ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

私たち市民の人格権を、守ろうとして下さった樋口裁判官に、あなた自身の思いを綴った手紙を届けよう!

2014年05月30日 | 日本とわたし
広瀬隆氏が呼びかけ
「福井地裁の樋口英明氏に激励の手紙を出そう!」

画期的判決を市民が援護射撃し全国に!


全国のみなさま、広瀬隆です

5月21日、福井地裁が、まことに哲学的かつ科学的な、反論しようのない、原子力発電所の危険性を指摘した判決文を書いて、
大飯原発3・4号機の運転差し止めを、関西電力に命じました。

これは、一電力会社である関西電力に対して、命じられた判決ではありません。
日本全土のすべての原発の、運転差し止めを命じた内容です。



この見事な判決文を書いた、裁判長の樋口英明氏には、今後、電力会社と国家、および週刊誌などのメディアを通じて、
強大な圧力が、さまざまな形で、特に、人事面などで加えられるはずです。
しかし、この判決の内容が、すべて事実に基づいているのですから、高裁でも最高裁でも、この事実を隠蔽することはできません。
勝てます。

日本のテレビと新聞は、この判決文に書かれた厳粛な事実を、これから自分たちの調査によって実証し、自らの言葉で、国民に対して何度も説明し、理解させる義務があります。
日本政府を追及する義務があります。
だが、彼らは、今後もそれをしないでしょう。
彼らは、ジャーナリスト精神を持っていないからです。
運転差し止め判決が出たという、中身のないニュースしか報道しないのです。

だから、私たち国民が、この事実を伝えあってゆかなければなりません

これを見過ごしては、樋口英明氏が守ろうとしてくれた、私たちの生命の存在価値がありません
急いで、下記に、激励(お礼、感謝)の手紙を出そうではありませんか。
みなさまの周囲の、多くの人にも呼びかけてください。


〒910-0019
福井県福井市春山1-1-1福井地方裁判所民事部
樋口英明様


手紙の封書の表書きには、「激励」、「判決に感動」、「全面的支持」など、
みなさまの手紙の文意を示す一言を、宛て名の横に書いたほうがよいと思います。
はがきでもよいです。
その手紙が、裁判所に、全国から山のように配達されれば、世の中の空気は変ります。
私たち国民の良識が、先手をとりましょう。

判決文のなかで、特にすぐれていると私が感じた点を挙げておきますので、みなさまが手紙を書かれる時の、参考になさってください。

個人の生命、身体、精神、および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、
その総体が人格権である
、ということができる。
人格権は、憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、
我が国の法制化においては、これを超える価値を、ほかに見出すことはできない


■ 福島原発事故においては……原子力委員会が、福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に、避難を勧告する可能性を検討した。
(これは、2011年3月11日から2週間後の3月25日に、原子力委員会委員長・近藤駿介が、
250キロメートル圏内の住民避難の可能性について、緊急事態の警告書を出したことを指摘している)
この250キロメートルという数字は、緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといって、この数字が直ちに過大であると判断することはできない、というべきである。

■ 原子力発電所は、地震による緊急停止後の冷却機能について、外部からの交流電源によって水を循環させるという、基本的なシステムをとっている。
1260ガルを超える地震によって、このシステムは崩壊し、非常用設備、ないし予備的手段による補完も、ほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく
この規模の地震が起きた場合には、打つべき有効な手段がほとんどないことは、被告(電力会社)において自認しているところである。
しかるに、我が国の地震学会において、このような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは、公知の事実である。

■ 我が国において記録された、既往最大の震度は、岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、 1260ガルという数値は、これをはるかに下回るものである。
岩手宮城内陸地震は、大飯(およびすべての原発立地地点)でも、発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震である。
この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく、近時の我が国において最大というものにすぎない。
(よって)1260ガルを超える地震は、大飯原発(およびすべての原発立地地点)に到来する危険がある

■ 福島原発事故の原因について、国会事故調査委員会が、地震の解析に力を注いできたが……その原因を、将来確定できるという保証はない。
(まして事故の渦中にあっては、複雑きわまりない防護システムを機能させようとしても、放射能放出を未然に防ぐこと自体が不可能である、という説明)。

■ 関西電力(およびすべての電力会社)は、基準地震動を超える地震が到来することは、まず考えられないと主張する。
しかし……現に、全国で、20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に、5回にわたり、想定した地震動を超える地震が、
平成17年(2005年)以後、10年足らずの間に到来している、という事実を直視すべきは当然
である。
……これらの事例はいずれも、地震という自然の前における、人間の能力の限界を示すというしかない。

■ この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が、大飯原発(およびすべての原発)に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上
基準地震動に満たない地震によっても、冷却機能喪失による重大な事故が生じ得る、というのであれば、
そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える、現実的で切迫した危険と評価できる
このような施設のあり方は、原子力発電所が有する本質的な危険性について、あまりにも楽観的といわざるを得ない

使用済み核燃料は、本件原発(およびすべての原発)においては、原子炉格納容器の外の建屋内の、使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、
使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、これが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する、原子炉圧力容器のような堅固な設備は存在しない
(この危険性を実証したのが、福島原発事故における、4号機の使用済み核燃料プールからの、放射能大汚染の危機であった……という説明。)

■ 本件(およびすべての原発の)使用済み核燃料プールにおいては、全交流電源喪失から3日を経ずして、冠水状態が維持できなくなる
我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないまま、いわばむき出しに近い状態になっているのである。

■ コストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、
たとえ、本件原子力発電所の運転停止によって、多額の貿易赤字が出るとしても、
これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、
これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると、当裁判所は考えている。

福井地方裁判所民事部第2部
裁判長裁判官 樋口英明
裁判官 石田明彦      
裁判官 三宅由子




そして、一票の格差という問題について、取り組んでおられる升永英俊弁護士さんが、Facebook上で、このようなお知らせをしておられました。
そしてそのことを、友人の歩美ちゃんが、同じくFacebookを通して教えてくれたのです。


5月28日
Ⅰ :私も、昨日、樋口英明判事に書状を郵送しました。


Ⅱ:私は、
【3000万人が、樋口英明判事に、感想を記述した手紙、又は葉書を郵送することを】期待します。

〒910-0019
福井県福井市春山1-1-1福井地方裁判所民事部
樋口英明様


3000万通の手紙、又はは葉書が、福井地裁の樋口英明判事に届けば、その事実は、全国2200人の判事の心に届きます

その3000万通の手紙、又は葉書の集積の事実は、6000万人の国民の心に届きます

樋口英明判事に、感想を記した手紙や葉書が、山のようになって届くことを期待します

3000万通の感想文を書いた手紙、又は葉書の郵送は、3000万人の市民の、重要な【即原発廃止の草の根運動】です。


Ⅲ:樋口判決は、
① 原発廃止により、原発事故により、人類の生存が脅かされる危険から、人々が逃れうる利益と、
② 原発の稼働により、電気発電コスト削減により、関電の電力利用者の受ける利益(ただし、関電の主張によれば)を、

同列に並べて、①の利益と②の利益の大小を比較考量すること自体、

憲法13条(生存権の保障)に照らし、あってはならない、利益の考量方法である
、と喝破されました。


Ⅳ:同判決の引用:
個人の生命、身体、精神、および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、
その総体が人格権である、ということができる。
人格権は、憲法上の権利であり(13条、25条)、また、人の生命を基礎とするものであるがゆえに、
我が国の法制化においては、これを超える価値を、ほかに見出すことはできない



Ⅴ:樋口判決は、
人類の生存権が、人類の持つべき価値の最上位に位することを、高らかに宣言した、
【人類の歴史】に永久に記録される判決
です。


Ⅵ:市民・升永 #安倍違憲状態首相

拡散、希望します。

↑以上、転載おわり



そしてこの記事は、わたしたちがいかに、今こそ行動しなければならないかを、端的に語ってくれた記事だと思いましたので、紹介させていただきます。

「大飯」勝訴でも不安…上級審では国側が勝つこの国の裁判
【日刊ゲンダイ】2014年5月24日

地裁判決はアリバイ作りか

本当に原発は止まるのか。
 
関西電力大飯原発の、再稼働差し止めを求めた民事訴訟が、住民側の勝訴となったことで、
反原発派は勢いづいているが、関電は翌日控訴
菅官房長官も、安全な原発を再稼働させる政府方針は、「全く変わらない」と言い切った

今度の判決は、
(耐震性に問題がある原発は)生命を守り、生活を維持する人格権の根底を、具体的に侵害する恐れがある」(樋口英明裁判長)とし、
原発から半径250キロ圏内の、住民の人格権を認めた、画期的判決といわれる。

原告弁護団事務局長の笠原一浩弁護士は、
原発のように、科学的見解に複数の知見が存在するテーマだからこそ、
万一の事故もあってはならないという、最高裁の判断も踏まえた判決だ、と理解しています
」と言い、控訴審に自信を示したが、不安がよぎる。

過去を振り返れば、この国では、「司法の独立」なんて絵に描いたモチで、住民側が苦汁をなめる判決が多いからだ。

米軍基地に立ち入った学生7人が、安保条約に伴う刑事特別法違反に問われた砂川事件(1957年)は、
1審は、米軍駐留そのものが違憲だ、として全員無罪となったが、
米政府などから圧力を加えられた最高裁では、国が逆転勝訴した。

1票の格差訴訟でもそうだ。
高裁判決は、「違憲」「無効」の判断が相次いだのに、
2013年11月の最高裁判決は、玉虫色の「違憲状態」に後退した。

原発がらみでは、高速増殖炉「もんじゅ」の設置許可を取り消した、2003年の名古屋高裁金沢支部判決と、
北陸電力敦賀原発の運転を差し止めた、06年の金沢地裁判決がある。
住民側は喜んだが、いずれも最高裁で、住民側敗訴が確定した。

結局、下級審は、国民のガス抜きの場に過ぎなかった


■ピラミッド組織

明大教授の西川伸一氏(政治学)は、こう指摘する。

司法の世界は、厳然たるピラミッド組織です。
高裁の裁判長は、地裁や家裁の裁判長を経て、出世するポジションなので、
下級審に対しては、上から目線になりがち。
高裁の裁判長は、もっと上の最高裁を目指すので、保守的、行政サイド寄りになる傾向は否めません。
大飯原発の控訴審は、名古屋高裁で争われることになりますが、
高裁でひっくり返されてしまう、嫌な予感がします。
それでは、最高裁はどうかというと、裁判官15人のうち、裁判長経験者は6人しかいない
9人は元官僚などだし、長官も法務官僚の経験が長かった
高裁の判決を、維持する傾向が見えます。
『画期的な判決』に、ヌカ喜びは禁物です


同じように画期的といわれる、厚木基地の夜間・早朝飛行を差し止めた判決も、話題になったが、こちらは、アリバイ作りの色が濃い
判決は、毎日午後10時から翌朝6時まで、自衛隊機の飛行差し止めを命じたが、
そもそも、海難救助などの緊急時以外、自衛隊は、夜間・早朝の飛行を自主規制している
原告住民が求めた米軍機の差し止めについては、「国の支配の及ばない第三者の行為」として退けた

憲法学者の奥平康弘氏は、かつて東京新聞で、
明治以来、司法の立場は弱い。行政の裁量処分でも、乱用がないかくらいしかいえない」と解説していた。

やすやすと変われるはずがないのだ。

↑以上、転載おわり


あの世にも素晴らしい判決文を、『ガス抜き』扱いなんかされてたまるかっ!

「安全な原発を再稼働させる方針」ってなんですか?
あんな危険な物を、地震がどこの国よりもたくさん起こり得るちっちゃな島国の周りに、次から次へと建てまくり、
危険を警告する学者や議員を無視しまくり、重大事故が起きたらとっととその責任から逃げまくり、
どうしてああなったかを検証もせず反省もせず、知らんふりしてる人間が言う『安全な原発』は、
世界でも稀に見るほどの、破廉恥なブラックジョークですが、
それをそのまんま伝えるだけの大手マスコミの腐り様もまた、世界でも稀に見るほどに情けない……。

ここまでコケにされて、いつまでも黙ってるのはどうかと思います。
もちろん、全然黙っていない人もいますし、少しずつ増えてきていることも事実です。
けれども、まだまだ足りません。
ものすごく足りていません。

国のような大きなものを変える時は、100万人。これがカギです。

そう聞きました。

升永先生は、その100万人をはるかに超える、3000万人という人数に呼びかけておられます。
日本はいま、本当に、それぐらいの、ひとつの国が動く人数の30倍もの市民が行動しないと、もうどうしようもないところにきているのかもしれません。

はがきや手紙は、うちでもどこでも書けます。
字さえ知っていれば、誰にだって書けます。
日本に住んでいなくても書けます。
書いて、最寄りの郵便ポストに投函すればよいだけです。

わたしも、ずっと、あの判決文を読んだ日から、お礼の気持ちを伝えたいと思っていました。
そして、最高裁でひっくり返せると確信している、自民党をはじめとする原発ムラの連中に、一泡吹かせてやりたい。
『厳然たるピラミッド組織』に成り下がってる司法の世界に、風穴を開けたい。

だからわたしも書きます。
今まさに、汚れた靴底に踏みつぶされている草の命が途絶えないよう、ささやかな栄養を送り続ける、地中の根っこのひとつとして。

あの時、福島第一原発で、本当に起きていたこと……『吉田調書』は『原発の証明』

2014年05月29日 | 日本とわたし
『吉田調書』を読んでいます。
朝日新聞の無料購読に申し込むと、誰でも読めます。

原発などというものを扱うには、あまりにも無理がある、管理能力も、もしもの場合の対処能力も持ち合わせていない管理会社と関係者たち。
その恐ろしいほどの無能っぷりが、吉田氏の言葉の中からにじみ出ています。

吉田氏の、何度も死んだという言葉に、それほどの恐怖と無念と恨みがこもっているのか。
けれども、彼がとにかく、残った68名と共に、文字通り必死になって踏ん張ってくださったおかげで、
日本はとりあえず、今も日本であり続けることができているのだなあと思います。

けれども、事故は3年経った今も、まったく収束に向かってはいません。
汚染は徐々に広がり、自然の循環で戻り、あちらこちらに濃縮して留まるのくり返しが続きます。
除染などという誤摩化しで、汚染を薄く広く移し、そこに人を呼び戻そうとしているような政府です。
故郷はやはり良いでしょうと、これまでのように、地震や津波が起こってからの復興と同じように頑張ればよいと錯覚をさせ、
狡猾に、人の情に訴えて、放射能汚染を生じさせた責任がある政府と電力会社、そして原発という不適格な物を推進した当事者たちに、
その責めの矛先が向かないように、バレないように、カネと権力と人脈をふんだんに使って、この3年間、向こうも必死に頑張っています。

この調書は、吉田氏の遺書です。
そして、原発というバケモノと、それに群がるニンゲンの殻を被ったヨクフカモノの正体を、露にしてくれた証明書だと思います。

これ以上、彼の死を無駄にしないためにも、日本の中から、本気の声を上げませんか。


コバジュンさんが、ニューヨーク・タイムズが報じた『吉田調書』についての記事を、翻訳してくださいました。

↓以下、転載はじめ

あの時、福島第一原発で、本当に起きていたこと
投稿日: 2014年5月28日 作成者: admin

福島第一原発の事故の真実を隠ぺいしたまま、原子炉の再稼働を推進する安倍政権。
全職員の10分の1以下の68名ではなく、720名全員で、事故収束作業に取り組むつもりだった吉田所長。
吉田所長が、大半の職員の『施設外避難』を把握した時点で、すべては手遅れになっていた。


マーティン・ファクラー / ニューヨークタイムズ 5月20日




3年前、福島第一原子力発電所の事故が、最も深刻な事態に陥っていたそのタイミングで、
東京電力の職員は持ち場に残り、何とか原子炉の制御が可能になるよう、努力を続けるよう命じられましたが、
パニックに陥ってしまった多数の職員が、持ち場を捨てて、避難してしまった
ことが明らかになりました。
日本を代表する新聞社が5月20日、この事実を明らかにしました。

朝日新聞はこの出来事について、2011年3月福島第一原発の事故発生以降、日本政府の調査チームによって行われた一連の聞き取り調査により、
当時所長を務めていた、吉田正夫氏の記述によるものである、としています。

朝日新聞社は、400ページに上る聴き取り調査の、筆記録のコピーを手に入れたことを明らかにしましたが、
この記録はこれまで、政府内の報告書に一部が記載されることはあっても、一般にすべてが公開されることはありませんでした

現在、このコピーは、当時所長を務めていた吉田氏であればこそ残すことが出来た、事故の事実を伝える唯一の証拠です。
その吉田氏は、ガンが原因で、昨年58歳で亡くなりました。

吉田所長は、原子炉が過熱して、破滅的事態が眼前にあった当時、
原子炉が再び使えなくなることを恐れた、東京電力の本社の制止命令を振り切り
独断で、原子炉に海水を注ぎ込み、事故のそれ以上の拡大を防いだ、数少ない本当のヒーロー
として広く知られていました。



3月11日に、巨大地震と津波が、重要な冷却装置を完全に使えなくしてしまってから、4日後の15日
福島第一原発は、まさに壊滅間際の様相を呈し、職員全体が恐慌状態に陥っていた事実を、この報告書は伝えています。

調査に対し、吉田所長は、結局、中間管理職を含む650人の職員が、福島第二原発に避難してしまったことを、明らかにしました。
原子炉建屋が爆発した原子炉では、まさに炉心のメルトダウンが始まろうとしていた段階で
現場に残されたのは、吉田所長と、68名の職員だけであったのです。
この原子炉は、福島第一原発の事故において、最終的にメルトダウンを起こしたことが確認された、3基の原子炉のうちの1基でした。

この記述がもし本当であれば、
東京電力はこの日、必要最低限の人員を除き、職員の大部分を、『あらかじめ』あるいは『計画的に』避難させる措置を採り
残された強い使命感を持った職員が、命を危険にさらしながら、事態が最悪の局面に陥るのを防いだという、
事故対応の全体像が違ってくることになります


そして、北日本の広域を、放射性物質で汚染してしまった福島第一原子力発電所の事故について、
発生後3年が過ぎた現在ですらなお、日本政府と東京電力は、事故の全容を明らかにしていないことが明らかとなった事で、
新たな批判が寄せられることになるでしょう。
朝日新聞は記事中で、福島第一原発の事故後、停止していた国内の原子力発電所の再稼働を推進しようとしている一方、
福島第一原発の事故の記録全てを、公開しようとはしていない日本政府を、非難しました


定例記者会見の席上、日本政府のスポークスマンを務める菅義偉官房長官は、朝日新聞の記事の正確さに、疑問を呈することはしませんでした。
菅官房長官は、
吉田所長を始め、事故現場に居合わせた人々に行ったインタビューの筆記録は、公的に記録を残すために行ったのではないため公開しなかった
と語りましたが、なぜそのような対応を採ったのかについては、説明しませんでした。



東京電力の広報担当の清水氏は、
「朝日新聞の記事には、ある重要な側面に関する記述が欠落している」と語りました。
すなわち、
吉田所長は職員に対し、漠然とした表現で、「放射線量の低い」場所まで下がるように指示を出しており、
その場所には、10キロ離れた福島第2原子力発電所も含まれる
」と語りました。
清水氏は、
東京電力はこのような理由から、当時の職員の行動について、規律違反とは考えていない」と付け加えました。

朝日新聞側は、
この記録は、2011年7月から11月にかけて、調査委員会が行った29時間以上にわたるインタビューに基づき、
吉田所長の発言を一語一語、正確に記録したものである
」と伝えました。
この筆記録は、その大分部分が、未だに公開されていない他の771人の聞き取り調査記録とともに、首相のオフィス内に保管されている」と朝日新聞は伝えています。

この筆記録の中で、吉田所長は、3月15日早朝に起きた爆発について、
「当初、2号機の原子炉格納容器が破裂してしまったのではないかと、その事を何よりも恐れた」と語っています。

もしそうなっていれば、莫大な量の放射性物質が、環境中に放出されていたはずでした。
しかし、
「発電所内に設置されていた放射線量の測定装置では、計測値の著しい上昇は無く、その事によって、格納容器が無事であることを確信できた」と語っています。
しかし午前6時42分、吉田所長は、放射線量の測定値について確信が持てるようになるまで、発電所内で、最も放射線量の低い場所で待機するよう、職員に対し指示を出しました
吉田所長は聴き取り調査の中で、
事故収束のための作業に、出来るだけ早く着手できるように、720人の職員をできるだけ手元に置いておきたかった」と語っています。



指示があればすぐ持ち場に戻れるよう、職員は、福島第一原発の敷地内に留まってください

吉田所長は、発電所内の会議システムの装置を使い、職員にこう呼びかけたことを憶えていました。

しかし、職員がとった行動は、その指示とは異なるものでした。

記録によれば、ある者は東京電力のバスを徴発し、ある者は自家用車に乗り、多くの職員が、福島第二原子力発電所に避難してしまったのでした。

吉田所長によれば、一部の人間は、午後になって福島第一原発の敷地内に戻ったものの、一時は、職員の90%が、敷地外に避難してしまったのです。

朝日新聞は、吉田所長が調査の中で、
管理職ですら、あまりに多くの人間が避難してしまったことに驚き、福島第二原発に連絡を取って、そこにいた職員に対し、直ちに持ち場に戻るように命じました」と答えた、と伝えています。

事実として、私は、第二原発まで避難するように指示はしていません
吉田所長の発言は、このように記録されています。

職員の大半が、第二原発まで避難したことを私が告げられた時点で、すべてはもう手遅れになってしまっていました

http://www.nytimes.com/2014/05/21/world/asia/fukushima-workers-fled-plant-after-accident-despite-orders.html?_r=0

カオスな一日

2014年05月29日 | ひとりごと
起きがけに、用をたすことがものすご~く困難で悲惨な、トイレの夢を見ることがある。
最近ちょっと、その回数が前よりも多くなってきて、うっすらと心配だったりする。
もちろん、膀胱に溜まりに溜まってるおしっこが、早よ出してくれ~と悲鳴をあげてるからやけど、
問題は、その夢に出てくるトイレが、どれもこれもけったいで、お世辞にもきれいとはいえん、かなり悲惨なもんばっか、ということ。

【注・食事中の方は読むのをお控えください

まるで、マジックショーなんかでやってる、無理矢理に体をねじ込まなあかんような箱サイズやったり、
床屋の椅子風の、けれどもそれが、ハシゴで登っていかなあかんような高い所やったり、
デパートっぽい建物やのに、どの階のどこにも見つからんからと、エレベーターに乗ったら、いきなりそれが遊園地のUFOみたいな世にも恐ろしい動き方をして、気がついたら空に上っていってしもてたり、
とにかくハチャメチャで、けれどもなぜか必ず、周りでご飯を食べてる人がいたりして、妙に生きものの原点を突いてたりもする。

トイレと思われる場所はどれもこれも、足を踏み入れとうない、お尻を乗っけとうない、どないしたらええねん!と困り果てるぐらいにとんでもなく汚れてて、
いったいこれは、なにを意味してるんやろと、夢の中でさえ考え込んでしまうぐらい、揃いも揃ってババちいのである。
う~む……。

そしてつい先日は、起きがけに、珍しく大きい方がしとうてたまらん夢を見た。
お便秘歴40年を誇るわたしは、本気でいつか『お便秘ものがたり』というのを書こうと思てる。
それはもう『おしん』もびっくりの、汗と血と涙の物語なのであるからして、わたしは書きながら、何度も涙することになるかもしれん。
それはさておき、その夢の詳しい状況は、さすがにここに書くのは控えるけれども、やけに生々しくて、起きた瞬間、まさかほんまに……と心配した。

まだ57才、ボケるには早過ぎる……。

ボーッと寝ぼけた頭で台所に行き、お茶コーナーの扉を開けた。


パラパラっという音が聞こえて、慌ててカップをどけたら、


げげげっ!やられた!


こないだから、なんかカリカリ聞こえてたなあ、そういえば……。
こういう時って、どういうわけか、問題がびゃ~っと広がってって、気がついたら大掃除、というパターンになる。

ネズミさんらが大喜びで宴会した後の、食べカスとおしっことウンチを、今の状態以上に広げんように、そろそろと掃き集める。
それからはひたすら拭く、拭く、拭く。
ほんでもって、齧られてしもたお茶を、すべてゴミ袋に入れ、埃が入ってしもたカップをすべて洗う。
(その一部は、旦那があとで、プリプリしながら戻してきた。「外が齧られても、こんなしっかりしたパック入りなんやからええがな!」と言うて……)

終了……うちはお茶屋かっ!?



全く予想もしてなかったことに、ほとんど半日を費やす、ということは、まあたまにある。
けども、それが二つ重なるとは……。

二つめは、家猫ショーティの新システムトイレ。
もう砂を使わんようになったから、ショーティが歩いたあとが砂埃で判明する、という悲惨さは無くなった。
おしっこの量がハンパではない彼女が作る尿玉は、毎日スーパーのビニール袋一杯になって、その重たいことというたら……、
で、その何日分かが入ってるあまりにも重たいゴミ袋に、収集係のお兄さんらが、いったい何をほかしてやがるねん!と怒ってこんかと、ゴミの収集日にビクビクと心配する必要もなくなった。
今は、尿取りパットを引き出しにセットして、それを取り替えたらええだけなのやけど、
ほんでそれがもし、一匹飼いの普通の猫ちゃんなら、3日にいっぺん替えたらええだけなのやけど、
如何せん、もうすぐ16才の、糖尿病持ちのショーティの場合は、半日で半分がボトボトになるので、毎日取り替えなあかん。
なのにどうしてか、その晩に限って、取り替えるのを忘れてたみたいで、引き出しを引き出したら、そこはもうショーティのおしっこプール?!
おぉ~のぉ~!!
どないもこないも慌てて一階に降り、ビニール袋を3重にしたのを持ってまた二階に戻り、すでに床に溢れ出てる引き出しの中のパットを捨て、
それからはもう、ただただ拭く、洗う、また拭く、洗うのくり返し。

いやもう、これはいったい……。

でも、おかげで、前々から気になってたお茶コーナーが片付き、家猫のトイレの、そこはかとなく漂い始めてた、取り切れてないおしっこの臭いも無くなった。

物事はつねに、こんなふうに、嬉しいことと困ることが同時に存在してる。

原発ムラを護る要塞⇒『原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)の第4条3項』の改正廃棄を叶えよう!

2014年05月28日 | 日本とわたし
今朝、想田監督がツィッターで、こんなことをポツリとつぶやいていました。

「これ、いまさらですけど非常に興味深い。→平田オリザさんからの台湾速報(内田樹の研究室)」

わたしも興味深かったので、さっそく覗いてみました。
4月6日に書かれた記事です。
文字の強調は、わたし自身の考えで行いました。

↓以下、転載はじめ

内田樹の研究室

平田オリザさんからの台湾速報

佐藤学先生と入れ替わるように、台湾の大学で集中講義をされた平田オリザさんから、台湾事情について、たいへん興味深いレポートが寄せられました。
ふうむ、そういうことなのか・・・

第一報(4月4日)

佐藤先生と入れ替わりで、四月一日から台湾に来ています。
国立台北藝術大学で、五日間の集中講義(ワークショップ)をしています。

立法院の占拠は、政府が強攻策をとるという噂もあれば、このまま持久戦に持ち込んで、学生が疲れるのを待つのではないかという説もあります。
今週は、台湾の大学は、もともと休みなので(私は、その期間を利用して行う公開講座の講師として呼ばれたのですが)、大学が再開される来週からが山場かもしれません。

私が今いるのは、芸術系の大学ですので、教授陣も全員が学生側を支持しています。
今回は特に、「サービス貿易協定」で、言論の自由を実質的に封殺される可能性の高い、演劇、映画、出版界などからの支持が強いようです。
30日(日)のデモには50万人、全国では70万人以上の人々が、デモに参加したといわれています。
台湾の人は、普段は政治に無関心な人間が多いのに、これは異常な数字だ」と、私を招いてくれた教授も言っていました。
馬英九の支持率は、実質は5%を切っているのではないか、と噂されています。

今回の学生運動と、その支持が大きく広がったのは、運動の過程を通じて、
中国資本の浸透が思っていた以上に進んでいたという事実が、はからずも露呈した、ということがあるようです。

たとえば、地方から運動に参加する学生たちが、バスをチャーターしようとしたところ、多くのバス会社に中国資本が入っており、バスを貸さないという事態が起こった
あるいは、テレビは、中国資本の影響(直接的な資本参加とCMのスポンサーとしての影響)が強いので、公平な報道をしていないといった事実。
こういったことが重なって、一般市民が危機感を強めたようです。
たまたま、先週は香港にいたのですが、香港でも、中国資本による柔らかい言論封殺への危機感が、叫ばれていました。
30日のデモでは、香港でも800人の市民が、連帯を示すデモをしました。
私の中国の友人も、「いま中国は、共産党とグローバリズムの、二つの抑圧を受けている」と言います。
韓国などでは成立した、「経済の繁栄が民主化を促す」というモデルが、完全に破綻した世界に、私たちは生きていると、認識すべきなのかもしれません。

明日の夜には帰国なので、もう少し早くご報告出来れば良かったのですが、朝から夕方まで授業をしているので、ご連絡が遅くなりました。


第二報(4月5日)

いま、台北の松山空港です。
すべての日程を終えて、搭乗を待っているところです。
やはり、今日、明日にも、警官隊が突入するのではないかと噂になっています。
昨日まで通常の装備だった警察隊が、昨夜から、防弾チョッキなどを身につけているとも言われています。
暴力行為が心配されます
大統領は、週明けには、立法院を正常化する方針のようです。

私は、佐藤先生のように現場に行ったりしたわけではないので、あくまで側聞に過ぎませんが、大きな問題点をいくつか、まとめてみました。

1.台湾の産業の空洞化は、ある意味では日本以上に進んでいて、大企業の工場の中国移転は、すでに完了している。
問題は、その大企業が大陸で儲けた金が、台湾に戻ってくるときに、現在は大きく課税されいるが、新しい協定ではこれがなくなる。
要するに、儲かるのは大企業に投資した資本家たちだけ
その投資家たちは、台湾で金を使うわけでもないし(国民党に献金はするだろうが)、納税するわけでもないし、国内に再投資をするわけでもない。
一方、現在、九割以上と言われる台湾の中小企業は、中国資本の進出によって、壊滅的な打撃を受ける

2.国民党は、台湾全土にネットワークを持っていて、選挙に強い
そのため、国会議員の選挙では、民進党はなかなか勝てない。
総統選挙で勝ったとしても、少数与党になりがち
また、反国民党が、党是のような野党体質の党なので、派閥が多く内紛も絶えない
といった背景から、もともとあんまり政治に関心のない台湾国民は
「やっぱり安心なのは国民党」という感じで巨大与党を選んだら、それが暴走し始めて現在に至っている
という、どこかの国の近い将来を、予感させる状態になっている。

3.これほど広範囲な運動になったのは、前回報告したように、中国資本に対する漠然とした不安が、顕在化したことにある。
誰も、台湾が中国に飲み込まれることを望んでいない



中国嫌いの安倍政権にとっては、今回の反対運動は、シンパシーを持つべきものだと思いますが、
それは一方で、経済のグローバル化に反対する、という自己矛盾を起こします。
世界がバルカン化する状況の中で、反中国色を強めながら、いわゆる「中国化」していることに無自覚な安倍政権の外交政策が、よりいっそう迷走することも懸念されます。


最後に、私の仕事について。
今回のミッションは、五日間、毎日6時間ワークショップをするというものでした。
今日は最後の成果発表の日で、28人が4チームに分かれて、15分ほどの劇を作り上演しました。
ある班のストーリーは、以下のようなものでした。

・河口湖畔のホテル、富士山のいちばんよく見えるスイートルームが舞台。
 この部屋は、子作りパワースポットしても有名。
・そこに、中国人の夫婦が、子作りのためにやってくる。
・部屋でくつろごうとすると、バスルームから、台湾人の女性が出てくる。
 どうもダブルブッキングしたらしい。
・いろいろもめるが、オーナーを呼んでくることになる。
・オーナーは、このホテルを最近買い取った中国人で、当然、中国人夫婦の味方をする。
・台湾人女性、怒って部屋の中で座り込みを決行(ここで観客から大拍手)。
・台湾人女性のフィアンセのアメリカ人実業家が、遅れてやってくる。
・アメリカ人実業家との提携話を進めるために、中国人オーナーは、突如、台湾人女性の味方をする。
 中国人夫婦激怒。
・オーナー権限で全員、退去させられて、台湾人女性とアメリカ人のフィアンセが残る。
 台湾人女性は、早く子作りをしようと迫る。
 しかし、アメリカ人は東洋かぶれで、「もう儲けるだけ儲けたから、全財産を寄付して、日本で出家する」と言って去って行く。
・ここで、掃除にやって来た日本人女性従業員と 中国人オーナーの不倫がばれる。
 共働きの日本人従業員の夫が泣き出す。
 台湾人女性は、アメリカ人を追いかけて出て行く。
・みな、部屋に戻ってくる。
 日本人女性従業員が、オーナーの子供を身ごもっていることを告白。
 中国人夫婦が「どこで身ごもったの?」と聞くと、女性従業員から「下の部屋です」という答えが返ってきて、夫婦は急いで子作りのために下の部屋に移動。
 中国人オーナーは、「これでどうにかして」と、札束を女性従業員に投げつけて逃げ去る。
・残った日本人夫婦が、窓の外を眺めながら、「やっぱり富士山いいよね」としんみり話していると、富士山が噴火し始める。


この劇を作った学生たちに聞くと、このホテルのスイートルーム自体が、尖閣諸島のイメージなのだそうです。
単純なネトウヨの人とか怒るんでしょうけど、でも、この芝居における台湾学生の国別好感度は、台湾-日本-アメリカ-中国なんですね。

楽しい五日間でした。

↑以上、転載おわり


この記事が書かれた時の、台湾の学生による立法院の占拠が、どのような状態だったのか。
ウィキペディアに書かれていることを、ここに転載します。

4月4日
馬英九は、学生らが制定を求めていた、立法院などの監視機能を定めた法令案(両岸協議監督条例)を、行政院で決定した。
学生らの要求に対して、一定の譲歩を示したが、学生側はより透明性の高い制度を要求しており、
さらに、サービス貿易協定そのものを見直すよう求めている
馬英九が一定の譲歩を示したことで、4月2日から3日にかけてのTVBSの世論調査では、立法院からの退去を主張する意見が33%となり、占拠継続への支持26%を逆転し、上回った。

4月6日
立法院の王金平院長は、学生側の要求に応じ、「両岸協議監督条例」が法制化されるまで、サービス貿易協定の審議を行わないと表明すると共に、学生側に議場から撤退するよう呼びかけた。
この提案を受けて学生側は、「この段階での任務を達成した」として、4月10日に立法院から退去することを発表した。

4月10日
学生たちは、立法院の議場から退去した。
しかし、退去に反対する一部の学生は、立法院の敷地内に留まっている。
この一連の事態の中で、台湾の民放の世論調査では、馬英九総統の支持率は、10%前後にまで低下した。

4月16日
中華人民共和国の国務院は、学生の動きについて、両岸関係の平和的発展のプロセスを破壊、妨害するものと批判した。
この事件により、中国の中台統一に向けた動きは、仕切り直しを迫られることが予想される



昨日からずっと、考え続けていることがあります。
それは、あんな過酷な事故を起こし、その収束も全くできず、汚染を日々増幅し続け、放射能汚染による被害に苦しむ人々を保護することもなく、
事故などまるで無かったかのように、のうのうと、それまでの姿勢を崩さず、原発ホイホイを押し通している原発ムラの土手っ腹に、
いったいどうしたら、致命的な風穴を空けることができるのか……ということです。

やっぱりアレではないかな……。
アレですアレ。
原発を造る企業、原発を勧める人間、原発に融資する金融機関、原発を擁護する機関、それらすべてが、事故が起きても責任を取らなくてもよい、という法律です。
こんな法律が、原発が54基もある、人口密度が極めて高い、地震まみれの小さな島国に存在し、様々な費用の支払いから事故の後始末まで、国民に責任を転化しています。
だから、莫大な費用がかかることもへっちゃら、事故が起こっても他人事、原発に関わる企業、人間、金融、研究施設は、ヘラヘラとしていられるのです。

その法律とは、
原子炉メーカーの無責任を保障する「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」の第4条3項・「原子炉の運転等により生じた原子力損害については、(中略)製造物責任法の規定は適用しない」というもの。

これをなにがなんでも改正させなければなりません。

学生といわず大人といわず、とにかく全国一体となって、
憲法に守られているはずの我々主権者の権利を、根底から侵し続けているこの悪法の撤去を実施させない限り、
日本はこれからも、何も変わらず、何も阻止できず、ただただ心身ともに弱り果てていくだけだと思います。

こんなろくでもないもん、もうやめよう、やめさせよう、今こそわたしたちの声で!

2014年05月27日 | 日本とわたし
ここに、朝日新聞(2011.7.31)の『原発攻撃を極秘研究・最大1.8万人急死』84年 外務省(反対運動恐れ公表せず)の記事と書き出したものを載せていましたが、
朝日新聞知的財産管理チームより、著作権侵害が行われているとの問い合わせが、goo事務局にありました。
その部分を削除しなければ、記事の停止措置を行使する、という旨の連絡をいただいたので、削除します。

記事は、”朝日新聞(2011.7.31)の『原発攻撃を極秘研究・最大1.8万人急死』84年 外務省(反対運動恐れ公表せず)”で検索すると、
その記事を載せたブログがたくさん出てきますので、そちらで読んでください。



1984年当時の総理大臣は誰だったのでしょう。
中曽根氏でした。

1982年(昭和57年) - 第71代内閣総理大臣に就任。
第1次中曽根内閣を発足。
国鉄、電電公社、専売公社の民営化を行う。
外務大臣に安倍晋太郎を起用。

1983年(昭和58年) - 第2次中曽根内閣発足。
内閣官房長官に藤波孝生、文部大臣に森喜朗を任命。

1984年(昭和59年) - 第2次中曽根内閣第1次改造内閣発足。
内閣官房副長官に山崎拓を抜擢した。



ずいぶん前の記事になりますが、中曽根氏と原子力の関係の深さを示すものなので、紹介させていただきます。

<特集ワイド>「国策民営」 日本の原子力、戦後史のツケ
【毎日新聞】2011年4月20日

危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。
この国には、この「フクシマ」を含め、54基の原子炉がある。
そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 
「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】

 
◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず

<ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う>

早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘した、CIA(米中央情報局)機密文書の一節である。
終戦直後から60年代までに蓄積された、474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が、詳細に描かれていた

「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名
原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の原子力の父」と呼ばれる人物だ。

「戦後、CIAは、正力氏と協力して、日本で原子力の平和利用キャンペーンを進めていきました。
彼が、政財界の有力者とのコネを持っていただけでなく、新聞やテレビを使って宣伝できたからです」


有馬教授はそう解説する。

米国から日本への、原子力導入の働きかけ
そこには、米国の「政策転換があった」と言う。
転換点は、アイゼンハワー大統領が、53年12月の国連総会で行った「原子力の平和利用」演説だった。
ソ連との冷戦で優位に立つため、関連技術を他国に供与して、自陣営に取り込む戦略だった。

唯一の被爆国でもある日本が、原子力を受け入れることの戦略的意味は、米国にとって大きかった
一方、正力氏にとっては、「首相の座を狙うための政治キャンペーンでもあったことが、機密文書から分かります」(有馬教授)。

54年に、日本初の原子力関連予算を要求したのは、当時、改進党に所属していた中曽根康弘元首相らだった。
予算が衆院を通過したのは、ビキニ環礁での米核実験で、漁船員らが被ばくした「第五福竜丸事件」が明るみに出る、約2週間前の3月4日
中曽根氏はギリギリの日程で、原発関連予算を通す。
中曽根氏は、原子力関連法を次々に提案し、科学技術庁(現文部科学省)の初代長官に就任した正力氏とともに、原子力事業を推進した

だが、急速に原子力へと傾いていったことは、日本に禍根を残す。
「その一つが、事故の際の住民への賠償問題です。細部の議論を尽くさずに原発を導入してしまった」。
有馬教授はそう指摘する。

  ■

70年3月14日、日本初の商業用軽水炉として、日本原子力発電の敦賀1号機が、大阪万博開幕に合わせて稼働し、万博会場への送電を開始した。
正力氏は、その前年に他界している。
続いて、新エネルギーとしての原子力に注目したのは、73年の第1次オイルショックと前後して、資源外交を進めた田中角栄元首相だった。

「田中角栄 封じられた資源戦略」(草思社)の著者でノンフィクション作家の山岡淳一郎氏は、
オイルショックをきっかけに、石油の限界性が強く意識されるようになりました。
そして、高度成長以降、強気の電力需要予測に基づいて、全国に原発が造られていった
」と説明する。

田中元首相は、自民党幹事長だった69年、東京電力柏崎刈羽原発の建設誘致に動く
首相末期の74年6月には、原発の立地支援のための交付金などを定めた、電源3法を成立させた
「建設業界、電力業界、官僚、学会が右肩上がりの需要予測を利用して原発を推進した。『列島改造』という国土開発に原発が組み込まれた時代だったのです」

さらに田中元首相は、米国頼みだったエネルギー政策を転換する。
田中氏は、欧州の原子力大国フランスとのパイプを築き、ウラン資源を確保するとともに、(プルトニウムを抽出する)再処理技術にも触手を伸ばそうとしました」。
そのうえで山岡氏は、
「先見の明のあった田中氏であれば、そこで、原子力だけではなく、クリーンエネルギーにも翼を広げておけばよかったのですが……」と語る。
70年代、2度のオイルショックを経て、日本は原発一辺倒に突き進む。

  ■

世界では、2度の大事故で、原発は停滞期に入る
79年に米スリーマイル島事故、86年にはソ連(現ウクライナ)でチェルノブイリ事故が起き、欧米で脱原発の機運が高まった。
だが日本は、97年ごろまで、毎年150万キロワットのペースで、原発を拡大させ続けた

原子力政策の専門家で、97~09年に、原子力委員会の専門委員を務めた九州大学副学長の吉岡斉教授(科学史)は、
政治は自民党一党で安定し、通産省(現経済産業省)も、原発を継続する強い意志を持っていた。
2度の大事故の影響は、日本では限られていました。
世界の情勢に逆行して、日本で原発が拡大した背景には、政治と行政の特殊な構造があった
」と話す。

ところが、90年代初めのバブル崩壊以降の電力需要の低迷で、原発建設はスローダウンしていく。
さらに、90年代半ばに、発電事業者の新規参入を認めた電力自由化で、原発は岐路にさしかかる

通産省内でも、『補助金漬けの原発は、財政的に問題で、電力自由化に逆行する
特に金のかかる核燃料再処理事業をやめるべきだ』との議論が出てきた。
05年ごろまでに、再び原発継続の方向で固まったが、市場原理に基づけば、原発は成り立たない
電力会社も、本音ではやりたくないが、国策に従っているだけです


吉岡教授には、忘れられないエピソードがある。
高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年)を受け、97年に科学技術庁が設置した高速増殖炉懇談会に、委員として招かれた。

「ところが、議論のさなかに、自民党が、存続方針を出してしまったのです。
懇談会の結論も、それを追認した。
われわれの議論は何だったのかと思いました


戦後、日本は、米国から原発を導入し、オイルショックで公共事業として推進し、バブル崩壊後も、政府の手厚い保護下に置いてきた
政府が計画を立て、民間の電力会社が運営する「国策民営」(吉岡教授)の二元体制。
それが、福島第1原発の事故対応でも、混乱を招いているのではないか。

政治に利用され続けた原子力
それは、資源小国ニッポンの宿命だとしても、代償はあまりにも大きかった。

↑以上、転載おわり



「戦場に行った事のない人間(安倍氏)が、自らの主張を通す為にNGOを道具としている」中村現地代表

2014年05月26日 | 日本とわたし


「安倍首相 NGOを道具にしている」

アフガニスタンで、医療や農業の支援活動をしている、福岡市の非政府組織(NGO)『ベシャワール会』の中村哲現地代表が、一時帰国し、25日、同市内で、毎日新聞のインタビューに応じた。
安倍晋三首相が、海外のNGOのために、自衛隊の任務拡大の必要性を唱えたことに、
「NGOを道具にしている」と批判
首相が、集団的自衛権の行使容認に踏み切れば、現地での危険は増すとして、撤退を検討せざるを得ないとの考えも示し、
非軍事による国際貢献の重要性を訴えた。

【井本義親】

集団的自衛権 行使容認を批判

ペシャワール会は、1984年からアフガンやパキスタンで、医療活動を開始。
米軍のアフガン攻撃開始後も、活動を継続し、同地の干ばつ対策として、農業用の用水路建設にも取り組んでいる。

中村氏によると、欧米諸国がアフガンに軍隊を出したことから、現地住民の憎しみや怒りが倍増
欧米のNGO関係者は現在、テロの標的となる危険が高まったことから、活動拠点のジャララバードから撤退した
それでも同地に残るペシャワール会について、中村氏は、
憲法9条を持つ日本は『戦闘に参加しない国』という信頼感があり、それが私たちの活動を守っている」と強調。
欧米のように、軍事力を使い、日本人というだけでターゲットになれば、当然私は逃げる」と述べた。

首相が、15日の記者会見で、「限定的な集団的自衛権の行使」と説明したことについては、
戦場に行ったことのない人間の発言。
武器を持って衝突すれば、互いに恐怖心や防衛心が強くなり、歯止めはなくなる

として、ひとたび行使を認めれば、際限がなくなると警告した。


「危険あおらず外交努力を」

一方、首相は、海外で活動するNGOを救出するためとして、自衛隊の駆け付け警護を認めることの正当性を唱えた。
だが、これは、集団的自衛権と関係ない武器使用の問題で、中村氏は、
自らの主張を通すために、NGOを道具としている。
集団的自衛権行使に賛成させるために、こじつけている印象は拭えない
」と不快感を示し、
国民の危機感をあおるのでなく、外交努力で不必要な敵はつくらないことこそ、内閣の責任だ」と訴えた。

「率直に言えば、『行く方も行く方だ』」というような場所がいっぱいな、夏休み前の日本への警告

2014年05月26日 | 日本とわたし
国土交通省-「公園のホットスポット…一部立ち入り禁止」



今頃になって国土交通省が、茨城県のひたち海浜公園のホットスポットを、立ち入り禁止区域指定。
率直に言えば、「行く方も行くほうだ」。



言われなければやらない、公園管理センターの無責任と怠慢

23日、国営ひたち海浜公園内で放射線量を測定したところ、広場や林の中など3か所で、
地表1メートルの高さの1時間当たりの放射線量が、国が除染を行う目安としている0.23マイクロシーベルトを超え、最高で0.70マイクロシーベルトに達しました。
このため国土交通省はこの3か所の周辺を、念のため立ち入り禁止として、来園者が近づかないようにロープを張り、立ち入り禁止の看板を立てました

(ソース:NHKは、欧米メディアと違って、こうした国民を被曝から回避させるような情報を出した後、すぐに削除してしまうという、ほとんど役に立たない放送局ですので、下に画像キャプチャーを取っておきます)

国土交通省は、福島第一原発事故で拡散した放射性物質の影響とみていて、今後、除染を実施することにしています。
ひたち海浜公園では、園内に37か所のポイントを設けて放射線量を毎月測定していましたが、
23日に調査した場所では、これまで測定は行われていなかったということです。
ひたち公園管理センターの田中裕子副管理センター長は、
「来園者に安心してもらえるよう、早期に除染を行いたい」と話していました
」。
(ソース:「国営ひたち海浜公園 除染を実施へ」)




ニュース動画は、トップ画像をクリックしてください。
公共放送としては失格のNHKのことですから、すぐに削除してしまうでしょうけれど。
欧米メディアは削除などしません。
何年でも残しておきます。
これは、隠蔽体質の、日本の大メディアだけの現象。
特に、今では反社会的なメディアに成り下がった公共放送のNHKは、その筆頭。

今回は、安倍晋三政府プロパガンダ機関のNHKも、さすがに「風評被害」という言葉は使えないようです。

1時間当たり0.7マイクロシーベルト(μSv/h)を、公的機関が採用している以下の計算式で、年間被曝量に直してみます。

ただし、この↓計算式において、屋内にいた場合、一律に0.4(つまり、0.6分は建物でブロックされると考えている)としていることは、
老朽化した木造住宅の場合は、当てはまりません。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(測定値μSv/h×屋外8時間×365日)+(測定値μSv/h×屋内16時間×40%×365日)=μSv/年×1000=mSv/年
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(0.7×8×365)+(0.7×16×0.4×365)=3680μSv/年 → 3.68mSv/年 → 年間3.68ミリシーベルト

再三、繰り返しますが、これは線源(面)から1m離れたところでの「外部被曝線量」です。
子供であれば、線源からもっと近くなります

散歩に連れ出されたワンちゃんでは、わずか数cmということになります。
放射線の強さ(エネルギーの強さ)は、距離の2乗に反比例しますので、子供の被曝量に地上1mの数値を採用している時点で、信じるに値しないのです。

また、これはあくまで、「外部被曝」についてですから、子供を、この超ミニホットスポットで遊ばせた場合、
土ほこりを吸い込んだり、草の上や土の上でゴロゴロしたりすると、呼気から肺に、放射性物質を取り込んでしまいます

セシウム(134にしても、137にしても)があるところには、うっかり吸い込んでしまったら一生モノの、ストロンチウム90が必ず存在しているので、非常に危険です。

上の数式によって出された「年間3.68ミリシーベルト」というのは、外部被曝の年間被曝量ですから、さして問題になりません。
(→これとて危険であるが、今の日本の現状では、比較する上で、こうした表現を使わざるを得ない)

問題は、どんなときでも「内部被曝」ですから、消して子供を近づけてはなりません


0.7マイクロを発表したのは、これでも線量が下がったから

なぜ、今頃になって、こんな報道をするのでしょうか。

下の動画をしっかり観てください。たった3分の動画です。

5.56μSv/h 国営ひたち海浜公園 みはらしの丘 休憩所跡


以下は、この測定者(動画の制作者)のコメントです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2012年6月10日、茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園で、放射線量を測定した。

空間の値(胸の高さ)は、0.65マイクロシーベルト毎時、地表の値は、5.56マイクロ­シーベルト/時だった。

測定場所は、公園内の『みはらしの丘』のふもとにある、『みはらし広場』の一角

先日まで、プレハブ小屋の『休憩所』や、飲食物を販売する屋台が設置されていた。

乳幼児を連れた多くの家族が、この場所の真上に設置された休憩所内で、お弁当をひろげた­り、風雨をしのいだりして過ごした。

この場所で、今までに、多くの乳幼児や児童・生徒たちが、知らないうちに被爆したと思われ­る。

放射性物質を含むホコリを吸い込み、靴の裏や衣服にくっつけて、家まで持ち帰っただろう­。
『みはらしの丘』周辺は今も、一切、立ち入り禁止などの措置はとられていない

この場所にあった休憩所は、2012年6月になって撤去された。
しかし、高濃度の放射線をおびた土壌は、測定もされず、放置され続けている

ホコリとして舞い、子供たちが呼吸とともに吸い込み、深刻な内部被爆を続けるだろう。

公園管理事務所は、震災以来、1年3ヶ月にわたって、園内の放射線量を一切、測定も公表もし­ていないと明言してきた

しかし、昨日2012年6月9日になって突然、公式ホームページ上に、放射線量の測定値­を公表した。

園内27箇所が測定され、空間の放射線量が、2.3μSv/hを上回った3箇所について­、立ち入り禁止とした
いままで測定していなかった理由の釈明や謝罪は、一切無い

公園管理事務所は、『ネモフィラの花が見ごろです』 とか 『ローズガーデンの花が咲いています』 とか 『GWに20万人を超える来園者数がありました』 などの情報発信に熱心だ。

プレスリリースやホームページ上で公表し、来園者数の増加策ばかりを進めてきた。 

また、入り口付近に 『テロ特別警戒』 の大きな看板をかかげ、パトロール車が園内をぐるぐると回っていた。 
一方、多くの市民からの、『放射線量を測定してほしい』との訴えは、今まで無視し続けてき­た
 
マスコミも、公園の放射線量についての、市民からの情報提供を、無視し続けた

公園管理事務所の情報発信のみを垂れ流し、子供たちを守ろうとはしてこなかった。
 
公園管理事務所もマスメディアも、これからも反省することはなく、何の責任もとらないだ­ろう

現実を直視しない、不誠実な態度が、子供たちを被爆させ続けている

福島第一原発からの距離は約120km。
測定器は、ウクライナ製。ECOTEST MKS-05。ガンマ線のみを測定した。
5.56 microSv/h, Hitachinaka Sea Side Park, Vantage hill hoot, ground level

ビデオの中で使用した汚染マップは、群馬大学の早川由紀夫教授が監修・作成したものです。
『福島第一原発事故の放射能汚染地図』
Map shown in the video is "RADIATION COUNTER MAP of the Fukushima Daiichi accident" og proffesor Yukio HAYAKAWA of Gunma University.
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マスコミも、公園の放射線量についての市民からの情報提供を、無視し続けた

園管理事務所の情報発信のみを垂れ流し、子供たちを守ろうとはしてこなかった
 
公園管理事務所もマスメディアも、これからも反省すことはなく、何の責任もとらないだ­ろう。
現実を直視しない、不誠実な態度が、子供たちを被爆させ続けている…。



このように測定者はコメントしていますが、それは今でも、公園側と、危険な原発推進反社会的新聞によって、続けられています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひたち海浜公園、入場者数が最高 茨城
(産経ニュース 2014.5.8 02:08)

国営ひたち海浜公園(ひたちなか市馬渡)は、ゴールデンウイーク(GW)期間中の5月4日に、
1日当たりの入園者数が7万1620人
となり、開園以来過去最高を記録したと発表した
……。
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夏休み-子供をどこに連れていけばいいか

動画で分かるように、窪地、盆地状の地形に、放射性物質は溜まります
キャンプサイトでは、こういう地形が多いようです。

また、木の下なども同様、水が集まります
その水は、周囲の丘陵地帯から、雨水・雪解け水などによって運ばれてきます

また、木の表面の樹皮には、放射性物質が入り込んで取れません
特に、子供の身長は低いので、こうした場所は避ける必要があります。

これは、ひたち海浜公園だけではありません
国土交通省は、河川・海浜の放射線量の測定は行わないと、2011年の段階で明言しています

地形を読んでください。
必要なことは、警戒心を緩めないことと、親御さんのイメージ力です。
行楽の場所を吟味してください。

「「私一人くらい」という考え…それを世界中の人がすれば一発で地球はだめになる」『地球の秘密』後書より

2014年05月26日 | 日本とわたし
昨日の畑作りの際に、歩美ちゃんが持ってきた『愛媛AIちゃん』という液体。
写真を撮り忘れてしまいましたが、ペットボトルの中のそれは、プクプクと小さな泡をたてていました。
色はコーヒー牛乳色。
わざわざ陽の当たる所に置いてあるので、妙だな~と思いながら見ていると、

「これは『愛媛のAIちゃん』っつって、万能液なんです」と歩美ちゃん。

今日送ってきてくれたメールで、もう少し詳しく教えてくれたので、それをこちらで紹介させていただこうと思います。

『この万能菌さん配合は、以下のブログから(超簡単!)
http://koubouneko.blog87.fc2.com/blog-entry-1040.html

これを開発した愛媛県職員の曽我部さんは、『地球の秘密』という漫画を描いてその夜に、脳内出血で亡くなってしまった、わずか12歳の坪田愛華さんにちなんで、
『AI』と名を付け、特許も取らず、「地球のために皆に広がる」ことにしたそうです。
(特許取りまくりのモンサントとはわけが違うわ!)

ということで、その『地球の秘密』という漫画を検索してみました。

あなたはこの絵本から、なにを感じるでしょうか。

『地球の秘密』 坪田愛華ちゃん作の絵本


『地球の秘密』 坪田愛華ちゃん作

おそらくは世界で一番、地球の環境問題において影響力を持った、小学生の少女の存在を、先日、知りました。
その女の子の名前は、坪田愛華ちゃん。
彼女は今も、そしてこれからもずーっと、12歳のままです。
1991年12月27日、一冊の絵本を残して、すでにこの世を去っています。
 
お母さんの揚子さんが、「愛華は、これを描くために生まれてきたのだと思う」と語るその絵本のタイトルは、『地球の秘密』です。

 
漫画を描くのが得意だった愛華ちゃんが、学校で出された研究課題にと、一所懸命に描いたものでした。愛華ちゃんは、その力作を完成させた数時間後、脳内出血で倒れ、その翌日、短い生涯を閉じました。
 
悲しみの中、お母さんは、愛華ちゃんの遺作となったその絵本を、学校の校長先生に渡しました。
それが、校長室を訪れた国連の関係者の方の目に止まり、出版される運びとなったのです。

現在、『地球の秘密』は、8カ国語に翻訳され、世界中の子供たちの元へ届けられる、大ベストセラーになっています。



単に「森林伐採反対」と言うのではなく、森林資源を糧に生活している人たちのことも思いやられている。
 『地球の秘密』では、私たちが直面している様々な環境問題に触れられ、のみならず、その解決の方向性まで指し示されています。 

 
小学生の女の子に、こんな広い視野を持った子がいるのか、と驚かされます。
が、特に印象的なのは、一方的に「環境破壊反対!」と言うのではなく、
止むに止まれず環境破壊を招いてしまう、貧しい国々の人たちの生活を心配して、
恵まれた国に住む自分たちが何とかしなければと、綴られているところです。
 


環境破壊をくい止めるための、具体的な方法や条約なども紹介されている。


物質的豊かさを追い求めるあまり、他者への思いやりを忘れた現代人の心に、幾つもの礫を投げかける一冊ではないでしょうか。

そしてまた、込められた思いが、強く深ければ、時を越え場所を越えて、多くの人の心を動かすことが出来るのだということを、教えてくれていると思います。

若い世代だけでなく、多くの方に読んでいただきたいと思います。 



「地球の秘密」あとがき
坪田愛華(12才)

この本を作って、私はアフリカや東南アジアの人のことを考えました。
東南アジアなどでは、私より年下ぐらいの子でも働いています。
勉強もできなくてかわいそうです。
そういうことがなくなるには、戦争をなくすことが必要だと思います。
私は学校へ行って勉強できるし、帰る家があって幸せです。
私はもっと勉強して、富める国と貧しい国の差をなくしたいです。
私は医者になって、いろいろな人の命を助けたいと思います。
環境については、「私一人くらい」という考えはやめようと思います。
それを世界中の人がすれば、一発で地球はだめになると思います。
みんなが協力し合って、美しい地球ができればいいです。


このあとがきを残して、1991年12月27日、愛華ちゃんは脳内出血で、短い生涯を終えました。
このことは、世界中に大きな衝撃を与え、『地球の秘密』は今、世界中で読まれるようになりました。
この本は、多くの人に、地球が今、大変な状態にあること、それを改めるのは、それに気付いた自分であること、
自分の実践を通じて、多くの人に知らせていくことだ、ということを気付かせてくれます。

1993年 、国連環境計画 (UNEP)より、世界で環境問題に著しい貢献をした人に贈られる、「グローバル500賞 」を受賞しました。

↑以上、転載おわり


愛華ちゃんが生きていたら、今頃どんな漫画を書いていたでしょうか。
生まれ変わってまた、漫画を書いてくれているのでしょうか。
今の地球は、大勢の大人たちの『私一人くらい』のせいで、とても痛めつけられてしまっています。
わたしたちはそろそろ、というか早急に、『私一人くらい』から抜け出して、『私一人でも』という気持ちに切り替えないといけないと思います。

米国『超テキトーでオリジナルな、レイズドベッドガーデン誕生!』事情

2014年05月26日 | 米国○○事情
先日までとは打って変わって、ポッカリ浮かぶ雲と青空が清々しい、というか、日射しが痛いほどに強い、快晴日となった昨日、
以前から話に上がっていた、レイズドベッドガーデンを裏庭の元ハト小屋だった所に作ろう、という計画を、いよいよ実行することに。
なんといっても、畑の師匠である歩美ちゃんが、食べては適当に植えた野菜の種から、ニョキニョキと芽が出てきてしまっているので、
その赤ちゃんたちを、一刻も早くそこに移し替えてやらなければなりません。

さてそのレイズドベッド、今までにもあちこちで目にしたことがありましたが、
てきと~に地面に穴を掘って、そこに種を植え、もし芽が出てきたらラッキ~♪みたいな性格のわたしには到底、作ることも管理することもできないであろうと、勝手に決めつけていたのですが……。
歩美ちゃんの熱意には敵いません……わたしもいっちょ、頑張ることにしました。


まずは、いったいどこに、どれだけの大きさの物を作るのがよいか。


あちこちから集めてきたジャンクを置いて、なんとなく楽しんでいた元ハト小屋の基礎部分は、ものすごい量の砂利が敷き詰められています。
掘っても掘っても砂利だらけ。
本当はここら辺を、日本庭園もどきにしてしまおうか、などと考えていたりもしました。
砂利の上にすのこをいくつか置いて、その周りに鉢植えを点々と……みたいな。
けれども、工事用の砂利なので、大きい上にやたらと尖っているので、熊手などで模様を作る、なんて全く無理。
ほんじゃあ、その上にポンと置いてみるべか。

横8フィート、縦10フィートぐらいが妥当ということで、まずは近所のホームセンターへGO!
いやもう、3連休の真っただ中に加えて超~快晴、ということで、お店は大繁盛。
こういう日の店員さんは、自分は働かなければならない連休に、浮かれてワラワラとやって来る客が多いので、たいてい機嫌が悪いものです。
まあ、気持ちが分からないわけではありませんが……。

まずは小物から、ということで、ニワトリ小屋用の網を引っ掛けるポールと網を物色。
一番適当だと思える長さのポールが、ほとんど売れていて、棚の奥に残っているポールに手が届きません。
近くに居た店員さんに、わたしたちでは手が届かないので、取ってもらえないかと頼むと、
どうしてだか、ひじょ~にやりたくないような態度をとられ、こっちが戸惑ってしまいましたが、
まあ無視をして、12本、無事にゲット。
次のネットはかなり悩みましたが、とりあえず今回は初めての実験ということで、最も安いプラスティック製のものをゲット。

そして大物の囲い板。
畑を囲う一辺の板、ということで、あれこれ見比べてみましたが、結局一番安い、木のクズをノリで固めた、縦8フィート幅4フィートの合板を買って、4つに切り分けてもらうことにしました。
なので畑は、一辺が8フィートの正方形に急きょ変更!
で、切り分けてもらう場所まで、その板をどうやって運ぶのか。
それを聞きに遠くの居た店員さんの所まで走って行くと、そんなことは板の近くに居る店員に聞けと言われ、すごすごと退散。
板の近くには誰もおらず、仕方が無いので歩美ちゃんとふたりで、エッサホイサと運んでいると、
「なにやってんだ、頼めば運んでやるのに」と、さっきの店員さんがブツブツ言いながらやってきて、ヒョイと持ち上げて持ってってくれました。
なら、最初っから言うてぇな。
で、切ってもらったのですが、最後の一辺の高さがかなり低かったのです……でもそれで良しとしました。
切り直し、なんてことをお願いした日にゃ~、どんなことになるか……とにかく今回はやめといた方が無難です。

最後にちょうつがいを8個買って終了!
全部で78ドルの買い物でした。


早速作業開始。
とにかくアバウトに楽しく!というのが信条の我ら。
まずはハト小屋の基礎のセメント枠の内側の適当な位置に、ネット掛けのポールを打ち込むことに。


と、ところが……これがめっちゃ困難なことが分かりました。
掘っても掘っても、ツルハシを使っても、砂利だらけ……。
土の中に、たった一個の小石があっても突き刺せないのに……ということで、一穴ごとにふたりでせっせと搔き出しました。

ポールが終了した時点でかなり疲れておりましたが、せっかくだ、終っちまおう!と気を振り絞り(おおげさ?!)、ちょうつがいの取り付けに。
ペラペラの板なので、あっという間に作業が終るだろうと思っていたら……。
あかん、固い!異様に固いではありませんか!
ネジが全く入っていってくれません。
なので印をつけて、そこに釘を打ち、浅い穴を開けてから作業することにしました。
いやもう、小さな困難というのは斯様に、ひょこひょこと無邪気に、わたしたちの目の前に現れるものなのですね。

だんだんに出来上がってきました。


旦那が、自分もオンボロ小屋の解体などに取りかかり、それなりに疲れていたにも関わらず、バーベキューディナーを担当してくれました。



そして翌日の朝、次男くんが起きてくるなり、
「聞いた?」
「なにを?」
「昨日、おかあさんらが作ってた板の上に、リスが飛び乗って倒してたけど……」

うぬぬ……我々が注意しなければならないのは、グラウンドホッグやスカンクだけではありませんでした……。
大急ぎでちょうつがいの取り付けを終了し、とりあえず枠だけは完成したレイズドベッドと、旦那が解体中の小屋の残骸です。



砂利の上にまずは土を敷き、その上に長年積み上げてきた雑草を蒔き、その上にウッドチップを敷いて終了……の予定です。

Happy Anniversary to Us with Randy Weston African Rhythm at Jazz Standard

2014年05月24日 | 家族とわたし
今日は、法律上は21年目の、実際には22年目の、結婚記念日です。
我々には三つの記念日があります。
琵琶湖のほとりで暮らしが始まった日、手作りの慎ましい式をした日、そして大阪の区役所で正式に結婚届けを出した日。
どれもこれも、今でもくっきりと、その日の空気の色や重さまでをも思い出すことができるほどに、わたしの心の中ではとても大切な日です。

22年のうち8年間は大津で、そして今日までの14年間はこちらで、そろそろ、日本で過ごした時間の倍になろうとしています。
幼かった息子たちは、もうすっかり大人になって、それぞれの道を歩んでいるし、
旦那も鍼灸師として10年目を迎え、わたしなどはもう、ピアノを教え始めて40年近くにもなる、だから6才の生徒からは「おばあちゃんより年上?!」と驚かれたりするバアちゃん先生。

あの日、その長屋を紹介してくれた不動産屋のおじさんと、大家の夫婦以外は誰も知らず、無一文、無信用で始まった大変な暮らしでしたが、
足の裏に大地の存在がしっかりと感じられたこと、本当に苦しかったけれども、全く後悔が無かったこと、
絶対に、今より悪くはならないと信じられたこと、そしてなによりも、傷つけた人たちのことを忘れずに、だから余計に前向きに生きようと誓ったこと、
正直に思ったことを言ってもよいし泣いてもよい、なんでも話し合っていこうと言ってくれるパートナーを得られたことは、
何ものにも代え難い、とても大きな、無宗教のわたしが言うのもなんですけれども、神さまからの贈り物でした。


今日はそのお祝いに、マンハッタンの『JAZZ STANDARD』での、ランディ・ウェストン アフリカン・リズムのライブを聞きに行きました。

ここ数日はずっとこんな感じの空で、雷つきのゲリラ雨が続いています。
で、このアイアン・ビルが目の前に現れるとついつい……もう何回載せてんねん!と、旦那に呆れられてるのですが……。


このライブ・ハウスは初めて。


ふむふむ……いい感じ。


一階はレストラン。なので我々は地下に降りていきます。








ほどほどに広くて、席もまあ、食事がゆったりとできるくらいのゆとりがあります。


良い席をとりたくて、少し早めに行ったので、舞台がほど良く見える席に座れました。
そこからバーの方を見ると、こんな感じ。


あれれ?


まさかこんな所でこの方に会えるとは?!
スタスタと歩いて行って、「前はすんごいファンでした。いっぱい本を読みました。
『そうだ、村上さんに聞いてみよう』の中でも一度、お話ししたことなんかもあるんです!なのでサインしてください!」と言ってしまいたかったのですが、
なんかのエッセイで、くつろいでいる時に、そんなふうに話しかけられるのがすごくイヤ、みたいなことを書いておられた記憶があったので、
しかもお隣には、多分奥様のヨーコさんが座っておられたし、その前には、美人の秘書?さんもいらっしゃったので……やめときました。

ベースのアレックスさん。


彼の演奏の凄まじさは、いったいどうしたら伝えられるのでしょうか♪
そうだ、彼に教えてもらったここ⇒ http://www.alexblakebass.com を覗いてみてください。

本番中は、録音も撮影も禁止されていたので、残念ながら写せなかったのですが、ランディさん、もうほんまに、マジで88才なんですかぁ~?と真剣に聞きたいほどに、
パワフルで、渋くて、繊細で、ほんでもっていつもニコニコと楽し気な、すごいライブを聞かせてくださいました。

↓これは、2008年の『Blue Moses Dakota Jazz Club』での演奏です。
ベースとアフリカン・ドラムは、今日のメンバーと同じ方々なので、だいたいの雰囲気を感じていただけるかと思います。


彼は、旦那が京都で暮らしていた時の憩いの場『ラッシュライフ』のオーナー、てっちゃんとチャキさん夫婦が主催する、上賀茂神社コンサートの常連さんでもあります。
なのでもちろん、ご挨拶をば。


そして出口でアレックスさんとばったり!
クィーンズに住んでる彼は、めっちゃ気さくに、メルアドとかを教えてくださったりして……。


初めて見た!回転寿司屋さん。


明後日の月曜日は『メモリアル・デー』なので、エンパイア・ステート・ビルディングは国旗色。


信号で止まっている間に。




また次の記念日まで、軽いジャブの交換なんかをし合いながら、ぼちぼち仲良うやっていきましょね♪