ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

さよなら親知らずさん

2022年04月17日 | ひとりごと
今日は歯のクラウン治療の最終日。
これでやっと、両側の歯で噛みながら食べることができると、今までの不便さに耐えてきた自分を労いながら出かけた。
左下の奥歯の3本に問題が発生して、インプラントだのクラウンだの、やたらと費用のかかる治療を、1年以上も実費で受け続けてきた。
払った費用はゆうに50万円は超えている。
今日でとりあえず一息ついて、こんなカオスからせめて数ヶ月の間は遠ざかっていたい。
その日がやっとやって来たのだ。
そんな感慨にも似た思いに浸りながら、治療椅子に座ってパク先生を待っていた。

この1ヶ月は、半年以上も続いたインプラントの仕上げのクラウンが無事終わり、やれやれと思った矢先に、そのすぐ隣の親知らずの歯の詰め物が外れ、その歯もかなり痛んでいたので四角い土台になるまで削ってクラウンを被せる治療を進めていた。
今日はその治療の最終日だった。
でも、1週間前に受けた治療の後、ずっと左奥の頬の内側が痛かったので、そのことを伝えると、どれどれとチェックし始めたパク先生。
「まうみさん、あなた、この頬の内側の、しかも両側の、何か手術とか受けましたか?」
「え?手術?」
「ええ、手術です」
「いいえ、一度も受けたことがありません」
「うーん…おかしいなあ…では、この痛みはいつからですか?」
「えっと…先週に治療を受けてからだと思います」
「そんなはずはないと思いますよ。かなり前から継続していたはずです」
「…」

そういえば、たまにほっぺたの内側が痛んで、よく噛めなかったり大きな口を開けることができなかったりした。
そういう時はいつも、ああまた疲れ過ぎて頬の内側が腫れたのかな、それで噛んでしまったのかなと思っていた。
そう話すと、「これまでよく我慢してきましたね」と言って、中の様子を撮影しながら見せてくれた。
見るからに痛そうな映像を見て、一体何が起こったのかと首を捻っていると、
「あなたの親知らずの歯が頬の内側のギリギリにあって、それで無意識に噛んでしまっているのです。このままだともっと悪化すると思います。上下ともに抜歯した方がいいと思います」

みるみる青ざめるビビりのわたしを見て、「今すぐに決断しなくてもいいですよ、時間をとってよく考えてください」とパク先生。
「でも、抜かない限りこの痛みは続くのですよね」とわたし。
5分ほど考えた。
親知らずが4本とも残っていることがちょっとした自慢だったのだけど、長年の痛みから解放されるのなら抜いてもらおうと決心した。
「上の親知らずの抜歯は私でもできますが、下の親知らずは口内外科手術になるので専門医がすることになります。その際の専門医の施術料金はここよりは割高になりますが、一度に2本ともやってもらうと1日で済むというメリットがあります」
「パク先生、わたしは歯の保険を持っていないので、便利さのメリットよりも費用を少しでも減らしたいので、上の歯はパク先生にお願いします」

というわけで、呑気な気持ちで出かけたのに、いきなり血圧を測ったり誓約書にサインをしたりの大忙し。
心臓はもうバクバク、サインをする手も震える始末…。
麻酔をガツンと打ってもらわにゃ!いや、局部麻酔だけじゃなくて笑気麻酔も頼んだ方がいいかな?などと考えていると先生がやって来て、
「じゃあ始めましょう!」
え、ちょ、ちょっと待って、ちょっとちょっと!
歯茎を痺れさせるゼリーをチョイチョイと塗って、30秒もしないうちに局部麻酔を打って、またまた30秒もしないうちに抜歯作業を始めようとするパク先生?!
助手の人がわたしの肩を優しくトントンと叩いてくれるのはいいのだけど、わたしはもう完全にパニック状態。
でも痛くないのだ全然。
え?なんで?どうなってんの?
「ちょっと圧を感じますよ」と言いながら先生が力を込めた。
ものの5分もしないうちに、65年間わたしと一緒に生きてきてくれた親知らずさんが抜かれてしまっていた。
「あのー、その歯、家に持って帰ってもいいですか?」と聞くと、びっくりした顔されたけど、きちんと密封して渡してくれた。

抜歯代は200ドル。
でも、今日で終了するはずだったクラウン治療のために払ってきたお金は全額払い戻しにしてくれた。
それどころか、今日のパク先生に払うはずだった治療代の150ドルを、払わなくてもよいことにしてくれた。
パク先生がそう申し出てくれたそうだ。
なんて親切な人たちなんだろう。

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昨日すっかり葉桜に変身したぽんちゃんの、一番べっぴんさんだった時の写真。



曇り空でもべっぴんさん。

山ちゃんに背負ってもらってた猫柳さんの枝から、

知らないうちにこんなにも根っこが生えていた!これをどうしたらいいんだろうか…。

猫柳さんってどんな姿でもうっとりする。



1年半もののお味噌。


納豆のような匂いがする。

盛り上がりがハンパじゃない元気なニワトリさんたちが産んだ卵。

いつも同じところに姿を現して、しばらくポーズをとってくれるリスちゃん。

痒いところをスリスリしたり、

目にも止まらぬ速さでガシガシしたり、

前庭の春その2






Restaurant BLOOM in Verona NJ

2022年04月15日 | 家族とわたし
明日からまたペンシルバニアに向かう夫が、誕生日の前祝いをしてくれました。
フレンチレストラン・ブルームを紹介します。
648 Bloomfield Ave, Verona, NJ 07044
1-(973) 433-7256

何か特別なことがある時に行きたくなる、車で15分くらいの隣町のお店です。
韓国人シェフのウーさんのお料理は、食材のひとつひとつが小さいけれどしっかりとした声で主張していて、そしてそれぞれが本当に美味しいのです。
サラダに和えたグレープフルーツの一房でさえわざわざ柚子ソースをまとわせたりしていて、舌に乗せた途端「ん?」とか「うわ!」とかいう思いが込み上げてきます。
行くたびに、なんでこんなに美味しいんだろうと夫と二人で感心してばかり。
今夜はたまたまお客さんが少なかったので、ウーさんと話すことができました。
彼の経歴を聞いて大いに納得。

お店のウェブサイトに掲載されている文章です。



ウー・シェフの料理に対する情熱は、幼い頃から韓国で母親と一緒に料理をしていたことに始まります。
プロのシェフになることを夢見て、ニューヨークのフランス料理学院(FCI)に入学しました。
その努力と技術により、世界的に有名なレストランで6年以上働く機会を得ました。 
そのレストランは以下の通りです。
ニューヨークのJean-Georges、Daniel、Morimoto(まうみ注・料理の鉄人さんです)などです。
その後、家族とともにニュージャージーに移り住み、Prime and Beyond, Fort Leeのエグゼクティブシェフに就任しました。
この店は高級ステーキハウスであるため、絶賛され、強い支持を得るようになりました。

いやはや、なるほどなるほど。
というわけで、この2年半に渡るコロナ禍を耐え忍び、乗り越えてくれたことに感謝!

今日のお料理。
バターナッツスクワッシュスープ

ビーツサラダ


貝柱とワイルドマッシュルーム、そしてキムチピューレとキノコリゾットの組み合わせ

いつもは食べないデザート(ティラミス)ですが、誕生日なので特別に。お店のスタッフがロウソクに火をつけてお祝いしてくれました。

ウーさん、ありがとう!
いちびって片言の韓国語をしゃべっちゃってごめんなさい😅

桜だ〜〜〜🌸

2022年04月15日 | 友達とわたし
40枚の桜の写真と、4枚のガチョウさんの写真を一挙にお見せします。
みなさんにもお花見気分を満喫していただけたらと思います。
訪れたのは我が家から車で10分のところにある桜公園です。
毎年、いつでもすぐに行けるやと思ってしまって、何度も花見をし損なってきましたが、今回、この公園の噂を聞いて、わざわざクイーンズからやって来てくれた明子さんと一緒に、快晴の空のもと、花見を楽しむことができました。
今は平日しか動けないのですが、今週は生徒たちが春休みで、ポコポコとレッスンに空きがあるので、思い切って行くことにしました。
わたしの背中を押してくれた明子さん、ありがと〜!


さて、このブランチ・ブルック公園にこんなにたくさんの桜を寄贈した人は、キャロライン・ファード氏、アメリカの女性実業家です。
日本を訪れた際に見た桜に感銘を受け、帰国後、2000本以上の桜の木を、この公園に寄贈したそうです。
彼女は、アインシュタインが籍を置いて教授をしていたプリンストン高等研究所の共同設立者でもあります。
アメリカで桜の名所といえばワシントンD.C.の桜公園ですが、なんとこの公園の桜の本数は、ワシントンD.C.よりも多く、4000本を超えているそうです。
ただし、ワシントンのようにダァーッと桜だけを密に植えられておらず、場所によっては雑木の合間で咲いていたり、そもそも公園の面積が広大過ぎて、一度に見ることができません。
この公園は、アメリカ合衆国初の郡が運営する公園で、ニューアーク市中心部から南北へ6kmにわたり細長く延びています。
この公園の敷地面積は145 ヘクタール、ニュージャージー州で一番広い公園です。
どおりでいつ行っても迷ってたわけだ…。

というわけで、今回初めての入口から公園に入ったわたしは、見たこともない風景にオロオロ…。
でもまああちこちに桜が咲いているので、明子さんと車から降りては散歩しながらの撮影会を楽しみました。



明子さん、逆光でお顔が暗くなっちゃってごめん!






桜吹雪に大興奮!






老齢の枝垂れ桜さんを見学中のガチョウさん

ゆったりと座ってくつろぎ始めたので、


近づいてみると、

調子に乗ってさらに近づいていくと、

怒った…😅




これから咲く気満々の八重桜さんたち


この公園の桜の種類は一体どれだけあるんだろう?







青空の下では枝だけでもいい。

桜の花びらが流れていく。


やっと見慣れた場所に到着。








ああ、この古木はまだ健在でした。

明子さんと一緒に。

わたしもついでに。

タイトル写真にも載せましたが、この公園で一番好きな桜です。


音楽のちから

2022年04月05日 | 家族とわたし
肺炎を患ってからの義父の容態は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら今に至っている。
彼の血中酸素飽和度は80%台が通常になり、咳も毎日続いている。
それでもベッドをリクライニングに替え、一階のリビングに移し、日当たりの良い広々とした空間で過ごせるようになってから、少しずつ様子が変わってきた。
看護師が7人、日替わりで彼の基本的な世話を引き受けてくれるようになったおかげで、義母が終始近くに居る必要が無くなり、彼女にとってもずいぶん楽になった。



夫の単独ペンシルバニア通いはもう何週目になったのだろう。
1週間のうちの約半分を向こうで過ごし、義父の体調を整えるための漢方を処方し、必要があれば鍼を打つ。
義母の不眠や疲れにも対処しなければならないから、いつの間にか大きなビリヤード台が漢方薬の容器と処方箋で埋め尽くされていた。



今回は息子たちの同伴も無く、一人で運転しなければならなかったが、6日間続いた便秘を解消し、血中酸素飽和度が90%台に戻った義父に、ピアノの音を聞かせてあげるのは今だと思い、楽譜をバックパックに詰め込んで行った。
あいにく空模様はぐずついていて、時々ゲリラ雨にも見舞われて、何度かハラハラさせられたドライブだったけど、なんとか無事に到着し、ピアノを弾きに来たよと義父に告げると、うんうんと頷いてくれた。

義父が居るリビングには、彼の母親の形見の古い古いグランドピアノがある。
もう何年も調律をしていないから、きっとひどい音だと思うと義母が心配していたが、弾いてみるとそれほどでもなかった。
低音部に弾いても音が出ない鍵盤があったけど、まあそれほど大きな影響が無いので無視をした。
義父が若かった頃に愛したであろう曲や、クラシックの中から穏やかで温かく、懐かしい感じがする曲を選んで弾いていたのだけど、何曲か弾き終わった時に急に、「ワォ!」という義父の声が響き渡った。
そこに居た誰もがびっくりして、顔を見合わせていた。
この数ヶ月、彼のそんな大きな声を誰も聞いたことが無かったからだ。
わたしも心臓がドクンとした。
その後すぐに嬉しさが込み上げてきて、だけど楽譜が読めなくなると困るので、泣きたくなるのを抑えながら演奏を続けた。
父のその声は、わたしがピアノを弾いた時によく言ってくれてた、まだまだ元気そのものだった頃の彼の声と同じだった。
父は音楽が大好きで、わたしたちをよくオペラやミュージカルや著名な演奏家の演奏会に連れて行ってくれた。
どれもチケット代がバカ高かったので、その合計額を頭の中で計算しては仰天したものだ。
終わったらいつもどうだった?と言うので、もうめちゃくちゃ感動した、どの場面のどの演技が素晴らしかった、あの役者はイマイチだったなどと好き勝手なことを言ったけど、義父はそれを嬉しそうに聞いていた。



見ず知らずの、異国の、正式に離婚の成立もしていない8才も年上の、しかも2人の幼児を連れたわたしと共に生きていくと決めた息子を信じてきてくれた。
義父は初めて会ったその日からずっと、わたしや息子たちを大切に思ってきてくれた。
尊重し、認め、愛し、わたしたちがわたしたちであることを両手を大きく広げて受け入れてくれた。
彼はわたしを素晴らしい母親だといつも褒めてくれた。
そしてどんな状況の時でも、いい仕事をしている、勇気がある女性だと讃えてくれた。
彼は自分の気持ちや考えを伝えることがほとんど無かったし、スケジュールを決め、それにみんなを従わせることは当然だと思っている人だったから、小さな衝突は何度も起こった。
夫を含む3人の子どもたちとも、開けっ広げであたたかな関係を作ろうとしなかったから、3人それぞれが苦い思い出を抱えている。
義父は昭和時代で言うモーレツサラリーマンで、だからこそ大企業のトップにまでのし上がったのだけど、早くに引退してからも他の大企業の相談役などをずっと務めていたので、義母は寂しい時間をたくさん過ごした。
昨年、二人は結婚60周年を迎え、ズームチャットでお祝いをしたばかり。
60年といえばわたしの人生とほぼ同じ年数で、わたしと夫は30年だから、まだまだ小僧なのだという気がする。



ピアノを弾いていると、ベッドの方からいびきが聞こえてきたので演奏を中断した。
子守唄になったのならそれも嬉しい。
台所に戻ってお茶を飲んでいると、夫がやってきて、また弾いてって言ってると言うので居間に戻った。
それからまた少し弾いていると、またもやいびきが聞こえてきたので、とりあえず今日はこれでお開きにして、また来週にはどんな曲を用意しようかなどと考えながらベッドの横のカウチに座っていると夫から呼ばれた。
ベッドに近づいていくと、夫が義父に、今日のピアニストと握手をしないか?と言って、義父がそろそろと手を伸ばしてきた。
わたしはその手を両手で包みながら、義父に、ピアノを弾かせてくれてありがとうと伝えようと彼の目を見た。
本当に本当に驚いた。
それまでずっと白濁して、ほとんど見えなくなっていた彼の目がすっきりと澄んで、綺麗な、かすかにグレーがかった青色に戻っていたからだ。
一体何が起こったのかわからないけれど、彼のその目の色を見たのは本当に久しぶりだったので、カメラに収める代わりにわたしの心の引き出しに収めることにした。
彼のあの「ワォッ!」という声と一緒に。

お義父さんありがとう。
お義父さんからはもらってばかりだ。
どんなに感謝しても絶対にし足りない。
これからのわたしは、ピアノを弾くたびに、あの「ワォッ!」と青い目を思いだすだろう。
そして何度でも嬉しく、懐かしくなるだろう。
また弾きに行くからね。
待っててね。