え込むなどという行為は、時代に甚だしく逆行しています。

なぜ国は、こんな危険極まりない原発を、いまだに最優先しようとするのか。
それは、目先の利益のために、会社経営を助けるために、それを経産省が支えるべく、優先順位を決めているからです。

もう何度も記事として書いてきた『総括原価方式』というシステム。
これは、必要経費に利潤を足して電気料金をはじき出す方法で、これがある限り、原発を動かしさえすれば、放っておいても儲かります。
逆に、原発を止め廃炉にすると、たちまち巨額の不良資産になり、債務超過の恐れが出てきます。


だから電力会社は原発を動かし続けたい。
それを邪魔するものは排除する。

原発の出力調整も実はできるのですが、経産省はできないの一点張り。

原発ゼロがいつまで経っても決まらないのは、原子力ムラの企業や団体が、政治家を献金やパーティ券購入で応援するからで、
そこに麻生太郎や甘利明などの、自民党の大物政治家が存在しています。

特に麻生太郎財務大臣と電力業界の関係は、よく知られています
麻生氏と九州電力の仲は特別です。
九州財界に絶大な影響力を誇る九州電力。
なお、九州経済連会長の後釜には、麻生太郎氏の実弟、麻生泰氏(麻生セメント社長)が就任しています。


さて、どのように特別か。
それは記事を読んでください。

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次は、

首都圏唯一の原発「東海第二」20年の運転延長を認可
【ANN NEWS】2018年11月7日
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000140239.html?fbclid=IwAR1Ws65kOlkhhkwkqMeLqq1ORRdaFIVCsK2RYdvXZ98Yj34lzxIm2XnYaOk

首都圏で唯一の原発、茨城県の東海第二原発について、原子力規制委員会は7日午前に、20年の運転延長を認可しました。

東海第二原発は、28日までに、延長認可など3つの審査に合格しないと廃炉になるところでしたが、規制委員会が優先的に審査して、期日に間に合わせた形です。

ただ、再稼働について、周辺自治体の理解は進んでいません。

ANNの調べでは、半径30キロ圏にある5つの自治体が、反対を表明しているほか、8つが保留、賛成は1にとどまっていて、徐々に反対する自治体が増えてきています

理由としては、周辺の人口100万人を対象とした避難計画作りが、困難を極めているうえ、作ったとしても実効性が疑問視されていることが挙げられています。

また、事故が起きた場合、日本原電に賠償ができるのか、といった不安もあるとみられています。


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天文学的【国民負担】福島廃炉費用…年数千億円に、想定2兆円を大幅超え!
経産省、東電救済で!
見通し立たない未知の廃炉作業、廃炉技術は現在ない、何百年か!?
子どもたちに、未来に重い負の遺産!

【ブログ・みんなが知るべき情報/今日の物語】2018年10月25日
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/f62b1c51fcc309cfabfe367b489f9387

この天文学的『国民負担』がどのようなものであるか、詳しく書いてくださっているのでぜひ読んでください。











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なのに政府は、今の臨時国会で、こんなものを提出したというのです。
こんなものというのは『原子力損害賠償法改正案』。

古賀茂明「大問題の原子力損害賠償法改正案を国会でこのまま通してはいけない」
【AERAdot.】2018年11月12日
https://dot.asahi.com/dot/2018111100009.html

『原子力損害賠償法』
原子力発電所などで事故が起きた時に、莫大な金額に及ぶ可能性がある損害について、誰がどれだけの責任を負うか、被害者救済のための資金をどう確保するかを決める法律。

この法律は、1961年に成立し、それ以来、10年ごと(計5回)に見直しが行われてきました。
電力会社が、保険などによって損害賠償に備える義務は、毎回必ず強化されてきています。
当初の50億円から徐々に引き上げられ、2009年には1200億円に引き上げられています。


それなのに今回、福島原発事故を踏まえた改正のはずが、

電力会社の責任は強化しない、ということになったのです!

しかも、「異常に巨大な天災地変」は免責、なんていう規定も作ったのです!
これぞ責任逃れの

これだけではありません。
まだまだあります。

下記の目次を読んだだけでも、原発なんて本当にいらない、全基廃炉をできるだけ早いうちに決定して欲しいと願わずにはいられません。

・事故の損害賠償を電力会社は払えず、国民が負担している
・被害者救済より、電力会社のための法律を作ろうとしている
・原発を維持するために何が必要か、と議論を進めてきた政府
・懸念はなくなったと安心させる高等作戦
・目的を変更して、上限なしの保険契約を義務付けよ
・電力会社には損害賠償を行う資金力がない


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ニシダ飴❤️

2018年11月13日 | 友達とわたし
『パパママぼくの脱原発ウォーク』、そしてもう7年以上も続いている、それも毎月でも毎年でもなくて、毎週金曜日の夜になると集まってくるあきらめない人々の、抗議活動の場となる官邸前の『希望のエリア』。

そのどちらもの主催者として、本業の整体師の仕事も超忙しいというのに、ずーっとずーっとがんばってる二朗さんが、こんなん送ってくれました。

じゃ〜ん♪
ニシダ飴♪
ほんでもって肌触り満点であったかそうなマフラー♪


このニシダ飴、ちょっと前から、二朗さんがすごくオススメだと言っていて、



画面の飴ちゃんを眺めながら、よっし、次回の帰省の際は、絶対にココに行くぞ!と密かに企んでたら…、

いきなり二朗さんが、
「まうみちゃん、ニシダ飴ほしい?」とメッセージが。

え?え?え?
なんでわかったん?
なんで今、飴ちゃん見ながらうっとりしてたんわかったん?

「欲しいけど、欲しいって言うたらきっと、二朗さんのことやから、面倒な箱詰めして送ってくれたりするやろし…ゴニョゴニョゴニョ」

「え〜い、欲しいのか欲しないのかはっきりせいっ!」

「欲しぃ〜〜〜!」

「よっしゃ、送ったるから待っとけ!」(二朗さんはもうちょっと上品な物言いをされます)

というわけで、遠路はるばる、埼玉県熊谷市のお店から二朗さんちに、そして二朗さんちからうちに、旅をしてきてくれたニシダ飴のいちご味とサイダー味の飴ちゃんは、
今、わたしの口の中で、レロレロレロレロ、あっちに行ったりこっちに来たりして、少しずつ小さくなっていくのです。
評判通り、密度が濃いというか、まろやかというか、ほどよい甘酸っぱさが心地よい、そしてなかなか小さくならない、マジで美味しい飴ちゃんです。

ありがと〜二朗さん!


おまけ

ニシダ飴さんの情報です。









http://brand.cci-saitama.or.jp/kumagaya/shop_kumagaya_243/

昔から伝えられてきた、そのままの方法で作られている「ニシダ飴」。
店舗にはた~くさんの飴が陳列されています。

必ずお気に入りの飴が見つかると思いますよ!

飴以外にも「ニシダが最中」「五家宝」「熊谷石畳(生チョコ)」などの和スイーツが並びます。

バレンタイン限定品、クリスマス限定品なども見逃せません。
コメント

矢部宏治著「知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた」を読んで知らなければいけない!

2018年11月12日 | 日本とわたし
日米地位協定の見直しが今やっと、国会や報道の中で、チラチラと語られるようになってきました。
日本が直面している、いえ、長年抱え続けてきている問題が、かなり深刻なものだとは思っていましたが、この問題を一人一人がきちんと捉えるべきものだと、改めて考えさせられました。

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岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている。

自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙。

軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある。

国家にとってそれほど危険な状態はない。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている。

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デモクラTV マエキタミヤコ・伊勢崎賢治「 RADIO HIKESHI Live!」第37回 ゲスト:矢部宏治





なぜ日本は、アメリカによる「核ミサイル配備」を拒否できないのか
理由は岸が結んだ「密約」にあった
【GENDAI.ISMEDIA】2018年11月2日

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58278

◾️主権の回復へ向かう韓国と、状況が悪化する日本

1年前には誰も予想できなかったことだが、今年の3月、突然朝鮮半島で劇的な南北の緊張緩和が始まり、6月には歴史的な米朝首脳会談も行われた。
平和条約締結へのタイムテーブルはまだわからないが、「終戦宣言」そのものは、いつ出されてもおかしくない状況となっている。

一方、先月〔10月〕の20日、アメリカのトランプ大統領は、約30年間続いたロシアとの中距離核ミサイル(INF)全廃条約の破棄を表明した。

私のような日米の軍事上のウラの取り決めばかりを見ている人間からすれば、一見、矛盾するように見える、この2つの動きの意味するところは明らかだ。

つまり、スピードはどうあれ、すでに制空権を失い、反米軍基地運動も強力な韓国から、やがて米軍は撤退していく。
その過程で、日本にとって「対米従属の最後のお友達」だった韓国の国家主権も、しだいに回復していくことになるだろう。

しかしその一方、日本の状況は悪化する。
同じく制空権を失った、すべての自衛隊基地と米軍基地のあいだで共同使用が進み、そこにやがて対中国・ロシア用の中距離核ミサイルが配備されることになる。
そして米軍の主要部隊は、グアムその他へ撤退するが、「共同基地」に配備された核ミサイルの発射ボタンは、米軍が握り続けるのだ……。

たんなる悪夢だと思われるだろうか。
そうではない。
すでに何十年も前から、「全自衛隊基地の米軍共同使用」と「日本の陸上基地への核ミサイルの配備」は、アメリカの軍産複合体が具体的な目標としてきた現実なのだ。
日本国民の抵抗が弱ければ、必ず実現するだろう。

なぜ韓国にできる国家主権の回復が、日本にだけはできないのか。
最新刊『知ってはいけない2——日本の主権はこうして失われた』を書く過程でわかったことだが、
その最大の原因は、現在の安倍首相の祖父である岸首相が、「安保改定」で結んだ「3つの密約」にあったのである。


◾️岸が結んだ密約中の密約『討議の記録』

みなさんは『討議の記録』という密約文書について、聞いたことがあるだろうか。



これは、安保改定時に、岸政権がアメリカ政府と結んだ、「密約中の密約」といっていいほど重要な超極秘文書(藤山外務大臣がサインした)なのだが、
おそらく普通の人はほとんどその名前さえ知らないだろう。

戦後日本における圧倒的な米軍従属体制(いわゆる「安保村」)のなかで、この密約文書は、50年ものあいだ、その存在を隠蔽され続け
いまからわずか8年前(2010年)になって、ようやく「文書の存在」そのものは公認されたものの
その後も、外務省から、「こんな文書に効力はない」と、その法的有効性を否定され続けているからだ。

現在も、日本のほとんどの有識者たち(大学教授、官僚、メディア関係者)が、この外務省の説明を疑わずに信じている
その意味で、やはり、「戦後日本(=安保村)」における社会科学の知的レベルは、世界一低いと言っていいだろう。

いかなる形態の文書であれ、外務大臣がサインした文書に法的拘束力があることなど、日本以外の国では高校生でも知っている事実だからである(「条約法に関するウィーン条約」第2条・7条・11条他を参照)。


◾️「討議の記録」に書かれた驚くべき内容

ここで、その「討議の記録」という密約文書の驚くべき内容を、ごく簡潔に紹介しておこう。

1960年1月6日、安保改定の調印(同19日)から約2週間前、岸政権の藤山外務大臣と、アメリカのマッカーサー駐日大使(有名なマッカーサー元帥の甥)によってサインされたその文書には、次の4つの密約条項が明記されていた(以下、著者による要約。〔 〕内は補足説明部分)。



いかがだろうか。
この4つの密約条項を読んで、「ふざけるな!」と、腹の底から強い怒りがわいてくると同時に、
「ああ、そうだったのか」と、これまで不思議に思っていたさまざまな出来事の意味が、すっきり腑に落ちた人も多いのではないだろうか。

つまり、これらの密約をまとめると、
米軍は日本国内において、「事前協議なしでの核兵器の地上配備」以外は、ほぼ何をやってもいいし(上記AとCによる)、
事実上、日本の基地から、自由に他国を攻撃してもいい(上記BとDによる)ということになるからだ。

さらに、岸首相自身が、晩年の回顧録(*)で明らかにしているように、
たとえ将来、これまで一度も行われたことのない日米間の「事前協議」が、形式上行われたとしても、
そこでアメリカ側が、日本の陸上基地への核ミサイルの配備を提案したら、日本政府がそれを拒否するケースは最初から想定されていない
のである。



(詳しくはあとで述べる『知ってはいけない2――日本の主権はこうして失われた』の第3章・p.137本文と注を読んでいただきたいが、
ほぼ間違いなく、「緊急時には事前通告により核ミサイルの地上配備を認める」という「沖縄核密約」と同じ密約が、本土についても口頭で結ばれているものと思われる)

(*)
「条文でどうなっていようと、本当に危急存亡の際、事前に協議して熟慮の結果、拒否権を発動するに決めてノーと言ったからといって、それが日本の安全に効果があるかどうかは議論するまでもないだろう」『岸信介回顧録―保守合同と安保改定』広済堂出版


◾️岸が犯した〝最大の罪〟

なぜそのような馬鹿げた状態が、これまで半世紀近くも続いてきてしまったのか

それには理由がある。

安保改定で岸が犯した最大の罪は、この軍事主権を放棄したとんでもない内容の取り決めを、「国民に知らせず結んだ」ことだけでなく、それを「結んだあと、破って捨てた」ということなのだ。

つまり、この「討議の記録」については、すべて民間から登用した「親友」の藤山にだけ責任を負わせ、自分は知らぬ存ぜぬを決め込んで、次の政権(池田政権)にも引き継がなかったのである。

岸が、満州時代に述べた、有名な「政治哲学」として、

「政治資金は、濾過器(ろかき)を通ったきれいなものを受け取らなければいけない」
「問題が起きたときには、その濾過器が事件となるので、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから、掛かり合いにならない」


という言葉があるが、要するに、安保改定において岸は、親友だった「藤山という政治的濾過器」を使って、密約の問題を処理したわけだ。




◾️改ざんされていた外務省の最重要文書

この、岸の信じられない行動が原因で、その後、日本の外務省は大混乱に陥り、対米交渉能力を完全に喪失していくことになる。
その過程で起こった象徴的な出来事が、今回、私が本を書く過程で発見した、「外務省における公文書改ざん」事件である。



上の図版を見てほしい。
これは、外務省が、問題の「討議の記録」について、「こんな密約に法的根拠はない」と主張する最大の根拠としてきた、極秘文書(「核兵器の持ち込みに関する事前協議の件」)である(*)。

ところが、この「安全保障課y(のちに北米局安全保障課長となる山下新太郎氏)」という、記述者名が書かれた4枚の「極秘報告書」の後半(「1」「2」と各パートの冒頭に番号が打たれた「2」の部分)が、突然まったく別人の筆跡になっているのだ。

すでに正式な筆跡鑑定もしたが、「前半(1・2枚め)」と「後半(3・4枚め)」の文字を実際に比べてみれば、それが別人の手によるものであることは、どなたにでもすぐにおわかりいただけるだろう。



なぜ、外務省がこんなことをしたかというと、日本国民に対して絶対に明らかにできない、「米軍艦船による核兵器の持ち込み」を、「そんなことは絶対に行われていない」と強弁するための、隠蔽工作だった

そして、そうした外務省の論理的な矛盾は、1974年に頂点に達する。
というのもこの年、佐藤首相が、「非核三原則」でノーベル平和賞を受賞する一方、
なんとその前年には、核攻撃用の爆撃機を多数搭載した、航空母艦ミッドウェイの「横須賀・母港化」(=これは小規模の核攻撃基地を国内に設置したに等しい行為だ)が、実現していたからである。

以後、このあまりに巨大な矛盾を、アメリカ側から絶対に公表されたくない外務省が、対米交渉能力を完全に喪失していったのは、極めて当然だったと言えるだろう。

そのため外務省は、2ページめのマンガの3コマめにあるように、「討議の記録」を約半世紀に渡って金庫にしまいこみ、その存在を否定しつづけるしかなかった

しかしその一方でアメリカは、もともと、同じマンガの4コマめにあるように、
「討議の記録」の内容を2つに分割した「基地権密約文書」〔=日本の国土の軍事利用についての密約〕と、「朝鮮戦争・自由出撃密約文書」〔=他国への軍事攻撃についての密約〕という、2つの密約文書を、「討議の記録」と同じ日に藤山にサインさせ
前者は日米合同委員会、後者は日米安保協議委員会という、安保条約にもとづく密室の協議機関の議事録に、それぞれ編入していた

その結果、日本人は誰一人、その正確な意味を知らない、とんでもない内容の取り決めであるにもかかわらず、
「討議の記録」のほとんどすべての内容が、新安保条約・第6条にもとづく正式な日米合意として、日米の協議機関に受け継がれ、
安保改定で回復したはずの日本の国家主権は、再び激しく奪いとられていくことになった
のである。

(*)外務省「いわゆる「密約」問題に関する調査結果報告対象文書(35点)の「1.1960年1月の安保条約改定時の核持込みに関する「密約」問題関連」P.84-87参照/ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/pdfs/t_1960kaku.pdf


◾️親米路線がもたらす〝大きな危険〟

みなさんもよくご存じのとおり、岸は、獄中のA級戦犯容疑者の身から、わずか8年で日本の首相となる過程で、早くからCIAの協力を得ていた政治家だった。
そうした異常な環境が、彼の密約についての、同じくあまりに異常な行動に関し、どのような影響を及ぼしていたのか
それを短く説明することは、とてもできない。

そこで、版元の講談社の許可を得て、その背景を説明した『知ってはいけない2』の第3章を、特設サイトで全文公開することにする(「ウェブ立ち読み」のPDFをご覧ください)。

その本当の経緯を、多くの人が正確に理解することが、今後の日本社会の進路と選択を考える上で、非常に重要な意味を持つと思うからだ。

岸を過剰に評価したり、逆にたんなる売国奴として切り捨てることは、おそらくどちらも間違いである。
彼が確立した親米路線のなかで、その後日本は、大きな経済的繁栄を遂げることになった。

しかし、その過程で、岸がアメリカ政府やCIAとのあいだで結んだ、国民の知らないあまりに異常な合意が、いま「戦後日本」という国に大きな危険をもたらしている

なぜなら、自国の軍事主権を完全に他国の手に委ねることは、ほとんど自殺行為に近い暴挙だからだ。
少し想像してほしい。

今年の2月までの米朝の軍事的対立期に、もし米軍が日本の基地から北朝鮮を攻撃したら、私たちの未来にどんな悲劇が待ち受けていただろう。
もしも、米軍が、核兵器の地上配備を行っていたら、私たちはどれほど深刻な危険にさらされていただろう。


軍事主権の放棄とは、戦争を「始める権利」の放棄であると同時に、戦争を「しない権利」の放棄でもある
国家にとってそれほど危険な状態はないのだ。

「朝鮮戦争の終戦」という、世界史レベルの変化が起こりつつあるいま、
私たち日本人には、かつて自国の首相が結んだ「誤った密約」の存在に、真正面から向き合い、「ポスト戦後日本」の行方を正しく選択する、大きな歴史的使命が与えられている
のである。


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無料立ち読みマンガより(以上に載せた2枚以外のもの)






コメント

デニー知事「日米両政府が辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなでぜひ動いていこうではありませんか」

2018年11月12日 | 日本とわたし




デニーさんの言葉を文字起こししました。
質疑応答は、また体力が戻り次第、作業させてもらいます。

ニューヨークのみなさま、はじめまして。
沖縄県知事の玉城デニーと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

見た目はほぼアメリカ人なんですが、だけど英語はあまり話せないので、今日は日本語で話をして、目方さんに通訳をしていただきますのでよろしくお願いいたします。

まず最初に、今日の講演の準備には、島袋マリア先生にとてもお世話になりました。
まず初めに感謝いたします。
ありがとうございました。
そして今日、ほんとにたくさんの皆さんにおいでいただきました。
本当にありがとうございます。

先ほどのご紹介にもありましたが、私は国会議員を務めていた2009年から2018年までは、3回アメリカを訪問しました。
今年の9月30日に選挙で当選して、10月4日に沖縄県知事に就任してからは、もちろん初めてです。

これまでは主に、ワシントンDCを中心に、訪米活動を行なっていましたが、
今回は多様性の持つ力、沖縄の民主主義の誇りをテーマにお話しするために、アメリカでも多様性にあふれている都市ニューヨークを、県知事としてアメリカでの活動をスタートする場所に選びました。

沖縄は、第二次世界大戦後、73年間も米軍基地の問題と戦い続けています。
今、名護市辺野古の新基地建設をめぐり、後戻りできない事態へと追い込まれています。

今後、どのような手段で、この埋め立てを阻止していくのか、そのために何か具体的な策があるのか、日本のメディアは、新しく県知事になった私の決断に注目しています。

私はここで、なぜ沖縄が、このような状況に追い込まれているのか、日本とアメリカの安全保障体制の過剰な負担をなぜ、沖縄だけが背負い続けているのか、皆さんに話をさせていただきたいと思います。

そして、沖縄だけに解決策を問うのではなく、日本とアメリカの市民の皆さんが、自分のこととして捉えていただき、一緒に解決策を考え、太平洋を越えて繋がって、行動する輪を広げていただきたいという思いで、これからお話をさせていただきます。

さて、私は1959年、日本のいちばん南にある小さな島、沖縄に生まれました。
私の父は米国人で元海兵隊員、母は日本人です。
母は80歳を過ぎて元気です。
笑顔のとてもチャーミングな人です。
しかし、私は父の顔も出身地も知りません。
私がまだ母のお腹にいた時に、父が先にアメリカに帰還することになり、母は私を産んでから、アメリカに渡るという約束でした。
ところが生まれてから後、母はアメリカに渡ることを断念し、沖縄で私を育てました。
手紙も写真も、母は、悔いを残すからと、全て焼いてしまいました。
このような形で、日米双方の関係を持つ子どもたちは、少なくありません。
しかし私は、幼い頃は、外見が違うというだけで、いじめに遭ったりもしましたが、私を実の母以上に可愛がってくれた養母は、差別や偏見が心の傷にならないように、優しく教えてくれました。

ですから私は、自分の生い立ちを肯定していますし、海兵隊の基地周辺にある、飲み屋で働いている女性たちの、食事や洗濯などの世話をする賄いが生活をするための仕事だった私の母の姿をよく知っています。

つまり私にとっての米軍基地とは、政治的な問題というよりも、日常生活の延長に見ていたものです。
基地を抱えながら生活をしてきた、ウチナーンチュの現実でもあったわけです。

沖縄における多様性は、生きるためのたくましさを必要としながらも、人としてのチムグクル、真心を決して失ってはいけないというアイデンティティとして、私たち沖縄県民が誇りに思っているマブイ(魂)でもあります。

普段のウチナンチュは、兵隊とほとんど揉めたりしません。
しかし沖縄は今、辺野古で新基地建設を強行しようとしている、日本とアメリカの両政府とぶつかっています。

この対立は、反米とか、あるいは反基地というイデオロギー的な主張ではなくて、これ以上基地はいらないという、生活者のリアルな声です。

細かい点については、今日皆さんに資料をお配りしていますので、どうぞそちらをご覧ください。


辺野古の新基地問題をめぐる沖縄の現状について、簡単にご説明いたします。

沖縄県の人口は今、145万人です。
現在は、ハワイと肩を並べるくらいに、好調な観光産業を中心に発展しています。

県全体から見る基地の関連収入は、わずか4%から5%にしか過ぎません。
沖縄は基地経済に依存しているわけではないのです。
沖縄の国土の面積は、日本全体のわずか0.6%です。
その小さな沖縄に、日本全国の70.3%もの、米軍専用基地が集中しています。


圧倒的な集中であるにも関わらず、日本政府はさらに、新たな米軍基地の建設を辺野古で強行しています。


これには、沖縄の県民の60%から70%が反対しており、翁長雄志前沖縄県知事も、そして私も、新基地建設反対という民意で、選挙では相手候補に大きな票差をつけて、県知事選挙で圧勝しています。

沖縄が現在直面している政治問題として、私は、全ての米軍基地の即時閉鎖ではなく、辺野古の新基地建設という、沖縄県民に対しての、さらなる負担の増加に反対しているのです。

沖縄に米軍基地が集中している理由について、日本の政治家や評論家は、アジアに近い地理的優位性や戦後の安全保障上のことなどを理由に挙げています。

この米軍基地が沖縄に造られてきた経緯を観察すると、米軍が基地建設を試みた1950年代に、日本本土での反対闘争が凄まじかったことや、かつて防衛大臣を担った方の発言にあるように、九州でも西日本にでもいいが、政治的に沖縄、というように言っています。

それは米軍にとって都合がいいのではなくて、日本政府にとって沖縄に置く方が、手っ取り早い。日本国民からの反対を避ける意味でも、基地が集中している沖縄しかない、という考えにこだわっているとしか思えません。

しかし、残念ながら、日米安保は支持する、けれども米軍基地は来ないでくれ、という矛盾が、日本の国民の中にもあります。
しかし、その民主主義の矛盾を、当たり前のように押し付けられているのが沖縄なのです。

日本が民主主義の国家であるというのであれば、米軍基地を巡って、政府と国民の間にある矛盾に向き合い、それを解決するべきです。

その矛盾を沖縄に押し付けられている以上、沖縄のことを抜きにして、日本の民主主義の問題を解決することは不可能であると、沖縄は言わざるを得ないわけです。

沖縄県は、8月31日に、辺野古の新基地建設に伴う埋め立て承認を撤回しました。
これに対して政府は、国民の権利、利益の救済を目的とする行政不服審査法を用いて、撤回の効力を無力化しました。
本来このやり方は、国民が政府と戦うために使う権利なんですが、日本政府は、辺野古の新基地建設工事を再開させるために、政府が私人に成りすまして、法の趣旨を捻じ曲げています。


沖縄県は、法治国家にあるまじき行為だとして、強く批判しています。
米軍基地を優先するために、政府は、法の例外規定まで押し付けているわけです。

しかし、こうした問題は、日本にだけにとどまりません。
アメリカも当事者です。
沖縄県は、沖縄と日本と米国と、この三者対話を持ちたいと切望していますが、アメリカは沖縄に対して、それは日本国内の問題だと片付けてしまいます。
沖縄がアメリカに直接、米軍基地に関する苦情を訴えると、アメリカは苦情を日本政府に回します。
そして日本政府は、地位協定などを理由として、沖縄からの苦情を切り捨てるわけです。
沖縄からの民意の声は最初から無かったかのように消されていくのが常となっています。


非常に残念なんですが、この民意の声をしっかりと受け止め、私、あるいは私たちが、責任を持って解決しようと主張する政治家は、アメリカにも日本にもいません。

こうした国際社会のもとで、沖縄県民はいったい、どのようにして声を上げることができるというのでしょう。

基地を造る日本、基地を使うアメリカ、どちらも責任の当事者であるはずですが、その基地を押し付けられている沖縄からの声は、どこに届ければいいのでしょうか?

民主主義のあるべき姿を、私たち沖縄県民は、どこでつかむことができるのでしょうか?

民主主義の尊厳をアメリカとともに分かち合いたいという、沖縄県民の心からの願いは、どのようにすれば繋がることが可能なんでしょうか?


沖縄県は、政治的かつ法的な、あらゆる手段を尽くして、辺野古の新基地建設を阻止しようとしています。

しかし、政府の扉と法律の門は、閉じつつあるという厳しい現実に直面しています。

沖縄は一体、いつまで政府の扉の前で、待たなければならないのでしょうか?

一体いつまで、法律の門の前で、待たなければならないのでしょうか?

そうした沖縄に対する扱いを、まるで植民地のようだと反発する沖縄県民も少なくありません。

沖縄の立場から見た場合、日本は法治国家であるという政府のコメントに対して、自作自演と言わざるを得ないのです。

そうでないとするならば、民主主義の誠意を持って、沖縄と真摯に対話をするべきです。


さて、第二次大戦後、アメリカは沖縄を、太平洋の要石、キーストーンと呼びました。
米軍の軍事戦略において沖縄は、太平洋から東アジアへの鍵であるという意味です。

しかし、これまで説明してきたように、沖縄を常に、民主主義からも法律からも例外的な存在に置き続けていくならば、その鍵の石は、沖縄から激しい反発が飛び散っていく、パンドラの箱の鍵に変わってしまうかもしれません。

そうなれば、日米両国と沖縄県民との間に、修復不可能な亀裂が生じてしまうでしょう。
翁長雄志前知事も、沖縄の民意をおろそかにすることは、安全保障体制を敷く日本とアメリカの両国の政府に対して、大きな反発が起こりうるかもしれないと警鐘を鳴らしていたのです。

私は沖縄県知事として、米軍基地が駐留する地域の民意を、尊重するよう呼びかけたいのです。

日本はアメリカにとって最も重要な同盟国の一つですが、一方で、沖縄を民主主義の手続きから排除するという姿勢を支えています。

私が考えますに、沖縄にとっての安全保障体制は、右か左かというイデオロギー的な政治問題ではなく、日常生活に根ざしたリアリティなのです。

だからこそ翁長雄志前知事は、イデオロギーよりアイデンティティだと主張していたのです。
つまり、イデオロギー的、反米的なことではなく、日常生活の中から、国の政治について考えるという、民主主義の魂が沖縄に根づいているわけです。

沖縄県民は、日米両政府が、矛盾を押し付けられましたが、その矛盾をチムグクルで包み込み、多様性へとウチナンチュは変えてまいりました。

その一例となるのが、沖縄本島南部の糸満市にある、平和の礎(いしじ)です。
沖縄戦においては、民間人約10万人を含む、20万人以上の方々が亡くなりました。
平和の礎には、国籍を問わず、亡くなった全ての人々の名前が刻銘されており、新たに確認された方々の名前も、追加で刻まれています。

これは、沖縄の多様性を反映している大切な事業の一つです。

私の母の父親、つまり私の祖父と、二人の叔父の名前も刻まれています。

このように、苦い苦しみの経験も含めて、平和への思いを大事に育んできたからこそ、沖縄県民は、日米両政府が強行する、辺野古新基地に反対を主張するのです。
新基地はいらないと主張しているわけです。

アメリカではおそらく、沖縄の問題はあまり報道されない、あるいは、知られていないという現実があるかもしれません。

しかし私はこのことを、とても不思議に思います。
なぜなら、1945年の沖縄戦から現在に至るまで、多くの数のアメリカ人が、沖縄に駐留してきているからです。

ですから、実際には、アメリカと沖縄の関係は、非常に深いと言えます。
この深い関わりの中から、私も生まれてきたのです。

政治家が沖縄の運命を決めるのかもしれませんが、その沖縄を知っているのは、政治家よりも、多くのアメリカの元軍人や、軍属や、その家族なのではないのでしょうか?

沖縄のダイバーシティというのは、私のような存在であり、米兵と結婚して渡ってきた、今アメリカにいらっしゃる沖縄の女性たちであり、そして親から沖縄の魂を受け継いだ子どもたちであり、そして沖縄にふれてきた数多くの軍人、軍属なのです。

私はこのダイバーシティを、誇るべき民主主義の力に、ぜひ変えて欲しいんです。

米軍が沖縄に来て、73年になります。
米軍がせめて、キーストーンである沖縄の声ぐらいは聞くという敬意を払って欲しいと思っています。

アメリカは沖縄を、日本国内の問題に閉じ込めていますが、実は沖縄の中でも、アメリカの民主主義が問われているのです。

ですから私は、米国政府をはじめ、沖縄に駐留したアメリカ人、そしてそのご家族の方々にも、沖縄の問題を自分の問題のこととして考えて欲しいんです。

膨大な数の軍人が、海外の基地に駐留するという現実からいえば、アメリカ軍の基地の問題は、アメリカの問題と同等に扱われるべきであり、アメリカの民主主義もまた、国境を越えるべきではないかと私は考えるんですね。

保存されるべき豊かな自然環境と、互いの友情を将来の子どもたちにつなげるために、正しいと心から信じる声と行動が必要です。

お互いの沖縄のために、皆さん立ち上がって、ぜひ行動してください。

あなたの国の政府に、アメリカの民主主義の誇りを沖縄にも届けるように、どうぞ要求してください。

沖縄県民に残された時間はあまりありません。
しかし、みんなが立ち上がれば、変化が起こります。
変化が大きく早くなるほど、状況は大きく早く変わります。
日米両政府が、辺野古の新基地計画を断念するまで、みんなで、ぜひ、動いていこうではありませんか。







デニーさんをお迎えする準備中。たくさんの作業をほんとにありがとうございました!


歌の歌詞。


ワシントン・スクエアに集まって、














講演会会場のニューヨーク大学へ








そしてお出迎え


嬉しくてピョンピョン飛び跳ねてるわたしたちが、ニュース画面に映ったそうです…。

コメント

『横浜における関東大震災時の朝鮮人虐殺フィールドワーク』レポート by 柏木幸雄さん

2018年11月10日 | 日本とわたし
もう1ヶ月も前のことになるんですが、横浜在住の友人幸雄さんが、とても大切な、これはどなたであれ知っていただきたいと思う内容のレポートを、フェイスブックに載せてくれました。
遅くなりましたが、ここで紹介させていただきます。

今だからこそ、読んで、知ってください!

関東大震災時の朝鮮人虐殺フィールドワーク、レポ

10月13日(土)初めて、「横浜における関東大震災時の朝鮮人虐殺フィールドワーク」に参加した。
 
主催は、「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」という長い名前の団体で、彼ら独自のサイトは無いようだが、活動の記録などは随所に揚げられている。
 
時折雨がポツポツと落ちるような曇天の下、京急線「神奈川駅」に集合した参加者は40名弱。
主催者から開催の挨拶があり、参加者は少しづつだが増えているとの事。
 
「関東大震災時の朝鮮人虐殺」に付いては、若い頃に、ザックリとした話を聞いた事が何度もあった。
例えば、友人と地震や歴史の話をした際に、或いはもっと昔…田舎の法事の酒席で。
その話はいつも、何かの拍子に姿を見せるものの、幽霊のように実体が無く、そんな事もあったらしい――で、終わっていた。
 
十数年前に、「在特会」関連で少し調べた際に、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」が事実であったことを改めて認識し、当時も現在も、これを隠蔽しようとする動きがある事も知った。
 
旧友のフォト・ジャーナリストから誘われ、そういう経緯もあって参加した。 
 
フィールド・ワークは、幾つかの虐殺現場を辿りながら、担当委員からのレクチャーを受ける形で行われた。
 
使われたテキストは、彼らが歴史の隅々から丹念に調べ、多角的な視点から比較された資料や、当時の新聞記事、地図などから構成された力作だった。
 
内閣府の防災資料によると、犠牲者の記録に付いて、東京ではその詳細が記されているにも拘らず、神奈川では多方面からの資料よりも著しく少ない、一桁の数字が計上されているのみだ。
 
どうしてそんな数字の乖離が起きているか?
 
内閣府の資料では――

「この節では殺傷事件の概要を述べるが、当時の混乱の中では、同時代的にもこの種の事件のすべてを把握することはできず、
また、後に述べるような政府の対応方針もあって、公式の記録で全貌をたどることはできない。
現在までの歴史研究や掘り起こし運動は、この欠を補い、災害の教訓を継承する活動としても有意義である。
しかしながら、本事業の目的は、歴史的事実の究明ではなく、防災上の教訓の継承であるので」

 
との但し書きで逃げている

事実が究明されずに教訓もへったくれもあるまい、と思うが如何だろう?
 
果たして、この数字の乖離が、内閣府の言うように「当時の混乱」で把握できなかったせいなのか?
それとも、本当の数字と起こった事実を隠そうとする、何かの力が働いたのか?
 
その疑問に対する答を、現地を辿りながら探って、真実を模索する。
そして、多くの犠牲者への追悼を行うのが、今回のフィールド・ワークの主題である。
 
恥ずかしながら僕は不勉強のため、まだまだ全体像を捉えた上での話が出来ない。
 
その場で印象深かった事を、写真のキャプションで記しておく。
 
なお、以下は、今日探してみた関連、及び参照リンク。
 
・内閣府防災資料①
極端に少ない神奈川の事例=1頁めの表4-8。後にこれを含む―1923 関東大震災【第2編】―が削除され、問題となった: http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf

・内閣府防災資料②
殺傷事件との記載はあるが軍・警察・日本人民衆による大量虐殺は記されていない。3頁めの項目6:
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/23_owarini.pdf

・内閣府防災資料③
当時の流言の推移。
驚くのは9月4日の15時の件「朝鮮人、警察署より解放されたならば、速やかにこれを捕らえて殺戮すべし」と、ある。
実際に全く同じ事件が横浜で起きてしまった。4頁めの表4-1:

http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/18_chap4-1.pdf

・日本政府、関東大震災当時の朝鮮人虐殺報告書をホームページから削除:
http://japan.hani.co.kr/arti/international/27116.html

・朝鮮人虐殺の記述に批判が集まり、報告書が削除されたと報じた朝日新聞。
 内閣府は否定し、産経新聞は「抗議も検討」と報じたが…:

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/what-happend

・削除されたと騒がれた後、「リンク切れを修復」されて?復活した内閣府防災資料―1923 関東大震災【第2編】―:
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/index.html

・震災直後の首都圏で何が起きたのか?――国家・メディア・民衆 山田昭次 / 日本史:
https://synodos.jp/society/14990/3

bonsai.go.jp
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/19_chap4-2.pdf?fbclid=IwAR2r20hvqyuG00eFbsG4EOYzmYafFeJc4dTd3E-CxFlF8wjB_VAEXZAybnM
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今回の説明資料。貴重な記事・資料・地図…16ページ立ての力作だ。


在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班の調査により、500余名の遺体が見つかった青木橋(旧神奈川鉄橋)の傍、京急「神奈川駅」より約300メートルの岩崎山虐殺跡(現 幸ヶ谷公園付近)。


岩崎山(現 幸ヶ谷公園)で、最初のレクチャー。
当時の「神奈川方面警備部隊法務部日誌」に、
「10月5日:憲兵隊長植木鎮夫と共に、横浜市青木町栗田谷岩崎山に到り、再び鮮人虐殺の跡を視察し、憲兵長と種々打合せを為したり」とある。
法務部が虐殺を認め、打ち合わせをしている。
何の打ち合わせか?
青木橋で見つかった遺体は、岩崎山での虐殺遺体ではないか?
※鮮人:朝鮮人への蔑称を意味する。

公園には勿論、虐殺跡などの表記は無い。


3名の虐殺が行われた神奈川警察署。
他にも「多くの鮮人が後ろ手を縛られ立たされているのを見た」と言う目撃談がある。


多くの朝鮮人が住み、40名が犠牲になった御殿町付近。
外車のディーラーやマンションが建ち並ぶ。


高札場。


東神奈川公園では、当時の地域にあった自警団に付いて聞いた。


同じく当時発された戒厳令に付いての学び。

星野橋から旧東電発電所跡(現東神奈川ゴルフジョイ)を見る。


旧東電発電所跡(現東神奈川ゴルフジョイ)、此処では3名が犠牲になった。


土台はかなり古そうに見えるゴルフ練習場、クラブを振る彼らには知る由も無いのだろうか。


関東大震災が起こる2か月前に竣工された「龍宮橋」。




橋の西側には「みなとみらい」が見える。


「龍宮橋」を渡った右には、貨物線の「東高島駅」。


左側には「ゴルフ練習場」へ向かう閉鎖された線路。


東高島からレールは横浜の東口側へ。
逆側には例の治外法権「ノース・ドック」への支線がある。
横浜の翳を感じる地域。


サン・シティの案内板。この辺りが浅野造船所の入り口。


今は昔…浅野造船所の敷地。


当時の虐殺記事。
関内では、警察の取り調べで問題なしと釈放された朝鮮人が、市民に殺された。


近隣の高台より、鮮人の飯場があったドックを眺める。
此処の埋め立て工事に従事していた彼らのうち、48名が虐殺された。


手前は船着き場として、向こうは造船用の水門付き。


暗い隔たりの向こうに「みなとみらい」が見える。


船着き場の左側には、フット・サル。此処もかつてはドックだった。


多くの遺体が子安海岸に漂着と言う記事。


「龍宮橋」で運河に向かい黙祷。


献花の後、「アリラン」を斉唱した。
合掌…。


まとめ。
軍、警察、民衆に拠って流言拡大・虐殺が行われ、国は朝鮮独立と国際情勢を鑑み、それを隠蔽しようとしたことは否めない。
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白髪染めやめます!とりあえず…

2018年11月10日 | ひとりごと
白髪のことを考えてきた。

毛染めとはつい3年ほど前まで縁がなかった。
60が目の前に近づいてきたときに、ある私立高校の音楽教師にならないかという話が上がり、チラチラと見え始めていた白髪を染めて、わたし、そんなに歳とってませんからと誤魔化そうとした。

それで初めて、白髪染めなるものを美容院でやってもらった。
それまでも、表に出ていた白髪は本当に少なくて、見つけたら抜く程度で済んでいたんだけど、やっぱりきっちり染めると印象が違った。
けれども、それまではツルツルツヤツヤしていた髪の毛が、一気に元気が無くなったように見えた。
髪を洗うたびに、頭皮や髪から漂ってくる毛染めの匂いを嗅ぎ、痛めつけられた髪の毛の悲鳴を聞いた。

確かに、白髪が一本もない真っ黒な髪は、若かった頃(といっても50代後半まで真っ黒だったんだけど)の自分を思い出させてくれる。
ある日突然気がついてびっくりするシミやシワが、しっかり顔に刻まれていても、その周りの真っ黒な髪が気持ちを持ち直させてくれる。
でもそれも、ほんの1ヶ月半ぐらいのことで、抜いた白髪がまた生えてきたり髪の毛全体が伸びてきたら、あ〜あ、また行かないとなあ…という現実に引き戻される。

だけど、そう何回もあのきつい化学薬品を頭につけるのは嫌だから、できるだけ日を延ばして、もう幾ら何でもと思うところまで待ってから行く。
だから4ヶ月に1回。
カットだけのときは半年に1回だったので、年に1回だけ増えた。

でも、そんな毎日の中で、何度も何度も考えている。
白髪染めをやめるべきなんじゃないか?と。

でも、日本に帰省するときなんかは、懐かしい友だちに会ったり、初めての人と会ったりするから、なんかごま塩頭は気が引ける。
それで毛を染めて、若作りして、こちらに帰ってきてからバカらしくなって、なんでこれがわたしですってきっぱりできないんだろう…と思ったりする。
けど、みんなきれいに染めてるんだもんなあ…。
その『みんな』っていうのをまず止めよう。
あなたはどうしたいの本当は?って、自分にしっかり聞いてみよう。

こちらでは、白髪ではなく銀髪って言う。
もちろんこちらでも、銀髪を染めている人はいっぱいいる。
けれども、毛髪の色が文字通り色々だし、銀髪が年相応の美しさだと思っている人もかなりいる。

今までずっと、え?まうみって60歳超えてるの?と、びっくりさせるのが楽しかったし、びっくりしてもらえて嬉しかったんだけど、
もうそういうのは終わりにしよっかなあ…。

アナウンサーの近藤サトさんが、避難用袋の中に白髪染めを入れている自分に気がついて嫌になり、それからきっぱりと止めたって言ってた。
彼女はまだ50歳になったばかりだと思うけど、
「若く見せようとするより、視聴者から「あの人も年を取ったわね。私も年を取るはずだわ」と見られればいいんですよ」
って言ってた。

若く見せようとする。

ここだね、わたしの捨てきれないところは。
でももうやっぱり止めよう。
還暦過ぎて、来年からは年金をもらうんだから。

ほんの3年間の毛染めだったんだけど、いっぱい考えさせられた。
きっとわたしの頭皮も髪も、この決定を喜んでくれると思う。
何度抜かれても歯を食いしばって生えてきてくれる、今はまだ短い白髪くん、染めたとこから先は真っ黒だけど、根本から数センチは真っ白な白髪くん、

虐待はもう終わり。
これからは大事にするからね。
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労働力を求めたつもりが、やって来たのは人間だった…

2018年11月09日 | 日本とわたし
「労働力を求めたつもりが、やって来たのは人間だった」

この言葉を今朝、どこかで耳にして、とても印象に残っていました。
ちょうど、外国人技能実習生の問題について記事を書こうとしていたので、心に留まったのだと思います。

この言葉が誰のものであるか、どういったことが背景になっていたのか、それを友人のsarahさんが教えてくださったので、ここに転載させていただきます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1473241834

この言葉は、スイスの作家マックス・フリッシュさんが、日記に書いたものだそうです。

http://www.sncweb.ch/dossiers/manani_de.htm

長所・短所、感情と夢を持つ人間は、これまでどおり、事実の背後に身を隠すものである。
マックス・フリッシュは、彼の日記のひとつにこう書いた。

スイスの経済は労働力を呼び寄せたのだったが、「人間がやって来た」と。

その言わんとするところは、イタリア・スペイン・ギリシャの「外国人労働者たち」が、工場で仕事を見つけたなら、それは雇用者の目的に適合したことだった。
しかし、移民たちは同時に、自分の文化とアイデンティティーを、(自国に)置いて来ないで、持ち込んだ。
働いている外国人たちは、スイスの環境の中で「目立つ」ようになり、その独自性で、周りに不快な印象を与えたのだった。

フリッシュの日記から50年、外国人の労働者人口、並びに居住者人口の状況は同様であるが、しかし異なってもいる。
今日では、スイスでパンと仕事を求めているのは、イタリア人と並んで、おもに旧ユーゴスラビア人、及びトルコ人である。

「外国人労働者たち」の出身地は、したがって隣国からやや東方ないし、南東にシフトした。
依然として、これにたいして、外国人たちは自分の文化やアイデンティティーに忠実に生活し、意見を述べている。
ちょうど1950年代のように、故国の政策はしばしば、(男女の)移民たちをその根から切り離している。
根っこが無いと、長期間にわたって木は繁栄しない。


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低賃金で過酷な労働を強いられる『外国人技能実習生』。
実習生の失踪は、年間7000人を超えています。

そんな実情をひた隠し、『入管法改正』などというものを成立させようとしている安倍政権。
技能実習生を食い物にする悪徳ブローカー、悪徳業者、悪徳企業を調べ上げ、まずそれらを一掃すること。
受け入れを担当する管理団体の仕切り直しも必要です。

ベトナム実習生12万人に対し、厚労省にベトナム語が話せる相談員はたったの一人?!
ベトナム以外の国から来ている人たちに対する態勢も、これを見る限り悲惨なものだと予想できます。
外国から人を受け入れるということは、その人のアイデンティティーや文化も受け入れるということです。
そういう態度は、受け入れてみて、何度も失敗をし、試行錯誤を重ねていっていくことがとても必要です。
そのためにはもっと丁寧に、時間をかけて、日本は練習していかなければならないと思います。




まず現実をちゃんと認め、検証し、精査し、時間をかけて話し合う。
そして受け入れ先の状況を整え、問題のある会社を一掃する。
そういう作業をすることなしに、臨時国会で通してしまうなど、言語道断です。



「いびつな政策の犠牲者」ベトナム人実習生らの相次ぐ死
【朝日新聞】2018年10月14日
https://www.asahi.com/articles/ASLBF53B0LBFUTIL00J.html

引用:

東京都港区にある寺院「日新窟」。
棚の上に、ベトナム語で書かれた真新しい位牌がぎっしりと並ぶ。
2012年から今年7月末分までのもので81柱。
この寺の尼僧ティック・タム・チーさん(40)によると、その多くが20、30代の技能実習生や留学生のものだ。
今年7月には、4人の若者が死亡。
3人が実習生、1人は留学生で、突然死や自殺などだった。


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昨夜、夕飯の支度をしながら、『予告犯』(邦画)を観ました。
予備知識などなく、ただユーチューブで無料で観られる映画だったからだったんですが、派遣社員、契約社員、金繰りのための内臓売買、日雇い労働者の過酷な現場、そしてネット社会の歪みなど、
わたしたちが直面している問題がたくさん盛り込まれていて、いろいろと考えさせられた内容でした。

上の記事に載せられている写真には、多くのベトナム人の若者の位牌が並べられていました。
その写真を見て、これは見過ごしていてはいけない問題だと強く思いました。





福島県郡山市の一軒家で、これだけの数の技能実習生らが、集団生活を送っています。


そして、3年前に技能実習生として来日し、実習先から逃走した、ベトナム人のカインさん(24)の話によると、


















契約書には、除染の文字はどこにもありません。






技能実習生として来日した彼らは、日本で技能を学び、母国の発展に生かそうという志を持っている人たちを、こんなふうに騙すなんて…。




例によって例のごとく、パンフレットは立派ですが、こんなのは政策でもなんでもなく詐欺です。

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外国人技能実習生が自ら語る日本での不当な労働実態



https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000140360.html


https://www.asahi.com/articles/ASLC855KKLC8ULFA02J.html
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