「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
マルコ 10章 15節
ここで言われている「子供」とは、自分の弱さを知らず、自分を過信している者のことです。すなわち、宗教的な規律を守り、
道徳的なことを行ってさえいれば、救われると考えている。自己中心的な考えを持っている人のことです。
しかし、人の努力や行いでは決して神の国に入ることは出来ないのです。
ここで主イエスは子供が無邪気で罪がないから、(本当は、 肉の父親によって流れている血故に原罪が継承されています。
しかし、子は親に対してもそうですが、縋らなければ生きていけない、それ故に素直に親の言うことを聞こうとしています。)
そのことで、信仰のサンプルにされたのではありません。主イエスの言動を素直に受け入れる態度を強調されたのです。
子供のように神の言葉を信じ、初めて確かな行動が生まれてくるのです。
聖書の言葉は、私たちの理解力と経験によって納得できるものではありませんが。(もし納得できる神ならそれはもう神ではない)
重要な部分である天地創造とキリストの処女降誕、キリストの十字架の死と復活などを子供のように素直に信じて受け入れていくと
だんだんと分かってくるようになります。
こうして信仰が、挫折して迷ったり不安になったり裏切られたりしながら生きていく私たちを根底から支え活力を与えてくれるのです。
使徒であるパウロはこう言っています。「 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。」 Ⅰコリント 13:13 と確信を持って言っています。また父は、子供が
成長することを願っておられるのです。「 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、
完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」 エペソ 4:13