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太平洋戦争が残した教訓

2010-09-24 | ラジオ
今から65年前、第二次世界大戦における、いわゆる太平洋戦争がその幕を閉じた。
地球のほぼ東半球を、その支配下に治めようとした、軍国主義日本は無条件降伏した。軍国主義日本壊滅において、決定的な貢献を果たしたのはソ連、中国、アメリカの協力だった。
この勝利は国際協力確立のための可能性を開いたように思われたが、その後の情勢は、全く別のシナリオに沿って発達し始めた。

終わらざる夏 上

浅田 次郎
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東アジアでもヨーロッパと同様、ソ連とアメリカの間で激しいイデオロギー戦、そして地政学的な闘いが展開されたのだ。
こうした対立、対決が齎した政治的な結果に付いて、ロシア外務省・外交アカデミー副学長は、ロシアの声からの取材に対し次のように答えている。
「共産主義に対する盲目的な憎しみを持ったアメリカ合衆国は、中国内戦において国民党を支持した。
蒋介石とその残党が台湾へと逃れたとき、アメリカは自分達の介在である彼らをを援護し、中国に対し敵対な立場を取った。
その結果ソ連と中国という二つの、共産主義大国の同盟が誕生し、両国は1950年にはすでに、アメリカと朝鮮半島のそのパートナーに対する(???)られた紛争へと巻き込まれてしまった。
そして同時に東南アジア諸国では、内戦の炎が燃え上がり1960年代後半には、二つの世界の対決はベトナムでその頂点に達した。
多くのアメリカの同盟国、そしてアメリカ国民もそうだが、インドシナ情勢にアメリカ政府が介入することには、積極的に反対した。

一方、共産主義陣営はどうかと言えば分裂を深めていき、ソ連と中国は徐々にお互いを、敵と見なすまでになった。
そうして巨大なアジア太平洋地域は再び、憎しみが(???)る流血の場へと、その姿を変えてしまった。
袋小路に陥ったアメリカは1975年、インドシナから撤退したがソ連と中国の対立は止まなかった。
そのなかでアメリカと中国は共通の仮想敵国としての、ソ連を押さえ込むために接近を図った。そして先ず中国国内で、その後はソ連で根本的な変革が生じて、やっと共産主義陣営間での緊張緩和が促され、冷戦は過去のものとなった」

また副学長は次のように続けている。
「そうしたことと共に指摘しないでいられないものは、中国社会の目覚しい高揚が近隣諸国に不安を呼び起こしているという点だ。
特に太平洋の主人としての役割に馴れてしまったアメリカは、神経質になり中国をライバルと見なし、この地域で中国の立場が、一層強まることを妨げようと試みている。
米中間で最も危険な火種となっているのは台湾問題だ。
米中日のトライアングルの中の軋轢も深まっている。戦後ずっと絶えずアメリカの、いわゆる弟分としてのパートナー役を務めてきた日本は、現在アメリカの承認を得て軍備を拡大しつつある。
朝鮮半島の緊張も、そのまま残っており、さらに北東アジア、東南アジアにあるさまざまな領土問題も調整されてはいない。
アジア諸国のなかには、日本が侵略した際に自分達が与えた、本質の補償を日本は渋っているとの不満を表明する国々もある。

ロシアは幸いアジア太平洋地域の政治争いに加わってはいないが、この地域が平和で安定し繁栄した地域になることが切実な(?)である。

第二次世界大戦終了65周年という節目は、将来あのような戦争を絶対に繰り返さないよう、あらゆる可能性を排除するため、あの恐ろしい破滅的な日々の教訓を、今一度思い起こす良い機会だと考えている」

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(???)は男性アナウンサーの不明瞭な言葉で判らない。
(?)は聴き取れない

9月1日放送 ロシアの声・ラジオジャーナル