ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

東京都民の有権者のみなさん、小池百合子候補と増田寛也候補には、絶対に投票しないでください!

2016年07月29日 | 日本とわたし
はじめっから安倍政権は、小池百合子を都知事にならせるつもりです。
応援したら除名処分、などと言って、小泉劇場ならぬ、小池劇場を作り上げ、有権者がそれにまんまと騙されていく様を、ほくそ笑みながら見学しているのです。

安倍政権の、国民に対する間扱いは、目に余るものがあります。
そして、無意味を通り越して、無知で無恥な経済政策。
それを、言葉巧みに誤魔化し続ける政権と、ゾロゾロと従っている報道機関の上役たち。
書きたいことはいっっっっっぱいあるのですが、急遽、明日の早朝から、カナダの方に向かわねばなりません。
夫の、そしてわたしの、大親友が、大変な病に倒れたからです。

なので、記事に使わせていただこうと思っていた記事や写真を、以下にダダッと載せておきます。
どうか、どうか、東京都民の有権者のみなさん、
小池候補と増田候補には、絶対に投票しないでください。
よろしくお願いします。

騙されるな!
小池百合子は“女性の敵”だ!
待機児童を狭い部屋に詰め込み、女性だけに育児押しつけ、性差別丸出しの少子化論も…

【LITERA】2016.07.22
http://lite-ra.com/2016/07/post-2436.html


小池百合子が、日本会議会長らと、「東京に核ミサイル配備」をぶちあげていた!
【LITERA】2016.07.23
http://lite-ra.com/2016/07/post-2438.html


つい先日、『ライバルに問う』候補者ラスト生対決、という番組の中で、小池氏は、
「非核都市宣言は致しません。明確にそれは申し上げます」と言い切っていました。


小池百合子が都知事になったら、安倍首相と手を組み、「改憲」の扇動役になる! 
“お試し改憲”提案の過去も

【LITERA】2016.07.29
http://lite-ra.com/2016/07/post-2455.html







さらに、小池氏は、『親学』家庭教育支援議員連盟(通称=「親学」推進議連)の勉強会に参加し、傾倒している人物です。
親学では、
「子どもの問題や生活習慣、発達障害までもが、親にも責任があり、母親は子育てに専念するべきとする考え方」で、
提唱者は、明星大学特別教授、そして日本会議の対策委員でもある高橋史朗氏。
なお、この高橋氏は、安倍政権での男女共同参画会議委員でもあります。

親学と小池氏の関係を、日刊ゲンダイが詳しく書いてくださっています。

言動を知るほど危うい 小池百合子氏の「子育て・教育論」
【日刊ゲンダイ】2016.07.29
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/186573



おまけです、
目立たない増田氏も、充分ヤバい!




ほんと、みなさん、よろしくお願いします!

では、行ってきます!

やんばるの森が、4000種以上の野生動物が、1000種類の魚と400種類のサンゴが泣いている

2016年07月27日 | 日本とわたし
『竜宮城も顔負けの、この絶景。
1000種類の魚と、400種類のサンゴの暮らしを、人間の都合で終わらせるのか。
沖縄本島北部一帯は、深い森に覆われている。
数百万年前に、大陸から切り離されて以来、固有の歴史を歩んできた山々は、『やんばる』と呼ばれる。
4000種以上の野生生物が、途方もない年月をかけて、この島で独自の進化を遂げた。
地球上で、ここにしかいない生き物。
その歴史が、今でも続いている。
海とつながる沖縄の、豊かさの源だ。
この島のあらゆる生命体は、やんばるによって結ばれている、と言ってもいい。
やんばるに暮らし、森の生き物の代表として、頑張る。
人間には、それができる』
(アーサー・ビナード 日本人探訪#5沖縄県 伊佐家/ナレーションより)

この特集は、今からちょうど一年ほど前に、放送されたものです。
だからまだ、ビデオの中の、やんばるの森を守る人たちは、ヘリパッド建設工事の開始を一日でも遅らせたい、という気持ちを強く持って、座り込みを続けていました。
でも…あの22日の、権力側による凄まじい暴力。

「辛いです、苦しいです、悲しいです。もうこれ以上は限界だ」

今さらもう、どうにもならないのではないか。
いや、どうにもならないでは済まされない。
やんばるの森を、どうにかして守らなければならない。
やんばるの森を守りたい!

県道を封鎖され、県の職員でさえ入れないまま、トイレに行くこともできなくし、他県からの物資調達も不可能にした、沖縄県警と防衛局。
何年にも渡り、高江の住民をはじめ、彼らの支援者たちが、毎日交代で座り込んできたテントも、支援物資もろとも撤去されてしまいました…。


<米軍ヘリパッド>
「悲しいです。もう限界だ」立ち尽くす市民

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=179714

沖縄県東村高江周辺の、ヘリパッド建設の再開に着手した政府は、
22日、反対の市民を圧倒する、約500人の機動隊員らを投入し、専門家から「法の乱用」と指摘される、県道封鎖まで実行した。
なりふりかまわずに、市民を退けた場面は、戦前の「戒厳令」をほうふつさせた。

「落ちる!」
「危ない!」

N1表ゲート前の車上でもみ合う、屈強な機動隊員らの帽子は落ち、抵抗する市民の足は、がくがく震えていた。

「排除!」

炎天下に、号令が響いた。
22日午前8時55分。
機動隊員らが、一斉に、N1表ゲート前の街宣車2台によじ登り、車上に座り込む市民を、引きずり降ろしにかかった。

車上の激しいもみ合い。
小さな街宣車の不安定な足場に、機動隊員らが次々押し寄せ、あわや「死者が出かねない」(車上にいた市民)事態に。
街宣車周辺には、市民の怒号や悲鳴、おえつがごちゃまぜになって響いた。
引きずり降ろされたり、余りの激しい「排除」にショックを受けて、気を失い、救急搬送されたりする女性も。
9時10分、警察側から、「ストップ!」の号令がかかり、市民も車上から降りた。

その1時間半後-。
「いったん退くことを判断した」と、市民を率いる、沖縄平和運動センターの山城博治議長が、一時撤退を宣言。

「2日間で、5人の救急搬送を出した。
辛いです、苦しいです、悲しいです。
もうこれ以上は限界だ」。

袖の破れた洋服が、緊迫の事態を物語っていた。

市民には、“秘策”もあった。
機動隊が、到着前の午前3時、月明かりを頼りに、南北約1キロ、県道70号の両脇に駐車する、市民の車160台余りを、中央線に寄せる作戦をスタート。
「レッカー車や作業車が通れない」幅員にし、多数の機動隊に挑む計画だった。

南北それぞれから挟み込む機動隊員らに、約200人の市民は、すし詰め状態の車両の合間に入ったり、傾斜地の草むらに回り込んだり、道ばたに寝転んだりと、
「弱い市民の精いっぱいのゲリラ戦」(山城議長)であらがった。
それでも、牛歩ながら、6時間以上の攻防の末、機動隊は表ゲート前にたどり着いた。

午後0時35分、突然降り始めたどしゃぶりの中で、静かに始まった市民テントの撤去。
残った市民十数名は、立ち尽くすしかなかった。



今日も、N1地区、表側出入り口から、トラックが何度も砂利を積んで、搬出入する様子が確認されています。
トラックの搬出入時には、警察が、周辺の県道70号を規制しています。
トラックの前後は、沖縄の警察車両が警備しているのです。
さらに、市民らが抗議行動するN1地区表側出入り口付近では、機動隊が一時増員され、100人以上で県道脇に立って警備をしています。

彼らが破壊しようとしているものが、どれほど貴重で尊いものなのか、その存在の素晴らしさに胸を打たれるとともに、新たな怒りがフツフツと湧き上がってきました。
小さな集落を狙った、大きな権力を持つ組織。
この米軍と日本政府の関係を、わたしたちはよく学び、知った上で、どういった行動が必要なのかを考えなければなりません。
あの、他県から派遣されてきた機動隊、警官、防衛局の、凄まじい暴力。
法の乱用を平然とやってのける政府。
それもこれもみんな、安保条約とそれに関する取り決めがまだ、厳然と、分厚い鎧のように立ちはだかっているからです。
これをなんとかしなければ、この先どんなに抵抗しても、どうにもならないのです。
伝えて伝えて伝えまくる。
全国、どこに暮らしている人にも、この問題を我が身のように感じ、考えてもらう。
そうして、大きな世論のうねりを作り、議員を動かし、日米を歪んだ形で結びつけている、この呪いのような条約の鎖をキッパリと切る。
それ以外に、日本が米国の属国どころか、最後の州のように扱われている関係を、改善する道はありませんし、
日本から、米軍基地や、時間かまわず低空飛行する軍用機や、原子力発電所が、姿を消す可能性はありません。

伝えましょう!
考えましょう!
協力し合いましょう!


↓以下、文字起こしはじめ



「やんばるの森を守る人々」


BS11 ウィークリーニュースONZE 2015年8月9日特集
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スタジオ:

沖縄本島北部、やんばる(山原)にある東村高江区で、
トートーメー(内地でいう位牌)をつくる木工職人一家、伊佐家の皆さんを訪ねました。

「やんばるというのは、なかなか行きにくいところではあるんですけれども、ほんとに自然がいっぱいのところですよね」

「地図の、オレンジ色の部分が、アメリカ軍が管理している土地です」


「日本にある、アメリカ軍関連施設の7割が、沖縄に集中しています。
そんな中、一時中断をしているものの、普天間飛行場が今、辺野古に移転する計画があります。
海を埋め立てて、滑走路を設置するということで、県民の多くが反対しています。
これと同時並行する形で、北部訓練場というところの敷地内に、輸送機オスプレイの離発着場を整備する、という計画もあるんです。
ただ、この辺が、やんばると呼ばれる、とっても森林が発達しているところ、
このやんばるを切り拓いて開発するということで、自然が守られないということで、反対の声が上がっているんです。
基地負担がなかなか減らないという中で、沖縄の本島の中でのやりとりというのは、本当に大変ですよね。
今回、アーサーさんが訪ねた伊佐さん一家は、やんばるの中にある東村、高江区、この北部訓練場の境目で暮らしています。
やんばるの森の恵みで生きる彼らは、現実でどう向き合っているんでしょうか」



2015年の、梅雨明け宣言が出た日の沖縄。
僕は、泊めてもらった民宿の主(民宿「てるや」照屋林一さん)と連れ立って、海に出た。




照屋林一さん:
オレンジの水平線て、沖縄だけじゃないかね…。





人間が、海を埋め立てようとしている。


しかも、巨大な軍港と基地を造るためだ。


竜宮城も顔負けの、この絶景。


1000種類の魚と、400種類のサンゴの暮らしを、人間の都合で終わらせるのか。





この、小さな大村湾の、大きな生態系の豊かさは、何が支えているのか。








それは、山の豊かさ、森の恵みが川を伝って、海へ運ばれてくるのだ。


沖縄本島北部一帯は、深い森に覆われている。




数百万年前に、大陸から切り離されて以来、固有の歴史を歩んできた山々は、『やんばる』と呼ばれる。


やんばるには、どのような暮らしがあるのか。

僕は、去年からそこに住む友人(田丸正幸さん)の案内で、ある家族を訪ねることにした。



田丸さん:
ここが1番の、高江の中の集落(住宅)密集地。
その売店が、メインで。


ここが伊佐さんの工房。



やんばるの村、東村高江の伊佐工房は、あいにくの留守。
それなら森に入ろうと思ったが…。


田丸さん:
こっから一回出てきたこともあるらしいから、米兵が。
だから、どっからでも入っていけるし…。


アーサー:
じゃ、そこをこう、渡ったらもう違法なの?


田丸さん:
いや、まあ、厳密に言えば違法だし。
だからもう、この黄色い杭が、基地ですよって表してるからコレが。


アーサー:
そういうことだ。

田丸さん:
USMCが。

アーサー:
United States Marine Corps(米国海兵隊)。
あらー、コンクリートじゃない。ちゃっちいわ。


田丸さん:
あははは!


高江の集落の周りの森は、立入禁止だらけ。
米軍基地なのだ。




アメリカ海兵隊が、1957年に、やんばるの東側を強制接収して、国境線を引き使い始めた、ジャングル戦闘訓練センター。


広大な森の中で、秘密のジャングル訓練を行う。




その基地と向き合う、伊佐工房だ。




沖縄の家々で、先祖を祀る『トートーメー』。


内地の日本語で言うなら、『位牌』が最も近いか。


伊佐工房は、そのトートーメーを専門に作る。
伊佐真次さん(1962年 沖縄県生まれ)が二代目だ。



真次さん:
だいたい奇数になっているんです。
1人、3人、5人、7人、9人、どんどんどんどん大きくなっていくんです。


で、ちゃんとこの札の後に、こうやって取れるわけなんですけど、


アーサー:
え、2枚になっているのは?

真次さん:
これはね、だから本当はいっぱいになったら、今度後ろにして、(表に)また新しい人の入れていくっていう…。




真次さんの長男、伊佐弓弦(ゆづる)さん(1990年 沖縄県生まれ)も、去年から、一緒にトートーメーを作る。



真次さん:
トートーメーがあるっていうことで、家に集うわけ。


清明祭っていって。
沖縄ではシーミーって言うんですけど、お彼岸みたいなものだ。


親戚が集まって、お互いの意見交換情報交換をするわけ。
あー、君のところの長男は、今どうしてますかねーとかね。
お嫁さん見つかった?とかさ。
だからね、うちの父親がよく言うんですよ。
例えば、酒場で酒飲んで、喧嘩なんかできないよって言うんですよ。
それは、その人の、また親戚の親戚は、きっとつながっている。
確かに、どこそこの伊佐ですって言ったら、あ、じゃあ、誰々知ってる?とか、
だいたい言えば、あーってつながっていくんですよね。
そういうことを信じていたらね、ほんと、戦争なんかできないと思うんですよ。



米軍の占領下で、伊佐工房を一から立ち上げたのは、真次さんの父、今年85歳になった、伊佐真三郎さんだ。



真三郎さん:
うちの兄貴、わしは三男、次男兄さん。
長男は、中国で死んだ、兵隊。
次男兄さんは、南洋。


真三郎さんは、沖縄地上戦を生き抜き、伊佐家の男として、1人残った。


真三郎さん:
あのときからわし、これやった(つくった)よ。
まず一番大事なのは、たくさん死んだ、だからあの、お祈りに使う位牌とか、ね、
これやらんとみんなかわいそう、と言って。


1945年4月に始まった地上戦で亡くなった人は、沖縄県民の4人に1人とも、3人に1人とも言われる。
みんな、家族の誰かをなくしているのだ。


真次さん:
これ(トートーメー作り)は、誰かがしなければいけないんだろうと思っているんですよね。
まぁ、特殊な仕事だといえば特殊だし。
ある意味、やりがいはあるんじゃないかなと思う。
変化はないけれど、それをきちっと作っていくっていう、大切さがありますよね。


3代目として、家業を引き継ぐことを決めた弓弦さんは、やんばる生まれ、やんばる育ち。


アーサー:
ここは遊び場?


弓弦さん:
そうですね、夏はよく遊んでましたね。

アーサー:
子供の頃、入っちゃいけない森がいっぱいあったわけでしょ?
入りたいなぁって思った?


弓弦さん:
入ってはいました。
なんかいろいろ、ガラクタとか、集めたりはしてましたね。

アーサー:
どんなガラクタ?

弓弦さん:
え、あれはなんだろ?
訓練用の弾のやつ(薬っきょう)とか。
入ってはいけないっていうのはわかっていたけれども、ハラハラしながらですよね


アーサー:
(森を)返してほしいって考えたりした?

弓弦さん:
うーん、そうですね、やっぱ、自然は…うーん…どうなんですかね。
ちゃんと守れる状態には、したいなとは思いますね。


弓弦さんにとっての森は、最初から軍事基地だ。


入ることが禁じられている。


でも、人間の決め事など他の生き物たちは知る由もない。
彼らの森のために何ができるのか?

ここはやんばる。


4000種以上の野生生物が、途方もない年月をかけて、この島で独自の進化を遂げた。




地球上で、ここにしかいない生き物。


その歴史が、今でも続いている。


海とつながる沖縄の豊かさの源だ。


この島のあらゆる生命体はやんばるによって結ばれていると言ってもいい。


そんな沖縄で、人々はトートーメーを作り、亡くなった家族の名前を記した札を、集めて並べ、1つの位牌に収め奉る。


この世とあの世をつなぐもの、沖縄ならではの、生者と死者の交流の文化だ。

伊佐家の人々は、そのトートーメーを作ってきた。
ここ、やんばるで。
お向かえに、米軍基地を感じながら。



アーサー:
高江に来たのは、何がきっかけ?


真次さん:
高江はですね、木工所の移転ということ。
こんな僕みたいなシティーボーイがさ、やんばるに来ていいのかなぁと思ったんですけど、
ここまで、この北部訓練場(北部訓練場=ジャングル戦闘訓練センターの別称)が、激しい訓練をしてるっていうのは、わからなかったですね。


アーサー:
じゃあ、来てから、いろいろ…。

真次さん:
来てからですね。
あー、こんなところに、こういう基地があるなんておかしい、と思ったですね。
だから、今、辺野古で作ろうとしているのと、全く同じで、うん。


アーサー:
その時は、まだ結婚してない?

伊佐育子さん:
してましたよ。
上の子ができて、そしてコレ(弓弦さん)は、(国頭村の)安田(アダ)で生まれてんですよ。

真次さん:
コレはやんばるの人。

アーサー:
ほんとのやんばる男。
ヤンバルクイナよりも、生息数が少ないんじゃない?

弓弦さん:
貴重種ですね。


京都生まれの石原育子さん(1960年 京都府生まれ)は、旅行できた沖縄で真次さんに出会った。
1986年に結婚。沖縄へ移住した。



育子さん:
(まだ)お付き合いしていない友だちの時に、彼のお家に行ったら、(真嗣さんの)母親がいたんですよ。
で、初対面であった途端に、京都から来たんだよーっていう紹介を、真嗣さんがしてくれたら、
「そうなん、こんなとこにお嫁に来るなよ」って言われた。


「沖縄には、お嫁に来るなよ」って言われたの。

続けてね、
「嘉手納基地見てきたか?」って。
「あそこには、広島長崎のピカドンの、あれの何倍も大きなのが、地下にあるのよ」って。


その時は意味がわからない。
もうわたしは、平和ボケしてるから。
で、しばらくそのまま忘れてて、お嫁に来てしまって。
沖縄で暮らしている間に、米軍の、毎日のように起こる事件事故。


そういう中で、1995年の、少女暴行事件の、あのときの集会に行ったら、年配の女性は、みんな泣いていたのね。
あ、沖縄の人は、基地を受け入れてなかったんだ。


どうして自分たちは、あの少女さえ、1人守れなかったのか…。


日米両政府は、辺野古だけでなく、ここやんばるにも、さらなる米軍施設を、建設しようとしている。


オスプレイ専用に、森を新たに切り開いて、直径75メートルの着陸帯を、6つも建設すると言う。



真次さん:
ここは亜熱帯の森ですから、適度な湿度で守られてるんだけど、この直径75メートルの円形を作るわけです。
そうすると、その周りの切られたところから、風が入っていく、日光が入っていく。
乾燥化が進んでいって、生態系が変わるって言われているんですよね。



2007年夏、工事が始まった。


高江に住む人々は、国に対して話し合いを求め、座り込みを始めた。








「うちのねぇ、山全部壊してさ、こんなことで沖縄の宝を壊して」



育子さん:
この基地を受け入れて、オスプレイが飛び交うところになってしまったら、母親の「嫁に来るなよ」という言葉が、そのまま自分に返ってくるんですよ。
「こんな危ないところに住まんでよ、外に行って住みなさい」っていうね。


そういうことを、自分が、今度は子供に言わないといけなくなってしまう。

真次さん:
まず、私たちと、話し合いの場を持つ。
そうじゃないとですね、いつまでたっても平行線なんですよ。



六つのうち、二つの着陸帯は、去年完成してしまった。


オスプレイの訓練も、もう開始されている。

けれど残り4つの工事はちっとも進んでいない。


住民と支援者が交代で座り込みを行い、今年の夏で丸8年、休まず続いている。




郁子さんは土曜日の座り込み当番だ



育子さん:
一日でもいいんです、うん、遅らせたいっていう気持ちでね。


それが積み重なって、何年も暮らすことになるのかもしれないしね。
お金いっぱいもらってご馳走食べるよりも、平和な暮らしの中で芋の方がいいっていう、沖縄の人の言葉があるのね。
人を傷つけて、ね、贅沢しなくていい。
便利にならなくていい。


アーサー:
芋でいい。

育子さん
うん、ね、一番体にいい。
おじいは長生きしてる。


毎日、お互いを思いやりながら生活する、家族の、これからのための座り込み。
やんばるに暮らし、森の生き物の代表として、頑張る。
人間には、それができる。



育子さん:
やっぱり、そういう自然を生かして、自分たちもその自然で生きていきたいと思うので、
ある程度はやっぱり、恵みをもらわないといけないし。
そこで。人間の知恵がいるんじゃないかなと。
戦争する知恵じゃなくて。


真次さん:
「知は力なり」ですから、暴力では解決できないと思うんですね。


アーサー:
伊佐さんは、非暴力主義者?

真次さん:
僕、ガンジー言われてますけど、あ、誰も言わないか、ははは!
話し合えばわかるのにって思う。
愛だよ愛、世の中を変えるのは。


アーサー:
グイアームストロングも、昔そう言ってた。

真次さん:
ああ、そうか。

アーサー:
でも、なんかむかつくときは?

真次さん:
ありますよ、むかつくけど、それは一瞬だね

アーサー:
トートーメーって、手を合わせてちょっとこう、落ち着いた気持ちで向き合うでしょう?

真次さん:
会う人会う人にみんな、こうやればいいんだよ、手を合わせればいいんだよ。

アーサー:
そしたら、本当にガンジーって呼ばれる。


やんばるの、自然界の多様性が、これからも続くために、座り込む。




沖縄の、この世とあの世をつなぐ、トートーメーの文化を、ずっと作り続ける。


伊佐家は、それを選んだんだ。










やんばるの森が存在していること自体、奇跡だなぁと思いますね。
ヤンバルクイナも、ヤンバルホホヒゲコウモリも、ヤンバルテナガコガネも、みんなやんばるにしかいない生き物で、
彼らがそもそも、誕生したことも奇跡だし、彼らの生態系が今も続いていることも、奇跡だと思います。
その奇跡の背景には、やんばるの森をずっと、守ろうとしている人々の活躍もあって、今回、伊佐家のみなさんにお会いしました。
やんばるの森を守ろうとすると、ある種のもどかしさを、味わうことになります。
というのは、その、やんばるの森に分け入って行こうとすると、それが違法行為になるんですね。
でも、その入れない森、そのもどかしさも含めて、みなさんがその、戦いの原動力にしてて、それもとっても力強いなっていうふうに思いました。


スタジオ:
「戦場取材で、これまでいろんな戦地に行きましたけど、そこには米軍の海兵隊の姿があったりして、
一見、その戦争は、日本とは関係ないように見えるけど、実は、その海兵隊は、沖縄から来てる場合が多いんですよ。
そういった意味では、すごくその、日本が戦争とつながってるということを感じて、ため息が出たり、
また、そうした米軍が、やっぱり自然環境の中で、破壊をしながら存在していくという、
こういうことをやっぱり、我々としてもしっかりこれ、考えていかなきゃいけないな、と思いますね」

「子供の頃、小学生の時に、ヤンバルクイナを教科書で知って、見てみたいなーって思った気持ちを、今まさに思い出しました」

「伊佐さんが住んでいる、高江という村。
これは、あの数年前に、ドキュメンタリー映画で有名になった、『標的の村』というところの舞台なんですけれども、
ベトナム戦争の時代、アメリカが、高江の村、集落を、ベトナムの民家に見立てて訓練をしていたという、
もう50年60年の歴史を持っている、辺野古に比べてなかなか報道量も少なくて、注目されることが少ないんですけれども、
こうした、森と生きる人たちの息遣いも含めて、今日、知ることができましたね」

「なんか、普遍的なテーマですよね。
そういう自然環境の中で、我々人間も生かされているわけだし、そこを、その戦争をする人たちが、破壊しているというね…うーん…」

「ということでした」

『海街diary』と『しばしのお別れ会』と『カヤック漕ぎ』と『沖縄』と

2016年07月27日 | 友達とわたし
のりこ&ジャン夫妻のまぁるいお家に、初めて遊びに行かせてもらったのは、6月のはじめの、空一面が薄い雲に覆われていた日だった。


水がとにかくきれいで、美味しくて、だからウォータークレスが野生ですくすく育っているような町で、
わたしはいっぺんに惚れてしまい、また行きたくてウズウズしていたのだけど、こちらからお邪魔ばかりはできない(←夫のポリシー)からと、
なんの変哲もない、ありふれたニューヨーク郊外の小さな町の我が家に、遊びに来てくださいと誘った。
それも前日のギリギリに。
友だちの仲といえど、予定を決めるのに最低でも3日以上は必要だからと、事前に都合を聞いたりするのが夫の常識なんだから、思いっきり非常識だった。
すると、カヤックに乗る約束してたんだから、こっちにおいでよ!、とのりこ。
きゃっ!とばかりに舞い上がり、行く行く!と答えていた。

そんな会話をしていたのは土曜日で、のりことジャンは、セントラルパークのストロベリーフィールドで、沖縄の基地問題に苦しむ住民の人たちに心を寄せながら、抗議活動をしていた。
わたしは、アスファルトの熱に猛烈に弱い上に、連日の寝不足で体力に自信が無かったので、参加しないと決めてはいたものの、
実は夫もわたしも、その週末は月曜日までの3連休になっていて、遠出はできなくても何かしら楽しめないかとあれこれ探していたら、
是枝監督の『海街diary』が、マンハッタンのリンカーンセンター・シネマでやっているというので、映画館の中なら大丈夫だろうと行ってみた。
この映画は去年のもので、今年の誕生日に届いた弟からの『お楽しみ箱』の中に、この映画のDVDが入っていた。
是枝監督作品の中の日本の風景は、あるある!と頷いたり、思い出されたりすることが多くて、だからしみじみと懐かしくなる。
人々の暮らしや仕事っぷりはもちろんのこと、出てくる人たちの話し方までが、とても自然なので、妙に可笑しかったり馴染みやすかったりする。
だから、4人姉妹それぞれの言葉や動きの中に、小さかった頃の、少しマセていた頃の、そしてすっかり大人になった頃の自分の、
その時々に感じていた可笑しさや辛さ、恐れや怒りや悲しみが、細い水の糸になって絡み合い、わたしの心の中に静かにしみ込んできて、
気がつけば、圧倒的な悲しみに、わたしはすっぽりと覆われていた。
だからぎゅうっと唇を閉じていないと、場所を構わず、小さな子どものように、オイオイと泣いてしまいそうだった。

その後すぐに、クィーンズに住む次男くんたちのアパートに行き、ガールフレンドのまなっちゃんの誕生日祝い&しばしのお別れ会をした。
そんなこんなの、けっこうバタバタしている間に、のりこが誘ったレイチェルと彼女の娘っ子のジェイン、そしてわたしたちの4人がお邪魔する、という計画ができていた。

庭がずいぶんと進化していた。


カヤックがもう既に準備完了。大変だったろうなあ…。


のりこの庭は、わたしが目指す大きな岩と緑のコラボ。


なんて美味しそうな土だこと!


シーサーが見守る庭。


でっかい花。隣のジョウロと見比べてほしい。


これまた元気いっぱい。


花も元気。





さあ出発!
カヤックの先端がにょっきり…こういう光景はなかなか見れない。


4つのカヤックを積んだジャンの車。カヤックはびくともしない。


着いた!前回の湖より何倍もでっかい。


なんか、カナダを思い出す。




レイチェルが持参したカヤックは、彼女の娘たちからの贈り物。今日は初乗り。


順々にカヤックを湖に浮かべる。






オールを組み立てるのりこ。ベテランさんです♪




カヤックの中にカメラを持ち込むのはやめた方がいいと言われ、しぶしぶ諦めた。
だからここからは、レイチェルが携帯で撮ってくれた写真をお借りして。






ジャンのカヤックには帆が付いている。
彼は小さな頃からカヤックに乗っていて、だから帆が受ける風の強さや向きを見極めることができる。
この日はほとんど無風に近かったから、ちょっと大変そうだった。




暑いけれども、水の上なので気にならない。だけど念のために木陰で休憩。


カヤックに乗りながらいっぱい話をした。やっぱりのりこは、出会うべくして出会った人だと思った。


ジェインはピューっとどこかに行ってしまう。漕ぎ方がうまい。


そして、木陰でゆっくりと涼んでいる。


水がきれいで、だからマジで泳ぎたかったのだけど、泳いだ後にもう一度カヤックに乗り込めないのはわかっていたので諦めた。


もうどこにでも生えている野生のラズベリー。超〜うま!



今度はみんなで手伝って、カヤックを積み直し、


サンルーフからカヤックを見上げながら走っていると、


「あ、卵!」とのりこが指差す方を見ると、看板が出ていた。
このお家はご近所で、だからまずは家に戻り、財布を片手に歩いて行ってみると、残念ながら売り切れていた。


ジェインとジャンが、カヤックの片付けをしてくれている。



さあ、夕食の時間だ!
わたしたちが台所で野菜料理をせっせと作っている間に、






ジャンは、秘伝のバーベキューソースをたっぷりかけたそれはそれは美味しいチキンや野菜を、焼いてくれていた。


蚊対策はバッチリ。




小川のせせらぎの音が、耳に心地よい。


この平和を、静けさを、そして自然との共生を、凄まじい騒音と恐怖によって奪われてしまった沖縄の人たちの無念と怒りに想いを馳せる。



わたしのドリームハウス?蚊帳つきの部屋!


美味そ過ぎ!




さあ、食べよう!


レイチェルの娘ちゃんのジェインは、とても聡明でチャーミングな女性で、けれども時々、コトンとレイチェルの肩に頭を乗っける可愛い仕草をする。
いいな〜やっぱり…うちの息子たちなんて、わたしが近寄っていくと後ずさりするんだもんな…。





楽しい時間、美味しい時間は、あっという間に過ぎていく。
気がついたらまた、夜の10時を過ぎてしまっていた。
ジャンとのりこが製作中の、沖縄のドキュメント映画の一部を見せてもらった。
のりこは沖縄のやんばる出身で、だから彼女の沖縄への想いは、わたしの想いなどとは比べ物にならないほどに強い。
そんな愛しいのりこの想いに共感したジャンは、沖縄を学び、沖縄に足を運び、沖縄を自分の心と体で感じ、それを映像に残したいと願っている。
映像とともに流れる三線の響きが、胸に響いた。
映像を見つめているうちに、わたしの頭の中で音符が踊りだした。

さて、居心地が良すぎるからと、長居していてはいけない。
ジャンは明日、務めがあるのだ。
それに、空と海はきっと、連日の置いてけぼりにムシャクシャして、拗ねているにちがいない。
などと自分に言い聞かせなければならないほどに、離れがたい友だちと場所に出会えた。
ほんとにありがとうジャン、ありがとうのりこ。

ゴルフ三昧にハンバーガー、中華に焼肉、そして温泉。それがこの暴力団の最高責任者

2016年07月23日 | 日本とわたし
同じ日本の、他の県からわざわざやって来て、穏やかな暮らしや豊かな自然を守りたいと争った住民に暴力を振るった人たち。












その最高責任者がこの男だ。



(7月19日の動向)

午前8時現在、山梨県鳴沢村の別荘。
朝の来客なし。
 
午前11時21分から午後0時35分まで、北村滋内閣情報官。

同36分、別荘発。
午後0時46分、同県富士河口湖町のハンバーガー店「ムースヒルズバーガー」着。
北村内閣情報官、秘書官と食事。
 
午後2時3分、同所発。
午後2時13分、別荘着。
 
午後6時51分、別荘発。
午後6時59分、同町の中国料理店「異彩中国菜館 湖宮」着。増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務らと食事。
午後9時8分、同所発。
 
午後9時16分、別荘着。同17分、増岡氏らが入った。
20日午前0時現在、別荘。新たな来客なし。


(7月20日の動向)

午前6時55分、山梨県鳴沢村の別荘発。
同58分、同県富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」着。
増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務らとゴルフ。
 
午後2時47分、同所発。
同51分、別荘着。
21日午前0時現在、別荘。来客なし。(2016/07/21-00:06)


(7月21日の動向)

午前8時現在、山梨県鳴沢村の別荘。
朝の来客なし。
午前中は来客なく、別荘で過ごす。
 
午後1時2分、別荘発。
午後1時13分、同県富士吉田市の温泉施設「ふじやま温泉」着。入浴。
午後3時13分、同所発。
 
午後3時24分、別荘着。
同6時13分、別荘発。
午後6時25分、同県富士河口湖町の焼き肉店「鉄庵」着。
渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長と食事。
午後8時29分、同所発。
 
午後8時39分、別荘着。
22日午前0時現在、別荘。来客なし。(2016/07/22-00:13)


(7月22日の動向)

午前6時55分、山梨県鳴沢村の別荘発。
午前7時19分、同県山中湖村のゴルフ場「富士ゴルフコース」着。
渋谷耕一リッキービジネスソリューション社長、加計孝太郎学校法人加計学園理事長らとゴルフ。
 
午後1時52分、同所発。
午後2時19分、別荘着。
 
午後4時1分から同10分まで、北村滋内閣情報官。
同11分から同14分まで、堀内詔子自民党衆院議員。
同15分から同5時34分まで、北村内閣情報官。
 
午後7時20分、別荘発。
同29分、同県富士河口湖町の中国料理店「異彩中国菜館 湖宮」着。
山崎学日本精神科病院協会会長らと食事。
 
午後9時31分、同所発。
同41分、別荘着。
23日午前0時現在、別荘。来客なし。(2016/07/23-00:07)


「菅長官は工事を正当化するが、『軽減』どころか負担増」







『基地権密約』『地位協定』の廃棄&『外国軍基地を置かない』と憲法明記の運動を起こし沖縄と共に闘おう!

2016年07月22日 | 日本とわたし
標的の村・高江。
沖縄。やんばるの東村は、米軍のジャングル演習地に囲まれています。
演習場の中に、住民の方々が生活しているといっても過言ではないという、ひどい環境に置かれています。
しかも、通常は当然設置されるフェンスもなく、だから住民の自宅の庭や畑と演習場がつながっているという、異常な状況を強いられてきました。

高江の住民の方々は、ベトナム戦争の最中、老若男女違わずベトナム人の格好をさせられ、米軍の戦闘訓練の標的にされました。
そして、生活環境はもちろん、稀に見る豊かな自然の宝庫であるやんばるの森を守るため、さらなる米軍施設の建設に抗議する住民が、言いがかりのような理由で国に訴えられました。
その、長年にわたる沖縄での抗議活動の様子は、全国ニュースではほとんど取り上げられません。
だから、沖縄以外の地域で暮らす人たちの中には、沖縄の苦しみ、悲しみ、怒りが染み込んだ、いまだに戦争の島として生きていかなければならない理不尽さを、知らない人が多いのです。
ほんの小さな集落なんだから、騒音と危険を押し付けてもどうってことはない。
人を人とも思わない人間たちによって、権力側の常套手段である仲間内の分断『沖縄県民同士の争いに仕立て上げる(抗議する沖縄県民とそれを排除する沖縄県警)』が成り立ってしまいました。

何度も言いますが、わたしは、福島の原発事故が起こるまで、原発問題も核問題も基地問題も、気にはなるけれど、その場に住んでいるわけでもないし、
どれもこれも問題が大き過ぎて考えても仕方が無いし、だから申し訳ないけれども自分には手に負えないから、みなさん、頑張ってください、などと考えていました。
そのような考え方や生き方が、正しくないと分かっていたけれども、だからといって一度身を置いてしまったら、生活のリズムが無茶苦茶になると思い込んでいました。
わたしは本当にバカでした。
ひどく間違っていました。
わたしは日本に生まれ、43年間日本に暮らしました。
こちらに移り住んで16年が経ちましたが、いろんな場面で褒められたり、尊敬してもらったりするたびに、わたしの中に脈々と流れている日本というものを強く感じてきました。
でも、わたしは本当に知らないことが多すぎました。

『日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか』
『日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか』


矢部宏治さんが書かれたこれら2冊の本を読めば、日本がいかに占領されたままの状態にあるかを理解できます。
ほんの一部ですが、引用します。

「アメリカとの条約が、日本国憲法よりも上位に位置する。
これは占領期の違法な権力構造ですが、これを法的に確定してしまったのが砂川裁判だったのです。
そして、日米安保条約などの条約は、日本の航空法など、一般の国内法よりも強く、上位にあるので、
一旦条約が結ばれると、必要に応じて、日本の法律が書き換えられたり、「特別法」や「特例法」がつくられることになります。
米軍機がなぜ、日本の住宅地上空で、めちゃくちゃな低空飛行ができるのかという問題も、
「日米安全保障条約」と、それにもとづく「日米地位協定」(在日米軍がもつ特権について定めた協定)を結んだ結果、
日本の国内法として「航空特例法」という法律がつくられているからなのです。
米軍機は、高度も安全も、なにも守らずに、日本全国の空を飛んでよいことが、法的に決まっているということなのです」


沖縄の人たちは、戦後ずっと、基地問題で闘ってきました。
ただ普通に、爆音や事故に悩まされない、静かな暮らしがしたい。
子どもたちに、普通の暮らしを受け継がせてあげたい。
豊かな、壊されたら二度と戻ってはこない自然を守りたい。

わたしたちには何ができるのでしょう。
わたしたちは何をしなければならないのでしょう。

この『日米安保条約』と『地位協定』を、そして『基地権密約』を廃棄させるべく、憲法にこのふたつのことを明記するよう呼び掛けましょう。
これは、以上で紹介した『日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか』の276ページに書かれているものです。

『唯一、状況を反転させる方法は、憲法にきちんと、『日本は最低限の防衛力をもつこと」と書き、
同時に、『今後、国内に外国軍基地をおかないこと」を明記すること。つまり「フィリピンモデル」です。
そして、米軍を撤退させ、米軍駐留の結果として機能停止状態におちいった日本国憲法の機能を回復させる。
日本がふたたび侵略的な戦争をする国になることを防ぎ、加えて「大地震の活動期を目前にした原発再稼働」という狂気の政策を止めるには、この方法しかありません』


沖縄の現地に駆けつけることができないわたしたちは、この呼び掛けを強くしっかりとやり、全国に広めていかなければなりません。
時間があまりありません。
がんばりましょう!

前回の記事でも紹介させていただいた写真家・森住卓氏が、フェイスブックで伝えてくださった高江の様子を、ふたたび紹介させていただきます。

https://www.facebook.com/takashi.morizumi/media_set?set=a.10207489360971383.1073741924.1209393433&type=3&hc_location=ufi

国は予告通り早朝から、警視庁、神奈川、愛知、大阪、福岡などから、機動隊500人以上を動員し、沖縄県警とあわせ1000人近くの戦力で、高江に襲いかかってきた。
早朝、県道70号線を、北と南から封鎖し、外部の出入りが出来なくした後、5時には、北と南から、高江のN1ゲート前に押し寄せてきた。
前夜から、住民は、車両百数十台を駐車し、機動隊の侵入を阻止していたが、レッカー車で次々排除し、数民の座り込むテントに押し寄せていった。

1879年、明治政府が、500人の軍隊を動員し、首里の琉球王朝を倒し併合した。
いわゆる、琉球処分を思い起こさせる。
まさに力尽く。
問答無用。
安部政権の最後の断末魔は、歯止めがきかない。
オスプレイの騒音や低周波に悩まされないで生きたい、自然豊かな環境で静かに暮らしたいという、当たり前の願いさえ、安部政権には通じない。
こんな人権と民主主義破壊の暴挙を、許しておいて良いのか?
全国の世論を、急速に盛り上げなければならない。

圧倒的な暴力の前に、いったん撤退ですが、闘いはさらに大きく広がっていくでしょう。
こんな問答無用のやり方がありますか?
絶対許してはなりません。
この局面は負けかもしれない。
しかし、高江は全国区になり、住民の声は全国に届いた。
この安部政権の暴挙を許しているのは、本土の世論です。
問われているのは本土です。


昨夜から機動隊が動き出していた。




































































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3年前の8月16日に放映された『標的の村・国に訴えられた沖縄の住民たち』を文字起こしをしました。(話し言葉を省略しています)

『標的の村』 国に訴えられた沖縄の住民たち
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2013/09/post-0c0d.html

映画で戦争を考える~標的の村~
2013.08.


ゲスト:藤井 誠二(ノンフィクションライター)
VTR出演:三上 智恵(琉球朝日放送報道部)
8月10日(2013年)から順次全国で公開される「標的の村」は、琉球朝日放送が追い続けた、"沖縄の戦い"のドキュメントだ。
沖縄、山原の東村は、米軍のジャングル演習地に囲まれた村。
この演習地に、新たにヘリパッドが建設されることを知った住民は、反対運動に乗り出す。
このヘリパッドは、いずれ、「オスプレイ」の訓練施設となるからだ。
しかし、立ち上がった住民の前には、国からの、考えられないような障壁が立ちふさがる。
そして、やがて彼らの反対運動は、「オスプレイ配備反対」の戦いとなり、運命の日を迎える...。
内地では、ほとんど報道されることのない沖縄の真実を、この映画は伝える。

↓以下、文字起こしはじめ

『標的の村』

沖縄県の北東部に位置する東村。



自然豊かな地域。
高江という集落。



米軍演習場のど真ん中にあって、普段から住民は危険に晒された生活をしている

2007年に、高江集落を取り囲むように、米軍ヘリの発着場であるヘリパッドを、6つも建設することになった





ここにはオスプレイも発着する
東村はすごく広い。
高江はその少し奥まったところにある、やんばると言われる自然豊かな所の一角
非常に狭い小さな集落。
普通は設置されるはずの集落と演習場の間にフェンスが無い
住民の自宅の庭と練習場がつながっている
演習場の中に住民の方々が生活しているといっても過言ではない地域

『標的の村』は高江が舞台。

予告編の映画の中に4つのポイントが集約されている。



1. 高江の住民は米軍の戦闘訓練の標的にされた。
2. 抗議行動をとる住民が国に訴えられた。
3. 沖縄での抗議活動の様子は全国ニュースでほとんど取り上げられなかった。
4. 沖縄県民同士の争い(抗議する沖縄県民とそれを排除する沖縄県警)


大きなポイントというのは、1.と2.にある。
ベトナム戦争時代に、米軍の訓練する場所として設定し、高江の女性も子供も含めた住民を参加させ、銃を向けられる。
標的にされていた沖縄に対する、占領国米軍からの、人を人とも思わない、ある種実験台にするような視線を感じる。
このドキュメンタリー映画を作った地元の琉球朝日放送は、枯葉剤の問題をずっと追求している。
(高江に作られた)ベトナム村にも、枯葉剤が持ち込まれていた
ベトナム村を作るときに、広場の草を狩るために用いている。
実際に、那覇港から、大量の枯葉剤が持ち込まれた
それを運んだ米兵が、健康被害を受けたとして、アメリカで訴えを起こし認められている。

そういった意味でも、非常に危険なものが、沖縄で米軍が使っていたという事実に、ショックを受ける。

抗議行動している住民の人たちが、国から訴えられた。
15名が、通行妨害をしたということで訴えられた。







権力を持つ国側が、そういう裁判をして、抗議運動を冷やしてしまう。
権力にとって1番有効な方法論は、身内を分断させるという事。
仲間内で、対立を招くような方向にもっていく。
今回の裁判は、狙い撃ちのように、そこにいなかった子供まで訴えられている、非常に悪辣なやり方。

標的の村は91分の映画だが、8分37秒にまとめたので、観てもらいたい。

































































高江という集落だけではなく、住民の一人一人の命が、標的にされている。
私たちが、普段味わっている平和というものは、こういった人々の犠牲と、苦しみの上に成り立っている。
福島のような、原発がある地域もそうだが、地域の中の仲間や共同体が、分断される中で、人々がそこで苦しんでいる。
その上に立って、私たちが生活をしている。

学校の教室の中でも、分断が存在している。
一体、何年こんなことをやっているんだ、という思いがある。

沖縄に、戦後、ものすごい莫大な、天文学的な数字の補助金が、吸い込まれた。
内地には、それだけもらっているならいいではないか、という意見もあって、だから文句を言うんじゃないと言う人たちもいる。
けれども、この映画に現れているのは、基本的な人権そのものが、あまりにも侵されているという次元の話で、許されるべきことではない

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標的の村の監督、三上智恵さん。
三上さんは、琉球朝日放送のキャスター兼ディレクターで、長年にわたり、米軍基地問題に苦しむ沖縄の人たちの姿を取材している。

三上智恵監督:
私が、これを映画にするきっかけになったのは、去年の12月に、標的の村の1時間バージョンを放映したときに、
いろいろ努力はしたが、ローカルでしか放送できなかった。
沖縄の局がちゃんと伝えてくれないと、私たちは加害者になりたくないのに、知らなくて加害者になるのはもう嫌だ、と言う意見がけっこう着た。
知らないことで誰かを痛めつけて、その上で生きていたくないと思う、まともな日本人は、まだまだたくさんいると思う。
どっちかって言うと、逃げているのはメディアではなかったのかと。
何か過激なことをしている人たちを取り上げると、自分が責任を取らないければいけなくなる。
たくさん責任をとらなければいけない立場の人たちが、それぞれ少しずつ逃げていくので、大事な問題が伝わらなくなった、と私は思っている。
多分、望む答ではないと思うが、一人一人がズルをしているから、伝わらないんだと思う。


Q. 高江が、オスプレイの訓練地になるという認識は、前からあったのか?

三上智恵監督:
2007年には、あそこがオスプレイの訓練地になると確信してたから、報道はしていた。
ただ、本当に、この村を標的にして訓練をする、可能性があるのかないのかについては、まだ最初は懐疑的だった。
でも、何度も何度も高江に通うと、観光バスぐらいの大きなヘリが、自分の頭上をぐるぐるぐるぐる、(ヘリの)窓を開けて(地上にいる)自分のことを見ながら回る。
それを実際に見ると、何らかの目印になっていることを実感できる。
でも、それでもやはり、訓練の中に組み込まれているかどうか、確信は持てなかった。
でも、そこで、ベトナム村と言う話が出てくるのだが、そこに気付いてからは、高江をやらないとダメだし、
追い込まれていく高江、戦争の訓練に、これからもさらに巻き込まれて、標的にすらされていくかもしれない高江という地域は、沖縄の縮図だから、
ここから、沖縄が今も抱えている状況を、全国に伝えていけると確信して、高江を取材していた。

Q. 県民同士が争っている姿を移すことについて

三上智恵監督:
今回の、私たちの標的の村は、ある意味で、自分たちの裸踊りみたいな、客観的に自分たちを演出しきって出しているものではなく、
今すぐ、全国の人に知ってもらわなければいけないものを、慌てて持っていって、
そこには、私たち報道の敗北そのものが、映し込まれていて、こんなふうに、県民同士が戦うシーンにすり替えられていく。
それを泣きながら報道する報道機関。
それでいいのか?などと、いろいろ考えてもらうこと自体をよしとして、あれを出している。
もちろん、批判していただいて結構。
もっとまともな報道するべきだと思われても、全然構わない。
ただ、実態はああいうことで、県民があんなに衝突し合っているところで、冷静にカメラを回し、冷静に編集することが尊いなどとは、ひとつも思っていない。
怒りの主体であり、涙を流す主体は、やはり私たち沖縄県民だから一緒なのだ。
そこをこう、距離間があるように、あたかも冷静に、芸術点も最後上げながら、きちんと編集しましたっていうものをもっていく方が、潔が悪い感じが自分はしている。

反対運動をしている人たちだけが戦っている、と思っていない。
戦争からの沖縄の歴史の中で、私はいつも、起点を1945年(1月に米軍が沖縄に上陸)に置いて、ものを見る癖がついている。
1945年にどうだったのか、そこから考えると、沖縄はそんな戦争の島として、永遠に生きていかなければならないわけがない。
だから、日米の、いろんな戦争のものをずっと置かれている事は、やっぱり異常なことだ。
利益を受けている人がいるだろうとよく言われるが、利益を受けている人が、同時に被害も受けているんだったら、話は分かるが、
利益を受ける人と被害を受ける人が違っているのであれば、両方沖縄の人だからいいでしょ、と言われる筋合いは全くない。
被害だけ受けている女性や子ども、そういう被害を受け続けている人がいるのに、基地があった方が経済的にいいでしょうという、違う次元の話をされても、それはもう、違うとしか言いようがない。
沖縄側に立ちすぎると言われても、東京を中心とした日本の利益と、沖縄の利益が一致しない間に立つなど、何の意味もない。

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なぜ米軍が、勝手に、あんなめちゃくちゃなことできるのか。
日本は、戦争に負けて、条約ができたらすぐに、戦勝国は出て行かなければならなかった。
だけれども、その中に、特別な条項が残され、アメリカが残るようにできてしまった。
その残ったアメリカが、日本のどこにでも基地を作れて、どこでも活動が自由にできるというのが、残されてしまった(密約なども含めて)。
それをサポートするのが、日米地位協定。
それによって、日本中にある米軍基地の中で、米軍が、ものすごい特権を許されている。
そういった日米地位協定というものは、明らかに、占領国のままの内容である。
犯罪を犯しても、米軍基地に逃げ込んでしまえば、そのまま向こうの法律で裁かれる。
女性がレイプされたり、性犯罪が起きても、軽い罪で終わってしまう。
拘束できないっていうことが、よく報道される。
そういった、我々がまだ、いまだに植民地状態、占領状態にされてるままで、それでいいのかということを、考えなければいけない。
今、憲法改正を言われているが、それは押し付け憲法だから変えると、安倍さんたちは言っているが、
その押し付け憲法より以前に、この地位協定、我々がまだ、アメリカの従属国状態に、占領状態に置かれていることを担保している日米協定から、まず変えるべきであって、その後に、憲法改正に行ったほうが、論理的に正しい。

歴代の総理は、沖縄の負担を軽減する、誠意を持って取り組みたい、と口では言うが、
反対運動する住民を、分断させるような意味合いを持った、民事提訴をする。
地位協定も、運用で米軍と交渉すれば、もう少しやりようはあるはずである。
この努力を放棄している、としか言いようがない。

今、沖縄では、以前にも増して、沖縄差別という言葉が使われるようになってきている。
日本の基地の75%があり、オスプレイも事前告知がほとんどなしで、いきなり飛んでくる。
それに対して、日本政府が、満足に手を打てない。
基地を代わりに受け入れてくれる自治体もない。
日本の中で、沖縄が、かなり差別をされているという認識が広がっている。
独立論というものが、大真面目に語られているという状態。
差別をしている人間というような視線で見られている、ということを、私たちはもっと自覚をしなければならない。

「沖縄高江はまるで戦争です。メディアはこの戦争を黙殺しています。この異常事態を伝えて!」三上智恵監督

2016年07月20日 | 日本とわたし
沖縄県の高江では、ヘリパッド建設の強行が、参院選直後の明け方から始まっています。
ヘリパッドは、高江の集落を囲むように、全部で6箇所建設される予定で、そのうちのすでに完成した2箇所には、すでにオスプレイが配備されてしまいました。

6箇所すべてを完成させるための工事に抗議する市民の人たちを排除するため、全国から集めた1000人という、異常ともいえる数の機動隊を投入しました。
高江は、那覇から車で3時間。
住民の数は約160人、とても小さな集落です。
そして、やんぱるの森という、世にも美しい緑と、豊かな種類の生き物が住む、素晴らしい森があります。
そんな小さな村の近くにあるダムには、抗議の人々が使う公衆トイレがあるのですが、そこでは警察が検問しているのだそうです。
そしてその1000人もの機動隊は、少し離れたホテルに寝泊まりしながら、抗議をする住人や人たちをごぼう抜きするのです。
抗議のテントの撤去も始まるといわれています。

高江のヘリパッドは、1996年12月の『沖縄に関する日米特別行動委員会』において、米軍北部訓練場の一部を返還する条件として、建設されることになったのですが、
このとき国は、オスプレイ配備の可能性を把握していながら、住民には全く知らせませんでした。

『それから説明会も何もなく、工事を強行し、年間1200回という、オスプレイの高江での訓練は、もう始まってしまった』
『返還を口実に、恩着せがましく振る舞い、より便利な訓練場を、日本の税金で用意して頂こうという、アメリカ軍の常套手段』


不条理な権力の横行に苦しめられてきた沖縄を、ずっと撮り続けておられる三上智恵監督の言葉です。

高江の人たちは、毎日毎晩、超低空飛行するオスプレイの爆音に、苦しめられています。
夜の11時近くまで飛んでいるのです。
騒音、低周波、振動、そして恐怖。
気が休まらず、気が狂いそうになると、大人のげんさんがおっしゃっていました。
もちろん、そんなだから、子どもたちも眠れず、学校にも行くことができません。
家族で避難している人たちもいます。

今でさえそうなのですから、6箇所のヘリパッドが完成してしまったら、年に4000回もの低空飛行が実施され、もう高江には人が住めなくなってしまいます。

もうわたしたちは、沖縄を他人事にしてはいけない。
気にならないわけではないけれど、気の毒だとは思うけれど、などと言って済ましていてはいけない。
自分の身に同じことが起こったらと、一所懸命に想像し、同情し、何か自分にできることを見つけて行動しなければならない。
弱っている人、困っている人を、助け合い、支え合いして、引き上げていく。
誰もが同じように幸せに、というのは無理な願いかもしれないけれど、このような理不尽な暴力に晒されている人たちを、無視してはならない。

だからどうか、伝えてください。
国が振るう暴力に立ち向かえるのは、潰された目を取り戻した市民の数の力です。

******* ******* ******* *******

写真家・森住卓氏が、フェイスブックで伝えてくださる高江の非常に厳しい様子を、ここに紹介させていただきます。

森住氏は、イラクの子どもたち(爆弾を落とされる)の側に立ち、徹底的に取材を重ね、シャーロット・アルラブロン氏と共に、写真集『私たちはいま、イラクにいます』を出版した写真家です。
イラクのみならず、理不尽な暴力を受け、被害に苦しみながらも、力強く生き抜こうとする人々の姿を、場所を問わず出かけて行き、映像に残す作業をし続けておられる方です。
だからこそ、この沖縄の高江で起こっている権力の暴行を、全く伝えようとしない本土のマスコミの代わりに、ずっと公開してくださっているのだと思います。

7月16日の高江

N1ゲート前













北部訓練場内に、急ピッチで建設が進むプレハブの建物。
作業員の宿舎になるのか?
この4日間に運び込まれた建設資材。



N1ゲート前、24時間の攻防が始まった。






7月17日の高江

7時20分過ぎ、負傷者が出てしまった。
警察は手当もせず、数メートル離れたところから眺めていた。
突き飛ばした機動隊員は、カマボコ車両に逃げ込んでしまった。







動画撮影していたカメラマンの撮影を妨害する機動隊。











7月17日の高江

明けやらぬうちから機動隊が徹夜で座り込む市民を排除。














7月19日の高江

今日も、早朝6時頃から動き出した。
警視庁、千葉、神奈川県警も配備され、弾圧体制が整ったようだ。
県道70号線高江の新川ダム入口で、検問が行われ、北上する車両のチェックが始まった。
ヘリパッド建設反対の市民は、検問は通行の自由を侵すと抗議。
検問を行っていたのは福岡県警。
抗議する市民を排除するために、警視庁、神奈川県警も駆けつけた。

戒厳令の村、7月19日。
明日、排除強行か?


やんばるの森が明けた。



衛局職員は、N1ゲート前のゲートと、駐車中の車両の間で、2時間ごとに交代で立っている。
胸を張って出来る仕事ではなく、終始うつむいている職員もいる。












安次嶺現達、げんさんは、当時7歳の娘さんも含め、「通行妨害」で国に訴えられた。













(まうみ注・ここに、げんさんがまとめられた高江の現状報告を、以下に転載させていただきます)
やんばる東村 高江の現状
http://takae.ti-da.net
2016年07月07日

高江の現状報告

高江在住、安次嶺雪音さんからの現状報告を転載します。
住民の会 (S)

高江の現状報告です。

皆さんこんにちは。
高江区民の安次嶺と言います。

6月20日頃から、毎日毎晩、オスプレイが我が家の上空を、超低空で飛びまわっています。

夜は11時近くまで。
2週間になります。
こんなことは初めてです。

7月4日の独立記念日前後は、静かな夜を過ごせて、安心して眠りましたが、
また昨晩、飛びだしました。

正直、気が狂いそうになります。

騒音、低周波、振動、恐怖、気が休まりません。

子供達も眠れず、学校に行くことができません。

今日も、国頭村に、子供達を連れて避難しました。
(しかし、国頭村の海上も、ヘリがグルグル飛んでいます。沖縄はどこにいても同じなんです)

「オスプレイが来たら、ここで生活ができなくなる」

ずっとその不安がありましたが、ついに現実になってしまいました。

新たなヘリパッドができたら、年間4000回以上、オスプレイが訓練をしにきます。

そうなると、本当に住めません。

こんなに素晴らしい環境なのに。
悔しくて仕方ありません。

私たち人間がこんなにきついのに、ノグチゲラをはじめ、ヤンバルに住む小動物たちは、なおさら生きていくことが厳しくなってくると思います。

何度、役場や防衛局に訴えても、現状が変わることはありません。

そんな中でも、東村教育委員会の方々や企画観光課の方々は、この状況を大変なことだと認識して、今色々動いてくれています。

1日も早く、オスプレイが、米軍基地が、沖縄からいなくなってくれることを願います。

子供達に、平和で明るい未来を手渡したい。

心豊かに暮らしたい。

戦争は絶対に嫌だ。

この現状を変えるために、みなさんの力が必要です。

一人でも多くの人に、高江の、沖縄の、現状を伝えてください。

声をあげてください。

選挙に行ってください。

よろしくお願いします。

安次嶺雪音



7月20日の高江
戒厳令の村 今日も作業強行を押しとどめています。
明日かあさってが本番か?

民意を無視した国の横暴。
問答無用。
いくら選挙で民意が示されても、お構いなく強行する。
選挙なんて意味が無い。
そう思うようになってしまう。
しかし今、その民意に押されているのは、強行しようとする国だ。
今日も緊迫の高江N1ゲートですが、なにも動きは無かった。
押しとどめています。
さらなる緊急の、全国からの抗議と支援を。
今日は、高江の住民・伊佐のオジイが、居ても立ってもおられず、早朝5時から姿を見せていた。
暑いからあまり無理せんでよ。
それからもうひとり。
毎週水曜日、バナナとパンを持って、テントに激励にきてくださる古堅実吉さん。
元国会議員で、鉄血勤皇隊の生き残り。
マイクを握った古堅さんは、87歳になる自分の沖縄戦体験を語り、
「若い機動隊や防衛局の皆さんが、こんな理不尽な仕事をさせられていることが気の毒だ。
上からの命令とはいえ、再び戦争をするための手伝いをしてはならない」と訴えられた。
すでにFBでお知らせしていますが、辺野古高江に座り込む、沖縄戦体験者の証言が本になリました。
「沖縄戦最期の証言 おじいおばあがなぜ新基地建設に反対する理由」(新日本出版社2000円税別)が、今月末に発売されます。
伊佐のオジイ、古堅さんをはじめとする、沖縄戦を生き抜いてこられた方々の証言です。
是非この本をお買い求めください。


https://www.amazon.co.jp/沖縄戦・最後の証言―おじい・おばあが米軍基地建設に抵抗する理由-森住-卓/dp/4406060480




















参院選敗北で安倍政権の沖縄いじめが激化、米空軍機が、沖縄市上空で、照明弾発射の暴挙!
しかし、本土マスコミは、一切報道せず

【LITERA】2016.07.18
http://lite-ra.com/2016/07/post-2425.html

先日の参院選において、大きなトピックとなったのは、沖縄と福島で、現職大臣が落選したことだろう。
とくに島尻安伊子氏は、この参院選を見越して、安倍首相が、県選出で、沖縄担当相に抜擢。
しかし、蓋を開けてみれば、辺野古基地移設反対を打ち出した伊波洋一氏に、10万票も差をつけられて“惨敗”したのだ。
 
2014年の沖縄県知事選に続いて、沖縄県民が、再びはっきりと、“民意”を国に叩きつけたわけだが、
対して安倍首相は、島尻氏を、民間人として大臣を続投させる方針を固めた。
沖縄は、島尻氏に「NO」を突きつけたのに、である。
 
だが、安倍政権は、沖縄に、選挙結果の意趣返しをするかのように、さらにとんでもない行動に出ている。
 
なんと、参院選の投開票の翌日11日から、沖縄県東村高江の米軍北部訓練場で、ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設工事のための、機材搬入を開始、反対住民を、強制的に排除しはじめたのだ。
 
しかも、住民の数が、たったの約160人という小さな集落に対し、政府は、500人規模の機動隊を、投入することを決定
きょうから順次、配備していく予定だという。
政府は、昨年11月にも、辺野古新基地建設の抗議運動が行われているキャンプ・シュワブのゲート前に、100人規模の機動隊を投入したが、今回はその5倍
この安倍政権の行動はあきらかに、選挙で再び示された沖縄の意志に対して、脅しをかけるやり方だ。
 
まったく、ここまで露骨に牙をむくことができるものかと驚くが、
『標的の村』『戦場ぬ止み』といったドキュメンタリー作品で、沖縄の現実を伝えつづけているジャーナリストで映画監督の三上智恵氏は、
今回の、参院選から一夜明けてのヘリパッド建設工事強行について、「わずか9時間の歓喜」と表現している。

〈国は用意周到に、参院選あけの11日早朝に向けて、高江の工事再開の準備を進めていたのだ〉
〈本当に、現行計画通りにヘリパッドができてしまったら、「負担増」どころではない。
高江は、人が住める村ではなくなってしまう。
あなたの家から400メートルの地点に、突然オスプレイ用のヘリパッドを造りますと言われたらどうするか、想像してみて欲しい〉

(マガジン9「三上智恵の沖縄撮影日記〈辺野古・高江〉」第55回/外部リンク)

『標的の村』に詳しいが、この高江では、ヘリパッド建設工事に反対するため、座り込み抗議を行った住民たちを、
防衛省沖縄防衛局が、「通行妨害」で訴えるという、スラップ訴訟も起こっている

しかも、その訴えられた住民のなかには、7歳の女の子も含まれていた
信じがたい暴挙である。
 
何度も繰り返される、沖縄への暴力──。
しかし、沖縄では、最近もうひとつ、見過ごせない事件が起こっている。
それは今月13日、米空軍嘉手納基地に所属するF15戦闘機が、沖縄市上空で、熱源体の照明弾「フレア」を3発、発射していたのだ。
 
幸いなことに、被害は報告されていないようだが、これをたんなる「誤射」と片づけるわけにはいかない。
こうした頻発するミスこそが、重大事故を引き起こす可能性を、証明しているからだ。
2004年には、沖縄国際大学に、米軍ヘリが墜落するという大事故が起き、日米地位協定の壁に阻まれて、いまだ事故原因の全容解明さえなされていないが、
沖縄ではつねに、このような、理不尽な事故への不安と隣り合わせのなかでの生活を、余儀なくされているのである。
 
しかも、である。
このフレア発射問題を報じたのは、地元紙だけで、読売、朝日、毎日、産経の4大紙は扱っていない
沖縄が抱える現実は、国全体の問題なのに、メディアがこうした姿勢でいるために、いつまでたっても基地問題は、“他人事”になってしまうのだ。
 
米軍属による残忍な殺人事件や、米兵の飲酒運転事故などが、立て続けに起こったが、
基地がある街の苦悩や不条理を、わたしたちはもっと知らなくてはいけない。
頭上を、戦闘機や危険なオスプレイが飛び交い、サッカー場をはじめとする基地跡地からは、高濃度のダイオキシンが検出されるなど、土壌汚染が広がっている
その米軍が放置した、環境汚染の調査のためにかかった約9億8000万円は、日本が税金で賄っているのである。
その一方で防衛省は、米軍基地などの騒音対策であるエアコン補助費を、県内の幼稚園や小中学校など計108施設で廃止する方針だ。
 
だが、そうした現実をもっとも無視しているのは、安倍首相だ。
沖縄の怒りによって誕生した、翁長雄志知事の面会要請を、再三拒否し、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消し処分に対して、代執行訴訟まで起こした
裁判所の和解勧告によって、協議のための作業部会が、14日も開かれたが、
ここでも話し合いや説明を求める沖縄側に対して、国は“工事再開”の一点張りで、
政府側は、沖縄県への、新たな訴訟提起さえ匂わせている

安倍首相は、5月25日の日米首脳会談後に開かれた記者会見で、「沖縄のみなさんの気持ちに真に寄り添う」などと言ったが、一体、どこに寄り添う気持ちがあるというのだろうか。
 
何度も言うが、沖縄は、14年の知事選、今年6月の県議選、そして今回の参院選と、再三にわたって民意を示している。
しかし、民主的なかたちで沖縄が声をあげているのに、見せしめのように、ヘリパッド建設工事を強行しようと大量の機動隊を送り込み、県民に寄り添うどころか足蹴にしているのである。
到底、民主主義国家のやり方ではない異常さだ。
 
最後に、前述した三上氏の言葉を、もう一度引用したい。

〈今回の選挙で、沖縄を圧迫する自民党政権を圧勝させた人たちは、これから高江で起きることについて、目をそらしてはならない。
自分の一票が支える権力がどこかで暴走していないか監視する義務があるはずだ〉

(水井多賀子)


わずか9時間の歓喜~高江工事再開・民意圧殺の朝~
【マガジン9】
http://www.magazine9.jp/article/mikami/29325/

「おれたちの祝いは8時がピークだ。
伊波さん当確!! 
でも、そのあとは、全国で自民圧勝するだろうから、祝勝会も早めに解散だなぁ…」
 
ヒロジさんの言葉に、場がどっと沸いた。
どの顔も明るかったが、とりわけヒロジさんは、はしゃいでいた。
参院選の夜、辺野古の繁華街の一角にある店を貸し切って、ゲート前の仲間たちが集まった。
辺野古基地建設反対を訴える、伊波洋一候補の勝利は、まず間違いない。
今回、伊波候補が獲得する票は、ヒロジさん達の日々のゲート前の座りこみを応援してくれる、県民の声の大きさに比例している。
大差がつけばつくほど、現場は勇気をもらえる。
勝利の瞬間はみんなで味わいたいと、めったに酒席を持たないメンバーが、珍しく店を予約したのだった。
 
おまけに、今回の相手候補は、辺野古の問題にかかわってきた人々にとって、どうしても当選させてはならない人物だった。
自民党の現職大臣のその女性は、「辺野古県外移設」の公約を破って、真逆に転じたばかりか、
基地建設に抗議する市民の取り締まり強化を、国会で提案するなど、
沖縄に軍事的負担を強要する、安倍政権の先鋒として、県民を裏切ってきた。
前回の衆議院選挙では、沖縄選挙区の自民党現職議員は、全員落選している。
この落選したメンバーと、この女性大臣は、そろって安倍政権に説得されて、「辺野古の県外移設」の公約を撤回、
「県内移設容認」に転じたという、「平成の琉球処分」と言われた、屈辱的な場面にいた議員達だ。
 
これまで、沖縄の保守として、政府との協調路線を選んできた人たちも、この図には耐え難いものがあった。
ここまで誇りを傷つけられても、基地負担に耐え、土地を差し出し続けなければならないのか。
翁長知事を中心に、「オール沖縄」を形成していく土台に、この沖縄の、保守政治家の体たらくがあった。
その中で、唯一国会に残っていたのが、この女性大臣だった。
 
「7時55分には当確が出るぞ!」
「そんなわけないだろ!」
 
開票率ゼロの段階で当選速報を出すことを、放送業界で「ゼロ当」といい、賛否両論ある手法なのだが、
開票が始まる8時を待てないメンバーは、選挙対策事務所のネット中継を見ながら大騒ぎ。
そして、8時の時報と同時に、「伊波候補当選確実」のスーパーが表示され、座は興奮のるつぼになった。
カチャーシー、歌、踊り。
全国の速報では、自民党が着実に議席を伸ばしていたが、そんなテレビはもう消して、宴会は続いた。
これで、なんと沖縄選挙区は、衆参共に、自民党議員がゼロになった。
自民圧勝のこの国の中にあって、さらなる基地の痛みを押しつける自民党政権に、
沖縄県民は、解釈の余地などないほど、クリアに「NO」を突きつけたのだ。
知事選、衆院選、参院選、全県民が意思表示をする選挙はすべて、基地建設を拒否する候補が、圧倒的な勝利で、民意を形にした。
 
ところが、夜8時の歓喜の瞬間から、わずか9時間後の朝5時過ぎに、激震が走った。
 
大型工事車両と機動隊が、隊列を組んで、高江に向かっているという情報が入った。
辺野古が和解している間に、高江のヘリパッドを造ってしまおう、という動きは進行していたので、
参院選後が要注意だ、という覚悟はあった。
しかし、まるで喜んでいる県民をあざ笑うかのように、勝利の感激に酔う頭を、下から蹴り上げるようなやり方で、工事に突入した。
 
国は用意周到に、参院選あけの11日早朝に向けて、高江の工事再開の準備を進めていたのだ。
沖縄防衛局は、11日付で、赤土防止条例に基づく工事の通知書を、県に提出。
同じ日、合わせて、不法占拠している車の撤去を求める勧告を、メールで県に送りつけ、
それに先んじる形で、早朝から、高江で、機動隊による制圧体制を敷きながら、
トレーラーにプレハブ施設や簡易トイレを載せたものを始め、大型工事車両を、米軍北部訓練場のメインゲートに搬入した。

 
「これが国のやり方か!選挙結果を踏みにじって、こんなやり方で基地建設を強行するのか!」
 
高江に駆けつけたヒロジさんに、数時間前までの笑顔はなかった。
 
「大丈夫。こんなやり方をしたら、県民全体を敵に回します。全基地封鎖になります。絶対に工事はさせません」
 
ヒロジさんが私に、丁寧語で「大丈夫です」、と言うときは、いつも相当な怒りに燃えているときだ。
ヒロジさんと言えば、激高しているような場面の印象が強いかも知れないが、追い詰められるほどに冷静になり、本気で怒ったときは、穏やかに笑ってみせる。
私は、心臓がヒリヒリする思いだった。
高江は、2007年の座りこみ初期からずっと、ヒロジさんが泊まり込んで、抵抗運動を繫いできた場所だ。
2014年からは、辺野古のゲート前を担当するようになったが、高江のことはひとときも忘れたことはないだろう。
2014年に、N4地区の2つのヘリパッドが完成し、オスプレイの訓練が始まってしまっているが、
そのほか4箇所は、工事には入れないまま、2年が経過していた。
しかしこの再開は、国はどうやら本気のようだ。
 
先月18日、 沖縄県に駐留する米海兵隊のトップ、ニコルソン中将は、北部訓練場の一部を、来年初めに日本へ返還する、と語った。
相次ぐ米軍の不祥事に対して、高まる不信感を払拭する狙いなのだろう。
沖縄の本土復帰後、最大の返還面積になる、と強調した。
そのためには、年内に、残り4箇所のヘリパッドを、完成させなければならない。
着手すれば、工事は2ヶ月で完成する、ともいわれている。
防衛局のメンツに懸けて、秋までに必ず、着工まで持ち込もうという構えだ。
それは、両政府の都合なのだろうが、先週も連日連夜、オスプレイが複数編隊で飛び回って、子ども達が不眠で学校に行けない事態になっていた高江では、
あと4つも、集落近くにヘリパッドを造ります、という話を、「そうですか」と受け入れられるはずもない。
 
北部訓練場を半分も返してやるんだから、ヘリパッドの移設くらい協力しろと、米軍と日本政府は言っている。
そして、北部の市町村長は、基地の返還を歓迎し、「返還に伴うヘリパッドの移動なのだ」という解釈の元に、明確にはヘリパッド建設に反対していない。
 
しかし、これは、何重にもおかしな話だ。
県民から奪ったやんばるの森を返すのに、なぜ上から目線で条件を付けられるのか
しかも、返還されない南側の訓練場内には、ほとんど使っていないヘリパッドがいくつもある
もしも、返還区域にあるヘリパッドと同じ数を、どうしても新しくつくるというなら、
集落から最も遠い、迷惑にならないところに造るのが当たり前なのに、なぜ、高江を囲むような陣形に造るのか
 
集落を含む山あいの地形を利用しながら、オスプレイが離発着できる新たなヘリパッドを拠点に、山の稜線ギリギリに飛ぶ訓練をする、
それが目的で有ることは明らか
だ。
これもまた、返還を口実に、恩着せがましく振る舞い、より便利な訓練場を、日本の税金で用意して頂こうという、アメリカ軍の常套手段だ。
 
「返還すると言っているのに、なぜ反対派はわあわあ騒ぐの?」と言っている人は、政府に都合のいい報道しか見ていない。
映画『標的の村』を、是非見て欲しい。
本当に、現行計画通りに、ヘリパッドができてしまったら、「負担増」どころではない。
高江は、人が住める村ではなくなってしまう
あなたの家から400メートルの地点に、突然、オスプレイ用のヘリパッドを造りますと言われたらどうするか、想像してみて欲しい。
 
「戦後70年、日本の安全保障を背負ってきた沖縄県民に対して、こういうやり方をするのか。到底容認できない」
 
翁長知事も、工事再開の夜に、異例の会見を開いて、苛立ちをあらわにした。
 
「これだけ安全保障に貢献し、これからも背負い続ける県民に対して、民意が示された数時間後に、用意周到に手続きを始めることは、県知事として容認しがたい」

ヘリパッド建設そのものの是非については、言及を避けてきた翁長知事だが、このタイミングとこの手法に、怒りを覚えない県民はいないだろう。
しかし、昨日12日、中谷防衛庁長官が、建設資材の搬入について、
「地元とのやりとりは、丁寧に数を増やしながら行ってきた」と、耳を疑うコメントを出した。
 
彼が「丁寧に行った」というのは、「不法占拠の車の移動を求める勧告の紙を、9回高江に持って来た」そのことを指すらしい
片腹痛い。
さかのぼれば、1996年のSACO合意の年に、防衛局の高見沢氏は、
「オスプレイについて、沖縄県民に説明しますか?隠しておきますか?」と、アメリカにお伺いを立てていた
ことが、メールによって暴露されている。
96年の段階で、普天間代替施設にオスプレイが来ることを知りながら、あらゆる公式な場でも、環境アセスメントでも、最後まで配備を隠し続けた事実を消せはしない。
 
高江の住民説明会では、「オスプレイ配備は聞いていない」「配備されるなら、あらためて説明をする」と明言した。
それから説明会も何もなく、工事を強行し、年間1200回という、オスプレイの高江での訓練は、もう始まってしまった。
これは、確信犯のごまかしだ。
もし民間なら、詐欺罪の上に、莫大な損害賠償が課されるはずだ。
この過程のどこに、丁寧さがあったのか。
いつも、夜中や早朝に、闇討ち工事で進めてきた防衛局の、どこが丁寧なのか。
7歳の子どもまで、通行妨害で訴えた前代未聞のスラップ裁判を、妙案として採用した国は、
本当に、高江に住む人々を、国民として対等に扱ってきたと言えるのか。
こういう防衛大臣を、日本国民は、一体どんな感覚で放置するのか?
 
高江は、那覇から片道3時間。
工事を進める側も、通うには相当遠い。
だから、住民が入れない北部訓練場の中に、資材を搬入し、プレハブを立て、トイレも設置して、寝泊まりをして作業に入るのだろう。
遠隔操作ができる監視カメラらしきものも、設置していた。
ゲート前の人数が少ない時を、画面で確認して、現場に向かうのだろう。
しかし、予定地周辺の林道が崩壊していることなどから、米軍機で重機をつり下げて山に入れる計画が、ささやかれている
重機をつり下げると言えば、沖縄県民の心に甦るのは、米軍がトレーラーを落下させて、幼女を圧死させてしまったむごい事件だ(棚原隆子ちゃん事件・1965年)。
そこまで残酷な仕打ちを、現政権ならやりかねない、とさえ思う。
そうなったら、沖縄はどうなるのか。
国民はどうするのか。
 
今回の選挙で、沖縄を圧迫する自民党政権を圧勝させた人たちは、これから高江で起きることについて、目をそらしてはならない。
自分の一票が支える権力が、どこかで暴走していないか、監視する義務があるはずだ。
大手メディアが伝えなくても、必ず私たちが伝えるから、知らなかったとは言わせない。
全国で自公政権を支持した人たちは、今後沖縄で起きることを、必ず、しっかりと見て欲しい。



三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い
『戦場ぬ止み』のその後――沖縄の基地問題を伝え続ける三上智恵監督が、年内の公開を目標に新作製作取り組んでいます。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。
■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会
◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会



http://www.magazine9.jp/kampamain/

ベビーシャワーと次男くんの奮闘と友人たちとの時間と

2016年07月18日 | ひとりごと
夏は、稼ぎが3分の1に減ってしまう、経済的には厳しい季節だが、その分自分の時間が増える。
自分の時間が増えるのだから、普段できないことをテキパキとしようじゃないか!と、夏前にはいつも意気込むのだけど、
暑さと湿気にてんで弱いわたしは、頭の中が細かい穴が空いたスポンジみたいになって、ぼーっと時間を過ごしてしまいがちになる。
そしてなぜか、落ち込みやすくなる。
ふむ…。

土曜日はお隣さんちのカップルが、ベビー・シャワーをするというので、贈り物を手に参加した。
夫にとっては、ベビー・シャワー・デヴューである。
ベビー・シャワーとはなんぞや?という方に、ちょっと簡単に説明すると、
臨月に入る直前の女性の、親しい友人や家族が集まって、おしゃべりしたり食べたりしながら、
出産を控えて何かと神経質になっている彼女の気分を盛り上げたり、プレゼントを渡したりするパーティ。
以前は女性だけの集まりだったのだけども、最近では男性も混じることが多くなったのだとか。
お隣さんカップルはどちらも女性で、だからそこには子連れのゲイカップルが何組か居た。
そんなパーティのプレゼントのお披露目の時のこと。
お祝いカードを読んでいた彼女が、
「ちょっとこれ、聞いて」と言って、声に出して読み始めた。
「なんてラッキーな赤ちゃんなんでしょう、こんな素敵なおかあさんが二人もいて!」
そして送り主にこう尋ねた。
「これ、あなたが書いたの?」
「ううん、カードに予め印刷されてたのよ!」
「やった〜!」
そこに居たみんなの顔がほころんだ。
わたしはその瞬間、彼女たちが普段は決して見せない、自分たちが闘っているものの存在を見たような気がした。
ゲイだのストレートだの、皮膚の色が何色だの、その人がその人として持って生まれたものを、誰にも非難などできないし、してはならない。
あと4週間、暑いけど頑張れサラ!


そして翌日の日曜は、ずっとずっとずっと前から、遊びに来てと言い続けてくれていた友人夫婦に会いに、プリンストンまで出かけて行った。
スコットとバニースはどちらも、夫の大学時代からの友人で、仕事で大成功を収めた、だから分かりやすく言うと、1%とは言わないまでも、プチ1%の世界の人たち。
二人ともにとても気さくで親切で、だけども大学時代の思い出話に花が咲き始めると、わたしは適当に聞き流しながら全く違うことを頭の中で考える。
12年のベルギー暮らしを経て、故郷のプリンストンに戻ってきた彼らは、購入した家を数年かけて改築した。
元からあったプールもお化粧直しし、その横に、ゲストハウスを建てた。
設計はすべて、センスも腕も良い建築士のバニースがした。

家からプールを眺める。


ゲストハウスからプールを眺める。


グラウンドホッグ、ウサギ、アライグマ、七面鳥、オパッサム、キツネなどの野生動物に荒らされない、究極の家庭菜園。




「シカはどうしてるの?」と聞くと、フェンスを立ててからは入って来なくなったのだそうだ…。
やっぱりフェンスしかないか…。

ゲストハウスのリビング。


片隅に居たすてきな方々。


気持ちいいったらありゃしないけど、ちょっと泳いだだけでフーフー言ってる超〜運動不足なわたし…。



次男くんがちょうど、EVO(ビデオゲームの世界大会)に出場していて、なんと今回初めて、ベスト8に入った。
会社員になってからはうんと練習量が減って、だからあまり期待しないでおこうと思っていたのに…。

彼は、彼がまだ高校生だった頃から、このEVOに出場し始めた。
そのことをあまり良く思っていなかったわたしは、その大会の様子を観ようともしなかったのだが、
何回目かにようやく、夫がネットで調べて見つけた試合の様子を、パソコンの小さな画面で観てみたら、
次男くんの後ろに座っている、彼を熱心に応援する大勢の人たちの、それはそれは楽しそうに盛り上がっている様子を見て、
こんなにたくさんの人に応援してもらっている彼の、喜びと緊張がごちゃまぜになった気持ちに、初めて触れたような気がした。
わたしがずっと、ただの遊びだと思っていたそれは、遊びではなく練習だったのだ。
そしてその練習の積み重ねが、画面の向こうにいる彼を支えている。
小学生の頃から、彼のゲーム遊び(と我々は思っていた)をなんとか減らそうと邪魔ばかりしてたことが、悔やまれてならなかった。
だからその気持ちを、ブログで告白した。
そしたらどういうわけか、次男くんのファンの人に見つかって、その記事はあっという間に拡散されてしまった。
わたしの小さな世界での告白など、たまに読みに来てくれる数十人の人たち以外の目に触れることはないと思っていたから、
かなりプライベートなことや、彼の生い立ちについても書いてしまったので、本人はもちろん、兄の長男くんからも注意をされた。

次男くんは今、あるゲームでは全米チャンピオンなのだが、それでも日本人のゲーマーの強さには勝てないらしい。

というわけで、敗者復活戦に臨む次男くんの試合時間を、必死に探している夫です。


青空と乾いた風が心地よい、絶好のプール日和。


試合を、友人夫婦も交えて4人で観た。
残念ながら、またまた対戦相手は日本人。(ベスト8のうち6人が日本人だから当たり前?)
あっさり負けてしまった。
でもスコットは、次男くんと会場の様子を写真に撮り、それをゲーム好きの息子(大学生)に送った。
そしたらすぐに、『Holy shit!!』という返事が返ってきた。
スコットはわたしたちに、「もう君たちは、彼にとってはスターになったよ」と言った。


手作りの夕食。
バニースはわたしたちの目の前で、ちゃっちゃと手際よく、前菜やらサラダやらを作っては並べていく。
スコットは、前もってマリネしておいた鶏肉を、外のバーベキューコンロで焼いてくれた。


バニースのおかあさん、エフィさんと、妹のアードリーも加わって、外のデッキでいただいた。
エフィさんは台湾人で、第二次世界大戦が終わるまでずっと、日本語での教育を受けさせられていた。
だから81歳になった今でも、流暢な日本語を話す。
「12歳になって、いきなりこれからは中国語でって言われてもねえ…ほんとに困ったの…大変だった」と笑うエフィさん。
エフィさんは今、4度目の癌の治療を受けている。
穏やかで優しい彼女の中に、病に飲み込まれない強さと、治療後の辛さに耐える力が、脈々と息づいている。
エフィさんには、聞きたいことがまだまだいっぱい残っている。
彼女の健康回復を、心の底から強く祈りながら、彼女をぎゅっと抱きしめた。
わたしの母と背格好も年も同じエフィさんは、わたしに母を抱きしめているような気持ちにさせてくれた。

『ほとばしる無能』(by山本一郎氏)と呼ばれる男を都知事候補に担ぐ、ほとばしる憲法違反をする自民党

2016年07月16日 | 日本とわたし


この男は、都知事の選挙戦に入る直前まで、東京電力の取り締まり役をやってて、




だからもちろん、バリバリの原発推進で、


でも、都知事選の立候補者になったので辞任した…。



で、この男がこれまでに、どんなことをやらかしてきたのか、それについてとても詳しく書いている記事を紹介します。

増田寛也「ほとばしる無能」を都知事候補に担ぐ石原伸晃&自民都連
【山本一郎】2016.07.04
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20160704-00059615/

一部転載:
■結論

「実務型」として増田寛也さんが担がれておりますが、その実務でまったく良いところなく、岩手県知事を降りたのが増田さんです。
単純に、岩手県知事3期12年のあいだに、6,000億あまりだった岩手県の公債費を、1兆2,000億円強にほぼ倍増させて、四選めに立候補することなく退任しました。
もしも、「増田さんの手腕を買って都知事にしたい」ということであれば、それは期待できません。

総務大臣時代は、三位一体改革として、地方交付税を、財政力の弱い自治体に優先的に配分する政策である、特別枠制度を作りました
これは、企業などが自治体に納める法人事業税と、法人住民税を、地方に配分する仕組みであって、
要するに、東京都(大阪府、愛知県、福岡県など都市部)の地方法人税を、財政基盤の弱いほかの貧乏都道府県に振り分ける、という施策であります。

東京都民からすれば、東京都のために使われるべきカネが、この人の総務大臣時代の施策のお陰で、
東京都と無関係なところに流れていく仕組みが、できてしまった
わけでありますね。

岩手県知事時代、総務大臣時代、そしてその後の「日本創成会議」での、東京から地方へカネや人を流していこうという増田さんの主張は、
東京都に税金を納め、東京都に暮らす有権者にとって、非常に不利で、相応しくないものだと判断せざるを得ません。
それでも、東京都は、日本のそれ以外の地方の衰退を背負って、税金をこれらの地域に移転させるべきだ、と考える人は、増田さんに投票すれば良いのかなと感じます。


******* ******* ******* *******

こんな記事もあります。



で、この男を都知事選の候補者として擁立した、自民党都連が、当決定以外(ということは、増田氏以外)の候補を応援したら、『除名』の可能性もあると脅していたという文書がこれ。

わざわざ太文字で、こんなことが書かれています。

1、党員は、党の決定した公認・推薦候補者を応援し、党公認・推薦候補者以外の者を、応援してはならないこと。

2、党員は、反対党の候補者を応援し、または党公認・推薦候補者を不利に陥れる行為をしてはならない。

3、各級議員(親族など含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名などの処分の対象となります





いやあ、自民党員になると、個人の尊厳も意思も選択もまるで尊重されない、いわゆるハイハイ人形みたいな木偶の坊にならなければならないのですね。
つい先日も、「党の方針に従うだけです!」ときっぱり言い切った、背の高いボクちゃんのように。

これがチャンスではありませんか?
いつまでもウダウダと思い悩んでいないで、除名してもらって、もう少し個人として大事に扱ってくれる党に鞍替えしてはいかがですか?
まあ、そんなことはどうでもよい。自分には意思とか選択とか個人としての尊厳とか、そんなのはどお〜でも良いのだ。
ただ、このまま議員でいられて、適当に議会の椅子で時間をつぶしてりゃ、あと数年は楽々な毎日が送られるんだから。
という人は、そのまま残っていたらいいと思います。
有権者のわたしたちが、除名ならぬ落選をさせてあげますから。

それにしても自民党、とことん腐りきってしまいましたね。
ここまで堕ちたら、掃除をするにもやり甲斐があるってもんです。
この都知事選と衆院選。
少数だからって、なめんなよ!

では、〆にもういっちょ。



原発バリバリすぎて笑えてしまう…。

手前味噌と停電と

2016年07月14日 | ひとりごと
子どもの頃からすっかり大人になるまで、蓄膿症だと言われてきました。
日本に居る頃は、鼻水が流れ出てくるか、どこかで詰まっているか、そのどちらかで、アレルギーの季節などは、ティッシュを小さく固めたのを、両方の鼻の穴に詰め込んでいないと、うつむくこともできないほどでした。
だから、トイレ掃除はもちろん、他人の吐瀉物の掃除も、臭いをあまり感じることができないので、よく引き受けていました。

同じく鼻づまり歴が長い夫が、こちらに引っ越してからしばらくして急に、
「どうもボクは、醤油とか味噌とかが体に合わないみたいだから、できるだけ食べないようにする」と言い出して、
えぇ〜!!そんなぁ〜!!料理するときめっちゃ困るやん!!と、最初はパニックになったのですが、
ある時ハッと気づいたのでした。
わたしももしかしたら、お味噌や醤油にアレルギーがあるかも…。
たま〜にお味噌汁などを作って飲んだ後、必ず鼻の奥が熱くなり、詰まってしまうのです。

わたしもか…。

かなり落ち込みました。
だって、お醤油とお味噌は、料理に欠かせないものだったからです。
それからは、とりあえず、煮物はひとつまみのお塩だけ、お味噌汁は二月に一度ぐらいに減らしていました。
ところが、3年前の春に、お味噌作りをしている友人からもらった手作り味噌を使って作ったお味噌汁は、飲んでも全く何も変化無し。
え?なんで?オーガニックの大豆だったから?

実は、原因は、大豆ではなく、小麦だったようです。
夫の母が、そして次に夫が始めた小麦断ち。
それを横目に見ながら、悪いけど、小麦断ちだけはわたしにはできない!と、心の中で断言していました。
パンもパスタもうどんもラーメンも、それからお好み焼きもたこ焼きもパンケーキもクレープも餃子も天ぷらも、わたしの大大大好物なのだから。
と、始める気なんて毛頭無かったのですが…。
指のへバーデン症を治すために、カフェイン抜き、アルコール抜き、甘いもん抜きを命じられてしまい、かなりやけくそになっていた時に、友人のあさちゃんから小麦(グルテン)フリーを勧められ、
もうこの際ついでだ!と、思い切って小麦断ちも始めたら、出てくる出てくる、隠れグルテンの食品の数々?!
お味噌はもちろん、醤油も、小麦が加えられていないものを見つけるのが、どれほど難しいことか。

えぇ〜!?そうだったのか…もしかしたらこの、小麦が悪さをしてたのかもしれない…。
添加されているだけだから、その小麦の出処も質もよくわからないわけだし。

ということで、お醤油ひとつ買うにも大わらわ。
結局、小麦が混ぜられていないのは、たまり醤油だけだということが分かり、そこにもってきてオーガニックなのをとなると、値段がとても高くなり、
だから料理に使うにも、本当に少しずつ、香り付け程度にするようになりました。
おまけでいうと、蕎麦もとっても難しい。
十割蕎麦を見つけるのが、こんなに大変だとは、グルテン断ちをするまで気づきませんでした。

ということは、わたしたちの体には、質の良し悪しはともかく、小麦(&とうもろこし)が、無意識のうちに入れられてしまっているのですね。
世界の小麦輸出シェアの、現在の首位はロシア。
前年度の首位はカナダで、アメリカが2位でした。
この順位の変化は、生産量が原因ではなく、ドル高を受けて割高になったからだそうです。
そしてとうもろこし。
とうもろこしの世界最大の生産国はアメリカで、世界最大の輸入国は日本です。
そして日本は、その輸入の90%を、アメリカに依存しています。
この場合のとうもろこしは、スウィートコーンと呼ばれる、わたしたちが食卓で食べる種類のものではなく、家畜の飼料や甘味料として使われるものです。
だから、質に問題があるといわれています。

子育てをしている時に、もっともっと食品にこだわりを持ち、注意して調理をするべきだったと、今もとても後悔しています。
でも、今からでも遅くはありません。
良いことを始めるのに、遅すぎるということはありません。

ということで、すっかり手作りお味噌に惚れ込んでしまい、今度は自分で作ってみようとトライしたのが、
一昨年の11月、友人わかちゃんのお宅での、手作り味噌大会だったのでした。

つい先日までずっと、うちの地下室の棚に保管しておいたそのお味噌を、先月から使い始めました。
それまで使っていたお味噌は、塩の分量に間違いがあったのかとても塩辛く、お味噌汁の具を甘味のあるものにしないと飲み辛いほどだったのですが、

今回のこのお味噌、手前が申すのもなんですが、めちゃウマです!





地下室にずっと置いたまま、カビの有無を確かめもしなかった(どんだけ無精なのだ!)1年と8ヶ月。
お味噌さんは、コツコツと、発酵をし続けてくれていました。
ありがたいったらありません。
心配していたカビもほとんど無く、ホッと一安心。


重しとお味噌の間に詰め込んだお塩も、良い感じです。


さっそく、菜園の小松菜を採ってきて、お味噌汁を作りました。
もともと出汁は使わなくなっていましたが、このお味噌には全く必要が無いようです。
旨味が半端ではありません。
さて、これを使い切ってしまう前に、次のお味噌を仕込まねば。


おまけ
さて、こちら、前庭の『なんちゃって菜園』の収穫です。
ピーマン1個とシシトウ1個…へへへ。


大根がどんどんおっきくなってきたと思ったら、葉っぱをシカさんに思いっきり食べられてしまってたので、慌ててセクシー網(歩美ちゃん命名)をかけ、


すぐお隣の、これまた鳥に突かれ始めてたブラックベリーにも、セクシー網を被せたのでした。


この直後に、唐突に雷嵐がやってきて、慌てて退散!



と、ここまで書いてさあ投稿!という時に、いきなりブンッという音がして、真っ暗になってしまいました。
昨日の夜は熱帯夜、そして今日はさらに気温が上がるという予報が出ていたので、朝までにはなんとか復旧していますようにと祈りつつ、
ろうそくの火を灯してシャワーに入り、シーツの下に冷え冷えシートを敷いて、うちわで風を送りつつ眠りにつきました。
朝起きて、台所に入っても、物音一つ聞こえません。
あっちゃ〜…。
朝からレッスンをする予定になっていた大人の生徒さんに電話して、停電だけどどうする?と聞くと、
とりあえず行ってみるという返事だったので、携帯用のちっちゃなライトをピアノの譜面台に付け、彼女の到着を待ちました。
わたしのうちわサービスと、彼女が持参してきたちっちゃな扇風機とで涼を取り、なんとかレッスンは無事終了。
でも、冷蔵庫と冷凍庫の中に入っている食料のことを考えると…。
と、暗〜〜くなっていたら、戻ってきました!電気!
冷蔵庫も冷凍庫も、12時間をよく耐え、冷やし続けてくれたようです。
ありがたやありがたや。
暑い中、復旧に汗を流してくださった作業員のみなさん、本当にありがとうございました!

あの角っこは、昨夜、何度もパトカーがやって来ては、何やら道路の上をライトで照らして調べていた場所です。



郊外の古い町の街路樹は、ここは神社の境内かっ!とツッコミたくなるような大木が、ぞろぞろと立っています。
なので、嵐やハリケーンが来ると、必ずといっていいほど、どこかで停電が起こります。
範囲の大きさによっては、復旧に3日から1週間かかる時があります。
だから、2時間そこそこで電気が戻ってきてくれた時などは、わっ早っ!とびっくりします。
仮に、運悪く、家が長くかかる地域に入っていたら、皆それぞれに対策を考え、それぞれに合った行動をし始めます。
いつまでかかってるんだ!などと、電話をかけて文句を言う人は、あまりいません。
仕方がない。あの人たちだって必死で頑張ってくれてるし、物事には順番があるのだから。
というふうに考えるのが当たり前なのだと、日本のテキパキとしたサービスに甘やかされていたのでずいぶん時間がかかりましたが、思えるようになりました。
まあ、一番の理由は夫かもしれません。
例えばレストランや、スーパーのレジや、それから今回のようなパワーラインの復旧などで、わたしが「遅いなあ」と文句を言うと必ず、
「こんなに混んでるんだから」とか、「彼女は多分、まだ新しい人で慣れていないようだから」とか、「他にもっと大変で困っている人がいるから」と言って、
働いている人もわたしたちと同じ人間で、どのように働くかを決める権利があって、疲れたり気分が悪い時はそれを表現しても良いのだと、
事あるごとに、客だから、利用者だからと、横柄な態度をとったり、言葉を放ったりしないよう気をつけるよう教えてくれたからです。
ここにも(個)人の尊厳が生きているのだなと、現行憲法を学び中のわたしは思うのです。

おまけが長くなってしまいました。
そろそろ終わりにします。

現行憲法が、自民党改憲草案によってどのように破壊されていくか、よぉーく読んでみてください!(その3)

2016年07月13日 | 日本とわたし
わたしは、
矢部宏治さんが書かれた、『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』と『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を、
中学と高校の、現代歴史の教科書として使って欲しいと、心の底から願っています。
そしてもちろん、もうとっくに学生ではなくなった人たちは、書店で求めて読んでください。


https://www.amazon.co.jp/日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか-矢部-宏治/dp/4797673281

矢部宏治著『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』より

2015年9月17日、日本の国会の機能が完全に破壊されたこの日の出来事を、私たちはいったいどのように位置づければよいのでしょうか。
私は、それはこれまで、
「基地の問題=沖縄」
「原発と被曝の問題=福島」
というかたりで矮小化されてきた、日本という国のもつ根本的な歪みが、ついに、
「戦争の問題」
というかたちをとって、日本人全員の前に姿をあらわした瞬間だったと思っています。

「日本はなぜ、基地を止められないのか」
「日本はなぜ、原発と被曝を止められないのか」
「日本はなぜ、戦争を止められないのか」


これらの問題は、すべてひとつの大きな構造の中にあり、同じ原因によって生み出されたものです。
そしてその大きな構造の根幹に横たわっているのが、
まだ占領下にあった時代の、アメリカへの戦争協力体制が、66年後のいまも、法的に継続しつづけているという、
「戦後日本」の歪んだ国のかたちなのです。

『基地権密約』と『指揮権密約』
これは、「米軍が基地を自由につかうための密約」「米軍が日本の軍隊を自由につかうための密約」です。
そして、『統一指揮権密約』
これは、「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約です。

1952年7月と1954年2月に、当時の吉田首相が口頭でむすんだこの密約が、
その後の自衛隊の創設から今回の安保関連法の成立までにつながる、日米の軍事的一体化の法的根拠となっている
のです。

けれども、これまでそれは、あくまで日本とその周辺だけの話だった。
ところが、今後はそこから地域的なしばりをはずして、戦争が必要と米軍司令部が判断したら、
自衛隊は世界中どこでも、米軍の指揮下に入って戦えるようにする。


「戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、
アメリカ政府によって任命された、最高司令官の指揮のもとに置かれる」


そのために必要な「国内法の整備」が、昨年ついにおこなわれてしまった。
それがあの安保関連法の本質だったということです。

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政府はもちろんのこと、日本会議界隈の連中が、「美しい日本」などという言葉を連呼していますが、
その裏では、国防軍と化した自衛隊の隊員の命を、アメリカ軍の指揮下に入って戦わせ、人を殺し、または殺されるという状況に追い込む。
国防軍ではなく米従軍。
しかも、世界のどこに行けと命令されるかもわからない。
本当にいいんですか?

自民党改憲草案は、そのために考え出されたものといっても過言ではないと、この3日間、ひとつひとつの文言を打ち直して確信しました。

とんでもない代物です。
絶対に許してはなりません。

わたしたちが保障されてきた基本的人権を、わたしたちが手放してしまってはなりません。

この憲法が、日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在、及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として、信託されたものである。


国民の基本的人権など、要らぬものだとはっきり断言する人々によって、この改憲草案は作られました。
そして、全ての国民は、そのような憲法を尊重しなければならないと言うのです。

戦争放棄を削除し、基本的人権を破棄し、国民の個人から個を消し去り、国防軍を持つ。

法政大学名誉教授・江橋崇氏:
「憲法の条文の削除は、歴史そのものの削除である。
現行憲法の本文はそのまま残したうえで、修正条項を追加していく。
この追加条項方式こそは、多様な価値観が存在する実際の政治状況において、民主的にことをはこぼうとするなら、この形しかないという、
アメリカやイギリスの立憲主義の苦心の産物であったことに気づかされた」


この混沌は、わたしに憲法をしっかり学ぶチャンスと意欲をもたらしてくれました。
みなさんも、どうか、ご自分に合う学び方を探して、憲法としっかり向き合ってください。
読めば読むほど心が熱くなる、とても素晴らしい憲法です。
わたしは日本人であることを嬉しく思います。
けれども今後、現代の社会情勢や環境に沿った、修正条項というものを追加する必要もあるでしょう。
その際には、国民の自主的な勉強会や議論の場を、全国各地でにぎやかに開催したいものです。

そして、矢部氏がおっしゃるように、
知ることが恐ろしいような事実に、もっともっと近づいていき、自分の目で見、頭で考え、知ったことを語り継ぎ、怒り、きちんとした政権をつくって、
「占領下で始まった戦争協力体制だけは、さすがにもうやめさせてほしい」と、アメリカに対して主張する。

そういう社会が実現するよう、これからも粘り強く、頑張っていきましょう!

では、最後のその3の打ち直しです。

緊急事態条項が書き加えられ、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである基本的人権」について書かれた最高法規第九十七条が、削除されています。

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第九章 緊急事態

第九十八条
内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、
特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。

2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に、国会の承認を得なければならない。

3 内閣総理大臣は、前項の場合において、不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、
又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、
法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。
また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。

4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。
この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

第九十九条
緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、
内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる

2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、
当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる、国その他公の機関の指示に従わなければならない
この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。

4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、
その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる



章 改正

九十六
この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、議院のそれぞれの総議員の三分の二以上過半数の賛成で、国会が、これを発議議決し、国民に提案してその承認をなければならない。
この承認には、特別の法律の定めるところにより行われる国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その有効投票の過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちに憲法改正を公布する


第十一章 最高法規

第九十七条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

九十八百一
この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

九十九百二条
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。


第十一章 補則

第百条
この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

第百一条
この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

第百二条
この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第百三条
この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。


附則

1 この憲法改正は、平成○年○月○日から施行する。ただし、次項の規定は、公布の日から施行する。

(施行に必要な準備行為)

2 この憲法改正を施行するために必要な法律の制定及び改廃その他この憲法改正を施行するために必要な準備行為は、この憲法改正の施行の日よりも前に行うことができる。

(適用区分等)

3 改正後の日本国憲法第七十九条第五項後段(改正後の第八十条第二項において準用する場合を含む。)の規定は、改正前の日本国憲法の規定により任命された最高裁判所の裁判官及び下級裁判の所裁判官の報酬についても適用する。

4 この憲法改正の施行の際現に在職する下級裁判所の裁判官については、その任期は改正前の日本国憲法第八十条第一項の規定による任期の残任期間とし、改正後の日本国憲法第八十条第一項の規定により再任されることができる。

5 改正後の日本国憲法第八十六条第一項、第二項及び第四項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される予算案及び予算から、同条第三項の規定はこの憲法改正の施行後に提出される同条第一項の予算案に係る会計年度における暫定期間に係る予算案から、それぞれ適用し、この憲法改正の施行前に提出された予算及び当該予算に係る会計年度における暫定期間に係る予算については、なお従前の例による。

6 改正後の日本国憲法第九十条第一項及び第三項の規定は、この憲法改正の施行後に提出される決算から適用し、この憲法改正の施行前に提出された決算については、なお従前の例による。