ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”パリ発ワールドミュージック”の効率的な捨て方は

2010-07-26 00:37:21 | 音楽論など
 (king sunny ade:Synchro System )

 前回のまとめと、その後の展開を思う。

 まずまとめとして言えば、他人の文化や他人の立場に、もう少し謙虚に接するべきではないか、ということ。そうすれば、高所から「そんなものを評価するなんて、ブラジル音楽を聴いてないんじゃないの?」なんて発言は出てこないんではないか。
 そしてもう一つ、そもそもあの盤が突きつけている問題は、ブラジル音楽ウンヌンという切り口で解決がつくものなのかどうか?と言うこと。

 たとえばここに、キング・サニー・アデが1983年に発表したアルバム、”シンクロシステム”があります。英国のアイランド・レコードが、所属アーティストだったレゲのボブ・マーリーが急逝した後、次なる「第三世界からのイーロー」として売り出さんと白羽の矢を立てたのがアデでした。
 アフリカはナイジェリアのローカル・ポップス、”ジュジュ”のトップミュージシャンだったサニー・アデが、世界の音楽市場を相手に打って出た記念すべきアルバム(これはアイランドからの2枚目だけれど、インパクトはこちらの方が強かった)なんだけど、これなんかどうでしょう。

 このアルバムを耳にしたとき、多くの人々は”ナイジェリア音楽を知らない人”であったはずです。あの頃、突然に”通”の人が光臨して一言、”シンクロシステム”を「これを評価する人ってナイジェリア音楽を聴いたことのない人だね」と切り捨てたら、どのような作用が起こったのだろう。
 ”シンクロシステム”が”ゲッツ/ジルベルト”と取り巻く状況で一番の違っていたのは、関係者一同が、つまりミュージシャン、プロデューサー、マスコミ、そしてその音楽を受け止めるファンの側まで含め、裏の事情まで知っている上での、”参加者全員確信犯”の”イベント”であったのですね、

 つまり、”シンクロシステム”はナイジェリアで聴かれている本来のジュジュ・ミュージックそのままの音楽ではなかった。西欧のレコード会社が世界市場の大衆の好みを想定し、彼らが受け入れ易いようにあちこち細工した音楽だった。アフリカ音楽の泥臭さを取り除き、一曲の長さも短く刈り込んで。
 振り返ってみればあの当時、ワールドミュージックがそれなりに商売になっていた頃、そんなアルバムが続々と生み出されていたものです。”パリ発ワールドミュージック”なんて言葉もありましたねえ。アラブのポップスをはじめて全世界に紹介して見せたシェブ・ハレドの”クッシェ”とか。パキスタンの宗教音楽カッワーリーの巨匠、ヌスラットなんて人も、聖なるお方にもかかわらず、ロックな音をバックに声を張り上げていた。

 そして時は流れ。その辺のアルバムって聴かれますか、ご同輩。私はもう聴くことはまずないですね。聴こうにも、それらのアルバムのほとんどを、もう手放してしまっている。現地盤を手に入れ、現地で聴かれている音を聴くことの出来る今となっては、それら”世界仕様”盤は、あまり必要のないものになってしまっているから。
(だからと言って、「あんなものをありがたがる奴はアフリカ音楽を知らない奴だよ」とか言うつもりは、もちろんありませんよ、もちろん)

 ところで。そんな私ですが、「ゲッツ/ジルベルト」は、たまに聴きたくなるアルバムです。なんかね、これも前回書いたことですが、なんとなく気になる部分があって、本場のブラジル音楽が聴けるようになったからといって用澄み、でもないんですよね。
 この辺が微妙なところで。さて、私がとうに手放した”パリ発ワールドミュージック”がなんだか気になりだして、慌てて買い戻す日なんてのは来るのでしょうか。なんとも分かりません、来るべき明日のことなど。つーか、今、ここに音を貼るために”シンクロシステム”をYou-tubeで本当に久しぶりに聴き直したら、なんか新鮮で、「これもありかな」なんて思い直している次第で。





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