ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

とりあえずひとまず終わったぞ〜!

2021年09月10日 | お家狂想曲
1時間に80ミリを超える大雨が降り、あちこちで洪水が起こったのは9月1日の夜のことだった。
そして翌日2日の午前3時過ぎに停電になり、16時間後の夜の7時過ぎに復旧し、3日には仕事を再開することができた。
突然大きな池ができたみたいだったあの大量の水は、翌日の朝には一体あれは何だったのよ〜と叫びたくなるほどすっかり引いていて、残ったのはしっかりと改装されていた地下室の水(1メートル超え)だけだった。
うちの地下室は1906年に建てられた時のままで、床や岩壁の間のセメントもボロボロと砕けてる所だらけで、だからからか汚水が勝手にどこかに引いていってた。
まるでこんな事態が起こると分かっていたかのように、5日から4日間、夫とわたしは夏の最後の休みを取っていて、しかも天気も上々だったので、仕方なく片付けを始めることにした。
記録のために残しておきたいので現場の写真をいろいろと載せようと思っているのだけど、なにしろフランケンシュタインが台の上で寝ていてもおかしくないほどの不気味で汚い地下室なので、食事中の方は気をつけてください。

まずは卓球台の下に敷いていた(いつか夫が合気道を教えるときに使おうと思いながらずっと使わずにいた)ゴム製のマットを、水洗いしてから消毒することにした。

うちの地下室は50センチほど浸かった。
なのにこの温水器が普通に動いてくれるのはどうしてなのだろう…もちろんありがたいのだけど。

壁やスピーカーの色が濃くなっている部分が浸かったので、このバーナーも4分の1ほど浸かってしまったのだけど、電気系統は全てその少し上にあるので、ガス会社に来てもらって点検してもらうことにした。
去年やっとオイルからガスに切り替えたセントラルヒーティングのバーナーなので、これが動かないまま冬が来たら凍死してしまう。


この壁も濃い色の部分が浸かった。

ひとまずいつの間にか色々と置いてしまっていた物を地上に運び出していく。

もう限界まで作業して、汗まみれになって、シャワーを浴びて腹ごしらえに。

片付け2日目。
浸かったけれど洗ったらまた使えそうな物を洗う。

地下には物が無くなったので、壁と床洗いを始める。
実はこれが今回の作業の中で一番大変だった。



今回の掃除で一番活躍してくれた掃除機。




家の前はゴミの山。


片付け3日目。
疲れが溜まってきた。
けれども晴れの日の最後なので、なんとしてもこの日に終えないといけない。
ずいぶんと乾いてきた。



上の息子の愛車MIYATAの修理のための道具置き場もなんとか片付いた。


もうそろそろ限界だ〜…というところで終わりが来た。
雨の日が2日続いたので地下室の掃除は休憩して、足りなくなった物の補充や、1階と2階の床拭きをした。
そして9日の今日、新学期のレッスンが始まった。
来週からはフル活動だ。
45分レッスンの人が半数近くになったので毎日7時近くまで教えるし、土曜日の午前中は丸々レッスンで埋まってる。
この夏、6〜7歳の子どもが10人、20代の黒人男性が2人、新しく入ってきてくれた。
なぜこんなに急に増えたのかはわからないけど、それぞれの夢や願いが叶うようお手伝いができたらいいなと思う。
今のところは全員対面で教えているけれど、約80万人が暮らすうちの郡の今日の新規感染者数は251人、死者が2人出ている。
ちなみにニュージャージー州の人口は約880万人。
80万人の人口は、日本で言うと佐賀県や山梨県に相当する。
両県の新感染者数は30人前後なので、やはり比べるとこちらの方が断トツに多い。
まあ、ニュージャージー州はアメリカの州の中で最も人口密度が高い(459人/k㎡)(佐賀県の人口密度331人/k㎡、山梨県の人口密度は181.5人/k㎡)ので、そういう事情もあいまっての結果だろうし、例年より早く始まった学校のせいかも知れない。
またよく注意して様子を見ていかなければならないと思う。 
そういうご時世になってしまったのだから。

台所の模様替え・その2

2020年09月19日 | お家狂想曲
夫と二人だけでコツコツ、というか片手間にやっている模様替え。
一番の難関だった30枚の扉外しと、50年以上にも渡って少しずつ蓄積した汚れ取りと、何かやるたびに必ず最短3時間から最長24時間の待たなければならないイライラ感を宥めながらの下地&ペンキ塗りが、とりあえず終わりました。

時間が見つかると一枚、また一枚と、扉を元の場所に取り付けてます。


よく使う食器が並んでいる棚の扉だけ外したままにすることにしました。

棚の中敷のそのまた下にこんな新聞が隠れてました。

日付の部分が千切れていて分かりませんが、めちゃくちゃ古そうです。
ここに越してきた11年前に、引っ越すだけでヘトヘトになっていたので、あ〜も〜いいやとばかりにこの新聞の上に新しい中敷を乗っけたみたいです。

扉の取手はまだ取り付けられていません。
前のは洋服が引っ掛かって仕方がなかったので、この機会に変えようということになりました。
シンプルで絶対に何も引っ掛からないツルンとしたのを買ったのですが、昔サイズの扉なのでネジの長さが合わない😭!
この家はすでに116歳とかの大爺さんなのであらゆる部分が規格外。
ちょっとした修理でも職人さんを大いに泣かせます。
ということで、またまた仕方なくホームセンターへ行かなければならなくなりました。

その道すがらに、こんな立て看板を見つけました。

右側のおうちはトランプ大統領の支持者。
そして左側のおうちは「Black Lives Matter」を訴えています。
う〜ん、ご近所付き合いが難しそうだなあ…。

台所の模様替え・その1

2020年09月11日 | お家狂想曲
先週の木曜日から突如始まった台所の模様替え。
大小合計22枚の扉を外し、サンドペーパーで汚れを落とし、お酢と台所用洗剤を溶かした水で拭いて乾かし、下地を塗ってまた乾かし、さらに1回目のペンキを塗って乾かし、2回目のペンキを約半分塗って、週末はいよいよ完了(の予定)です。
職人さん曰く「3度でも4度でも多い方がいい」らしいのですが、これでずっと死ぬまで、とは思いたくない(けれども多分そうなる予感が…)ので、2度塗りでいいことにしました。
って、ただ面倒くさいだけっていうのが本音なんですが…。
いやあ、ペンキ塗りっていうのがこんなにも手間暇がかかるものだということを、身を以て学んだ数日間でした。
塗料が気化したガスを吸うと肝臓に悪いということで、防毒マスクを装着しながら作業だったので、塗ってるうちに汗まみれ。
おまけに外すとマスクの枠の跡がくっきりと残ってしまって…トホホ。

まだ食器棚に手をつけたところで、部屋全体の壁塗りまでには至っていないのですが、壁塗りというとすぐにこの台詞が思い浮かんでしまう昭和ド真ん中生まれ。
「お~い亀!シンナーに気をつけて壁塗んな~」
ご存知の方は多分、わたしとどっこいどっこいの年齢だと思われます…ふふふ。

『スネークマンショー』の伊武雅刀さんの渋声コント。
ハケで壁を塗る時のあの音、シュッシュッシュッシュッをバックに、ただひたすらこの台詞が繰り返されるんですが…。
親方「お~い亀!シンナーに気をつけて壁塗んな~」
タメ「わっかりました!親方~!」
親方「お~い亀!シンナーに気をつけて壁塗んな~」
タメ「わっかりました!親方~!」
ただし、その声がだんだんとラリってきて、もうパッパラパ〜の陽気な二人になっちゃうというところがもう可笑しくて可笑しくて。

防毒マスクのこもった声で、一人二役でボソボソ言いながら、そしてハケではなくてローラーで塗りながら、一枚また一枚と仕上げていきました。

まずは台所のテーブルで始めた作業でしたが、







よくよく考えたら、一階に塗料の匂いが充満してしまうことに気がついて(遅いっ!)、作業場所を地下室の卓球台に移しました。



一応、この夏最初で最後のSTAYCATIONだったので、せめて夕飯だけは外食にして「お休み気分」を味わおうということに。

テイクアウトのタイ料理。


ここニュージャージー州でも、今月の4日からやっと、室外のみのレストラン営業が許可されたので行ってみました。
超お気に入りの韓国フュージョン料理屋さんは、ちょいと離れた駐車場にテントを張って営業です。







なぜかチキンの肉をむさぼる蜂さん?!


学校がぼちぼちと開校され、生徒たちの新しい学年が始まりました。
うちのピアノのレッスンの予定表はまだ完成していません。
学校がそれぞれに試行錯誤中で予定が立たないからです。
水泳や個人競技のアクティビティも、今までとは違う方法で、どうやったら感染を避けられるかに注意しながら始められると聞いています。
わたしもたった一人、直に教えることを始めました。
どちらもマスクをつけて、直接体に触れないようにしながらのレッスンですが、やっぱりオンラインよりはるかに気持ちがいいです。
油断してはいけないし、まだまだ気をつけていかなければならないと思っていますが、元のやり方に少しずつ戻せるように、何か工夫できないものかと思案しています。
今年の冬はみんながマスクをするだろうし、挨拶などで握手やハグもしないでしょうから、COVID-19だけでなくインフルエンザなどの感染被害も減るだろうと思っています。
毎年秋から冬にかけて、そりゃもうゴホゴホゴホゴホ、親子で咳き込みながらレッスンに来る生徒たちがいて、その人たちが帰るや否や、窓という窓を開けて換気しなければならなかったのですが、もし元の形のレッスンになってもその心配だけはしなくてもよくなりそうです。

安全なワクチンが発明されるまでまだまだ時間がかかりそうです。
政治家たちが自分の都合で急かしていましたが、やっと薬品メーカー側がきっぱりと声明を出してくれました。
仮にいつかできたとしても、元々ワクチンは接種しない方針なのですが、受ける人たちのことを考えると、しっかりと時間をかけて安全なものを作って欲しいと思います。
それまではとにかく、自己免疫力を落とさないように、ちゃんと食べて運動して寝る。
って自分に毎日のように言い聞かせながら、またまたこんな夜更かしを…😭

おやすみなさ〜い!

空き地狂想曲

2016年10月18日 | お家狂想曲
この家に引っ越してきてからずっと、隣の空き地(元々はこの家の庭だった)のカエデの爺さんが切り倒されないことを、毎日毎日、一日も欠かすことなく祈ってた。
その祈りと、爺さんのひょうひょうとした生き様が効いたのか、買い取った不動産屋は、この土地を売ることができなかった。
その6年間に、あれやこれやと知恵を絞っては、あれやこれやとやってみた。
わたしが爺さんをどれほど大切に思っているか、彼の写真を何枚も撮っては、この老木を守りたい!という熱い気持ちを書いて、近所の人に送ったり、
その手紙に心から同情してくれた数人のご近所さんと一緒に、町の緑化委員を家に呼んで、なんとかならないものかと相談したり、
ならばあの土地を、いっそのこと公共のものにして、菜園やら子どもの遊び場やらドッグパークやら…などなど、
結局どれも、最後の詰めにまで至ることなく、ああやっぱりどうしようもないのだと、さすがのわたしもあきらめかけていた時、

じゃあ、うちとまうみんちの共同で、この土地を買おうか?と、空き地を隔てたお隣さんのエステラが、申し出てきてくれた。
彼女たちがブルックリンから引っ越してきたのは、今から3年前。
その時も、この共同購入の話を持ちかけてみたのだが、当時は家の改装や庭造りにてんやわんやで、それどころではなかったので、オッケーをもらえなかった。
だから今回も無理だろうと思っていたので、もう嬉しくてありがたくて、外に飛び出てカエデの爺さんに報告した。

それから早1年と1ヶ月。
ひとつの土地を、半分こして買うということが、これほど面倒で難儀なことだとは…。
まず、不動産屋がなかなか承諾してくれなかった。
まあ当たり前か。
これまでこの土地にかかる税金(それも、この地域の固定資産税は、全米でも5本の指に入るという高さなのだ)を6年間も払い続けた挙句に、
家を建てるでもない、そのまんまの土地を、半分ずつ売ってくれというのだから、売りたくない気持ちがわからないでもない。
弁護士に中に入ってもらい、何ヶ月もかかってやっとのことで承諾を得たのが半年前。
それから土地の測量やなんかの事務的な手続きを経て、なぜか最後は、買い手の我々が、「このたび、うちとエステラんちで、この土地を買うことになりました」というお知らせを書いた紙を封筒に入れ、町から指定された送り先に送らなければならなかった。

送り先は、近所の住民40軒ほどと、公共事業の会社12軒。
初めてのことだから丁寧に書いていたら、なんと3時間もかかってしまった。



その間に、これまたなぜか、市の新聞社に、土地はもう売れましたという広告を出さねばならなかった。

でもいいや。
これで最後だもん。
そう言い聞かせながらやり終えて、後は市議会に行って、許可をもらったらいいだけだと、わたしたち4人はその日を楽しみに待った。
それが先月の第三火曜日。
皆それぞれが、自分の仕事を早めに切り上げて、いそいそと議場に向かった。
これまでずっと、細々とした事務的な作業を一手に引き受けてくれたエステラは、事務官の女性とすっかり親しくなっていて、
その彼女から、「やっとこの日が来たね。よかったね」と、声をかけてもらっていた。
だからわたしたちは、余裕綽々、これが終わったらお祝いだ〜などとささやき合いながら、ほっぺたを緩ませて座っていた。
すると、一人の議員が近づいてきて、
「ちょっと悪い知らせがある」…と言うではないか!
「いや、これは、誰のせいでもないんだけどね」
「…?」
「ほら、ここ、ゾーニングの図面の枠取りにミスがあって」
「ミスがあってって…これ、プロの技術屋さんが書いたものでしょ?」
「うん、まあ、そうなんだけどね」
「だからどうなるんですか?」
「ミスがあるまま今日の議題に上げることができないので、採決することも当然できない」
「えっ?」
「もう一度、一からやり直して、来月また来てもらえないだろうか」
「もう一度一からって…図面やら宛名書きやら広告やら、そういうの全部のことですか?」
「そうです。まあ、図面を修正したら、新しい情報ということになるから」
「そうですって…そんな…わたしたちは何も間違ったことをしていないのに」
「だから、誰のせいでもないから」
「いや、わたしたちのせいではないけれども、図面を書いた人が間違ったせいでしょ?」
「…」
「またあの宛名書きをしなければならないなんて…それに、費用はどうなるんです?」
「それはまあ、そちらが負担してください」

プンプンプンプン、頭のてっぺんから湯気を出しながら議場から出て、それでも収まりがつかなかったので、近所に新しくできたレストランに行って食べたら、
どれもこれも超〜しょっぱい!
どんだけ塩入れてんねん!
と、踏んだり蹴ったりの夜だったのだけど、その日から一ヶ月後の今日、やっと無事に認可された。
しみじみと嬉しかった。

だけど現実は厳しい。
所有する土地が増えるのだから、固定資産税がまた上がる。
そして、これまでの弁護士や技術士に支払ってきた、あるいは支払わねばならない費用もバカにならない。
貯金を引き出して土地代に回したら、それが収入だと見なされて、所得税まで上がってしまうわ、オバマケアから外されるわ、
そりゃまあ、持ってたお金なんだから、所得に違いないけれど、そのお金は右から左、我々の手の上に1秒たりとも乗らないまま、すっかり消えてしまったのに…。
なんか納得いかない…。
どっかの議員たちみたいに、白紙領収書詐欺でもやりたい気分だ。
と、もうマジで踏んだり蹴ったりの年になってしまったけれど、カエデの爺さんを救えた。

まあ、なにはともあれ、草ぼうぼうの空き地は、今じゃ半分だけきれいに芝が刈られてる。
もちろん、きれいな方がエステラとロバートの庭。
いつか、わたしたち4人のアイディアを寄せ合って、のんびり過ごせる空間を作れたらいいなあ…。
ロバートはケニアの、エステラは生粋のニューヨーカーの、夫はペンシルバニアの田舎風の、わたしは日本の、
それぞれの思い出や、心に刻み込まれた風景が、其処此処に見られる庭ができたら楽しいかも。

なんて想像できることがどれだけ幸運か…ご近所に恵まれるということは、本当にありがたいことだ。

やっと止まった…長かった…。

2015年11月10日 | お家狂想曲
改装工事が終わってからまだ半年ちょっとしか経っていないお風呂場の、浴槽の蛇口からの水漏れが、かれこれ2ヶ月以上も続いていた。
はじめは間があったポタポタ音も、1ヶ月が過ぎた頃から秒針よりも速くなり、天井に穴が空いたままの一階にその音がしっかりと漏れてきて、
ついつい水道代のことを考えてしまう→忘れようとしてるのに、ちゃんと仕事をしなかった配管工の顔が浮かぶ→ムカムカ~ッとくる、のパターンの繰り返しで、精神衛生上とてもよろしくない。
でも、評判の良い配管工さんのスケジュールはなかなかとれなくて、やっと来てくれたと思ったら今度は部品が必要で、そんなことを繰り返しているうちに今日になってしまった。

音が気になるからと、水滴が落ちてくるポイントに置いたスポンジに穴が空いた。
そうか、シャワーの方に切り替えて、ヘッドを浴槽に寝かせておいたらええやんと夫が思いつき、それからは音はしなくなった。
でも、水はずっと流れ出ている。
当たり前だけど。



でも…とうとうのとうとう、止まった。
なんだか物足りない気持ちになったりするのはきっと、もう直ったからだろう。

天井の穴は、わたしが日本に行っている間に直しておいてくれるらしい…。
ほんまかいな?


今日の2クラスの合わせ練習で、ひとまず来月の2日まで伴奏バイトはお休み。
ダリルったら、練習のたんびに、まうみは2週間も居なくなってしまうんだから!と、かなり不満気に言う。
2週間2週間って、そのうちの1週間は感謝祭週間やから、もともと休みになるやん!と、わたしは心の中で文句を言う。
まあでも、コンサートの2週間前にしか戻って来ないわたしを、伴奏者として雇ってくれてるんだから、ここはひとつおとなしくしておこう。
毎回相変わらず、生徒の中の誰かが問題を起こす。
学校全体のスケジュールの管理がうまくいってなくて、練習の真っ只中に、コーラスメンバーの生徒を引っこ抜いていく教師がいる。
教育現場の予算がどんどん削られてって、先生も減らされて、だからどこもかしこも混乱している。
そんな中で、怒りん坊で人情家で皮肉屋のダリルは、今年もプリプリ怒りながら腕を振っている。

プリプリ怒るといえば、今日のレッスンで、ある生徒に、「今夜から日曜日の発表会本番まで、一切のアクティビティを禁止する!」と言ってしまった。
先週のレッスンで、ようやくギリギリのギリギリで曲をほぼ仕上げられたというのに、だから速く弾けると勘違いしたのか、べらぼうに速く弾いてしまって、
リズムはボロボロ、テンポはバラバラ、見るも、いや、聞くも無残な弾き方になってしまっていた。
え?マジ?
あかん…「土曜日にまたおいで」と言って帰ってもらった。
毎年ひとりやふたりぐらいの生徒が、本番にちゃんと弾けるかどうかとても心配になるが、今回のこの子の崩れ様は横綱級だ。
さすがのわたしも食欲がすっかり失せて、しばらくの間、キッチンテーブルの上を眺めてぼんやりしていた。


これはゴールデン・キーウイ。


中身の色が違うだけでなく、スプーンですくって食べると甘くてジュゥシー♪
うちのブームなのだが、わたしは今だに、果物、甘い物、豆にナッツ、それから卵とすっぱい物、辛い物を食べないようにしているので、残念ながら手が出せない。
せっかくこれは、フルーツアレルギーのわたしでも、何もおかしな風にならずに食べられる果物だったのに…。

でも、この1ヶ月、コーヒー、お茶、お酒、砂糖、好きだから美味しいからとパクパク食べていたナッツや豆菓子を、一切口にしないでいたら、
あれよあれよという間に、体重が5パウンド減った。
そして、起きた時に、ううぅ~怠っ!というのがなくなった。
そしてそして、早寝早起きができるようになった、というか、今の時間(夜の11時過ぎ)になるとボーッとして起きていられない。
多分、整骨師さんの施術も効いているのだろう。
実はまだ終わってなくて、これがほんとにほんとの最後だと約束してくれた5回目が、来週の月曜日にある。
旅行の前日に、わたしはいったい何をしてるんやろ…と思わなくもないけど、まだやり残してることがあるらしいから仕方がない。


毎年、伴奏バイトの曲、発表会の連弾曲(×生徒の数)の練習に加え、旅行中の細かなスケジュールを練ったり探し物をしたりで、時間がいくらあっても足りない。
知らせたいこと、書きたいことが山盛りたまってしまっているのに、それもすごく大切なことばかりなのに、
忙しさに負けて書けないままに3日が経ってしまった…。

でも、でも、水は止まった。
それだけはもうほんとに、すばらしいことだ。

キリがあることを祈る日々

2015年10月22日 | お家狂想曲
こちらでの暮らしがもう15年以上にもなってくると、日本での暮らしの細かなことを、あまりよく覚えていない。
いやこれは、年月の問題ではなくて、もしかしたら記憶力の問題なのかもしれない。
日本でもきっと、いい加減な業者に泣かされている人はいるのだと思う。
日本で家を持ったことが無いので、そういう経験をするチャンスも無かった。
けれども、いくらなんでも、これはきっとその中でも横綱級ではないかと思う。
自慢じゃないけど…。

去年の10月から始まった、2階のちっちゃな浴室の改装工事は、予想をはるかに超えた困難の連続で、髪の毛が全部白髪になってしまうのではないか、と思うくらいに大変だった。
それでもとりあえず、1月17日に書いた『お風呂場狂想曲エピローグ』で、一息ついたつもりでいた。
でもまあ、その後にもまだ、あれやこれやとあって、結局ケビンは、最後までちゃんと仕事を終えないまま家に来なくなり、
我々ももう、心底疲れ果てていたので、もういいやと思うことにして、とりあえず浴室を使い始めた。

深い浴槽はやっぱり気持ちがいいし、前みたいに、100年以上もの間に染み付いてきた、床板の尿の匂いに悩まされることも無くなった。
換気扇がついたので、凍えるような寒い夜に、窓をうっすら開ける必要も無くなった。

でも、その後も水の問題が何かしらあって、修理を頼まなければならないことが続いた。
さらに、台所とピアノの部屋の天井の隅っこが、だんだんと膨らんできた。
もうほんとに、考えるのも想像するのもイヤだったわたしたちは、見て見ぬふりをし続けた。

そして、ある夏の日に、


いよいよ膨らみが大きくなって、ひび割れてきた。
これはもう無視している場合ではない。
無視していてはいけない。

それで夫が天井を割り、前の配管工ではなく、たくさんの人が推薦してる配管工に見てもらうことにした。
人気者の配管工は、だからなかなか予定が取れず、散々待たされたけど、見てすぐに、
「これ、本当に工事やったの?」と聞いてきて、「もしやったのなら、なんでこんな古いパイプのままなのか理解できない」と言った。

それはわたしたちも大いに同感で、あの工事はまず、浴槽の排水を良くすることが第一の目的だったのだ。
だから、そのことをしつこく、工事中に頼み続けていた。
とにかく水はけを良くして欲しいと。

見積もりと工事の日はまた別で、わたしたちはまたまた、長い長い待ち時間を過ごさなければならなかった。
その頃には、わたしは訴える気満々で、いつそのことをケビンとトム(配管工)に伝えようかと、悶々と考えていた。
でも夫は、すべてのことが解決してから、かかった費用をきちんと出して、それを持って裁判所に行くと言う。
それもそうだなと納得して、とりあえず怒りの気持ちを鎮めることにした。

菅を新しくしてもらい、




ピアノの部屋の天井裏のパイプもチェックしてもらい、こちらは多分問題は無いだろうということで、一件落着と思いきや、

どういうわけか、ピアノの部屋の水漏れが止まらない。


でも、いつでもというのではなくて時々なので、原因がつかめず余計に厄介。
また来てもらうことになった。

そのためにまた待って、調べてもらったけれども、パイプではなくてコーキングだろうという結論になった。
それで、夫が、コーキングならと、とりあえずやってくれたのだけど、やっぱり水漏れは発生する。
それも、灰色の板の真ん中あたりから、ポトポトと落ちてくる。
本棚のちょうど真上なので、本はまだピアノの上に積んだまま。
今日もまた、別の、今度はコーキングを主にやってる80歳のおじいさんが、状況を見にやって来た。


こんなことをあれこれやっているうちに、今度はシャワーのヘッドから水がポトポト落ち始めた。
はじめはポト…ポト…ポト…とのんびりしていたが、今ではほとんど合間なく落ちてきて、2時間もするとパケツ一杯になってしまう。


工事が終わって8ヶ月経つと、蛇口から水漏れするのか?
この修理もまた、来週末まで待たされる。
蛇口からの水量を30%抑える水栓を使ってるような倹約家?のわたしには、このポトポトは心苦しい。


そして今日、またまた新たな水漏れが!
洗面器の床下に、大きな水溜りを発見!(写真は拭いた後)


そこにはトイレットペーパーを入れたカゴが置いてあったので、ペーパーも水を吸ってボトボト。
原因は?と、扉を開けてみると、
この部分の締め付けが緩かったのか、それともパッキンがいい加減なのか、金属とプラスチックの接合部分から水が漏れていた。


このパイプを通すために切ったんだろうけど、他人の持ち物の板を、よくもまあここまで適当に切れるもんだと思いませんか?

ああ、またふつふつと怒りが湧き上がってきてしまった。
いかんいかん…。

そして最後に、部屋の中が湿気たからか、壁のペンキがうっすらと溶けて、下部のタイルに筋をつけているのを見つけてしまった…。




もうほんとにかんべんしてほしい…。

なんとかなるよ、きっと。それを本気で信じて念じていれば。

2015年09月26日 | お家狂想曲
まさに、狂想曲が延々と、頭の中で流れ続けているような日々が過ぎ、今やっと一息ついた。
お隣さんとうちが共有している空き地(土地の横幅はうちより広い)を、お隣さんとうちが共同で買い取ることに決めてから、
それぞれの弁護士と話し合い、売り手の言い値をできるだけ値切り、町役場に連絡をし、地質調査を依頼し、
でも、そうこうしている間にも、我々の買値よりも高い金額を言ってくる人が出てきたら、即刻我々の仮契約は却下されてしまう。
だから、できるだけ早く契約を結んでしまいたかったのだけど、地質調査の結果が出てくるまでに2週間かかるというので、
その結果を待ちつつ、深刻な汚染は無いだろうという楽観的予想を前提に、結果報告日の翌日の夜に、契約式を執り行うということにした。

その間にも、空き地には、怪しげな人間が出没。
土地の横幅縦幅を測っていたり、通りからじぃーっと眺めていたり。
本来ならば、「仮契約済み」という付け足しサインが、売地の看板に書かれていなければならないはずなのに、売り手はずっと無視している。
6年前にこの土地を手にしてから、一向に売れる気配が無く、だから彼は毎年、この地域特有の、とっても高額の固定資産税を払い続けなければならなかった。
全然嬉しくも楽しくもないのである。
なので、わたしとお隣のエステラは、気をやきもきさせながら、そういう人たちの様子を伺っていた。
たったの2週間だったけれど、その長いことったら…。
その間に、うちの天井には二つの穴が開き、古い水道管が取り替えられ、これでとりあえず安心だと思っていたらまた水が落ちてきて、
もうこれは呪われているとしか思えん、などと愚痴りながらまたまた修理を頼んだら、
なんと、新しくした浴室の、壁につけられた器具のどれもに、きちんとしたコーキングがされていなかったことが原因だとわかり、またまた夫もわたしも頭から湯気が出た。
コーキングについては、工事中に何度も、夫もわたしも尋ねていたし頼んでもいた。
すると必ず、「いや、この場合は絶対に大丈夫」という答が返ってきて、どの部分もやろうとしなかったのだ。
いったいどこまでいい加減だったのか。
もうこれは訴訟だな。
早々と天井を塞いでいなかったことが幸い?した。
二階の床下、つまりは一階の天井裏はだから、非常に風通しが良く、十分に乾燥しただろう。
やれやれ…。

ということで、あとは契約を無事終えることができたら万々歳だ。
と思いきや、事もあろうにその前日の夜に、どえらいことが発覚した。
ギリギリの前日の夜、地質調査の結果が出てきたので読むと、違う土地の調査をしたことがわかったのだった。
なんで…???
調査をしたのは、売り家のサインが出ているお向かえの家の裏庭だった。
いやあ、売りのサインが出ていたので、間違っちゃったよ、とでも言わんばかり。
でも、でも、でも、我々が依頼したのは更地であって、どこかの家の裏庭ではない。
しかも、番地もあるわけで、土地の調査をするような会社が、こんな単純な間違いをしていいのか?!
さらに、当人はヘラヘラと(これはわたし個人の感じ方ではあるけれど)、調査をし直すにはまた2週間かかるから、などとメールで言っている。
ぐぉらぁ~!!
地質調査無しで契約ができるのか、それをまた弁護士や仲介者と話し合わなければならない。
でも、契約は絶対に終えてしまいたい!

というカオスな夜の翌日の木曜日。
朝からわたしは、胃カメラの検査のために、車で30分ほどのところにある手術と検査を専門にする建物に、夫に送ってもらって行ってきた。
胃の検査はいつも、大腸検査の麻酔がかかっている間にやってもらっていたのだけれど、今回は初めての単独検査。
大腸検査と違い、前日からの下剤飲用地獄も無く、夜中から検査まで絶食するだけなので超~気楽。
検査に際しての注意書きに、絶食には固形物はもちろん、水分、チューインガム、飴類も一切禁止しますと書かれてあった。
チューインガムや飴ならいいのか?と、詰め寄ってくる人がいるのだなと思うと、なんだか可笑しくなった。
検査前の準備室で、担当の看護師さんにいろいろと質問されながら答えていたら、あなた、ちょっと寒そうねと、温めた毛布を追加で上から被せてくれた。
準備室では少なくとも3人が、カーテンだけで仕切られた部屋で待機しているのだけれど、だから話が筒抜けで、麻酔医とのやり取りが全部聞こえてくる。
58才のわたしが一番若く?て、普段飲んでいる薬も無くて、アレルギーも無い。
だから一番簡単な患者、ということで、麻酔医がとても嬉しそうだった。
ただ、血管が細い上にビビリだと言うと、麻酔のために必要な血管を獲得するために、通常ほとんど使われないと言われているほどに細い針を使ってくれた。
それでもたっぷり時間がかかり、今は思いっきり青紫のアザができている。

無事に検査を終え、麻酔がちゃんと切れてから、担当医の話を聞いた。
ポリープは無かったが、胃の入り口の辺りに要観察の部分があったので、組織検査に出したと言う。
父を殺した胃がんも、入り口辺りだったことを思い出した。

「今日一日は、運転はもちろん、仕事もだめ、大きな決断をしなければならないようなこともだめ、わかりましたか?」
「え、わたし、今日は、」
夫の強烈な『何も言ってはならぬ目線』を感じ、わたしは口ごもった。
麻酔さえ覚めたら大丈夫とばかりに、時間が急きょ7時から4時に変更された契約式を終え、その後さらに、時間変更をしてもらったレッスンをする予定だったけど、
余計なことを言うなという無言のお叱りに従い、わたしはコクンコクンと頷きながら、黙って看護師の言葉を聞いた。

少しだけ休憩して、やっぱり看護師の言う通り、普通にしているつもりなのにどことなく変、という感じから抜けられないまま、
時間が来たので、少しだけフォーマルな感じの服に着替え、契約のサインをしに再び出かけた。
カエデの爺さんに一目惚れして、だから彼の命を守ることができてすごく嬉しいわたしたちと、結局大損することになって全然嬉しくない売主が、ひとつの部屋に集まってサインする。
とてもではないが、和やかにという雰囲気ではない。
「あんたたち、半々にして買ったんだ。賢いじゃないか」と、最後に一言言って出て行った彼。
多分、もっともっと言いたいことはあったのだろうけど…。

サインが終わり、それから仕事をしたら、もうほんとにヘトヘトになった。
どうしてもできなかったレッスンは、土曜日と日曜日に変更してもらったので、今週は週末も仕事がある。
まだもう少し明かりが残っているので、夫とふたり、空き地に立った。
他人の所有地だった時とは全く違う、やっと終わったという安堵感と、今後はこの空き地に生きる木や植物を、ちゃんと世話していかなければならないという責任感が、じわじわと湧いてくる。
そしてもちろん、敷地が増えたのだから、税金だってドンと増える。
ますます健康に気をつけて、しっかりと働かなければ。
「ほんと、まうみらしいといえばらしいね。木を救いたいがために土地を買うなんてさ」
友人からの褒め?言葉を思い出した。
でも、でも、本当に嬉しい。ふつふつと嬉しい。
ここに越して来てからの6年と3ヶ月の間、一日欠かさず話しかけてきたことが、本当になったのだから。
爺さんのことは、わたしが必ず守る。
誰にも手を出させないから。

カエデの爺さんの木肌は、ゴツゴツと硬くて荒い。
でも命の温かさと、長い年月を生きてきた賢さが、手のひらにしみじみと伝わってくる。
ここ数年、元気が少しずつ減ってきて、だから葉っぱが縮こまっている。
手遅れにならないうちに、一日も早く、木のお医者さんに診てもらわなければ。

大きな穴が空いた天井と、直径5センチぐらいの青紫のアザと、ちょっと元気が無いカエデの老木。
腹を立てたり、恐かったり、嬉しかったりの1週間。

人間も家も、年をとったらガタがくる。それが味わいというもんだ。

2015年08月20日 | お家狂想曲
今年の夏は宿題がありました。
ちょいと疲れ気味な感じがなかなか取れない体に、対処が必要な疾患の有無を調べるよう、ホームドクターのトーマス先生から言われていました。
実は一昨年のクリスマスイブの日に、4人の専門医に紹介状を書いてもらっていながら、それを1年と9ヶ月もの間放ったらかしてしまっていて、
というか、実際はずっと放ったらかしていたのではなくて、オバマケアを手に入れるのにとんでもない手間がかかったり、手に入れてからでもすぐに使えなかったりして、
結局は今年の3月に、やっとやっと、晴れて病院に行ってもよい市民になったのですが、もうその時点で、1年と3ヶ月が経っていたわけで…。
だからまあ、しゃあないといえばしゃあない、なんて一人で言い訳しても仕方がないのですが…。
かといって、
「へへへ~先生、実はわたし、まだどこにも検査に行ってへんかってん!なぁ~んちゃって~」とか言ってペロリと舌を出す勇気も無く、
なので、ドクターの娘ちゃんを教えていて、その母親でありドクターの奥さんであるアブリルとは大の仲良し、ということに甘えさせてもらうことにしました。
「こんなこと言うの、とんでもなく恥ずかしいのだけども、まだ全然お医者さんのとこに行ってなくて…」と、4通の紹介状をおずおずと彼女に見せたところ、
「あらま~、もうそれ、全部わたしにちょうだい!夫に言って日付だけ書き直してもらうから」と言って、4通とも持ち帰ってくれました。

この国は、本当の本当に、医者に診てもらうということが超~面倒で、超~時間がかかります(わたしみたいにサボってなくても)。
月々の支払いがこれまた超~高い医療保険の会社が、その面倒さと手続きの複雑さの元凶なわけで、ほんとは誰も関わりたくないのです。
でも、年をだんだん重ねていくと、あれこれと検査をしろとうるさく言われ、それを無視していると変人、または管理能力が低い人という目で見られてしまいます。
特に今年の秋からは、学校の教師としての仕事も始まるので、健康状態についての向こうからの質問に、具体的に答えられるようにしておかなければなりません。
多分、若い頃からずっと避けてきた予防注射なども、大勢の中学生たちを相手にするので拒否できなくなるかもしれません。

というわけで、昨日の朝6時45分に、検査に行ってまいりました。
夜の12時から絶食して、朝の5時半に起き、お水を1リットル飲み、それを溜めたまままず一つ目の検査が始まりました。
冷房が効きすぎている部屋の中でほとんど裸の状態の上、冷たいジェルを塗りたくられるので寒いったらありません。
検査が開始して15分も経つと、猛烈にトイレに行きたくなりました。
「あのぉ~、まだでしょうか?」
「ごめんね~、もうちょっと我慢してもらわなければならないのよ」
「そ、そうですか…」
お腹の中を、脇の下から、みぞおちの辺りから、ものすごく細切れに調べていくので、やっと膀胱のあたりに来た時にはもう、今指一本で押されても相当ヤバい!という極限に達してしまっていました。
でも、ここは58歳、大人の意地を見せなければ!と、かなり悲惨な決心をして、ついでに神さんにもお願いをして、お漏らしをしてしまわないよう頑張りました。
いやもう、かなりヤバかったです、ほんとに。
左側、真ん中、右側、どの部分もパンパカパンにお水が溜まっている膀胱を、ブローブでウリウリグリグリされるという我慢大会、とりあえず無事終了。
続いて骨粗鬆症のDEX検査と乳がん検査は、別の検査技師の女性がしてくれたのですが、この人がなんだか機嫌が悪くて…。
DEX検査を受ける直前に、これはとても大切な質問だからと、これまでの病歴やアレルギーの有無などを質問されたのですが、
早口の上に、そんな単語聞いたことありまへんがな!というような名詞ばかりで、「その単語の意味がわかりません」と言ってもなぜか、かたくなに同じ単語を繰り返して言うだけ。
ああ、こりゃ説明する気が無いってことだなと思い、多分病名だろうし、それも深刻な病気に違いない、などと勝手に想像して、「NO」「NO」「NO」と適当に答えてしまいました。
乳がん検査はまあ、板挟みがやっぱり痛くて痛くて…。
前回受けたのが2009年。もう6年もやってないことがバレてひんしゅくを買ってしまいましたが、この痛みさえなければもうちょっと受ける気にもなるってもんです、はい。
今回はひとつ、新しいことがありました。
甲状腺の保護のためにと、鉛が入ったカバーを首に巻きました。
6年前はこんなのはありませんでした。
あ、それと、加齢に伴い現れてきたほくろの部分に、花形のシールを貼ってもらったのも初めてです。
いやはや、病院嫌い&検査嫌いにとっては、大変な朝となりました。

放射線のことが気になって、「こんなにいっぺんにやってもいいんですかね?」と聞いたのですが、「大丈夫ですよ、バラバラにやっても同じですから」と、シレッと言われてしまいました。

そして月末には子宮検査、それから翌月には大腸と胃のカメラがあります。
胃にはピロリさんがいらっしゃるようなので、そのための治療も始まるはず。
ふぅ~…。



さてもうひとつ、書き残しておかなければならないのはこれ↓、これです!


Q. いったいこの、わけのわからない白い物はなんなのだ?
A. これは、台所の角の天井です。二階の浴室のバスタブが、この天井の上にあります。

これまでにも、二階の浴室の排水の問題にはずっと悩まされていて、何度か応急処置をしてもらったり、ちょっと大掛かりな修理などをしてもらってきました。
けれども去年の末に、浴室の床も天井も壁もぜぇ~んぶ引っ剥がして、徹底的に問題を解決してもらおうではないか!と決心したのでした。
でも、工事を請け負ってもらう人を探す際に、ケチったのが運の尽きでした。
その人の評判を尋ねたところ、「誰よりも安いのにとても良い仕事をする大工さん」として評価が高かったのも、わたしたちにとっては災いとなりました。
実際彼は、人柄が抜群に良く、話もうまく、そして、小さな工事(素人にはちょいと難しい程度のもの)を任せるには最適の人だったのですが、
電気や配管などの他のチームとの連携や管理が必要な、大掛かりな工事には最悪の人だったことが、工事が始まってものの1週間も経たないうちに明らかになったのでした。

いろ~んなゴタゴタがあり、そのたびに話し合い、できるだけお互いに譲歩し合いながらの、本当ならものの1ヶ月で終わる予定だったのが、結局は4ヶ月近くもかかった工事…。
終わり頃にはもう、両方ともにクタクタになっていて、だから最後の最後にし終えなければならなかった仕事をボイコットされても、だからその分は支払ってなくても、
もういいや~どうでも!という感じで、どちらからともなく音信を途絶えさせていました。
まあ、正直言うと、もう二度と頼まないだろうし、関わりを持ちたくないと思っていたのです。
でも…。

またこんなことになって、天井がボワ~っと膨らんできて、水滴がポタポタと落ちてきたんですから、連絡しないわけにはいきません。
すると、この原因を作った張本人である配管工のトムではなく、別の配管工を行かせようと思うが、今彼は休暇中だ、というメールが返ってきました。
いえいえ、もういいんです、頼むつもりはなくて、ただ知らせただけですから。

今日来てくれた配管工のマイクに、工事の経過を撮った写真があったら見せてくれと言われ、ブログの記事の写真を見てもらいました。
「いやあ、よくこんな写真を撮っておいたね。これは珍しい」と褒めてもらって、「いや~それほどでも~(やっぱブログやっててよかったな~)」などといい気になっていたら、
「あ、これはいかん、こんなのはダメだ」と厳しい顔に。

「ほら、このどちらの写真も、新しい管に替えてあるのはほんの一部分しかなくて、ほとんど昔のままのを再利用してしまってる」




このことは、工事中ずっと、ずっとずっと、わたしの疑問でもあったのでした。
床も壁も天井も全部剥がしたのだから、このチャンスを逃したらもう無い!と思っていたので、配管を整え、新しいものに替えることは当たり前だと信じていたのです。
でも、相変わらずシャワーの水でさえもスルスルと流れていかず、浴槽の底にうっすらと溜まったりするのを見て、ため息をつく毎日が続いていました。

結局、下手に管通しをして、古い管を破損させてしまうようなことになったら、さらにカオスな状態になってしまうので、
「誰か信頼できる配管工に頼んで、壁や天井をぶち抜いて、工事をし直してもらうしかないよ。いや、それにしても、水はけ問題解決の絶好のチャンスだったのにねえ…」と、
いかにも気の毒そうに言われてしまうと、ほんとに自分が気の毒に思えてきました。
実際のところ、気の毒の他のなにものでもないのですが…。
いくら初めての体験だったからって、こりゃないよ~…およよ!

でもまあ、起こったことはもう仕方がない。
けれども、まともな配管工なんているのか?この国に…。
今の時期、夏休みでさらにつかまりにくいだろうしなあ…。

なんてなことを言ってたら、

あっちゃ~!!


とうとう割れ目の一部が落ち始めてきたので、夫がベリっと、かなり思い切りよく剥がしてしまいました。
元々はクローゼットだったのに、それを無理矢理浴室にされたという事情がある二階の浴室の床板の下には、ガスだの水道だの排水だのの配管が、迷路のようにぎゅうぎゅうに詰まっています。
なので、特に排水については全くきちんと考えられていなくて、これまでにもずっと、浴室に改装した時からずっと、排水の問題が続いてきたんだと思います。
それはいったいどれだけの年月だったんでしょう…。
この家は100歳を超えていて、わたしたちで三代目なので、それが二代目の時代だったとしても、少なくとも50年以上は続いていたはずです。



いずれにせよ、上から下から、なんともいえない歴史の匂いが漂う台所となってしまいました。
幸いにしてお天気が良く、窓から涼しい風が時折入ってくるので、とりあえず今のところはなんとかいけてますが、お天気が崩れて湿気が高くなると…ああ恐ろしい…。

まだまだ続くお家協奏曲なのでした。

初めての床貼り

2015年03月20日 | お家狂想曲
この家は、探し当てた時からずっと大好きな家なのですが、見るのもいやなぐらいにバッチイところがありました。
それは地下室と、一階と二階の床なのでした。
特に一階はもう、ずいぶん長い間使われていなかったからか、埃と油に覆われて、ねっとりと汚れていました。
大きな買い物をした後だったので、もちろん余分なお金も無く、けれどもとにかく床だけはなんとかしようと、業者さんにお願いして元々の床板をきれいにしてもらいました。
台所と一階二階のトイレはリノリウムの床だったのでそのまま残り、どの部屋も入るたびに憂鬱になるので、できるだけ無視することにしました。
ところが、二階の浴室がきれいになってからというもの、一階の、それこそ生徒や生徒の親御さんが頻繁に使う浴室が、今だに悲惨なままであるのが妙~に気になって、
5年間、無い知恵を絞り絞り考えてきたアイディアを、うまくいくかどうかわからないけれども、やってみようかという気になりました。

で、買ってきたのが、一枚60円の薄いリノリウムの板です。
金曜日の今日は、前々から、また大雪になる?!という予報が出ていたので、当然スノーデーでレッスンはお休み。
ということで、お天気がくれた休日を有意義に過ごそうではないかと、いっちょ試してみることにしました。

プランは超~シンプル。
古いのをベリベリ剥がし、新しいのを貼り付ける。
おいおい、そんな乱暴な…と呆れておられる方もいらっしゃると思います。
現に、大工さんなどに尋ねると、こんな小さな部屋でも40万ぐらいかかるよ、と言われたので、そういう工程が必要なことも承知しているのですが、
とりあえず、希望的には、あと数年(ここがかなり微妙…)もすると、台所と同時に浴室も改装しようと思っているので、
まあそれまでなんとか無事にもってくれれば万々歳、という感じの床貼りなのです。

お、時間まで予報通りに、細かい雪がじゃんじゃん降り始めました。


植えるつもりだった花、ぶら下げるつもりだった観葉植物を、とりあえず部屋の中に避難させ、


作業開始!剥がした後の床は相当ボロボロ。大丈夫かなあ…。


いろんなところを切り抜いていかなければなりません。
いちいち図ったりするのが面倒なので、こんなふうに元板に薄紙を当て、あとは適当にチョキチョキ。


わたしの力で、しかもキッチンバサミで切ることができるよう、一番薄いタイプのを購入しました。

一番の難関は、暖房のレディエーターの足元の穴空け。
剥がしているとバラバラになってしまうので、それをまたパズルのように繋ぎ合わせなければなりません。


なんとかうまくいきました。
この部分が一番汚かったし、割れたり剥がれたりしていたので、もうこれだけでメチャクチャ幸せ!


棚の下の床板が、一番きれいでした。



作業に没頭していると、夫が仕事を終えて家に戻って来ました。
1週間の仕事が終わる金曜日をとても楽しみにしている彼は、わたしが突然どえらいことをしているのを見てちょいと不機嫌。
まうみはこれを、今日中にどうしても終わらせたいってこと?
食べ物は?楽しみは?

食べ物は、昨日あんたが持ち帰ってきてくれたチキンカレーがあるし、わたしはこれが(ある意味)楽しみなのだよ。

小さなカッターナイフで剥がしていたら、うちにはもっと良い道具があるだろうにと、地下室からいろいろ持ってきてくれたりはするのですが、
もちろん、絶対の絶対に、ちょっと手伝ってやろうか、などとは思わない(休日と金曜日は特に)人なので、
だからわたしも、手伝ってくれちゃったりする?などとは、一切言いません。
これは自分がやりたいからやっているのだ!これでいいのだ!

とうとうのとうとう、ここを埋めたら終わりです。



結局、板は全部で40枚、時間は6時間(休憩とかも入れて)かかりました。
まだ半分ぐらいしかできていなかった時、夫から、「この板は何枚あるの?何枚かかると思ってるの?」と聞かれ、
そのどちらもに、「知らん」としか答えられなかった自分に、ちょっと呆れたりもしましたが、
でも幸運なことに、買ってきた箱には45枚入っていて、だから余裕のよっちゃんでした。


すっかりまた積もっています。


道には、除雪車のガリガリ音が響いています。
とんだ大雪の春分となりました。


おまけ
まなっちゃんが、去年のクリスマスにくれた、空と海のゴムハンコ。

お風呂場狂想曲エピローグ

2015年01月17日 | お家狂想曲
ケビンは、ふたりの友人から勧められた大工さんでした。
今回の修繕にあたり、図面を描いてくれた、これもまた友人の設計士からは、別の人を複数勧められてたのですが、
それぞれに家に来てもらい、見積もりを出してもらったところ、ケビンが破格の安さだったので、評判も良いのなら大助かりだとばかりに、即行でお願いすることにしました。
そしていよいよ工事が始まるという時になって、「ボクは、平日の夕方と週末しか仕事できないから」と言うので、旦那とわたしはびっくりしたのですが、
ああ、だからこんなに安かったんだなと納得し、できないのなら仕方がない、まあ、あんなにちっちゃい部屋だし、ケビンも一ヶ月もかからないと言うし、と承諾しました。

仕事が始まり、夕方から始まるレッスンと重なって、特にその時は発表会の二週間前だったりしたので、生徒たちにはとても申し訳なかったけれども、
子どもながらに、自分たちにも経験があるからと、反対に同情してくれたりしてありがたかったのですが、
発表会の後、日本に帰省した10日間の留守中だけは、とりあえず仕事を中断してもらうことにしました。
その頃すでに、仕事の成り行きをいちいち見ておかないと、ちょっとヤバいという感覚が芽生えていたのです。

日本から戻って来たのは11月末で、その時は、少なくともクリスマスまでには終わると、誰もが信じていました。
ところが、ケビンが雇っている配管工が、来たり来なかったり、来ても何かが足りないとか見つからないとか言って、途中で帰ってしまったりと、かなりいい加減で、
洗濯機からの排水管とつながっているパイプの蓋をし忘れてたりして、大量の水漏れが何度も発生し、1階の台所の天井がふやけてしまいました。
おまけに、いったい誰がやったのかわからないのですが、新品の浴槽に瓦礫をガンガンと放り込み、何筋もの深い傷がついたり
ケビンはケビンで、設計図を無視して自分のやりたいことをやってしまってたりするので、やり直しや付け直しが続いて、予定がどんどん遅れてきてしまいました。
昼間の仕事(オリンピック招致のプロジェクトマネジャー)との掛け持ちなので、彼としては1日でも早く、ここの仕事にケリをつけたい。
もちろん我々も、心身ともに落ち着かないし、やり直しなどという、相手にとってものすごくイヤなことを承知で頼むという慣れない行動には、いつも以上に神経を使うし、
特に、浴槽の交換という大事件が起こった後は、ケビン側にその費用の弁償がのしかかり、かなり落胆しているのがわかったので、
弁償するからと言ってくれた直後に始まったタイル貼りの、まだ下から数段しか貼っていない時点で、表面が平らではなく波打っているのに気づき、
額縁がちょっとでもずれていると直したくなるような性質のわたしには、それがもう目について、気になって仕方が無かったのですが、
言えませんでした…タイミング的にどうしても…。

さらに、板やタイルを切る作業は二階の中の間でやっていたのですが、カバーが十分でなく傷だらけ、資材を置いていた部屋の床も凹みや傷がたくさんついてしまいました。


いい人なんです、ほんとに。
でも、プランの組み立て、他の職人との連絡、そして図面に従う、従いたくないにしても施主に相談してからにするというようなことが、今回の場合だけかもしれないけれど、とても苦手な人だった…。
そしてそれは、仕事の進行に致命的なダメージを与えたし、そのことで皆が疲れ果て、だんだんと気持ちが落ち込んできていました。

そして…、

木曜日の夕方に、ケビンから電話がかかってきて、仕事の終了時に払うことになっていた残金もいらないから、この仕事から降りたいと言われ、旦那とわたしはびっくり仰天。
土曜日に、道具のすべてを回収に行くと言って、その電話は切れました。
図面を描いてくれた友人に相談したら、辞めるも何も、町から工事の許可をもらった当人なんだから、その当人は最後まで仕事をしなければならないのよ。
辞めるなんてもっての他!と言います。
わたしはわたしで、頭の中がブワーッとなって整理がつかず、今まで抑えていた不満がフツフツと湧き上がってきて、金曜日の朝の瞑想中もそのことで頭の中がいっぱい。
我慢しきれなくなって相談したら、そこに居た7人中6人が、びた一文払ってはいけないと言い、その中のひとりは、わたしは裁判で訴えたことがあるのよ、と話してくれました。
いやはや…なんてこった…と思いつつも、まあここではよくあることなんだと、少しは慰めにもなったりしたのですが、
家に戻ると旦那が、ケビンは土曜日ではなくて、今夜来て話したいと言ってると言うので、またまた胸の中がざわざわしてきました。
わたしはもうすっかり覚悟を決めていて、未完のままの、専門家でないとできない仕事を誰に頼むか、
壁のペンキ塗りは元から工程外の作業なので、旦那がするか、はたまた友人のペンキ職人に頼むか、
そんなことをあれこれと考えながら、とにかくお風呂に入れるようになってるかどうか調べておこうと旦那が言うので、まず水の出方を見てみました。
すると…、
待てど暮らせど、お湯がぬるいままで熱くなりません。
え…あかんやん…。

その日のレッスンが終わり、一息つく間もなく、約束の6時半より10分早く、彼はやって来ました。
何やら書類を抱え、表情も固いままです。
とにかく話を聞こう。なにもかもそれからだ。そう腹を決めて彼の前に座りました。
すると、どうやら原因は、旦那が返信したEメールだったようです。
ケビンは、『そろそろ終了するので、残金を支払ってほしい』というメールを、旦那に送ったのでした。
旦那はその返事として、これまでの仕事へのお礼をまず言い、その後に、
『支払い残金(前金として費用の半分を払ってあるので、その残り)は、その額から浴槽の代金(税金と配達料を含む)を引いて支払います。
その前に、以下のことを確認して欲しいです。
高く付けすぎた手すりの下に、もう一本の手すりを付けられるかどうか
タオル掛けの位置
床のタイルの目地の欠けている部分の補修
目地の防水
ラジエーターのペンキ塗り』
という、前々から決まっていたことで、まだ終わっていないことを、確認のつもりで箇条書きにしたのでした。

そうしたら、浴槽代は支払うけれども、税金と配達代まで払うのはイヤだ。
それに、あの書き方は冷ややかで固い。
そう言うのです。

なるほど、そういうことだったのかと理解はしたのですが、浴槽にかかった費用のうち、税金と配達料をどうして我々が負わなければならないのか、それが納得できずにいると、
どうも、配管工も電気技師も、自分は知らない、やってないと言い張っているらしく、だからケビンは誰にも払わせることができずに、自腹を切ることになったようなのです。

では、その費用は我々が払いましょう。
メールで書いたことは、別に余計なことをお願いしているわけでも、不快な気持ちで書いたものでもなかったけれど、
やはりEメールというものは表情が見えず、往々にして誤解を招く性質を持っているので、
そんなつもりは毛頭無かったけれども、印象を悪くしたのなら申し訳なかった、と言いました。

すると、みるみる表情が和らいで、話も弾み、いつものケビンに早変わり。
やる予定だったことは全部する、と言うので、3人で二階に行って、タオル掛けの場所を決めたり、ウォシュレットのリモコンで冗談を言い合ったり、すっかり元気を取り戻したところで、
「そりゃそうと、浴槽の水が熱くならないんだけど」と言いながら、実際に全開で出し、彼にも確かめてもらいました。
「温水器が壊れてるんじゃないの?」
「そんなはずはないよ。だって、洗面台の水はほら、アチアチになるでしょ」
「いや、多分、配管か温水器の故障だよ」
「温水器は数年前の洪水で取り替えたばかりだし、おんなじ部屋の、それもすぐ近くの蛇口から、別々の温度の水が出てくるわけないっしょ?」
「そうかなあ」
「家は古いけど、この部屋の水温で問題になったことは一回も無いんだから!」
というわけで、やっとのことで配管工に来てもらうよう、頼むことができました。

緊張の糸が緩んでホッとしたのも束の間、ケビンが使っていたカバー代わりの古い布団に、空と海がおしっこをしていたのを発見!
夜中から洗濯開始です。
そしてこれ。
二度と浴槽に傷をつけられないように、昔、息子たちのおねしょ対策に使っていたビニールを、浴槽にペタペタと貼り付けて、


でもやっぱり思います。なんでこんなことをせにゃならんのか、なんでこんな心配をせにゃならんのかと…。

そして今日、朝8時から、ペンキ職人のナイジェルとケビンが上機嫌でやって来て、ドアや網棚、タオル掛けなどの小物の取り付け、ラジエーターの下の穴塞ぎなどをし、
浴槽つながりの、シャンプーなどを置く棚は、また別の日に来てやるからと言って、帰って行きました。
壁のペンキ塗りと目地の防水仕上げ、それからレンガの柱のコーティングなどの細々とした仕事は、ナイジェルに別払いでお願いすることにしました。
もちろん、風呂の水を熱くしてもらわないと入れないので、我々が最も信用できないままでいる配管工に、再び登場願わなければなりませんが…。

とまあ、自分のための記録として、ここまで長々と書き綴りました。
ここまでお付き合いしてくださったみなさん、うだうだと長ったらしい愚痴話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。
今回のことでは、たくさん学ぶことができました。
何事も初めてのことというのは、その当事者にとっては大変なものです。
家の改装などというものは、そんなに再三できるものではありませんが、それでもやはり必要に迫られた時は、この経験を活かしたいと思います。
幾晩も眠れなかったのですが、そのうちの何日かは、波打つタイルや、洗面台の下の棚に空いた不必要な穴に不満を感じているのに、それを伝えられないままでいることにイライラしたのが原因で、
そんなことにイラついて眠れなかったりする自分が、またまた情けなくてイヤになり、その都度さらに落ち込みました。
旦那は、そういったことに気づいているし、不満もあるけれども、そんなことに囚われず、良い方に考えを切り替えることができる人で、
それでまた、より一層、自分のアホさ加減を思い知らされて、悶々としながらここまで来ました。
贅沢言ってんじゃないよ。
ほんとにそう思います。
床板が剥がれた所では、100年以上も前からの尿と埃と油が染み込んだ古板がむき出しになっていて、なんとも言えない不快な臭いを漂わせていました。
波打ってはいるものの、さっぱりとした白いタイルで囲まれた浴室の変身っぷりを、わたしが喜ばなくて誰が喜ぶ!
良いところを見つけよう。
見つかったら喜ぼう。
喜んでいる自分こそが自身なのだ。
それこそが生きているということなのだ。

お風呂に浸かった最初の瞬間に、わたしはもしかしたら泣くかもしれません…。