ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

タンゴ探検隊始末記

2010-07-14 02:53:00 | 南アメリカ

 ”TANGOS INSÓLITOS”by Haydée Schvartz & Gabriela Bernasconi

 ストラビンスキィ、ショスタコヴィッチ、クルト・ヴァイル、ジョン・ケージ、エリック・サティ、といった主にクラシック方面の、いかにもややこしそうな(?)人々が作った、”タンゴ”という単語がタイトルに入ったピアノ曲を集め、それをタンゴの本場アルゼンチンのピアニストが弾きまくった、という鋭いような勘違いのような不思議なアルバム。
 予期していた通り、各自、やりたい放題のかくし芸大会状態である。

 関係ないだろう、という方向へ行く奴(ケージのなんか予想通りに半分はピアノをコブシで叩く音で構成されている)冒頭はタンゴのリズムを生かすが、隙を見て自分の世界に入ってしまう奴、タンゴの哀感あるメロディの感触は伝えるが、やはり隙を見て12音階の小路に飛び込み、自分の美学を展開しまくる奴。
 なんだか各作曲家の脳内をスキャンした画像を見比べながら聴いている気分になってくるのだった。彼らの意識の裏通りを探索したみたいな、へんちくりんな曲ばっかりなんだもん。

 やっぱりタンゴと言うのは人の心を静かに狂気に誘う音楽と考えるべきなんだろう。しかも、いたこともない土地、遥かなる南の草原へのノスタルジアという奇妙なセンティメントをまき散らしながら。
 所詮、世俗のダンスミュージックだからと気安いノリとなり、ふと心を許した巨匠がたが、心の内のうっかり見せたらまずいものを大開陳したアルバム。なのかもしれませんぜ。

 このアルバムの音はYou-tubeでは見つかりませんでした。しょうがないからそこにあった弾き人知らずのストラビンスキィの”ピアノのためのタンゴ”など貼ってみます。



追放処分

2010-07-13 21:22:10 | 時事

 ☆小野恵令奈がAKB48を卒業! ~ 代々木コンサート「サプライズはありません」で発表のサプライズ

 急過ぎる状況の流れから考えて、確実に”クビ”のようだな。というか”突然の追放”ってニュアンスさえ感じる。よほどの事があったのだろうね。伏魔殿の芸能界、その真相を我々が知る日が来るかどうか分からないが。
 しかし、こんな事態になっているのに”海外留学”なんてうそ臭い関係当局の発表を鵜呑みにして、「夢に向ってジャンプするえれぴょん、頑張れ」とか呑気な事を言っているんだから、ファンと言うのは幸せな人種だ。というか、そんな連中がいるから悪名高きAKB商法が成り立つんだろうけど。

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 ☆小野恵令奈がAKB48を卒業! ~ 代々木コンサート「サプライズはありません」で発表のサプライズ(RBB TODAY - 07月11日 22:55)

 本日千秋楽を迎えた、AKB48代々木第一体育館コンサート「サプライズはありません」。コンサートタイトル通りにサプライズはないはず…だったが、さきほどAKB48の人気メンバー「小野恵令奈」が、同グループを卒業することが発表された。
 ほぼ同時に、AKB48のオフィシャルブログ「~AKB48 TOKYO DOME までの軌跡~」にも「【お知らせ】」のタイトルで、小野の所属事務所(太田プロ)による説明文が掲載された。
 それによると、卒業の時期などは未定ながら、「夏までの活動予定」とのこと。「映画『さんかく』の出演をきっかけに、自分の考えの甘えや実力のなさに気付いたようです。一度自分を見直すために海外へ留学し、その期間は芸能活動を停止することになります」とその理由が説明されている。また「女優業を勉強する決心もあるようです」とのことなので、あくまでAKBからの卒業で、将来的に芸能活動を再開する可能性はあると思われる。
 コンサート終了直後ということもあって、本人および他メンバーのTwitterやブログでは、まだ関連する書き込みはないようだ。小野恵令奈については、AKB総選挙の投票で15位と人気も高く、(きっかけになったとはいえ)映画『さんかく』で見せた魅力で、AKBファン以外からも評価されはじめたばかり。ぜひ“えれぴょん”の旅立ちと、今後のさらなる飛躍に期待したい。
 なお小野恵令奈オフィシャルブログ「キラキラ☆☆ ぴょん吉成長日記」の最新記事では、卒業に関する投稿はなく、今朝8時時点に、代々木への抱負を述べる文章、そして「本当にAKB48で幸せだなぁ…と思いました☆。」という言葉が投稿されている。

太陽と薔薇のブルース

2010-07-10 04:32:44 | ヨーロッパ

 ”In forma di Rosa”by Rosa Paeda

 どういう人なのかまるで知らないのだが、ジャケの薔薇の花の赤い色彩があまりに強烈なので、ふと購入してしまった。妙なジャケ買いもあったものだ。
 南イタリアの、民謡系の人らしい。超短髪でメガネまでかけて、なんかインテリ臭い風貌に、「頭で音楽をやる人かもな?ヤバいかな?」と一瞬、不安が過ぎったりもした。

 イタリアも最南端、かの靴の形をした国の踵の辺りの音楽をやっているそうだ。聴いてみれば、いかにもそんな感じ、非常にアラブの影の濃い歌を聴かせる。そもそも、バックバンドはアラブの民俗打楽器を使用しているのだし。その他、ギターはフラメンコっぽくなりもし、木管楽器はバルカン的な曲がりくねったメロディを奏でもする。東地中海の陽の輝きと、それに反比例して地に落ちる果てしなく黒い影の音楽。様々な文化の混交。

 そして主人公のRosa Paedaは、やはり南イタリアらしいアラブ色濃い、”朗誦”なんて言葉を使いたくなるような重い土俗と、南の太陽の輝きを、その歌声で振りまく。
 最南端のこの辺りが、イタリア人にとっても”地の果て”の感じなんだろうか?南イタリアの民俗音楽を聴くといつも、地面深くに沁み込んで永遠に癒える事のない孤独の泉の響きを聴き取ってしまう。

 照りつける太陽とからりと乾いた空気と吹き抜ける潮風の中で、そいつは人々の魂に取り付いて永の年月を生きている。女たちがまとう民族衣装の厚ぼったい黒い生地の下で、営々と息付いている。
 そんな乾いた孤独のイメージが吹き寄せて来て、野生の花の周りでカラカラと乾いた音を立てて舞っている。



ハンバートに悩む

2010-07-08 03:04:45 | その他の日本の音楽

 検索かけた結果を見、ああやっぱり今流れてる「アセロラ」のCMソングはハンバート・ハンバートが歌ってるのか、なるほどね、などと頷いてみたけれど、だからって事態は何の代わりもないのだった。
 なんて話の始め方では何がなんだか分からないよなあ。最初からやりなおしだ。

 ハンバート・ハンバートは1998年に結成された、佐藤良成と佐野遊穂のお二人によるによる男女デュオのフォークグループだ。2001年にアルバム、”for hundreds of children”でCDデビューしている。
 そして私はここの女性メンバー、佐野遊穂嬢の歌声の、結構なファンなんですな。まあ、グループのサウンドそのものもそうなんだが、彼女の発声法に70年代初めの頃の欧米の女性フォーク歌手が持っていた雰囲気に通ずるものがある。なんだか明るい陽の中をフワフワとどこまでも舞い上がって行くような、その独特の発声法には。

 それはいいんだけど、問題はこのグループが”男女デュオ”のチームであるということだ。当然、もう一人の男性メンバー、佐藤氏も歌は歌うわけだよな。そりゃ歌うよ。
 いや、はっきり言って申し訳ない、私はこの佐藤氏のボーカルが邪魔で邪魔でしょうがないのだった。だって、女性メンバーの佐野嬢の歌声に惹かれて、ハンバート・ハンバートに関心を持ったのだから。

 これがねえ、”男声コーラス”ならまだ我慢は出来たと思うんだ。彼女の歌のための効果音と解釈が出来る。でも、彼女の横で対等の立場で歌われると、そこには一個の人間の存在感とが生まれ、佐野嬢の歌声をじっくり聴きたいという、こちらの気持ちは集中力を削がれ、失速してしまう次第。何とかならんか。
 まあ、ムチャクチャ言っているわけですがね、デュオのグループに、「片方黙れ」と要求しているのだから。しかし何とかならんかなあ。たとえば、佐野嬢がグループのコンセプトとは別の音楽にトライしたくなってソロ・アルバムを作るとかね。

 私が同じような理由で贔屓にしている日本のフォークグループ、”ビューティフル・ハミングバード”なんかはその辺、良いよなあ。同じ男女のユニットながら、男性メンバーは唄を歌うことに関心がなさそうだし。
 どうでもいいような事をダラダラ書きやがってとお嘆きの貴兄に。それじゃ、どうしたらいいと思いますか、この問題を?思いっきり聴きたいんですがねえ、佐野嬢の歌声を。佐野嬢の歌声だけを。




ナポリの歌

2010-07-07 04:50:19 | ヨーロッパ
 "La Chanson Napolitaine" by Roberto Murolo

 と言うわけで前回に続いてナポリ民謡の守護聖人Roberto Muroloについて。
 私などの場合はこの人を、「それまでギター片手に地味に歌い継いで来たナポリ民謡を、80歳過ぎてから突然、カラフルなサウンドを取り入れて歌い始めた不思議な爺さん」という興味の持ち方で聴き始めたのだが、他の人たちはどうだろう?はい、正解です、我が国ではRoberto Muroloとか聴いていた人はいません。だーれが今どき、ナポリ民謡なんか好き好んで聴くもんかよ。
 とか、ヤケを起こしていても仕方がないんであって。では、若い頃のRoberto Muroloは、どんな具合の歌を歌ってきたのか。

 Roberto Muroloはどうも長年に渡って採取して来た伝承歌の数々を次々にレコーディングして来たようで、CD何枚組みかによる作品集の形で大量に存在しているようだ。それが具体的にどんなものなのか、詳しいディスコグラフィも見たことはない。
 だが、ここに上手い具合に我が国のライスレコードというところが出してくれた2枚組のCDがある。Roberto Muroloが1930年代から50年代にかけて行なったレコーディングからの抜粋のようだ。
 これを聴いてみると、ナポリ民謡と言う言葉から想像される高々と歌い上げるきらびやかなテノール、などと言うものとはまるで違う世界が展開されていて興味深い。そのほとんどがギターの弾き語り、あるいはもう一本ギターが伴奏に加わっただけのシンプルな姿で、静かに語りかけるようなRoberto Muroloの歌声が聴ける。

 これは、若き日にはジャズ・コーラスのミルス・ブラザースの影響を受けたコーラスグループを結成などしていたという彼のキャリアから来ている部分も多いのだろうが、このスタイルのおかげで、Roberto Muroloの歌が内包する、ナポリの住民の喜怒哀楽がずいぶんと見近かに感じられてくるのだ。
 それこそ、張りのあるテノールで朗々と歌い上げたら凄い出来になるんじゃないかと思われるメロディも、Roberto Muroloは名も無き庶民の淡い人生の哀歓にかかわる独り言として提示する。ギターの素朴な爪弾きだけをお供のさりげない歌声は、夕餉の匂いの漂うナポリの下町をひとしきり漂い、消えて行くのだった。



ナポリの長老、歌う

2010-07-06 01:47:34 | ヨーロッパ
 ”L'Italia è Bbella”by Roberto Murolo

 Roberto Murolo(1912年生)に関しては、”ナポリ民謡の収集と保存と研究に力を尽くした功労者”とでも紹介すればいいのだろうか。彼の編んだナポリ民謡の膨大な録音集など、相当に興味深いものがある。もっとも、膨大過ぎてどこから手を出して良いのか分からず、実は未だにきちんと聴いてはいないのだが。というか、購入する予算がひねり出せない。
 自身も歌手として、あるいは作詞作曲家としても活躍をしていて、面白いところではコメディアンの”ひろし”がネタのバックに流しているカンツォーネ、”ガラスの部屋”の歌詞がRoberto Muroloの作品だったりする。そんな俗な所もあって、ますます面白かったりするのだが。

 彼の音楽家としてのキャリアで非常に面白いのは、人生も最晩年に入った80歳代になってから、ナポリ音楽界の大物ミュージシャン(とはいえ、その年齢のRoberto Muroloにしてみれば孫みたいな連中なのだろうが)を集めて、ナポリ音楽への新しいアプローチを盛んに行なったことだろう。

 もともとRoberto Muroloはギターの弾き語りでしみじみと古いナポリの歌を歌い上げる地味な芸風の人だったのだが、そんな彼がロックの音など大胆に取り入れたアルバムを、平均余命をそろそろ越えようかと言う年代になってから何枚も製作した、これは相当に珍しいケースと言えるだろう。なぜそんな事をいい年して(失礼!)始めたのかと問えば、イタリア人らしく「若い恋人が出来たから」とか言ってくれたのかも知れないが、今のところは特にコメントも発見できず、よく分からない。

 ここに挙げたアルバムは、タイトル”美しきイタリア”となるのだろうか、この前年、彼の80歳を祝って作られたアルバムの成功を受けて作られた作品で、完全にロック感覚の発揮された音作りとなっている。どうやらこのあたりをきっかけに、”老Muroloの音楽冒険の旅”が始まっているようだ。
 80歳とはいってもさすがは地中海の太陽パワーを受けて育った南イタリア人らしく、かくしゃくとした歌声を聴かせてくれる。まあ、めんどくさいところはゲスト参加している歌手たち、つまり”若い衆”にまかせて自分はおいしいところだけ持って行く、悠々たる姿勢を見せているが、ここまで来るとそれも貫禄、逆に恐れ入るよりない。朗々たる歌心と深々と響くナポリの歴史のエコーがたまらない魅力となっており、なかなかの聴き応えだ。

 彼が80歳代に作った何枚かのアルバムを、私と同じくナポリ音楽に興味を持つ友人と聴きながら、「このぶんで行くと90歳記念のアルバムなんてのも出るのかも知れないなあ」などと冗談で言っていたのだが、そのうち本当に90歳を祝うアルバムが発表され、それの日本盤までも出てしまったのには驚いた。さらにそれを聴き、ただ出ただけではない、きちんと出来の良い民謡アルバムとなっているのには、ますます驚かされたが。
 これは、100歳記念のアルバムもありうるかも、などと噂していたのだが、さすがのMurolo翁も、その翌年、ナポリの空に召されたのだった。




あの頃・・・

2010-07-05 20:54:10 | いわゆる日記

唄を歌おう。時は静かに流れ、緑が豊かに茂り、
音楽を持って歩く方法がウォークマンしかなかった頃の歌を。
名曲喫茶でも寄って行きませんか。お嬢さん。
それはとても素敵な時間の潰し方。
2001年10月12日のちょっぴり憂鬱な午後のひと時には。

唄を歌おう。”明星”の付録の歌本が宝物だった頃
ポータブルステレオにシングル盤を置いては覚えた曲を。
歌声喫茶にでも寄りましょうか、お嬢さん。
それはとても素敵な時間の過ごし方
2001年10月12日のちょっぴり憂鬱な午後のひと時には。

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 上はネット上で「iPodとiTunesが上手く同期してくれなくて」と悲嘆に暮れる女性に出会い、即興で書いた歌です。
 検索の手間を省いてあげますが、”2001年10月12日”とは、iPodが製作発表された日であります。あ、もちろん、全体としてはランディ・ニューマンの”デイトン・オハイオ・1903”のパロディです。

集いし旗の根本に

2010-07-03 03:26:12 | その他の日本の音楽

 下は、今をときめくアイドルグループ、”AKB48"に関する文章です。先月、AKB48が新曲を歌うメンバーを決める”総選挙”の第2回が行なわれ、その投票結果が出た日、ふと思いついて書いてみました。書いてはみたものの、こんな説はいまさら目新しいものでもなく、わざわざ発表するものでもないんじゃないか?という気もして、”保留”扱いにして来たものです。 
 が、先日発売になった”Bubuka”なる雑誌のAKBを論ずるページに似たような論旨の文章が書かれているのを見つけ、ああ、思い入れをもってあのグループを追いかけている人も今、そう感じているのなら、私のこの文章も発表する価値があるかもしれないと思い直し、ここにこうして公開する次第です。なんかパッとしない前置きですが・・・

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 話題は変わって、総選挙のお話。とはいえ、アイドルグループ、”AKB48”のメンバー間で争われた、次のシングル盤への参加権をめぐっての総選挙のほうですが。
 なんでも、あの研究生とかも含めると総勢100名を越えると言う大所帯のグループは、新しいシングルを出す際、それを歌うメンバー21名をファンによる投票で決めるんだそうですな。ファンの票をたくさん集めた上位入賞者21名だけがシングル吹き込みに参加でき、なおかつ、さらにその中の上位数名がテレビにおけるプロモーションに出たりも出来るらしい。

 そりゃもう過酷な話で、いや、メンバーにとっても過酷だけどファン連中にも過酷で、その投票に参加するには彼女らのCDを買って、投票権を得ねばならない。どうしても自分の贔屓の子に上位に行って欲しければCDを何枚も買って、無理やり彼女の順位を引き上げる仕組みだ。過酷な金儲けで、開いた口がふさがらんよ、遠巻きに眺めてる見物人としては。
 どこかで読んだけど、AKBファンが一月に彼女らのつぎ込む金は平均5万円くらい、とか。投票のほかにもライブに行ったりグッズ買ったり、その他、私なんかには思いつけないような理由で金がかかるんだろうなあ。もちろん、この”ビジネス”はすべて、プロデューサーであるアキモトが思いついたことなんだろうけど。

 もっとも、実は私がここで論じようとしていることは、そんなことではない。昨年、この過酷なメンバー選抜の一位に勝ちあがり、今年も当然のように大本命と見られていたという、グループ一の人気者マエダというメンバーに関してだ。
 まあ、話はシンプル、「あのコ、そんなぶっちぎりで人気を独占するほど可愛いか?」と言う疑問である。なんか彼女、目と目の間が妙に狭いし、顔のでかいのを髪型で隠しているようにも見えるし、彼女よりも可愛いメンバー、ほかにいくらでもいるじゃないか?何であのコ、そんなに人気があるの?むしろあのマエダというコ、あのメンバーの中ではブサイクなほうに属するという気がするんだがね?
 アイドルも、そのファンもコミで、外野で見物している野次馬としては、これが不思議でならないのである。

 これは私の仮説なんだけど、いつの時代も変わらぬ若者たちが抱え込む代物、”敵である大人たちには理解できない、それだけで価値のあるイコン”の建立行為ではないんだろうか、彼女の人気と言うのは。
 訳の分からないファッションに身をやつし、あるいはややこしいスラングを操っては、それを合言葉として理解可能な”俺らって仲間だから”という生暖かい友達同士の縄張りのうちに身を沈める。その安楽。
 昔々から若者たちが変わることなくやって来た、そんな聖別作業の一環なのではないだろうか、彼女の人気と言うのは。
 ・・・なんて書いてみせるのも、「オヤジは何も分っていない」ことの証明だから気にもしないだろうけどね、AKBのファン諸君は。

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 「AKB48総選挙」で大波乱 大島優子が初戴冠で前田のV2阻止!
 (ORICON STYLE - 06月09日 21:03)

 人気アイドルグループ・AKB48の17thシングル(8月18日発売)を歌う選抜メンバー“上位21人”をファン投票によって決める、「第2回選抜総選挙」の本投票イベント『母さんに誓って、ガチです』が9日、東京・水道橋のJCBホールで開催され、昨年及び今年の初日速報と中間発表で1位をキープしていた前田敦子が敗れる大波乱。昨年、初日、中間と2位につけていた大島優子が597票差で大逆転、初の首位に躍り出た。前田は2位、篠田麻里子が3位に続いた。

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 (下は、オールドファンには懐かしい”オールナイターズ”のライブ風景です。わざと関係ない映像を貼っているんだから、「間違っている」とかピンと外れの文句はつけないように)



熱帯夜にたゆたう中世

2010-07-02 04:15:33 | ヨーロッパ


 ”Semen Roris”by Lucus

 どうやらイタリアの趣味趣味バンドらしい。この種の音は結構好きなんでいくつか持っているんだが・・・こういう音楽をなんと呼ぶのだろうか?ワールドミュージック系古楽派? まあ、ジャンル名なんて売り出し担当者がテキトーに思いついたものだろうからどうでもいいんだけど。

 クラシカルな女性ボーカルをメインに、リコーダーやら古式バイオリン、トルコの民俗楽器サズと言った古ものめいた生楽器中心の素朴で静謐な音作りである。砂漠に浮ぶ蜃気楼みたいな儚い幻想を描き出している。
 シンと時の止まったような世界に、淡い悲しみをたたえた歌と演奏が静かに渡って行く。

 中東っぽいメロディが吹流されたり、グレゴリオ聖歌めいた男女コーラスが披露されたり。感じとしては中世ヨーロッパあたりが舞台で、ウクライナあたりから中央アジアに歩を進めている夢でも見ている設定か。
 ジャケに使われている、アラビア文字めかしたアルファベットの字体などから、その辺のお遊びが好きな連中であることはすでに明らかだ。

 面白いのはいくつかの曲で日本民謡と同じ音階が使われていることで、とはいえことさら日本情緒が強調されているわけでもなく、そこはかとなくどこかで聴いた記憶のあるようなないような幻の”古き日本”がひととき現われ、一舞いしては消えて行くのである。これは、はるか彼方の黄金境ジパングへの憧れでも歌っているのだろうか。

 梅雨の時期をすっ飛ばしていきなり真夏にでもなってしまったかのような蒸し暑い一夜、一人でいたらこんなアルバムをふと思い出して聴きたくなってしまったのはいかなる行きがかりか。稲川淳二のCDを聴く手もあったんだが。

 ●試聴はこちらで

ボレロの畔にて

2010-07-01 04:55:20 | 南アメリカ

 ”Romanticas”by Devorah Sasha

 「なんかこの頃、こいつのブログ、更新のテンポが遅くなってね?」とお嘆きの貴兄へ。すんません、もはや夏バテみたいっス。暑いス。ダルいっス。マトモな、というか脈絡の立った事をする気に全然なれないっス、面目ない。
 こんなときは、この物憂い暑気の中を無為に過ごす身を、金子光晴翁の詩にあったが如く、「おこたりは美しきかりけれ」とかなんとか言って、痺れるほどの甘美さの中で、思い切り甘やかしてくれる音楽が良い。だから、こんなアルバムをふと思い出して何度も聞き返したりする。

 ベネズエラの実力派女性歌手が15年ほど前にリリースした、バラード集というかボレロばかり集めたアルバム。カリブ海沿岸の土地土地から集められた切ない恋歌ばかりを歌っている。ラテン世界ならではの、罪深いほどの濃厚な美学に磨きたてられた、溶け零れ落ちそうな甘さを含んで輝き流れる旋律たち。
 そいつをDevorah Sashaは、あえてさらりと爽やかに歌い流して行く。それがまた、切ないじゃないか。こちらの貧困なスペイン語の知識でも歌のタイトルの意味が読み取れる。月の涙。思い出。私の魂。午後の雨。月光。

 レコーディングがプエルトリコのスタジオで行なわれているのはなぜだろう?1960年代の世界的ラテンブームの際、人気を博していたメキシコの人気トリオ、トリオ・ロス・パンチョスのボーカリストがプエルトリコ人であったことなどに、ふと連想が行く。かのサルサの故郷の島は切ない恋歌の本場でもあるんだろうか。