ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

二度ある失敗は三度ある?!

2023年11月25日 | 日本とわたし
昨日は感謝祭で、マンハッタンのダコタハウスの隣にある夫の両親のアパートメントに集合した。


すでにクリスマス仕様の車を発見🎄!


人はいろんなビルを建てたいのだな。


義父が亡くなって1年と半年が経ち、その間に感謝祭とクリスマス、そして今回の感謝祭を迎えたのだけど、義父が空けた穴の大きさはなかなか小さくならない。


しばらくここに来ていないなあ。

さて今回の失敗は、入れ歯ソケットの紛失である。
3月からこの方、インプラント治療の過程で使っている、あまり付け心地が良くない入れ歯を、ぽっかり穴が空いた前歯の部分に差し込んでいたのだけど、それをとうとう失くした。
なんとなく失くすんじゃないかなあと思っていた。
なぜなら、最近特に、扱いがぞんざいになってきていたからだ。
上顎とソケットの合わせがしっかりと調整されていないからか、はめた後もグラグラするし、舌で押したりするだけで簡単に外れてしまう。
食事時には外さなければならないので、付けたり外したりの繰り返しがかなり鬱陶しくなっていた。
いちいち大きなケースに入れるのも面倒になってきて、コソッと外してはティッシュで無造作に包み、それをポケットに入れたのを忘れて、慌てて探すことも何回もあった。
そろそろやらかすかもな、と思っていたら案の定やらかしてしまった。

マンハッタンからの帰り道、車の中でハッと気がついた。
あ、歯が無い!
口の中にもポケットの中にも鞄の中にも!
それからはアパートメントに残った義母や義姉一家に大迷惑をかけてしまうことになった。
彼らは、ゴミ箱からティッシュのゴミを全て抜き出して、それらを広げては確認したり、カウチの下や周りをくまなく探したり、あり得ないことだけど自分たちの鞄の中を調べてくれたりした。
ゴミ箱に捨てられたティッシュの塊なんて碌なものがないわけで、感謝祭が終わってホッと一息ついている時にそんな作業をさせてしまうようなことになった原因は、全てわたしのうっかりである。
自分の不注意で失くしたのだし、あと2週間もしたら治療の最終段階に入って要らなくなるので、もう探さないでくださいとお願いしたのだけど、そういう物が失くなった時の不便さを考えるとできたら見つけてあげたいと言う。
ああどうしよう、本当にもう十分だし、これ以上迷惑をかけたくないのに。
そこでハッと気がついた。
義姉一家の飼い犬ソニアは、ティッシュで遊ぶのが大好きだったことを。
わたしたちがダイニングテーブルで会食をしている時に、彼女はひとり遊びをしていた。
もしや…でも、もし彼女が遊んでいたとしたら、そしてかじったり飲み込んだりしていたら…また別の心配がムクムクと立ち上がってくる。
その入れ歯ソケットは、土台となっている部分が強化プラスティックで硬く、周囲が薄くて尖っている。
彼女がちゃんと噛み砕いていたらいいけれど、その尖った部分が彼女の内臓を傷つけたらどうしよう…。

いやはやまったく、再びの罪悪感に打ちひしがれている今日この頃なのである😭。
二度あることは三度ある、にならないよう、大晦日まで決して気を抜かないようにしなくては。
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ようやく肩の荷が下りました。

2023年11月22日 | 音楽とわたし
先日の生徒の発表会に出られなかった3人の生徒のためのサロンコンサートが昨日終わった。


3人とも週末は都合が悪かったので、3人のうちの2人がレッスンを受ける月曜日の午後に行うことにした。
3人とも今回が初めての発表会だった。
だからよけいに、広い舞台に立たせてあげられなかったことを申し訳なく思った。


先日同様、ソロとデュエットに分けて演奏してもらった。
3人と彼らの家族と輪になって、ピアノのことについて話をした。
練習のことをどう思う?と聞いてみたら、Aちゃんが「わたし練習大好き!」と言う。
うわぁ〜びっくりした。
このAちゃん、実はほんの3ヶ月前まで、うちに来るなり練習をしてこなかった(彼女曰くできなかった)言い訳話を始める子だった。
幼い弟が鍵盤を手のひらでバンバン叩く、おかあさんが仕事でいない、ピアノの部屋が寒すぎる(暑すぎる)、学校の宿題が多すぎる、友だちが遊びに来て時間がない…etc。
彼女は子守りさんがうちまで送り迎えをしてくれているのだけど、その子守りさんはうちに着くや否やスマホいじりに勤しむので、家での様子を聞くこともできない。
同じ曲を同じところで間違えて、前に進めなくなって止まる。音符の名前をどんな方法で教えても覚えようとしない。
う〜ん、本人にやる気が無いのなら、無理に通わせるのはいかがなものかと、親御さんに相談して本人と話し合ってもらったりしたが、本人がやめたくないと言うので仕方がない。
まあまた突然練習に目覚める時が来るかもしれないから待ちましょうと、家族や子守さんに伝えたのが3ヶ月前のこと。
それがどうしたことか、突然ニコニコしながら部屋に入って来て、言い訳話も無しに弾き始めようとするではないか。
わたしはびっくりして、思わず「ちょっとAちゃん、今日は話はないの?」などと聞いてしまうところだった。
彼女はスルスルと、それも楽しそうに弾き始めて、そのまま曲を丸々弾き終えてしまった。
そんなことはそれまで一度も無かったので、わたしは仰天して、「いやあ、いいねいいね〜」と喜んでハイファイブした。
その時の、彼女のちっちゃな手の平とわたしの手の平が作ったパチンという音が、まだ耳の奥に残っている。
それからというもの、彼女は毎週きちんと練習をして、やって来るようになった。
そうか、彼女は今や、練習大好きっ子になっていたのか。
おかあさんが、「この子はなんでも始まりが遅くて、だから誤解されて残念な思いをしたことが何回もあったんです。今回は根気強く待ってもらえたのでよかったです」と話してくれた。

Hさんは20歳で、エジプトからの移民で、大家族の4人兄弟の一番上で、9歳の弟の習い事の送り迎えをしたり、資格を取るために大学の授業を受けながら会社勤めもしているので、それこそ練習するのは本当に大変なのだけど、大学のピアノを借りたりして一所懸命に練習している。
彼女が頑張り屋さんだということは知っていたけど、ここまで忙しく、また大変な思いをして練習をしているとは知らなかった。

10歳のLちゃんは、ものすごく恥ずかしがり屋だけど体操クラブに通っていて、負けん気が強いらしい。
口数が少なく、褒めると照れてうつむいてしまうような子だけど、同じ失敗をしていることを指摘したりすると、涙をポトリと落とすこともある。
悔しかったんだな。
彼女もスロースターターで、頭や体が納得するまでに時間がかかる。
そんなこんなの、普段のレッスン時にはなかなか聞くことができない話をたくさん聞かせてもらった。

わたしからは、先日の発表会同様、ピアノの練習のことについて話をした。
ピアノはレッスンが始まると同時に宿題が出される。
当然、その宿題の練習がもれなく付いてくるので、このことをまず、習い始める前に、本人はもちろん家族も理解していないと続かない。
練習は面倒だし面白くないと思っている人が多いかもしれないが、練習することが当たり前になるとどんどん面白くなってくる。
ほんの少しだけど、何かが良くなってきている感じがするからだ。
あまりにわずかなので気が付かないこともある。
1日に1センチしか進めない、仲間内でも一際歩みが遅いカタツムリ。
1日の終わりに見る景色は朝とさほど変わらなくて、自分が進んだかどうかも怪しいけれど、それでもぼちぼち進み続けていって1ヶ月も経つと30センチも進んでいる。
カタツムリからしたら、30センチも進んだ周りの景色は別世界だ。
練習中には思い通りにいかなくてイライラしたり、進んだと思ったら間違った道だったりしたり、一歩進んで二歩下がるみたいなこともあって落ち込んだり、それはもうバラエティに富んだ毎日が続くわけだけども、それでもなぜか心の底ではワクワクしている。
このワクワクを毎日味わえるようになるとクセになる。
そうなったらもう練習は特別なものではなくて日常になる。
小さな子どもから大きな大人まで、他の誰でもない、自分がやったことで自分を幸せにできるってすごい。
そうやって練習することが当たり前になると、人生のいろんな場面で活きてくる。
なにしろ根気が良くなるし、今は見えなくてもゴールは必ずやってくると信じることができる。

まあ、ピアノに限らず楽器を演奏できるようになるっていいなと思う。
わたしはいろんな理由でピアノが弾けなくなった時期があるのだけど、代わりにクラリネットやマリンバやティンパニーやドラムを練習して、それなりに演奏できるようになった。
それぞれの楽器に独特の面白さがあり、難しさがあり、どれもが音楽に関わる幸せを感じさせてくれる。

枯葉にも音楽がつながっている。

この季節の風物詩、枯れ葉掃除屋さんがあちらこちらに出没する。

近所の大イチョウの木。



すっかり葉が落ちた木と、これからが紅葉本番の木と。



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秋のよもやま話

2023年11月20日 | 日本とわたし
秋もたけなわ、気温はぐんぐん下がり、空気はどんどん乾燥し、部屋の中では暖房と加湿のための機器が働き続けている。
通りを歩くとカサカサと、いかにも渇ききっているにふさわしい音が、どこからともなく聞こえてくる。
地面に積もって踏まれる落ち葉はともかく、枯葉は空から舞い降りてくるときにも音を立てるのだ。 

昭和のど真ん中に生まれたわたしの小学校時代は、秋は読書の秋だの食欲の秋だのと言われていたが、今時の秋はなんの秋なのだろう。
小さい頃から暇さえあれば本ばかり読んで、ろくに愛想もしないし手伝いもしない。
3歳下の弟の方がよほど気が利いて役に立つと、親戚から小言を言われ続けていたわたしだが、いまだに本を読むのは大好きだ。
ただし、紙の本は字が小さすぎて読みづらくなったので、今はもっぱら電子本ばかり読んでいる。
あのぺーじをめくる時の微かな空気の揺れや、指先をくすぐる紙の端っこの感触が懐かしくてたまらないけれど、背に腹はかえられない。
音符の本を読むのも好きだけど、こちらは拡大することはほぼ不可能で、だから最近は初見読みの能力低下にイライラさせられる。
今も新しい曲を練習しているのだけど、音符はともかく指番号が小さすぎて読めないので、その上にでっかい字で番号を書き込むのが日常になった。
こんなことをしなければならなくなるなんて、若かった頃は考えもしなかったなあ…。

今年の2月末に行われたオーケストラのコンサートで指揮をして、それまでの練習過程で無理を重ね続けた結果、1ヶ月もの間絶不調の毎日を送り、その後も以前の健康を取り戻せないまま毎日のレッスンに追われていた。
生徒の数がなぜだかどんどん増えて40人を超えてしまい、ありがたいことではあるけれど、毎日5時間以上もぶっ通しでレッスンをしていると、週末に少しぐらい休んだだけでは回復しない。
週末に何が用事があったり遠出したりすると、疲れ切ったまま月曜に突入する。
こんなことでいいのだろうかと思いながら時間はどんどん過ぎて、またコンサートの開催日が近づいてきた。
色々と悩み、考え、迷い続けたが、思い切って根幹になる物事以外を自分から外すことにした。
長年に渡り担ってきたACMAの役員を辞退し、オーケストラのアシスタントコンダクターも辞退した。
それまで自分にとってものすごく意義があり、少々のことでは手放せないと思っていた(というより執着していたと言う方が正しいのかもしれない)物事が、いざ自分の健康と天秤にかけてみると、潔すぎるくらいに切り離せてしまった。
もうやりたい気持ちだけではできないのだなあと、しみじみ思う。
これからは生徒の数も、積極的に減らしていくつもり。
ピアノは、練習をしない、あるいは物理的な理由でできない人には向かない習い事なので、そういう状況にいる生徒と親御さんにきちんと話をして、継続か否かを決めてもらうことにした。
引越しで来られなくなった人が2人、練習をしたくてもできない人が2人、まだピアノを習う環境ではない人が1人、練習が嫌な人が1人、合計6人の生徒が辞めた。
と思ったら、練習はちゃんとしますからと、2人の生徒が新しく入ってきたので、状況的にはあまり進展は見られないけれど、これからは誰も彼もというふうには考えないでいこうと思っている。

わたしの周りでそんな小さな変化風が吹いている間に、仲間たちの演奏会がすみやかに行われた。
昨日の土曜日は、そのコンサートを聴きにカーネギーホールまで出かけて行った。


一部がオーケストラで、モーツァルトのクラリネットコンチェルトと指揮者のクリストファー氏自身の作品が演奏された。


二部はACMAのメンバーのソロとアンサンブル演奏だったのだけど、メンバーのほとんどが知らない人たちで、しかもアマチュアとは思えない演奏揃いで驚いた。
もちろんオーディションで出会っているはずなのだけど、ここにも転換期が来ているのだなあと強く感じた。
中には2017年のショパン国際ピアノコンクールと、同年のラン・ラン深圳福田国際ピアノフェスティバルのコンクールで第1位を、さらに2018年の若いピアニストのためのラフマニノフ国際コンクールで第2位を受賞した、という人もいた。
そんな強者がゾロゾロの会員数3500人という大所帯になったACMAは、これからどんなふうに変化していくのだろう。



おまけ写真
マンハッタンの風物詩、マンホールの煙


コンサートは3時間近くにも及んだが、ちっとも長く感じなかった。
おめでとう演奏者のみなさん!
素敵な演奏をありがとう!
わたしも次のオーディション目指して頑張ります!
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この映画をぜひ観てほしい!『Silent Fallout・サイレント・フォールアウト~乳歯が語る大気汚染~』by 伊東英朗監督

2023年11月19日 | 世界とわたし
明るくて温かくてひまわりのような友人ゆかさんが紹介してくれたこの映画のトレーラーを観て、久しぶりに、深くて冷たい枯れ井戸の底で、膝を抱えているような気持ちになりました。
映画のタイトルは『Silent Fallout・サイレント・フォールアウト~乳歯が語る大気汚染~』、元幼稚園の先生&テレビ局ディレクターの、伊東英朗監督の作品です。
この作品は、先日のハンプトン映画祭に引き続き、昨日はセントルイス映画祭で上映されましたが、また配給会社が決まっておらず、上映がままなりません。

ゆかさんが自身のFacebookに載せたメッセージと写真をお借りして、わたしなりに紹介させていただこうと思います。

映画「Silent Fallout』予告編
















































『神奈川新聞』


引用はじめ:
日本は唯一の戦争被爆国と言われるが、米国ではネバダ核実験場で100回もの大気圏内核実験が行われた。
本番も実験も同じ核爆発と考えると、米国は凄まじい『被爆国』。
それも自国によるオウンゴールだということを米国民は知らない。

『デイリースポーツ』

アレック・ボールドウィン“ノーギャラ”ナレーション 伊東英朗監督あぶり出す米の放射能汚染

引用はじめ:
作品であぶり出された放射能汚染の実態は、米国人のボールドウィンにも衝撃を与え「自分は、この事実を知らなかったが伝えないといけない。できることは何でもやる」との言葉ももらったという。
実際に頼もしい理解者の尽力もあって、ハンプトン国際映画祭での特別上映が決定。
上映後のシンポジウムには一緒に登壇することになっている。  
(まうみ注・セントラル映画祭ではこれが2回目の上映、そしてハンプトン国際映画祭が10月に行われ、ボールドウィン氏が登壇してくださいました)
伊東氏が核実験による被曝問題に取り組み始めて19年。
愛媛・南海放送のディレクターとして数々のドキュメンタリー番組、映画を製作し、上映活動も行ってきたが、
「何も変わらなかった。福島(第一原発事故)が起こっても何も変わらない」。
ジレンマを抱え、出した結論が「核の問題の本場である、アメリカでうねりを作ること」。
米議会を動かし、日本に波及させることが目指すところだ。


『週刊金曜日』田中優子氏

ゆかさんの記事


河野洋さんの記事

引用はじめ:
映画監督でありTVディレクターである伊東が2004年から追い続けているテーマがある。
それは、原爆、原発、核、水爆実験などと切っても切り離せない放射線だ。
1942年から始まったマンハッタン計画は45年の原爆投下に繋がり、続く核実験、54年のビキニ環礁水爆実験で被曝した第五福竜丸は氷山の一角で、62年にかけて米国や英国が太平洋で行った水爆実験の数々で被曝したであろう日本人たちは数知れない。
このテーマを追い続けているのには理由がある。
ビキニ事件における放射線の被害を調査し、報道を続けている人が他にいないからだ。
「僕が止めてしまうと、この調査はストップしてしまいます。放射能がいかに私たちの生活にとって脅威であるかということにみんなが気がついて、事実を突き止めようと動き出してくれる人が出てくるまで、僕がやるしかないと思っているのです」

伊東は元々、奏者になることを夢見てトランペットを演奏していた。
養護学校で音楽を教えたかったが、それが実らず、就いた仕事は幼稚園の先生。
映像について勉強をしたこともない伊東は、映画監督になるとは夢にも思っていなかった。
「もともと、僕は子供たちに教えることが好きで、幼稚園の先生を16年やっていました。いわゆる公務員です。40歳の時、教育委員会への異動が決まり、現場で教えることにこだわっていたので、退職届けを出しました」
自称「変な人」を名乗るように、幼稚園教師から映画監督になった人間は世の中に数えるほどしかいないだろう。


【日本語字幕付き】Oppenheimer / オッペンハイマー 予告編2

日本ではまだ上映されていない、もしかしたら上映されない可能性もある(どうしてなのでしょう?)という映画『オッペンハイマー』。
この映画は、『原爆の父』と言われた物理学者、オッペンハイマーの生涯を描いたものです。
彼は、第二次世界大戦時の核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」を主導した理論物理学者です。

*「マンハッタン計画」
アメリカ、イギリス、カナダが主導となり行われた核兵器開発プロジェクト。
科学者や技術者たちが、原爆開発のために、ニューメキシコのロスアラモスに総動員された。
オッペンハイマーは、ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され、化学部門のリーダーを務めた。

彼が41歳だった1945年の7月16日に、アメリカにおいて、人類史上初の核実験『トリニティ実験』が行われ、それから21日後の1945年8月6日に、広島に原子爆弾(通称リトルボーイ)が、そしてその3日後、長崎に原子爆弾(ファットマン)が投下されたのでした。
彼は、原爆投下後の惨状を目の当たりにして、自らが犯した過ちの大きさに気づきました。
その後、原子力委員会(AEC)のアドバイザーとなり、核兵器の国際的な管理を呼びかけ、水爆をはじめとする核開発に反対の意を示したため、マンハッタン計画で研究を共にしたエドワード・テラー「水爆の父」と対立するようになります。
そして原爆投下から9年後、彼が50歳になった年に、「ソ連のスパイである」との容疑をかけられ、オッペンハイマー聴聞会が開かれ、スパイに仕立て上げられてしまいました。
アイゼンハワー大統領は、大統領命令として、オッペンハイマーを一切の国家機密から隔離、政府公職追放を決定します。
それから後は、国家機密を漏洩する可能性を持つ危険人物と断定され、FBIによる尾行や盗聴など、晩年まで厳しい管理下に置かれました。

伊東監督がこのオッペンハイマーの遺族にインタビューをした時のエピソードが、facebook上に書かれていました。
「15年前、ボストンで、オッペンハイマーの遺族をインタビューしたことを思い出す。
2008年、タフツ大学で上映された僕のドキュメンタリー番組を見た、ハーバード大学の教授から突然「遺族にインタビューする気はないか」と声をかけられ、急遽、大学内でインタビューすることに。
当時、オッペンハイマーや原爆開発の背景把握が十分でなかった僕には、インタビューはかなり重荷だった。
彼が何を語ったかは、今、軽はずみに言えるものではないが、当時80代だった彼の言葉や表情は忘れらない…」

実は、わたしが住む町の、それこそ歩いて数分のところにある隣町の通り一帯が、マンハッタン計画と深く関連していたらしく、どなたかの引越し手続きの過程で地面を深く掘り下げたところ、とんでもなくひどい汚染が見つかり、慌てて大規模な除染をしたらしい、という話を聞いたことがあります。
それほど前の話ではありません。
なので「マンハッタン計画」はとても身近に考えられる現実のものなのでした。
そして…アメリカ大陸に落とされた100発もの原子爆弾…。

伊東監督の映画を観ると、戦争という世にも愚かな行為は、その場で繰り広げられる人や暮らしや自然の破壊だけでなく、その前後にも悲惨な破壊が伴うものなのだと、しみじみ考えさせられます。
わたしを含む、平坦で安全な暮らしを与えられている者たちは、戦争という事件は他人事で、胸を痛めることはあっても実際に傷つけられて血を流したり、空から降ってくる凶器に怯えることもありません。

たかを括っている間に、危険は突然空から襲いかかってくる。
たかを括っている間に、危険は地の底でとぐろを巻いて機を狙っている。
たかを括っている間に、危険は生き物や自然の命をジュクジュクと蝕んでいく。

核兵器の空気汚染は、その最たるものの一つだと思います。
だから伊東監督は、膨大な資料と格闘し、忍耐強く精査し、コツコツと拾い集めた事実を元に映画を作り続けておられるのだと思うのです。

この映画が、少しでも多くのみなさんの目に、胸に、入り込んでいくことを心から願っています。
オンライン上映会などのアイディアや強力なツテがある方はぜひご一報を!
よろしくお願いします!
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45周年記念・仕切り直し発表会

2023年11月15日 | 音楽とわたし
ピアノ教師を生業にしてから45年目の、大ボケ大失敗で大勢の人たちに大迷惑をかけた日の翌日に、仕切り直し発表会を行った。

11月11日土曜日の午後1時10分、お寺の駐車場で始まった恐怖のドタキャン顛末を、今も思い出すたびに背筋が凍る。
1時10分、15分、20分、じりじりと時間は過ぎていくのに、目の前の建物は巨大な棺のように冷たく微動だにしない。
そうこうしている間に、がらんとしていた駐車場に次々と車が入ってくる。
当然だ。
予め送っておいたメールで、当日舞台のピアノを試し弾きしたい人は早めに来るようにと伝えてあったのだから。

どうしたの?
それが…なぜだかわからないけど、建物の中にまだ誰もいないんです。
なので寒いから車の中で待っていてください。

そんな応答を何度も繰り返しながら、夫とわたしはなんとかして責任者と連絡をつけようと必死になっていた。
思いつく限りの関係者に連絡をし、向こうからの返事を待った。
午後2時20分、結局、発表会は日曜日に延期しなければならないことになり、わたしの体は小刻みに震え始めた。

一体どんな顔をしてこの決定を伝えればいいのだろう。
混乱し、失望し、激怒し、恐怖に苛まれて、わたしの顔はかなり引き攣っていたのだろう。
生徒たちが乗っている車に近づくだけで、何を言い出すかを理解したようだった。
みんな、口を揃えたように、わたしたちのことは気にしないで、こういうことは起こるものだ、また明日会いましょうなどと言って、誰一人わたしを責める人がいない。
そのうちに、日曜日になると出られません、という生徒が現れ始めて、それが4人になった時、もうたまらなくなって泣いてしまった。
延期のせいで聴きに来られなくなった親御さんや友だちも、とてもがっかりしていた。
しかもその人たちは、車で2時間ほどもかけてやって来てくださった人たちだった。
申し訳が無さ過ぎて、愚か過ぎて、取り返しのつかないことをしてしまった自分が情けなく恥ずかしかった。

最後の生徒に伝え終わる頃には、頭の中はボワボワに膨れ上がり、耳の奥では針金のようなものできつく縛り上げられた心の悲鳴が響いていた。
お寺から家に戻り、みんなにお詫びのメールを書き、出られなくなった人たちのことを思ってさめざめと泣いた。
どうしようもなく辛くて、どうしようもなく腹立たしかった。
それでも明日は仕切り直しをしなくてはならない。
そのためだけに食べ物を口に入れ、なんとか頑張って眠った。

日曜日の朝、瞼は腫れ上がり、耳鳴りはしつこく続いていて、起きているだけで気分はボロボロだった。
前夜もたくさんの親御さんから、慰めや励ましのメールをいただいた。
そして翌日の朝もまた、メールが何通も送られてきた。
「気分はどう?昨日は本当に辛そうだったので心配してる」
「昨日、わたしが夫から中止の知らせを聞いた時、一番に先に言ったことは何かわかる?『まうみはどこ?彼女は大丈夫?生徒の親として、ちょっとしたプランの変更よりも、まうみの心の傷の方が心配』だったんだよ」
「今日はいい天気だし、生徒たちは音楽を完璧に仕上げるために、1日余分に時間が取れた」
「昨日は話をしにわざわざ来てくれて、子どもたちを励ましてくれて、素晴らしい先生でいてくれてありがとう」

また切なくなって少し泣いて、気持ちを切り替えた。
昨日話すはずだった挨拶文を変え、もう一度楽譜のチェックをし、昨日と同じ服に着替えて出発した。
空はよく晴れて、終末を迎えた紅葉が美しい。
今日弾くことができなくなった人たちは、今頃どうしているかな?どんな気持ちでいるかな?などとふと考えてまた涙ぐむ。
いけない、今は発表会の仕切り直しに集中しなければ。
再び午後1時10分、お寺の駐車場に到着。
建物の中の灯りにホッと一安心する。
警備員が二人、会場整備係が一人、去年と同じ顔ぶれだ。
会場のライトの調整、飲食物を置くテーブルのセッティング、ピアノの位置の確認、お花とトロフィーの設置などをやっているうちに、試し弾きをしに生徒たちがやって来た。
2時半、発表会開始。
「昨日、すっかりしょげていたわたしに、夫がこんなことを言ったんです。『人間は失敗をする。だから失敗してもいいんだ。だけど失敗しても立ち止まらず、気持ちを立て直して前に進む。それが大事』」
「うーん、それ、どこかで聞いたことあるなあ」
「そりゃそうだろうよ、発表会が近づくといつも生徒たちにそう言って励ましてるじゃん、前に進め、弾き続けろって」
即席自虐ギャグ、大ウケした。

みんな、堂々と、表情豊かに、普段よりもぐんと大きなフルコンサートグランドピアノを演奏した。
ソロもデュエットも、興奮と幸せに満ち溢れていた。
けれどもプログラムで読み飛ばされる4人の生徒たちを思うたび、胸がきゅっと痛んだ。

見ず知らずの、昔はプロのピアニストだったという年配の女性が、「あなたの生徒たちの演奏を聞いただけで、あなたがどんなに音楽を愛して丁寧に教えているかがよぉく分かる」と、両手でわたしの手を握り、何度も誉めてくださった。
「どんなに小さな子どもでも、どんなに初歩の曲でも、表情がとても豊かで美しい。それに、あなたがすべての生徒たちと一緒に連弾をしてあげるという企画も素晴らしい」
ううむ、ここまで誉めてくれなくても…もしかしてこの方は、45年頑張ったで賞を渡しに、音楽の神さまが連れてきてくださった方なのかな?

発表会は、今回でわたしの生徒ではなくなってしまう8歳のRくんとの連弾で終わった。
Rくんは3歳半からピアノを習い始めた。
やんちゃで体がうずうずして、最初のうちは15分もピアノの前に座っていられない子だったけど、とにかくピアノを弾くのが好きで好きで、あれよあれよという間に上達した。
この4年半の間にコロナ禍があり、彼が大っ嫌いなバーチャルレッスンが2年も続いた。
15分が20分に、そして30分が45分に、さらに1時間のレッスンになる頃には、初見の能力がとても高くなり、小さな手でかなり難しい曲を弾きこなせるようになった。
やんちゃで落ち着きがない性格はそのままで、教えている間に何度もキレそうになったけど、こんなに急激に上達する子は珍しいので、どこまで成長するのかがとても楽しみだった。
けれども彼らがプリンストンに引っ越すことを決め、わたしはRくんを手放さなければならなくなった。
彼は発表会のスターで、誰もが彼の上達に目を丸くして驚いた。
今回は彼のラストステージなので、彼をプログラムの最後に持ってきて、ショパンの軍隊ポロネーズを連弾で弾いた。
彼の、まだ小さな手を見ながら弾いていると、いろんなことが思い出されてきて胸が熱くなった。
彼はプリンストンでミュージカルの伴奏を担当したり、大学が設立した子どものための英才クラスで学ぶことになっている。
どちらもオーディションを受けて合格したらしい。
がんばれRくん、そしてありがとう、わたしの生徒になってくれて。

というわけで、大失敗は大成功で終わった。
みんなのおかげだと思う。
本当に感謝だ。
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45年目の大失敗

2023年11月12日 | ひとりごと
こんなこと恥ずかしくて書けないと思ったけど、こんなことだからこそ書かないとって思う。

今日は生徒たちの発表会が行われるはずの日だった。
いや、正確に言うと、わたしがそう思い込んでいた日だった。

10月の中旬に提出した契約書に書いたとおりの時間に、会場であるユダヤ教のお寺に行った。
けれどもなんだか様子がおかしい。
やけにしんとしていて、人っ子ひとりいない。
ユダヤ教では金曜日の日没から土曜日の日没はシャバスと呼ばれる安息日なので、もしかしたらそれで来ないのかも、などと夫が言う。
いや、そんなことを今頃言われても…それに去年もここでやったけど、その時も11月の土曜日だったのだ。
しかも、契約書にも、10月にやり取りしたメールでも、わたしは一貫して11日と記入してきた。
ほら見て、と夫の目の前に携帯のメール画面を突きつける。
なるほど、じゃあ遅れてるのかもな。

とりあえず、うちから持ってきた高さを調節できるピアノ椅子とペダル台を車から下ろした。
休憩時用の飲み物とスナック、それから記念トロフィーや花束なども入り口近くに運び終え、もうあとは中に入るのみ。
けれどもいくらブザーを押しても返事が無い。
モヤモヤと嫌な予感がわいてきた。
前に一度だけ、うちから歩いて行けるところにある教会を借りた時、事務局と当日の係の人たちとの連絡がうまくついていなくて、もう少しで中止になりそうだったことがあったのだけど、その時はその教会の前をたまたま通りかかった内輪の人が、慌てて連絡をしてくれて事なきを得た。
今回の場所は、そんなふうに内輪の人がたまたま前を通りかかるような場所ではなく、とにかく誰かが来てくれないことには始まらない。
生徒や親御さんたちがどんどんとやって来る駐車場の一角で、夫とわたしはなんとかして責任者と連絡をつけようと足掻いていた。
結局、リサイタルは明日という予定を組んであるので今日は無理です、と言われてしまい、わたしは動転するやら腹が立つやら。
でも仕方がないから、来る人来る人に謝りながら明日への延期を伝えた。
今日のために都合をつけたのだから、明日は来られなくなる人が当然出てくる。
今日のために本当に頑張って練習してきたのに、明日になっちゃったから弾けない人が数人いる。
ものすごく遠いところから、友人や家族を乗せてやって来てくれた人たちがいる。
猛烈に申し訳なくて、猛烈に腹が立って、猛烈に悲しくて、頭がどうにかなってしまいそうだった。

ようやく連絡がついたオフィスマネージャーに、だからわたしは噛みついた。
どうしてくれるんだと猛烈に抗議した。
そしたらなんと、6月に日時を決めた時は、12日になっていたと言う。
そのメールのやり取りが送られてきて、わたしはそれらを唖然として読みながら、それでは一体いつ、わたしの頭の中で11日にすり替わっていたのかを知りたかったのだが、どこをどう探しても見つからない。
でも、先月の18日にお寺に送った、契約書の提出についてのメールは、そもそもタイトルからして『11月11日のリサイタル』だったし、メール中の文章にも一貫して11日と書いてあった。
そしてその後に提出した契約書にも、当然11月11日と記入した。
その時に、何言ってんですか、こちらのスケジュールには12日となっていますよ、と言ってくれてたら…というのは責任転嫁なのだろう。
悪いのはわたしだ。

というわけで、ピアノ教師を生業にしてから45回目の発表会で、わたしは大失敗をやらかしてしまった。
もう本当に穴があったら入りたい気分だけど、明日は今日の分も頑張らねば、わたしの大ボケのために大変な目に遭った人たちに申し訳が立たない。
出られなくなった人たちには申し訳なんて全く立たない。
その人たちは来週末にうちでサロンコンサートを開いて、今日のために用意したドレスを着て弾いてもらうことにしたけど、それを考えただけで涙ぐんでしまう。

生徒の親御さんたちから続々とメールが送られてきて、帰りにアイスクリームを食べに行って楽しく過ごした、練習する時間が増えてよかった、時にはこんなことが起こるのが人生だ、わたしたちよりまうみが辛い思いをしているはずだ、明日はめっちゃ楽しもう、今日より以上に応援する、などと優しい言葉をかけてくれて、またまた涙ぐんでしまう。
ごめんねみんな。
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#CEASEFIRENOW! MAIL STORM ACTION イスラエルへ停戦を求めるよう、直接首相官邸にメールを送ろう!メールデモのお知らせです!

2023年11月09日 | 日本とわたし
これはニューヨーク在住の友人Wさんが立ち上げたメールデモのお誘いです。
首相官邸のホームページに、日本時間の金曜日午前11時から午後1時までの2時間に、皆さんがいらっしゃる場所から一斉にメールを送るメールデモです。

彼女からのメッセージを紹介します。
『一向に止むことないイスラエルによるガザへの空爆。
日々、無辜の赤ちゃんから老人まで殺されています。
これを止めるには「ceasefire停戦」しかありません。
しかし、我が国日本を含む数か国は「停戦」とは言いません。
「pause一時休止」を言うばかりです。
イスラエルに至っては、それさえ必要ないと言っています。
日本政府が「停戦」と言わない限り、日本も虐殺に加担していると同じ事、他国の事ではありません。
大それたことは出来ないけれど、家からでも出来るプロテストがあります。
首相官邸に意見のメールを送ることです。
首相官邸HPから誰でも送れます。
それを同時刻に皆で一斉に送って、「国民感情を知らせよう」という趣旨のイベントです。
どうかウェブリンクからご意見ページを開いてご記入、送信をお願いします。
皆様のご参加をお待ちしています』

*英語人の方々へ
リンク(https://www.kantei.go.jp/jp/news/index.html)を開き、画面の左上の🌐のマークをクリックすると英語訳を選択できます。
その後、右上の『Contact us』をクリックすると、メールを書いて送ることができます。

1日も早く、こんな愚かで惨たらしい虐殺が停止するよう、大勢の皆さんの参加を願っています。


というわけで、こちらの友人たちや親族にも送りました。
Dear my friends and sister-in-law,

I am aware that you are fiercely busy people. I am also in a situation where that is not the case, but I emailed you because I want to introduce something to you.

This is an invitation to an email demonstration started by a friend who lives in New York City. This email demonstration will be sent simultaneously to the Prime Minister's Office website from where you are located during the two-hour period from 9:00 p.m. to 11:00 p.m. tomorrow on Thursday evening, U.S. East Coast time.

Here is her message.
The Israeli bombing of Gaza has never stopped. Every day, innocent babies and old people are being killed. The only way to stop this is a "ceasefire." However, several countries, including Japan, do not say "ceasefire. They only say "pause." Israel says even that is not necessary.
Unless the Japanese government says "ceasefire," Japan is just as much a part of the genocide as any other country.
We can't do anything significant, but there are protests we can do from home. You can send an e-mail to the Prime Minister's Office. Anyone can send an email from the Prime Minister's official website.
This event aims to "let the public know how the people feel" by sending them all together at the same time. Please open the opinion page from the web link, fill in the form, and send it to us.
We look forward to your participation.


You can send your opinion directly to Japan's Prime Minister's Office.
Open the link(https://www.kantei.go.jp/jp/news/index.html), and click on the globe symbol 🌐 in the upper left corner of the screen to select an English translation.
After that, click on "Contact Us" in the upper right corner to write and send an email.

I hope you will join me in calling a halt to such a foolish and disastrous slaughter as soon as possible!
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あと3日で発表会

2023年11月08日 | ひとりごと
どこの花屋さんに行っても見つけられなかった葉牡丹を、近所のホームセンターで見つけた。
月一でうちに来て、あちらこちらの不具合を修理してくれている何でも屋さんと一緒に、夫の漢方薬の収納棚を作るための材木を買いに行った時のことだ。
でも、プラスチックの鉢にはケールと記されていて、わたしがいそいそとカートに入れていると、それって食べられるの?と聞いてきた人が3人もいた。
確かにケールではある。もしかしたら食べられるのかもしれない。
けれどもわたしにとっては懐かしの葉牡丹であり、ちょっと派手目の姿のものも葉牡丹もどきであると強引に決めつけて購入した。
春からずっと楽しませてくれていた鉢植えの、弱った草花を引っこ抜き、空いたところに葉牡丹を差し植えした。
なかなかいい感じである(自画自賛丸出し😅)。

今年のハロウィンのトリートはこんな感じ。ハーシーズチョコレートのミニ版詰め合わせを買っておいた。
やって来たちびっ子たちから、こういう大きめでちゃんとした(どういう意味だろう?)のをくれてありがとう!とお礼を言われた。
小さくてちゃんとしていない甘い物をイヤイヤながら受け取る…ちびっ子たちも大変だな。


これは、便利屋さんが作ってくれた漢方薬棚第二号。

ここは夫が仕事場にすると言ってから、すでに◯◯年も経った2階の一室である。
台所の棚を作ってもらった時もそうだったけど、木の良い香りがふわふわと漂っていて、2階に上がるたびになんともいい気分になるのだが、さすが110歳の家らしく壁が波打っているわ、床が傾いているわで、作業のいちいちがかなり大変そうだった。

さて、これは一体なんでありましょう。

発表会の終わりに、よく頑張りましたで賞のトロフィーを渡すのだが、今回のトロフィーの底に『Made in China』というシールが貼られていて、こちらにもいる『Made in China』アレルギーの親御さんのことを考慮して、シールを剥がすことにしたのだけど、このシールがまた厄介で、爪でゴシゴシ擦っても糊がベッタリついたまま、というタイプだった。
なので粗方を剥がし、糊の跡を消しゴムで擦り取り、テープで細かい屑を拾い、仕上げに布でゴシゴシ拭くという作業を延々とし続けた。
発表会の準備には、そりゃ色々な類の作業があるけれど、時間の余裕さえあればこういう単純作業は嫌いではない。時間の余裕さえあれば、ね。

2時間近く離れたところからはるばるやって来てくれる生徒さんが、花がよく咲くようにと、帰り際にチャチャっと選定してくれた菊が、彼女が言った通り庭中で笑い咲いている。

こちらはいつ植えたかも覚えていない菊さん。

夏の間はミントの森に埋もれていた孔雀さんが姿を現した。

落ち葉を放ったらかしにしている我が家では、森の中のハイキング気分を満喫できるので、期間限定ではありますが、お好きな方はどうぞいらしてください。


夏過ぎからほとんど無視していたソメイヨシノ姉妹の様子がなんだかおかしい…近づいてみると、


あまりの惨状に呆然と立ち尽くすしかなかった。
なんでこんなになるまで気がつかなかったのだろう。
痛かっただろうに、ずっと助けを求めていただろうに、わたしは部屋の中からぼうっと眺めていただけで、めくれた樹皮の色の変化にさえ気がつかなかった。
姉妹は空と海の爪研ぎ場にされてしまっていたのだろう。
今年の春に、それまで鹿避けに張っていた金網を外したからで、鹿の害ばかりを考えていた自分を責めたのだけど後の祭りだ。

もう元には戻れないだろうけど、これ以上痛い思いをさせないように、遅まきながら、そして不十分ながら、とりあえず応急処置をした。


その痛々しい姉妹の近くで年々大きくなってきた雑木だが、可愛い花と実をつけるので、毎年どうしたものかと思案している。


菜園を覗くと、なんとまあ、小松菜やアルゴラ、そしてシシトウや茗荷が頑張ってくれているではないか!

さすがに張りには勢いが欠けるものの、前日の夜は0℃にまで気温が落ちたのにこの姿。ありがたやありがたや。

金網の夏の名残。

ただただだだっ広い近所の公園。




ちっちゃなコンダラを見つけた。

ずっとずっと何回レッスンをしても一向に進歩がなかった高校生の生徒が、とうとうのとうとう弾けるようになってきた。
ここに来るたびに次はきっとちゃんと弾けるようにしてくると言って、けれども次に来た時に全く同じところで弾けなくなって止まってしまう子だった。
それも最初の3小節目で…。
2週間前に、もうこれでは無理だ、連弾の曲は諦めてソロの曲だけに集中しようと、ほとんど懇願に近い気持ちで話しても、いや、絶対に両方とも弾きたいと言って聞かない。
弾けるはずの子がいつまで経っても弾けないという謎のもやが頭の中でじわじわ増え続け、それは心にまで入り込んできた。
このままでは発表会までにこちらが参ってしまうと思い、両親にこれまでの一部始終を伝えるメールを書いて送った。
父親は特に音楽に関心があり、娘の教育にも熱心な人なので、彼自身もずっと心配して彼女を説得していたようだった。
そして彼は、わたしが全く知らなかったことを話してくれた。
彼女はマーチングバンドと学校主催の特別プロジェクトに参加して、その練習や準備、そしてフットボールの試合応援にずっと時間を取られていたらしい。
単純にピアノを練習する時間などほとんど無かったわけだ。
でもその練習や準備も、先週の土曜日で全部終わるので、彼女は100%発表会の準備に携われるはずだ、と父親は言う。
ふむ…。
どうして彼女はそのことをわたしに一言も話さなかったのだろう。
話したら最後、そんな状態だったら2曲は無理だから、どちらかを選ぶか発表会自体をキャンセルしなさいと言われると思ったからだろうか。
深々とため息をついて、父親と本人にメールを返した。
明日の日曜日から発表会の土曜日までの6日間、ここに毎日来ることはできますか?

日曜日の朝に1時間半、父親と一緒に来てもらい、ダメもとでレッスンをした。
父親はわたしが言う言葉をパタパタとノートパソコンに打ち込み、わたしの演奏を聴くとどんなに違うかを娘に力説した。
「まうみの音からは歌声や感情がじんじん伝わってくるけど、あなたのはただ鍵盤を叩いているだけに過ぎない」などと、きついことを言うのでちょっとドキドキした。
とにかく真似っこでもいいから、明日の月曜日の夜までに良い結果を出して見せてと言って帰した。
翌日の月曜日、なんと彼女はほぼ、どちらの曲も弾けるようになっていた。
聞くと、月曜日は学校を休み、父親と一緒にスタジオにこもり、朝から晩までひたすら練習したそうな。
そこまでしなくても、と思ったけれど、父娘で話し合って決めたらしい。
そして昨日、やっと曲想のこと、フレーズのこと、鍵盤タッチのことなどを伝えることができた。
今日も彼女はやって来る。
「もうこんな無茶は二度と嫌だからね」と苦笑いで言うと、彼女も苦笑いしながら「うん」と言った。
舞台でいい演奏ができますように。
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