ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「そもそも判断できない事をさせる事が、原発の大きな罪」→馬場氏『低線量汚染地帯からの報告』共著者

2015年02月27日 | 日本とわたし
守田敏也さんのブログ『明日に向けて』は、くじけそうになった時の助っ人。

今の日本の最高機関に陣取っている連中の、舌だけは何枚もあるのに脳みそが無い、そして心も無い、なんとも情けない姿。
それらはまるで、効き目の緩やかな毒のように、わたしたちの心身を汚し、疲弊させていきます。
ここ数日は、文科相、農水相、環境相、法相…不正献金を受けているのを知らなかった?人ばかり…。
そんなすっとぼけ連中を大臣に任命した責任を取らなければならないはずの、ヒョットコ芸しかまともにできない坊ちゃんは、
個々の問題として説明責任があるなどと言って、いつもの日本一の無責任男っぷりを晒しています。

だから今も、解決の糸口さえ見つからないままの問題が、山積みになった状態が続いています。
その中では、本当は嫌だけど言えない、本当はやめてほしいけど言えない、本当はどこかもう少しマシな所に行きたいけど言えない、
そんな思いを抱えさせられた大人や子どもが、どうして自分なのだ、どうしてここなのだ、という怒りを伴う疑問符を持ちながら日々を過ごしています。
それを押し付けた社会、もっと具体的にいうと、快適や便利という餌に食らいつくわたしたちのような者はだから、
せめてその、快適さや便利さ、都合の良さのしわ寄せを食らわされている人たちを、なんとかして隠そうとする社会の動きを見張り、
隠そうとしている現実を、目で見、心で知り、変えていける突破口を見つけ出さなくてはなりません。

今のような、人より金、命より経済という姿勢を貫いている政権が、日本のトップに居座っている時は特に。

↓以下、転載はじめ(文字の強調はわたし個人の考えでさせていただきました)

チェルノブイリから学ぶこと(馬場朝子さん講演会より)
2015年2月24日 
向日市まこと幼稚園礼拝堂にて 
主催:ミンナソラノシタ 
後援:まこと幼稚園

守田です。

京都府向日市で行われた馬場朝子さんの講演会「チェルノブイリから学ぶこと」に参加してきました。
ミンナソラノシタ主催で、「まこと幼稚園」で開かれました。
馬場さんは、元NHKのディレクターとして、2012年にベラルーシとウクライナを取材し、素晴らしいドキュメントと著書を紡ぎ出してくださいました。
その後にも取材を重ね、2014年にも、新たなドキュメントを配信されています。

馬場さんたちの取材の大きなポイントは、
2011年に打ち出された「ウクライナ政府報告書」における、チェルノブイリ原発事故による深刻な健康被害のレポートに接し、その実態を配信してきたことにあります。
私たちが、福島原発事故の今とこれからを考える上で、極めて示唆に富んだ取材になっています。
このため、これまでも僕は、馬場さんの共著書である『低線量汚染地帯からの報告』などをとりあげてきました。

http://www.amazon.co.jp/低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ-26年後の健康被害-馬場-朝子/dp/414081571X

以下の二つの記事です。

 明日に向けて(977)ウクライナの悲劇=被曝の現実を読み解く(ポーランドを訪れて-5)
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/83669290d338e0f63d694c7e55bfbee2
 
 明日に向けて(979)ウクライナの悲劇=被曝影響の隠蔽と第2世代の健康悪化・・(ポーランドを訪れて-6)
 http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/4fe8468358e177a263eb02d2c943b422

今回、その馬場さんが京都に来られると知って、どうしても直にお話が聞きたくて参加し、
講演中、夢中でノートテークしてきましたので、何はともあれ、みなさんにご紹介したいと思います。
なお、録音が禁じられていたため、あとからノート内容を確かめて修正することができなかったので、
上述の書や、その後に新たに馬場さんたちが作られたドキュメントから、補足を行いました。

「原発事故 国家はどう補償したのか~チェルノブイリ法 23年の軌跡」(NHK ETV特集2014年8月23日放映)がそれですが、
いずれにせよ、あくまでも守田がかく聞いた、という内容であることを、明記しておきたいと思います。

以上を踏まえた上で、ノートテーク内容をご紹介します。

******* ******* *******

私は福島原発事故のとき、本当に怖い思いをしました。
正しい情報がどこからも出てこない。
私自身、放送局の中にいるのに、現地に取材に入った人から、ちらちら情報が入るぐらいでした。

それから半年、一年と、水をどうしようか、食べ物をどう買ったらいいのか悩みましたが、
チェルノブイリの人たちは長い間、ずっとそんな思いを続けてきたのですね。
その方たちのところに行きたいと思い、取材に行って話を聞くことができました。

ウクライナには、2012年と昨年と、二度行きました。
2回目は、生活保障がどうなっているかを取材しました。
今日は、健康被害について取材したVTRを、まずは紹介したいと思います。

大地を汚染した放射能にもいろいろありますが、このVTRで問題にされているのは、セシウムの影響です。
ウクライナの医師たちは、「セシウム汚染が一番の問題」と言っています。
ウクライナはもともと、ヨーロッパの穀倉と言われた豊かなところです。
みなさん、自家菜園を持っていて、生活していました。
豊富に採れるキノコやベリーを食べてきました。

チェルノブイリ原発事故から数年間は、みなさん、これらを食べるのを控えていましたが、
食べ物への注意深さを維持するのは大変なことで、今では多くの方が、もういいだろうと食べ始めています
医師たちも食べています
そんなに長く、気にしていられないのです。
そこに住み続けていると、もう仕方がない
そのために内部被曝が起こって病気が増えているという実感が、医師たちにあります

番組ではこの後、白内障について取り上げています。
国際機関は、白内障は250ミリシーベルト以上での被曝で起こると言っていて、低線量、100ミリシーベルト以下での被曝で発生することを認めていません
ウクライナの研究者たちは、汚染の高い地域と低い地域の比較研究を行い、
低線量下でも白内障が起こっていることを証明する論文を提出しましたが、認められませんでした

この他にも、ウクライナの医師たちは、ありとあらゆる病気が増えていることを発表しています

国際機関はなぜ、ウクライナの医師たちの主張を認めないのか
疫学的な証明が足りないからだ、と言うのです。
それも、被曝線量など、あらゆるデータが揃っている疫学的証明です。

その上で、ある集団の被曝線量と健康被害との間に、統計的に有意な相関があって初めて、病が証明されたと言えるが、ウクライナにはそのようなデータがない」と言うのです。

しかし、平時ではデータをとることが可能かもしれませんが、事故によるあの大混乱の中で、どれだけデータをとることが可能だったのでしょうか。

そもそも、事故当時は、放射線の空間線量を測る機器さえ少なかったのでした。
ホールボディカウンターなど、ほとんどありませんでした。
そのため、被災者のうちのおよそ40パーセントしか、被曝量が分かっていません。
60%の人が、どれだけ被曝したのかすら分からないのです。
しかも、当時のソ連社会では、原発に関することは軍事機密とされていました。
すべての情報が、秘密になっていました。
そのため、事故後3年間は、汚染情報は出てませんでした。
この間に、原発事故の収束作業をした作業員が、たくさん死んでいますが、そのデータも秘密にされていました。


今は、少しはデータが出ていますが、あるロシア人ジャーナリストで、当時、被曝医療に携わった医師を取材した方が、
医師たちに、被曝した数値を低く見積もるようにと、指示があったことを教えてくれました。
こうしたことは、有り得ただろうと思います。

被災地域の住人たちは、原発から30キロ以内はすぐに避難しましたが、その後に避難先からも移動していて、どこに行ったのか追跡するのが困難な人も多くいます。
このような状況で、国際機関が求める、すべてが揃った疫学的データなど、あまりにハードルが高すぎるのです。
また、ウクライナは貧しい国で、研究のための人員もお金も足りません。
その上、国際機関に認められるためには、英語で論文を書き、英文の科学雑誌で採用されなくてはなりませんが、
そうしたことを出来る人は、非常に限られています。
このため、国際機関が無視を続けているのですが、ウクライナの医師たちは、自分たちの実感が無視されていると考えています
しかし必ずいつか、自分たちが明らかにしたことが真実だということが、証明される日がくると信じて、頑張っています

私自身は、熊本に関わりがあるのですが、このウクライナの状況と水俣病と、なんと似ているのかと思いました。
水俣病では、住人にはっきりとした症状が出ているのに、原因が工場による水銀の排出にあると特定するまで、10年以上かかってしまいました。
現地の医師は、当初から、おかしいことが起こっている、排水が疑われると言っていましたが、
データが不備だということで、却下されてしまいました

国家が企業を優先して、原因を解明しようとしなかったのです。
そのあり方が、とても似ています。

次に番組では、ヨウ素によって引き起こされている、甲状腺がんについて放映しました。
私が取材した中で、この甲状腺がんについての事実が、一番衝撃的でした。

事故から数年経ったときに、ベラルーシの子どもたちの、手術を受ける映像を観たことがあって、
あの頃が甲状腺がん発生のピークだと思っていたら、毎年、発生件数が増え続けているのです。
今も増え続けています
ヨウ素の半減期は8日です。
2ヶ月でゼロになります。
その影響が、何十年も経って出ているのです。
今でも毎年、600、700人が、甲状腺がんの手術を受けています


今、福島でも、たくさんの子どもたちから、甲状腺がんが見つかっています。
その時、チェルノブイリ原発事故では、甲状腺がんの発生は4年後だったから、今見つかっているものは福島原発事故由来ではない、というコメントが繰り返されています
しかし、ウクライナの現場では、3年後の89年には、甲状腺がんが増加していることが、医師たちによって捕まれていて、国内のシンポジウムで発表もされていた/strong>のです。
にもかかわらず、当時のソ連政府に無視されたのでした。
私が取材したコロステンでも、医師が翌年の87年から甲状腺がんの子どもが出ていたと語っていました。

事故から4年経つと、日本からの援助もあって検査機器が増え、検診が強化されました。
そのことで、爆発的に見つかったのです。
この経験からウクライナの医師たちが、「福島が心配だ」と語っています
「必ず検査を受けてくれ、データを採ってくれ」と言っていました

しかし福島では、県が行っている検診に、行かない人が増えているそうです。
どうしてかというと、検診を受けても、A,B,Cの判定が渡されるだけで、何の説明もないからです。
コロステンでは、毎年検診を行っていて、医師から、エコー検査の写真などを示しながら、とても詳しい説明がなされています。
福島では、これが全くないのです。


もっと、この検査は何のためにやっているのか、10年、20年後のためにもやっている、という説明をしなくてはいけない。
そういうことがとても大事です。
ある医師は、
住民の不安を煽るとよくないので、詳しい説明はしない」と語っていました。
しかし、ウクライナでは、住民たちは、
最悪の情報でもいいから伝えて欲しい。それを知れば対応することができるから」と語っていました。

伝えることを、検査をする側が、取捨選択してはいけないのです。

続いて、第二世代の病について放映しました。
この点については、医学的に解明されていない部分がとても多いですが、「遺伝的影響はない」ということになっています
いずれにせよ、セシウムによる内部被曝が続いているのは確実です。
番組に登場しているステパーノバ博士の意見では、
放射線によって、細胞の中のミトコンドリアがダメージを受けて、いろいろな疾患が増えているのだろう」、とのことでした。
彼女は、この点についてさらに研究をしたいと思っているのですが、今のところは予定化できていないそうです。

それにしても、子どもたちに病気が多いことには、本当に驚きました。
現地に行く前に、汚染地の子どもの78%に病気があると聞いて、まさかと思いました。
ところが、コロステンの学校に取材にいったら、実際にそうでした
子どもたちは、見るからに痩せていました。
顔色も悪いのです。
原因として、経済困難などもあるかもしれません。
ジャンクフードもたくさん出回っているので、それが健康を悪くさせている面も有り得ます。
しかし、地元の医師たちは
「何よりも、放射能の影響だと思っている」と語っていました。

ウクライナの人々は、今もなお、不安の中で生きているのです。

生活面でどんなことがあったのかも取材しました。
コロステンの人々が事故について知ったのは、4月の末だったそうです。
すぐに男たちが、チェルノブイリに動員されていきました。
それで、何か大きいことが起こったと、気がついたのだそうです。
5月1日には、メーデーがありました。
旧ソ連社会では最大の祝日で、毎年みんなで、大きなパレードを行っていました。
当時、ウクライナのトップの人々は、事故のこと、汚染のことを知っていました。
しかし、メーデーを中止しませんでした
最も重要なメーデーを中止すると、一気に、事故のことが世界中に知られてしまうからでした。
このメーデーでのパレードで、多くの人々が、多量のヨウ素に被曝してしまいました。


5月中旬になって、ヨードを摂れ、ミルクを飲むな、自家菜園もののを食べるな、などの指示が出されました。
5月20日になって、子どもたちを、町から遠く離れた地域に避難させることが、発表されました。
8月の末まででした。
その頃のコロステンの空間線量は、1時間あたり10μシーベルトでした。
当時のソビエト政府は、放射線管理の基準線量を、事故直後の1986年には年間100ミリシーベルトにおいており、それ以下は安全とされていました。
87年は30ミリ、88年25ミリと下げられていき、それ以降は年間5ミリとされました。
ソビエト全土の基準値でした。
ちなみにご存知のように、今、福島では、年間20ミリシーベルトが採用されています。

汚染地図はいっさい公表されませんでした。
このため住民たちは、汚染の実態を把握できませんでした。
86年に、前年にソ連共産党書記長となったゴルバチョフのもとで、ペレストロイカという改革がはじまりましたが、
チェルノブイリ原発事故後に、グラスノスチ=情報公開が行われだし、89年にはじめて、汚染地図が公開されました。
このときコロステンの人たちは、自分たちの町が汚染地帯にあることを知り、びっくりしたのでした。


これ以降、大きな市民運動が全土で起こり、大きな集会が催されました
原発作業員たちが中心になって起きあがり、運動の核となりました
これに一般市民、被災地市民が合流し、とても大きな運動に発展しました。
1990年になって、ウクライナ政府が、住民の保護の必要性を感じ、チェルノブイリ委員会を立ち上げました
12人の委員で構成されていました。
ここで問題になったのは、被災者とは誰で、被災地とはどこか、ということでした。


上述のように、被曝限度値を年間5ミリシーベルトとするのが、当時の基準でした。
しかし、1985年にICRPから、被曝限度を年間1ミリシーベルトにすべきだ、という見解が出ていました。
これを採るか、5ミリを採るかで、討論になりました
議事録をみると、科学者はどちらの立場も、「自分たちの基準を安全だ」と言っていました
5ミリという基準を唱えていたのは、レオニード・イリイン博士でした。
現在90歳の方で、ソ連放射線学のドン(元ソ連医科学アカデミー副総裁)でした。
彼は、「5ミリでも厳しすぎると思っていた」と語りました。

これらの論議を聞いて、ウクライナの政治家たちは、科学的に結論がでないことを知り、政治的に判断することにしました
最大限住民を保護しようということで、1ミリを採用しました
年間1ミリシーベルト以上の被曝でリスクがある、と認めたのでした。

これに基づいて、被災地を4つのゾーンにわけました。
年間の被曝線量が5ミリシーベルト以上のところは、強制移住地域
1ミリから5ミリのところは、移住権を与えられる地域となりました。
この被曝線量は、人々に即しては初期に測られていないために分からなかったので、土壌汚染が参考にされました

この場合、移住権のある地域に残った人たち、リスクがある土地に住む人々への、補償が必要とされました。
まず生活保障として、次の措置がとられました。
毎月の補償金として、給料が1割上乗せ。
年金を早期に受け取れる。
電気やガスなど公共料金の割引。
公共交通機関の無料券配布。


健康を守る措置としては、次の措置がとられました。
医療品の無料化。
毎年無料検診を受けられる。
非汚染食料の配給。
有給休暇の追加。
サナトリウムへの旅行券の支給。
大学への優先入学。
学校給食の無料化。
移住先での雇用と住宅提供もなされ、引っ越し費用や喪失財産も、補償されました。


コロステンでは、人口6万人のうち5万8千人が、被災者と認められました。
しかし、その後にソ連が崩壊し、ロシアがソ連の責任を引き継がないと宣言したために、補償の予算がストップし、
ウクライナは独自で、補償を行わなければならなくなりました。
それでも当初は、決められた補償額の半分以上は行っていました。
しかし、経済的危機に見舞われるなどする中で、現在の法律の実施率は、14%にとどまっています。
それでも、国家予算の5%が費やされています

法律で決まっていることが実行されていないことに対して、抗議の集会や、実行を求める裁判も、多く行われています
補償を求めた裁判を行えば、ほとんどは勝訴します
しかし、それでもなかなか実行されない。
行政の側も、無い袖はふれない状況なのです。

この上に、昨年からは内戦状態になってしまいました。
この中で、補償はどうなっているのかというと、昨年、私が取材した時までは、払われていました。
戦争をやっているけれども払う、と。
しかし、国家が東西に分断してしまい、東側には振り込みができるシステムがないため、補償は東側には届いていません。
無料のサナトリウム旅行券も、行く先の多くがクリミアの施設だったのですが、ロシアに編入されてしまったために、行けなくなってしまいました。

この補償が、この先見直されることはあるかのかというと、憲法違反になるので、その点は見直されないでしょう。
憲法16条に、次のようにうたわれているのです。

「ウクライナの環境を保全し、未曽有の災害であるチェルノブイリ事故への対策に取り組むこと、ウクライナ民族の子孫を守ること、これらは国家の義務である」
このため憲法を変えないと、1991年にできた『チェルノブイリ法』をなくせないのです。

その点で、法律はとても大事です。
効力が長く続き、次の世代を守ることになるからです。
もちろん、住民の側に、今も不満はあります。
実際に補償されているものが少なすぎるからです。
しかし、「法律があるからこそ要求できる」と、住民たちは語っています。

認識しておくべきことは、原発事故の補償は一世代では終わらない、ということです。
何十年も続きます。
一企業でまかなうのは、絶対に無理です。
国がやらざるを得ません
ウクライナは、国家予算の多くの部分を、費やし続けています
これを考えると原発は、安価などではまったくありません。
一番高くつくものなのです。

今後のウクライナを考えるときに、大変心配なことは、ウクライナが国家破綻の瀬戸際にあって、IMFから融資を受けざるを得ない状態にあることです。
IMFはすでに、融資の条件として社会保障をカットせよ、と要求してきています。
何十年も守られてきたチェルノブイリ法が、IMFによって、削られてしまう可能性があります。

放射能の被害は、医学面でも分からないことがたくさんあります
その中で、人々が不安の中にいるからこそ、補償していかなくてはなりません
それを考えると原子力は、人間がまだまだ使いこなせないものであることが明らかだと思います。
「科学」と言うとなんだか、規制などに適用できるはっきりとした数字があるかのように思えますが、そうではないのです。
明確な基準が無い中で、福島の人々は今、自分で判断しなくてはならない立場に置かれています
このように、そもそも判断できないことをさせることが、原発の大きな罪であると思います。


明日は我が身です。
今や私たちには、ここは安全だというところがありません
福島原発事故の時にしたって、風向きが変わっていたら、東京の汚染はもっとひどかったでしょう。
だから、すべての人が、原発問題を自分のこととして考えることが求められる、と思います。

ウクライナは、核兵器は放棄しました。
原発もいったんやめたのですが、その後の経済的混乱の中で電力不足に陥って、危機を迎えてしまいました。
そのため今は、50%の電力を、原発に依存しています。
ベラルーシでも、2011年に、国内第一号の原発を建設する予定が発表されました。

私自身は今、ロシアに、1年の半分住んでいます。
ロシアは大輸出国です。
原子力ロビーの力も強い。
そのため、昨年などは、チェルノブイリ原発事故の日である4月26日に、何の報道すらされませんでした。
こうした巨大な力とたたかっていける道は、情報にしかないと思います。
情報を寄せ集めて伝えていく。
それしか圧倒的な力と立ち向かうことはできない
、と思うのです。

ノートテーク終わり

はたけとパン泥棒と温かい湯船と

2015年02月26日 | ひとりごと


二週間だか三週間だか、もう忘れてしまいましたが、
眉間のちょっと右目寄りのところがとても痒くなって、ポリポリと掻いていたら、
細かくて薄い皮がハラハラと落ちてきました。

あれれ?はたけ?

アレルギー体質だったわたしは、耳鼻科通いは日常茶飯事、一週間に一回、近くの外科でアレルギー用?の注射を打ってもらってたような子どもでした。
皮膚は乾燥しがちだし、なので冬になるとよく、はたけができて、掻いてはいけないと言われても痒いので、ついつい掻いてしまい、
その時にハラハラと落ちる細かい皮膚と、今のがそっくりなので、還暦近くになってもはたけができるのか…と、感心したりしていました。

でも…今回のはちょっと、様子が違うようです。

会う人会う人みんなに、「それ、どうしたの?」と聞かれるぐらいに赤みがさしたその部分のサイズは、縦1センチ、横5ミリの、小判形。
毎朝起きると、別に膿がでたわけでもないのに、分厚いかさぶたのような皮が一面にできていて、それが顔を洗うたびに柔らかくなって剥がれます。
剥がれたからといって別に痛くもないし、今はもう強い痒みもありません。
かさぶたの下はとても乾燥していて、何度も皮ができては剥がれ、またできては剥がれして、どんどん頑丈になってきました。

別に隆起してもいないし、傷があるわけでもありません。
なので、とりあえず軟膏を塗って様子を見ていましたが、状態が全く変わらず、さすがに少し気味が悪くなってきました。

ということで、なぜさっさと皮膚科に行って診てもらわないの?と、疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。
どうしてか…。
健康保険のせいなんです。
アメリカの医療保険のバカバカしさは、ここでも何度も書きました。
まず、掛け捨ての掛け金がとんでもなく高いし、保険会社の指定内の病院と医者にしかかかれないという、ものすごく不便なシステムで、
さらに、病院は良くても、働いている医者によっては使えなかったりして、診てもらう前に確認しなければならないことが多すぎるのです。
だから、入ろうにも入れない人が多勢いるし、保険に入っていても、病院や医者を探すのが億劫になって、病院に行かない人も多勢います。
バカバカしいとは思いつつ、高額の健康保険の掛け金(もちろん掛け捨て)をずっと我慢して払ってきたのですが、
オバマケアのシステムが、共和党やティーパーティの執拗な邪魔を乗り越えて、やっとのやっと使えるようになったということで、よっしゃ~とばかりに手続きの作業を始めたのですが…、
ネイティヴの人でさえ、こんなゴチャゴチャややこしい、まるで迷路に入り込んでしまったような気分になる説明や手続きを、延々と読んだり書いたりしているうちに嫌気がさしてしまい、
もういいや、今までのと一緒で、とあきらめるように、わざと仕組んでるんじゃないか?みたいな保険だったのでした。
なので一向に事が進まず、これまでもずっと、月に12万円という、とんでもない額を延々と支払っていたのですが、
やっぱり絶対にアホくさい!と、もう一度奮起して(わたしは横で見てるだけでしたが…)、とうとう、ついに、晴れてオバマケアの利用者になれそうなのです。
で、オバマケアというのは、収入によっては今までより高くなる人もいるので、なかなかの不評(特に共和党の人たち)なのですが、
高くなる人はもちろん、もともと収入も高い人なのであって、だから我々のような中の下の所得者には、大いにありがたく、納得のいく保険なわけです。
もしかしたら(まだ確実にという自信が持てない…とほほ)、5万円ぐらい安くなって、7万円ぐらいになるかもしれません。
もちろん、夫とわたしのふたりっきりのための保険額です。
ただ、今までの保険と同様、病院も医者も、保険会社が指定したところや人でないと、保険が効きません。
日本の国保と比べたら、まだまだ不便です。

というわけで、多分3月に入ったら大丈夫だというので、あと2日待とうと思います。
待てるからいいけれど、こんな時にもし、去年のような腎臓結石の発作が出た日にゃ~…、
(あの時は使える保険があったにもかかわらず、救急車を呼ぶのも、救急扱いされるのも、どちらも支払いが恐ろしくて迷いまくりました…七転八倒の痛みの中で…)
なのでこの2日は、なんとしても無事に過ごさねば!



さて、これはいったい何でしょう?


次男くんたちが、サンドイッチを作ろうと買ってきたパンです。


キッチンカウンターにピョンと飛べるようになった海くんのいたずらでした。
でも、こんなおっきなパンを咥えてって、自分のお気に入りの場所まで運び込み、中でバラバラにするだなんて…なんか犬っぽい…。


あ~、ボクちゃん、黙秘いたします。


空ちゃんはいつも、真っ直ぐに伸びて眠ります。
なので、頭がいつもはみ出していて、よくまあ血が上らないこと、と思っているのですが、


海ちゃんにチャイチャイされてずり落ちてしまいました。
もちろん、海ちゃんはちゃっかり交代しています。


仲がいいんだか悪いんだか…。



今夜は初めて、我が家のお風呂に、歩美ちゃんが入りに来てくれました。
彼女のアパートのお風呂は琺瑯で、なかなか温かくならず、しかも出てくるお湯の温度がぬるいのだそうで、
こんな寒い冬なのだから、ぜひぜひうちのお風呂であったまってくれたまえ!と、ずっとお誘いしていたのでした。
といっても、予定の3倍以上も日にちがかかったので、すっかり待たせてしまったのですが…。

「まうみさん、それはもしかして、第三の目かも…」
「え?それはそれでちょっと不気味…でも、楽譜がもっと読めるかも…」

モヤモヤした心配が、ちょっと楽しくなったのでした。

甚大な環境破壊を解決する知恵も力も無い電力会社に、すべて丸投げしている政府を、私たちが訴えよう!

2015年02月25日 | 日本とわたし


汚染水 外洋に垂れ流し 1年前に把握、放置 福島第一
【東京新聞】2015年2月25日
東京電力が、福島第一原発の排水溝から、高濃度の放射性物質を含む水が、外洋に漏れ続けるのを放置していたことが、24日、分かった。
外洋への継続的な漏出を、昨年4月に把握しながら公表せず、排水溝を専用港内に付け替えるなどの対策も取っていなかった。(荒井六貴)
 
東電によると、昨年4月16日以降、1週間に1回、4本ある排水溝の出口付近で流れる水を採取し、放射性セシウムやストロンチウムなどを分析。
当初から、4本とも明確に汚染が確認され、特に1~4号機の山側を通る排水溝(K排水溝)では、ほかよりも一段高い濃度を示していた。
 
例えば、昨年8月26日には、1リットル当たりセシウムが1010ベクレル、骨にたまりやすいストロンチウムなどは1500ベクレルと、水としては非常に高い値だった。
日常的に、両物質とも、数十ベクレル以上のレベルで推移している。
流量は、1日当たり約1700トンに上る計算になる。
2号機の建屋屋根にたまった放射性物質などが、雨で流され、溝に入り込んだ可能性がある。
 
ほかの排水溝も、K排水溝ほどではないものの、日常的に汚染が確認され、降雨で濃度が上がる同様の傾向を示している。
 
東電は、一昨年8月に、タンクからの高濃度汚染水漏れを受け、タンク群近くのC排水溝の出口は、水が比較的拡散しにくい専用港内に付け替えた。
 
しかし、東電は、他の排水溝は対策を取ろうとせず、昨年4月以降のデータを、公表しようともしなかった。
 
東電は、自社が実施する外洋の濃度測定で、セシウムとストロンチウムなどは、ほとんどが同一ベクレル以下であるとして、
「外洋には影響はない」と説明している。
 
東電の小林照明原子力・立地本部長代理は、
「(排水溝内を清掃するなど)できるだけ放射性物質の濃度を下げる、という方策を取ってきた。
(漏出防止については)重要な項目であるので、検討を進めたい」と話した。


◆東電、今も続く隠蔽体質
<解説> 
東京電力は、「福島復興への責任を果たす」と強調する一方で、
福島第一原発から高濃度汚染水が漏れ続けているのを知りつつ、公表せず、対策を講じようともしなかった
東電の隠蔽(いんぺい)体質は今も続き、福島を裏切り続けていたとも言える。
 
海に出た汚染水は、波や潮流で急速に薄まる。
海水魚は、取り込んだ塩類をどんどん放出するため、淡水魚に比べ、セシウムなどを体内にためにくいのも事実だ。
 
しかし、汚染水は、「八」の字形をした原発専用港の中で、ブロックされているどころか、外洋を直接汚していた
しかも、雨のたび、通常の百倍の濃度にまで高まる状況
こんな状況を放置していて、何も影響が出ない保証はない。
 
東電の精度の低いモニタリングでも、原発の南北にある放水口近くの海水から時折、1リットル当たり数ベクレル、高い時には10ベクレルを大きく超える放射性セシウムが検出されてきた。
こうしたデータは、海の浄化作用でもカバーしきれない汚染が、続いていることを示している。
 
せめて、問題の排水溝を専用港内に付け替え、港内の海水を浄化する機能を強化しないと、
復興に向けて試験操業を続ける地元の漁業者にとっても、大きな痛手となりかねない。
 
本紙と共同で、福島や首都圏各地の放射能汚染調査を続けてきた、独協医科大の木村真三准教授は、
「やはり原発の状況を、東電自身ではなく、第三者がきちんと調べないと、信頼回復につながらないのではないか」と指摘した。(山川剛史)




↓以下は、福島第一原発事故機からの汚染水について、ずっとずっと監視し続けてくれている友人の幸雄さんのコメントです。

色々な観点から、まぁよくもやってくれた、と言うのが素直な印象です。
 
顛末を時系列と写真などで説明した「東電」からの資料

http://www.tepco.co.jp/…/20…/images/handouts_150223_04-j.pdf





 
どうも巷の皆さんは、何か大きな警報やら事故が起こらないと、すぐに福一の事をお忘れになる傾向にありますが、
排水の垂れ流しに付いて言うならば、今になって始まった事ではない。
こうして大事が起きた時には報道されるので、皆さんが騒がれます。
しかし、昨年5月からずっと、毎月約1万トンの、トリチウム汚染水を垂れ流しています。
その濃度は、今は100~200程度に下がっていますが、単位はBq/Lで表わされています。
大した量に感じないですか?
しかし、1万トンって何リッターでしょう?
気になりませんか?

 
毎日のように、

【福島第一港湾内、放水口付近、護岸の詳細分析結果⇒ http://www.tepco.co.jp/…/2015/images/2tb-east_15022501-j.pdfや、


















【福島第一原子力発電所構内1号機放水路サンプリング結果⇒ http://www.tepco.co.jp/…/20…/images/around_1u_15022501-j.pdfのような、不気味な数字が出ています。




例えば二つ目のリンク、「1号機放水路」図面の右端にある「放水口」とか、皆さんは気になりませんか?
しかし、大きな事故でもない限り、報道はされません。
 

更に、あれだけ汚染水の処理に困り、鳴り物入りで敷設した、仏国アレバ社の除染装置が廃止になっていたのを、ご存知ですか?
http://www.tepco.co.jp/…/20…/images/handouts_140811_07-j.pdf







幾らで買ったのでしょう?
付けは何処に廻されるのでしょう?
今や、高度に汚染されたクズ鉄の塊です。
これも、マスメディアには報道されませんでした。

 
一方で、
「汚染水は完全にブロックされ、コントロールされている。今までも、今後も全く問題ない!」と言い放った破廉恥男は、大々的に報じられました。
 
東電の隠蔽は、東電だけの問題とは思えないのです。
あらゆる意味で、私達は、福一を常に覚えていなければならないと思います。





さらに続いて、本業に支障をきたしながらも、東電の会見に出席し続け、監視とまとめをこれまでずっとしてくださっているおしどりマコさんが、こんなふうにまとめてくださってます。

↓以下、引用はじめ

海へ流出する放射性物質は、一日に220億ベクレル以上
引用元:http://oshidori-makoken.com/?p=758

・2014年8月の東電発表では、海洋へ流出する放射性物質(3核種)の総量は、1日に220億ベクレル

・2013年の、海洋へ流出する放射性物質(3核種)の総量は、1日に605億ベクレル
(→この年の9月に、東京オリンピックが決まった)

・2015年になってから、海水・地下水の様々な測定地点で、放射性物質の過去最大値を検出していることから、
 海洋へ流出する放射性物質の総量は、上昇しているものと考えられる 。



過去の漏えいを隠ぺい、汚染水流出を把握するも調査せず
引用元:http://oshidori-makoken.com/?p=774

・24日、2号機原子炉建屋大物搬入口周辺に高線量汚染水が発見され、それがK排水路から海に流出し続けていたことを東京電力が発表。

2011年3月25日、4月7日に、同じ場所で超高濃度汚染水が流れ出た跡が発見されており、
 筆者は2年前から指摘し続けているが、東京電力は、
これ以上調査はしない」と、2013年12月に回答。

K排水路から、汚染水がそのまま海洋に流れ出続けていること
 排水路の側溝放射線モニタは警報値が高いことを、筆者は以前から指摘し続けているが、
 東京電力は、
今後モニタリングはやっていくことになると思うが、今の段階で知らせる内容は無い」と、2014年6月に回答。




確か、総理とは名ばかりの、ひょっとこ顔でヤジを飛ばす、国会をウソとデタラメ言い放題の遊戯室と勘違いしているボンクラ男は、


一昨年の夏に、
「政府が責任を持って対応する」と明言し、
さらには、オリンピック招致の、世界のメディアを目の前にして、
「汚染水問題は東電任せでなく、政府が前面に立って解決に当たる。廃炉が実施できるかには、世界中が注視している」と発言し、
こともあろうに「福島原発問題は安心、安全」と、なぜか日本には今だに通用してしまうデタラメを言い、
「抜本解決に向けたプログラムを、私が責任をもって決定し、すでに着手している」とまで言い切ったのですから、

そしてその仲間である官房長官という、肩書きだけは立派な菅義偉という名の男は、25日の記者会見で、
東京電力福島第1原発で、汚染水が排水路を通じて外洋に流出した問題について、

「港湾外の海水の濃度は、継続して、法令告示濃度に比べて十分に低い数値だ。
港湾外への汚染水の影響は、完全にブロックされている。
状況はコントロールされているという認識に変わりはない」
と述べ、
外洋への影響はないとの考えを示した。(2015/02/25-18:03時事)

のだそうで、もう完全に完全だ~大丈夫だ~カルトにどっぷり浸かっているのか、もしくは痴呆の症状なのか…、

せっかくの国会中に、どんなふうに前面に立っているのか、どんなふうに解決に当たっているのか、どんなふうに廃炉の実施についての方針が立てられているのか、どんなふうに抜本解決に向けたプログラムを決定したのか、
ぜ~んぶちゃんと分かりやすく説明させようじゃないですか!
そしてその説明がチャランポランで、話にならないようなら、即刻責任を取ってもらおうじゃないですか!

このような品位も教養も欠落した、還暦を迎えたいい大人が、一国の首相であるということの悲劇

2015年02月24日 | 日本とわたし
国会の様子を直接観ることができないので、要所要所をユーチューブで観たり、岩上さんのまとめを読んだりしながら追いかけているのですが、

この男にとって国会は、バーか料亭の宴会程度の気軽さで、与えられた小学生並みのフリガナ付きの原稿を、間違えずに読めさえすればオッケ~!というような場所なんだということがわかりました。

あまりに情けないので、取り上げないでおこうと思っていたのですが、ここまで最悪の首相がいた、という記録を残しておいてもいいかと思い直し、

彼の軽薄さ、破廉恥さ、知性の無さ、責任感の無さにぴったりの写真を、ここに載せさせてもらうことにします。





さらに、ヤジを飛ばすこと自体が、一国の首相として考えられないほどの愚行なのに、それを指摘された後の態度と姿勢がまた、考えられないほどにお粗末。
まあ、らしいといえばらしいのでしょうけど、いいんですか?
いいはずありませんよね?こんなのに任せてしまってては。


今回の顛末をまとめてくださったものを紹介させていただきます。

安倍首相「日教組!」ヤジ問題の背景に関する自らの説明を、「正確性を欠く」と訂正するも、なぜか「遺憾の意」を表明
http://buzzap.jp/news/20150223-abe-nikkyoso2/

安倍首相の品位を欠いた「日教組!」ヤジは、大きな失望を巻き起こしましたが、
答弁を続けるに連れて、さらにその説明がデマであることが判明、謝罪に至るも、さらに「みっともない」と株を下げています。

先日BUZZAP!でも取り上げて、大きな反響(主に失望)のあった安倍首相の、民主党議員に対する「日教組!」ヤジ問題。

【動画あり】BUZZAP!(バザップ!)
安倍首相が、国会で質問中の野党議員に、「日教組!日教組!」とヤジを飛ばし叱られる


安倍首相が、2月19日予算委員会で、民主党の玉木雄一郎議員から西川農相に、精糖工業会と精糖工業会館に絡んだ献金疑惑に関する質問をしている最中に、



「日教組!日教組!」などと興奮気味でヤジを飛ばし、当の玉木議員と大島予算委員長から叱られるという、
一国の首相としてありえない失態を、晒してしまいました。

精糖工業会と精糖工業会館の話をしているのに、なぜ「日教組!」とヤジったのか。
無関係ではないかとされてきましたが、2月20日に民主党の前原誠司議員が追求したところ、安倍首相は以下のように答弁。


なぜあの時、日教組といったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、
そして、教育会館というものがあるわけでありますが、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にはおられて、
それに対する質問をかつて我が党がした時に、
「これは別の団体だから関係ない」というのが、当時の民主党の政府としての大臣が答弁した見解であったわけでありますから、
それをどう考えるか、という指摘をしたところでございます。


安倍首相「なぜあの時、日教組と言ったかというと…」 前原元外相とヤジ第2ラウンド【答弁全文】


この時点で既に、玉木議員とも、政党工業会・政党工業会館とも、全く無関係な混ぜっ返しであることが判明し、
ヤジったことに関しても「反省はしないし、素直ではないし、器量が小さい。それを国民の皆様方に示したと思います」と、
猛然とこき下ろされるはめになりましたが、それだけではすみませんでした。

民主党の細野豪志政調会長が、安倍首相の主張がおかしいとして調べた結果、
日教組は補助金をもらっていないし、教育会館は議員に献金していない」という事実が判明。






つまり、安倍首相は、野党議員からの質問に対し、横から全く無関係なヤジとして飛ばした上に、
そのヤジが、事実無根なデマに基づいていたという、みっともない恥の上塗りをしていたことになります。


本日2月23日の予算委員会では、この問題に対して、さらに民主党の山井和則議員によって追求が続きました。

「民主議員へのヤジ理由、首相「正確性欠く」と訂正」News i – TBSの動画ニュースサイト

“日教組”答弁「正確性欠いた」首相が訂正 日テレNEWS24

その中で安倍首相は、誤解があったことを認め、「日教組が補助金をもらっていた」というデマに対し、

「先般の、前原委員の質問に対する私の答弁の中に、正確性を欠く発言があったことは遺憾であり、訂正を申し上げる次第です」

と訂正。
しかし、民主党側が言うならともかくとして、自分のデマを訂正する際に、「遺憾」という言葉がなぜ使われたのかは謎です。

この言葉の字義としては

遺憾(いかん)とは、一般には、「思い通りに事が運ばなくて残念だ」という意味で、期待したようにならずに、心残りに思うこと。残念に思うこと。
英語では、regret、shame、indifferentなどの表現で表される。
「遺憾の意を示す」ということは「残念である」という意味で、謝罪をしているわけではない。

Wikipediaより引用)

とあるように、謝罪の意味ではありません。
そのまま解釈するのであれば、
前原委員に対する私の答弁の中に、正確性を欠く発言があったことで、思い通りに事が運ばなくて残念だ」という内容になってしまいます。

民主党に、献金疑惑のブーメランが突き刺さることを期待したのに、正確性を欠いていたのでうまく刺さらなくて残念だった、とでもいうことなのでしょうか?

さらに山井議員が、「教育会館から献金をもらっている議員が民主党にはいる」という部分への確認を求めたところ、

安倍:献金をもらっているかどうかについては、詳細に調べてみないと分からない。
山井:首相が確認していないのなら、確認するまで質問できません。
安倍:山井議員がそのような確認されたのであれば、それは間違いないことだろうと。


などと投げやりな態度で応じ、山井議員からは、

最も格好悪い、みっともない言い訳ですよ。こういうのは「謝罪」とは言わない。

と酷評されています。

国会中に、答弁席から、首相がヤジを飛ばしている時点で、品位に欠けていることは言うまでもありませんが、
その内容が、質問と無関係な上に言い訳を重ね、さらにその説明までもがデマであり、まともに謝罪もできない。


たとえ小学生であったとしても、叱られて当然の体たらくですが、還暦を迎えたいい大人、
しかも、一国の首相を務める人間が、国会というまさに公の場で、そうした「最も格好悪い、みっともない」姿を晒しているとは、いったいどういった訳でしょうか。

2015年02月23日 | 日本とわたし
戦争は恐ろしい、残酷だ、人を殺してはならない、武器を人に向けてはならないと、それはもちろん思うけど、

本当に恐ろしいのは、戦争が起こる前の、世の中のここそこでひっそりと起こる、同胞同士の監視であり、密告であり、意味不明の拘束であり、拷問によるむごたらしい傷害や殺人です。
そんなこと、今の時代に起こるわけがない、などとのんきに構えている人は多分、事が起こってしまった時もやはり、ぼんやりと眺めているだけかもしれません。

今のこの、インターネットが発達し、情報がいくらでも手に入る時代にあっても、そして自国の市民や街の上に、一切の被害が出るはずがない国においても、
それはそれは見事に、それまで少しはまともな検証をし、調査をし、わかったことをそのまま伝えてくれていた報道機関までもが一斉に、
戦争は致し方がない、テロとは戦わなければならない、それはあなた方国民のためなのだと、口を揃えて言い出して、

だまされるな、戦争など何の解決にもならない、増悪の連鎖を生むだけだと、全国で大きなデモが起こっても、街角で声を張り上げても、
結局のところ、大きな波は、戦争するしかないじゃないかという、暗い声で満ち溢れるようになりました。

戦争のカラクリは、戦争さえ起こしておいたら儲けが入ってくる武器関連会社や研究所、そしてゼネコン、製薬会社、保険会社etc.の大いなる企みによって、
まずどこかに大きな憎しみが起こるような出来事を用意し、それによって国が湧くように仕向け、敵はテロリストであり、殺さねばならない、などという話を作り上げ、
あとは兵士に命令をして、どんどん送り込むだけ。
もちろん、劣化ウランなどのゴミを捨てる大きなチャンスでもあるし、新型の武器の殺傷効果や破壊力が見られる楽しみもあります。
そして、危うく期限切れで廃棄しなければならなかった高額の古い武器だって、無駄なくガンガン使えます。
一石でいったい何鳥を落とせるのか…。
こんなうまい話を、もちろん彼らは手放すわけがありません。

戦争はだから終わりません。
世界中の人たちが、武器を作るな、研究するな、武器を捨てろ、もう戦争なんてこりごりだと、一斉に、とんでもない数の声を張り上げないと、
戦争を後押ししている企業に、消費者でこそできる非買運動を繰り広げ、そんなことをし続けているのは賢明ではないと思い知らさないと、

子を傷つけられ、殺されて、声をいっぱいに泣かねばならない母親が、ひとりまたひとりと増えていくことになってしまいます。

一度犯した過ちを、また繰り返すような愚かなことを、わたしたち大人はしてはいけない。
心の底からそう思います




あーまたこの二月の月かきた(ああ、またこの二月の月が来た)

ほんとうにこの二月とゆ月かいやな月(本当に、この二月という月が嫌な月)

こいをいパいになきたい(声をいっぱいに泣きたい)

どこいいてもなかれない(どこに(へ)行っても泣かれない)

あーてもラチオてしこすたしかる(ああ、でもラジオで少し助かる)

あーなみだかてる(ああ、涙が出る)

めかねかくもる(メガネが曇る)



これは、友人の明日香ちゃんが、フェイスブックで紹介してくれた、小林多喜二の母、小林セキさんが書いた手紙です。

以下、その時、明日香ちゃんが書き添えてくれた言葉を紹介します。

今日(2月19日)は多喜二の亡くなった日。
去年も載せたけれど、今年も載せます。
多喜二の母セキさんの書いた詩。
獄中の多喜二に手紙を書きたくてセキさんは読み書きの練習をしていた。

(中略) 

いつの時代も子を思う母の気持ちは同じ。
あの時代に逆行させてはならない。



明日香ちゃんは前進座の女優さん。
その前進座では、いまむらいづみさんが、この小林セキさんを書いた三浦綾子氏著の『母』を、ひとり語りで演じられていました。




http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4041437172/hiromuaaa-22/ref=nosim

多喜二は死んだ。
指はぶらんとするほど折られても、足はぶすぶす千枚通しで刺されても、
多喜二は、守らねばならない秘密は守ったんだと。
そう言って、党の人たち、みんなほめてくれたの。
でも、ほめられんでもいい。生きていてほしかった。
             
(略)

「多喜二、苦しかったべなあ」
「多喜二、せめて死ぬ時だけでも、手を握っていてやりたかった」
「多喜二、わだしはお前を生んで、悪いことしたんだべか」
とか、
「多喜二、お前、死んでどこさ行っているんだ」
とか、独り言言ってるの。

多喜二が死んでから、わだしはいつのまにか、(神も仏もあるもんか)という気持ちになっていた。
ほんとに神さまがいるもんなら、多喜二みたいな親思いの、きょうだい思いの、貧乏人思いの男が、あんなむごい死に方をするべか。
たとえ警察で、誰かが多喜二を殴ろうとしても、首ば締めようとしても、錐(きり)で足を刺そうとしても、
神さまがいるならば、その手ば動かんようにして、がっちりとめてくれたんでないべか。
それを見殺しにするような神さまだば、いないよりまだ悪い。
わだしは腹の底からそう思ったもんね。


わだしが、東京の街ばあちこち歩いたのは、多喜二がこの東京のどこば逃げまわったかなって、そう思ってな。
そう思うと、その辺のごみごみした小路だの、柳の木の下だのに、多喜二の姿が見えるような気がしてな。
母親なんて、馬鹿なもんだ。
どの道行っても、
(多喜二はこの道通ったべか)
(ここを走って逃げたべか)
(あの塀の陰さかくれて、刑事ばやり過ごしたべか)
なんて、思っても詮ないことを思うのね。
まるで、多喜二が生きていた時、わだしも一緒に歩いたみたいな気になることもあった。


多喜二の手が、ひょいとわだしの肩におかれて、
「じゃ、行って来るからな」
って、にこっと笑う多喜二にしがみついたら、ちゃんと体があるの。
わだしは気がふれたように、
「多喜二!お前生きているんだな!生きているんだな!夢でないんだなっ」
って、その体に、本当にこの手でさわった夢もみた。

(略)

三十年近く経ったこの頃でも、多喜二が玄関から入って来る夢だの、わだしの隣りでご飯食べてる夢だの、
「タミちゃんところへ行ってくる」なんて、照れたように笑って出て行く姿だの、
月に何回かは見る。

(略)

「多喜二は天国にいるべか」
って聞いたら、
「あのね、お母さん。聖書には『この小さき者になしたるは、すなわち我になしたるなり』という言葉があるんですよ。
チマさんから聞いてますが、多喜二さんは、ずいぶんたくさんの貧しい人に、いろいろ親切にして上げたそうですよね。
『小さき者』というのは、貧しい人ということでね。
名もない貧しい人に親切にすることは、イエスさまに親切にすることなんですよ。
多喜二さんが天国にいないとは思えませんよ」

うれしかったなあ。
多喜二に会える、多喜二に会える。
うれしかったなあ。

引用元:
http://yukochappy.seesaa.net/article/109568615.html







この写真が撮られた時の様子を、詳細に書いてくださった方がおられます。

「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙
小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。
命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

より、転載させていただきます。

多喜二ー最期の像
佐藤 三郎

一枚の写真。

一葉の写真がある。
正視に堪えない異様な写真だ。
 
一人の男が、ぐったりとした魂がぬけたような表情で、横たわっている。
その向こうには、男女一5~17人ほどか、並んで座っている。
前列右端のショートカットの女性は、うつむいて、なにかをしっかり握っている。
その左隣には、腕組みをした男達が、紺絣の着物姿で、横たわっている男に目線を注いでいる。
その顔のくぼんだ目が、ガイコツの目の部分のように、真っ黒な影になっている。
そのうしろの席の人々は、カメラ目線であったり、オドオドとした表情を浮かべている。
 
一場のスナップ写真ではない。
 
これは、撮影することを通告され、被撮影者と撮影者の共通の意思によって成立している写真なのだ。
ただ一人、横たわっている男ー小林多喜二をのぞいて。
 
この写真は、昭和8年(1933)2月22日午前1時に、撮影されたとされている。
撮影者は、貴司山治、あるいは『時事新報』のカメラマン前川であった。
参列者は原泉、田辺耕一郎、上野壮夫、立野信之、山田清三郎、鹿地亘、千田是也、壺井栄、岩松淳、岡本唐貴、小坂多喜子…。
多喜二の友人の女優、作家、画家たちであった。
写真によって、多喜二の死の真相を伝えようとしての撮影だった。
彼等は、多喜二の死の意味を、作家一人の死としてだけ受け止めていたのではなかった。
それは、なにより彼等たちが望んだ、自由と民主主義の戦いを意味した。
 
『朝日新聞』(当時の『東京朝日新聞』)は、21日の夕刊で、
「小林多喜二氏 築地署で急逝 街頭連絡中捕はる」の二段見出しでその死を、

『「不在地主」「蟹工船」等の階級闘争的小説を発表して、一躍プロ文壇に打って出た作家同盟の闘将小林多喜二氏(31)は、
2月20日正午頃、党員一名と共に、赤坂福吉町の藝妓屋街で街頭連絡中を、築地署小林特高課員に追跡され、
約20分にわたって街から街へ白晝逃げ回ったが、遂に溜め池の電車通りで格闘の上取押さえられ、そのまま築地署に連行された、
最初は、小林多喜二といふことを頑強に否認してゐたが、同署水谷特高主任が取り調べの結果自白、
更に取り調べ続行中、午後5時頃、突如さう白となり苦悶し始めたので、同署裏にある築地病院の前田博士を招じ、手當てを加えた上、
午後7時頃、同病院に収容したが、既に心臓まひで絶命してゐた』
と伝えた。
 
多喜二の帰宅直後、夫の上野壮夫と小林家にかけつけ、通夜に参加した小坂多喜子は、この夜のことを書いている(「私と小林多喜二」『文芸復興』昭和48年4月号)。
 
「肌寒さが感じられるある日、どこからか連絡があって、いま小林多喜二の死体が戻ってくるという。
私と上野壮夫は、息せききって、暗い道を、それが夜であったのか、明け方であったのか、とにかく真っ暗な道を走っていた。
私たちが息せききって、心臓が止まる思いで走っている時、幌をかけた不気味な大きな自動車が、私たちを追い越していった」
「あの車に多喜二がいる、そのことを直感的に知った。
私たちは、その車のあとを必死に追いかけていく。
車は、両側の檜葉の垣根のある、行き止まりの露地の手前で止まっていた。
その露地の左の側の家は、当時郊外と呼ばれてた、そのあたりによく見かける平屋建ての、玄関を入れて三間ぐらいの家で、
奥に面した一間に、小林多喜二がもはや布団のなかに寝かされていた。」
 
さきの写真には、多喜二の左のコメカミに、十円玉大の黒いものが写っていた。
もう一枚の写真はさらに、多喜二を死にいたらしめた傷跡を、明瞭に記録している。
この写真は、『時事新報』の笹本寅がつれてきた前川カメラマンが、裸にした多喜二を撮影したものだ。
右腕の手首には、破線のように断続する傷の跡が見える。
左腕の第二関節部分が、異様に黒くなっていることが分かる。
それ以上に目をひくのは、太股の全体が、真っ黒くなっていることだ。
 
プロレタリア作家同盟委員長の江口渙は、『たたかいの作家同盟記』の「われらの陣頭に倒れた小林多喜二」で、
医師の安田徳太郎が検死した結果を、書き留めている。

安田博士の指揮のもとに、いよいよ遺体の検診が始まる。
(中略)
左のこめかみには、こんにちの十円硬貨ほどの大きさの打撲傷を中心に、56カ所も傷がある。
それがどれも赤黒く、皮下出血をにじませている。
おそらくは、バットかなにかで殴られた跡であろうか。
首には、ひとまきぐるりと、細引きの跡がある。
よほどの力でしめたらしく、くっきりと深い溝になっている。
そこにも皮下出血が、赤黒く細い線を引いている。
だが、こんなものは、体の他の部分にくらべると、たいしたものではなかった。
帯を解き、着物を広げて、ズボン下をぬがせたとき、小林多喜二にとってどの傷よりいちばんものすごい、『死の原因』を発見したわれわれは、
思わずわっと声を出して、いっせいに顔をそむけた。

「みなさん、これです。これです。岩田義道君のとおなじです」

安田博士はたちまち、沈痛きわまる声でいう。
前の年に、警視庁で、鈴木警部に虐殺された、党中央委員岩田義道の遺体を検診した安田博士は、
そのときの、残忍きわまる拷問の傷跡を、思い出したからである。

小林多喜二の遺体も、なんというすごい有様であろうか。

毛糸の腹巻きの、なかば隠されている下腹部から両足の膝がしらにかけて、
下っ腹といわず、ももといわず、尻といわず、どこもかしこも、
まるで墨とベニガラとをいっしょにまぜてぬりつぶしたような、なんともかともいえないほどのものすごい色で、一面染まっている。
そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえて、ももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。
そのふとさは、普通の人間の2倍ぐらいもある。
さらに、赤黒い内出血は、陰茎からこう丸にまで流れこんだとみえて、この二つのものが、びっくりするほど異常に大きくふくれあがっている。
電灯の光でよく見ると、これはまた何と言うことだろう。
赤黒くはれあがったももの上には、左右両方とも、釘か錐かを打ちこんだらしい穴の跡が、15、6カ所もあって、
そこだけは皮がやぶれて、下から肉がじかにむきだしになっている。
その円い肉の頭が、これまたアテナ・インキそにままの青黒さで、ほかの赤黒い皮膚の表面から、きわ立って浮きだしている。

ももからさらに脛を調べる。
両方のむこう脛にも、四角な棒か何かでやられたのか、削りとられたような傷跡がいくつもある。
それよりはるかに、痛烈な痛みをわれわれの胸に刻みつけたのは、右の人さし指の骨折である。
人さし指を反対の方向へまげると、指の背中が自由に手の甲にくっつくのだ。
人さし指を逆ににぎって、力いっぱいへし折ったのだ。
このことだけでも、そのときの拷問が、どんなものすごいものだったかがわかるではないか。
 
と報告している。
 
そしてさらに、多喜二の死因が警察が発表の通り、「心臓まひ」であったかどうかを検証するため、病院に解剖を依頼したが、
小林多喜二の遺体だということを告げると、慈恵医大大病院も、どの病院も断った。
すでに、警察が手を回していたのだった。


引用元:
http://blog.goo.ne.jp/takiji_2008/e/669e9970e90e6d399fb57fdd8d50a4a7

米国『北極より寒い東海岸の週末あれこれ』事情

2015年02月23日 | 米国○○事情
一年で一番寒い月の週末は、なぜか予定がいっぱい入っていて、いつも健忘録のような書き方しかできません。
その間にも、書きたいことが次から次へと出てくるわ、コメントをいただくわで、本当はパソコンに向かってキーを打ちたいところですが、なかなかそうはいかず、
けれどもやっぱりこれが生きているということなのだからと、自分のことも大切にする、という意味でも、そういう時間をおざなりにしないようにしたいと思っています。


さてさて、寒いといえば今日も、真昼で20℉、マイナス7℃です。
夜は℉でもマイナスになるということなので、多分℃に換算するとマイナス17℃ぐらい。
昨日はなぜか突然、36℉ぐらいまで上がったので、℃で言うと2℃ぐらいなんですが、もう暖かくて暖かくて春か?などと思ったりして、人間の慣れる能力ってすごいな…と感動しました。

先日、次男くんのオレオレ詐欺危うくひっかかったでショーを、ここで披露させていただいたのですが、今度はわたしの、銀行のデビットカードに、ちょっと怪しいことが起こりました。
先週の金曜日の朝、銀行から、ちょっと気になる引き落としがあったのだけど…という連絡があり、確認したところ、
見たことも聞いたこともない会社(?)に、29ドル払ったという記録があるのを見つけました。
相手先は、インターネットを使って支払うグローバル金融会社(?)で、パッと見はまともそうだけども実に怪しい…。
金額は3000円弱で大金ではないにしろ、そんなところとつながりがあること自体が気色悪いので、急いで銀行に連絡しました。
そのカードは使用停止にするので廃棄してください、新しいカードを送ります、ということで、ハサミでジョキジョキ分断しました。

グーグルやフェイスブック、それからスマートフォンなどを使っているのだし、インターネットで買い物もしているので、情報がだだ漏れであることは覚悟の上なのですが、
こんなふうに続くとやはり、ちょっと疑ってみたくなってしまいますね、やってることがやってることだけに…いやはや…。



そして土曜日。
朝から昼過ぎまで、6人の生徒さんたちのレッスンをして、なんとなく風邪をひいてしまいそうだったので、ちょいと体調を整え、
こぉ~んな雪嵐の中を、夫の運転で、歩美ちゃんと3人で、レイチェルの家に遊びに行きました。


レイチェルが、生のコーヒー豆を買ってそれを自分で焙煎しているのを、前々から知ってはいたのだけども、
ほんでもって、そのオリジナルなコーヒー豆を時々いただいては、夫がそれを挽いて淹れてくれた超~フレッシュなコーヒーを飲むたびに、うめぇ~などと感嘆の声を上げていたのだけども、
ついにその、焙煎の現場を見せてもらえるというので、もうこりゃなんとしても行くっきゃないだろ?ということで、気合を入れて(といっても助手席に座って歩美ちゃんとペチャクチャしゃべってただけですが…)行ってきました。

レイチェルが3階に間借りしているでっかいお屋敷は、摩天楼のマンハッタンがまともに見えるハドソン河沿いに建っています。
なので、朝から晩まで、四季折々のマンハッタンの眺めが楽しめるのですが…なんと、雪と霧雨と霧の三重のカーテンにすっぽり包まれて全く見えません。
ここまで見えないのも珍しいので、せっかくなので、その見えなさを楽しむことにしました。


レイチェルはお料理上手。特にお酒のあて(つまみ)作りにかけてはすごいのです。

生野菜とナッツ、それからビーフジャーキーとオリーブのオードブル。
ディップは、八丁味噌とマヨネーズ、おろしにんにくと唐辛子を混ぜたもの。うめ~!




そして、ワイン漬けしたチーズとベーコン、歩美ちゃんが即興で作ってくれたグァカモリを、うまいうまいと言いながらいただき、

いよいよ今夜のハイライト、焙煎開始。


グァテマラ、ニクアグラ、エチオピアからの3種。
それぞれに、微妙に、色、形、香りが違います。
ちょいとアップ。


「冬以外だと、これを使って煎ってるの」と、真っ赤な可愛いポップコーンメーカーを見せてくれたレイチェル。
30ドルぐらいで買える、普通のポップコーンメーカーです。
でも、作業中に、豆の薄皮がガンガン舞い散ってしまうし、煙の量がハンパではないので、とてもじゃないけど室内では使えない。
なので、こういう寒い季節には、蓋つきのお鍋(層が厚いもの)を使うのだそうです。

まず、アチアチに空焼きしたお鍋に、クッキングシートを三重にして敷き、


そこに生豆を、まんべんなく薄っすらと広げて置きます。


そして、強火のまま、その火にできるだけ近い所で鍋をシャカシャカ揺すりながら、豆が好みの濃さに変化するまで煎ります。


豆ごとに分数が違うし、もちろんその時その時の豆の状態によっても違うし、好みだって違うので、これはもう経験を積んでいくしかありません。
でも、だから、すご~くワクワクどきどきします。ああおもしろい!

煎り終わった豆を網に移し、もうひとつの網に高い位置からジャーっと移しながら、息をふうふう吹きかけます。
そうすると、剥がれた薄皮がヒャーッと飛び散ります。


アッチッチの豆を冷まします。


今夜はお鍋。
チキンの手羽と、行きつけのコリアンマーケットから調達してきたという野菜がたっぷり。
「今夜は初めてビーツを入れてみた」、というレイチェル。


鍋にビーツ!?
ビーツ好きの我々は、それを聞いただけで心はウキウキ。
巨大マイタケがもう、どうじゃ~!とばかりに堂々たる姿を見せていて、眺めているだけでとても幸せな気分になりました。


いただきま~す!


いよいよコーヒーの試飲という前に、レイチェルが出そうとしてくれた果物を見て、思わず叫んでしまいました。
「スイカァ~!!」
どうしてこんな寒い時に、スイカがあるのだ!わたしの大大大好物のスイカがっ!
あまりの取り乱し様に驚いて、そんなに好きならと、スイカカクテルを作ってくれました。
感動し過ぎてすっかりピンボケ…。


初めてのコーヒー試飲。
三種類の豆をゴリゴリと手挽きし、それをカップに移し、そこにお湯を注ぎます。
この時のお湯は、チンチンに沸かした後、まずカップを温め、そしてポットを温めるのに使いして冷ましたものです。


レイチェルいわく、コーヒーフィルターは布が一番良い、のだそうで、使いこなされた彼女のフィルターは、とても渋くてすてきでした。


スプーンで上澄みをすくい、唇を尖らせシュイッと勢いよく吸い込む。
そうすると、コーヒーの持つ香りが口元から広がるし、味の違いが鮮明になるのだそうな…。

それはうまくできなかったけれども、味わい、香り、質、透明さ、品などがそれぞれに違う、まるでコーヒーの方から語りかけられているような、とても不思議な感じを経験しました。

もちろん試飲の後はコーヒータイム!
でも、お昼の2時以降にカフェインを摂ると、とても悲惨な夜を迎えなければならなくなってしまうわたしは、散々思い悩んだ(大げさ!)末に断念。
特に、まるで上品なお茶のような味わいのグァテマラのコーヒーに、後ろ髪を一万本ぐらい引かれながらの決断でした。
優しいレイチェルは、その夜煎ったコーヒー豆を、歩美ちゃんとうち用に半分こして、ぜ~んぶくれちゃったので、
実は今朝も、エチオピア産のとびっきり美味しいコーヒーを、存分に楽しめたのだけども…。

雪雲に街灯が反映してるのか、妙にオレンジな夜空。




そして昨日の日曜日。
来週末のコンサートに出る演奏者たちが、もう一回ぐらい人前でのリハーサルをしておきたいということで、当然譜めくり担当のわたしも参加しに行ってきました。


こんな部屋が、マンハッタンのウエストサイドのど真ん中にあったなんて、全く知らなかったのはどうやらわたし一人ではなかったらしく、みんながそれぞれにびっくり。


まあでも、ピアノのコンディションはあまり良いとは言えず、ギリギリっぽかったのですが…。


譜めくりの者は大抵、演奏者の左後ろに座って、しかるべきタイミングに合わせて立ち上がり、絶妙のタイミングでページをめくる、という作業を繰り返すのですが、
今回はその左側にスペースが無く、かといって右側に座るわけにもいかず、仕方なく斜め後ろに立ちました。
なんだかレッスンをしているような気分になったりして、ちょっとマゴマゴしてしまいました。
みんな、とても頑張っています。
2週間前のリハーサルより良くなったし、ある意味踏ん切りがついたというか、いい意味で緊張と興奮と幸福感がにじみ出ていて、
譜めくりしているわたしにまで、その熱気がガンガン伝わってきて、汗をいっぱいかきました。

さて、街の様子はというと、降り積もったままカチカチに凍っていた雪の塊が、突然40度も上がった(もちろん℉表示で)気温に溶かされたので、
通りごとにある横断歩道の端っこには、マンハッタン名物のコレ↓ができていました。


写真ではうまく撮れないのだけど、歩いていると、まるで普通のアスファルトに見えてしまう、表面だけが凍っている結構深い水たまりです。


道だと思って知らずに足を踏み入れてしまい、キャ~ッと悲鳴を上げている人は多分、観光客か、よほどボンヤリしていた人だということで、
ニューヨーカーや事情を知っている(もちろん、過去に一度キャ~ッと悲鳴を上げたからです、はい)我々のような者は、
ニヤッと笑ってしまいそうになるのをこらえながら、お気の毒さまと心の中で同情するのです、心から。

マンハッタンの冬の風物詩のひとつです。
ああでも、春が待ち遠しいなあ…。
だって今夜の最低気温の予報はマイナス4℉。
摂氏℃に換算すると、マイナス20℃?!です。
またあの水たまりはカチンコチンに凍って、今度はミニスケート場になっているはずです。

海兵隊が何かやるという計画も無い辺野古基地なんて、絶対に造らせてはダメだ!

2015年02月20日 | 日本とわたし
「米軍の海兵隊は、出て行くのであれば立ち退き料がほしいということで、その結果として、辺野古移設ということになった。
だがその先に、この地域で海兵隊が何かやるという計画は無いと思う」

「日本の安全や地域の安定ということではなく、米国の軍の都合で動いていて、その都合に日本は合わせている」

東アジア・太平洋担当国務次官補カート・キャンベルが、
「中国が軍事増強しているので、沖縄で、少なくとも3つの非常事態用滑走路を使うことが必要」と言ったことから、
辺野古の基地が必要とされた。

「キャンベルは、もっともらしいことを言って力でねじふせただけ。
自分がジャパンハンドラーだということを、ワシントンに示したかったというだけだと思う」

以上は、植村秀樹・沖縄国際大学研究員の考察です。
もし氏の考察通りなのであれば、今のこの、暴力と破壊に満ち満ちた辺野古工事の強行は、何が何でも止めるべきことだと強く思います。




文字起こし

そもそも〝日本の民主主義〟と〝沖縄の民意〟は、相容れないの?
https://www.youtube.com/watch?v=czk61HM7I0s



今、辺野古で、衝突がずっと続いている。
いろんな大きなニュースがあった。
あまり報道としては出てない部分があるが、気になっていたので取材をしてみた。

沖縄の民意がいろいろと示されたのは、去年の選挙。
その中の多くの民意とは、辺野古の工事をやめてほしいというものだったが、今も粛々と進められている。

沖縄の民意の結果として、翁長さんが知事になった。
沖縄県知事として、6度上京し、会いたいという申し入れをしているが、一度として総理・官房長官に会えていない。
担当大臣が会っていると政府は言っているが、翁長知事が会いたいのは総理・官房長官であり、この状況はこれまでの沖縄知事とは扱われ方が違うように思える。

政治家は常に、選挙戦の勝利が〝民意〟と言ってきた。
で、四つの選挙すべて(昨年1月・名護市長選、9月・名護市議選、11月・沖縄県知事選、12月・衆議院小選挙区)で、辺野古反対派が当選した。
それに対して総理は、
「私たちは、辺野古移設が唯一の解決策という考えだが、その考えに変化はない
と述べ、まさに粛々という状況が続いている。




抗議活動をしている方々は、どういう人たちなんだろう。
特別な方々なのだろうか。


キャンプシュワブゲート前

土曜日ということもあるかもしれないが、だいたい100人以上の人が座り込みをされている。
プロとかいうのではなくて、普通の方がほとんどだという印象。



辺野古で座り込みをする人たちは、顔を隠すこともなく、もちろん木の棒も持っていません。



座り込みの抗議活動を行う人へのインタビュー。

ーテレビを観ている人は、こういうことをやっている人は特殊な人だというふうに思っている方が多いと思うのだがー

名護から駆けつけてきた女性:
普通の市民です。

ーみなさんが反対される最大の理由は?ー

基地があれば、沖縄が一番はじめに攻撃される。

沖縄県民が「造ってください。よろしいですよ」として認めた基地はひとつも無い。



仲井真前県知事が、「基地を造ってもいい」などという誤ったメッセージを、全世界に発信をした。これが許せない。

私たちの民意が反映されないということは、民主主義が圧殺されているということ。
場所によっては原発問題だったり、TPPの問題だったりすると思うが、



そういうふうに民意を聞かないで、ある人たちの利益のために、今の政治が動いているというふうに思う。



座り込みに向かう人たちのために、沖縄県各地から、『島ぐるみ会議』が運行する、辺野古行きのバスも出されている。



バスを使い、抗議活動へと向かう人に話を聞いてみた。

那覇市在住の抗議活動に参加する女性:
この間初めて参加して、ほんとになんでもないじいさんばあさんが、
「もうワジワジー(ムカムカ)して我慢ならん!毎日行かんといかん!」と言うのを聞いて、



(私も)ボーッとしてはいられないなと思った。


抗議活動は、海の上でも行われている。
映画『圧殺の海 沖縄・辺野古』2月 東京・名古屋・大阪で劇場公開




抗議活動を行うカヌー隊と、海上保安庁の姿を描いたドキュメンタリー映画がある。





この映画の共同監督、影山あさ子さん。
彼女が抗議行動を撮影しているときに起きた出来事が、先月国会で取り上げられた。



国会衆院予算委にて(先月30日)

赤嶺政賢衆院議員:
影山あさ子さんが、抗議船に乗船し、海上作業の様子を撮影していました。
そこに、海上保安官が乗り込んできて、影山さんに馬乗りになって、左足で押さえつけて、
影山さんのカメラに手を伸ばして、執拗に奪おうとしています。
これは明らかに、乱暴な過剰警備、乱暴な行為じゃないですか。



実際にどんなことがあったのか、影山さんに聞いた。

影山氏:
(船に)乗ってきた保安官にカメラを向けたら、手で一回バンッとはたかれて、ライフジャケットを手で掴まれて、グッと引っ張られるような格好で座らされて、
その際に、馬乗りの状態で取り押さえられた

これについて、海上保安庁を監督する、太田国交大臣は国会でー。

太田国交大臣:
写真の見方であろうと、私は思います。
あくまで、同乗する小型船の縁にいた女性の身体を保持するということが、この写真の行為である、という報告を受けております。




ー安全確保のためにやってるんだと、海上保安庁側は言っているがー

影山氏:
安全のためであるならやり方が違う。
まして人の上に足を置く、というような行為が、すべて許されるような状態とは思わない。
カヌーの人たちは、全治1週間2週間、あるいはあばら骨がおられるとか、頚椎捻挫とか、いくつもの出来事があって、



私が見ていたので言えば、(海保が)カヌーのバドルを遠くへ投げると…。



海上保安庁の職員が、カヌーからパドルを取り、海に放り投げているように見えます。

影山氏:
パドルがなければカヌーはどこにも行けませんから、海の安全を守る立場の人たちが、そういうことを本当にやってはいけない


辺野古には、沖縄選出の国会議員も、たびたび足を運んでいる。

玉城デニー衆院議員:
沖縄はやはりどちらかというと、観光や独特の文化・言葉のイメージだったりする。
ですからそこにまさか、これだけの(米軍)基地が置かれているということの事実そのものが、わからないという人が多いのだと思う。
しかし、それがいざ政府の側になると、明らかにそれは、分かっていてやっていることですから、
そこの地域に押し込んでおけという、明らかな差別だということがはっきりするわけです。





このまま、沖縄の〝民意〟が無視しされ続ければ、その先に何が待っているのかー

元々、自民党の沖縄県議会議員であったにもかかわらず、昨年末の衆院選では、無所属として移設反対を訴え当選した、仲里利信衆院議員はー

仲里議員:
行き着く先は、やっぱり独立…。


現職国会議員から飛び出した『沖縄独立』。その真意とは。

ー(仲里議員にとって)古巣である自民党のトップが、
「沖縄で、いろいろな民意が出ているけれども、いやいや粛々とやるんだ」と言って、けが人も出ている状況、これをどういうふうに見ているかー

仲里議員:
県民としては、なす術はない。
流血を覚悟で、殴り合いになるなど、そういうところまでいくのではないかと、



それだけ非常に心配している。

ーこのままいくとどうなるのか、ということなのだがー

仲里議員:
特例型沖縄単独州を実現する、県議会OBの会、というものを作っている。

ー単独州…県ではなくて、それはどういうものか?ー

仲里議員:
要するに道州制の。

ーそれはどの程度の(行政)権限を考えているのか?ー

仲里議員:
外交と防衛を除くすべてを、地元(沖縄)でやると。

ーほぼ〝独立〟に近いのでは?ー

仲里議員:
近いですな。
行きつく先は〝独立〟というふうに、今の状況からすると、そこまでいくのではないか。





映画監督の女性が、海保職員に〝馬乗りにされた〟とする件について、海上保安庁に聞いてみた。
実はカメラが回っていたので、こちらのカメラの映像も観た。
しかし、完全に下を向いていて、これを検証できるような状態ではなかったが、「痛い痛い」というふうな音だけはずいぶん入っていた。

海保の主張は下の写真の通り。



次に、カヌーの男性のパドルを、海保職員が〝奪って投げた〟とする件については、
カヌーというものは、パドルを失うとただの浮いている舟になって、大変に危険。
海保は、海上での安全確保のために必要な処置を行うべきなのに、この行為は間違っていないのか。

海保の主張は下の写真の通り。



このように、見えないところでは何が起こっているかわからないような、あいまいなことが多すぎる。
もっとみんなで見張らなければいけない。

独立の話も前からあるが、県内で世論調査をした結果、「独立がいい」と言っている人が多いというわけではない。
そうではないが、先先のことを考えていると、そういうことまで意識の中に上ってくる、ということを、仲里議員はおっしゃっている。

普通の市民の方々が、活動をせざるを得なくてしている。
沖縄県民の方々は、多分これまで、(この問題に関して)自分たちの意見を民意として扱われたことが無かったのではないか。
選挙であれだけ結果を出しているにもかかわらず、じゃあどうやって、いつ何をして主張をすれば、民意扱いされるのか。
ものすごい不信感を持っていらっしゃるということがよく分かる。
完全に差別をされている。



沖縄の民意を聞かないのは、民主主義としていいのか?

元外務官僚の宮家邦彦さん、元防衛官僚の柳沢さんに、そのことについて尋ねた。

ー今現在でも、普天間の危険除去のベストな案は、辺野古だと思われているかー

宮家氏:
私はそう思います。

ー何回かの(沖縄での)選挙で、辺野古への基地建設反対の意思が示されている。
 民主主義の問題として、この沖縄の民意を聞かないというのは、どのように思われるのかー

宮家氏:
今、政府が何をしているかと言えば、
当然、すでに決断が下された問題について、法律に従って、粛々と実行している
これはもう、政府として当然のことだと思う。
それと同時に、政府とは別に、沖縄の方で政治環境が変わった。
そして新しい知事さんが出てきた。
これは現実ですから、行政の問題というよりは、政治のレベルで解決すべき問題だし、
その時に必要なことは、最大多数の最大幸福のための施策、それからその中で、少数派の利益をどのように確保するか
という、このバランスの問題
だと。


政治の問題といえば、日米関係も政治の問題である。
アメリカの知日派の中から、今までの辺野古案を見直す発言も出てきている。

アーミテージ元国務副長官:
長く待っても、辺野古に関して、肯定的な結果は出ないだろうから、プランB(代案)を持つべき



ジョセフ・ナイ元国防次官補:
(去年の沖縄県知事選の後)米軍基地の7割が沖縄に集中する現状は、基地の脆弱性につながる。
辺野古移設は、長期的な解決策にならない




宮家氏:
なぜ、今おっしゃったふたりのような名前だけを、あげられるんですかね。
彼らはもうとっくに、政府から離れた人たちです。
我々が今話し合っているのは、アメリカ政府であって、そして国防総省であって、
そのような関係で、色々な議論の積み重ねをしてくるわけですから。

ーなぜ、その二人の名前を挙げたのかというと、もともとはやはり辺野古(移設)しかない、と言っていた二人で、
 それが最近になって(主張が)変わっている。
 やっぱり沖縄で、これだけ反対がある中で、米軍がそれでもある種強行して、辺野古に基地を造るということが、
 そこでアメリカ軍がやっていくにあたって、プラスになるのだろうか、ということへの疑問なのではないかと思う。
 彼らの立場がどうであれ、そこはある種、うなずける部分がある。

宮家氏:
それはうなずけない。
まったく一貫していない。
もしそんなことを今おっしゃるのであれば、その時点でそれをされればいい。
軍事の観点から見た場合に、果たしてあの航空施設(普天間基地)を、別のところに持って行ったときに、オペレーションとして機能するか、
私は機能しないと思う。
それができるほど、軍事技術の進展はまだありません。




一方、元防衛官僚の柳澤氏は?

柳沢協二元防衛官僚:
アメリカの中では、かねて辺野古を推していた人たちも、県民の抵抗があって、
敵意に囲まれるような状況で、(米軍が)駐留するというのは、もうむしろアメリカにとっても日米同盟にとっても
非常に大きなアキレス腱になるという認識を持っている人が、ずいぶん増えてきている
やはり、地元から受け入れられない、歓迎されない基地っていうのは、基本的には存続し得ないという話。
場所の話は、技術的になんとかカバーする余地はあるけれども、政治的な住民の敵意というのは、カバーしようが無い。
どちらを重視するのかということを政治的にちゃんと考えれば、おのずと答が見えてるはずなの
だが、
そこに目を向けようとしていない


〝辺野古案は、アメリカにとっても『絶対』ではない〟
では、事態が一向に変わらず、移設作業が進むのはなぜなのか?


柳澤氏:
端的に言えば、〝面倒くさい〟ということです。
日本政府は、総理大臣が変わるたんびに、辺野古にやりますと約束しているわけですから、
日本政府が〝やっぱりダメです〟〝違う案を考えます〟と言うならば、アメリカは協議を受けると思う。

ーじゃあ、(日本側が)言わないだけ、ということですか?

柳澤氏:
うん、言わないだけ
なぜ言わないか。
一番大きな理由は、今までの整合性が説明つかない



もっと端的に言えば、〝面倒くさい〟ということ。

ー政府というか、防衛省、外務省が、〝面倒くさい〟ということ?

柳澤氏:
アメリカの政府にとっても、海兵隊を説得することは大変なことなので、官僚的にはものすごく〝面倒くさい〟作業。
だから政治がそこは、〝面倒くさくてもやるんだ〟という意思を貫かなければ、この問題は動かない




ーこれに対し宮家氏はー

宮家氏:
〝あれだけ議論した結果、他に探すのはなかなか難しい〟という意味でなら理解できるが、
〝思考を放棄した〟もしくは〝検討を放棄した形で(辺野古に)執着している、というようなことをおっしゃる方がいるのであれば、
それは交渉を直接やったことがない方か、もしくは責任のない方だと思う。



ー翁長沖縄県知事と面会していないことについてー



今後、翁長知事やスタッフと、信頼関係が生まれていく中において対応したい。
逆に言うと、信頼関係が生まれないとどうなるんだろう?

信頼関係を作ろうなどと思っておられないふうに見えるのは、情報が無さすぎるのだろうか。
前向きに会って、疎通のひとつもしようというような感じが、全然見えてこない。

政府は、抗議している人に向いているのか、アメリカに向いているのか。
取材をした玉川氏自身の感覚、今起きていること、いろいろ取材をしたことからすれば、アメリカの方を向いていると思える。


もしこれが
アメリカの話だったら

もしこれが
東京の話だったら

同じ事態になるのだろうか




文字起こしおわり



沖縄の基地の図です。



今、巨大なコンクリートの塊を落とされ、破壊され続けている辺野古の美しい海。
この小さな区域が、何が何でも実行だと、政府が異様な執着を見せている現場です。

なぜ沖縄なのか、なぜ辺野古なのか
岩上安身による植村秀樹 沖縄国際大学研究員インタビューより

カート・キャンベル元国務次官補「沖縄で、少なくとも3つの非常事態用滑走路が必要」

植村氏は、日本の自衛隊の成立について、次のように語った。

「戦後、アメリカは、日本の帝国陸海軍を解体し、米国に都合のいいように作り替えた
そのとき、日本が政治的・経済的に安定するようにするとともに、強くなるようにした。
そうした中で、自衛隊を育成した


しかし、その一方で、アメリカは、日本の米国に対する貢献は、自衛隊の力ではなく基地だと考えていたと、植村氏は指摘する。

そうした基地のしわ寄せを受けたのが、沖縄である。
基地が沖縄にある理由は、地政学的にそれが有利であるからという意見があるが、植村氏は、そうした意見を否定する。

「地理的な問題という理屈は通用しない。沖縄に集中する方がかえって危ない」と、植村氏は指摘し、さらに、
「中国と米国が戦火を交える可能性は、無視していいほど小さい」とつけ加えた。

辺野古に基地を作ろうとするということには、どのような意味があるのだろうか。

植村氏は、
「米軍の海兵隊は、出て行くのであれば立ち退き料がほしいということで、その結果として、辺野古移設ということになった。
だが、その先に、この地域で海兵隊が何かやるという計画は、ないと思う」と分析する。

つまり、
「日本の安全や地域の安定ということではなく、米国の軍の都合で動いていて、その都合に日本は合わせている」ということだ。

70年代に、日本側が、米軍海兵隊に沖縄に留まるよう要請した文書があるが、その要請の真意は不明であると、植村氏は述べる。
また、東アジア・太平洋担当国務次官補カート・キャンベルが、
「中国が軍事増強しているので、沖縄で、少なくとも3つの非常事態用滑走路を使うことが必要」と言ったことから、
辺野古の基地が必要とされた
ことが明らかになっているが、

その件について植村氏は、
キャンベルは、もっともらしいことを言って力でねじふせただけ。
自分がジャパンハンドラーだということを、ワシントンに示したかったというだけ
だと思う」と語った。

「安倍政権よ、ふざけるな!」現場の自衛隊員の声

2015年02月18日 | 日本とわたし
安倍首相、米軍先制攻撃の事態でも武力行使否定せず
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2422647.html

自衛隊の活動範囲をどこまで広げるのか、これが今の国会での最大の焦点の1つです。
安倍総理は17日、アメリカ軍などが先制攻撃を行ったことがきっかけとなって生じた事態でも、
日本が集団的自衛権を発動して武力を行使する可能性があるのかと質問されたのに対し、否定しませんでした。

先制攻撃は国際法違反の侵略行為です。
米国が違法な先制攻撃を行った場合でも、『新3要件』を満たしていると判断すれば、集団的自衛権を発動するというのですか。
そうであるならば、集団的自衛でなく、集団的侵略そのものではありませんか」(共産党・志位和夫委員長)

いかなる場合に『新3要件』を満たすことになるかは、個別具体的な状況に照らして総合的、客観的に判断されることとなります。
政府としては、閣議決定で示された基本方針のもと、切れ目のない安全保障法制の整備を進める」(安倍首相)


安倍総理の答弁は、集団的自衛権を発動するかどうかは、去年閣議決定した武力行使の新3要件を満たすかどうかで判断する、という原則論を述べたものですが、
野党側からは批判が起きそうです。

政府・与党が進める安全保障法制の整備について、共産党の志位委員長は、
「アメリカ軍と自衛隊が肩を並べて戦争をするための法整備ではないか」と追及しましたが、
安倍総理は、
「全く根拠のないものだ」と否定しました。(TBSニュース・17日17:51)



この男の口からは、どうにでもとれる、あるいは意味不明な言葉がポンポン飛び出してくる。
それも、原稿にフリガナ付きで書かれたものを読んでいるだけの、最初っから用意された文章なのです。
個別具体的な状況ってなに?
総合的、客観的に判断されるってどういうこと?
そんな答を聞いて、ああそうですかと引き下がる国会って、いったいなに?
会議ではないの?
ただの質問ゴッコなんですか?


今朝、こんな記事の写真を見つけました。
日刊ゲンダイからのものだと思います。


自衛隊機関紙が、安保法制について、安倍首相に反論している、という内容のものです。
やる気マンマンは本人だけと、パレードで胸を張って立っている安倍氏の写真の下に書かれています。

内容を書き起こしします。

今国会で大きな焦点となっている安全保障法制をめぐる審議。
安倍首相は昨日(17日)の参院本会議の代表質問で、
「法制度の不備により、邦人の命を守れないことはあってはならない」と強調し、
邦人救出や多国籍軍の後方支援などに、自衛隊を派遣する恒久法の制定に、強い意欲を示した。
安倍本人は、『戦争する国』づくりに向けた法整備に、どんどん前のめりになっているが、
そんな安倍政権に対し、“身内”が批判の声を上げた。

1952年に、警察予備隊(現在の自衛隊)の機関紙として創刊され、自衛隊手帳や自衛隊装備年鑑なども出版している、安保・防衛問題の専門誌『朝雲新聞社』(東京)である。


「国民に誤解与える」

同紙は、12日付のコラムで、
米軍が昨年、イスラム国に拘束されたジャーナリストを救出するために、特殊部隊を送り込んだものの失敗したーーと指摘した上で、
今の国会審議について、
<陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容だ。
国民に誤解を与える>

と、苦言を呈したのだ。

さらに、安倍が法整備を目指す「自衛隊による在外邦人の救出」に対しても、
<これまで国会で審議してきた『邦人救出』は、海外で発生した災害や紛争の際に、現地政府の合意を得たうえで、
在外邦人を自衛隊が駆けつけて避難させる、という内容だ。
今回のような人質事件での救出とは、全く異なる>

と、バッサリ斬り捨てている。


『人質救出に現実味なし』

自衛隊関係の購読者が多く、安倍の『応援団』と思われていた軍事専門誌が、政府の安保・防衛姿勢に〝ダメ出し〟した意味は大きい。
軍事ジャーナリストの神浦元彰氏もこう言う。
『朝雲』は、現場の自衛隊員の声を代弁しているのです。
安倍政権よ、ふざけるなと。
例えば、安倍首相は、邦人救出を声高に叫んでいますが、
自衛隊員は、テロ組織が支配している場所での救出訓練など行っていないし、そんな武器も与えられていない。
自衛隊員はあくまで、他国の侵略から日本を守るために存在するのであり、在外邦人の救出活動は、行動概念にありません。
しかも、米軍特殊部隊が失敗する場所で、自衛隊が救出活動できるのか
あっという間に、イスラム国に捕まりますよ」

小泉政権下の04年、イラク復興支援に派遣された陸自部隊が、不測の事態に備えて独自の行動マニュアルを作っていたことを、
昨日(17日)の朝日新聞が報じていた。
政権側の都合で、「自衛隊の活動は非戦闘地域」とされたため、現場がやむを得ず『私文書』として手引書を作っていたのだが、
復興支援でさえこの状況だ。
テロ地域での邦人救出なんて事態になれば、現場に派遣された自衛隊が大混乱するのは避けられない

イラク派遣から帰国した自衛隊員の中には、帰国後、戦場ストレスで自殺した人もいる
仮に、対イスラム国となれば、そのストレスは相当でしょう。
安倍首相は、そういう事実を理解した上で、自衛隊派遣の恒久法制定などと言っているのでしょうか。
軍事を全く理解していません
よ」(神浦元彰氏)

防衛省・自衛隊の現場が、安倍政権に怒りの声を上げるのは、時間の問題だ。



米国『オレオレ詐欺』事情

2015年02月18日 | 米国○○事情


いろんなものが雪に埋もれている。
ハドソン河も凍っている。
今日の気温はマイナス4℃。
ここまで上がると、なんだか暖かだな…などと思えてしまう。



そんな、ごっつう寒い日が続いている今朝、次男くんに突如、税務局の職員だという女性から電話がかかってきた。
寝起きで、歯医者からか?などと寝ぼけて電話を受けた彼は、最初意味がわからず、ただただ向こうの言うことを聞いていると、
いきなりその女性が、『Miranda Rights』(よく容疑者を逮捕する時に、警官が言うアレ)を言い出した。

”You have the right to remain silent. Anything you say or do can and will be used against you in a court of law. You have the right to an attorney. If you cannot afford an attorney, one will be appointed to you. Do you understand these rights as they have been read to you?
「あなたには黙秘権がある。そして弁護士も雇える。雇う金がなければ国選弁護士がつく。説明されたこの権利の意味がわかってるか?」

いやいや、そりゃもう驚くだろう。

そして十分に脅した後、
・この電話は警察と税務局にモニターされ、レポートされています。
・あなたは税金申告の際に不正をしました。
・そのことで警告の手紙を送りましたが、あなたはそれを無視しました。
・よって、あと45分で警察が来て、あなたは逮捕されます。
・罪名は『税金申告の不正』です。
・もしそれがいやなら、今から銀行に行き、ガバメントヴァウチャーという特殊な支払い方法を取得し、4690ドル払い込んでください。

大混乱に陥りながらも、電話の会話を続けながらグーグルで検索をすると、かかってきた電話番号はスカム(嘘)のものだとわかり、それを言うと、
ああだこうだと誤魔化し、さらにいろいろと怖がらせるようなことを言い続ける女性。
「では、その作業を警察でやる」と次男くんが言うと、いきなり今度は、税務局の弁護士だと名乗る男性が電話に出てきた。
その男性の英語は訛りがひどく聞きづらい上に、どれもこれも訳がわからないことばかりで、ついに次男くんが、
「では、裁判所に行って自分で説明します」と言うと、
「そんなことをしなくても、45分以内に支払えば、犯罪歴に残らない」と言ったのだそうだ、弁護士が…。

その間1時間、もう遠の昔に45分が過ぎてしまっているではないか。
夫は、延々と話し続ける次男くんに、『それは詐欺だ』『クレジットカードの情報を与えてはならない』などと紙に書いてみせたり、ネットで検索した、同じ手口で騙された人たちの証言を見せたりしたが、
どういうわけか次男くんは、その電話を切ろうとしない。
万が一ほんとだったら…そういう恐怖がまとわりついていたのだろう。

思い余って、夫は次男くんから電話をふんだくり、その女性に向かってはっきりと言った。
「あんた、詐欺でしょ?」


次男くんは、相手から、このことは誰にも言わずにやらなければならない。電話を切ってはならない。
銀行に行く間も、行ってからも、電話を切ってはならないと言われ、いよいよ怪しいと思ってはいたのに、それでも切ることができなかった。
騙される時というのはそういうものだ。
一旦夫が切ったのに、またかかってきた。
一階では、夫とわたしから、散々「スカムだ詐欺だ」と警告され、それを向こうも受話器の向こうで聞いているだろうに、完全無視、平気なのである。


そしてそのまままた、次男くんは3階に上がり、会話を続けていた。
このまま騙されるのか?
今朝はたまたま夫が家に居て、しかもよくこういう事が起こった時に、失敗から学べば良いと本人に任せてしまうことが多いのに、今回は中に割り入ってくれた。
だから未然に防げると思ったのに…と、モヤモヤしながら3階の様子を見に行くと、

「警察から電話がかかってきた。今、3者会話してる。911の表示が出たから本物や!」

埒があかない会話にしびれを切らしたのか、今から警察に報告すると言って、その後ガタンと机などが動いた音がして、パトカーのサイレンが聞こえ、
その後、次男くんの携帯に、本当なら有り得ないのだが、911の番号から電話がかかってきた。
その地元の警察官を名乗る男は、「たった今税務局から連絡を受けました。今から捕まえに行きます」と言ったと言う。
「ではこれ以上電話で話していても意味がないので電話を切る」と次男くんが言うと、そこでまた、「ラストチャンスをあげる」と言い出したそうだ。

いやはや、もうこれはギャグとしか言いようがないではないか。
どこの警察が、税務局からのレポートで、いきなり一般の人間を逮捕しに来るというのか。
しかも、911の番号で…。
夫もわたしも呆れ果て、焦りまくっている次男くんを無理やり、地元の警察に連れて行くことにした。


警察署では、次男くんはいろいろと説教されたらしい。
あなたで多分100件目ぐらいだ。
同じような被害報告が、毎日10~15件届いている。
手口はほぼ同じで、金額や逮捕までの猶予時間は、人によって少し異なる。
騙しに関わっている人間たちの英語は、ほぼ100%インド人訛りで、多分国内ではなく、どこか違う場所から詐欺を働いている。
だから、なかなか摘発できないでいる。


電話を使ってのオレオレ詐欺。
話には聞いていたが、それを目の当たりにして、本当に驚いている。
次男くんは、猛烈に働く有能サラリーマンだったが、2週間ほど前に働いている会社が閉鎖され、失業した。
閉鎖の報告はたったの2週間前。
だから今は、就職活動の真っ最中なのである。
そんな時に、税金申告の不正(もちろん会社勤めだった彼には不可能なことだったが)をしたので逮捕する、などと言われたら、
就活の妨げになると大いにビビるのは当然で、まあ、就活中でなくても、逮捕するなんて言われたら誰でもビビる。

彼が失業中で、けれども銀行の口座にはある程度まとまった金が入っているということを、向こうはちゃんと承知の上なんだろう。
彼は超バイリンガルで、けっこう慎重に物事をやったり考えたりするタチで、だから大丈夫だろうと思っていたけれど、
その彼が、彼自身もすごく怪しみながら、それでもズルズルと蟻地獄の穴の中に引きずり込まれていく様を目の当たりにして、
人が騙されていくというのはこういうことなのだと、今さらながらに唖然とした。

次男くんは警察から戻ってからずっと自室にこもり、同じような被害に遭った人たちの証言を、ユーチューブで聞いている。
彼が家に戻って来た時、
「どうしてあんたは、わたしたちの警告をちゃんと聞こうとしなかったの?」と、強い口調で責めてしまった。
すぐに、台所にいる夫から呼び止められて、
「そんな、傷口に塩を塗りつけるようなことを言う必要などない」と注意された。

いろんな学びがあった朝だった。

あ、でも、このケースの場合、インド人訛りの英語が使われているという事実は事実としてあるけれども、
だからといって、インド人の人たちは詐欺を働くことが多いなどと言っているのではないし、地元の警察だって思ってないので、誤解しないでくださいね。


雪の下では、いろんな命が春を待っている。




なんだか夏?みたいなふうに見えたりもして。


あの足跡は誰のんだろう?などと思っていたら、


屋根にもあった!

日本史上最悪の政権を野放しにしておくと

2015年02月17日 | 日本とわたし
国境なき記者団による各国の「報道の自由」度の順位結果の表です。
なんとまあ、こんなにくっきりと、安倍政権時の両方ともが、ゴットンと落ちています。



そしてこれらは、China Dailyの漫画家、Luo Jie氏が描いた風刺画です。
ほんとにとても良いものばかりなので、ぜひぜひみなさんも見に行ってみてください。
http://www.chinadaily.com.cn/opinion/cartoon/node_1121243.htm

本当は多分、一枚も載せてはいけないのでしょうけれども、あんまり良いので数枚だけ。

平和憲法の危機


歴史の歪曲


抵抗の大波



わたしたちはこの絵のように、もっともっと抵抗し、抗議し、異議の大波を浴びせなければならないと思いませんか?