ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

神話を疑え

2010-07-15 02:29:51 | 音楽雑誌に物申す

、知り合いが、レコード・コレクター誌の8月号、「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」なる記事に関してmixi日記を書いておりました。それに呼応して私が書き込んだコメントが下のものであります。そんな次第でこれだけでは意味の分からない部分もあるかと思いますが、まあ、大体の趣旨はご理解いただけるかと。

 ~~~~~

 別にパクリだってかまわないと思うのです、聴く側のこちらにしてみれば、結果としてその音楽が面白いものになっていれば良い。大衆音楽なんて、元からそんなものだった。
 節操も無くってかまわないじゃありませんか。世界中の音楽をつまみ食いしているワールドミュージック好きの当方としては、一つの音楽に操を立てて同じような作品ばかり繰り返し作り出しているミュージシャンのもたらす退屈より、よほどマシです。
 要は、結果として出来上がった音楽が面白いかどうか、それだけで十分でしょう。いくら志が立派だって生み出される音楽が退屈では仕方がない。

 それにしても、その音楽が日本のシーンをリードした、なんて。”日本のロック史=細野晴臣の歴史”なんて、おこがまし過ぎますよね。
 そもそも私、細野氏は、というか”はっぴいえんど”人脈は、過大評価のなされ過ぎだと思うのです。それほどのものだろうか?
 日本語ではじめてロックをやった、とか。では、それ以前は日本のロックはすべて英語で歌われていたとでも言うのか?あるいは、”はっぴいえんど”の”ロックの歌詞”が、それ以前の”日本語のロック”をすべて”無価値”としてしまうほど優れたものだったと言い切れるのか?

 ようするに細野氏をはじめとする人脈を”偉大なるミュージシャン”としておく方が商売に都合の良い”業界”があり、それと結託して動くジャーナリズムがあり、というまったく古くから変わらない”芸能界の産業構造”がある、それだけのことではないですかねえ。
 そして、垂れ流されるもっともらしい神話に踊らされるファンたち。
 昔、早川義男氏は”ラブジェネレーション”の中でこう歌いました。「信じたいために親も恋人をも すべてあらゆる大きなものを疑うのだ」と。
 若い皆さんには、「ベストが出たら一から疑え」とでも提言しておきましょうか。

 以上、70年代の初めに”はっぴいえんど”のアンプ運びを担当していた者として、非常に苦い思いで記しました。


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6 コメント

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Unknown (toto)
2010-07-26 07:53:03
いつかコメントさせていただいた者です。

今回のはっぴいえんどについては,「若い皆さん」の中に入る私でも,なんとなく疑問に思っていたことがありました。
それは,若い「ロック好き」がたまに言うところの「●●が名盤だと思わないやつは,ロックを知らない」っていう「格言」で,その●●に入るバンド名トップ10に,おそらくはっぴいえんどは入っているだろうということです。

私も最初は「あぁ,こんな偉大なバンドの凄さがわからないなんて,俺もまだまだ人間が小さいなぁ」
とか思っていたのですが,今から考えれば「そんな馬鹿なッ」と叫びたくなる想いです。

「偉大なバンド=はっぴいえんど,RC,ブルーハーツ,X JAPAN,etc」と沢山存在するのでしょうが,彼らがいくら偉大だからといって,個人の好みというものを否定するようなそんな気色悪い力というのがあるものでしょうかね。「ロック・ファン」と自称する人のこの辺りが,どうにも納得いかないのです。
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totoさんへ (マリーナ号)
2010-07-27 04:27:15
 そうなんですよね。いつの間にか勝手に価値体系が出来上がっていて、それを受け入れない奴は間違っているとか。
 むしろ、そんな考え方から自由になりたいという思いから生まれてきたのがロックであるはずなのに、本末転倒もいいところです。日本のロックは始まってさえいない、といいたくなります。
 ものの考え方がロックじゃない奴が偉大なロックバンドがどうの、なんていってみても意味ありませんわな。
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はじめまして。 (まも)
2011-05-22 18:30:29
「はっぴいえんど 過大評価」で検索してこのブログを発見しました。あなたのご意見に同感です。

私は30年前から寺内タケシ氏の隠れファンでした。しかもいろいろと世間の目に傷つくことがあって、10年ほどファンを辞めていた時期もあったのです。言うまでもなく寺内タケシとブルージーンズははっぴいえんどの大先輩であり、最近も義援金着服事件を起こした足利市教委による「エレキギター禁止令」を始めとする60年代中頃の世間の偏見と迫害の中、エレキギターとロックバンドをこの日本に定着させた偉大な存在だと思うのです。寺内氏の気性の激しい性格は有名ですが、まるで日本のロック・ジャーナリズムからアンタッチャブルのような扱いを受けているのかとさえ思います。

主様ははっぴいえんどのアンプ運びをご経験されていたのですね。よくロカビリーからGSにかけてのバンドは「バンドボーイ」の存在について必ずと言って良いほど語られますが、はっぴいえんど以降のバンドには全くと言って良いほど語られませんね。実際はどうだったのでしょうか・・・。

長文になってしまい、失礼致しました。
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まもさんへ (マリーナ号)
2011-05-23 04:27:14
 書き込み、ありがとうございました。
 日本のロックの歴史を自分の都合の良い方向に書き換えてしまおうとする勢力、というものがどうもあるようで、そんな連中のお気に入りが”はっぴいえんど”勢力のようです。そして、確かに寺内タケシ氏などは、その存在を消し去ろうとさえされている人でありますね。
 その他、ロックンロールの日本語詞を多く書いている漣健児氏とかも、あえて無視されているような。
 おかしいと思いますよね。私もまさに微力ながら、訴えて行きたいと思っていますが・・・
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はじめまして。 (大学生)
2011-12-27 16:49:16
ブログ記事、興味深く拝見しました。
日本のロックの歴史について卒論書いてる大学生です。

ユリイカの2004年9月号のはっぴいえんど特集にて、
増田聡と輪島祐介の論文ではっぴいえんど史観を検証、批判していて目から鱗でした。
機会があればどうぞ。

僕ははっぴいえんどとその価値体系が嫌いでどうしようもなかったんですが、
論文を読んで理由がわかった気がします(笑)

今のロックの歴史ははさまざまな状況が重なり、作られたものであって、はっぴいえんどの評価も80年代と90年代で違うらしいです。

で、今のはっぴいえんど史観は、
Jポップに対して、あえてロックとして卓越化を図ろうとするミュージシャン(くるりとか曽我部恵一など)が、自らの文化的真正性を誇示するための仮想のルーツとしてはっぴいえんどが選ばれたからだそうです。わかりにくかったらすいません…

ともかくロックの歴史っていうものは、様々な思惑が交差してできるものであって、その歴史を素直に受け取る必要はないなと思いました。

マリーナ号さん言われるように「結果として出来上がった音楽が面白いかどうか」だと思います。現在の自分の耳で聞いてみて面白いか、かっこいいかどうかだと思います。
はっぴいえんどは聞いてみて、すごくださくてぬるい音楽だなと思いました(笑)僕は四人囃子のほうギターが歪んでてが好きです。日本語で言ったら、頭脳警察の方がショッキングで面白いと思いました。

余談ですが、ですます体はロックじゃないと常々思っていたのですが、大滝も松本の「かくれんぼ」の歌詞を初めて読んだとき「"です″なんて表現がロックといえるのか!」と思ったそうです。そのまま反対してほしかった…

周りに話せる人がいないのでつい長文になってしました。失礼します。
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 (マリーナ号)
2011-12-28 19:57:11
 ”大学生”さんへ

 書き込み、どうもです。むしろこうなったら、「日本の他のロック連中はなんではっぴいえんど一派のように立ち回れなかったか?」なんて視点で考えてみるのも面白いかもしれません。
 そしてその後、日本ロックの歌詞世界はどのように進化してきたかといえば・・・真面目に聴いてないんでなんとも言えないんですが、ただ、売り出し当時は反逆者ぶってみたけど、あまり売れないんで急に良い人ぶって人情路線を取り、「お父さんお母さんを大事にしよう」みたいな歌詞で安い涙の受けを狙うラップ連中は、どうしても認める気になりません。
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