今週は、アメリカの大手証券会社の問題や日銀の後継総裁問題など金融関連のニュースばかりですが、春到来までもうちょっと。桜の開花予想も出て、卒業式が行われているところも多いと思います。
最近、ある記事を読んだ時の事。
10年ぶりに学習指導要領の改定案が、文部科学省から発表されたとの事。小学校の授業を1割アップして、『基礎基本の知識を増やし、活用力を高める』のが目標のようです。私の記憶のなかでは、
『ゆとり教育』
が鳴り物入りでセンセーショナルに発表された時の様子が、かなり強く残っているので、それからすると全くの方向転換。
なんだかOECDが開催している学習到達度調査での日本の成績が落ちているのが原因と言われているが、国のメンツを重要視しての事なら、振り回される小学生がかわいそうな気がしてきます。
約30年前の私が小学生の頃の話。
数回引越しを経験したが、6年生の時に千葉の松戸というところから、東京都に引越しを
した。首都圏にお住まいの方ならご存知でしょうが、松戸は千葉県の西のはずれにあり、東京にとても近く、東京への通勤圏です。
私が、まずビックリしたのは、クラスの数。松戸では1学年に6クラスあったのが、東京では3クラス。
そして、グラウンド。松戸の頃は直線で、300メートルは余裕でとれるであろう広々としたグラウンドが、東京では、50メートルの直線がやっと。グラウンド面積は5倍以上違っていたのではないかと思う。おまけに、東京でのグラウンドが、アスファルトで舗装されていたのに、ビックリ!!走ってコケたら怖いなぁ~て思った記憶があります。
そして、転入手続きとクラス分け。ある先生が、私の松戸での成績を尋ねてきた。なんと、東京の公立小学校にも関わらず、3クラスは、学力順に編成されていて、上位のクラスから下位のクラスへ。下位のクラスの児童の中では、先生以下、
『上位クラスに、追いつけ、追い越せ』
などと、まことしやかに言われていた。
松戸の小学校で、まあまあ上位の成績だった事を伝えると、上位クラスに振り分けられたのだが、そこで人生最初の壁にぶつかりました
例えば、社会の授業。松戸の小学校の授業がとても遅れていた。一方、東京の小学校では、私立中学受験予定の児童もいたからか、随分と進んでいました。結果、どうなったか・・・。
社会の歴史の中では、割と重要な『江戸時代』をどちらでも学ぶことなく、すっぽりと抜けてしまった。
これには、私も子供ながらに愕然とした思いだった。それも、自分自身の怠慢が原因ではないにも関わらず・・・。そういったことが、他の科目(特に国語など)でも起こった。今でいう『格差』が、30年前の当時、すでに存在していた。国内の教育での
『地域格差』。
その後、どうなったかって???
フフフ、まんまとグレました。というか、ふてくされたというか。
というか、もう、今後一切、それらの勉強しないと割り切る事にしました。
中学生になってもその意志をかたくなに守り(笑)、高校受験の際は、必然的に受験科目が少ない高校へ進みました。もちろん、社会などが試験科目でない学校に。
高校入学後も、国語や社会は常に『赤点』。最初からイジケていたから、まあしょうがない・・・。
自分の中では、頑張ったつもりでも、いつでも『赤点』。さすがに、心が折れました。
最近では、同じ東京の中にあって、
『所得格差』や『資産格差』、要するに貧富の差が、そのまま子供の学力差となって表れてくる社会
ができつつあるというデータもあります。
その根拠になっているのが、
『就学援助』
という制度。経済的に就学が困難な児童生徒に対して、市町村は援助しなければならないというもので、生活保護を受けている家庭(要保護)とそれに準ずる家庭(準要保護)がその対象となる。
例えば、2005年の小学校の就学援助率が、都内で一番低い千代田区では、6.56%で、一番高い足立区では、なんと42.81%。
で、それぞれの区の学力調査では、平均点が15点ほど開いている。これが、全国に対象を広げて調査したら・・・なんだか怖い。
こういったいろいろな『教育格差』は無いほうが良いに決まっている。子供は、自身でその環境を選択できないのだから。
授業時間数を1割アップさせる事で、全てが解決するかといえば、決してそうではない。政治家などの大人の議論(わたしも一応大人だが・・・)を聞いてると、最終的には、少人数クラスを実現する為に先生を増やすとか、最終的には教育予算を
増やすとか、全て
『お金で解決!!』
の話になってしまう。こんな話を聞いてたら、子供でも『あんな大人になりたくない』とか『日本ってヒドイ』って、嫌悪感を持つと思うんです。
しかし、教育ってそんなに簡単な話ではないですよね・・・。授業内容や指導方法の見直しをしたり、教育格差の是正を施すのが必要だと思います。公立といえども中央集権で画一的なプログラムで運営するのではなく、各学校の校長に裁量権を委譲してゆくとか・・・。
まだ、人を疑う事とか知らない、純真な透き通った目をした子供達。すくすくと大きくなって欲しいと思います。
このブログのブックマークから、コージーアンティークのサイトにリンクしています。随時更新していますので、是非ごらんになってくださいネ~。それでは・・・。
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最近、ある記事を読んだ時の事。
10年ぶりに学習指導要領の改定案が、文部科学省から発表されたとの事。小学校の授業を1割アップして、『基礎基本の知識を増やし、活用力を高める』のが目標のようです。私の記憶のなかでは、
『ゆとり教育』
が鳴り物入りでセンセーショナルに発表された時の様子が、かなり強く残っているので、それからすると全くの方向転換。
なんだかOECDが開催している学習到達度調査での日本の成績が落ちているのが原因と言われているが、国のメンツを重要視しての事なら、振り回される小学生がかわいそうな気がしてきます。
約30年前の私が小学生の頃の話。
数回引越しを経験したが、6年生の時に千葉の松戸というところから、東京都に引越しを
した。首都圏にお住まいの方ならご存知でしょうが、松戸は千葉県の西のはずれにあり、東京にとても近く、東京への通勤圏です。
私が、まずビックリしたのは、クラスの数。松戸では1学年に6クラスあったのが、東京では3クラス。
そして、グラウンド。松戸の頃は直線で、300メートルは余裕でとれるであろう広々としたグラウンドが、東京では、50メートルの直線がやっと。グラウンド面積は5倍以上違っていたのではないかと思う。おまけに、東京でのグラウンドが、アスファルトで舗装されていたのに、ビックリ!!走ってコケたら怖いなぁ~て思った記憶があります。
そして、転入手続きとクラス分け。ある先生が、私の松戸での成績を尋ねてきた。なんと、東京の公立小学校にも関わらず、3クラスは、学力順に編成されていて、上位のクラスから下位のクラスへ。下位のクラスの児童の中では、先生以下、
『上位クラスに、追いつけ、追い越せ』
などと、まことしやかに言われていた。
松戸の小学校で、まあまあ上位の成績だった事を伝えると、上位クラスに振り分けられたのだが、そこで人生最初の壁にぶつかりました
例えば、社会の授業。松戸の小学校の授業がとても遅れていた。一方、東京の小学校では、私立中学受験予定の児童もいたからか、随分と進んでいました。結果、どうなったか・・・。
社会の歴史の中では、割と重要な『江戸時代』をどちらでも学ぶことなく、すっぽりと抜けてしまった。
これには、私も子供ながらに愕然とした思いだった。それも、自分自身の怠慢が原因ではないにも関わらず・・・。そういったことが、他の科目(特に国語など)でも起こった。今でいう『格差』が、30年前の当時、すでに存在していた。国内の教育での
『地域格差』。
その後、どうなったかって???
フフフ、まんまとグレました。というか、ふてくされたというか。
というか、もう、今後一切、それらの勉強しないと割り切る事にしました。
中学生になってもその意志をかたくなに守り(笑)、高校受験の際は、必然的に受験科目が少ない高校へ進みました。もちろん、社会などが試験科目でない学校に。
高校入学後も、国語や社会は常に『赤点』。最初からイジケていたから、まあしょうがない・・・。
自分の中では、頑張ったつもりでも、いつでも『赤点』。さすがに、心が折れました。
最近では、同じ東京の中にあって、
『所得格差』や『資産格差』、要するに貧富の差が、そのまま子供の学力差となって表れてくる社会
ができつつあるというデータもあります。
その根拠になっているのが、
『就学援助』
という制度。経済的に就学が困難な児童生徒に対して、市町村は援助しなければならないというもので、生活保護を受けている家庭(要保護)とそれに準ずる家庭(準要保護)がその対象となる。
例えば、2005年の小学校の就学援助率が、都内で一番低い千代田区では、6.56%で、一番高い足立区では、なんと42.81%。
で、それぞれの区の学力調査では、平均点が15点ほど開いている。これが、全国に対象を広げて調査したら・・・なんだか怖い。
こういったいろいろな『教育格差』は無いほうが良いに決まっている。子供は、自身でその環境を選択できないのだから。
授業時間数を1割アップさせる事で、全てが解決するかといえば、決してそうではない。政治家などの大人の議論(わたしも一応大人だが・・・)を聞いてると、最終的には、少人数クラスを実現する為に先生を増やすとか、最終的には教育予算を
増やすとか、全て
『お金で解決!!』
の話になってしまう。こんな話を聞いてたら、子供でも『あんな大人になりたくない』とか『日本ってヒドイ』って、嫌悪感を持つと思うんです。
しかし、教育ってそんなに簡単な話ではないですよね・・・。授業内容や指導方法の見直しをしたり、教育格差の是正を施すのが必要だと思います。公立といえども中央集権で画一的なプログラムで運営するのではなく、各学校の校長に裁量権を委譲してゆくとか・・・。
まだ、人を疑う事とか知らない、純真な透き通った目をした子供達。すくすくと大きくなって欲しいと思います。
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