ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

クラクラ&くたくた&クルクルな年の暮れ

2019年12月21日 | 音楽とわたし
音楽三昧だった今年最後の重大行事、生徒の発表会を無事終えることができました。
今回初めて利用させてもらったのはこのお屋敷のリビングルーム。

かつては個人のお屋敷でしたが、今は演奏会やパーティなどの会場として貸し出される町のカルチャーセンターとして大活躍。
今のように生徒の数が増えるのを予想していなかった夏前に予約を入れたので、部屋の許容席数50席はあっという間に埋まってしまい、玄関ホールや隣の部屋にまで椅子を置いて発表会は行われました。

毎年発表会があるごとに気づくのは、生徒たちの上達の凄さです。
毎週超多忙なスケジュールの中、うちまでの送り迎えと家での練習をサポートしてくださる親御さんへの感謝と共に、生徒たち本人の頑張りにも心を打たれます。
こんな口うるさい教師についてきてくれることにも感謝したいと思います。
そしてもちろん、毎回荷物の運搬や会場の整備、それから司会を一手に引き受けてくれる夫にも感謝!


というわけで、今年の元旦に目眩で倒れ、それから以降なんとなくすっきりしないまま、作曲を仕上げ、清書し、パートナーのサラと練習に励み、レッスンを受け、それを演奏会で披露し、それと同時に指揮法のレッスンを受け、オーケストラとの政治的な小問題に翻弄されつつ共演する歌手たちとの練習をし、オーケストラを指揮するという夢の中の夢を叶え、それを舞台で披露し、そして最後に生徒たちの発表会を終えた今、どうしたら良いのかわからないほどに疲れてしまいました。
笑うしかないっていう感じです。

朝起きても体はどんよりと重く、目がちゃんと開いていない感じがして、軽い頭痛と吐き気がずっと続いています。
どうにかこうにか1日を終え、夕飯を食べて食器を洗うと、もうボロ雑巾よりクタクタで、何もできない、したくない状態になってしまいます。
けれどもツイッターだけは読んでしまうので、気になることだらけのまま、パソコンの前に座って記事を書けない自分にイライラする、この繰り返しです。
今日はとにかく、頭はほぼ回っていませんが、とりあえず日記だけでもと思って座っているところです。


先日の水曜日は、長男くんの33回目の、そして独身最後の誕生日でした。

結婚式費用、そして結婚を機に新居に引っ越すための貯金活動に励む彼の一時的住居は、実家である我が家です。
ビザの関係で夏から日本に戻っている婚約者のTちゃんが、今月だけうちに来ているので、今回は彼女の手作りのご馳走とデザートでのお祝いとなりました。
人生で一番嬉しい誕生日になったよね、長男くん。

そしてこの日、トランプ大統領の弾劾投票が下院で行われました。



どちらの議案も賛成多数で弾劾が議決されました。

それを見守る若者たち。
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ワクワクドキドキ指揮者デビュー♪

2019年11月20日 | 音楽とわたし
秋晴れの肌寒い午後の、マンハッタンに向かう乗り換え駅。
あまりに空が青かったので写真を撮りました。
青空以外は殺伐とした風景です。

マンハッタンに約30分で行ける電車駅は、うちから徒歩5分のところにあります。
とても便利なのだけど、如何せん、電車の数が少な過ぎます。
平日の通勤時間帯だと辛うじて1時間に2本、それ以外は1時間に1本。
週末は2時間ごとに1本で、夜遅くなるとそれも怪しくなります。
さらに週末だけは、ちょうど中間にある駅で乗り換えなければなりません。
日本でいうと、東京駅から電車で30分以内(こちらの電車はタラタラ走るので、多分日本だと20分以内)のところにある郊外の町の電車事情としては、かなり悲惨です。
なので日本に行くと毎回、電車の本数や停止する位置の徹底や乗り継ぎの便利さや案内の分かり易さに感動してしまいます。

さて、その電車に乗って向かったのは、指揮者デビューとなる演奏会が開かれるカーネギーのザンケルホール。
わたしが指揮を担当することになった曲はオペラ曲で、ソプラノとメゾソプラノの二人の歌手とは、1年がかりでリハーサルを繰り返してきました。
役員会議の際に、今まで指揮を一手に引き受けてきたアルベルトが、「副指揮者を募集したい」と言ったのを聞いた瞬間、「自分はできると思う!」と立候補してしまったわたし…。
高校でブラスバンド部に入部し、必死になってクラリネットの練習を始めてからずっと、いつか自分も指揮をしてみたいと夢見ていたので(長っ!)、その勢いったらありません。
その場にいたみんなに、「おいおい、わかったから落ち着いて落ち着いて」となだめられたほどでした。

でも、やりたいからと言ってできるかどうかわからない、というみんなの疑念は当たり前のことで、
だからなかなか現場で振らせてもらうことができず、何回も模擬リハーサルのような練習に立ち合うだけ…心の中は焦りとイライラが募るばかりでした。
一体いつになったらフルオーケストラと練習されてもらえるのだろうとヤキモキしながら、歌手たちとはピアノ伴奏で練習を続けていたのですが、
結局9月の末に2時間、そして10月で合計2時間、本番の直前に40分という時間をもらっただけで、舞台に立たねばなりませんでした。
もっと強気で、さっさと振らせろ!と言えばよかったのかと思ったり、いやいや、それは大人げないんじゃないかと思ったり、そんなふうに心の中ではいろんな思いが右に左に揺れていました。
今回のオーケストラだけの演奏会は、11年前にACMAが始まって以来、初めての企画だったので、発案者のアルベルトにとっても先がなかなか見えないものだったと思います。
だから現場ではたくさんの混乱が起きました。
本番1ヶ月前まで、オーケストラの楽器構成と人数が決まらなくて、なので曲目が変更されたりカットされたりが続き、まさかわたしが担当している曲が却下、なんてことにならないだろうなと心配したりもしました(実は一度、曲の変更があったので)。
それに加え、元々この曲は初心者向きでは全くない、「一体誰が、どうして、こんな曲をあなたにやれと言ったのか」と、指揮の先生(オペラ曲の指揮では名が知られていて、各国のオーケストラの指揮をしている)に苦笑いされたほどややこしいもので、
まあ良い方に考えると、しっかりと学び、練習を積み重ねることができたと言えるのですが、本音を言うと学んでいる間中、ヒヤヒヤしていたのでした。

ということで、今年は年明けからずっと、作曲の仕上げと演奏の練習、歌手たちとの合わせ練習をコツコツやりながら、春過ぎからは指揮の勉強を本格的に始めるという、
なのにオーケストラと顔を合わせて指揮ができたのが、本番の約1ヶ月半前だったという、精神的にずいぶんと葛藤があった年になりました。

けれども、やっぱり指揮は面白い!
大変だけども楽しい!
一回の練習で滝のような汗をかき、顔は真っ赤になってしまうのですが、いろんな楽器、いろんな人たちと一緒に、音の織物を仕上げていくその過程は、やっぱりすごく興奮します。
このワクワクドキドキを経験してしまったらもうやめられません。
幸いにも、たくさんのオーケストラのメンバーから、とても楽しかった、よく引っ張ってくれたという言葉をかけてもらい、多分来年もクビにならずに済むのではないかと思うのですが…。

60の手習となった指揮法。
作曲をして聞いてもらうという夢と、オーケストラの指揮をしたいという夢が叶った2019年。
最後の仕上げは12月の生徒の発表会です。
まだ少し疲れが残っていますが、生徒たちが自信を持って楽しく弾けるように、最大限支えていきたいと思います。
10月の演奏会で弾いた自作曲『OKINAWA』の演奏もするので、その練習もしなければなりません。
あともう一つ、その『OKINAWA』を本格的に録音をすることになったので、それにももう一踏ん張り。
音楽三昧な毎日はまだまだ続きます。
音楽三昧な毎日を続けられるのも、いろんな人に支えられ、助けられてこそ。
本当にありがたいなあと思います。




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音楽三昧

2019年10月21日 | 音楽とわたし
7月13日に行われるはずだった演奏会が、マンハッタンの中心街で突然発生した大停電により10月12日に延期された。
毎年コンサートの予約を入れるには1年以上も前から申し込んでおかないといけないホールなのに、いつも質の良いコンサートをしている常連だからということで、特別に、昼間ではあるけれども、スケジュールに入れてもらえたことはありがたかった。

結局作曲に1年以上かかった『OKINAWA』の演奏を、7月の時点で仕上げたつもりでいたのだけれど、
日本での帰省の間に、ピアノの師匠に聞いてもらってたくさんのアドバイスを受けたら、いろんな可能性がまた見えてきて、練習がどんどん面白くなった。
今回のこの『OKINAWA』には、わたしの沖縄への想いのありったけを込めた。
沖縄の大自然、特に美しい海。
それらは物言わず、ただそこにあって、長々と続いている沖縄の人々の、理不尽な差別に対する不屈の闘いを見つめている。
伝わったらいいなあ。
そう思いながら、パートナーのバイオリニストのサラと練習を重ね、先週の土曜日に舞台に立った。

とても特別な時間だった。
たったの9分強の時間だったけれど、わたしとサラ、そして会場に足を運んできてくださった人たちが、それぞれの想いを共有できたような気がした。

海を見た人がいた。
森を感じた人がいた。
拳をあげて踏ん張るオジイやオバアの姿を思い出した人がいた。
のんびりとくつろぐ老人や、無邪気に遊ぶ子どもの姿を見た人がいた。

もうそれだけで十分だと思った。
作曲者冥利に尽きることだ。


そのコンサートが終わった晩に、遠くから聞きに来てくれた友人一家(7歳の双子ちゃんがいる)がうちに泊まった。
その晩から、来月の11月中旬にあるオーケストラを中心にしたコンサートの打ち合わせが始まった…。

…というわけで、もう本当に信じられないほどに時間が経つのが早くて、頭が三日分くらい後からついてくるという感じの毎日が続いている。
3歳から琴を、そして8歳からピアノを学び始めて半世紀以上経つのだけど、そんな長い付き合いの音楽と、ここまで濃密なデートを繰り返す毎日になるとは思ってもいなかった。

長い音楽との関わりの中で、ずっと夢見てきたことがある。
いつかわたしも曲を創りたい。
いつかわたしもオーケストラを指揮したい。

作曲願望は、6歳か7歳の頃だったか、当時通っていた音楽教室のアップライトピアノの前に座り、その時に習っていた本のページを眺めていた時に芽生えた。
指揮者願望は、16歳から始めたクラリネットを吹きながら、目の前に立つ指揮者を見るたびにふつふつとわき上がってきた。

でも、どちらも叶うことなく、叶える努力もせぬままに、時間はどんどん過ぎていった。
それが突然、アラ還で作曲の夢を、年金をもらう歳になって指揮者の夢を、叶えるチャンスをつかんだわけで、
しかもそのどちらも、多分、えっと、できると思う、へへへ、みたいな感じの、いつもながらの有言実行(と言えば聞こえは良いが、どちらかというと無謀な行動)だった。
だからめちゃくちゃに焦ることになる。
またやっちゃった…と冷や汗かきながら、だけど後悔は全くしない。
もうやるっきゃないんだからと覚悟を決めて、指揮のレッスンに通い始めた。
ちゃんと学び始めると、自分がいかに無謀なことにチャレンジしようとしているのかがはっきりとわかる。
わかった時点ではもう遅いので、無謀ではなかったと思えるところまで自分を引き上げていくしかない。
わたしの英語でのコミュニケーション能力が不十分だったからか、それとも忙しさにかまけてちゃんと尋ねるべきことを尋ねなかったからか、
一昨日の夜になって初めて、わたしが勉強し続けているオーケストラの総譜と、オーケストラメンバーが練習している楽譜が違うことに気がついた。
そして在ろう事か、彼らにあらかじめ送られていたオーディオファイルの演奏が、わたしの望んでいる音楽とまるで違う事も。
それを送ったのも、そしてわたし用の楽譜を送ったのも、同じ人物なのだけど、彼に何か意図があったとは思えないし思いたくない。

左がこれまでプリントアウトした楽譜をテープで貼り付けて使っていたもので、右がやっと手に入った総譜。
空のシッポはおまけ♪


だけど、わたしに振り分けられたオーケストラとの合わせ練習の時間が少な過ぎて、1分でも無駄にできない状況の中で、この間違いはかなり痛い。
なので昨日、初めてオーケストラメンバー全員と歌手二人が揃ったリハーサルの場で、この行き違いと勘違いの話をして、とにかくわたしの指揮棒についてきて欲しいとお願いをした。
かなり突っ込んだ練習ができたし、メンバーからの信頼を得られたという感じもした。
やっぱり指揮ってすごく面白い。
いろんな楽器のいろんな人たちと一緒に、音楽を作り上げていくのが楽しくて、ものすごく興奮した。



こんな立派なフライヤーを作ってもらったんだもの、頑張れるだけ頑張らないと!

という事で、11月16日のこのコンサートが終わるまでは、本当に忙しい毎日が続く。
このコンサートと同時進行で、12月15日に行う(この秋になぜかいきなり8人も増えた)生徒の発表会の準備もしなければならない。

『日本とわたし』カテゴリーの記事を書きたい気持ちは山々なんだけど、本当に時間が無いので、いっそのこと、ツイッターに投稿しているツイートをここに載っけようか、などと考えたりもする。
どうしたらいいだろう…。
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『Passion Through Performance: Lights Back On!』 年末まで音楽!音楽!音楽!

2019年07月22日 | 音楽とわたし
突然の大停電で中止となった演奏会。
最終の舞台リハーサルも無事終わり、じわじわと近づいてくる本番を前に、控室で気持ちを整えているところでした。
パートナーのサラは、軽く夕飯を食べてくると言って、近くのダイナーに出かけていました。

いきなり部屋の灯りが消えた時は仰天しました。
まさか起こるはずがないと思い込んでいる場所での停電は、自宅でのそれの何倍も驚くのだなと、そんなことも考えました。
真っ暗闇の中、防音が施された重いドアの取っ手を見つけるのに苦労しました。
やっと見つけて廊下に出ると、同じように驚いている演奏仲間たちが居ました。
廊下では、非常用のオレンジ色のライトがついていて、舞台の方からは、本番のための調律をするピアノの音が聞こえてきます。
演奏会場も暗いだろうに、と思って覗きに行ってみました。
調律師さんは、「調律は耳でできるから」と言って、黙々と仕事を続けていました。

ホールのスタッフがやって来て、とりあえずもう少しはっきりとしたことがわかるまでは、ここで待機してください、と言われました。
外に出ているメンバーたちはきっと、どうなってるんだと心配しているだろうなと思ったけれど、回線がパンクして携帯電話をかけることができませんでした。
楽器も荷物もそのまま。
かなり時間が経ってから、4階にいるわたしたちに、1階に降りるよう指示が出されました。

刻々と本番の時間が迫ってきます。
その日のカーネギーで演奏するはずだった者たちと、その演奏を聞きに来てくださった人たちが、演奏会の有無の決定を聞こうと、ホールの周りで汗を拭き拭き待っていました。

思った通り、復旧は叶わず、その日の演奏会は全て中止になりました。
わざわざ足を運んできてくださった人たちに、本当に申し訳なくて、どう話したらいいのかわかりませんでした。
そして、本番での演奏ができなかったことを仕方がないと言い聞かせても、なかなか受け入れようとしない頑固な自分を持て余しました。

家に戻り、何も片付ける気持ちになれず、かといって眠くもなく、けれどもすごく疲れ切っているバラバラな心と体を、もう一人の自分が眺めていました。
次の日曜日も、そして月曜日も、その翌日の火曜日も、とにかく体がだるくてだるくて、家の中でひたすらダラダラしていました。
夫は、「まうみはものすごく落ち込んでいるんだ」と言います。
わたしは、「落ち込んでなんかないわ。疲れてるだけやわ」と反抗するばかり。

「演奏できる場をできるだけ早く作って演奏したら?」
「サラに予定を聞いて、ほんの少しの人でもいいから聞きに来てもらって、家で演奏したら?」

心配して色々アイディアを出してくれる夫に、「大丈夫やから放っといて」とぶっきらぼうに答えているうちに、
実は夫が正しくて、わたしは本当にがっかりしているんだと気がつきました。
お子ちゃまです、ほんとに。

「やっぱりわたし、落ち込んでるわ」と告白しました。
「気晴らしに美味しいものを食べに行こう、お金無いけど」
重い腰を上げて、最近開店したフレンチレストランに出かけて行きました。

そんなトホホなお子ちゃまをやってる間に、ACMAのプレジデントたちはカーネギーとの交渉に頑張ってくれていたのです。
カーネギーとわたしたちはこの10年、とても良い関係を築いてきたこともあって、異例中の異例の対処をしてくれました。
10月12日、夜ではなく午後2時からの開演だけど、わたしたちの演奏会が行われることになりました。
そのタイトルはこれ。
『Passion Through Performance: Lights Back On!』
なかなか良いタイトルですね♫

今週の木曜日、7月25日(日本時間の26日)から8月20日まで、日本に滞在します。
そのうちの13日から20日までは東京です。
日本から戻ってからは、指揮法のレッスンとオーケストラとの合わせ、それから急きょベートーベンのピアノコンチェルト曲のクラリネットパートを演奏することになったのでその練習、
それだけで充分バタバタなのに、10月に延期になった自作曲の演奏の練習とレッスンが加わることになりました。
年末に行う生徒の発表会も入れると、クリスマス前までの全ての週末が、レッスンやリハーサルでつぶれてしまいます。
最後まで頑張れるかな…。

音楽を生業にしている自分にとって、とても有意義な一年になりそうです。
やりたいことはやりたい。
いつまで経ってもやりたがりのわたしを、やれやれと思いつつも見守ってくれる家族に感謝!
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幻のコンサート

2019年07月16日 | 音楽とわたし
コンサートの二日前、最後のレッスンを受けにマンハッタンに出かけた。
ギリギリのギリギリまで音を足したり削ったり、パートナーのサラと一緒に、表現やテンポの合わせ具合の細かい調節をしたりしながら頑張ってきたので、すがすがしい気分だった。
気持ちがぴったりと合う嬉しさと、やるだけのことはやったという、でもそれは多分自己満足に過ぎないのだけど、ワクワクとした高揚感に包まれていた。

通しで一回弾いてみてと言われ演奏した。
あともう丸2日しかないので、これまでみたいな細かな注意とかは無いだろうと思っていた。
甘かった。
ヴァイオリンにもピアノにも、容赦無く次々と、ダメ出しが為された。
それらを一つずつ解決して、そろそろレッスンも終わりかけていた時に、アヴィタルがこんなことを言い出した。
「まうみのソロのところ、あれ、もうほとんど聞こえないくらいのピアニッシッシモで弾けないかな?」
「今のピアニッシモではだめ?」
「うん、あそこは普通に弱いっていうんじゃなくて、すごく特別な静けさが欲しい」
「そういうテクニックをきちんと磨いてこなかったんだけど…」
「じゃあ今日から磨けば?ハノンとかスケールとかバッハのインヴェンションとかをpppで弾きまくればいい」
「……」
「すごく注意して音を聞きながらしないと、音の粒が整わないから気をつけてね」

家に戻るや否や、ピアノの前に陣取って、早速ppp(ピアニッシッシモ)の練習を始めた。
うちのバランスが悪いピアノの鍵盤でなんとか弾けるようになったらきっと、カーネギーのシュタインウェイのピアノだと気持ち良く弾けるはず。
そう自分を励ましながら、焦る気持ちをなだめながら、少しでも時間が空いたらピアノに向かった。

そんなわたしを慰めようとしてくれたのか、いつもなら絶対に座らないピアノ椅子に空が上ってきて、お尻にぺたりと体をくっつけたまま動かない。

お尻が妙に温かい…。


俄仕立てのピアニッシッシモだけど、とりあえず舞台で演奏できるはず、と思えるまでの自信はついた。
よし、寝るぞ!
興奮してるからか、まるで眠くならなくて、羊を何匹数えても、ウサギを何羽数えてもダメ。
本を丸ごと一冊読んでしまった…。
眠らなくても目を閉じて横になるだけでも休むことになるはず。
でもやっぱり、当日の朝はかなり怠かった。
朝風呂に入り、衣装に最後のアイロンをかけ、荷物を整えていざ出発。
夫は演奏会前の軽食パーティを、マンハッタンにある両親のアパートメントで行うからと、その準備でおおわらわ。
パーティには、演奏会を聴きに来てくれる家族や友人たちがやって来る。
ほんとなら、演奏者のわたしが居るべきなんだけど、演奏会前はできるだけ静かに一人で居たいと思う人間なので、一度も参加したことがない。

ドレスリハーサルの前に最後の合わせ練習をして、カーネギーに地下鉄で向かった。
空は快晴、湿気も少なくて気持ちがいい。
ホールの周りには、大勢の、お揃いの青いロングドレスを着た女の子たちと、タキシードを着た男の子たちで賑わっていた。
こりゃ多分コーラスの団体だなと思っていたら、案の定、わたしたちと同じ時間帯に、一番大きなホールを使って演奏会をするらしい。
1000人近い合唱団と、その親御さんやお友だちとなると、ものすごい人数になるだろう。

ドレスリハーサルも無事終わり、お辞儀の仕方(今回は作曲もしたので特別に)を打ち合わせたりしているうちに、気持ちがグングンと高揚してきた。
やっと聞いてもらえる。
嬉しいような照れくさいような、そしてもちろんドキドキもして、どんどんと近づいてくる本番を前に、控室で気持ちを落ち着けていると…。

いきなり真っ暗になった。
たまたまその時は、控室にはわたしの他に誰も居なかった。

自分の家の中だと、ちょっとびっくりするぐらいの停電も、まさかここで?と思う場所だと驚きの度合いが違う。
控室のドアは防音のためにすごく重くて分厚い。
ちょっとパニックになりながら、部屋の外に出た。
みんなびっくりしている。
楽器を置いたまま、食事をしに出かけた仲間もいる。
まさかエレベーターに閉じ込められたりしてないだろうな?
サラは普段から、エレベーターに乗れない人なので、多分大丈夫だろう。

4階の廊下に残っていたメンバーが集まってきた。
そこにホールのセキュリティの人がやってきた。
かなりの広範囲の停電だと言う。
原因が分からないので、復旧がいつ始まっていつ終わるのかも分からないと言う。
でも、できるだけの努力をして、コンサートが開かれるようにします。

なんて言ってくれたのだけど、アメリカの停電の復旧速度を知っているわたしたちは、すでに多分ダメだろうと思い始めていた。

なぜか4階に留まるように言われ、しばらく何もできないまま待った。
舞台では、暗がりの中、ピアノの調律が行われていた。
ホールはもうしっかり冷やされているし、楽譜が読める程度の灯りの確保ができたら、演奏会をやっちゃえるかな?
なんて、冗談とも願望とも言えない話を仲間たちとしながら時間を過ごした。

急に、今から誘導するので1階に避難してくださいと言われた。
荷物や楽器はどうするの?と聞くと、そのまま置いたままでいいと言う。
みんなでゾロゾロと降りて行った。


ドア一枚向こうの外では、合唱団の学生とその関係者、そしてわたしたちの演奏仲間とお客さんでごった返していた。

みんな一様に暑そうだ。
わたしたちが中に居るのを見て、「どうして自分たちを入れてくれないんだ!」と怒り出す人が続出した。
わたしたちはわたしたちで、一旦外に出てしまったら戻ってこれませんと言われて、どうしたらいいものか決められないまま、外の家族や友人に手を振ったりしていた。

とうとう全員外に出ることになり、やっとみんなと話せることになった。
通りでは、救急車や消防車が何台も行き交っていた。


警官は一人も見なかった。
目の前の交差点では、バックパックを背負った一般市民がど真ん中に立ち、交通整理をしていた。

やっと一台の消防車がやって来て、3人の消防士さんが降りてくると、歓迎の拍手がわいた。

刻々とコンサートの時間が近づいてくる。
これはもうダメだな。
誰もがそう思い始めた時、やっと、出入り口のガラスドアに、こんな張り紙が現れた。

わかっていたけど、本当に決まったら、心がしゅうっとしぼんだ。
停電に文句言っても始まらないんだけど、なんでよりにもよって今夜のこの時間なのだ?と、つい考えてしまう。
そっか、ピアニッシッシモの研鑽にもっともっと励め!ということなんだな。
わかりましたよわかりました!
練習しますよ。

今夜、カーネギーから連絡が来た。
11月の感謝祭の2日前、だから平日の火曜日の夜だったら振替ができる。のだそうだ。
感謝祭の2日前なんて、アメリカ全土で国民大移動が始まっているし、気分は演奏会どころではない。
しかもその10日前には、同じくカーネギーの中ホールで、ACMAとしては初めての、合唱とオーケストラだけのコンサートを行うことになっている。
わたしはその中の1曲を、指揮することになっている。
だからタイミング的に非常〜に良くない。
もうこうなったら仕方がない、来年だ来年!

というわけで、ピアノ人生初めての演奏会のドタキャンを経験し、なんかこう、終わったような終わってないような、戸惑いながらがっかりしてる、みたいな、
なんとも味わったことのない気持ちを経験している今日この頃なのです。

あの夜、都合をつけ、計画をし、わざわざ会場まで来てくださったみなさんに、心からのお詫びと感謝を申し上げます。
きっといつか演奏しますので、どうかそれまで、お手持ちのチケットを大切に保管しておいてください。
よろしくお願いします。
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『OKINAWA』

2019年06月07日 | 音楽とわたし
一ヶ月前に、辻井伸行さんの演奏を聴きに、カーネギーホールに行きました。
チケットを2枚、いつもの如く手を伸ばすと天井に届きそうな席でしたが、カーネギーホールの音響は、高額な席を買えないわたしたちの耳にも、素晴らしい音を聞かせてくれるのでありがたいです。

ドタキャンした夫の代わりに、ドタinviteした紀子さんを助手席に乗せて、いざいざ出発。
カーネギーホールのすぐ隣にある駐車場が、なんと時間制限無しで20ドルだったのでそこに車を停め、二人でウキウキしながら会場に向かいました。

ああ、やっぱり高いわ〜。

でも真正面!


この日のプログラムは、一部がサティの3曲、ドビッシーの映像から3曲、ラヴェルのソナチネ、二部がショパンのスケルツォ1番から4番。

一部と二部の間に、ものすごい集中力で仕事を進める調律師さん。

今さらながら、やっぱり同じ(もちろんレベルは月とスッポンなのだけど)ピアノ弾きとしては、全く見えないのになあってつい思ってしまいます。
特にドビュッシーの映像は、まるでホール全体に薄いベールがかかり、そこに様々なイメージが映し出されていくような、それはそれは不思議な空間に身を置きながら聞きました。
自分が学生の時、イメージがわいてもそれを音で表現できなくて、悶々としながら練習していたことを思い出しました。
もう一回チャレンジしてみようかなあ…。

プログラム曲を全曲弾き終えた辻井さんに、満席の会場からは、惜しみない拍手と賞賛の声が送られます。
ニューヨーカーは意思表示がとてもはっきりしているし遠慮がありません。
この夜、辻井さんは、付き添いの男性と一緒になんどもカーテンコールに応え、アンコール曲をたくさん弾いてくれました。


でも、拍手は一向に鳴り止みません。
そこで辻井さんはとうとう、ピアノのフタをパタンと閉めて、もう弾きませんよと伝えてくれたのでした。

この頃はまだ、作曲を仕上げることができなくて、パートナーのサラとも合わせることができなくて、だからとても焦っていました。
けれども辻井さんが、彼自身を丸ごと音楽に溶け込ませている姿を見て、そしてその彼の指が奏でる音を聞いて、大丈夫、きっとできると思ったのでした。

友人が紹介してくれた25歳の若いヴァイオリニストに、本番までに2回ほど、『OKINAWA』をレッスンしてもらえることになりました。
彼はイスラエル人で、マンハッタンにある音楽学校を卒業したばかり。
去年一緒に演奏したエリオットが、みるみる上手になったのが、この新しい先生との出会いだったと聞いて、今からとても楽しみです。
ただ、曲が曲なので、先生も困るかもしれません。
明後日の合わせ練習で録音したものと楽譜を、1回目のレッスンを受ける前に送っておこうと思います。

舞台までの1ヶ月で、どこまで練り上げることができるか。
一日一日を大切にして、そして体調が崩れないように注意して、自信を育てていきたいと思います。
そして、一緒に演奏してくれるサラに、レッスンをしてくれる先生に、このチャンスを与えてくれたACMAに、作曲や練習に時間を費やすわたしを見守ってくれる夫に、
心からの感謝の気持ちを持ちながら、頑張りたいと思います。
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生徒たちの発表会・2018

2018年12月09日 | 音楽とわたし
こちらに来て18年と8ヶ月。
日本にいた頃と同様、相変わらずのピアノ教師をしてきた。

借金取りのヤクザに追いかけられてた(借金はわたしじゃなくて親のものだったけど)頃に、それならいっそ、違う組の暴力団幹部の子どもの家庭教師になったら?と、当時お世話になっていた教授が紹介してくれてピアノを教え始めた。

若い頃は、その日の気分で教え方が変わったり、ちょっとしたことで腹を立てたりしたから、生徒たちは大変だったろう。
歳を重ねてもなお、やっぱり怒りっぽくて、レッスン中に笑顔を浮かべることも少なかったから、いやな感じだなあって思ってた生徒は多かったろう。

そんなわたしがこちらに来てまず驚いたのは、生徒たちが自由に気持ちを話すことだった。
いやなことはいや、嬉しいことは嬉しい。
わたしが使った言葉が気に入らなかったり、意味がわからなかったり、言い過ぎたりした時には必ず、すかさず何か言ってくる。
わたしが褒めると、ありがとうと言って嬉しそうに笑う。

日本で23年間教えてきて、めったに味わえなかった会話が、ここでは例え7歳の子どもであっても存在する。
はじめは面食らってたじろいでいたけれど、そのうちに楽しむようになった。
そしてはじめて考えた。

日本の子どもたちもきっと、こちらの子どもたちのように、言いたいことがいっぱいあったんだろうな、と。

何年やろうが、学ぶことは後からどんどん出てくる。
やればやるほど、もっと学ばなければと思う。


17年目の去年の夏に、生徒たちの世代交代があった。
まだ6歳の、ピアノの鍵盤を押し込むことさえできないような小ちゃな手で、ドレミから始めた子たちが、気がつくとわたしよりうんと背が高くなり、声も低くなって、
「続けたい気持ちは山々なんだけど、もう物理的にどうしようもないので、レッスンをやめます」と、次々に離れていった。

10年以上も教えてたし、弾ける曲もうんと増えてきてたし、教える方としては「よし!これからがうんと楽しみだ!」と思っていたので、そういう子たちがごっそり抜けたのはショックだった。

でも、そういう覚悟はしていなければならなかったんだ。

『いつまでも 続くと思うな ピアノの生徒』なんだから。

というわけで、一気に10人近く減ったので、夏休みが終わってもずっとまだ夏休みが続いているような感じで、生活はじわじわと苦しくなった。
けれども一年の締めくくりとしての発表会はやりたい、どうしよう…と悩んでいた。

いつもの会場を借りると、割り勘の金額がかなり増える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
決められないまま11月になってしまった。
11月の中頃に、生徒たちの中で一番古株の兄弟が、発表会に出るのは負担が大き過ぎるので、欠席したいと言ってきた。
それで決心がついた。

よし、家でやろう。

生徒数は14人、兄弟姉妹がいるので家族は9家族。
両親だけが来ると仮定しても最低32人、もしも親族友人を誘って来たら40人を超えてしまうかもしれない。
うちの折りたたみ椅子は10脚。台所の椅子が5脚。夫の仕事椅子、ピアノの椅子、ソファにぎゅうぎゅう詰めで8人、あれやこれやを集めても25人分。
なので、もしできることなら、折りたたみ椅子持参で来てくださいとお願いした。

この部屋だけは準備完了。発表会の始まりを待つばかり。


とにかく家具を壁際に移動して、少しでも椅子が置ける場所を作らねば。


もしかしたらこの階段にも座ってもらわなければならなくなるかもしれない。


連弾プログラムの最後は、3手連弾のジングルベル♪


そして最後の最後に、最近友だちになったリリーが、クリスマスに合った曲を2曲歌ってくれた。
ソプラノ歌手の彼女とは2ヶ月前に知り合って意気投合し、一度だけ手持ちの曲で練習をした。
歌を勉強していたけれど、アレルギーを拗らせて断念し、美容師になった彼女は、でもやっぱり音楽を捨てることはできないと、7年ぶりに歌い始めた。
発表会の場所はもちろん、プログラムもギリギリまで決められなかったから、ゲストのことも後々になってしまっていた。
なので、彼女に頼んだのは発表会の前々日。
そして前日に承諾を得て、当日の午後に初合わせ、そして本番という無茶苦茶っぷり。
でも、ステキな贈り物になったと思う。
ありがとうリリー!


そんなこんなのバタバタ発表会だったが、とりあえずリビングに全員座っていただくことができた。
それはもうギュウギュウで、さぞかし窮屈だっただろうと思うけど、みんなニコニコと、実に居心地の良い家だと言ってくれた。

ぶうぶう文句を言いながら暗譜に挑戦した生徒たちは、全員しっかりと弾き終えることができて、いつにも増して満足そうだった。
音楽の表現が、いつもより豊かだった。
始めたばかりの3人はともかく、後の11人(+2人)中3人の高校生たちにとっては、もしかしたらこの日が最後の発表会になるかもしれない。
一番長いお付き合いをしているのはW家。
かれこれ12年、まずは6歳だった長男が、しばらくして次男が、そして三男が、さらにお腹の中にいた長女が、生徒として通ってくれている(いた)。
長男が辞め、そして去年、次男が辞めた。
この兄弟妹4人は全員、水泳の選手でもあり、特に次男と三男の二人はジュニアオリンピックの強化選手に選ばれている。
「いつかオリンピック選手になってインタビューを受けたら、実は僕はピアノも得意なんです。先生はまうみですって言ってね」
などとド厚かましいことを言うわたしを、照れくさそうに笑いながら見下ろす(彼はめちゃくちゃ背が高い)彼は、今日のことをずっと覚えていてくれるだろうか。


たくさんのきれいなお花、美味しそうなデザートやスナックをありがとうございました。


また来年を目指して頑張ります。
でもやっぱり会場は別のところがいい。
家具の移動や床拭きで、すっかり腰を痛めてしまったし、来てくださった人たち全員に、ピアノを弾く姿を見てもらえなかったのはとても残念だったから。
それにはもう少し生徒を増やさねば。
作曲と指揮とピアノ教師。
どれもやりたくてやっていることばかり。
しみじみありがたいと思う。
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"ACMA Presents" Recital

2018年11月17日 | 音楽とわたし
わたしが10年前から所属しているACMA(Amateur Classical Musicians Association) in Manhattan。
たった数人から始まったこの協会は、今では2000人以上の所属メンバーを抱えている。
会費はタダ。
会の名前にクラシカルと書いてあるが、ジャンルは問わず、音楽が好きな人なら誰でも入ることができる。
弾きたい曲がある人は申し出ると、定期的に開いているコンサートの場で披露することができる。
とてもシンプルなので、マンハッタン近辺に暮らす、プロにはなれなかったけどずっと演奏し続けている人や、そこまでには至っていないけど、演奏するのが大好きな人がワラワラと集まってきた。

はじめのうちは音楽学校のちょっと広めの教室を使っていて、それこそいろんなレベルの人たちがいたから、演奏前に演奏者のコメントを、演奏後には聴衆からのコメントを出し合ったりして、プチ公開レッスンみたいな雰囲気だったけど、
そのうちどんどん人が増えてきて、初心者の人たちにとっては演奏しづらい環境になり、カーネギーホールでの定例演奏会を行うようになってからは、その傾向がさらに進んでしまった。

わたしを含む7人の役員は、どんなレベルの人にも演奏できる環境を作ろうと、あれこれ試行錯誤を繰り返してきた。
ワークショップ、公開レッスン、レベル別コンサートなどなど。
まだまだ始まったばかりなので、軌道に乗せるまでには時間がかかるだろうけれど、大勢が集まる物事の成熟には、失敗しては学び、また次のステップに果敢に挑戦するという作業が必要だから、気長に取り組んでいくしかない。

昨日のコンサートも初めての試みで、いつもの10分以内という演奏時間の制限を取っ払って、30分前後なら好きなだけ好きなものを弾いていいよ、というもの。
わたしなんて10分の演奏でも充分すぎるので、この企画に挑戦する気など全くないけれど、持ち曲がたくさんある人たちにとっては嬉しい企画だと思う。

場所はマンハッタンのミドルタウンにあるミュージックスタジオの12階。
ヤマハのグランドピアノが置いてある。

準備開始。




10月からエグゼクティヴディレクターに任命されたニールが、司会を担当する。


我々の演奏会の録画を、ボランティアで担当してくださるご夫妻。


バッハのインヴェンション全曲(15曲)を演奏したマヤ。


急病のため欠席した歌手の代わりに、ピンチヒッターを引き受けてくれた2人の女性とニール。
急に頼まれたにもかかわらず、ショパンやラフマニノフやシューベルトの大曲を弾いた彼女たち、そして二つのバッハのプレリュードとフーガを弾いたニールから、ついつい怠け癖が出てくる自分に、いいゲンコツをもらった気がした。








クイズ・ベートーヴェンは自分の先生の名前を言わなかったのはなぜでしょう?
こたえ・彼は隠してたから(hidden)ハイデン→ハイドン(ベートーヴェンの先生はハイドンなのでした)
というダジャレで聴衆を笑わせるニール。


トリはジャーンのベートーヴェンが最後に作ったソナタ。18歳のときからずっと好きで弾いているという。


彼はとても高い位置で座るのが好きで、いつもは専用のクッションを持参するのだけど、今回はジャケットをたたんで敷いていた。


会場の暖房が効き過ぎていたり、天井裏か壁の内側に通っている配管から、カンッカンッとかなり大きな音が聞こえてきたり、まあこれは冬の風物詩なので仕方がないのだけど、ハプニングが何回か起こった。

演奏者たちはそれぞれ、演奏前は緊張したり心配したりしていたけれど、弾きたいだけ弾いた満足感が得られて嬉しそうだった。
きっと僕もわたしもと、演奏候補者が続出するような予感がする。

楽器持参で集まって、そこで適当にグループを作り、そこで適当に曲を選んで弾いちゃう、という企画もやりたい。
楽器じゃなくて声でもいいし。
音楽の自由さって無限に近い。
だからいつまでたっても学び足りない。
そこがすごくワクワクするところ。
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もう遠慮も尻込みもしない!この曲はわたしが振る!

2018年10月28日 | 音楽とわたし
春らしくない春が終わり、夏らしくない夏が過ぎて、秋らしくない秋の真っ只中。
どの季節にもとにかく雨が多かった。
そのためにいつもよりもよく育った野菜があり、いつものように育つことができないままに死んだ野菜があった。
特に葉物は、芽が出て大きくなろうとする時に根腐れが発生し、その小さな芽を地面に埋もらせてしまった。

木々の葉っぱも色づく前に枯れてしまい、美しい黄色や朱色に変わることもできずに、庭や道にハラハラと落ちていく。
散歩中に見上げると、薄茶色の葉に焦げ茶の斑点をつけた葉が、一枚、また一枚、わたしの周りに落ちてくる。
なんだか残念そうに見えるのは、わたしの心のうちがその葉に乗っかっているからだろう。

でも、たまに美しい朱色が見られる。


どこもかしこも、というわけにはいかない年だから、見つけたときのワクワク感は大きい。



昨日は、オーケストラメンバーが全員集まっての、第一回目の全曲音読み通し練習が行われた。
これまでずっと一人でこのオケの指揮をしてきたアルベルトが、自分が全曲振るのは大変だから誰か手伝って欲しいと言うので、ではわたしが手伝わせてもらいましょうと手を挙げた。
実は、これまでのオケの演奏を聞いてきて、いつも物足りなさを感じていた。
演奏者一人一人、そして指揮者の力量に、過大な要求をすることはできないことは承知している。
そしてこれまでは、カーネギーではあっても、賃貸料金さえ払えば誰でも演奏できる、客席300名弱のホールで為されてきたので、良くも悪くもまあプロじゃないのだから…で済まされてきた。

けれども今回、アルベルトが目指したのは客席600名の、カーネギーが認めた人や団体しか演奏できないザンケルホール。
このホールの舞台で演奏したことがあるが、相手の音が聞こえにくい上に、丸裸の自分の音だけが耳に入ってくる、なんとも居心地の悪い舞台なのだ。
わたしたちのグループは、これまでに数回、ザンケルホールを借りて演奏会を行い、とりあえず高評価を得てきたので、今回のコンサートの許可が下りたのだけど、
ザンケルホールでの演奏経験ゼロの寄せ集めのメンバーで構成された、まだ不安定な状態のオーケストラのみでの演奏会が、果たしてうまくいくのかどうか、それがすごく心配になった。
なので、無論わたしも力不足なのだけど、長年のブラスバンドやオーケストラでの演奏と、練習時の指揮の経験をフルに活かして、演奏を少しでも良いものにしたいと思った。


何度かのテストリハーサルを経た昨日、初回の合わせ練習がとうとう始まったのだけど、その初回はわたしには無理だから僕が振ると、アルベルトからメールが送られてきた。
ニューヨーカーのオケメンバーはクセの強い人が多いし、向こうも戸惑うから、などという理由だったが、まあ今までずっと彼らと一緒にやってきたアルベルトが言うのだからと、しぶしぶ承諾した。
けれども、今日は僕が振るけれど、この曲の指揮者はまうみだからと紹介もせずに、あたかもわたしなど居ないかのように、
これからもこの曲を指揮をするのは僕だ、というような態度と物言いで、指揮棒を振るアルベルトを見ているうちに、
わたしはとうとう声を上げる決心をして、アルベルトが振っているにも関わらず曲を止め、楽譜の読み間違いを指摘したり、楽員からの質問に直接答えたりした。
音読みだからと、8分の6拍子を6つに刻んで、それも「123456」と言いながら振るから、1拍めがわからなくなった人が続出。
8分の6拍子は2拍で捉え、その2拍以外の拍の音は流れるように、または浮き上がるように演奏したい(特にこのオペラ曲はそう)から、彼のところまで走って行って、指揮棒をぶん取ってやりたい気持ちを抑えるのに苦労した。

オケのメンバーの何人かは、なんだあの東洋人のおばさんは?と思っただろう。
でも、壊されていく音楽を聴くうちに、どうとでも思え!という気持ちになった。

次の練習は来年の4月まで無い。
そして5月にあともう一回やって、それで本番リハーサルが行われる11月まで、また大きな間が空く。
アルベルトが指揮をするモーツァルトのピアノコンチェルトとベートーヴェンのシンフォニーの、二つの大曲の練習に時間がかかるからだ。

最悪の場合、まうみ、やっぱりオペラの曲も僕が振るよ、と言い出すかもしれない。
けれども昨日の練習を見て、彼にはあの曲は振れないとはっきりとわかったので、わたしはもう、遠慮も尻込みもしないことにした。
あの曲はわたしが指揮をする。
そうして、少しでも良い演奏になるよう、あと2回しかない貴重な練習時間中に結果が出せるよう、しっかりと計画を練るつもり。
11月から、全国のオペラオーケストラを指揮している指揮者の、個人レッスンを受けることも決まった。
万が一の時のために、モーツァルトとベートーヴェンの曲も学ぼうと思う。


雨風がひどい1日だったけど、マンハッタンにもハロウィーンが近づいている。


なぜかこんな日にも水浴びに励む鳩さんたち。



昨日は気持ちを強く持って過ごしたと思っていたけれど、今朝は起きぬけから腰痛でヨタヨタしている。
夫は、昨日のフラストレーションが腰にきていると言う。
やれやれ…まだまだ未熟者だ。
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辻井伸行さんとオルフェウス室内管弦楽団

2018年10月09日 | 音楽とわたし
友人みっきぃの一人娘琴ちゃんが、こんなすてきなモビールを作ってくれた。
作者曰く、キモ可愛い惑星モビールだそうだ。












気持ちがうつうつとしてくると、椅子をぐるりと回して、ぼーっとモビールを見る。
そうするとなんだか気持ちが落ち着いてきて、またちょっくら続けるかと、中断している作業に取りかかれたりする。
ありがとう、琴ちゃん。


気持ちが大きく揺さぶられて、なかなか平常心に戻れない日が続いていた。
気持ちと一緒に、体の芯も揺さぶられたのか、微熱がずっと続いたりした。
村上春樹風に言うと、深くて薄暗い森の中だったり、深くて暗い井戸の中だったり、そういう空間で抱え込んだ膝小僧におでこを乗せたまま、息の音が聞こえるぐらいの静けさの中に身を置いて、
悲しいのやら悔しいのやら、恐ろしいのやら苦しいのやら、どう表したらいいのかわからない暗い気持ちから抜けられないまま、どんよりとした重い体を引きずりながら、毎日を過ごしていた。

そういう母親を知ってか知らずか、長男くんが急に、
「なあ、なんか日本の有名なピアニストが、カーネギーで演奏するらしいで」と、ポツリと話してくれた。
「え?誰?」
「名前は知らんけど、目が見えへん人らしい」

もしかして、もしかして、それは辻井伸行さんのことではないだろうか?
モヤがかかってた頭に、いきなりスイッチが入った。

ずっと休止中だったパソコンで一気に調べた。
やっぱり辻井伸行さんだった。
体調を考えると、出かけて行くことはもちろん、最後まで持つかどうか自信が無かったけど、とにかく行こうと決めた。
急いで親友ののりこさんに電話をかけて、一緒に行かないかと誘った。

席は3階の一番前。
もちろん遠く離れているけれど、カーネギーのホールはどこに座ってても音が良いので心配しなかった。
プログラムをもらって席に座り舞台を観ると、あれれ?なんでピアノが無いんだろう…。



フェイスブックのタイムラインに、この舞台の写真を撮って載っけたら、幸雄さんに「あれ?ピアノは?」って早速聞かれたし…。
まさか、辻井さんだけの特別仕様で、ピアノと一緒に舞台に出てくるんだろうか…などと、後から考えたらすごくアホなことを想像しながらプログラムを開いた。

あれ?1曲目は室内管弦楽団だけで演奏するみたいだ。
しかも今夜の演奏会は、どうやらこのオルフェウス室内管弦楽団が主体っぽい。
カーネギーホールのウェブサイトには、辻井さんだけの写真がデカデカと載っていたので、てっきり彼のソロ演奏の中にピアノコンチェルトが混じっているのだろうと思い込んでいた。
だからちょっとがっかりもして、けれども初めて聴く室内管弦楽団の演奏にも興味があった。

曲は、ARVO PARTのFratres。
聴いたことがないオーケストラによる聴いたことがない曲。
Arvo Pärt - Fratres


始まりから1分半ぐらいのところからのピアニッシモに、心の根っこを温められたような気がした。
そして涙があふれてきた。

この室内管弦楽団には指揮者がいない。

『1972年に、チェリストのジュリアン・ファイファーが中心となって、ニューヨークで結成された。
彼らの最大の特徴は、各セクション内の配置を曲ごとに換えて、リーダーシップ的な役割を順番に分担し、指揮者が行なう解釈上の決定を合議制で行なっている。
その結果、一人ひとりの力量は高いレベルで均一がとれ、演奏は高度に緻密でありながら自発性に富む』

https://tower.jp/artist/1338917/オルフェウス室内管弦楽団より

室内オーケストラに革命をもたらした、1972年にニューヨークで結成されたオルフェウス室内管弦楽団。
そのオーケストラと一緒に、辻井さんは練習を重ねた。

Orpheus 18-19: Nobuyuki Tsujii at Carnegie Hall


やっとピアノが舞台に運ばれてきた。


辻井さんが演奏したのは、ショパンのピアノコンチェルトの2番へ短調。
写真撮影は厳しく禁止されているのだけど、なんと10席離れたところに座っていたのりこさんが撮ってくれていた!?









辻井さんは、テレビ画面の中と同じように体を揺らし、オーケストラが織り込む音の色彩を感じながら、彼の音楽を全身で演奏していた。
月並みの言葉しか出てこなくて歯がゆいけれど、本当に素晴らしかった。
そしてやっぱり涙が出た。

コンチェルトが終わり、3度目のカーテンコールの後、突然椅子に座ったと思ったら、いきなりジャズ風の曲を演奏し始めた。
それはもう超絶技巧の演奏で、目を丸くして聴いてると、勢いよく弾き終わった彼がまた、客席の方にお辞儀をして、それを見ながら拍手をしていると、楽しくなって笑った。
でも、なんで今頃アンコール曲を弾くんだろう…。
そして再びプログラムを確認する。
二部はオルフェウス室内管弦楽団のみで演奏する、チャイコフスキーのチェンバー・シンフォニー第1番なのだった。

休憩時間にこんなものを見つけた。大量の咳止めののど飴。ご自由にどうぞ!


辻井さんの演奏を聴きに来たつもりが、聞かず知らずの室内管弦楽団が主だったものだったのだけど、もういっぺんにファンになってしまった。
心をわしづかみされた、という表現が一番合うと思う。







微熱とコントロール不可能な発汗が治ったわけではなかったけれど、心がとても慰められた。
久しぶりに会ったのりこさんとの時間も、わたしに元気をくれた。

音楽と友だち、やっぱりいいもんだなあ。
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